SPANISH SOFT ROCK COLLECTION
ロス・ブリンコス Los Brincos / フアン&フニオル Juan y Junior / フニオル Junior
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ロス・ブリンコス |
スペインのビートルズと呼ばれ、60年代に絶大な人気を誇ったロック・バンド、ロス・ブリンコス。そのサウンドはいわゆるマージ―ビートの延長線上にあったわけだが、メロディやアレンジは基本的にとてもラテン音楽的であり、一種独特のロマンティックなムードを特徴としていた。ただ、それでもやはり彼らの作品はリバプールサウンドの系統で語られるべきであり、ソフト・ロックというカテゴリーで紹介するには若干の無理があることは否めない。
では、なぜ彼らはこのページに含めたのかと言うと、スパニッシュ・ソフト・ロックの鉄板とも言うべき爽やかなハーモニー・ポップ・デュオ、フアン&フニオル、そしてスペインのキースかジェファーソンかと呼んでしまいたいスウィート&メロウな男性シンガーソングライター、フニオルを生んだグループだから。とりあえず、その軌跡をたどりながらまとめて紹介したいという意図があることを予めご了承願いたい。
まずはロス・ブリンコスの紹介から行こう。グループの結成は1964年。メンバーはフェルナンド・アルベックス、マヌエル・ゴンザレス、フアン・パルド、そしてアントニオ・“フニオル”・モラレスの4人である。実はこのロス・ブリンコスというバンド、もともとはレコード会社の主導によるオーディションで選ばれたアイドル的なグループだった。所属レコード会社ザフィーロは当時のリバプールサウンド・ブームに誘発され、スペイン版ビートルズの発掘と売り出しを画策していたのである。そこで全権を委任されたのが、それまでにも新人バンドの発掘で実績のあったベテラン音楽マネージャー、ルイス・サルトリウス。残念ながらサルトリウスはロス・ブリンコスのデビュー直前に急逝してしまったものの、後を引き継いだプロデューサーのマリーニ・カレーヨが、グループのイメージ作りからサウンド・プロダクションに至るまで、全てを一貫して手掛けることとなった。
そうした事情があったためか、結成当初はバンドとしてのまとまりに欠け、初期のレコーディングはスタジオ・ミュージシャンによって行われたとも言われている。また、デビューから2年ほどは楽曲のソングライトがグループ名義になっているものの、これもプロデューサーのカレーヨを中心としたスタッフ関係者のペンによるものだった可能性が高い。
いずれにせよ、1964年に発表されたデビュー曲“Flamenco”がいきなりスペイン国内のヒット・チャートで1位を獲得。これは文字通りフラメンコ音楽をイメージした迫力のあるロック・ナンバーで、シャンソンの女王ダリダがフランス語でカバーするなどヨーロッパ各国でも大きな注目を集めた。その後も“Baila
la Pulga”や“Barracho”、“Mejor”などのシングルを連続でチャート・ナンバーワンに送り込み、スペイン国内ではビートルズを凌駕すると言われるほどの人気を獲得。ところが、67年にパルドとモラレスの2人がバンドを脱退し、デュオ・グループ“フアン&フニオル”を結成。そこで、急遽モラレスの兄弟のリッキーとヴィンセンテ・ラミレスの2人が代役として抜擢され、新生ロス・ブリンコスとして再スタートすることとなる。
グループで一番のアイドル的存在だったアントニオ・モラレスが抜けたことで人気の陰りが心配されたものの、直後にリリースされたシングル“Lola”は無事にヒット・チャート1位を獲得。この作品からはリーダー格のアルベックスが作詞・作曲の殆どを手掛けるようになり、同時にプロデューサーやスタッフ陣も一新された。だが、やはりメンバー・チェンジの影響は避けがたく、レコードの売り上げは徐々に下降していく。
69年にはラミレスが脱退し、もう一人のラミレス兄弟ミゲルとオスカル・ラズピリヤの2人が新たに加入。思い切ったイメチェンが必要と考えたアルベックスは、70年発表のアルバム“Mundo,
Demonio y
Carne”でサイケデリック・ロック路線を打ち出したもののセールスは伸びず、グループはあえなく解散してしまった。アルベックスはその後リッキーとミゲルのモラレス兄弟を引き連れて、ラテン・ジャズ・ファンク・バンドのバラバスを結成。2000年にはミゲルと共にロス・ブリンコスを再結成したものの、2003年に亡くなっている。
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フアン&フニオル |
さて、ここからがある意味で本題。先述した通り、ロス・ブリンコスを脱退したフアン・パルドとアントニオ・“フニオル”・モラレスは男性デュオ“フアン&フニオル”を結成したわけだが、実は彼ら、ロス・ブリンコスに加入する以前からの古い友人同士だった。もともとお互いに60年代初頭からソロ歌手として何枚かシングルをリリースしたことがあった2人。当時は主に英米ポップスのカバーを歌っていたらしいのだが、実は二人ともロス・レランパゴスというロック・バンドがバック演奏を担当しており、この頃からバックバンドを通じてお互いの交友があったのだそうだ。
その後、1962年にフニオルはロス・ペケニケスというロック・バンドにリード・ボーカリストとして参加。翌年にはフアンをグループに誘う。しかし、64年にフアンがロス・ブリンコスに参加することとなり、今度は彼が親友のフニオルを誘ったというわけだ。しかし、66年にスペイン国内の音楽祭に出場した直後からグループ内に不協和音が生じ、フアンとフニオルは揃ってロス・ブリンコスを脱退。一緒にデュオを結成することとなる。
ヒットチャート・ナンバーワンを次々と放つトップ・グループの元メンバーが結成したデュオとあって、そのデビューからスペイン中の注目を集めた”フアン&フニオル”。67年3月に発表されたファースト・シングル“La
caza”は大ヒットを記録し、続く“Nos falta fe”と“A dos
ninas”も好調にセールスを伸ばした。後者はイタリア語バージョンもレコーディングされ、イタリアでヒットを記録。また、デビュー曲“La caza”は“The
