イタリア映画のマエストロ(2)
ヴァレリオ・ズルリーニ Valerio Zurlini

 

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 1950年代末から60年代にかけて、イタリア映画界には新しい才能が次々と登場した。エルマンノ・オルミ、マウロ・ボロニーニ、フランチェスコ・ロージ、フランコ・ゼフィレッリ、カルロ・リッツァーニ、そしてベルナルド・ベルトルッチなどなど。彼らは“新世代”と呼ばれ、戦後ネオレアリスモの伝統を継承しつつも、高度成長期真っ只中のイタリア社会に生まれた新しい価値観と感性を表現していった。そうした中で、映画監督としてのキャリアを歩み始めたのがヴァレリオ・ズルリーニだった。
 だが、ズルリーニの個性は他の“新世代”の映画作家とも、そしてもちろんネオレアリスモ世代の作家たちとも明らかに異質だった。同世代の監督たちがフランスのヌーヴェルヴァーグからの影響を強く受け、実験性や社会性を重視した創作活動を行っていたのに対し、ズルリーニの作品は一見するとオーソドックスな文芸メロドラマだった。戦時下における若者と年上の未亡人との恋愛を描いた「激しい季節」('59)、思春期の少年と身持ちの悪い女の切ない愛を描く「鞄を持った女」('61)、病弱な弟と屈折した兄の哀しい兄弟愛を描く「家族日誌」('62)などが、いずれも正統派の文芸映画といった趣きだ。それゆえに、彼の作品は興行的にも批評的にも成功を収めていたものの、同世代のロージやオルミと比べると、映画作家として論じられたり評価されたりすることは極めて少なかった。

 とはいえ、彼が他の新世代監督たちと比べて作家性の劣る映画監督だったかというと、もちろん決してそんなことはない。それどころか、ゼフィレッリやボロニーニよりも強烈な個性の持ち主であり、ロージやオルミに比べても引けをとらないくらいに確固とした作家性を持った監督だったように思う。
 彼の作品は基本的に、叙情的で甘いロマンチシズムと冷徹なまでのリアリズムの対比によって成立している。「激しい季節」の若者カルロと未亡人ロベルタは、戦時下のいつ死んでもおかしくないという状況の中で激しい愛を燃え上がらせるが、激動する時代の残酷な現実が彼らを引き離してしまう。「鞄を持った女」のジャックとアイーダにしても、全く違う社会に属する正反対の男女が、その繊細で傷つきやすい魂ゆえに惹かれあうものの、しかし社会の偽善的なモラルと階級格差の現実によってズタズタに引き裂かれてしまう。このロマンティシズムとリアリズムの劇的なまでの落差というのが、ズルリーニの作品世界を作り上げていると言えるだろう。
 それはすなわち、ズルリーニ自身の人間性や価値観を如実に表わしたものでもあったようだ。彼は約20年のキャリアの中でたった9本の長編劇映画しか残していない。その原因は、彼が非常に扱いにくい映画監督だという評判があったからだ。ゆえに、どれだけ彼の作品が興行的に成功しても、なかなか一緒に仕事をしようというプロデューサーがいなかったのだという。事実、無名時代からの大親友だった映画監督フロレスターノ・ヴァンチーニは、ズルリーニが頑固で複雑な面のある人物であり、かなりペシミスティックな価値観を持ったニヒリストであったと語っている。
 しかし、その一方で彼は無類の寂しがり屋でもあった。特にスタッフや俳優とは撮影現場だけの付き合いではなく、プライベートでも深い交流を持つことを好んでいた。一日の撮影が終わればスタッフや俳優を連れてレストランやバーに繰り出し、飲めや歌えやの大騒ぎを楽しんでいたという。特に俳優とは公私に渡る付き合いが多く、それゆえに彼は役者を使うのが非常に上手かった。
 このズルリーニの極端とも言える性格が、彼の作品の根底に常に流れているように思う。恋愛、友情、兄弟愛など、様々な感情で強く惹かれあい、結びつきあう人々。そして、有無を言わせず彼らを呑み込み、無残にも引き裂いていく時代や社会の現実。その二つの全く異なる要素を、全く奇をてらう事なく真正面から交わらせていくのだ。
 ゆえに、彼の作品は決してハッピー・エンドで終わる事がない。処女作「サン・フレディアーノの娘たち」('55・日本未公開)を例外として、他の全ての作品が哀しくも虚しい結末を迎える。しかし、その一方で、現実があまりにも残酷で厳しいからこそ、人と人の絆、魂と魂の結びつきは素晴らしいのだ、と素直に感じさせてくれるのがズルリーニ作品の大きな魅力でもあると言えよう。

 1926年3月19日、ボローニャに生まれたズルリーニは、由緒正しい裕福な家柄の出身だった。幼い頃から文学、絵画、音楽に親しんで育ったが、中でも絵画への造詣は深く、美術コレクターとしても知られるようになった。17歳の時に対独のレジスタンスに加わり、戦線で戦ったこともあるという。戦後はローマ大学で法律と美術史を学び、共産党に参加して政治活動にも積極的だった。
 一方、早くからドキュメンタリー映画の製作現場に携わるようになったズルリーニは、1944年から53年までの間に10本の短編ドキュメンタリーを手掛けている。それらの作品が高く評価され、55年に「サン・フレディアーノの娘たち」で長編映画デビューを飾ったわけだ。
 無名時代の彼を知るヴァンチーニ監督やプロデューサーのマリオ・ガッロによると、当時のズルリーニは周囲の仲間たちに溶け込もうとして逆に浮いてしまうような存在だったらしい。というのも、映画を志して集まってきた若者たちの多くが貧しい労働者階級や中産階級の生まれで、日に3度の飯にも事欠くような下積み生活を送っていた。一方、ズルリーニはブルジョワ育ちのお坊ちゃんで、生活費に困るようなことも全くなかった。しかし、彼は仲間たちと同じような安アパートに住み、飲食代もツケで済ませるようなボヘミアン・ライフを好んで送っていたという。だが、その話し方や物腰は周囲の若者たちとは明らかに違って上品で、やはり生まれや育ちの良さを隠すことは出来なかったようだ。それゆえに、本人は疎外感を感じることも多かったに違いない。
 とにもかくにも、29歳という若さで長編映画の監督となったズルリーニ。しかし、プロデューサーと衝突することも多く、映画そのものは興行的に成功したものの、その後4年間も映画を撮らせてもらえなかった。彼が脚本を手掛けたアルベルト・ラットゥアーダ監督の「芽ばえ」('57)にしても、当初は彼自身が監督をする予定で撮影準備が進められていたのだが、最終段階でラットゥーダに奪われてしまった。
 そうした不運の時期を経て発表されたのが、名作「激しい季節」だったわけだ。続く「鞄を持った女」ではカンヌ映画祭のゴールデン・パームにノミネートされ、「家族日誌」も興行的な大成功を収めた。さらに、戦線の慰安に送られるギリシャ人娼婦たちと、彼女たちに随行するイタリア人将校の交流を描いた名作「国境は燃えている」('65)も絶賛されたものの、コンゴ独立運動の活動家の生き様をドキュメンタリー・タッチに描いた「右隣の席」('68・日本未公開)が不評で、しばらくは映画界を干されてしまう。
 その後、フランスの大スター、アラン・ドロンに乞われ、ドロンが製作・主演する「高校教師」('72)を手掛けた。しかし、仕事とプライベートをきっちりと分けようとするドロンとはあまり上手くいかず、さらに編集を巡って対立してしまうことになる。
 これが原因で再び映画を撮らせてもらえなくなったズルリーニは、76年に彼のキャリアで最大の製作費をつぎ込んだオールスター大作「タタール人の砂漠」('76)を発表。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀監督賞、シルバー・リボン賞の最優秀監督賞を受賞するものの、結局これがズルリーニの最後の作品になってしまった。

