トッド・スローター Tod Slaughter
忘れられた怪優〜英国のベラ・ルゴシ
日本では劇場公開作が一本もなく、欧米でも最近までほぼ忘れ去られていた英国俳優トッド・スローター。1930年代後半に数多くの低予算映画に主演し、イギリス映画界では一世を風靡した人物だった。そのキャリアが似ていることから英国のベラ・ルゴシとも呼ばれ、しばしば怪奇映画俳優として語り伝えられているが、厳密に言うと彼の主演作は怪奇映画と少し毛色が違う。殺人、陰謀、裏切り、そしてセックスを題材にした三面記事的な物語、つまりビクトリア朝時代に英国庶民の間で流行った大衆娯楽劇をスクリーンで再現したのがトッド・スローターだった。そのグラン・ギニョールにも通じるいかがわしさ、大衆メロドラマ特有の下世話な大仰さは、カーニバルの見世物小屋と似たような魅力があると言えるだろう。
ベラ・ルゴシは生涯に渡ってドラキュラ俳優としてのステレオタイプに悩まされ続けたが、トッド・スローターはトッド・スローターであることが最大のタイプキャストだった。彼はスウィーニー・トッドやバネ足ジャックといった19世紀のサブ・カルチャーを象徴する怪物・悪人を数多く演じたが、最大の売り物はトッド・スローターという俳優自身の強烈過ぎる個性だったと言えるだろう。
太い声を張り上げて大袈裟に語るセリフ回し、目をむき出してこれ見よがしなジェスチャーを交える立ち回り。どんな役を演じようが、トッド・スローターがトッド・スローターである事に変わりはなかった。その大いなるマンネリズムが彼の最大の武器だったとも言えるだろう。ゆえに、観客から飽きられるのも早かったわけだが、その存在はイギリス映画史の中でも特に異彩を放ち続けている。
1885年3月19日、トッド・スローターことノーマン・カーター・スローターはイギリスのニューキャッスルに生まれた。詳しい生い立ちは殆ど知られていないが、1905年頃には俳優として舞台に立っていたようだ。第一次世界大戦に従軍した後、チェイサムにあるシアター・ロイヤルのオーナーとなったスローターは、さらに1922年にサウス・ロンドンにあるエレファント&キャッスル劇場を手に入れる。ここで自らの劇団を旗揚げした彼は、19世紀後半のビクトリア王朝時代に流行った残酷メロドラマを復活させた。そのキワモノ的な内容とスローターの迫力ある演技はたちまち評判となり、英国演劇の中心地であるウェスト・エンドの観客も足繁く通うほどだったという。演劇人というよりも、どちらかというと商売人的な才能に長けていたスローターは、ショックで気を失った人のために病院の看護士を観客席の外に待機させるといったギミックを用意して観客を楽しませた。もちろん、看護士の正体は白衣を着た劇団員である。
しかし、そうした評判にも関わらず、彼は1927年に劇団を解散して一時期養鶏所を経営していた。だがこれは上手くいかず、ほどなくして劇団を再結成して地方巡業やロンドン公演などを行うようになった。
そんな彼が映画デビューするに至った経緯について、実ははっきりとした事は分かっていない。彼のような大衆演劇出身の俳優にとって、映画への進出はさして抵抗がなかったはずだが、50歳になるまで一本も映画に出演していないというのも不思議な話と言えるだろう。彼のレパートリーである残酷メロドラマが当時のイギリス映画の倫理基準では映画化が困難であったからとか、トーキー直後のイギリス映画界ではコメディが全盛期だったために彼の出番がなかったとか言われているが、それもあくまで憶測に過ぎない。
いずれにせよ、トッド・スローターは1935年に映画デビューを果たした。それが、“Maria
Marten or Murder in the Red Barn(マリア・マーテンもしくは赤い小屋の殺人)”という作品である。
これは19世紀半ばの人気舞台劇を映画化した作品。1827年に実際に起きた殺人事件を題材にしており、スローター自身も舞台で頻繁に演じていた演目だった。ストーリーはというと、スローター扮する腹黒い地主ウィリアム・コーダーが無垢な若い娘マリア・マーテンを慰みものにした挙句、領内にある赤い屋根の小屋で彼女を殺してしまう。小屋の床下にマリアの死体を埋めた彼は、何食わぬ顔で資産家の娘と結婚しようとするが、命運尽きて悪事がバレてしまう・・・というもの。
日本の怪談にも相通じるような物語だが、実在のマリア・マーテンはかなり身持ちの悪い娘で、地元ではあまり評判が良くなかったという。また、犯人のコーダーも実際には地主の放蕩息子で、マリアから子供が出来たことを理由に結婚を迫られ、思い余って殺したというのが真相だったようだ。しかし、マリアの継母が夢の中で彼女の死を告げられたとか、マリアの幽霊が死体発見に関与したとか、様々な噂や憶測が流れ、次第に事件は大衆好みのメロドラマに仕立て上げられていった。