Chase”のタイトルで英語バージョンが制作され、イギリスでも発売されている。
そして、68年に発売したシングル“Andurina”はヒットチャートで見事に1位を獲得し、彼らにとって最大のセールスを記録。だが、これをピークとしてレコードセールスは次第に伸び悩んでいった。その後、アルバムのリリースや映画出演などで話題作りをするものの効果はなく、1969年に2人はコンビを解消。それぞれソロ・アーティストとしての道を歩むこととなる。
わずか2年の活動期間で6枚のシングルと1枚のアルバムを発表したフアン&フニオル。ジェリー・リー・ルイスやプレスリーから多大なる影響を受けたフアンと、ビートルズやキンクスのコピーからスタートしたフニオルの作り出すメロディやサウンドは、いわゆるモッズ的なアプローチをベースにしつつもユーロ・ポップ的な爽やかさや親しみやすさが盛り込まれており、今聴いてもなかなかお洒落でキャッチーなナンバーが多い。また、2人のソフトでフワフワとした美しいハーモニーも絶妙だ。日本ではほとんど知られていないというのが残念ではあるが、ソフト・ロックやハーモニー・ポップのファンならば是非ともチェックしておきたいアーティストである。
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フニオル |
その甘いルックスで、ロス・ブリンコス時代から女性ファンの人気を集めていたフニオルことアントニオ・モラレス。実は彼、マニラ出身のれっきとしたフィリピン人だ。1943年に5人兄弟の長男として生まれた彼は、同名の父親と混同されないようにフニオルという愛称で呼ばれていた。15歳の時に家族と共にスペインのバルセロナへと移住し、その後マドリードへ。当時はサッカー選手を目指していたらしいが、やがて幼い頃から得意だった歌の道を志すようになった。
先述したように60年代初頭からソロ歌手として活躍していた彼は、ロス・ペケニケス、ロス・ブリンコスを経て、親友フアン・パルドと男性デュオ“フアン&フニオル”を結成。しかし、人気の下降に加えて野心的なフアンの裏切り行為などがあり、デュオはたったの2年で解消することとなった。シンガーソングライターへと転向したフニオルは、69年にシングル“Vuelve
a mi isla”でソロ・デビュー。カップリング曲だった“Todo porque te quiero”が大ヒットし、さらにビートルズの“Fool on the
Hill”をスペイン語カバーした“El loco de la colina”やロス・ブリンコス時代の仲間フェルナンド・アルベックスの書いた“Lady
Promise”、自作の“Perdoname”などがヒットチャートの上位にランクインした。“Lady
Promise”と“Perdoname”はそれぞれ英語バージョンも製作され、イギリスやヨーロッパ各国でもリリースされている。
フニオルの魅力は、なんといってもそのアイドル的なイメージを生かしたスウィートでキャッチーなソフト・ロック・サウンド。メロディ・メーカーとしてのセンスは抜群で、程よくラテン風味のロマンティシズムが漂うのも個人的には好み。英米ポップス的なサウンドの中にも歌謡曲的なユーロ・ポップの特色を兼ね備えており、そのブレンド具合が実にバランスいいのだ。さりげなくラテン・ジャズやアフロ・ファンクの要素を盛り込んでくる辺りは、フランスのソフト・ロック・キング、ミシェル・フガインにも相通ずるようなカッコ良さと言えよう。
ただ、親友フアン・パルドが歌手としてソングライターとして息の長い活躍を続けたのとは対照的に、アイドル的なイメージの強かったフニオルの賞味期限は短かった。70年代半ばにはヒットも出なくなり、79年に発売したサード・アルバム“Mi
mundo”を最後に引退。その後は1970年に結婚したスペインの国民的歌姫ロシオ・ドゥルカルの夫として、家事や子育てなどの専業主夫に専念するようになったという。
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Grandes Exitos |
Todas sus grabaciones
1963-1969 | |
(P)1996 Serdisco/BMG (Spain) | (P)2008 Rama Lama Music/Blanco y Negro (Spain) | |
1,Flamenco ビデオ 2,Es como un sueno ビデオ 3,Shag It 4,Cry 5,Baila la Pulga 6,No Soy Malo 7,Sola ビデオ 8,Tu me dijiste adios 9,Barracho ビデオ 10,Mejor ビデオ 11,Un sorbito de champagne ビデオ 12,Giulietta 13,A mi con esas 14,Lola ビデオ 15,El pasaporte 16,Nadie te quiere ya 17,So Good To Dance 18,Erase una vez ビデオ 19,The Train ビデオ 20,Oh! Mama ビデオ 21,Vive la realidad 22,Hermano ismael 23,Esa mujer 24,I Don't Know What To Do |
CD 1 1,La caza ビデオ 2,Nada 3,Bajo el sol ビデオ 4,Nos falta fe 5,A dos ninas 6,Tres dias 7,Andurina ビデオ 8,Para verte reir 9,Tiempo de amor ビデオ 10,En San Juan ビデオ 11,Lo que el viento se llevo 12,Tus ojos 13,Two Girls ("A dos ninas" en ingles) 14,Nothing ("Nada" en ingles) 15,Andurina (en ingles) 16,The Chase ("La caza" en ingles) ビデオ 17,Another day (INEDITA, en ingles) |