 晩年のズルリーニは幾つものプロジェクトに関わり、積極的に脚本を書いては製作会社に売り込んでいたが、いずれも実現することはなかった。中には、「芽生え」のように他人に奪われてしまったような企画もあったという。
 それでも、国立映画実験センターで教鞭を取りながら、常に映画を撮るチャンスを狙っていたズルリーニだったが、その願いもむなしく1982年10月28日に帰らぬ人となってしまった。享年56歳。どう考えても早すぎる死である。「タタール人の砂漠」の撮影当時から健康が優れず、それが映画を撮らせてもらえなかった理由の一つでもあったようだが、もちろんそれだけではなかったろう。本人は仕事をする意欲に溢れていたものの、“頑固で扱いづらい監督”というレッテルが仕事のチャンスを奪ってしまった。その不本意な悪評は、死の直前まで彼を悩まし続けていたという。
 そんなヴァレリオ・ズルリーニ監督の真価と偉業が再認識されるようになったのは、その死後のことである。それでも、同時代のフランチェスコ・ロージやベルトルッチ、ゼフィレッリらに比べると、やはり語られる機会が少ないというのは否めない。日本でも、真田広之主演のドラマの元ネタとなった「高校教師」しかDVD発売されておらず、半ば忘れ去られてしまっているというのが現状。「家族日誌」などは海外でも殆んどDVD化されておらず、哀愁をたたえた素晴らしい名作ゆえに残念でならない。
 いずれにせよ、イタリア映画黄金期を作り上げた重要な映画作家の一人であるということを考えると、あまりにも寂しい扱いなのではないかと思う。

 

激しい季節
Estate violenta (1959)
日本では59年劇場公開
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

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(P)2006 No Shame (USA)
画質★★★★★ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル
/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/103分/製作:イタリア

映像特典
F・ヴァンチーニ監督 インタビュー
作詞家リカルド・パザリア インタビュー
女優エレオノラ・ジョルジ インタビュー
G・モンタルド監督 インタビュー
オリジナル劇場予告編
ポスター&スチル・ギャラリー
監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
製作:シルヴィオ・クレメンテッリ
脚本:ヴァレリオ・ズルリーニ
    スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    ジョルジョ・プロスペリ
撮影:ティノ・サンティーニ
音楽:マリオ・ナシンベーネ
出演:ジャン=ルイ・トラティニャン
    エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ
    ジャクリーヌ・ササール
    リラ・ブリニョーネ
    エンリコ・マリア・サレルノ
    フェデリカ・ランキ
    カティア・カーロ
    ラフ・マッティオーリ

 ズルリーニは生前、「激しい季節」こそが自分の本当の長編処女作だと語っていたという。確かに、デビュー作の「サン・フレディアーノの娘たち」は彼自身が暖めた企画ではなかったし、なによりもベストセラー小説の映画化だった。ゆえに、個人的な思い入れというものが少なかったのだろう。
 いずれにせよ、この「激しい季節」はズルリーニにとって、あらゆる意味で原点となる作品だったと言える。孤独を抱えた人間同士の激しい感情と絆、それを打ち砕く非情な現実。それらを巧みに織り交ぜながら、普遍的なヒューマニズムを力強く浮き彫りにしていく。いわばズルリーニ・スタイルのプロトタイプとなった作品だと言える。

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カルロ(トラティニャン)とロッサーナ(ササール)

