セックス・イン・ハリウッド
〜セクスプロイテーション映画の誕生〜
今でこそ映画は総合芸術だと言われているが、その出発点はいわゆる見世物だった。リュミエール兄弟がパリのキャプシーヌ通りで初めて映画を上映した際、スクリーンの向こうから突進してくる機関車の姿に人々が度肝を抜かれたように、観客の好奇心を刺激するようなものを見せるというのは映画の大きな役割のひとつ。それは現在も脈々と受け継がれて来ている。映画というのは、大衆の好奇心や欲望を映し出す鏡でもあるわけだ。そして、いつの時代にも人々の興味を惹きつけるものがある。セックスもそのひとつだろう。
いわゆるポルノグラフィーは映画草創期から存在した。現在確認されている最も古いポルノ映画は、1908年にフランスで製作されている。それ以外にも、アルゼンチンやドイツなどでも同時期に制作されたポルノ映画が確認されており、1920年代にはかなりの数の作品が作られるようになった。もちろん、それらの作品では正真正銘の本番行為が行われている。現在のアダルト・ビデオの原点というわけだ。
一方、1915年にはアメリカで世界最古のゲイ・ポルノが制作されている。しかし、ソドミー法でアナル・セックスが禁止されていた事もあり、本格的にゲイ・ポルノが作られるようになるのは1940年代以降のことになる。
ただ、1960年代末までは、こうしたポルノ映画を所持しているだけでも違法行為だった。それゆえに、好事家たちの集まるホーム・パーティーや会員制クラブなどでひっそりと上映されるだけで、一般の人々の目に触れることなどは決してなかったのだ。そこで、映画製作者たちは様々な工夫を凝らし、法律の許す範囲内で最大限のセックスを映画の中に描いてきた。
1896年には世界で最初のストリップ映画がフランスで作られている。あくまでもセミ・ヌードなのだが、それだけでも当時としては非常に刺激的なものだった。アメリカでも1901年にエディソン社がストリップ映画を製作している。その後、欧米では主にバーレスクのダンサーが下着姿やトップレスで踊る様子を撮影した短編映画が大量に作られ、ポルノ映画の代用品として人気を集めるようになった。
一方の劇映画の世界でも、かなり早い時期から性描写が描かれている。ただし、それはあくまでも健全な性を建前としており、公にセックスを売りにしていたわけではない。例えば、1915年に作られた“Inspiration”という作品では映画史上初のフル・ヌードが登場するが、これは主人公の彫刻家が女性の裸体を描くという設定上の必然性があった。また、巨匠セシル・B・デミルの初期作品にもヌード・シーンや性描写が見られるが、あくまでも女性の人権や社会モラルの象徴として描かれていたに過ぎない。
いわゆるセックスを売りとした劇映画がアメリカで本格的に作られるようになったのは、ハリウッドのスタジオ・システムが確立した1920年代以降のことだ。当時はハリウッド映画そのものが性描写に対して大らかであった。ジャズ・エイジと呼ばれた1920年代は自由奔放な価値観を持った新しい世代が誕生した時代であり、それはハリウッド映画にも大きな影響を及ぼしていた。1927年に公開されて一大センセーションを巻き起こした映画「あれ」(It)では、ボブ・カットの自由奔放なヒロインを演じたクララ・ボウが大人気となり、彼女のスタイルを真似た“イット・ガール”と呼ばれる若い女性が巷に溢れかえった。
また、一人の女性と二人の男性の三角関係をユーモラスに描いたエルンスト・ルビッチ監督の傑作「生活の設計」('33)、セックスを武器にのしあがっていく女性(ジーン・ハーロウ)をコミカルに描いた“Red
Headed
Woman”('32)、売春婦の悲劇を同情的に描いた「ウォタルウ橋」('31)など、赤裸々な性を題材にした作品も数多く作られていた。
だが、こうした作品はあくまでも従来の禁欲的なモラル観念に対するアンチテーゼとして、人間本来の性のありかたなどを描いているのであり、やはりセックスそのものを売りにしているわけではない。
