イタリア映画のマエストロ(7)
ティント・ブラス Tinto Brass

 

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 “イタリアン・エロスの巨匠”とも呼ばれる映画監督ティント・ブラス。もともと'60年代末にアヴァンギャルド映画作家としてキャリアをスタートした彼は、ヒッピーやドラッグ、サイケデリック、フリーセックス、ラブ&ピースなど当時のサブカルチャーを独特のアナーキーな演出スタイルで表現するヒップな芸術家だった。しかし、アングラで自由奔放過ぎる彼の作品は、興行的な面ではなかなか芽が出ず。ところが、お金のためと割り切って引き受けたソフト・ポルノ『サロン・キティ』('75)を政治色の強いリベラルなレジスタンス映画へと昇華させ、その背徳的でスキャンダラスな内容も手伝って一躍注目を浴びる。
 さらに、アメリカの男性誌ペントハウスの社長ボブ・ギュッチョーネの依頼で、ポルノ映画史最大の問題作とも言うべき大作『カリギュラ』('80)を監督。独裁者ギュッチョーネによる勝手な追加撮影やズタズタの編集によって、監督の本来の意図とは全く違うハードコア・ポルノとなってしまったものの、これ1作で映画監督ティント・ブラスの名前は世界中に知れ渡ることとなった。
 以来、独自のリベラルで反骨精神溢れる世界観と洗練されたスタイリッシュな映像センスをフルに発揮し、『鍵』('83)や『ミランダ/悪魔の香り』('85)、『パプリカ』('89)、『背徳小説』('94)、『桃色画報』('03)などのエロティック映画をヒットさせてきたブラス。それらの作品に共通して見られる特徴は、南欧的な楽天性に裏打ちされた大いなるセックス讃歌と女性賛歌だと言えるだろう。
 “エロスは芸術だ”と言いきる彼は、“ポルノとエロスは根本的に全く違う。ポルノは性欲を煽るためのものだが、エロスは人間の感情を昂ぶらせるものだ”とも語っている。また、ある女優に“あなたは私の人間性よりも私のお尻の方ばかり見ている”と文句を言われた彼は、“どちらも私にとっては同じことさ。君のお尻は君の人間性を映し出す鏡だ。私は君のお尻を通して君の人間性を見ているんだよ”と切り返したという。セックスと肉体を通して人間そのものを描く。彼が数多のポルノ映画監督と一線を画する理由がそこにあるのかもしれない。

 1933年3月26日、イタリアはミラノの生まれ。本名をジョヴァンニ・ブラスという。祖父のイタリコ・ブラスは有名な画家。ティントという名前はルネッサンス期の名匠ティントレットにちなんだもので、幼い頃に祖父から付けられたニックネームだったのだそうだ。ヴェネチアで育った彼は、1957年にパドヴァの法律学校を卒業。しかし、法律の世界ではなく映画の道を志すことを決めた彼は、パリのシネマテークに通ってゴダールやトリュフォーと親交を深めた。
 イタリアへ帰国すると、名匠アルベルト・ラットゥアーダの助監督として映画界入り。さらにヨリス・イベンスやロベルト・ロッセリーニといった巨匠の助手を経験し、世界各地の若者による革命と動乱を描いたドキュメンタリー映画『革命の河』('63)で映画監督デビューを果たす。そして、ディノ・デ・ラウンレンティス製作のSF映画『私は宇宙人を見た』('64)で商業映画へ進出し、“Yankee”('65)ではマカロニ・ウェスタンにも挑戦。だが、フランス留学時代にヌーヴェルヴァーグから多大な影響を受け、当時のミケランジェロ・アントニオーニやベルナルド・ベルトルッチに強く感化されていたブラスは、やがてアンダーグラウンドな実験映画へと傾倒していく。
 その第一歩となったのが、ジャン=ルイ・トラティニャンを主演に迎えた『危険な恋人』('67)。表向きは巻き込まれ型のミステリアスなサスペンス映画であったが、実際にはアントニオーニの『欲望』('66)やリチャード・レスターの『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』('63)などからモロに影響を受けたエクスペリメンタルなポップ・ムービーだった。
 さらに、新しい時代の新しい価値観をサイケデリック・ロックと抽象的映像の組み合わせでMTV的に描く『SEX白/黒』('69)、革命世代のアナーキズムを縦横無尽な映像のパッチワークで表現した“L'urlo”('70)などの野心的な作品を次々と発表する。だが、さらに実験性を強めた“Drop Out”('70)と“Vacazione”('71)が、どちらもヴァネッサ・レッドグレーヴとフランコ・ネロという当時私生活でも恋人同士だった大物俳優の共演にも関わらず興行的に惨敗を喫してしまったことから、ブラスのもとには新作のオファーが全く来なくなってしまった。事実上、干されてしまったのである。
 その間、谷崎潤一郎の小説『鍵』の映画化に奔走するものの、声をかけたプロデューサーや製作会社からはことごとく見向きもされず。そんな折に舞い込んできたのが、もともとは低予算のソフトポルノとして作られるはずだった『サロン・キティ』('75)だったのである。当時のナチ・ポルノ映画ブームに便乗して企画されたこの作品を、ブラスは巨匠ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』('68)を彷彿とさせる歴史ドラマとして完成させたのだ。しかも、ナチス政権の腐敗と堕落という重たい題材を描きつつ、全篇に渡って過激なエロスや倫理規定スレスレのタブーをこれでもかと盛り込んだことから、予想以上の興行的な成功を収めたのである。
 かくして、気鋭のポルノ映画監督として注目されるようになったブラス。そんな彼のもとへ、さらなる大作の依頼が舞い込む。帝政ローマ時代の悪名高き暴君を描く歴史ポルノ『カリギュラ』('80)である。しかも、出演する俳優にはマルコム・マクダウェルやジョン・ギールグッドなどのビッグ・ネームが名を連ねる。アメリカの男性誌ペントハウスが満を持して挑む超大作映画として、企画の当初から話題を独占していた問題作だ。
 ところが、この作品で本当に問題なのは、製作を手掛けるペントハウス社長のボブ・ギュッチョーネその人だった。海千山千で成り上がって来たギュッチョーネにとって映画製作は金儲けの手段でしかなく、もともと芸術だなんだという話には全く興味も関心もなかった。脚本には世界的な有名作家ゴア・ヴィダルが関わっていたが、それとて彼にしてみれば単なる客寄せパンダ。そもそも、この作品は巨匠ロベルト・ロッセリーニが温めていた企画で、だからこそヴィダルのような大御所が参加していたのだ。しかし、ロッセリーニ自身の死や製作資金不足などが災いして、映画化そのものが暗礁に乗りかけていた。そこへ映画界進出を目論んでいたギュッチョーネが資金の提供を申し出たという経緯があったのだ。
 結局、大真面目に権力の腐敗と独裁者の狂気を描こうとしたブラスは撮影終了と同時に解雇され、一貫して自ら編集を手掛けることをモットーとしてきた彼は編集室にすら入れてもらえなかった。おかげで、使うつもりもなかったNGテイクやテスト撮影フィルムまでもが本編へ盛り込まれることに。その上、ギュッチョーネ自身が無断で撮影していたハードコア・シーンまでもが全編に渡って挿入されてしまった。本来ブラス自身が使うつもりだった映像は、全体の3分の1にも満たないとすら言われている。
 結果的に世界中で大ヒットを記録し、その後も“『カリギュラ』のティント・ブラス”と呼ばれるようになってしまったわけだが、もちろん彼自身はこの作品を自分のものとは認めていない。ゴア・ヴィダルと共に彼も自分の名前をクレジットから外すように求めたが、残念ながら却下されてしまった。これがハードコア・ポルノになるとは知らなかった主演俳優たちも抗議の声を上げたが、もちろん全ては後の祭り。みんなギュッチョーネに騙されて利用されたのである。

 興行的には大成功を収めたものの、映画としての完成度については散々な酷評を受けた『カリギュラ』。その汚名を晴らすべく次回作“Action”('81)では初期のアヴァンギャルド路線へと回帰したブラスだったが、残念ながらほとんど見向きもされなかった。そんな彼にひとつの転機が訪れる。長年に渡って温めてきた企画、谷崎潤一郎の『鍵』の映画化にゴー・サインが出たのだ。
 原作の舞台を第二次世界大戦前夜のイタリアへと移し、ファシズムの台頭する世の中に秘められた人間の欲望を描く文芸エロスとして仕上げられた『鍵』('83)。大女優ステファニア・サンドレッリの堂々たる官能演技と相まって、センセーショナルでありながら格調の高いブラスの演出はイタリア国内のみならずヨーロッパ各国でも高い評価を受けた。サンドレッリの演じる中年ブルジョワ婦人は、ヘアーを露わにしたセックス・シーンのみならず放尿シーンなどもある過激な役柄。ありとあらゆるベテラン女優から断られたというが、その中でただ一人引き受けてくれたのがサンドレッリだったのだそうだ。
 続いてカルロ・ゴルドーニの舞台劇を映画化した『ミランダ/悪魔の香り』('85)では、戦後のイタリアを舞台に、理想の夫を探し求める宿屋のグラマラスな女将ミランダの自由奔放な性と逞しい生き様をユーモアたっぷりに描いたブラス。彼にとって最大のミューズとも呼べる爆乳女優セレナ・グランディのカリスマ性を最大限に引き出しており、これはグランディ自身にとっても最高の当たり役となった。
 さらに、マリオ・ソルダーティの小説を基にした『ラブ&パッション/情事の虜たち』('87)では、第二次世界大戦直後のイタリアを舞台に若いカップルの解放的な性愛を、ノスタルジックでエレガントな映像美の中で描き、主演の巨乳女優フランチェスカ・デレーラを一躍トップ・スターへとのし上げた。
 しかし、それまでのフェミニズム的官能路線からシフト・チェンジし、'50年代のハードボイルド映画にインスパイアされたMTV風のスタイリッシュでノワーリッシュなギャング映画『スナックバー・ブダペスト』('88)が大失敗。セクシー美女たちのあけすけなヌード・シーンや大胆なセックス・シーンも満載ではあったものの、グラマラスな巨乳女優ではなくベテラン名優ジャンカルロ・ジャンニーニを主演に据えたため、観客からそっぽを向かれてしまったのだ。
 だが、ジョン・クリーランドの有名な官能小説『ファニー・ヒル』にインスパイアされた『パプリカ』('91)ではエロティック映画の世界へ戻り、新人女優デボラ・カプリオリオの初々しくも迫力のある演技にも助けられて大ヒットを記録。以前にも増して洗練の度を深めた映像の様式美と、大らかで逞しい女性賛歌が実に痛快な傑作となった。
 そして、この『パプリカ』を契機にして、ブラスの作品はフェティッシュな官能的様式美への傾倒ぶりが顕著となっていく。中でも、女性の“お尻”に対する執着は際立っている。日本公開が前後してしまったために続編的な邦題が付けられてしまった『背徳小説 第二章』('92)などは、まさに彼のお尻に対する愛が詰まったフェチ映画。その後も、『背徳小説』('94)、『背徳令嬢U』('97)、『背徳令嬢』('00)などの作品を発表していくが、いずれも様式美的な性描写とブラス自身のフェチ趣味に重きが置かれてしまい、単に見た目が美しいだけのソフト・ポルノになってしまったことは否めないだろう。
 ところが、かつてヴィスコンティが『夏の嵐』として映画化したカミッロ・ボイトの古典小説を、第二次大戦末期のイタリアへと舞台を移して描く戦争ドラマ『ティント・ブラス秘蜜』('02)では、上流階級婦人と若きナチ将校の道ならぬ恋を通じてファシズムの堕落を描き、久々に巨匠らしい堂々たる仕事ぶりを披露。ある意味、往年のファンをホッと一安心させた(笑)。
 とはいえ、その後も『桃色画報』('03)に『ティント・ブラスの白日夢』('05)と、70歳を過ぎてもなおエロスとフェチの世界を追求するブラス。現在はあの『カリギュラ』を改めて本来あるべき姿としてリメイク、しかも3Dで撮影するという企画が進行中。だが、その矢先に監督自身が脳梗塞で倒れてしまい、今のところ先行きが不透明になってしまっている。
 なお、『カリギュラ』がヒットした際には、ジョー・ダマト監督が勝手に続編を名乗った『カリギュラ2』('82)やアントニオ・パサリア監督の『新カリギュラ』('82)、ロレンツォ・オノラーティ監督の『カリギュラV』('84)など、柳の下のドジョウを狙ったカリギュラ映画が続々と登場。さらに『鍵』が大ヒットするとにわかに文芸エロス・ブームが起き。ジョー・ダマトの『欲望の小部屋』('84)や『O婦人の背徳』('88)、ロレンツォ・オノラーティの『レディ・チャタレー』('88)、フランコ・モーレの『ヘンリー・ミラーの愛した女たち』('89)などの文芸“風”ソフト・ポルノが数えきれないほど作られた。興行的には失敗だった『スナックバー・ブダペスト』の時でさえ、似たようなノワール・タッチのポルノ『ギルダ/暗黒街の情婦』('89)や『ブルーエンジェル・カフェ』('89)といった亜流映画が生まれている。そう考えると、ブラスは80年代イタリアン・エロスのトレンド・セッターでもあったと言えるかもしれない。