CD 2 1,Bajo el sol (version single) 2,A dues nenes (en catalan) 3,Se volessi ("A das ninas" en italiano) 4,Niente ("Nada" en italiano) JUAN PARDO 5,Whole Lot On Shakin' Going On 6,Muneca rota (Poupee brisee) 7,Nila 8,Cuando un amor se termina (Quando finisce un amore) 9,Monica (INEDITA) 10,Sole (INEDITA) 11,Noche de ronda (INEDITA) 12,La paloma (INEDITA) JUNIOR 13,No me dejes (Bad to Me) 14,Quiero que me quieros (I Want You To Want Me) 15,Por ese amor (Sweet For My Sweet) 16,When The Girl in Your Arms is the Girl in Your Heart |
これ一枚でロス・ブリンコスの代表作は一通り網羅できるというベスト盤。基本的にはいかにもな60年代グループ・サウンズなわけですが、随所にラテン的なアレンジや楽器を盛り込んでいるのが彼らの個性と言えるかもしれません。デビュー・ヒット#1なんかはまさにその代表格。『世界残酷物語』の主題歌「モア」を彷彿とさせる美しいバラード#2なんかも結構好きです。ただ、ま〜あとはビートルズやストーンズ、キンクス辺りを目指したであろうことが明白で、個人的にはそれほど惹かれるものはないかな(^^; | フアン&フニオルの残した全音源を収録したという究極のコンピレーションです。クリスティーやエジソン・ライトハウスを彷彿とさせるバブルガムなソフト・ロック・ナンバー#1がとにかく最高。#16ではUK発売された英語バージョンも収録されています。ドライブ感溢れる爽やかでポップなガレージ・ロック#4や#6辺りは、当時のビートルズを多分に意識していますね。そして、#17は当時レコード化されなかった2人の主演映画の挿入歌。ブリブリ唸るベースギターがカッコいいロック・ナンバーです。 | こちらのディスク2はレア・トラックに加えて、フアンとフニオルそれぞれが初期ソロ時代にレコーディングした作品を収録しています。しかも、フアンの楽曲は半分が未発表音源。当時の彼はプレスリーやジェリー・リー・ルイスのソウルフルなボーカルを徹底的に真似ており、後のソフトで繊細な歌声とはまるで別人のよう。だみ声のシャウトなんかちょっとやり過ぎな気もするけど、なかなかカッコよく決まってます。一方のフニオルは少年っぽさを残した初々しい声で、ビートルズやキンクスのカバーを歌っています。 |
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Todas sus grabaciones para Novola y
RCA (1969-1975) | |
(P)2000 Rama Lama Music/Blanco y Negro (Spain) | |
CD 1 1,Vuelve a mi isla 2,Todo porque te quiero 3,Mientras vas girando 4,Desde mi ventana 5,El tren de las penas mias 6,Tu sombra 7,Fue su voz ビデオ 8,El parque 9,Es mejor ビデオ 10,Tierra, polvo y luz ビデオ 11,El loco de la colina 12,Cheek To Cheek 13,Going Where You Go 14,Son las tres 15,Solo antel el peligro 16,Guantanamera 17,Las hojas muertas ビデオ 18,Bonely Bonela ビデオ 19,Everybody Is Looking For Love ビデオ |
CD 2 1,Bonely Bonela (en ingles) 2,Lady Promise 3,Too Late That Night 4,Lady Promise (en ingles) 5,Perdoname ビデオ 6,The Snake ビデオ 7,Excuse Me ビデオ 8,En algun lugar ビデオ 9,Killed by a Kiss ビデオ 10,Oscuridad 11,Black November Day 12,Solo ビデオ 13,El amor es amor 14,Y asi es 15,See What You Can Do 16,Fui su amor 17,Here's That Rainy Day ビデオ 18,Morning 19,Lunatic Love |
全てのポップス・ファン、ソフトロック・ファン必携のフニオル2枚組ベストです。それはそれはスウィートで爽やかでキャッチーでグル―ヴィーな70'sサウンドが炸裂。一部を除いて殆どがフニオル自身のソングライトで、そのメロディーメーカーぶりには脱帽です。トム・ジョーンズ・チックな#2もカッコいいし、ファンキーでダンサンブルなメロウ・ボサ#13、シャンソンの名曲『枯葉』を前半はソフトロック調に後半はジャズスウィング調にカバーした#17、ビートルズの“オブラ・ディ・オブラ・ダ”を彷彿とさせるバブルガム#18など、お洒落でポップなナンバーが目白押し! | 思わず口ずさんでしまいたくなるウルトラ・キャッチーなバブルガム・ナンバーの英語バージョン#1で幕を開けるディスク2。マイク・ブラントも真っ青な激甘ロマンティック・バラード#5がまたいいんだな〜。#7では英語バージョンも収録。同じ路線では#8の胸キュン具合も最高です。一方、#6ではディープなアフロ系ディスコビートに気だるいメロディを聴かせ、#9ではメロウで爽やかなフォーク系サウンドを、#12ではうっとりするようなスウィート・ボサ、#15ではクールでダンサンブルなアフロ・ファンクといった具合に、それはもう素晴らしい楽曲が勢ぞろいしてます。 |