突然ビーチを襲撃する戦闘機

ロベルタ(ロッシ・ドラーゴ)と知り合ったカルロ

 舞台は1943年の夏。南イタリアの高級リゾート地リッチョーネでは、国内外で荒れ狂う戦火の嵐をよそに、兵役をごまかした裕福な若者たちが青春を謳歌していた。そんなリッチョーネに、ファシスト党高官の息子カルロ(ジャン=ルイ・トラティニャン)が久々に帰ってくる。カルロは暴君として知られる父親とは正反対で、とても物静かな若者だった。幼なじみの美少女ロッサーナ(ジャクリーヌ・ササール)は、そんなカルロに恋心を抱いている。
 ある日、カルロら若者グループがビーチで日光浴を楽しんでいると、突如として敵の戦闘機が飛来した。ビーチはたちまち大パニックに陥る。そんな中、一人で泣きじゃくる幼い少女を助けたカルロは、その少女の母親であるロベルタ(エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ)と知り合う。ロベルタは海軍将校だった夫を戦場で失ったばかりの未亡人。カルロはロベルタの美しさに目を奪われてしまうのだった。そんな彼の様子を複雑な面持ちで見つめるロッサーナ。
 翌日から、頻繁にロベルタの家を訪れるカルロ。彼は幼い頃に母親を亡くしており、政治に熱中する父親からも構ってもらえなかった。暖かい愛情に飢えていた彼は、年上のロベルタに強く惹かれていく。一方のロベルタは夫を亡くしているとはいえ、一児の母親であり、しかも戦場で勇敢に散っていった英雄の妻。カルロの想いに気付きながらも、距離を置くように努めていた。また、ロベルタの母親(リラ・ブリニョーネ)が大のファシスト嫌いであり、カルロの両親を快く思っていなかったことも事情を複雑にしていた。
 そんなある日、ロベルタの義理の妹マッダレーナ(フェデリカ・ランキ)が戦火を逃れて疎開してくる。ロベルタはマッダレーナを若者たちに紹介した。同年代の友達が出来れば、彼女の心の傷も癒えるだろうと考えたのだ。マッダレーナを介して交流を深めていくカルロとロベルタ。嫉妬心に燃えるロッサーナは、マッダレーナに八つ当たりをする。
 やがて、戦時下のイタリアに激震が走る。ムッソリーニが失脚したのだ。それまでファシスト政権への不満が積もりに積もっていた民衆は暴徒と化し、ムッソリーニの彫像を破壊したり、近隣に住むファシスト党員をリンチするなどの大混乱が生じる。ローマを避難してきたカルロの父親(エンリコ・マリア・サレルノ)も、身を守るために国外へ逃亡を図る。
 平和に見えた日常生活は一瞬にして崩れ去り、リッチョーネにも戦火の嵐が迫っていた。そんな中、カルロとロベルタは遂に結ばれる。明日の命も知れないという状況下で、何もかも忘れて愛情を貪りあう二人。
 しかし、兵役を延長してきたカルロにも、いよいよ入隊の時が迫ってきた。二人で逃げよう、とロベルタを説得するカルロ。彼女も、この愛に賭けようと決意する。しかし、二人の乗った列車はドイツ軍の激しい空爆に遭ってしまう。無残にも殺されてしまった人々。その中に幼い少女の死体を見つけたロベルタの脳裏に、残してきた愛しい娘の姿がよぎるのだった・・・。

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厳格なロベルタの母親(ブリニョーネ)

お互いに意識しあうカルロとロベルタ

ムッソリーニの失脚で町はパニックに

 戦争という緊迫した状況下で激しい愛を燃え上がらせる男女。束の間の幸せに全てを賭けようとする、その痛々しいまでの愛の形が叙情的に描かれている。ともすると、センチメンタルなだけのメロドラマに陥ってしまいがちな題材だが、ズルリーニはそこに徹底したリアリズムを叩き込むことによって、非常に力強い人間ドラマに仕上げた。
 中でも、リゾート地の平和な時間を突如として遮る戦争の恐怖というのが効果的だ。人々がバカンスを楽しむ賑やかなビーチを襲撃する戦闘機、人々が映画を楽しんでいる最中に知らされるムッソリーニ失脚のニュースとパニック、そしてクライマックスの壮絶な大空襲。いつ自分も死んでしまうか分らない不安と恐怖。それゆえに、主人公たちの激情が説得力を持って浮き彫りにされていく。
 さらに、愛情に飢えて育った若者カルロの繊細で屈折した心、若くして未亡人となってしまったロベルタの切ない孤独が丁寧に描きこまれていき、なおかつ当時の社会状況やモラル観念などが複雑に絡み合っていく。
 脚本にはヴィスコンティ作品で知られる女流脚本家スーゾ・チェッキ・ダミーコが参加しているが、揺れ動く女心の生々しさはダミーコの独壇場だろう。単なる戦争メロドラマとは一線を画した、重厚な人間ドラマが綴られていく。
 また、撮影を担当したティーノ・サンティーニのリリカルなリアリズムも注目すべきだろう。カルロとロベルタが初めて愛情を確かめ合う暗がりのダンス・シーンのロマンティックな美しさはため息が出るほどだが、その一方で生半可な戦争映画も真っ青の空襲シーンで見せる凄まじいリアリズムにも圧倒される。サンティーニはロッセリーニ組の出身なわけだが、時として見せるドキュメンタリー映画のような緊迫感と厳しさは見事としか言いようがない。
 さらに、音楽を担当したマリオ・ナシンベーネについても言及しておかねばなるまい。主に戦争映画や歴史劇などを担当し、仰々しいオーケストラ・スコアばかり書く作曲家というイメージの強いナシンベーネだが、ここではまるでカルロ・ルスティケッリやジョヴァンニ・フスコのようにセンチメンタルで気だるいジャジーなスコアを聴かせてくれる。

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暴徒から身を隠すカルロの父(サレルノ)

突然の大空襲に足がすくむロベルタ

何とか生き残ったカルロとロベルタだったが・・・

 ズルリーニは才能のある新人俳優を発掘したり、過小評価されてきた俳優にチャンスを与えることでも定評のある監督だったが、本作でもその鋭い選択眼が遺憾なく発揮されている。カルロ役のジャン=ルイ・トラティニャンは、ご存知の通りフランスを代表する大スターだが、当時はまだ「素直な悪女」('56)で共演したバルドーとのスキャンダルで知られる程度の若手俳優だった。本作では孤独を内に秘めた若者の屈折を独特のスタイルで演じており、その何ともいえない眼差しがとても印象深い。映画の舞台は戦時中だが、その無気力で刹那的な若者像には高度成長期の青春が垣間見れる。やはり時代が生み出したスターだったのだろう。ここでの演技が、その後の「スウェーデンの城」('62)や「男と女」('66)へと繋がっていくことになる。
 一方のエレオノラ・ロッシ・ドラーゴはイタリアの人気スターだったが、どちらかというと綺麗なだけのお人形さん女優というイメージが強かった。アントニオーニの「女ともだち」('55)でようやく実力を認められ、このロベルタ役でシルバー・リボン賞最優秀主演女優賞を受賞。いわば、彼女にとって女優としての転機ともなった大役だったのだ。まるで一時期のバーグマンを思わせるような、しっとりとした大人の女性の美しさを見せてくれる。
 また、カルロに想いを寄せる少女ロッサーナを演じるジャクリーヌ・ササールはフランスの青春スターで、当時日本でも“ササール旋風”と呼ばれるほど人気を集めたスターだった。ちなみに、彼女の出世作はズルリーニが監督するはずだった青春映画「芽ばえ」('57)。その時の相手役ラフ・マッティオーリも、本作ではカルロの友人ジュリオ役で顔を出している。
 その他、当時はまだ脇役だった名優エンリコ・マリア・サレルノがカルロの父親役で、舞台の大女優リラ・ブリニョーネがロベルタの母親役で登場する。