 

 

危険な恋人
Col cuore in gola (1967)
日本では1968年11月劇場公開
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

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(P)2009 Cult Epics (USA)
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語/字幕:字幕/地域コード:ALL/105分/製作:イタリア・フランス

特典映像
T・ブラス監督による音声解説
ロビーカード・ギャラリー
オリジナル劇場予告編
監督:ティント・ブラス
製作:ルイジ・カルペンティエリ
   エルマンド・ドナーティ
原作:セルジョ・ドナーティ
脚本:ティント・ブラス
   フランチェスカ・ロンゴ
   ピエール・レヴィ
撮影:シルヴァーノ・イポリッティ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
出演:ジャン=ルイ・トラティニャン
   エヴァ・オーリン
   ロベルト・ビサッコ
   チャールズ・コーラー
   ルイジ・ベリーニ
   ヴィラ・シレンティ

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実業家バローズ氏が交通事故で死亡した

遊び人のフランス人俳優ベルナール(J=L・トラティニャン)

 しばしば海外の文献ではジャッロ映画として分類・紹介されている作品だが、実際のところはちょっと趣が違う。舞台は'60年代末当時のロンドン。とあるクラブ経営者の他殺死体を発見したフランス人青年ベルナールは、その場に居合わせた美少女ジェーンに一目惚れし、事件の真相を探ろうとする。やがて、ジェーンを巡って裏社会の組織が暗躍。その背後には、つい先ごろ交通事故で死亡した彼女の父親、おかげで莫大な遺産を手にした継母、そしてその継母の愛人である裕福な美術商といった関係者の利害や思惑が複雑に絡み合っていた。そして、徐々に謎の核心へと迫ったベルナールは、ほどなくして思いもよらない衝撃的な真実を知ることとなる…。
 なんて粗筋を書き上げてみると、まさしく正統派の巻き込まれ型サスペンス。ジャッロ映画と呼ばれたとしても、まあ、当たらずも遠からずかなという印象を受けるかもしれない。だが、ブラス監督はそうしたミステリー仕立てのストーリーにほとんど関心がないように見受けられる。大雑把なストーリーは先に述べたとおりなのだが、本作はそんな謎解きのスリルなんかよりも、異邦人ベルナールの目に映るロンドンのナイト・シーンや最先端の若者トレンド、サイケデリック・ロックにポップ・アートといった'60年代サブカルチャーの描写に比重が置かれ、ジャンプ・カットや早回し、スプリット・スクリーン、アメコミ調のポップな擬音文字、カラーフィルムとモノクロフィルムの使い分けなど、様々な遊び感覚の撮影テクニックを駆使した実験性の高い映像表現に大方の神経が注がれているのだ。
 そのスタイルは見事なまでに縦横無尽でクール。中でも当時のブラスはスプリット・スクリーンに凝っていた様子で、1つのシーンを3つにも4つにも分けながら多角的に捉えるばかりか、フレーム自体も丸かったり四角かったり細長かったりと自由奔放にコラージュしており、何か新しくて違ったことをやってやろうという若き日の彼の野心と意気込みが十分すぎるくらいに伝わってくる。そのテクニックの一つ一つが、理路整然として効果を発揮しているかというと甚だ疑問ではあるものの、とにかく新進気鋭の映像作家らしい新鮮な瑞々しさは感じられ、なかなか興味深く楽しむことが出来る作品だ。
 さらに、時代の最先端を行くロンドンのトレンド風俗を裏側までリアルにカメラで捉えた臨場感、そのモッドな街を彷徨うジャン=ルイ・トラティニャンの渋いカッコ良さ、妖精のように愛らしくて謎めいたエヴァ・オーリンのフォトジェニックな美しさ、そしてサイケでポップでグル―ヴィーなアルマンド・トロヴァヨーリのスコアなどなど、まさしくあの時代にしか作り得ることのできないお洒落な魅力が満載。商業用映画とアングラ映画、それぞれの良さを絶妙なバランスでブレンドし、一種独特のポップ・ムービーとして仕上げた点は大いに評価されて然るべきかもしれない。

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クラブ経営者プレスコットの死体を発見するベルナール

現場には美少女ジェーン(E・オーリン)が居合わせていた

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ベルナールはプレスコットの自宅へ忍び込む

クラブの用心棒たちと鉢合わせしてしまった

 実業家のバローズ氏が交通事故で死亡した。後妻のマーサ(ヴィラ・シレンティ)、長男ジェローム(チャールズ・コーラー)、長女ジェーン(エヴァ・オーリン)の3人が遺体の身元を確認する。だが、この家族はちょっとばかりおかしい。その夜には、ロンドン市内の人気クラブでダンスに興じる彼らの姿が目撃されていた。しかも、マーサは愛人の裕福な美術商レリスを同伴し、周囲の目も一切気にしていない様子だ。
 クラブにはフランス人の売れない俳優ベルナール(ジャン=ルイ・トラティニャン)も遊びに来ていた。いつものように酒代をツケにしようとしたところ、バーテンから断られてしまう。経営者プレスコットからの指示だというのだ。ベルナールはプレスコットに直談判すべく、彼のオフィスへと向かった。ところが、そこで彼が見たのは頭から血を流して倒れているプレスコットの死体。驚いた彼が目の前の鏡を見ると、自分の背後に若い女性が隠れていることに気付く。
 隠れていたのはジェーンだった。ベルナールは彼女の美しさに心を奪われ、その場から一緒に逃げる。ジェーンは父親がプレスコットに殺されたのではないかと疑っていた。マーサの浮気写真をネタにバローズ氏を強請っていたようなのだ。ジェーンはその写真を探し出すべくオフィスへ忍び込んだところ、プレスコットの死体を発見したのだという。
 写真がオフィスにないのであれば、もしかすると自宅かもしれない。ベルナールはプレスコットの自宅へ侵入する。すると、そこへクラブの用心棒ジェリー=ロール(ルイジ・ベリーニ)と相棒(デヴィッド・プラウズ)が現れ、両者は揉みあいとなった。命の危険を感じたベルナールは、ジェリー=ロールの相棒を射殺。命からがら逃げだし、ジェーンとピカデリー・サーカスの前で落ち合うことにする。
 ジェーンによると、兄のジェロームが昨夜から家に帰っていないという。彼が何か知っているかもしれない。裏事情に詳しいカメラマンのデヴィッド(ロベルト・ビサッコ)に訊ねたところ、ジェロームにはヴェロニカ(モニーク・スコアゼッチ)というモデルの愛人がいるという。ところが、ベルナールがデヴィッドと公衆電話で話している間に、待っていたジェーンが何者かに連れ去られてしまった。
 ジェロームはヴェロニカの自宅に身を寄せていた。一連の出来事については何も知らないという。そこへ誘拐犯から電話が入り、夜までに1万ポンドを用意しなければジェーンの命はないという。ジェロームは誘拐犯に心当たりがあった。マーサの愛人レリスの手下たちだ。そこで、ベルナールとジェロームは彼らのアジトを探し出し、乗り込むことにする。
 アジトはスラム街の廃墟ビルにあった。ジェーンが監禁されていることを確認したベルナールとジェロームは拳銃を手にビルへ忍び込み、見張り役の小人を射殺して彼女を救い出すことに成功する。誘拐の黒幕はレリスなのか。ベルナールはジェーンを連れてレリスの画廊へ足を運び、さらに自宅を訪ねる。すると、そこには眉間を銃弾で撃ち抜かれたレリスの死体が転がっていた。
 さらに、ベルナールとジェーンはクラブ用心棒ジェリー=ロールの一味と遭遇し、ロンドン中を追いかけまわされることになる。一度は連中に捕まってリンチを受けたベルナールだが、機転を利かせて脱走することに成功。一連の出来事の鍵を握っているのはマーサだと気付いて彼女の行方を捜したベルナールは、ジェーン自身も実はレリスの愛人であったということを知らされる…。

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ジェーンは父親が殺されたものと疑っている

兄ジェローム(C・コーラー)はモデルの家に入り浸っていた

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ジェロームを連れてジェーンの救出に向かうベルナール

外から敵のアジトの様子をうかがう

 原作はセルジョ・ドナーティの書いた小説Il sepolcro di carta(紙の墓)”。ドナーティといえば巨匠レオーネの『ウェスタン』('68)や『夕陽のギャングたち』('71)のほか、『オルカ』('77)や『悪魔が最後にやって来る』('78)、『デザート・ソルジャー』('90)など、マカロニ・ウェスタンやアクション映画の脚本家としても有名な人物。小説家としても作品を発表していたというのは興味深い。
 脚本を手掛けたのはブラス監督に加え、フランス人の製作者ピエール・レヴィと女流脚本家フランチェスカ・ロンゴ。レヴィは'50年代に何本か低予算映画を手掛けている人物だが、ロンゴに関しては詳細がよく分からない。ブラス監督との仕事もこれ一本きりだったようだ。
 また、ティント・ブラス作品には欠かすことのできないカメラマン、シルヴァーノ・イポリッティが撮影監督を担当。ブラス監督の前作“Yankee”で助監督を務めていたカルメロ・パトローノが美術デザインを手がけ、さらにブラス監督夫人であるカルラ・チプリアーニが助監督としてクレジットされている。
 そして、全篇を彩るポップでサイケでグル―ヴィーな音楽スコアを書いたのは、イタリア映画界を代表するマエストロ、アルマンド・トロヴァヨーリ。クラッシックからジャズ、ファンク、ロックまで幅広い音楽性を持つトロヴァヨーリだが、ここでは当時のブリティッシュ・ポップ・シーンを多分に意識した爽やかなサウンドを聴かせてくれている。

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ジェーンの存在を確認した2人は救出作戦を決行

ベルナールとジェーンはお互いに強い絆を感じるようになる

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用心棒に追われてロンドンの街中を逃げ回る2人

地下鉄へと逃げ込んだベルナールたちだったが…

 主人公ベルナール役は、言わずと知れたフランスのトップ・スター、ジャン=ルイ・トラティニャン。時にクールでダンディ、時にお茶目でオフビートな演技を披露しながら、この一筋縄ではいかない摩訶不思議な映像世界を活き活きと自由に駆け回っている。その相手役であるエヴァ・オーリンも最高にキュート。いかにもロリータといった感じのベビー・フェイスな彼女は、その存在自体が当時のポップ・カルチャーを体現しており、これ以上ないくらいのはまり役だ。
 そのほか、『夜の刑事』('68)や『薔薇のスタビスキー』('73)のロベルト・ビサッコ、B級スペクタクル史劇のお姫様女優として活躍したヴィラ・シレンティが共演。また、『スターウォーズ』シリーズのダースベーダ―役として有名な俳優デヴィッド・プラウズが、ベルナールに射殺される用心棒役としてチラリと顔を見せているのも注目したい。
 ちなみに、主演のトラティニャンとオーリンの2人は、この翌年にもカルト映画として有名な『殺しを呼ぶ卵』('68)で再共演している。