フォーミュラV Formula V
スペイン語で発音するとフォルムラ・クイントってとこだろうか。60年代末から70年代にかけて、スペインのみならず南米諸国でも絶大な人気を誇ったロック・バンド。キャッチーなメロディとアップテンポなリズム、明るいハーモニーが特徴で、例えるならばスペイン版モンキーズもしくはスペイン版ハーマンズ・ハーミッツといった感じだ。最大のヒット曲“Tengo
tu
amor”なんかは、文字通りバブルガムな魅力に溢れたポップなハッピー・チューン。演奏も抜群に上手いし、リード・ボーカルを務めるパコ・パストールの爽やかな歌声もいい。愛さずにはいられないチャーミングなロック・バンドと言えるだろう。
フォーミュラVの原型が出来上がったのは1967年。マドリードを基盤に活躍する2組のローカル・バンド、ロス・ロストロスとロス・ヒバロスのメンバーが合流し、ロス・カンビオスという新しいバンドを結成したのがそもそもの始まりだった。メンバーはリード・ボーカルのパコ・パストールを筆頭に、ドラムのアントニオ・セヴィリア、ベースのマリアーノ・サンズ、キーボードのアマドール・フローレス、そしてギタリストのホアキン・デ・ラ・ペーニャの5人。ただ、しばらくは地元のライブハウスなどで燻っているような状態が続いていたそうだ。
そんな彼らにチャンスが巡って来たのは翌1968年のこと。彼らのライブを見た売れっ子作曲家ホセ・ニエートにスカウトされたのだ。ニエートはスペインで最初の本格的ロック・バンド、ロス・ペケニケスの元リーダー。そう、ロス・ペケニケスと言えばフアン&フニオルの2人が在籍していたバンドだ。彼はロス・ブリンコスを手掛けたプロデューサー、マリーニ・カレーヨにロス・カンビオスを紹介。彼らはフォーミュラVとバンド名を変え、大手レコード会社フィリップスからデビューすることとなったのである。
デビュー曲“Mi
dia de suerte es
hoy”は大きなヒットとならなかったものの、モンキーズ路線のバブルガム・サウンドはこの時点から健在。そして、3枚目のシングル“Tengo tu
amor”がヒット・チャート1位を獲得し、フォーミュラVはたちまち売れっ子のトップ・バンドとなった。その後も“Cuentame”、“Cenicienta”、“Jenny
Artichoke”、“Vacanciones de verano”、“Eva Maria”、“La fiesta de Blas”、“Loco casi
loco”などのシングルがヒット。彼らの人気は南米各国へも広がり、中でも共産国のキューバでは大変なブームを巻き起こしたそうだ。
だが、メンバー間の不和が原因で75年にバンドは解散。パストールはジプシー名義で活躍していた友人のミュージシャン、ホセ・ルイス・モレーノと男性デュオ“ドン・フランシスコ&ホセ・ルイス”を結成した。このドン・フランシスコ&ホセ・ルイスでは一転して爽やかでメロディアスなAOR風サウンドを展開。決定的なヒットに恵まれなかったことから1年ほどでコンビ解消してしまうものの、75年にリリースされた唯一のアルバムはなかなかの名盤だ。
その後、本名でソロに転じたパストールは86年にフォーミュラVを期間限定で再結成。さらに、95年からは本格的にバンドを復活させ、現在もスペイン各地でライブ活動を行っているようだ。
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Todos sus singles y sus dos primeros
LP's |
Grabaciones en solitario, primeras
cancines de Pepin Tre | ||
(P)2001 Rama Lama Music/Blanco y Negro (Spain) | (P)2006 Rama Lama Music/Blanco y Negro (Spain) | ||
CD 1 1,Mi dia de suerte es hoy 2,Vuelve a casa 3,La playa, e sol, el mar,el cielo y tu 4,Hit parade 5,Tengo tu amor ビデオ 6,Ayer y hoy ビデオ 7,Estar enamorado 8,Tienes lo que mereces 9,Today Is My Lucky Day 10,Come Home 11,Everything's Rosy 12,Cuentame ビデオ 13,Solo sin ti ビデオ 14,Busca un amoir ビデオ 15,Tu amor mi amor ビデオ 16,Cinecienta ビデオ 17,Ahora estoy enamorado ビデオ 18,Nunca imagine 19,El campo alegre 20,Porque soy joven 21,Jenny Artichoke 22,El final de una ilusion 23,Tras de ti ビデオ 24,El camino que lleva el viento |
CD 2 1,Dos caminos 2,Me falta su amor 3,Mas yo no tengo nada 4,Juegos 5,Marianne 6,Ha pasado el tiempo 7,Adelante 8,Ahora se que me quieres 9,Un mundo de amor 10,Nueve sobre diez 11,Dejame decirte 12,Vacaciones de verano ビデオ 13,Manana ビデオ 14,Monedas de amor 15,Vive la vida 16,Eva Maria ビデオ 17,Aquella mujer 18,La fiesta de blas ビデオ 19,La gran ciudad 20,Loco, cas loco ビデオ 21,La jaula 22,Carolina 23,Busca la luz |