 なお、上記のアメリカ盤DVDはオリジナル・ネガからHDでテレシネをし、デジタル修復を施した完全リマスター版。とにかく、ビックリするくらいに画質がいい。関係者のインタビューを集めた映像特典も充実しており、イタリア映画ファンなら是非とも手に入れておきたい。※「鞄を持った女」との2枚組。

 

鞄を持った女
La ragazza con la valigia (1961)
日本では61年劇場公開
VHSは日本発売済み・DVDは日本未発売

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(P)2006 No Shame (USA)
画質★★★★★ 音質★★★★☆

DVD仕様(北米盤)
モノクロ/ワイド・スクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語・英語/字幕:英語・フランス語/地域コード:ALL/121分/製作:イタリア

映像特典
P・スキヴァザッパ監督 インタビュー
脚本家ピエロ・デ・ベルナルディ インタビュー
評論家ブルーノ・トッリ インタビュー
製作者マリオ・ガッロ インタビュー
リマスター前後の比較
ポスター&スチル・ギャラリー

監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
製作:マウリツィオ・ロディ
脚本:ヴァレリオ・ズルリーニ
    レオ・ベンヴェヌーティ
    ピエロ・デ・ベルナルディ
    エンリコ・メディオーリ
    ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ
撮影:ティノ・サントーニ
音楽:マリオ・ナシンベーネ
出演:クラウディア・カルディナーレ
    ジャック・ペラン
    リカルド・ガローネ
    ロモロ・ヴァッリ
    ジャン・マリア・ヴォロンテ
    ルチアナ・アンジョリッロ
    レナード・バルディーニ
    コラード・パーニ

 当時、ピエトロ・ジェルミの「刑事」('59)やマウロ・ボロニーニの「汚れなき抱擁」('60)で脚光を浴びていたクラウディア・カルディナーレを主演に迎えた残酷なラブ・ストーリー。主人公は、裕福な家庭に育った世間知らずの純粋な少年と、貧乏くじを引いてばかりいる勝気な貧しい女。全く違う世界に生きる孤独な二人がふとした事から知り合い、恋愛とも友情ともつかぬ複雑で繊細な心の触れ合いを重ねていく。思春期を迎えた少年にとって、たった一人で世間と立ち向かっている彼女は守ってやらねばならない存在に感じられる。世間の厳しさを知り尽くした女にとっても、汚れを知らない少年の優しさと愛情は乾ききった心に安らぎと希望を与えてくれる。しかし、そんな二人のささやかな愛情も、非情な社会のルールによって無残に引き裂かれてしまう。あまりにも残酷で痛々しいクライマックスが胸に突き刺さる名作だ。

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兄マルチェッロ(パーニ)と久しぶりに会うロレンツォ(ペラン)

家に押しかけてきたアイーダ(カルディナーレ)に心惹かれる

 誰もいない田舎道を走る車。乗っているのはマルチェロ(コラード・パーニ)とアイーダ(クラウディア・カルディナーレ)。道端で小用を足すアイーダを置き去りにしようとしてためらうマルチェロ。しかし、その後に立ち寄った修理工場で、彼はアイダーを残して去ってしまう。
 マルチェロは裕福な家庭の放蕩息子だった。彼は酒場で知り合った歌手アイーダを結婚という甘い言葉で誘惑するが、結局は遊びだったのだ。彼にはロレンツォ(ジャック・ペラン)という16歳になる弟がいる。両親は既に他界しており、厳格な叔母(ルチアナ・アンジェリッロ)が二人の後見人だった。
 久々に実家へと戻った兄マルチェッロを嬉しそうに迎えるロレンツォ。彼は兄とは違って、真面目で純朴な少年だった。世も更けた頃、突然玄関の呼び鈴が鳴る。恐る恐る窓からマルチェロが覗くと、そこにはアイーダの姿が。兄に頼まれて応対に出たロレンツォは、行くあてを失って途方に暮れているアイーダに心を惹かれる。彼女は結婚を約束した兄の言葉を信じて、ナイトクラブの仕事を投げ出してきたのだった。ロレンツォは彼女に深く同情するものの、彼女の探している相手が自分の兄で、しかも家にいるとは口が裂けても言えない。
 翌日、アイーダが泊まっている安宿を訪れるロレンツォ。彼女がお金に困っていることを知った彼は、叔母から貰った小遣いを彼女に差し出す。そんな彼に当惑して、最初は頑なに断ったアイーダだったが、あくまでも貸すだけで返すのはいつでもいいという彼の言葉に甘えることにする。
 とはいえ、いつまでも年下の少年に頼っているわけにはいかない。古巣のナイトクラブに連絡して戻ろうとするものの、逆に怒鳴り散らされてしまった。そんな彼女を家に招き入れるロレンツォ。生まれて初めて見る豪邸にドギマギしながらも、ロレンツォの優しさに心を開いていくアイーダ。
 ロレンツォの方でも、そんな無邪気なアイーダに強く惹かれていく。映画プロデューサー(リカルド・ガローネ)のパーティーでは、仕事を餌にアイーダを誘惑しようとするプロデューサーに憤慨するロレンツォ。そんな彼の姿を愛おしく感じながらも、身分や年齢の違いを気にせずにはいられないアイーダ。それに、彼女にはロレンツォに教えていない秘密があった。
 アイーダのことが気がかりで後をつけていったロレンツォは、鉄道の駅で若い男(ジャン・マリア・ヴォロンテ)と口論する彼女を不安げに見つめる。実は、男は彼女の元恋人。妻子ある既婚者だったが、不倫の末に彼女は捨てられたのだった。しかも、彼との間に息子までもうけている。ショックを受けながらも事実を受け入れようとするロレンツォに、アイーダは深い罪悪感を感じるのだった。
 そして、ロレンツォと待ち合わせていたアイーダの前に、神父(ロモロ・ヴァッリ)が現れる。最近のロレンツォの金遣いの荒さに気付いた叔母が問いただしたところ、彼が事情を話したのだ。そして、一家の相談役である神父がロレンツォの代わりとしてやって来たのだった。叔母や神父の目から見れば、アイーダは金目当てで純粋な若者をたらしこもうとする性悪女でしかない。厳しい言葉で彼女を糾弾する神父に深く傷つくアイーダだったが、ロレンツォの将来を考えて、ある決断をする・・・。