 

 

SEX白/黒
Nerosubianco (1969)
日本では1970年劇場公開
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2009 Cult Epics (USA)
画質★★☆☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/80分/製作:イタリア

特典映像
ロビーカード・ギャラリー
オリジナル劇場予告編
監督:ティント・ブラス
製作:ディノ・デ・ラウレンティス
脚本:ティント・ブラス
   ジャンカルロ・フスコ
   フランコ・ロンゴ
撮影:シルヴァーノ・イポリッティ
音楽:フリーダム
出演:アニタ・サンダース
   テリー・カーター
   ニノ・セグリーニ

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上流階級の人妻バーバラ(A・サンダース)

大木の上で演奏するロック・バンド

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ロンドンの好演にはヒッピーたちがたむろしている

1人でロンドンへと繰り出していくバーバラ

 こちらは、さらに実験色の強くなった作品。基本的にこれといったストーリーが存在しない。主人公は上流階級の人妻バーバラ。1人でロンドンの街中へと繰り出した彼女は、サイケデリックでポップな若者文化の最前線に触れ、反ベトナムのラブ&ピースな社会気運を肌で感じていくうちに、自らの潜在意識の中にあった禁断の欲望に目覚めていく。それは、黒人男性に対するエロティックなファンタジーだ。
 本作はそうしたヒロインの心理的な変化の過程を、ロンドンのストリート・カルチャー、抽象的でエロティックなビジュアル・イメージ、プログレッシブなサイケデリック・ロック、ベトナム戦争や反戦デモなどの記録映像を交えながら描き、“革命”というキーワードに彩られた'60年代末の時代の空気というものを浮き彫りにしていく。
 中でも特徴的なのは、まるで'80年代のMTVを先駆けたかのような音楽と映像のコラボレーションだ。全篇に渡ってロック・バンド、フリーダムの楽曲が使用されているのだが、そのバンド自身が映像の背景に随所で登場する。ある時は公園の木の上で、ある時はサウナの中で、ある時は広場の真ん中で。本編そのものが彼らのプロモーション・ビデオのような作りになっており、リチャード・レスター監督のビートルズ映画から少なからず影響を受けていることが伺える。
 そもそも、この作品自体に具体的なスクリプトが存在せず、大まかに決められたプロットや監督の意図するメッセージ、そして予めレコーディングされたフリーダムの楽曲をベースにしつつ、そのつど臨機応変に即興的な撮影が行われていったのだそうだ。セリフも殆どが撮影後に執筆されている。ヒロインのモノローグやナレーションが大半を占めている理由はそれだ。
 人種間の差別意識を超えた性愛、ベトナム戦争が象徴する暴力と対極にあるセックスという名の平和、そしてフェミニズムの芽生え。これは、新しい時代の価値観を抽象的かつ象徴的なイメージのコラージュによって表現しようとした作品なのだ。ゆえに、製作された時代とは切っても切り離せないものがあり、そういった意味では少なからず時代に色褪せてしまった感は否めない。が、その試み自体に十分興味深いものがあるし、'60年代に関心のあるサブカル・ファンならば見逃せない作品だとも言えよう。

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セクシャルな願望に目覚めるバーバラ

それはハンサムな黒人男性(T・カーター)との性愛だった

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流行の美容院へとやって来る

そこでは牛がズラッと並んでいた

 ロンドンのハイド・パーク。車を降りた人妻バーバラ(アニタ・サンダース)は、夕方に同じ場所で落ち合うことを夫パオロ(ニノ・セグリーニ)と約束し、一人で街中の散策に出かける。公園にはヒッピーの若者が大勢たむろし、それぞれの形で愛を確かめ合っている。あるカップルは全裸ではしゃぎ回り、ある男女3人組はお互いの体を求め合う。バーバラは思わず目を伏せるのだった。
 地下鉄に乗ったバーバラは、飢えたような男性たちの視線に居心地の悪さを感じる。だが、乗客の中にセクシーな黒人の男性(テリー・カーター)を見つけ、思いもよらず胸をときめかすのだった。ジャングルの中を全裸で黒人男性と戯れる自分の姿を想像し、逆に激しい戸惑いと嫌悪感を感じてしまうバーバラ。電車を降りて地上へ出た彼女は、美容院へと向かう。そこでは牛の大群がパーマやヘアカットを受けていた。ベッドに横たわる一頭の牛と夫パオロ。すると牛はバーバラへと姿を変え、医者が診察にやって来る。彼女は何も感じなかった。
 逃げるようにして美容院を出たバーバラは、二階建てバスへと飛び乗る。窓の外を眺めていると見えてくる人々の生活。マッチョな夫を殴り倒す老女、子育てに無関心な夫に赤ん坊を投げつける若妻。女たちは不満を抱えている。思えば、パオロとの結婚生活も満ち足りているようで空虚だ。いつしか彼女は黒人男性と一緒に逃げ出し、夫を機関銃で射殺するシーンを夢想する。コミュニケーションの不足は現代の社会問題なのか。セックスを楽しむことは罪深いことなのか。
 バーバラはラブ・トンネルと呼ばれる洞窟へと入っていく。アトラクションは自由奔放に愛を交わす恋人たち。だが、快楽を謳歌する若者たちは醜い老人によって虐殺されていく。いつしか、彼女は反ベトナムのデモ集会へと紛れ込んでいた。ベトナム、ホロコースト、KKK。人類の近代史は憎しみと暴力に彩られている。
 
次に彼女は、巨大な人体実験施設へと足を踏み入れた。そこでは男女の体の構造が分析され、セックスが実験の対象となっている。それは愛や快楽のためではない、子供を作るための機械的な性の世界。自由を奪われたセックスに歓びなどない。やがて人ごみをかきわけて街を歩いていくバーバラ。どれだけの人間がこの大都会に暮らしているのだろうか。大量に消費されていく肉。その裏では動物たちが血生臭い方法で次々と屠殺されていく。
 トンネルを歩くバーバラに、あの黒人男性が声をかけた。しかし、身なりのいい上品な白人紳士たちが彼を取り囲み、殴る蹴るの暴行を加える。街角では暴行されそうになった白人女性を助けようとした黒人男性が、白人男性にナイフで刺殺された。無関心を装う通行人たち。黒人は野蛮で凶暴だというけど、あの黒人を刺殺した白人はどうなのか?
 虚しさを覚えるバーバラの視界に飛び込んできたのは、街のあちこちに張り巡らされた大量の広告ポスター。セックスも暴力も広告ポスターのように、世の中に氾濫している。タブーの存在しない現代社会。バーバラは興味本位でストリップ小屋に足を踏み入れた。男たちに覗かれる自分の姿を想像して頬を赤らめるバーバラ。そういえば、夫とのセックスはないに等しい。そう考えた時、彼女が再び夢想するのは、あの黒人男性とのめくるめく愛欲の世界だった…。

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夫パオロ(N・セグリーニ)の結婚生活は空虚だ

スプリット・スクリーンを駆使した音楽シーン

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果たしてセックスは罪深い行為なのだろうか…?

反戦デモの集会に紛れ込んだバーバラ

 商業用映画デビュー作『私は宇宙人を見た』でブラスと組んだ大御所プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが再び製作を手掛けた本作。脚本にはブラスとは古くからの付き合いがあるドキュメンタリー作家ジャンカルロ・フスコと、本作をきっかけに立て続けてブラス監督作品に関わることとなるフランコ・ロンゴの名前がクレジットされている。
 撮影監督は今回もシルヴァーノ・イポリッティ。また、主演女優アニタ・サンダースのエレガントで個性的なドレスの数々を、『甘い生活』('60)や『魂のジュリエッタ』('65)など一連のフェリーニ作品で有名な衣装デザイナー、フランコ・ゲラルディが手掛けている。撮影助手として、イタリアン産エクスプロイテーション映画の世界では有名なカメラマン、レナート・ドリアとエンリコ・サッソの2人が絡んでいるのも興味深い。
 そして、全編に渡ってフューチャーされるロック・ミュージックを演奏し、随所でスクリーンにも登場するのが、イギリスのロック・バンド、フリーダム。あのプロコロ・ハルムを脱退したメンバーで結成されたサイケデリック・ロック・バンドだ。当時は西ドイツを中心に活動していたらしいが、なるほどサウンドがプロコロ・ハルムっぽい。

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自由を奪われたセックスに歓びはない

広告と同じようにセックスと暴力が氾濫する世の中

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夫はバーバラの誘惑にもなかなか応えてくれない

逞しい黒人の腕に抱かれることを夢見るバーバラだが…

 主演のアニタ・サンダースはスウェーデンの出身で、当時イタリア映画界で活躍していたセクシー女優。演技は決して上手いとは言えないものの、どこかアンニュイでミステリアスな雰囲気、大胆な脱ぎっぷりの良さなど、作品の世界観に上手いことハマっている。ブラス監督自身も“見た目だけでキャスティングした”と語っているが、確かに佇まいだけで存在感を発揮するユニークな女優だ。
 一方、彼女がセクシャルな願望を寄せる黒人男性役には、人気ドラマ『警部マクロード』のハンサムな黒人巡査ジョー役で有名な俳優テリー・カーター。また、『デアボリカ』('74)で主人公夫婦の親友であるドクター役を演じていたニノ・セグリーニが、バーバラの夫パオロ役で顔を出している。
 なお、本作の全米配給は当時オードボン・フィルムを立ち上げたばかりだったラドリー・メッツガーが手掛け、“The Artful Penetration of Barbara(バーバラの芸術的な貫通)”というポルノ映画として劇場公開されたのだそうだ。いわゆるポルノを期待して見に行った観客は、さぞかし驚いたに違いない。

 

 

L'urlo (1970)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2009 Cult Epics (USA)
画質★★☆☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/95分/製作:イタリア

特典映像
T・ブラス監督による音声解説
フォト・ギャラリー
監督:ティント・ブラス
製作:ディノ・デ・ラウレンティス
脚本:ティント・ブラス
   フランコ・ロンゴ
撮影:シルヴァーノ・イポリッティ
音楽:フィオレンツォ・カルピ
出演:ティナ・オーモン
   ルイジ・プロイエッティ
   ニノ・セグリーニ
   オシリデ・ペヴァレッロ

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婚約者アニタを探して警察署を訪れたベルト(N・セグリーニ)

アニタ(T・オーモン)はコーゾ(L・プロイエッティ)と駆け落ちする

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インモラルな性行為が行われているサイケなホテル

奇妙で風変わりな宿泊客ばかり

 これはちょっと暴走しすぎたかもしれない。ティント・ブラスのフィルモグラフィーの中でも、特に際立ってエクスペリメンタルかつアナーキーな作品だ。ほとんど意味不明のシュールなストーリー展開、オフビートでクレイジーな登場人物たち、ナンセンスで奇天烈なビジュアル・ギャグ、そしてフェティッシュでビザールなエログロ趣味。それらの要素が洪水のように押し寄せ、見る者をたちまち右往左往させる。
 前作の『SEX白/黒』もかなり実験性の高い作品だったが、それでも映画記号のルールは最低限守っていたし、それによって作り手の意図するところは十分読み取ることが出来た。しかし、本作ではそうした作り手と観客のコミュニケーションすらをも放棄しているように思われる。恐らくブラス監督は既存の概念のみならず、あらゆる映画的な法則を根底から覆し、徹底的に破壊しようとしたのかもしれない。そういった意味では、これは時代を先取りしたパンク映画だとも言える。
 だが、映画として面白いかどうかというと答えはノーだ。あらゆるインモラルな性行為が行われているサイケなホテル、大地とファックをするヒッピー、木の上で暮らす全裸の人食い族などなど、確かに独創的でユニークなシーンも少なくないし、随所に後の『サロン・キティ』や『カリギュラ』を彷彿とさせる部分もあって興味深くは感じる。が、それですらコアなティント・ブラス・ファンでなければアピールすることはないだろう。
 唯一の見どころが、ヒロイン役を演じるティナ・オーモン。ブラス監督自身、“私が一緒に仕事をした中でも最も美しい女優”と語っているが、確かにこの頃のティナは神々しいまでに美しい。そんな彼女が、時にはカルディナ―レのごとく、時にはヴェルーシュカのごとく、そしてまた時にはニナ・ハーゲンのごとく様々な表情を見せながら、何ものにも縛られないフラワー・カルチャーの申し子的な女性をエキセントリックに演じていく。これほどまでに彼女の魅力を引き出した作品は他にない、というのが逆に残念だ。