当時は処刑された犯人コーダーの頭皮がロンドンの店でショーウィンドーに飾られたり、事件の舞台となった小屋の屋根や壁板が剥がされたりと、かなり大衆の注目を集めた事件だったらしい。この事件を題材にした三文小説も数多く出版され、ついには舞台劇まで作られてしまったというわけだ。この戯曲版では犯人コーダーが中年の腹黒い地主となり、マリアは純情可憐な処女とされた。一般大衆の好奇心を満たすべく脚色されたわけだが、これが大変な評判となり、現在に至るまで様々な劇団によって再演され続けている。
このトッド・スローターによる映画版も基本的には舞台劇を忠実に映画化したもので、当時の観客には概ね好意的に受け入れられたようだった。
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スウィーニー・トッドとラヴェット夫人 |
何食わぬ顔で営業を続けるスウィーニー |
再会を果たしたマークとジョアンナ |
さて、この“Maria Marten or Murder
in the Red Barn”が評判となったスローターは、続いて“Sweeney Todd : The Demon Barber of Fleet
Street(スウィーニー・トッド:フリート通りの悪魔の床屋)”('36)に主演する。ここでスローターは、日本でも有名な伝説的殺人鬼スウィーニー・トッドを演じた。これも彼が舞台で好んで上演した戯曲で、俳優トッド・スローター一世一代の当たり役とも言われた十八番だった。監督を手掛けたのはジョージ・キング。本作をきっかけに、幾つものトッド・スローター主演作を担当するようになった職人監督だ。
物語は現代のロンドンから始まる。床屋にやってきた一人の紳士に向って、奇妙な顔をした理容師がおもむろに語り始める。100年ほど前に存在したという恐ろしい床屋の話を・・・。舞台は変って19世紀半ばのロンドン。フリート通りに店を構える床屋スウィーニー・トッド(トッド・スローター)は、海外から戻ってきた船乗りたちの様子を港で伺っていた。長い船旅で髪も髭も伸び放題の船乗りたちは、彼のような床屋にとってはいいお客さんなのだ。しかし、スウィーニー・トッドの目的は船乗りたちの髪を切ることでも、ヒゲを剃ることでもなかったのだが・・・。
早速、一人の船乗りが彼の床屋にやって来る。髭を剃るため船乗りの顔にシェービング・クリームをたっぷり塗ったスウィーニー。次に彼が手にしたのは髭剃り用のナイフではなく、カーテンに隠された秘密のレバーだった。そのレバーを降ろすと、船乗りの座っていた椅子が床下に回転し、誰も座っていない別の椅子が現れる。地下室に振り落とされて気絶した船乗り。そう、スウィーニー・トッドの目的は、帰ってきたばかりの船乗り達の膨れ上がったサイフの中身だった。
意識を失っている船乗りの息の根を止めたスウィーニーは、地下で繋がっている隣家のラヴェット夫人(ステラ・ロー)を呼ぶ。殺された被害者は、ラヴェット夫人の店の人気メニューであるミート・パイへと生まれ変わるのだった。
一方、今まさに船旅へと出ようとする若者がいた。彼の名はマーク(ブルース・セトン)。金持ちになって帰ったあかつきには結婚しよう、と恋人ジョアンナ(イヴ・レスター)に誓うマーク。再会を約束しながら旅立つ彼を見送ったジョアンナだったが、そんな彼女にもスウィーニーの魔手が忍び寄る。ジョアンナの父親に大金を貸していたスウィーニーは、その借金のカタに彼女との結婚を迫るのだった。
さて、幼い少年トビアス(ジョニー・シンガー)を助手として雇ったスウィーニーは、さらに悪事を重ねていく。だが、ラヴェット夫人はスウィーニーが被害者から盗み取った金を折半せず、その大半を隠し持っている事を偶然知ってしまう。
そんな折、大量の真珠を手に入れたマークが船旅から帰って来た。ジョアンナの父親の借金を清算したマークだったが、何も知らない彼はまんまとスウィーニーの罠にかかってしまう。地下室に落とされて気を失ったマーク。しかし、ラヴェット夫人はスウィーニーに金を奪われないようにと、意識を失ったマークを殺さずに隠してしまう。
目を覚ましたマークは脱出に成功。スウィーニーの犯罪を立証するため別人に変装して彼の店を訪れる。一方、ラヴェット夫人の裏切りを知ったスウィーニーは彼女を殺害。すっかり正気を失った彼は、ラヴェット夫人の店に火をつけた。しかし、そこにはトビアス少年に変装して忍び込んだジョアンナが残されていた・・・!