CD 1 Don Francisco y Jose Luis 1,Necesitas saber caer ビデオ 2,Por si algun dia 3,Friendship City 4,Mil estrellas en un calcetin 5,El hombre que viva en las nubesビデオ 6,Ilustrismo poder 7,Cien deseos de vivir 8,Situacion coyuntural 9,Viernes 14 de abril 10,El hombre lobo 11,El tren del amor 12,Entre los pliegues de una mantaビデオ 13,El sexocarril 14,Necesitas saver caer (Maqueta) Jose Luis 15,Deje volar mis manos sobre ti 16,Mi amigo clase 'B' |
Paco
Pastor 1,Dentro de una botella ビデオ 2,Para demostrar mi amor 3,Canta y seremos dos 4,Ante ti solo siento amor 5,Tu eres mi prison 6,Canela, tabaco y ron 7,Por todas estas cosas 8,Si tu no estas 9,Nadie te quiere como yo 10,Me he acostumbrado a ti 11,Lo tuyo no es normal 12,A ti, por ti Gypsy (Jose Luis) 13,Mirame 14,Aun te quiero 15,Vivir 16,Quizas volveran |
全シングルのA面B面と代表的なアルバムトラックを収録した2枚組ベスト。ファースト・アルバムとセカンド・アルバムに関しては全曲が収められています。デビュー曲#1や最大のヒット曲#5など、どれもバブルガム・ポップ好きにはたまらないキャッチーな楽曲ばかり。デイヴ・クラーク・ファイヴをカバーした#2と#8、#10なんかも、なかなかクールな仕上がりでオリジナルに引けを取りません。#21でカレイドスコープをカバーしている辺りのセンスも悪くないと思います。 | 70年末以降の楽曲を集めたディスク2。ディスク1でカレイドスコープをカバーしていたことからも分かる通り、この頃から徐々にサイケロックの影響を受けるようになっています。とはいっても、キャッチーなバブルガム感は健在。1910フルーツガム・カンパニーを彷彿とさせるジャンプナンバー#8や#10なんか思わず微笑がこぼれます。バカンス気分盛り上がる#12、ハッピーで牧歌的なお祭りソング#18など、聴いているだけでウキウキしてくるような楽曲がいいですね。 | 未発表曲を含めたドン・フランシスコ&ホセ・ルイスの全音源に加えて、コンビ解消後にホセ・ルイスが発表したソロ・シングルのA面B面を完全収録したディスク1。フォーミュラV時代とは打って変わって、アメリカのウェスト・コースト・サウンドを彷彿とさせるアダルト・オリエンテッドなソフトロックを聴かせてくれます。そうした中、ちょっとお茶目でキュートなフォーク風ポップ・ナンバー#11と#12(バージョン違い)は異色。キャッチーなサビがクセになります。 | こちらはパコ・パストールの発表したソロ作品の全音源およびホセ・ルイスがジプシー名義でリリースした2枚のシングルA面B面を全て収録した2枚目。まずパコのソロ作は78年という時代を色濃く反映しており、レゲエからウェストコースト・ロック、ディスコに至るまで実にカラフルで幅広い。ただ、いい曲はあるものの、全体的にインパクトが弱いんですね。一方のジプシー作品はアダルトな雰囲気のソフトロックといった感じで、抒情的なムードはなかなか悪くありません。 |
ロス・ポップ・トップス Los Pop Tops
日本でもオリコン・チャートで最高2位を記録した、1971年の大ヒット曲“Mamy
Blue(日本タイトル『マミー・ブルー』)”で有名なロック・グループ。国によってThe Pop Topsだったり、ただのPop
Topsだったりしたようだが、母国のスペインではロス・ポップ・トップスと呼ばれていた。ゴスペルをベースにしたサイケでソウルフルな音楽性は、ちょっとソフトロックと呼ぶには無理があるかもしれないが、その楽曲には美しいハーモニーやメロディを強調したものも多く、いわゆるソフトロック的な楽しみ方の出来るバンドと言ってもいいように思う。
ロス・ポップ・トップスの原型となったのは、1961年にマドリードで結成されたインストバンド、ロス・ティフォーネス。66年に開催された音楽コンテストで優勝した彼らを、フランス人の音楽プロデューサー、アラン・ミロ―がスカウトした。ミローは“Black
Is
Black”の全米トップ10ヒットで有名なスペインのロック・バンド、ロス・ブラヴォスを発掘した人物。彼はバンドの看板になるようなリード・シンガーが必要と考え、トリニダード・トバゴ出身の黒人ボーカリスト、フィル・トリムをメンバーに加え、ロス・ポップ・トップスとして67年にレコード・デビューをさせる。
当初はプログレロックを志していた彼らだったが、国際マーケットを意識してゴスペルやリズム&ブルースにシフト・チェンジ。翌年にリリースされたシングル“Oh
Lord Why Lord”のヒットによって、スペイン国内では一躍注目されるようになった。そして、71年に発表された“Mamy
Blue”が母国はもとよりヨーロッパ各国で大ヒットを記録。全米チャートでも57位にランクされ、世界中で数多くのアーティストがカバー・バージョンをリリースした。ポール・モーリアやレイモン・ルフェーヴィルなど、イージーリスニング楽団も競ってインスト・カバーを吹き込んでいる。
ちなみに、この“Mamy