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森の中で裸族の男(O・ペヴァレッロ)と知り合う

木の上で暮らす裸族の一家

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人間の丸焼きを御馳走になった

見知らぬ駅へ降り立ったアニタとコーゾ

 実業家ベルト・ベルトゥッチョーリ(ニノ・セグリーニ)は婚約者アニタ(ティナ・オーモン)を探して警察署を訪れる。巨大な顔の警察署長がアニタを釈放した。2人はトランスセクシャルの司祭に祝福されて結婚式を挙げるが、これが罠だと感じたアニタは見ず知らずのふざけた男コーゾ(ルイジ・プロイエッティ)と駆け落ちする。
 二階建てバスに飛び乗った2人。コーゾは何者なのか?彼は自分のことをこう紹介する。天国の光、月の光、星の光、太陽の光、X線の光、そして全世界のエネルギー。やがて二階建てバスは田舎道を暴走し、乗客たちは狂ったようにバスを破壊する。すると地平線の彼方から大勢の警官が襲来し、人々を追いかけまわす。
 ヒッチハイクでブルジョワ夫婦の運転する車に乗り込んだアニタとコーゾ。夫婦に向かって2人はこう叫んで叱咤する。女は自由だ、黒人は自由だ、共産主義は最も完全なシステムだ。すると、車のワイパーが動かなくなってしまった。だが、アニタとコーゾが外へ飛び出して車の窓ガラスに放尿すると、ワイパーは元通りに戻って夫婦は大喜び。しかし、夜も更けてきたため、彼らはホテルへ泊まることにする。
 ホテルのフロントには子供が座っていた。奥から出てきたのは動くのも辛そうなくらい太ったマネージャーと喋るネズミ。ゲップとオナラを繰り返すマネージャーは客に部屋の鍵を渡すと、口うるさいネズミをひねりつぶして食べてしまう。アニタとコーゾ、中年夫婦はホテルの部屋へ。次々と扉を開けていくと、そこでは奇妙で風変わりな人々があらゆる背徳的なセックスに耽っている。宿泊客の中には猿や死体もいた。アニタとコーゾは楽しそうにはしゃぎ回る。
 ホテルを抜け出した2人は森の中へ。辺りを飛び回っていると、年老いた警察官に追いかけられる。すると、そこへ裸族の男(オシリデ・ペヴァレッロ)が登場。アニタとコーゾ、警察官の3人は木の枝で暮らす裸族の一家の夕飯へ招待され、人間の丸焼きを御馳走になった。一家は人食い族だったのだ。しかも、3人を次のディナーにしようとしている。アニタとコーゾは警察官を残して逃げ去った。
 次にアニタとコーゾは列車へ乗る。コンパートメントでは若い女性が司祭の目の前で自慰行為に。司祭は女性の首を掻っ切った。列車を降りて駅のホームを歩く2人。隅っこで泣いている若い女をからかった2人は、駅の構内を楽しそうに駆け回った。すると、『危険な恋人』のワン・シーンが登場。“今のは何!?”と叫ぶアニタに、“トラティニャンさ!”と叫び返すコーゾ。
 やがて2人は人気のない町へ紛れ込む。階段を転がり落ちる生首。そればかりか、あちらこちらの街角から生首がキョロキョロと辺りを覗いている。“ここはどこなの?”と尋ねるアニタに、“僕もさ”と答えるコーゾ。すると町のあちこちから大勢の兵士が姿を現し、激しい銃撃戦が始まる。逃げ出したアニタとコーゾは別れ別れに。
 コーゾは死んだはずの老人と再会。老人はキリストと同じように蘇ったのさとうそぶく。信じようとしないコーゾ。老人はウソだと思うなら私をつねってみなさいという。ただし、左寄りのインテリだから左腕をつねるようにと。コーゾが思いっきりつねると、老人は激しく痛がる。一方、アニタは兵士たちにレイプされ、血だらけになって町をさ迷い歩いていた。
 アニタを探すコーゾ。すると、女が広場でピアノを弾いている。彼女を探したければ歌いなさい、そう言われたコーゾは狂ったように歌う。すると、元気なアニタが微笑ながら登場。2人は再会を喜ぶ。ところが、コーゾは兵士たちによって町の住人もろとも射殺されてしまう。血が出ないので、懐から取り出した血のりを体中に吹きかけて倒れるコーゾ。駆け寄ったアニタは泣き叫ぶ。しばらくすると、キョトンとした顔で起き上がるコーゾ。一言“今何時?”と呟く。
 この戦乱の原因が小人のファシストだと知った2人は、軍隊の本部へ乗り込んでファシストを射殺。小人はぜんまい仕掛けだった。アニタは自由と独立を高らかに叫ぶ。2人はトンネルへと入っていき、地下のダンス・パーティに紛れ込む。裸になって狂ったように踊る男女。やがてトンネルを抜けると、そこは川だった。神父になったコーゾは信仰と引き換えにボートを手に入れ、2人は海へと旅立つ。だが、すぐにボートは沈没。近くの船に助けられた2人は、ヒッピーたちがたむろす丘の上へと上陸する。大勢の若い男女が愛を交わす草原を抜けると、そこには巨大な監獄が。中へ入ったアニタとコーゾは囚人たちを解放し、権力を打倒するために蜂起するのだった…。

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人気のない町では生首があちらこちらに

兵隊たちにレイプされたアニタ

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軍隊による市街戦が繰り広げられる

小人のファシストはぜんまい仕掛けだった

 当初イタリアでは上映禁止の憂き目にあい、製作から2年後にひっそりと劇場公開されたという本作。前作に引き続いてディノ・デ・ラウレンティスが資金を出したようだが、本編を見たラウレンティスが何を思ったのか興味津々。果たして怒り出したのか、それとも呆れたのか(笑)。とりあえず、一貫して反権力の精神をフィルムに焼き付けようとしたであろうことは想像できるものの、それが見る側に響いてくるかどうかというと大いに疑問だ。中盤のクレイジーでスラップスティックな市街戦シーンは、フィリップ・ド・ブロカの『まぼろしの市街戦』('67)にインスパイアされたようにも思えるが、どうも表層的に過ぎる。
 脚本を書いたのはブラス監督とフランコ・ロンゴ。撮影監督のシルヴァーノ・イポリッティなどスタッフの大半が前作と同じ顔触れだ。唯一違うのは、音楽を手掛けたフィオレンツォ・カルピ。カルピといえばルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』('60)や『私生活』('62)などの抒情的なスコアで知られる正統派の作曲家だが、ここでは珍しくサイケでパンキッシュなロック・サウンドを聴かせてくれている。

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トンネルへと足を踏み入れていく2人

裸の男女が狂ったように踊っていた

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アニタとコーゾは牢獄へとたどり着いた

2人は囚人を解放して叛乱を煽動する

 主演のティナ・オーモンは、フランス映画黄金期を代表する二枚目俳優ジャン=ピエール・オーモンとハリウッド女優マリア・モンテスを両親に持つサラブレッド女優。その血筋に恥じない美貌と才能を持った人で、イタリアのみならずヨーロッパ各国の映画で活躍した。しかし、その一方で非常に繊細かつエキセントリックな女性だったらしく、当時のサイケデリック・ムーブメントの世界にどっぷりと浸かり、マリファナやコカインにも手を出していたらしい。そうした彼女の性格やライフスタイルがキャリアの足かせとなり、結果的にトップスターとなることが出来なかった。ブラス監督はこの5年後に『サロン・キティ』でオーモンと再び組んでいるが、すっかり燃え尽きて抜け殻のようになってしまっていたという。
 一方、ヒロインと駆け落ちするクレイジーな若者コーゾを演じているのは、イタリアを代表する大物喜劇俳優ルイジ・プロイエッティ。日本で公開された主演作は『SEX発電』('75)くらいのものなので殆ど無名に等しいが、イタリアでは未だに主演映画が作られているほどの人気スターだ。
 そのほか、前作に引き続いて登板のニノ・セグリーニ、『サロン・キティ』から『ティント・ブラス 秘密』に至るまでブラス作品には欠かせないゴリマッチョな脇役俳優オシリデ・ペヴァレッロ、戦前から活躍するベテラン喜劇俳優ティノ・スコッティなどが顔を出している。

 

 

サロン・キティ
Salon Kitty (1975)
日本では1979年劇場公開
(初公開時タイトル『ナチ女秘密警察・セックス親衛隊』)
VHS・DVD共に日本発売済
(日本盤DVDと北米盤DVDは別仕様)

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(P)2003 Blue Underground (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤2枚組)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語・英語/字幕:英語/地域コード:ALL/
133分/製作:イタリア・西ドイツ・フランス

特典映像
インターナショナル版劇場予告編
アメリカ公開版劇場予告編
ティント・ブラス監督インタビュー
ケン・アダム インタビュー
ラジオ・スポット集
ポスター&スチル・ギャラリー
ケン・アダムの美術デザイン原画集
ジョスト・ジャコブの衣装デザイン原画集
ティント・ブラス監督バイオ
参考文献“The Story of Salon Kitty”全文(DVD-ROM収録)
監督:ティント・ブラス
製作:エルマンノ・ドナーティ
   ジュリオ・スバリジア
原作:ピーター・ノーデン
脚本:エンニオ・デ・コンチーニ
   マリア・ピア・フスコ
   ティント・ブラス
撮影:シルヴァーノ・イポリッティ
音楽:フィオレンツォ・カルピ
出演:ヘルムート・バーガー
   イングリッド・チューリン
   テレサ・アン・サヴォイ
   ジョン・スタイナー
   サラ・スペラーティ
   マリア・ミキ
   ローズマリー・リンド
   パオラ・セナトーレ
   ティナ・オーモン
   マリサ・ロンゴ
   アルド・ヴァレッティ
特別出演:ジョン・アイアランド
   ベキム・フェミュ
  
ステファーノ・サッタ・フローレス

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ナチズムがドイツ全土を覆い尽くしていた時代

ナチ親衛隊の将校バレンベルグ(H・バーガー)

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上官ビオンド(J・スタイナー)はバレンベルグにある任務を委ねる