あからさまにセックスを売りにした映画を作るようになったのは、ハリウッドのスタジオシステムから外れた弱小のインディペンデント会社だった。製作費や配給網では明らかにメジャー・スタジオに太刀打ちが出来ないため、映画そのものの下世話なスキャンダラス性で観客を呼び込もうとしたわけだ。ティファニー社が製作した“Party
Girl”('30)などは良い例だろう。アメリカ社会を脅かす売春組織の実態を暴き、現代のモラルに警鐘を鳴らすという謳い文句を隠れ蓑に、実際にはそうしたセックス産業の裏側をスキャンダラスに描いただけのキワモノ映画だった。
やがて、ハリウッドの“モラルの低下”がアメリカ社会を堕落させると危惧したカトリック系のキリスト教団体と政治家ウィル・H・ヘイズの働きかけにより、1934年に映画倫理規定が制定される。これによって、映画における性描写やヌード・シーンはもちろんの事、売春婦や水商売を肯定することや、ドラッグや飲酒を肯定すること、同性愛を肯定すること、婚前交渉や私生児を肯定すること、暴力シーンを描くことなども禁じられるようになってしまった。
こうしてメジャー・スタジオの作品からセックスとバイオレンスが葬り去られてしまうと、ここぞとばかりに弱小のインディペンデント会社がキワモノ映画を量産するようになる。もちろん、建前上はそうしたモラルに反する行為を糾弾するのが目的ということで。そうした中で最も有名なのは、ドラッグの危険性を訴えた映画“Reefer
Madness”('36)だろう。この作品も、その建前とは裏腹に、実際にはドラッグに興じる若者たちの乱痴気騒ぎを売り物にした作品だった。こうしたセンセーショナリズムに訴える低予算映画は、やがて“エクスプロイテーション映画”と呼ばれるようになり、場末の映画館を中心に全米の大都市部で人気を集めるようになった。
そうした“エクスプロイテーション映画”の中でも、特にセックスを売り物にした作品群のことを“セクスプロイテーション映画”と呼ぶ。
一般的にセクスプロイテーション映画というのは、60年代に流行ったドリス・ウィッシュマン監督のヌーディスト映画やラス・メイヤー監督の巨乳映画が始まりとされているが、そのルーツは1930年代にまで遡ることが出来る。そのひとつが、1935年に製作された“Child
Bride”。金持ちの老人が幼い少女と強引に結婚するという話で、未成年の結婚を禁じる法律の必要性を訴えるというのが謳い文句だったが、実際には当時12歳の子役女優シャーリー・ミルズのセミ・ヌードを売りにしたエロ映画だった。その他、乱交パーティやレズビアンといった“反社会的”な行為を糾弾するという“Sex
Madness”('38)や、ハリウッドの乱れた性の実体を暴くという“A Virgin in
Hollywood”('48)、婚前交渉の悲劇を大袈裟に描いた“Mom and
Dad”('45)、トランヴェスタイト(女装)の世界を描いたエド・ウッド監督の「グレンとグレンダ」('53)なども、初期セクスプロイテーション映画の重要な作品と言える。
やがて、60年代に入ると先述したようにドリス・ウィッシュマンのヌーディスト映画やラス・メイヤーの巨乳映画が秘かなムーブメントとなり、さらにスウェーデン映画「私は好奇心の強い女」('67)を筆頭に、北欧からソフト・ポルノ映画が続々と輸入されてヒットするようになった。
70年代にはハードコア・ポルノが解禁されて市民権を得るものの、セクスプロイテーション映画もグラインドハウスと呼ばれる場末の二番館を中心に根強い人気を保ち続けた。しかし、キム・ベイシンガー主演の「ナインハーフ」('85)が大ヒットした辺りから、ハリウッドのメジャー会社も「氷の微笑」('92)や「ショーガール」('95)、「スピーシーズ」シリーズなどのセクスプロイテーション的な映画をビッグ・バジェットで製作するようになり、いわゆるセクスプロイテーション映画の時代は終焉を迎えることになる。ホラーやSFなどのジャンルと同じように、かつては弱小スタジオが低予算で作っていたようなキワモノ映画を、ハリウッド・メジャーが大金を投じて作るようになってしまったわけだ。