その短い映画俳優人生で数多くの悪人を演じたトッド・スローターだが、やはり本作が彼の代表作と言って間違いないだろう。舞台での当たり役を演じるスローターの演技は、いつにも増して生き生きとしていて力強い。その過剰なまでに大仰で舞台的な演技は、逆にこのビクトリア王朝風のメロドラマに奇妙な威厳と説得力を与えているから不思議だ。当時から彼の演技は大袈裟すぎると揶揄されていたようだが、この常軌を逸した殺人鬼を演じるに当たってはそれも全く違和感を感じさせない。
また、彼の作品は基本的に大衆向けのプログラム・ピクチャーとして作られているため、今見ると映画作品としては鑑賞に耐えないものも少なくない。しかし、本作の場合はスピーディーで無駄のない脚本にかなり救われていると言えるだろう。19世紀ロンドンの下町を再現したセットも雰囲気があって、あまり低予算を感じさせないのが良かった。
ちなみに、スウィーニー・トッドの物語はビクトリア王朝時代に起きた実話だとされているが、それを裏付ける記録や証拠は一切なく、当時残酷な三文小説を大量に書いていた作家トーマス・プレストの創作による完全なフィクションだと言われている。
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囚人たちをいたぶって楽しむ地主ミードウズ |
殺害した貴族クライド卿になりすました殺人犯 |
この“Sweeney Todd : The Demon
Barber of Fleet Street”が大ヒットしたことから、スローターとジョージ・キング監督は矢継ぎ早に“The Crimes of Stephen
Hawke(スティーブン・ホークの犯罪)”('36)を発表。昼間は心優しき金貸し、しかしその正体は世にも残酷な連続殺人鬼という男スティーブン・ホークをスローターが演じた。
さらに、“It's
Never Too Late To
Mend(改心するのに遅すぎることはない)”('37)では、腹黒い地主ミードウズ役を怪演。刑務所の悪徳所長と結託して、劣悪な環境に置かれた囚人たちをいたぶって楽しむサディストだ。そんな彼が、農家の美しい娘を我がものにするため、そのフィアンセに無実の罪を着せようとしたり、毒殺しようとしたりするという話。
映画としてはあまりにもナンセンスで、そのあっけないクライマックスにもビックリさせられる。原作はビクトリア王朝時代の有名な作家チャールズ・リードの小説で、これを読んだビクトリア女王が刑務所の環境改善を決意したとされているが、本作を見る限りは戯曲化するに当たって相当な脚色が行われたに違いない。あまりにもバカバカしくて、思わず抱腹絶倒してしまう珍作である。
続く“The
Ticket of Leave
Man(仮出所者)”も、そんなナンセンスが満載のビクトリア王朝風メロドラマ。スローター演じる泥棒タイガー・ダルトンは、美しい歌手メイを我がものにするために、そのフィアンセであるロバートに無実の罪を着せる。刑期を終えて仮出所してきたロバートは、身元を偽って銀行に就職。しかし、タイガーに脅迫されて犯罪の片棒を担がされてしまう。だが、事情を知った恋人メイが警察に通報し、追い詰められたタイガーは転落死する。1863年に書かれた舞台劇の映画化で、その露骨なご都合主義が逆に古き良き時代を感じさせてくれる作品だ。
一方、“Sexton Blake and the
Hooded
Terror(セクストン・ブレイクと覆面の恐怖)”('38)では、覆面強盗団のリーダーである大富豪ラロン役を演じたスローター。しかし、これはジョージ・カーゾン演じる名探偵セクストン・ブレイクを主人公にした犯罪映画シリーズの一本で、残念ながらスローターの見せ場はあまりなかった。
翌年の“The
Face at
the Window(窓の顔)”('39)は、スローターが再びお得意の怪演を繰り広げるホラー風犯罪メロドラマ。舞台は19世紀末のパリ。巷では“狼”と呼ばれる殺人鬼が人々を恐怖のどん底に陥れていた。それは、窓の外に現れた異様な怪物を目にして凍りついた被害者を、何者かが背後から忍び寄って殺し、金品を奪うという手口の凶悪犯罪だった。で、案の定というか、スローター演じる貴族デル・ガルドの正体がその“狼”というわけで、彼は襲撃した銀行に勤める若者ルシアンを“狼”に仕立て上げてしまう。
命からがら逃亡したルシアンは、いろいろと調べていくうちにデル・ガルドと一連の殺人事件の関連性に気付く。そこで彼は、死体の蘇生実験をしている老科学者の助けを借りて被害者を甦らせ、犯人がデル・ガルドであるという事を立証するというわけだ。
これまた、よく考えれば(というか、よく考えなくても)かなりナンセンスな話で、監督の演出も役者の演技も古臭いとしか言いようがない作品。しかし、19世紀末のフランスを舞台にした美術セットの雰囲気や窓の外に現れる怪物の醜悪な特殊メイクはなかなか秀逸で、クラシック・ホラーのマニアなら興味深く見ることが出来るかもしれない。