全国から20人の若い女性が集められた

 言うなれば、ティント・ブラス版『地獄に堕ちた勇者ども』。当時のイタリア映画界は、リリアーナ・カヴァーニ監督の傑作『愛の嵐』('73)に触発されたナチ・ポルノが大量に作られ始めていた。本作はそうしたブームに便乗しつつ、ヒトラーの唱える国家社会主義に心酔していたナチ少女が、セックスと愛を通して人間性に目覚めていく過程を描くことで、反権力のアナーキーなメッセージを内包したユニークなエクスプロイテーション映画として仕上げられている。
 舞台は第二次世界大戦中のベルリン。ナチ親衛隊の野心的な将校バレンベルグは、市内で最も繁盛している娼館サロン・キティを差し押さえ、親衛隊によって訓練された売春婦たちを送り込む。その目的は顧客である政治家や軍幹部などの性癖を含めた個人情報を収集し、必要とあらば恐喝や買収などの工作に利用するためだ。その売春婦の中の1人が、ブルジョワ家庭出身の少女マルゲリータ。彼女は日和見主義で堕落したブルジョワ階級の大人たちに反発し、排他的で潔癖な国家社会主義の思想に傾倒していた。だが、彼女は客の一人である真面目な兵士ハンスと恋に落ち、やがて人間的な感情に目覚めていく。しかし、ハンスの反ナチ思想が軍上層部にバレテしまい、彼は無残にも処刑されてしまった。愛する人の復讐に燃えるマルゲリータは、同じくナチに反感を持つ娼館の女将マダム・キティと手を組み、宿敵バレンベルグを破滅させようと画策する。
 タイトルにもなっているサロン・キティとは、第二次世界大戦当時にベルリンで実在した高級娼館。本作のストーリーは史実を基に作られたフィクションだ。ブラス監督はこの高級娼館を舞台に展開するナチ親衛隊の恐るべき諜報作戦を通して権力の腐敗と堕落を描こうとしたそうだが、それよりもフェミニズムの芽生え、全体主義への反発、性の解放といった、極めて'70年代的なテーマを扱った作品のように思える。セックスに政治を持ち込まない、あらゆる性癖に優劣をつけない、そして権力の弾圧には屈しないという鉄火肌の女将マダム・キティの存在は本作の核心であり、その後もブラス作品にたびたび登場する“黄金のハートを持つ母親的
娼館マダム”の原型になったとも言えるだろう。
 また、ヒロインである少女マルゲリータというキャラクターにも興味深いものがある。彼女は感受性豊かで独立心旺盛であるがゆえに、享楽的で日和見的なブルジョワ階級の堕落と無責任に我慢がならず、一見するとストイックで理想主義的なナチズムに傾倒していく。だが、その極端なまでの理想主義はたちまち彼女を洗脳し、大義名分のためなら手段をいとわないモンスターへと変貌させてしまったのだ。そんな彼女が出会ったのは平凡で人間臭い兵士ハンス。戦線で自分たちドイツ軍の蛮行を目の当たりにしたハンスは反権力の意識に目覚め、そんな彼を愛することでマルゲリータもまた、半ば忘れかけていた人間らしい感情を取り戻していく。激動の時代に揉まれながらも自己を確立していく人間の強さと弱さの両方を象徴するキャラクターであり、繊細かつ素朴でありながら大胆で力強い女優テレサ・アン・サヴォイの演技が大変な説得力を発揮していると言えよう。
 さらに、本作は目を背けたくなるくらいにグロテスクな残酷描写、倫理コードすれすれのインモラルで変態的なセックス描写をこれでもかと盛り込むことで、人間という存在そのものの罪深さというものを赤裸々にえぐりだしていく。ブルジョワ階級の贅を尽くした豪勢なディナーを用意する厨房では、家畜の豚が生きたまま腹をかっ裂かれたり目玉をくり抜かれたりする傍らで、メイドやコックたちが下品で猥褻なジョークにゲラゲラと笑い声をあげている。ナチ親衛隊は全国から集めた思想的にも肉体的にも健全なアーリア系の若い娘たちを娼婦として教育するため、若い兵士たちと集団で乱交をさせた上に、身体障害者や老人などの“醜い”男たちともまぐわらせ、拒絶反応を起こした女たちは躊躇することなく欠陥品として処分される。人間とはなんと愚かで残酷な生き物なのか、権力や組織がいかに理不尽で非情なものなのか。まさにアナーキストとしてのティント・ブラス節炸裂といった按配だ。
 ただ、本作の最大の弱点は尺が長すぎるということ。なによりも残酷描写やセックス描写に必要以上の時間を費やしてしまったがために、全体として締まりのないダラダラとした印象が拭えなくなってしまった。また、権力と悪の象徴をバレンベルグという中間管理職的な野心家の将校に集約してしまい、なおかつ彼を失脚させることが復讐の目的となってしまったことから、反権力のインパクトそのものがいささか小ぢんまりとしてしまった。なんというか、結果的にとても“軽い”のである。題材やストーリーの持つポテンシャルを十分に生かし切れなかった感があるのは非常に残念だ。

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インモラルな親衛隊のセックス試験を受ける女性たち

バレンベルグはマルゲリータ(T・A・サヴォイ)に目をかける

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ベルリンで最も繁盛している高級娼館サロン・キティ

サロンを切り盛りするのは鉄火肌の女将マダム・キティ(I・チューリン)

 時は1939年、場所はドイツのベルリン。ナチ親衛隊の将校バレンベルグ(ヘルムート・バーガー)は、上官ビオンド(ジョン・スタイナー)の指示で全国から若い女性20名を集める。容姿に優れ、肉体的に健康で、ドイツ国民として健全な思想を持つアーリア系の白人、というのが必須条件。彼女たちは国家社会主義のために自我を捨てることが求められる。選ばれた女性の中には、まだうら若い少女マルゲリータ(テレサ・アン・サヴォイ)も含まれていた。
 マルゲリータは裕福なブルジョワ家庭に生まれ育ったお嬢様だったが、主義主張も持たず贅沢三昧の毎日を送る腐りきった大人たちに強い嫌悪感を抱き、高い理想を掲げるヒットラーの国家社会主義に心酔していた。国家の理想のためなら何でもできる。そう考えた彼女は自ら志願して選ばれたのだった。
 広大な体育館に集められた女性たちは次々と服を脱がされ、若く屈強な兵士たちとの集団セックスを命じられる。これはある任務のための試験だった。さらに、それぞれの女性たちは個別の部屋へ移動させられ、そこで身体障害者や小人、精神病患者、レズビアン、老人などに性の奉仕を強要される。相手が誰であろうと進んで肉体を捧げられる女性が求められていたのだ。バレンベルグはその中からマルゲリータの他に、ヘルガ(サラ・スペラーティ)やスーザン(ローズマリー・リンド)、マリカ(パオラ・セナトーレ)などの女性を選び、それ以外の不合格だった女性を処分させる。
 中でも、バレンベルグが特に目をかけたのは鋼の意志を持つマルゲリータだった。処女のごときあどけない美しさと、感情を一切表に出さない精神的な強さ、肉体をさらけ出すことに躊躇しない大胆さ。レズビアンの妻(ティナ・オーモン)を召使程度にしか扱っていないバレンベルグは、マルゲリータこそが共に権力を分かち合うに相応しい女性と直感し、自らの保護下に置こうと考えたのだ。
 次に、バレンベルグはベルリン市内で最も賑わっている高級娼館サロン・キティを配下に置こうとする。しかし、鼻っ柱の強いやり手の女将マダム・キティ(イングリッド・チューリン)は、たとえナチ親衛隊が相手でも容易に屈服するような女性ではない。そこでバレンベルグは権力を行使してサロン・キティを廃業に追い込んだ。さすがに困ったマダムはバレンベルグの要求を呑み、今いる多種多様な娼婦たちをお払い箱にし、代わりにバレンベルグの推奨する若い白人娼婦たちを揃えることでナチ親衛隊公認の高級娼館としてリニューアル・オープンすることとなる。そう、マルゲリータたちは娼婦となるべく試験を受けたのだ。
 そこにはナチ親衛隊の思惑があった。自ら訓練した娼婦たちをスパイとして送り込み、彼女たちが見聞きした顧客たちの個人情報をデータとして集めるのだ。サロン・キティの常連客には大物政治家や軍幹部も多い。彼らの性癖を含めた秘密情報を入手することで弱みを握り、必要に応じて政治的な交渉や脅迫の材料にしようというのが、親衛隊の目的だったのである。その事実はマダム・キティも知らされていなかった。
 そうした中、マルゲリータは客のハンス・レイテル(ベキム・フェミュ)という兵士と親しくなる。どこか暗い陰のあって、それでも紳士的で優しいハンスに親近感を抱くようになるマルゲリータ。ハンスは戦線から戻るたびに彼女のもとへ通うようになった。やがて、彼のことを本気で愛するようになるマルゲリータ。しかし、ハンスは戦場で罪もない民間人を虐殺するナチスの蛮行に心を痛め、ヒトラーに対する強い反感を抱いていた。その事実を知ってショックを受けるマルゲリータだったが、彼に対する深い愛情を否定することは出来ない。本来ならハンスのそうした言動を報告すべきだったが、彼女はウソの報告書を作成してバレンベルグに提出するのだった。
 ところが、彼女のウソはすぐにバレてしまう。というのも、猜疑心の強いバレンベルグは報告書の裏を取るため、娼婦たちにも秘密で娼館内部のあちこちに盗聴器を仕掛けていたのである。バレンベルグはマルゲリータの感情的な弱さを非難し、国家社会主義者として襟を正すべく叱咤激励する。だが、ナチズムのほころびは他でも表面化しつつあった。模範的な国家社会主義者を自負するスーザンは、娼婦という職業とのギャップに耐えられず狂死する。想定していなかった妊娠をしてしまう娘もいた。全てを国家の完璧な管理下に置くことなど到底無理な話なのだ。
 そんなある日、マルゲリータは客の兵士からハンスが反逆罪で処刑されたことを聞かされる。ハンスのことを口汚く罵る兵士を、彼女は気が付くと射殺してしていた。銃声を聞いて駆け付けたマダム・キティは現場に手を加え、兵士の自殺として虚偽の報告をする。マルゲリータはほとぼりが冷めるまで実家へ戻ることとなった。
 それからしばらく経ち、マルゲリータの実家へマダム・キティがやって来る。そこで初めて、マダムは娼館が親衛隊のスパイ活動に利用されていることを知らされた。一方のマルゲリータもまた、マダムが親衛隊のシンパでないことを初めて知る。共に怒りと復讐に燃える女性たち。2人は共通の敵であるバレンベルグを失脚させるべく、娼館の常連客であるアメリカ人クリフ(ジョン・アイアランド)、イタリア人ディーノ(ステファーノ・サッタ・フローレス)の協力を得て、決死の行動に出るのだった…。

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サロンを配下に置こうとするバレンベルグを拒絶するマダム

結局はバレンベルグに力を貸さざるを得なくなる

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マダム・キティに娼婦としての教育を受けるマルゲリータ

リニューアルしたサロン・キティは以前の活気を取り戻すのだが…

 原作は実在のサロン・キティを研究したピーター・ノーデンのノンフィクション。それをヒントに、アントニオーニの『さすらい』('57)やジェルミの『イタリア式離婚狂想曲』('61)などで有名なエンニオ・デ・コンチーニと、そのパートナーであるマリア・ピア・フスコ、そしてブラス監督の3人が脚本を書き上げた。
 撮影監督はお馴染みの盟友シルヴァーノ・イポリッティ。また、ハリウッド黄金期の有名な衣装デザイナー、エイドリアンのスタイルを模したゴージャスなドレスの数々を、本作を皮切りにブラス組に加わったジョスト・ジャコブがデザインしている。さらに、表現主義アートを意識したエレガントでシックなセット美術のデザインを、007シリーズやキューブリック作品で有名なオスカー受賞者ケン・アダムが手掛けていることにも注目したい。
 当時のアダムは、キューブリックの『バリー・リンドン』('75)の仕事を終えたばかり。徹底的な完璧主義者であるキューブリックに振り回された彼は、精神的にも肉体的にも疲労困憊状態だったという。そんなところへ話の舞い込んだ本作。時代考証さえしっかりしていれば、あとは全て自由にしていいという好条件に飛びついた。しかも、戦前のベルリンに生まれ育った彼にとっては格好の題材。バレンベルグの自宅は、彼が幼少期を過ごした家をモデルにしてデザインされている。懐かしい思い出を甦らせながらの仕事は、アダムにとって精神的なリカバリー効果もあったらしく、彼は本作での仕事に今も強い思い入れを持っているそうだ。
 ちなみに、ブラスが美術セットのデザインで唯一強くこだわったのは“鏡”。本作ではセットのあちらこちらで鏡が活用されており、中には複数の鏡を張り巡らした巨大な多面鏡や鏡で覆われたバスルームなども。当然のことながら撮影は非常に困難だったが、一方で独特のファンタジックでスタイリッシュな効果を発揮しており、これ以降のブラス作品では“鏡”がビジュアル的に重要な鍵となっていく。
 また、ノスタルジックでジャジーな音楽スコアをフィオレンツォ・カルピが担当。オーケストラ・アレンジにブルーノ・ニコライが参加しているほか、イングリッド・チューリン扮するマダム・キティの歌声を往年のジャズ歌手アニー・ロスが吹き替えている。
 なお、当時日本でも劇場公開された英語バージョンでは、身体障害者とのセックス・シーンやレズビアンのSMシーンなど、主にアメリカの観客にとって受け入れ難いと思われるようなシーンが大幅にカットされている。