ということで、今回は初期セクスプロイテーション映画の中から、3本の作品について紹介してみたい。
Party Girl (1930)
サイレント時代の大女優メエ・マレイと夫のロバート・Z・レオナード監督が1921年に設立したティファニー社。主に低予算のメロドラマやB級西部劇を量産した会社で、1932年に倒産してしまったが、その末期に製作された元祖セクスプロイテーション映画と呼べる作品が、この“Party
Girl”である。
オープニングではこんな前書きが流れる。「セックス産業・・・“パーティ・ガール”と呼ばれる職業が、慎ましやかな生活を望む幾千もの若い女性たちのモラルを崩壊させようとしています。あなたの娘や姉妹、恋人が巻き込まれてしまえば、この恥ずべき行為はあなたの家庭にまで影響を及ぼします。決して他人事ではないのです!我々は、この映画があなたや社会意識の高い市民を立ち上がらせ、この邪悪な“パーティー・ガール”というシステムを葬り去ることになることを強く願うものであります」と。
要は、この作品は真面目な社会派の告発映画ですよ、ということを強く訴えているわけなのだが、もちろんそんなのは建前だけのこと。世間知らずのお坊ちゃまが、野心的なパーティ・ガールの毒牙にかかるものの、“真面目”な女性の真実の愛によって救われるという他愛ないストーリーを軸に、破廉恥なパーティー・ガールの世界をスキャンダラスに描いていく通俗映画だ。しかも、その真面目な女性というのが、実は元パーティ・ガールだったという“ショッキング”な(笑)伏線までご丁寧に用意されている。
これを見て、“パーティ・ガール”とは何と恐ろしい連中なのだろう!と思う観客が当時どれほどいたのかは定かではないが、少なくとも啓蒙されるために見に行くような類の映画ではないだろう。登場人物も見事なくらいのステレオタイプばかりで、なんともチープなメロドラマに終始している。とはいえ、当時の性風俗や社会モラルの一端を知る上で興味深い部分も多々あり、そういった意味では一見の価値のある作品だと言えるかもしれない。
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主人公ジェイ(D・フェアバンクス・ジュニア) |
ジェイに思いを寄せるエレン(J・ロフ) |
野心的な悪女リーダ(J・バリー) |
主人公は大学を卒業したばかりの若者ジェイ(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)。父親ラウンツリー氏(ジョン・セイント・ポリス)は有能な地方検事。父親の秘書であるエレン(ジャネット・ロフ)とジェイはお互いに意識しあう仲だ。ラウンツリー氏は“パーティ・ガ−ル”と呼ばれるエスコート・サービスが売春の温床になっていることを危惧しており、その取締りに尽力をしているものの、なかなか成果を上げられないでいた。
その様子を立ち聞きしていたエレンの顔色が曇る。実は、彼女も一時期パーティ・ガールに登録していたことがあったのだ。しかし、その罪深い仕事内容に嫌気が差して足を洗い、今はその過去の秘密を一人で背負いながら生きていた。それゆえに、彼女はジェイの一途な愛情を素直に受け入れる事が出来なかったのだ。
一方、大学時代の仲間と羽目を外したジェイは、密造酒を提供する秘密パーティへと繰り出す。巨大な倉庫を改造したパーティ会場では、集まってくる裕福な男性客を狙うパーティー・ガールたちが群れをなしていた。酒に酔って乱痴気騒ぎを繰り広げる人々。ジェイもすっかり酔っ払ってしまった。そんな彼に目を付けたのが、野心的なパーティー・ガールのリーダ(ジュディス・バリー)だった。