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急接近するアイーダとロレンツォ

映画プロデューサーに売り込むアイーダ

 この彼女の最後の決断が、あまりにも皮肉で胸が痛む。それまで、どちらかというと淡々としたストーリー展開だっただけに、余計にキツいクライマックスと言えるだろう。この結末を書き上げたのは、やはりズルリーニ自身だった。もともと脚本はヴィスコンティ組のベンヴェヌーティとメディオーリ、そしてピエトロ・ジェルミ組のデ・ベルナルディが主導で書き進めていたが、クライマックスを残した段階で脚本家組合がストライキに入ってしまった。そこで、ズルリーニが一人でクライマックスを仕上げたのだという。
 ズルリーニは、その演出スタイルにおいて、同世代の監督ともネオ・レアリスモ世代の監督とも違ったアプローチを試みていたが、一方でアントニオーニの影響が垣間見られるとも言われている。他の監督と違って彼は助監督経験がないために師匠と呼べる先輩はいないし、他人の真似事をしたりカテゴライズされることを極端に嫌っていたというが、確かに本作にはアントニオーニと共通するような乾いたタッチが感じられる。特に主人公たちの孤独な魂を映し出すような、荒涼とした街の風景描写などはとてもアントニオーニっぽい。ただ、それが意識してのことなのか、そうでないのか、今となっては憶測してみるしかないのだが。
 いずれにせよ、ズルリーニは起伏の少ないストーリー展開の中で、現代に生きる男女の孤独感を気だるいムードで静かに浮かび上がらせる。と同時に、これは思春期のほろ苦い初恋物語でもある。カメラはあくまでも若者ロレンツォの目を通して世界を描いていく。世間知らずの無垢でひたむきなロレンツォが初めて知る“大人の世界”。激しく動揺しながらも、それを乗り越えて一人前の大人になろうとするロレンツォだが、結局は周囲の大人たちがそれを許さない。そのやるせなさが何とも胸に痛いのだ。

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アイーダの後をつけて回るロレンツォ

アイーダの前に神父(ヴァッリ)が現れる

 主演のカルディナーレは見事な当たり役。彼女が演じるのは、自由奔放で気のいいナイトクラブ歌手アイーダ。美人で気性が激しいものの、他人のことをすぐに信じてしまうため、いつも男に騙されてばかりの不運な女。本人に全く落ち度はないはずなのだが、周囲の人々からは軽率で愚かな女にしか見えない。そんな社会の底辺で何とか生きていこうと奮闘する女の健気さを、カルディナーレは実に魅力的に演じている。
 一方、ロレンツォ役を演じるジャック・ペランもまた素晴らしい。今の映画ファンには「ニュー・シネマ・パラダイス」('88)の大人になったトトを演じた俳優といえば分りやすいだろう。当時まだ20歳になったばかりで、本作が初の大役となったわけだが、それにしても童顔で初々しい。どう見ても中学生くらいにしか思えない。まさに内気で感受性の強い少年ロレンツォのイメージそのもので、彼を発掘してきたズルリーニの功績は大きいだろう。ペランはズルリーニの次回作「家族日誌」でも病弱な弟役を好演し、以降「ロシュフォールの恋人たち」('66)や「ロバと女王」('70)などに出演、コスタ・ガブラスの問題作「Z」('69)と「戒厳令」('73)では製作と主演を兼ねるなど、幅広く活躍していくこととなる。
 その他、ヴィスコンティ映画の常連だった名優ロモロ・ヴァッリが神父役(そういえば、「山猫」でも神父役だった)で、「ベニスと月とあなた」('58)のリカルド・ガローネが映画プロデューサー役で、そして後にイタリアを代表する名優となるジャン・マリア・ヴォロンテがアイーダの息子の父親役で登場する。また、70年代に刑事アクションの悪役として鳴らしたコラード・パーニが、ロレンツォの兄マルチェッロ役で顔を出しており、ハンサムなプレイボーイぶりを見せている。

 なお、本作はカルディナーレ人気のおかげもあって、アメリカでもかなり早い段階で劇場公開されている。ただ、大幅にカットされての上映だった上に、英語吹替えの出来も悪く、全米の興行成績はあまり良くなかったようだ。イタリア映画における英語吹替えの質の悪さというのはたびたび指摘されるところ。勢いで見せるホラーやアクションであればいざ知らず、本作のようなドラマ作品ではかなり致命的だろう。そもそも、アメリカ人が字幕を面倒くさがったりするのが問題なのだが・・・。
 で、その英語吹替え版はアメリカで既にパブリック・ドメインとなっており、使い古しのポジ・フィルムから起した粗悪なVHSやDVDが数多く存在する。そうした中、上記のNo Shame版DVDはオリジナル・ネガからのHDリマスターで、とにかく画質が素晴らしい。「激しい季節」との2枚組セットになっているというのも嬉しいところだ。

 

Seduto alla sua destra (1968)
日本では劇場未公開・TV放送もなし
VHS・DVD共に日本盤未発売

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(P)2003 Ivy Video (USA)
画質★★☆☆☆ 音質★★☆☆☆

DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(レターボックス収録)/モノラル/音声:英語/字幕:なし
地域コード:ALL/93分/製作:イタリア

映像特典
スタッフ・キャスト バイグラフィー
カウント・ベイシー主演短編映画

監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
製作:カルロ・リッツァーニ
原案:ヴァレリオ・ズルリーニ
脚本:フランコ・ブルサーティ
    ヴァレリオ・ズルリーニ
撮影:アイアーチェ・パローリン
音楽:イヴァン・ヴァンドール
出演:ウッディ・ストロード
    フランコ・チッティ
    ジャン・セルヴェ
    ピエル・パオロ・カッポーニ
    スティーブン・フォーサイス
    ルチアーノ・カテナッチ