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サロンでは政治家や軍関係者の秘め事が繰り広げられる

親衛隊はその全てを把握して個人情報を得ていた

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素朴で優しい兵士ハンス(B・フェミュ)に惹かれるマルゲリータ

ハンスはナチズムに強い疑問を抱いていた

 さてさて、冒頭で本作のことをブラス版『地獄に堕ちた勇者ども』と形容したが、その理由は主演コンビのキャスティングにもある。バレンベルグ役のヘルムート・バーガーとマダム・キティ役のイングリッド・チューリンだ。ヴィスコンティ映画の美青年として名高いバーガーは、本作では局部を露出した全裸ヌードにも挑みつつ、権力への欲望に取り憑かれたナチ将校の狂った変態ぶりを大熱演。ブラス監督によると、実生活のバーガーも演じる役柄に負けず劣らずのエキセントリックな人物だったらしい。
 一方、『地獄に堕ちた勇者ども』ではバーガーの母親役で、退廃的な近親相姦シーンも演じていたスウェーデンを代表するインテリ派の大女優チューリン。本作ではその気迫溢れる反骨精神で娼館を切り盛りするマダム役を、やり過ぎ一歩手前の意図的に大仰な演技で大熱演しており、ある種の怪物的な存在感すら醸し出している。メイクもほとんど滑稽と言っていいくらいに大袈裟。夜の世界の魑魅魍魎を体現したかのような生々しさが迫力満点だ。
 そんなマダム・キティと対照的なのが、実質的なヒロインといっていいマルゲリータ役のテレサ・アン・サヴォイ。名匠アルベルト・ラットゥアーダに見出されて女優デビューした彼女は、当初ブラス監督にオーディションで落とされたものの、しつこく食い下がってこの役を得たのだという。それだけに、ヌード・シーンの堂々たる立ち振る舞いなどを見ても相当に気合が入っていることが分かる。淑女のような清らさかと娼婦の妖しさ、乙女のか弱さと悪女の逞しさを兼ね備えた存在感は素顔に凄い。ブラス監督も彼女の意志の強さと度胸にはいたく感服したらしく、次回作の『カリギュラ』でも降板したマリア・シュナイダーの代わりとしてカリギュラの妹役に再度抜擢している。数多くの女優と仕事をしてきたブラスだが、同じ女優を主演クラスで2度起用したのは、ヴァネッサ・レッドグレーヴとセレナ・グランディ、そしてこのテレサ・アン・サヴォイくらいのものだ。
 脇役陣の中で特に異彩を放っているのは、バレンベルグの上司ビオンド役を演じるイギリス人俳優ジョン・スタイナー。一種独特の貴族的なセックス・アピールを持った俳優で、本作のように冷徹な軍人役なんか実によくハマる。イタリア産B級娯楽映画ではお馴染みの人だが、そういえば『悪魔のホロコースト』('76)でもナチ将校役を演じていた。
 そのほか、『赤い河』('48)などで有名なハリウッドの西部劇俳優ジョン・アイアランド、『あんなに愛しあったのに』('74)などの名優ステファーノ・サッタ・フローレス、名作『冒険者』('70)などでハリウッドでも注目された旧ユーゴスラヴィアの名優ベキム・フェミュがゲスト出演。アイアランドの演じたアメリカ人クリフ役にはもともとリチャード・クレンナがキャスティングされていたそうだが、撮影開始と同時に降りてしまったのだそうだ。
 また、マルゲリータの同僚である若い娼婦たちには、サラ・スペラーティやローズマリー・リンド、パオラ・セナトーレ、マリサ・ロンゴといった'70年代ユーロ・ソフトポルノに欠かせないセクシー女優が勢ぞろい。さらに、ロッセリーニの名作『無防備都市』('45)や『戦火のかなた』('46)で有名な名女優マリア・ミキがマダム・キティの右腕である老女ヒルダ役を、ブラス監督の“L'urlo”に主演したティナ・オーモンがバレンベルグ夫人役を、そしてパゾリーニの『ソドムの市』('75)で強烈な印象を残した寄り目の怪優アルド・ヴァレンティが娼館の顧客役を演じている。

 

 

スナックバー・ブダペスト
Snack Bar Budapest
日本では1990年劇場公開
VHS・DVD共に日本発売済

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(P)2006 Arrow Films (UK)
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(イギリスPAL盤)
カラー/ワイドスクリーン(レターボックス収録)/モノラル/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/
103分/製作:イタリア

特典映像
なし
監督:ティント・ブラス
製作:ジョヴァンニ・ベルトルッチ
   ガリアーノ・フソ
脚本:ティント・ブラス
撮影:アレッシオ・ジェルシーニ
音楽:ズッケーロ
出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ
   フィリップ・レオタール
   フランソワ・ネグレ
   ラファエラ・バラッキ
   シルヴィー・オルシエ
   ジョルジオ・ティラバッシ
   ジュディッタ・デル・ベロッキオ
   ヴァレンティーヌ・デミ
   ルチア―ナ・チレネイ
   マリサ・ロンゴ

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季節外れの海辺の町へバスが到着する

マフィアの取り立て屋アヴォカート(G・ジャンニーニ)

ボスの愛人ミレーナ(R・バラッキ)

宿屋スナックバー・ブダペストに部屋を取る

 '80年代のティント・ブラスは、『鍵』や『ミランダ/悪魔の香り』などの優れた文芸ポルノに本領を発揮していた。そんな彼が突如としてフィルム・ノワール・タッチのエロティック・サスペンスに路線を変更し、結果として興行的な惨敗を喫してしまったのが、この『スナックバー・ブダペスト』という作品。“評判が悪かったというよりも、主演が男性だからという理由で誰も見に行かなかったんだ”とはブラス監督の言葉だが、確かに当時のティント・ブラス作品と言えばグラマラスな巨乳・巨尻女優がメインを飾るというのが定番。いくらイタリアを代表する名優ジャンカルロ・ジャンニーニとはいえ、男性が主演ということであればブラス作品のファンにそっぽを向かれてしまうのも無理はないかもしれない。
 しかしその代わりと言ってはなんだが、オッパイやお尻を露わにした自由奔放でクレイジーな娼婦たちが大挙して登場する賑やかで下世話な世界観はブラスならではといった感じだし、なによりも様式美的な傾向を強めたノワーリッシュでフェティッシュな映像スタイルは非常に洗練されていて面白い。
 ただ、惜しむらくはスタイルに傾倒するあまりストーリーやキャラクター造形が中途半端になってしまったこと。主人公は元弁護士で今はマフィアの取り立て屋をしている中年男アヴォカート。季節外れの海辺の町へやって来た彼は、地元を牛耳る若きボス、モレコーラに気に入られる。まだ少年のように幼く、短絡的かつ凶暴なモレコーラに内心戸惑いつつも、アヴォカートは長いものに巻かれろとばかりに彼の配下に収まった。そんな彼が命じられたのは、地元のホテル“スナックバー・ブダペスト”の買収。オーナー一家を脅迫して追い出すだけの簡単な仕事だった。ところが、偶然にもそのオーナー夫婦はかつて自分が裁判で助けた相手。僅かに残っていた倫理観を甦らせたアヴォカートは、一家を救うためにモレコーラ率いる売春婦軍団と壮絶な銃撃戦を繰り広げることとなる。
 ブラス流のノワール風ファンタジーと言えるのかもしれないが、主人公アヴォカートを含めた登場人物たちの設定があまりにも貧弱でとりとめがなく、見てくれはお洒落だが中身はからっぽという印象が濃厚。その空虚感が一つの個性と言われればそうなのかもしれないが、どうも見終わった後の食い足りなさは否めない。
 それでも、セクシーな衣装に身をまとって機関銃やピストルを手に持った売春婦たちが、まるで前衛ダンスのごとき動作でホテルを襲撃するシーンなどはシュールリアルなカッコ良さ。イタリアの人気アーティスト、ズッケーロの手掛けたジャジーなスコアに、ノスタルジーと近未来をハイブリッドさせた人工的なノワールの世界が見事にハマっている。確かに欠点は多いかもしれないが、個人的には『鍵』や『ミランダ/悪魔の香り』よりも好きな作品だ。

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地元マフィアのアジトを訪れたアヴォカート

少年のようにあどけないモレコーラ(F・ネグレ)

売春婦たちがパーティを盛り上げる

機嫌を損ねたモレコーラに手を焼く

 観光客もほとんどいない季節外れの海辺の町。一台のバスから二人連れの男女が降り立つ。男は元弁護士で今やマフィアの取り立て屋に成り下がったアヴォカート(ジャンカルロ・ジャンニーニ)、女はマフィアの愛人ミレーナ(ラファエラ・バラッキ)。ミレーナは愛人の子供を宿しており、人知れず中絶をするために町の病院を訪れたのだった。情緒不安定でわがままなミレーナは入院を嫌がるものの、アヴォカートはそんな彼女を懸命になだめる。彼はミレーナにぞっこんだった。すると、ミレーナと同じ病室の女がアヴォカートに声をかける。姉のところへ行ってネグリジェを取ってきて欲しいと。この病院は夜が寒いのだ。
 アヴォカートはスナックバー・ブダペストというバー兼宿屋に部屋を取っていた。閑散とした店を案内するのは、オーナーの娘とおぼしき少女(ジュディッタ・デル・ベロッキオ)。ボスにミレーナの入院を報告すると、今度は地元の若いボス、モレコーラ(フランソワ・ネグレ)のもとへ行き、上納金を徴収してくるように命令される。教えられたアジトへ向かうと、彼の前に現れたモレコーラはまだあどけなさを残した少年だった。モレコーラは判事を殴って弁護士資格をはく奪されたアヴォカートのことをいたく気に入り、自分のもとでアドバイザーとして働かないかと持ちかける。彼の子分たちもみんな子供みたいな若者。裏社会を知り尽くしたアヴォカートにとってみれば、いとも簡単に手なづけられる連中だ。しかも、彼の周囲には若くてピチピチした売春婦たちが大勢いる。なかなか美味しい
話のようにも思えた。
 モレコーラの一味はみんな若いだけあって、遊び方もクレイジーで破天荒だった。まだまだ人間的に未熟なだけあって、モレコーラは思慮が浅くて短気。そのあどけない顔立ちとは裏腹に、いつ暴走するか知れない狂気をはらんだ凶暴な男だった。彼は地元のあらゆる観光施設を買収して、町全体をセックスと暴力に溢れた巨大なテーマパークにしようと考えている。そのキレっぷりに、アヴォカートは一抹の不安を覚える。
 とりあえず、いったん彼らと別れたアヴォカートは、カーラ(シルヴィー・オルシエ)という娼婦のもとを訪れた。ミレーナと同室の女の姉だ。しかし、とりあえず客としてセックスをしたはいいものの、肝心のネグリジェを預かってくるこを忘れてしまった。仕方がないので、彼は閉店直前のランジェリー・ショップでネグリジェを購入し、ミレーナの様子を確認するついでに同室の女へ届けた。
 その晩、町の英雄である国際的なマラソン・ランナー、ファッフォの凱旋帰国を祝して、親友であるモレコーラが華やかなパーティを主催した。しかし、肝心のファッフォは飛行機の到着が遅れているのか、なかなか会場に現れない。賑やかしの娼婦たちにコカインを与えて盛り上げるアヴォカートだったが、モレコーラの苛立ちと不機嫌は抑えようがなかった。そこへ、アヴォカートの相棒サポー(フィリップ・レオタール)が現れた。モレコーラは2人に仕事を指示する。以前から買収しようと狙っているものの、なかなか立ち退きに応じないスナックバー・ブダペストのオーナー一家を追い払えというのだ。
 相棒のサポー、そしてモレコーラの子分パペーラ(ジョルジオ・ティラバッシ)を引き連れてスナックバー・ブダペストへ向かったアヴォカート。拳銃を突きつけて立ち退きを迫る彼だったが、オーナー夫婦の顔を見て思わずたじろぐ。それは、まだ弁護士だった時代に、裁判で彼が助けた不法移民のハンガリー人夫婦だったのだ。ついつい躊躇するアヴォカートを尻目に、勢いづいてオーナー夫人に激しい暴行を加えるパペーラ。見るに耐えかねたアヴォカートは、手に持ったアイロンでパペーラをなぐり殺してしまう。仕方なく、アヴォカートとサポーは彼の死体を浜辺に埋めてきた。
 さて、これからどうすればいいのか?少なくとも、オーナー一家はよそへ移らないと危険だ。そんな話をしていると、ホテルの前の駐車場に怪しげな動きがあった。車の影に身を隠しながら、徐々に徐々に近づいてくる娼婦たちの影。すると、彼女たちは手に持った機関銃やピストルでホテルに次々と攻撃を仕掛けてくる。慌てて物陰に隠れ、必死になって応戦するアヴォカートとサポー。モレコーラ一味にパペーラ殺しがバレたのだ。多勢に無勢。果たして、アヴォカートたちはこの絶体絶命の危機をどうやって切り抜けるのか…?