翌朝、ジェイはリーダの自宅で目を覚ます。彼女の話によると、酔っ払ったジェイが無理矢理彼女を手篭めにしたのだという。このままでは死ぬしかないと泣くリーダ。罪の意識を感じたジェイは、責任を取って彼女と結婚することを約束する。しかし、全てはリーダの仕組んだ罠だった。彼の家の財産に執着する彼女の様子に、自分が騙されたことを知ったジェイ。息子から報告を受けたラウンツリー氏も、彼女が財産目当ての美人局であることを見抜くが、リーダはマスコミにあることないこと言いふらしてやると開き直る。
一方、愛するジェイが窮地に追い込まれたことを知ったエレンは、彼を救うためにパーティ・ガールの元締めであるリンゼイ夫人(アルメダ・ファウラー)のもとを訪れるのだったが・・・。
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パーティ・ガールの元締めリンゼイ夫人 |
パーティ会場に乱入する車 |
玉の輿を狙うパーティ・ガールたち |
上映時間は1時間ちょっとで、しかもその大半を違法パーティの乱痴気騒ぎやパーティー・ガールたちの破廉恥な私生活などの描写に充てているため、ストーリーは非常にシンプルでテンポが速い。悪女リーダはあっという間にシッポを出すし、クライマックスでは実にあっけなく違法組織が一網打尽にされてしまう。エレンがパーティ・ガールに復帰する展開も唐突で安直だし、リーダに天罰が下るシーンもご都合主義が甚だしい。その割には大袈裟な演技やセリフが目立ち、タブロイド記事をそのまま映画化したような作品に仕上がっている。
とはいえ、こんな映画でも原作小説があったらしい。原作を書いたのはSF映画の名作「地球最後の日」('51)の原作者としても知られる作家エドウィン・バルマー。当時アメリカではそこそこ名の知れたベストセラー作家だった人物だ。本作の原作となった“Dangerous
Business”という小説を読んだことがないので比較はできないものの、脚本構成のバランスの悪さやセリフの出来の悪さは、恐らく脚色の段階に原因があるのだろう。
その脚色と演出を担当したのは、20年代から30年代にかけて数多くの低予算映画を手掛けたヴィクター・ハルペリン。ベラ・ルゴシ主演の怪奇映画「恐怖城」('32)や「ゾンビの叛乱」('36)などを監督したことで知られる人物だ。「恐怖城」はなかなか良く出来た名作だったが、本作の出来映えにはちょっと首を傾げざるを得ない。
主人公のジェフを演じるのはダグラス・フェアバンクス・ジュニア。そう、ハリウッドの帝王ダグラス・フェアバンクスの息子であり、自らもトップ・スターとして活躍した2枚目俳優だが、当時はまだ2番手3番手の役柄ばかりで伸び悩んでいた時期だった。いくらダグラス・フェアバンクスの息子とはいえ、ハリウッドで七光りが通用しないのは今も昔も同じ。とはいえ、こんな弱小スタジオの作品にまで出演していたというのは、ちょっとした驚きかもしれない。そんな彼も、この直後にワーナーで出演した「犯罪王リコ」('30)で主人公の親友役を演じ、ようやく評価されることになる。
相手役のエレンを演じたジャネット・ロフはサイレント期から活躍していた女優だが、結局低予算映画のヒロインから脱することが出来なかった人。リーダ役のジュディス・バリーはモデル出身の美女で、これが映画デビュー作だった。しかし、やはり彼女も低予算映画のヒロイン止まりで、この2年後には引退してしまっている。
本作の女優陣で注目したいのは、ベビー・ボイスの憎めないパーティー・ガール、ダイアナ役を演じたマリー・プレヴォーだろう。エルンスト・ルビッチ監督の「結婚哲学」('24)や「当世女大学」('25)などでヒロイン役を務めたコケティッシュなコメディエンヌ。当時はその人気も下り坂だったが、共演のジャネット・ロフやジュディス・バリーを完全に食ってしまう絶妙な演技を見せてくれる。
Protect Your Daughter (1933)