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貴族デル・ガルドの正体は殺人鬼だった |
窓の外からのぞく謎の怪物 |
こうして次々と主演作を放っていったトッド・スローターだったが、1940年代に入るとその人気も急速に下降線をたどっていく。その全盛期の最後の作品に当たるのが、“Crimes
at the Dark
House(暗い屋敷で起きた犯罪)”('40)だ。舞台はやはり19世紀半ば。オーストラリアの金山で英国貴族クライド卿が殺され、その犯人である男(トッド・スローター)がクライド卿になりすまして祖国イギリスに帰る。クライド卿は少年時代にオーストラリアへ行ったきりだったため、故郷で出迎えた親戚たちも偽者の正体には全く気が付かない。クライド卿の財政事情が切迫している事を知った偽者は、大富豪の美しい娘との政略結婚を画策し、さらに自分の正体に気付き始めた周囲の人間を次々と殺していく。
これはイギリスの有名な作家ウィルキー・コリンズの小説を映画化したもので、後にハリウッドでも「白いドレスの女」('48)としてリメイクされている。相変わらず何の創意工夫もされていないジョージ・キング監督の演出は稚拙だが、己の本能の赴くがままに凶行を重ねる主人公を演じたスローターの狂ったような怪演は見ものだ。
この“Crimes
at the Dark
House”を最後に、スローターは一時的に映画界から姿を消してしまう。それは興行的な不振が理由とも、第二次世界大戦の勃発が理由とも言われているが、いずれにしてもその間に彼が何をしていたのかはよく分かっていない。
, 戦後のトッド・スローターは、映画“Bothered by
the
Beard(髭に悩まされて)”('45)でスウィーニー・トッド役を演じてスクリーン復帰を果たした。これは、あくまでも髭剃りの歴史を紐解く産業用映画で、彼の出番も僅かなものだったようだ。なので、本格的なカムバックは翌年の“The
Curse of the
Wraydons(レイドン家の呪い)”('46)だと言えるだろう。これはイギリスの都市伝説として有名なバネ足ジャックを題材にした作品だったが、残念ながらあまり評判は良くなかった。
さらに、彼は“The
Greed of William
Hart(ウィリアム・ハートの欲望)”('48)で、主人公の墓堀人ウィリアム・ハート役を演じた。これは、19世紀半ばに起きた“ウェスト・ポート連続殺人”を題材にした作品。当時は宗教的な理由から、処刑された犯罪者を使った人体解剖実験しか公には認められていなかった。だが、そう頻繁に処刑が行われていたわけではないので、一部の病院では埋葬されたばかりの遺体を墓堀人から高額で買い取って、秘密裏に解剖実験を行っていた。
そうした中、エジンバラの墓堀り人ウィリアム・バークとウィリアム・ヘアの二人は欲に目が眩み、次々と人を殺しては病院に死体を持ち込んでいたのだ。結局、この一件が明るみになることにより、一般的な人体解剖実験が合法化され、医学の近代化に大きく貢献するという皮肉な結果になった。
これはロバート・ルイス・スティーブンスによって短編小説化され、幾度となく映画化もされている。一番有名なのはロバート・ワイズ監督の「死体を売る男」('45)だろう。その3年後に製作された“The
Greed of William
Hart”は、スティーブンスの小説の映画化ではなく、実際に起きた事件を基にした再現ドラマ的な趣きが強い。
当初は“Burke and
Hare”というタイトルで製作されていたものの、ウィリアム・ヘアの子孫の訴えで名前が使えなくなってしまった。そこで、製作サイドはウィリアム・ヘアをウィリアム・ハートに、ウィリアム・バークをミスター・ムーアにと名前を変更することにしたが、既に撮影が終了してしまった後だった。仕方なく部分的なアフレコを行って対処したのだが、当時の録音技術に限界があったため、全編に渡って音声レベルがちぐはぐになってしまった。これが結果的に作品の印象を安っぽくしてしまっている。
その後、低予算の犯罪ドラマ“King of the
Underworld(暗黒街の王者)”('52)と“Murder at Scotland
Yard(スコットランド・ヤードの殺人)”(’52)で犯罪組織のボスを演じたスローターだったが、どちらの作品も殆ど陽の目を見ずに消えてまった。彼の前時代的な演技スタイルは戦後のイギリス映画界に馴染めず、お得意のビクトリア王朝風メロドラマも既に大衆からは飽きられてしまっていた。それは舞台でも同様だったようで、1953年には劇団の興行不振が原因で破産を余儀なくされている。それでも細々と地方巡業を行っていたスローターだったが、冠状動脈血栓症のため1956年2月19日に巡業先のダービーで死去した。