Blue”という作品、一説によるとフランスのゴスペル系大物シャンソン歌手ニコレッタのために書かれたとも言われている。真偽のほどは定かでないものの、両者がほぼ同時期にレコーディングをしているのは確かだ。作曲を担当したのはフランス人の作曲家ユベール・ジラールとフィル・トリムの2人。もしかすると、当初から両国で競作されることが前提だったのかもしれない。
いずれにせよ、“Mamy
Blue”の爆発的なヒットで国際的な知名度を高めた彼らだったが、その後のヒットが続かず。74年に発売したシングル“What A Way To
Go”を最後にグループは解散。その後、10年ほど前に再結成され、懐メロ・コンサートを中心にライブ活動などを続けているようだ。現在入手可能なベスト盤CDの大半が、実はこの再結成バンドによるリメイク・レコーディング。数年前まで下記のBMG盤が唯一のオリジナル音源によるベスト盤だったが、08年にフランスでオリジナル・ファースト・アルバムがボーナストラック付きでCD復刻されている。
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Pop de los 60 |
(P)1999 Serdisco/BMG Espana (Spain) |
1,Oh Lord My Lord ビデオ 2,Sometimes You Win, Sometimes You Lose 3,Road To Freedom 4,Just Pretend 5,You Finally Found Your Man 6,Mamy Blue ビデオ 7,What A Place To Live In 8,Grandma 9,Walk Along By The Riverside 10,Give Me Up As Lost 11,Sonar, bailar y cantar ビデオ 12,My Little Woman 13,Girl, What's On Your Mind? 14,Happy Hippy Youppy Song 15,Love Motion 16,Anytime 17,Hideaway 18,Happiness Ville 19,Suzanne, Suzanne ビデオ |
ということで、ロス・ポップ・トップスのオリジナル音源で構成されたベスト盤。#1〜#10まではファースト・アルバムと全く同じ曲順です。基本はゴスペル・スタイルのフラワーなサイケデリック・ロック。それ自体がとても好きなジャンルですし、メロディやハーモニーの良さも特筆すべきものがあります。個人的には大ヒット#6を含め、それ以降の楽曲が好きですね。タイトル通りにハッピーでキャッチーな#14も悪くありません。アメリカンな南部ロック・スタイルの#17もなかなかの佳作だと思います。 |
トリゴ・リムピオ Trigo Limpio
分かりやすく説明するとスペイン版サーカス。男女混成の美しいハーモニーがトレードマークのコーラス・グループだ。楽曲スタイルは時期によって大きく変化するものの、基本的には爽やかでメロディアスがキーワード。特にフォークロックやカントリーを基調にした初期作品が個人的には好きなのだが、中でも彼らの名刺代わりとも言える大ヒット曲“Maria
Magdalena”は素晴らしい。そのセンチメンタルでもの哀しいメロディも絶品だが、なによりもコーラス・アレンジが鳥肌モノの美しさ。初代女性ボーカリスト、アマイア・サイザールの透明感溢れる歌声も実に魅力的だ。
オリジナル・メンバーはアマイア・サイザール、カルロス・ギル、イニャーキ・デ・パブロの3人。3人ともサン・セバスチャンの出身で、カルロスとイニャーキはもともと男性デュオとして70年代初頭から地元で活動をしていた。一方のアマイアは祖父の創設した合唱団に所属し、さらに学生時代の友人と共にサンライズというフォーク・グループを結成していたという。
で、当時は毎年夏になるとサン・セバスチャンの海岸リゾートには数多くの地元バンドが集まって演奏をしていたのだが、カルロスとイニャーキ、そしてアマイアの所属するサンライズもその常連だった。そこでアマイアと知り合ったカルロスは、彼女を誘って1974年の夏に男女デュオ“アマイア&カルロス”を結成。地元の人気ディスコ“ティファニーズ”にてデビューを飾った。ところが、実はちょうど同じ時期にアマイアへ声をかけていた男性がいた。それが、偶然にもイニャーキだったのだ。3人は話し合ってトリオとして活動することにし、かくしてトリゴ・リムピオが誕生したというわけだ。
ジョーン・バエズやボブ・ディランに影響を受けた彼らは、ライブハウスを中心に地元で人気を集めるようになる。そして、その評判を聞きつけたレコード会社フィリップス(フォノグラム)にスカウトされ、75年11月に発売されたシングル“Muneca”でレコード・デビューを果たした。これはイニャーキ自身のほろ苦い失恋体験を基にした素朴なフォーク・バラードで、デビュー作ながらスペイン国内で大変な評判になったという。
その後もコンスタントにシングルをヒットさせ、中絶をテーマにして物議を醸した“Adios,
mama”は南米チリでもヒットチャートの1位を記録する。そんな彼らの活躍に関心を示したのが、スペインの大物作曲家フアン・カルロス・カルデロン。トリゴ・リムピオのマネージャーだったアントニオ・フェルナンデスを介して彼らにコンタクトを取った彼は、78年に発売された4枚目のシングル“Ven
a
Jerusalem”をきっかけに、トリゴ・リムピオのために数多くの楽曲を提供するようになった。このカルデロンとの出会いをきっかけに、グループは全盛期を迎えることとなる。続くシングル“Maria
Magdalena”はスペインのみならず南米各国でヒットチャート1位を獲得する大ヒットとなり、トリゴ・リムピオは音楽誌「レコード・ワールド」の年間最優秀スペイン語アーティスト賞に選ばれた。
だが、徐々にグループの音楽性がフォークから離れつつあることを不満に思っていたアマイアが、79年にトリゴ・リムピオからの脱退を表明。また、南米での人気に気を良くしたカルロスやイニャーキが、母国スペインのファンのことを顧みなくなってしまったというのも、アマイアがグループを見限った理由だったとも言われている。そして、彼女の脱退と時期を同じくして、代表作“Maria