“あなたの娘を守りなさい”という、なんとも大仰で押し付けがましいタイトルの作品だが、それも昔のエクスプロイテーション映画の悪いクセみたいなもの(笑)。その勿体ぶったタイトルの響きが、逆に観客の興味を惹きつけるというわけだ。しかも、タイトルから想像するに社会の害毒から娘の純潔を守るためのノウハウを伝授する映画と見受けられる。とすれば、その害毒の方ばかりを描くキワモノ映画に違いない、と相場は決まっている。それが、エクスプロイテーション映画並びにセクスプロイテーション映画の鉄則なのだから。
で、本作の場合はというと、その仰々しいタイトルとは裏腹に、中身は意外にも古風なモラル映画。年頃の娘が悪い道に染まらないかと心配する親の過度な愛情が、逆に娘を非行に走らせてしまうという矛盾を描いた作品に仕上がっている。“あなたの娘を守りなさい”というよりも、“あなたの娘を信用しなさい”というタイトルの方が相応しいかもしれない。いずれにせよ、非常にオーソドックスな題材の映画と言えるだろう。
ただ、本作がユニークなのは、その製作過程における謎が当時のエクスプロイテーション映画業界の内情を浮き彫りにしているという点かもしれない。というのも、この作品は明らかに別の映画のフィルムを土台にして作られているのだ。まずは、粗筋から説明していこう。
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年頃の娘ヘレンと母親 |
牧師の娘ベス(B・ケント) |
ベスの厳格な父親(W・ファーナム) |
舞台は上流家庭のリビング・ルーム。年頃の娘ヘレン(マリオン・クイグリー)は、男友達とのデートに行くための準備をしている。そんな娘を呼びつける母親エレン(アデル・リグス)。母親は最近帰りが遅い娘の行状を心配しており、あれこれと口うるさく説教をする。そこへやってきたヘレンの兄トム(ドナルド・トンプソン)は、そんな母親に“子供は親に信頼されていないと感じたら、逆に悪い方向に進んでしまう”と言ってたしなめる。
デートに出かけていったヘレンと入れ替わりで、トムのガールフレンドであるベスがやって来る。ヘレンが悪い友達とつるんでいるのではないかと心配する母エレンの言葉に、思わず顔を曇らせるベス。それに気付いたトムは、おもむろにベスの苦い過去の思い出を語り始める。
ベス(バーバラ・ケント)はどこにでもいる普通の娘だったが、牧師である父親(ウィリアム・ファーナム)は聖書の教えを守る厳格な人物で、22歳になるまで結婚をしてはいけないと彼女に言いきかせていた。半ズボンのセーラー服姿で自転車遊びに興じる同世代の娘たちに憧れるベスだったが、“あんな裸同然の格好で外を出歩く娘たちは、いつか地獄に堕ちるだろう”と憤慨する父親の前では、大人しくしている以外に術はなかった。
そんな彼女にもラリー(ドン・ディラウェイ)という恋人がいたが、父親の監視の目もあって滅多に会うことすら出来ない。二人の関係に気付いた母親(レイラ・マッキンタイアー)は、娘の力になろうと夫を説得しようとするものの、逆に“お前は今の若者たちの罪深さを知らない”と一蹴されてしまう。
ある晩、ラリーと逢い引きをしていたベスは、偶然知り合った都会の男女と共に非合法酒場に連れて行かれる。生まれて初めて経験する酒とタバコで開放感を楽しむベスだったが、運悪く酒場に警察の手入れが入ってしまう。何とか逃げ出したベスたち一行だったが、己の犯した罪の深さに彼女は思い悩むことになる・・・。
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恋人ラリーと密会を重ねるベス |
裸同然(?)の格好で遊びまわる若い娘たち |
見知らぬ男女と非合法酒場へ・・・ |
このように、外枠となるヘレンの話があって、そこにベスの話が回想ストーリーとして挿入されるわけなのだが、この回想ストーリーに全く別の映画が使用されている。それも、2本の映画から構成されているのだ。回想ストーリーのベースとなっているのは“Marriage