当時から決して映画俳優として高く評価されていたわけではなかったトッド・スローター。一部では熱狂的なファンを生んでいたものの、一般的には殆ど忘れ去られた存在だった。しかし、最近ではその歴史的な価値も含めて再評価する動きが出てきており、殆ど語られる事のなかった生い立ちや人物像についても詳しい調査が進んでいる。
確かに、その演技は大袈裟すぎて滑稽だし、映画そのものも低予算でナンセンスなものばかり。しかし、その根底には伝統的な大衆娯楽演劇の持つ独特のバイタリティというか、古き良き時代の見世物小屋的な猥雑さが脈々と流れており、決してバカバカしいという一言では片付けられない魅力がある。英国の演劇史というとシェイクスピアやノエル・カワード、ローレンス・オリヴィエやジョン・ギールグッドといったところで語られがちだが、その陰に隠れてしまった大衆演劇を象徴する存在がトッド・スローターなのかもしれない。
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Sweeney Todd : The Demon Barber of Fleet Street (1935) |
Never Too Late To Mend (1937) |
The Face at the Window (1939) |
Crimes at the Dark House (1940) |
(P)2004 Alpha Video (USA) | (P)2005 Alpha Video (USA) | (P)2004 Alpha Video (USA) | (P)2004 Alpha Video (USA) |
画質★★☆☆☆ 音質★★☆☆☆ | 画質★★☆☆☆ 音質★★☆☆☆ | 画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆ | 画質★★☆☆☆ 音質★★☆☆☆ |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード/ ALL/68分/製作:イギリス 映像特典 なし |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード/ ALL/67分/製作:イギリス 映像特典 なし |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード/ ALL/64分/製作:イギリス 映像特典 なし |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード/ ALL/68分/製作:イギリス 映像特典 なし |
監督:ジョージ・キング |
監督:デヴィッド・マクドナルド 製作:ジョージ・キング 脚本:H・F・マルトビー 撮影:ホーン・グレンダイニング 出演:トッド・スローター ジャック・リヴセイ マージョリー・テイラー イアン・コリン ローレンス・ハンレイ |
監督:ジョージ・キング 製作:ジョージ・キング 脚本:A・R・ローリンソン ロナルド・フェイヤー 撮影:ホーン・グレンダイニング 音楽:ジャック・ビーヴァー 出演:トッド・スローター ジョン・ワーウィック マージョリー・テイラー オーブリー・マラリュー |
監督:ジョージ・キング 製作:ジョージ・キング オデット・キング 脚本:フレデリク・ヘイワード H・F・マルトビー エドワード・ドライハースト 撮影:ホーン・グレンダイニング 出演:トッド・スローター シルヴィア・マリオット ヒラリー・イーヴス |
今のところ、トッド・スローター作品はパブリック・ドメイン素材でしか見ることが出来ません。その中でも、一番手に入りやすいのが、このアルファ・ビデオのシリーズです。画質は決して良くはないものの、見れないという程ではありません。クラシック映画ファンなら、是非とも一度は見ておきたい作品です。 | こちらも全体的にコントラストがかなり甘く、決して画質が良いとは言えないDVDです。とはいえ、他に見る手段も限られているので仕方ありません・・・。ちなみに、“Sweeney Todd”にも出ていた子役ジョニー・シンガーが、本作では刑務所内で虐待されて死ぬ少年役で顔を出しています。 | パブリック・ドメインとしては非常に状態の良いマスターを使用してると思います。モノクロのコントラストもまずまずですし、フィルムにも目立った傷がありません。その突拍子もないストーリー展開も含めて、クラシック・ホラーに興味のある人にはオススメの1本です。 | トッド・スローター主演作の中でも、“Sweeney Todd”に次いで人気が高いのがこれです。画質は良くもなく悪くもなく、何とか見るに耐えるという程度。誰かがオリジナル・ネガを探し出して、きちんとテレシネ&リマスターしてくれるまでは、パブリック・ドメインで我慢するしかありません。 |
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