 原題を邦訳すると「右隣の席」。ズルリーニのフィルモグラフィーの中でも、特に異彩を放つ一本だと言えるだろう。元アメフトのスター選手で、ジョン・フォード監督にも愛された黒人俳優ウッディ・ストロードを主演に迎え、コンゴ動乱を背景にした革命指導者の壮絶な生き様を描く政治ドラマに仕上がっている。
 当時はアルジェリアにおけるフランスの植民地支配を糾弾したジッロ・ポンテコルヴォ監督の「アルジェの戦い」('66)が世界中に衝撃を与え、フランチェスコ・ロージ監督の「真実の瞬間」('65)やカルロ・リッツァーニ監督の「ミラノの銀行強盗」('68)など、イタリアでは社会派の告発映画が次々と話題になっていた。筋金入りの左翼であるズルリーニが、この気運に強く刺激されたとしてもおかしくはないだろう。
 映画界のトレンドとは無縁だったズルリーニだが、本作ではポンテコルヴォやロージ、リッツァーニらのスタイルを踏襲し、緊張感の漲る硬派なドキュメンタリー・タッチを貫いている。プロデューサーとしてリッツァーニの名前がクレジットされているのも象徴的だ。
 本作のモデルとなっているのは、コンゴ動乱で暗殺された元首相パトリス・ルムンバ。実際には政敵であるカサヴブ大統領によって暗殺されたルムンバだが、事件の背景にはもともとコンゴを植民地としていたベルギー軍の策略や豊富な資源を巡る東西の思惑などがあった。ズルリーニは人物名や設定などに変更を加え、当時の歴史的背景をそのまま残しつつ、完全なオリジナル・ストーリーとして作り上げている。当時はまだ事件の全貌や詳細がはっきりと掴めていなかったということもあり、憶測で史実を語るよりも象徴的なフィクションとして物語を描き、その根底に流れる民族独立や非暴力の精神を伝えようとしたのだろう。
 しかし、ズルリーニにとって不幸なのは、「アルジェの戦い」のエピゴーネンとして片付けられてしまったことだった。また、本作の後に公開されたコスタ・ガヴラスの「Z」が批評家に大絶賛され、その影に隠れてしまったという面もある。一人の革命家の姿をキリスト的な殉教者として描き、壮絶なバイオレンスとリアリズムの中に宗教的で詩情豊かな優しさを織り込んでいくスタイルはズルリーニ特有の持ち味だが、それが正当に評価されなかったのは惜しまれる。
 ただ、その一方で、そのズルリーニ特有の優しさというか叙情性が、作品全体の緊張感を緩めてしまっているという側面も否定できない。それゆえに、ポンテコルヴォやロージ、はたまたコスタ・ガヴラスらの作品のようなインパクトの強烈さに欠けてしまっているのは確かで、その辺りが批評家に嫌われてしまった理由なのかもしれない。
 また、アメリカでは製作から3年後に劇場公開されたのだが、粗雑な英語吹替え版だった上に、“Black Jesus”という黒人アクション映画みたいなタイトルを付けられ、場末の映画館で上映されるという不本意な扱いを受けた。当時はブラクスプロイテーションと呼ばれる黒人映画がブームだったこともあり、アメリカの配給会社はそのトレンドに乗っかって儲けようと思ったのだろう。他にも、“Super Brother”なんていうもっと酷いタイトルを付けられたバージョンも存在する。ロン・オニール主演の「スーパー・フライ」('72)をもじったつもりなのだろうが、まるでハーレムを舞台にした黒人ギャング映画。この作品がどれだけ酷い扱いを受けてきたのかが窺われる。

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内乱によって戦場と化したコンゴ

身柄を拘束されたラルービ(ストロード)

 舞台は内乱荒れ狂うアフリカのコンゴ民主共和国。植民地を復活させようと目論むベルギー軍は、民族運動のリーダーであるモーリス・ラルービ(ウッディ・ストロード)を指名手配し、その行方を捜していた。
 ある晩、ベルギー軍司令官(ジャン・セルヴェ)の前に、白装束に身を包んだ謎の人物が現れる。それは、ラルービの居場所を知っている密告者だった。その情報を手がかりに、小さな村を奇襲したベルギー軍は、そこでラルービの身柄を確保する。
 見るからに強靭そうなラルービだが、その言葉は穏やかで優しいものだった。彼は暴力を嫌う平和主義者であり、純粋に民族の独立を願う一人の平凡な男だったのだ。しかし、その言葉が周囲の人々の心を動かし、本人の意に反して民族運動の象徴として祀り上げられ、それに刺激された人々が武器を持って戦いだしていた。
 その素朴な人柄に少なからず魅力を感じる司令官。しかし、ベルギー軍を支持するという文書に署名を求められたラルービは、それを頑なに拒否をする。署名をしなければ地獄のような拷問が待っている。司令官は1時間という猶予を彼に与えた。その間によく考え直してくれと。
 牢屋に入れられたラルービは、そこでオレステ(フランコ・チッティ)という男と知り合う。泥棒の罪で投獄されたオレステは、激しい拷問を受けていた。彼はイタリア人で、世界各地を廻りながら船乗りやエンジニア、バーテン、掃除夫など様々な職業を転々としてきた男。教養がないために生活は苦しく、そのために今まで幾度となく盗みを働き、その度に刑務所暮らしを経験してきた。
 まともな教育さえ受けられれば人生違っていただろうにと嘆く彼に、ラルービは優しく言う。あなたは自分が考えているよりも賢いはずだ、少なくとも私はあなたのように世界を見た事がない、と。その言葉に心を動かされたオレステは、次第にラルービの穏やかな人柄に心酔していく。
 そして、約束の1時間が過ぎた。文書への署名をきっぱりと断るラルービだが、見に迫った危険への恐怖に身体がガタガタと震える。密室に移動させられた彼は、若い兵士たちによって壮絶な拷問を受けることになる。
 深夜まで収容所に響き渡るラルービの悲痛な叫び。拷問を命じた司令官もその声に顔をゆがめ、思わず耳を手で塞いでしまう。昼間の戦いに疲れ果てた兵士たちは、うつろな表情でその悲鳴に耳を傾けている。その気だるい空虚さの中で、ラルービの苦悶の声だけがひたすら鳴り響いていた。
 その頃、牢屋には一人の謎めいた兵士(スティーブン・フォーサイス)が投獄されてきた。話しかけるオレステの言葉を無視し、牢屋の隅にうずくまる兵士。そこへ傷ついたラルービが戻されてきた。駆け寄るオレステ。そんな二人の様子を無関心そうに眺める兵士。この彼の存在が、牢屋の中の人間関係に複雑な波紋を投げかけていく・・・。