Magdalena”や“Ven a Jerusalem”を提供した作曲家フアン・カルロス・カルデロンとも袂を分かつこととなってしまったのだ。ちなみに、You
Tube上で見ることの出来る“Maria
Magdalena”のライブ映像は、アマイアのボーカルに後任のパトリシアが口パクしているものばかりなのでご注意を。
その後、アマイアは84年にブラヴォーというグループを率いてユーロビジョン・ソングコンテスト3位入賞を果たし、89年にはヴィーナスというグループを結成。さらに、ソロ活動を経て、96年には弟ハビエルなどを含めた5人編成のフォーク・バンド、チャランゴを結成している。
一方、パトリシア加入後のトリゴ・リムピオは、80年にシングル“Quedate
esta
noche”でユーロビジョン・ソングコンテストに出場するものの、結果としては12位で敗退。この頃の彼らは、すっかり平凡なポップ・グループとなってしまっていた。スペインではもはや過去のスターとなりつつあり、ヒット曲にも恵まれなくなる。そこで、彼らは依然として人気の根強いメキシコへと活動の拠点を移動。このメキシコ時代には南米各国のみならずアメリカのヒスパニック層の間でも人気を博し、シカゴやダラス、ロサンゼルスなどを巡る北米コンサートも成功させた。
しかし、1989年のコンサート・ツアーを最後にグループは解散。カルロスとイニャーキは故郷のサン・セバスチャンへ戻り、それぞれ結婚して音楽業界からは足を洗った。その後、アマイアの呼びかけでトリゴ・リムピオ再結成の話が浮上したこともあったが、諸事情あって実現されないまま今日に至っているという。
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Todos sus singles y sus dos primeros
albumes en discos | |
(P)1999 Rama Lama Music/Blanco y Negro (Spain) | |
CD 1 1,Muneca 2,La balada de Andy Grange 3,Adios, mama ビデオ 4,Txikita 5,Rompeme, Matame ビデオ 6,Y naci en Oregon 7,Ven a Jerusalem 8,Mi casa 9,Maria Magdalena ビデオ 10,El paria 11,Cinco canas mas ビデオ 12,No volvere 13,Aquella cancion 14,Aurtxoa seaskan 15,Celtiberico 16,Pequeno Juan 17,Agur euskalaerriari 18,Eres como el mar 19,Los ejecutivos 20,Bienvenida la manana 21,Perdido gorrion |
CD 2 1,No se te notan los anos 2,...Y daran las ochi 3,No te dejas amar 4,Pero dime ビデオ 5,Vives como quieres 6,Quedate esta noche ビデオ 7,De profesion "Bribon" 8,Que 9,No me gusta sentirme solo 10,Primer amor 11,Te amare 12,Como es posible 13,Comenzando de nuevo 14,Santa Maria ビデオ 15,Arbusto seco 16,Muchacha solitaria ビデオ 17,Las pequenas cosas 18,Sol de verano ビデオ 19,Sol de verano -version en ingles- 20,Nada de nada 21,Como la Gloria |
スペイン時代のシングルA面B面と代表的アルバム・トラックを収録した2枚組ベスト。最初期の自作曲#2や#6などを聴くと、彼らが真剣にアメリカン・フォークやカントリーを志向していたことが判ると思います。しかし、やはりトリゴ・リムピオと言えば#9。どことなく「マミー・ブルー」を彷彿とさせる作品ですが、透明感のある美しいコーラス・アレンジはお見事。メロウ・ポップ#11と併せて、カルデロンのメロディメーカーぶりは実に際立っています。ディスコっぽい雰囲気を取り入れた#7も、リズミカルな演奏とメランコリックなメロディのコントラストが魅力的。この頃の彼らがベストだと思いますね。 |
#4以降がメンバー・チェンジ後の楽曲となります。よくよく考えるとこの2枚組、アマイア在籍時代の楽曲はアルバム・トラックも全て収録されているものの、それ以降は代表的な楽曲のみで選曲されているんですね。で、パトリシア加入以降の楽曲は従来のフォーク色が一掃され、イタリアのリッキーとポヴェーリを彷彿とさせるようなバリバリのユーロポップへと路線変更されています。それはそれで嫌いじゃないんですけど、彼らならではの特色が消え失せてしまったように思います。パトリシアの歌声もショービズ臭いし。「エンドレス・ラブ」のカバー#10なんてのも、なんだかねぇ…といった感じです(笑)。 |
ヴォセス・アミーガス Voces Amigas
こちらは言うなればスペイン版フィフス・ディメンションといったところだろうか。あちらさんに比べると少々泥臭いことは否めないものの、キュートでポップな音楽性や洗練されたコーラスワークはなかなかのもの。活動期間は1968年〜71年のわずか3年余りと短かったものの、ソフト・ロックやハーモニー・ポップのファンならば是非ともチェックしておきたいグループだ。