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スナックバー・ブダペストの買収工作を命じられる

相棒サポー(P・レオタール)も駆けつけた

恐喝まがいでオーナー一家に立ち退きを迫る

暴走したチンピラ、パペーラをなぐり殺してしまった

 クレジットされないケースも含め、基本的に原作ものの多いブラス監督にとって、本作は珍しく自ら書き下ろしたオリジナル・ストーリー。監督としては“何かそれまでとは違うことをやりたかった”という思いがあったようだが、それをファンに受け入れてもらえなかったのはとても残念だった。本人も、この作品は観客から“大きな誤解を受けてしまった”と感じているようだ。
 製作を手掛けたのは、『鍵』以来ブラス監督とはたびたび組んでいるジョヴァンニ・ベルトルッチ(ベルナルド・ベルトルッチ監督の従兄弟)と、アクション映画から芸術映画まで幅広い作品を生み出してきた敏腕プロデューサー、ガリアーノ・フソ。また、本作では『危険な恋人』以来ずっとブラス作品の撮影監督を担当してきたシルヴァーノ・イポリッティと初めて別れ、『青春の形見』('87)や『殺意のサンマルコ駅』('90)など当時新世代の作家映画を数多く手掛けていたカメラマン、アレッシオ・ジェルシーニが撮影を任されている。イポリッティは当時バド・スペンサー主演のテレビ・ムービー・シリーズにかかりっきりだったため、もしかすると本作へ関わることが物理的に難しかったのかもしれない。
 さらに、ノスタルジックなフィルム・ノワール的世界観を'80年代MTV風の人工美でアレンジしたセット美術デザインを、『鍵』や『ミランダ/悪魔の香り』でも組んだパオロ・ビアゲッティが担当。娼婦たちのカラフルでエキセントリックなドレスは、ブラス作品に欠かせない衣装デザイナー、ジョスト・ジャコブがデザインしている。
 そして、本編中でたびたび使用されるテーマ曲を手掛けたのは、グラミー賞にもノミネートされたことのあるイタリアの大御所ロック・アーティスト、ズッケーロ。ブルージーなメロディがそこはかとない悲哀を醸し出しており、ノワーリッシュな作品世界を渋いムードで盛り上げている。

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売春婦軍団が一斉に襲撃してくる

応戦するアヴォカートとサポー

まるでオモチャのように拳銃を振り回す娼婦

モレコーラはアヴォカートの裏切りに気付いていた

 主演はご存知、イタリアを代表する世界的な名優ジャンカルロ・ジャンニーニ。最近では007シリーズのフランス人スパイ、マティス役でもお馴染みだろう。年齢を重ねるごとにいぶし銀の色気を発散している素晴らしい役者だ。本作でもアヴォカートという役柄自体に描き込み方が足りないという印象は拭えないものの、ジャンニーニはそこに立っているだけで十分。しっかりと画になっているのが凄い。
 そのアヴォカートの相棒サポー役として、なんとなくお人好しな二枚目半の渋いオヤジぶりを見せてくれるのが、『愛しきは、女/ラ・バランス』('83)や『タンゴ ガルデルの亡命』('85)、『スール/その先は…愛』('88)など一時期はアートハウス系フランス映画に引っ張りだこだった名優フィリップ・レオタール。また、『かごの中の子供たち』('88)や『白い婚礼』('89)とジャン=クロード・ブリソー監督作品で強い印象を残すフランソワ・ネグレが、少女のような美しい顔立ちと裏腹に野獣のような狂気を孕んだ危険なマフィア・ボス、モレコーラ役を演じて異彩を放っている。
 そのほか、『グレート・バーバリアン』('87)にも出ていたブリジット・ニールセン風のサイボーグ系美女ラファエラ・バラッキ、日本公開作はないものの当時フランス映画界で売れっ子だった女優シルヴィー・オルシエ、クロード・シャブロルの『クリシーの静かな日々』('90)でも独特のロリータな個性が印象的だったイタリア人女優ジュディッタ・デル・ベロッキオなどの女優が脇を固めている。また、当時『女は娼婦』('88)や『背徳の火遊び』('88)などのB級ソフト・ポルノに数多く主演していたヴァレンティーヌ・デミが、その他大勢の売春婦の一人として顔を出していた。

 

 

パプリカ
Paprika (1991)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本発売済

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(P)2003 クリエイティブアクザ (Japan)
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(日本盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語/字幕:日本語/地域コード:2/117分/製作:イタリア

特典映像
なし
監督:ティント・ブラス
製作:アウグスト・カミニート
原作:ジョン・クリ―ランド
脚本:ティント・ブラス
   ベルナルディーノ・ザッポーニ
撮影:シルヴァーノ・イポリッティ
音楽:リズ・オルトラーニ
出演:デボラ・カプリオリオ
   ステファン・フェラーラ
   マルティーヌ・ブロシャール
   ステファン・ボネ
   ロッサナ・ガヴィネル
   レンツォ・リナルディ
   ニナ・ソルダーノ
   クララ・アルグランティ
   ルチア―ナ・チレネイ
   ジョン・スタイナー
   ヴァレンティーヌ・デミ
   リカルド・ガローネ
   ポール・ミュラー
   オシリデ・ペパヴァレッロ

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娼館へと足を踏み入れた少女パプリカ(D・カプリオリオ)

パプリカを教育するマダム・コレット(M・ブロシャール)

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最初の客フランコ(S・ボネ)を相手に本気でイッてしまうパプリカ

マダム・コレットは性の奥義と悦びをパプリカに教える

 恐らく、ティント・ブラスの文芸ポルノとしてはこれが最高傑作なのではないだろうか。前作『スナックバー・ブダペスト』では独自のビジュアル・スタイルにひとつの完成形を示したブラス監督だったが、その一方でハードボイルドの表層をなぞっただけの内容には不満が残ることも否めなかった。その点、十八番の文芸ポルノ路線へと軌道修正した本作では、前作で披露した温故知新的な様式美を踏襲しつつ、ブラス監督ならではの大らかなセックス讃歌と女性賛歌のメッセージを明確に打ち出し、実に小気味が良くて痛快な官能的人情ドラマに仕上げられている。
 主人公は好奇心旺盛で楽天的な少女ミンマ。ヤクザな恋人にそそのかされて娼婦となった彼女は、パプリカという源氏名でマダム・コレットの娼館に雇われる。そのあどけない顔立ちとグラマラスな肉体、特に男性の目を惹きつける豊満なお尻の魅力でたちまち売れっ子となった彼女。持ち前の明るさとモラルに縛られない自由奔放さを兼ね備えた彼女にとって、娼婦はまさに天職だった。とはいえ、まだまだ世間知らずな小娘であることには変わりなく、他人を信じやすい性格が災いして様々な困難に見舞われることに。そのたびに仲間の娼婦や心強いマダムたちに助けられ、やがて彼女は娼婦として、そして女性としての自我と誇りに目覚めていくこととなる。
 原作はジョン・クリーランドの古典的官能ロマン小説「ファニー・ヒル」。舞台は'50年代のイタリアに変えられているし、登場人物の名前も全て変更されており、諸々の事情から原作のクレジットもなされていないものの、数あるそのほかの映画版「ファニー・ヒル」と比べてもかなり原作に忠実な作品となっている。
 本作で描かれる'50年代半ばのイタリアというのは、通称“メルリン法”と呼ばれる売春禁止法が施行される直前の時代。社会的地位も教養も金もある男たちが束の間の秘め事を楽しみ、性の才能と肉体に恵まれた美しき女たちが彼らの夢と願望を叶える。成人する若者が娼館で筆おろしをされるのが大人への通過儀礼でもあった。そんな、セックスがある種の文化であった時代を懐かしみながら、そこで繰り広げられる様々な人生模様を通じて、人間という存在の面白さとおかしさ、素晴らしさ、愚かさ、哀しさをユーモラスに描いていくのだ。
 その一方で、売春という裏稼業の現実にもきちんと焦点が当てられている。世間からは白い目で見られ、時にはその人間性すら否定される娼婦という仕事。その弱さにつけ込んだ男たちから搾取・利用されることだって少なくない。だからこそ、娼婦たちはお互いに特別な友情と絆で結ばれ、人生経験を積んだマダムたちは時に厳しく、そして時に優しく接しながら娘のような彼女たちを世間の荒波から守るために体を張る。もちろん、それは多分に美化された“現実”ではあるのだが、本作の場合はヒロインの中に芽生える力強い自我とフェミニズムを描くためのメタファーとして十分な効果を発揮しており、“女はプッシーに誇りを持って生きなければ”というパプリカが文字通りプッシーひとつで成り上がるクライマックスに至っては、ほとんど感動的とすら言ってもいいような映画的カタルシスを作品に与えている。
 “人生は短いけどプッシーは永遠よ”。そんな冗談としか思えないパプリカのフェミニズム宣言こそ本作の最も重要なテーマであり、ブラス監督にとっては“本気”以外の何ものでもない極めて真面目なメッセージなのであろう。