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ラルービと知り合う泥棒オレステ(チッティ)

凄まじい拷問を受けるラルービ

 ズルリーニと共に脚本を手掛けたフランコ・ブルサーティはアルベルト・ラットゥアーダの「アンナ」('51)やマリオ・カメリーニの「ユリシーズ」('54)、フランコ・ゼフィレッリの「ロミオとジュリエット」('68)、ヴィットリオ・デ・シーカの「悲しみの青春」('70)などで知られる脚本家で、監督としてもニノ・マンフレディ主演の名作「パンとチョコレート」('73・日本未公開)で絶賛された人物。どちらかというと文芸路線の脚本を得意とする人で、本作の持つ宗教的な詩情豊かさは彼の持ち味なのだろう。
 撮影のアイアーチェ・パローリンは、「誘惑されて棄てられて」('64)以降のピエトロ・ジェルミ監督作品を手掛けた人物で、マカロニ・ウェスタンの撮影を数多く手掛けていることでも知られる。フランチェスコ・ロージの「真実の瞬間」('65)でドキュメンタリー・タッチの鮮烈な映像を捉えたのも彼で、その実績は本作でもしっかりと生かされている。
 また、バロック風の荘厳で美しい音楽を手掛けたイヴァン・ヴァンドールはハンガリー出身の作曲家で、「悲しみは星影と共に」('65)や「情無用のジャンゴ」('66)などイタリア映画界で活躍した人物だ。

 主演のウッディ・ストロードは黒人として初めて英雄となったアメフトのスター選手で、ジョン・フォード監督の「バッファロー大隊」('60)と「リバティ・バランスを射った男」('62)で知られるようになった黒人俳優。フォードは彼の事を“最も優しい巨人”と評して贔屓にした。フォードを崇拝するセルジョ・レオーネ監督も、「ウエスタン」('67)の冒頭に登場する殺し屋として彼を起用している。ここでは、物静かで温厚な平和主義者モーリス・ラルービを存在感たっぷりに演じており、その目力の凄さがとても印象深い。
 そのラルービと牢屋で一緒になるイタリア人オレステを演じているのが、パゾリーニ映画でお馴染みの名優フランコ・チッティ。また、戦前の名作「別れの曲」('34)でショパンを演じ、ジェラール・フィリップと共演した「美しき小さな浜辺」('43)やルネ・クレマンの「ガラスの城」('50)、ジュールズ・ダッシンの「男の争い」('55)などに主演したベルギー出身の名優ジャン・セルヴェが、どこか人間味のあるベルギー軍司令官を好演している。
 なお、当時B級マカロニ・ウェスタンで活躍したアメリカ出身の2枚目俳優スティーブン・フォーサイスが謎めいた兵士役で顔を出しているのも興味深い。

 ちなみに、上記のアメリカ盤DVDはノーカットのワイドスクリーン版だが、残念ながら質の悪い英語吹替えバージョンで、しかもフィルムの状態もあまり良くない。

 

タタール人の砂漠
Il deserto dei Tartar (1976)
日本では劇場未公開・テレビ未放送
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

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(P)2005 No Shame (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイド・スクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語・英語/
字幕:英語/地域コード:ALL/141分/製作:イタリア・フランス

映像特典
撮影監督L・トヴォリ インタビュー
ジュリアーノ・ジェンマ インタビュー
オリジナル劇場予告編
ポスター&スチル・ギャラリー

特典ディスク
エンニオ・モリコーネ オリジナル・サントラ CD
監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
製作:マリオ・ガッロ
    ジャック・ペラン
    ジョルジョ・シルヴァーニ 他
原作:ディノ・ブザッティ
脚本:アンドレ・G・ブルネラン
    ジャン=ルイ・ベルトゥチェリ
撮影:ルチアーノ・トヴォリ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ジャック・ペラン
    マックス・フォン・シドー
    ヴィットリオ・ガスマン
    ジュリアーノ・ジェンマ
    フェルナンド・レイ
    ジャン=ルイ・トラティニャン
    フランシスコ・ラバル
    フィリップ・ノワレ
    ローラン・テルジエフ
    ヘルムート・グリーム
    シャンタル・ペラン
    リラ・ブリニョーネ

 20世紀イタリアを代表する文豪ディノ・ブザッティの名作「タタール人の砂漠」をズルリーニが映画化した文芸大作。原作は映像化が困難だと言われていたらしいが、なるほどそうかもしれない。なにしろ、全編を通して何も起らないのだから。その“何も起らない”ことの虚無感をひたすら描いた作品なのだ。それは映画としていかがなものか・・・とも思えてくるのだが、ズルリーニは廃墟となったイランの古都や、どこまでも続く灰色の砂漠といったロケーションを効果的に使い、シュールで幻想的な心理ドラマとして見事に仕上げている。
 オーストリア・ハンガリー帝国とオスマン帝国の国境に位置する要塞を舞台に、いつ起きるとも分らない敵の来襲に備える国境警備隊の面々。その殆んどが実戦の経験がない。訓練された兵士であるにも関わらず、その本分である戦いを待ちわびながら過ぎていく歳月。要塞という限られた空間の中で、いまだ見たことのない戦場に思いを馳せ、虚しい毎日を送る男たち。時には苛立ち、僅かな望みに一喜一憂し、やがて彼らは生きる目的を失っていく。精神だけでなく肉体をも蝕んでいく妄想と虚無感。そのやるせなさが気だるい郷愁を誘う不思議な作品だ。

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初めての任務に就く青年士官ドローゴ(ペラン)

朴訥としたホルティス大尉(フォン・シドー)