ヴォセス・アミーガスの中心人物は、カルロス・アントニオ・フェルナンデス・プリーダという男性。スペイン南西部の都市ポンテベドラに生まれた彼は、エンジニア学校で学びながらも趣味の音楽に没頭し、ロス・カザネスという地元の学生バンドのメンバーとして活躍していた。そして、マドリード大学を卒業後にラジオ局の知人を通して、レコード会社ザフィーロの音楽プロデューサー、パブロ・エレーロにスカウトされる。カルロスのデモテープを聴いてその才能を認めたエレーロだったが、ソロ・シンガーとして売り出すには向いていないと判断。そこで、約1年間をかけてオーディションを繰り返し、カルロスを中心とした男女4人編成のコーラス・グループを結成する。それがヴォセス・アミーガスだったわけだ。
メンバーはカルロスに加えてハヴィエ・デ・ミゲル、ディアナ・リンクラーテル、イザベル・ロセッロの4人。プロデューサーのエレーロは、当時世界的に流行していたフォーク・ロックに代表される社会派音楽的な要素を一切排除し、彼らを純粋なポップ・グループとして売り出そうと考えたという。それも、極めてアメリカン・ポップス的なスタイルを目指していたのだそうだ。
デビュー曲は1968年に発売された“Canta
con
nosotros”。サンシャイン・ポップスの王道とも言うべきハッピーで爽やかなこの曲はたちまちヒットチャート上位を駆けのぼり、ヴォセス・アミーガスは一躍若者の間で高い人気を獲得する。これ以降のシングルも軒並みベストセラーを記録。だが、そのスターダムのプレッシャーに耐えかね、女性メンバーのイザベルが脱退してしまう。
イザベルの代わりとして、69年にマリア・アントニアが加入。翌年には5枚目のシングル“Un
mundo
mejor”でユーロビジョン・ソングコンテストへの出場を目指すものの、残念ながら国内予選でフリオ・イグレシアスに敗れてしまう。それでもグループの人気やレコードセールスは健在で、6枚目のシングル“Quiero
verte feliz”ではカルロスが作詞・作曲も担当。また、そのB面ソングとして同じくカルロスが書いた反戦ソング“The
War”も高い評価を得た。
ところが、メンバーのディアナがユーロビジョン国内予選で共演した男性歌手バシーリオと恋仲になり、グループを脱退すべきか否かで苦悩。ブロンドで華のある彼女はグループの看板的な存在だった。その悩みを打ち明けられたメンバーは話し合いの場を設け、結果的に解散の道を選んだのである。ラスト・シングルとなったのは、大物作曲家フアン・カルロス・カルデロンの提供した“Amanece”。4人の見事なスキャットを巧みに配した素晴らしいビートポップ・ナンバーで、人気グループの最後を飾るに相応しいヒットとなった。
その後、ディアナとカルロスはそれぞれソロの道へ。まず、ディアナは芸名をディアナ・マリアへと変えてシングル数枚をヒットさせ、73年に芸能界を引退して結婚した。一方のカルロスもまたカルロス・アントン名義でシングルとアルバムをリリース。さらにプロデューサー兼作曲家へと転向し、フリオ・イグレシアスやグラシア・モンテス、ファロール、バンビーノなど数多くの人気アーティストを手掛けた。
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Todas sus grabaciones
(1968-1973) | |
(P)2003 Rama Lama Music/Blanco y Negro (Spain) | |
CD 1 Voces Amigas 1,Canta con nosotros ビデオ 2,Suena un reloj ビデオ 3,Fin de semana 4,Que mas da 5,Ayer sone ビデオ 6,Mundo de amor 7,Un lugar en mi mente 8,Mi cabana 9,Un mundo mejor 10,Jamas la olvidare 11,Quiero verte feliz 12,The War (La guerra) 13,Porque te quiero 14,Amanece 15,Te Quiero 16,Zucchero ビデオ 17,Villancico Ye-Ye Carlos Anton 18,Puedo ver la luz del sol 19,Emma 20,Sonia |
CD 2 Carlos Anton 1,Flores, rios y valles 2,Viejos recuerdos 3,Si caminas mi camino 4,Good Morning Sir 5,La muerte del ama 6,La ultima pieza 7,Soinos os dous 8,Despedida 9,Pagina de mi diario 10,Un hombre vivo Diana Maria 11,Adios 12,Un rio amargo 13,Que diablos tu tenias 14,Donde estas 15,Papa noel 16,Dime 17,Don't You Feel Alone, Sometimes 18,Recuerdos 19,No volvera la primavera 20,Para ti |
ヴォセス・アミーゴス及びカルロスとディアナのソロ、その全ての音源を網羅した2枚組ベストです。まずはヴォセス・アミーゴス。楽曲によって多少の出来不出来はあるものの、トータルでは実にポップかつキャッチー。当時のA&Mサウンドなんか好きな人は少なからずハマることでしょう。中でも、男性陣と女性陣に分かれて巧みなスキャット合戦を聴かせる、グル―ヴィーでアンニュイなラストシングル#14は傑作です。バブルガムポップ炸裂な# 11も超キュート。おススメです。 |
シンガーソングライターとなったカルロスですが、どちらかというと歌謡ポップス的な色合いが濃厚。曲によってトム・ジョーンズ風だったり、ドノヴァン風だったりと非常に器用なんですが、これといった個性が感じられないのはちょっと残念です。一方のディアナはというと、こちらも同じく歌謡ポップス路線ではあるものの、非常にヨーロピアンな雰囲気を漂わせており、個人的にはなかなか好みです。弘田三枝子の『人形の家』を彷彿とさせる#11なんかステキでっせ〜(笑)。 |
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