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パプリカは恋人ニーノに裏切られていたことを知る

1人の女としてフランコに抱かれるパプリカだったが…

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娼婦たちは不思議な連帯感で結ばれている

親友ジーナ(R・ガヴィネル)とは心も体も許し合う仲

 時は1950年代半ば。まだあどけなさを残した少女ミンマ(デボラ・カプリオリオ)は、マダム・コレット(マルティーヌ・ブロシャール)が経営する人気娼館の門を叩いた。恋人ニーノ(ルイジ・ラエッザ)と結婚を約束している彼女は、稼ぎの少ない彼のために生活資金を稼ぐつもりで娼婦になろうというのだ。あくまでも2週間だけ、という期間限定の条件付きで。しかし、パプリカという源氏名を与えられた彼女の健康診断を行った医師は、彼女が恋人にそそのかされているであろうことを薄々感じつつ、こう呟くのだった。一度入ったら抜け出られなくなる世界だ、引き返すなら今のうちだよ、と。
 その若さと美貌、豊満な肉体で、たちまちナンバー・ワンの売れっ子となったパプリカ。初めての客フランコ(ステファン・ボネ)とのセックスではついつい本気でイッてしまうという失敗を犯すものの、楽天的で明るい性格の彼女は周囲から愛され、厳しくも優しいマダム・コレットや賑やかで人情味のある同僚たちからプロとしての心得や娼婦という生き方について学んでいく。
 最高で一日に39人もの客をこなし、“もうペニスなんか見たくない”と弱音を吐くほどクタクタに疲れてしまったパプリカ。そんな彼女を親友のジーナ(ロッサナ・ガヴィネル)が優しく癒す。昼間の汚れと疲れを洗い流すのにはレズビアンが一番だと。また、マダム・コレットは巨大なペニスバンドを使ってパプリカを絶頂へと導き、セックスの奥深さと素晴らしさを身をもって教えるのだった。
 やがて、約束の2週間が近づいてきた。最初の客でもあるフランコの優しさに惹かれはじめたパプリカだが、やはり自分は愛する人ニーノと結婚したい。ところが、ニーノには他にも女がいたばかりか、そもそもパプリカと結婚するつもりなどなかったことが分かる。多額の紹介料に味をしめた彼は、今度はヒモとして彼女の稼ぎから6割をピンハネしようというのだ。深く傷ついた彼女を慰めるフランコ。その晩、彼の自宅へと招かれたパプリカは、娼婦ではなく1人の女として彼に抱かれる。しかし、セックスの最中に“結婚しよう”と呟く彼の言葉を聞いて、パプリカは現実に引き戻された。もう結婚なんて言葉には騙されない。私に会いたければ、これからは店に来なさい。私は娼婦なんだから。
 それからほどなくして、パプリカは汽車でローマへと向かっていた。娼館での生活は充実して楽しかったが、ニーノに付きまとわれることにはウンザリだった。そこで、彼女は娼婦の仕事から足を洗い、ローマにコネのある親友ジーナの紹介でナイトクラブのホステスになろうと考えたのだ。そのローマ行きの汽車で、彼女はロッコ(ステファン・フェラーラ)というヤクザに再会する。彼は娼婦仲間フルフルのヒモで、女への暴力も厭わない根っからのワルだった。俺と組んでひと稼ぎしようぜ、と近寄ってくるロッコを初めは無視していたパプリカだが、ほとんどレイプ同然の状態で激しく肉体を攻められ、ついその男らしさと強さにほだされてしまう。
 しかし、ロッコは抜け目のない男だった。裏の人脈を使ってローマ中のナイトクラブにパプリカを雇わないよう手を回し、彼女を再び売春婦にしてヒモになろうと目論んでいたのだ。そうとは知らないパプリカは彼に指示されるがまま、裏社会の実力者ミルヴィオ(ポール・ミュラー)の面接を受け、マダム・オリンピア(ルチア―ナ・チレネイ)の高級娼館を紹介される。
 元オリンピック代表選手のマダム・オリンピアは大らかで逞しい女性で、稼ぎの半分をロッコに搾り取られてしまうものの、設備の整った店は働きやすい場所
だった。そんなある日、客の老人の顔を見てパプリカは激しく動揺する。それは彼女の伯父(リカルド・ガローネ)だったのだ。小さい頃から可愛がってきたはずの姪っ子を凌辱した上に、親戚への口止め料としてたびたび小遣いをせびるようになる伯父。思い悩んだパプリカは、ロッコに頼んで伯父との縁を切る。
 その一方で楽しい出来事もあった。娼館に出入りすることなどまずない大貴族ブランドン王子(ジョン・スタイナー)からご指名がかかり、ブランドン家の城へと招待されたのだ。親しい同僚ベバ(ヴァレンティーヌ・デミ)と一緒に城へと向かったパプリカ。侯爵夫人がメイドの格好をして、パプリカとベバのために食事の給仕をするだけでなく、もぐり込んだテーブルの下からも性の奉仕するという奇妙なディナー。さらに、放尿マニアの王子はパプリカのゴールデン・シャワーを浴びて歓喜の声を上げる。終わった後はパプリカたちに目もくれない気取った連中だったが、そんな彼らの滑稽な生態を目の当たりにした2人は思わず笑い転げるのだった。
 ところが、それからしばらくしてベバが急死してしまった。どうやら、城で勧められたドラッグが体に合わなかったようだった。その悲惨な最期を目の当たりにしたパプリカは、このまま娼婦を続けていいものか迷う。さらに、気を付けてきたつもりの妊娠も発覚した。マダム・オリンピアの紹介で中絶したものの、今の生活への不安と疑問はより強くなる。そんな折に、船乗りとして世界を巡るフランコから絵葉書が届いた。パプリカは娼婦から足を洗うことを決める。ヒモのロッコが最大の問題だったが、マダム・オリンピアが警察内部の知人に手をまわして彼を逮捕させてくれた。
 仕事を辞めてフランスのマルセイユで休暇を楽しんでいたパプリカは、偶然にもフランコと再会する。忘れかけていた思いが一気に蘇えり、狂おしいまでの愛を交わす2人。ところが、船乗りとして独り立ちを目指すフランコは自分の船を欲しがっており、パプリカはつい情にほだされて彼のために船を買ってあげてしまう。しかし、違法に販売されていた船は警察に取り上げられ、金の切れ目は縁の切れ目とばかりにフランコも蒸発してしまった。
 一文無しになったパプリカは仕方なくイタリアへ戻り、汚い場末の売春宿で働くことになる。かつての親友ジーナが一緒だということだけが救いだった。周りを見渡せば、夢も希望も失った中年娼婦ばかり。自分もいつかはああなってしまうのか。思わず挫折しそうになったパプリカだったが、こんなところで埋もれるわけにはいかない。怒りと不満をエネルギーに変えた彼女は一路ミラノへと向かい、マダム・アンジェリーナ(クララ・アルグランティ)の経営する高級娼館スペッキでもう一花咲かせようとする。そして、そこで彼女は昔気質の正直で豪快な初老貴族バスチアーノ伯爵(レンツォ・リナルディ)と運命的な出会いを果たすのだった…。

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札付きのワル、ロッコ(S・フェラーラ)がパプリカに近づく

裏社会の大物ミルヴィオ(P・ミュラー)がアップリカの仕事を斡旋

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マダム・オリンピア(L・チレネイ)の娼館で働くことになる

姪であるパプリカを食い物にしようとする伯父(R・ガローネ)

 これまでに幾度となく映画化されてきた「ファニー・ヒル」を脚色したのは、ブラス監督自身とベルナルディーノ・ザッポーニ。『世にも怪奇な物語』('67)や『サテリコン』('69)から『女の都』('80)へと至る一連のフェリーニ作品や、ダリオ・アルジェントの傑作『サスペリアPART2』('75)などで知られる大御所脚本家ザッポーニの協力は本作の重要な要だ。女性の強さと逞しさ、人間の面白さや人生の悲哀を全篇に散りばめた奥行きのある脚本の見事な出来栄えは、やはりザッポーニの力によるところが大きいのではないだろうか。
 製作はフルチの『マーダロック』('85)やクラウス・キンスキーの『パガニーニ』('89)を手掛けたアウグスト・カミニートが担当。また、前作では不在だった盟友シルヴァーノ・イポリッティが撮影監督へと復帰し、同じく常連組のジョスト・ジャコブが衣装デザインを、そして前作に引き続いてパオロ・ビアゲッティが美術デザインを手掛けている。
 シャンソン・スタイルのノスタルジックで甘美な音楽スコアを担当したのは、『世界残酷物語』でアカデミー賞を獲得したイタリアを代表するマエストロ、リズ・オルトラーニ。そこはかとなくペーソスの溢れているところが実に心憎い。彼にとって、これは'90年代におけるベスト・ワークの一つと言っても間違いではないだろう。

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仲間のベバ(V・デミ)と共に城へ招かれたパプリカ

ブランドン王子(J・スタイナー)は放尿マニアだった

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ベバの様態が急変して危篤状態に陥る

娼婦を続けるべきか思い悩むパプリカだったが…

 主人公パプリカを演じているのは、一時期親子ほどの年齢差のあるクラウス・キンスキーと婚約していた女優デボラ・カプリオリオ。キンスキーが監督した『パガニーニ』やランベルト・バーヴァの『デモンズ5』('89)ではデボラ・キンスキーを名乗っていた。決して演技の上手い女優ではないものの、まるでパプリカそのもののような天真爛漫さが全身からあふれ出ており、まさしく一世一代の当たり役といった感じ。ブラス監督も、特に役者としての訓練を積んだわけでもない彼女の活き活きとした自然な演技に驚かされたそうだ。
 そのパプリカを食い物にするヒモのロッコ役には、フランス映画『わが美しき愛と哀しみ』('87)で注目された元プロボクサーの伊達男俳優ステファン・フェラーラ。また、当時イギリスやアメリカの映画やテレビでも活躍していたフランス人俳優ステファン・ボネが、誠実なようでいて結局はパプリカを裏切ることになる男フランコ役を演じている。
 また、本作はパプリカが渡り歩く娼館で彼女の母親代わりとなるマダムたちの存在にも注目したい。中でも印象的なのは、最初の娼館でパプリカに娼婦としてのノウハウを伝授するマダム・コレット役のマルティーヌ・ブロシャール。“美しい。とにかく、美しい。そして、非常に才能のある女優だ”とブラス監督が大絶賛する彼女は、リシャール・バルデュッシ監督の『ラムール<愛>』('70)の若妻役で注目されたフランス女優。イタリアの監督フランコ・モーレと結婚したことから活動の拠点をイタリアへ移し、マカロニ・ウェスタンからジャッロ、ソフト・ポルノに至るまで様々なジャンルで活躍した。若い頃はどちらかというと地味で目立たなかったが、年齢を重ねるごとに美しく洗練されていった女優さんだ。その知的で上品な雰囲気とは裏腹に、ヘアヌードも厭わないくらいに演技は大胆。本作でも巨大なペニスバンドを装着し、デボラ・カプリオリオとの激しいレズビアン・シーンに挑んでいる。ブラス監督は彼女のことが大好きだったらしく、“いつかマルティーヌのために特別な役柄を用意したい”と考えていた
そうだが、その願いは果たせないまま現在に至っている。
 次にパプリカが世話になるマダム・オリンピアを演じているのは、『ミランダ/悪魔の香り』以来ブラス監督作品で年増の娼婦などのチョイ役を演じてきたルチア―ナ・チレネイ。基本的に傍役専門の女優だったらしく、本作は彼女にとって異例の大抜擢だったようだ。また、最後の店でパプリカを伯爵に引き合わせるマダム・アンジェリーナには、フェリーニの『カサノバ』('76)やリリア―ナ・カヴァーニの『善悪の彼岸』('77)に出ていた女優クララ・アルグランティが扮している。
 そのほか、ポリス・アクションやマフィア映画の脇役レンツォ・リナルディ、『サロン・キティ』以来久々にブラス作品へ出演したジョン・スタイナー、ジェス・フランコ映画の常連としてもお馴染みの名脇役ポール・ミュラーなどが登場。また、『ベニスと月とあなた』('58)や『スパルタの若獅子』('60)などで活躍した往年の二枚目俳優リカルド・ガローネがパプリカの狡猾でスケベな伯父、モデル出身で80年代末に売り出されたセクシー女優ニナ・ソルダーノがパプリカを取材する女性記者を演じており、さらには前作でチョイ役扱いだったポルノ女優ヴァレンティーヌ・デミが本作では非業の死を遂げる娼婦ベバ役を熱演している。

 

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