 時は1907年。初夏の日差しと鮮やかな緑が眩しい季節だ。士官学校を優秀な成績で卒業した若者ジョヴァンニ・ドローゴ少尉(ジャック・ペラン)は、国境警備隊に配属されることになっていた。新たな人生の門出に胸をはずませ、恋人(シャンタル・ペラン)にしばしの別れを告げて赴任地へと向うドローゴ。
 国境近くで彼を待っていたのは指揮官のホルティス大尉(マックス・フォン・シドー)。彼が配属された要塞バスティアーノは、灰色の砂漠と廃墟に囲まれた場所だった。意気揚々と向うドローゴにホルティスは、“バスティアーノは死の砦だ”と一言告げる。
 バスティアーノでは個性的な上官たちが彼を待ち受けていた。物静かで思慮深いフィリモーレ大佐(ヴィットリオ・ガスマン)、厳格で規律を重んじるマティス少佐(ジュリアーノ・ジェンマ)、病気がちなナタンソン少佐(フェルナンド・レイ)、温厚なシメオン中尉(ヘルムート・グリーム)。軍医のロヴィン(ジャン=ルイ・トラティニャン)が若いドローゴの相談役として親切に面倒を見てくれる。しかし、誰もがどこか疲れており、砦の中には気だるい雰囲気が漂っていた。
 この国境近辺には昔からの伝説が生き続けていた。それは、荒くれ者の騎馬民族であるタタール人が襲ってくるというもの。そのためにバスティアーノの国境警備隊は常日頃から万全の準備を整えていたが、タタール人が現れる様子など全くない。しかし、将校たちはいつか必ず彼らがやって来ると信じており、その時をずっと待ち続けているのだ。
 何も起らないまま過ぎていく日々。軍人としての理想に燃えていたドローゴも、やがて倦怠感に蝕まれていく。ロヴィンに健康診断書を偽造してもらい、他の任地に転属させてもらおうと考えたドローゴだったが、将軍(フィリップ・ノワレ)はそれを認めてくれなかった。代わりに休暇をもらって故郷に帰るドローゴ。
 休暇から戻ると、バスティアーノでは人員削減のための人事異動が行われていた。マティス少佐が、そしてフィリモーレ大佐が砦を去っていく。大佐に昇進したホルティスが新たな司令官に任命され、ドローゴも大尉に昇進した。
 その時、ドローゴは砂漠の彼方に何か光るものを発見する。いよいよ敵の襲来かと興奮するドローゴだったが、ホルティスには何も見えなかった。こうして再び砦には静寂の時が訪れ、かつては志を持った若者だったドローゴも、白髪の混じる年齢になっていった・・・。

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荒涼としたバスティアーノの要塞

ナタンソン少佐(レイ)と軍医ロヴィン(トラティニャン)

 いつか必ず恐ろしい敵がやって来るという強迫観念や幻想によってのみ生きながらえている軍人たち。そこには、原作者ブザッティが感じていたファシズムへの不信感が大きく投影されているわけだが、同時に映画製作当時の東西冷戦への皮肉も多分に含まれているように思う。
 屋外撮影はイランとアフガニスタン国境に程近い場所で行われており、その幻想的でエキゾチックなロケーションがとても美しい。特に、撮影の2年前に大地震で廃墟になってしまったという町の荒涼とした風景と、歴史に取り残されてしまったような寂しさが、何ともいえない深みを物語に与えている。
 もともと、本作の企画をズルリーニに持ちかけたのは製作と主演を兼ねるジャック・ペランだった。出世作「鞄を持った女」で一緒に組んで以来、ズルリーニとは実の親子のように信頼しあっていたというペランは、人間の悲しみや残酷をこの上なく叙情的に描くことの出来るズルリーニこそ、この不条理で難解な物語を映像化すべき人間だと理解していたのだろう。本作に対するペランの思い入れは非常に強く、全財産を投げ打ってまで映画化の実現に尽力したと言われている。
 撮影を担当したルチアーノ・トヴォリはアントニオーニやマルコ・フェレーリ、ナンニ・モレッティらと組んできた撮影監督で、ダリオ・アルジェントの「サスペリア」('77)やジュリー・テイモアの「タイタス」('99)なども手掛けた人物。ファンタジックな映像を撮らせたらイタリアでは右に出るものがいない名カメラマンだ。彼の言葉によると、ズルリーニはアントニオーニと非常に似たタイプの映画監督だったという。それは、常にカメラ主体で撮影に臨んでいるという点だ。彼は常にカメラの動きを100%計算しており、俳優にもカメラの動きに合わせて演技をするように指導していた。つまり、彼の作品ではカメラの動き一つ一つに何らかの意味が含まれているのである。

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フィリモーレ大佐(ガスマン)とマティス少佐(ジェンマ)

ロドーゴに伝説を語るシメオン中尉(グリーム)

 主演のジャック・ペランは当時既に30代半ばだったが、もともと童顔な人ゆえに、士官学校を卒業したての初々しい若者ドローゴが次第に衰弱して老いて行く姿を演じるには適役だった。彼にとってはコスタ・ガヴラス監督の「Z」と並ぶ代表作と言っていいだろう。
 そして、その脇を囲むオールスター・キャストの豪華さが圧巻。中でも、時として理不尽なくらいに厳しいマティス少佐を演じるジュリアーノ・ジェンマの大熱演が光る。マカロニ・ウェスタンのヒーローとして活躍してきたジェンマが初めて本格的に演技開眼した作品だと言われており、彼自身にとっても俳優として大きなターニング・ポイントとなった作品だったようだ。
 また、情熱的でスケールの大きなイタリア男を演じ続けた大スター、ヴィットリオ・ガスマンが倦怠感を漂わせた軍人を演じるというキャスティングも面白いし、ヴィスコンティ映画の冷酷なドイツ人という印象が強いヘルムート・グリームが温厚で良心的な将校を演じているのも意外だった。ズルリーニは全く独自の視点で俳優を選んでいるように思う。しかも、それが見事に役柄のイメージに合っている。彼の役者を見る目の鋭さを改めて感じさせられるキャスティングと言えるだろう。
 ちなみに、冒頭でロドリーゴを優しく起こす老貴婦人役として、「激しい季節」でロベルタの母親役を演じた名女優リラ・ブリニョーネがチラリと顔を出している。

 なお、上記のアメリカ盤DVDはオリジナルの35ミリ・ネガからテレシネされ、デジタル・リマスター処理を施されたもの。映像特典には撮影監督ルチアーノ・トヴォリの長時間インタビューも収録されているが、滅多にカメラの前に立つことがない人だけに貴重な映像だと言える。

 

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