on Approval”('33)という作品。そこへ、“Tell Your
Children”('22)という作品の一部分が織り込まれて編集されている。
“Marriage on
Approval”という作品は、主にユダヤ系移民向けの映画を製作していたモナーク・プロダクションズという会社が作っており、本作と同じ年に劇場公開されている。それがなぜ、こんな形で使用されているのか詳細は不明なのだが、恐らく製作費の不足分を補てんするためにフィルムの使用権を売ったのだろう。もしくは、本作の関係者が何らかの形で“Marriage
on Approval”に資金を提供しており、その担保としてフィルムのコピーを預かっていたのかもしれない。
一方の“Tell Your
Children”はイギリスのフェイマス・プレイヤーズが製作した作品だったが、その直後に会社が倒産してしまっている。その際に流出したフィルムのコピーを、本作のプロデューサーが安く買い入れたのだろう。
こうして手元に揃った2本の映画フィルムを、手っ取り早く金に替えてしまおうということで作られたのが、この“Protect
Your
Daughter”という作品だったと考えてまず間違いないはずだ。なので、外枠のストーリーも書き割のセットで安上がりに撮影されており、回想ストーリーとのつながりは強引な印象を受ける。しかも、外枠ストーリーに登場するベスと、回想ストーリーに登場するベスを演じる女優が明らかに別人なので、余計に不自然さを増してしまっている。
このように、無名映画のフィルムを使って別の映画を作ってしまうという手法は、エクスプロイテーション映画の世界では決して珍しいことではない。フレッド・オーレン・レイ監督が“Shantytown
Honeymoon”('71)という映画のフィルムを安く買い取って、新しく撮影したフィルムを加えた「首狩り農場/地獄の大豊作」('86)という作品を作ってしまったり、マリオ・バーヴァ監督の“Lisa
and the
Devil”('73)にプロデューサーのアルフレド・レオーネが新しいシーンを付け足して「新エクソシスト」('75)を作ってしまったりと、特に60年代以降に多く見られる手法だ。そういった意味では、かなり時代を先駆けた作品だったと言えるかもしれない。
いずれにせよ、映画作品としてはクズも同然。歴史的価値以外には、全く見るところのない作品だ。
A Virgin in Hollywood (1948)
スキャンダラスなセンセーショナリズムを煽っておきながら、実際に蓋を開けてみれば大した内容ではない、という当時のエクスプロイテーション映画の典型とも言える作品。特に、映画倫理規定が制定されて以降の作品には、この手の羊頭馬肉系映画がとても多い。
田舎から出てきた地方紙の女性記者が、良識的なアメリカ庶民の目を通してハリウッドの堕落した裏側を暴く!というのが本作の趣旨なわけだが、実際にはロサンゼルス周辺のナイトクラブやモデル事務所、ランジェリー・ショップなどをダラダラと廻り、そこで出会った奇妙な人々の姿を面白おかしく描くというだけの内容。その奇妙な人々というのも、田舎者が思い描く都会人というのを極端にカリカチュアしただけなので、何の真実味もない。ハリウッドの裏側どころか、表側にすら触れていないのだ。せいぜい、ハリウッドのスター・マップ片手に、人気スターの豪邸を巡るシーンがあるくらい。それも、余計なトラブルを避けるためなのだろうか、誰の家だか分らないような屋敷をチラッと映しただけで終わってしまう。
逆に、冗談かと思うくらいのカマトトぶりを発揮する女性記者の大袈裟なレポートぶりに、当時のアメリカ人の・・・というよりもアメリカの田舎者の偏った世界観が垣間見れて面白い。ただ、それだって田舎者をバカにしただけのカリカチュアと言えなくもないのだが・・・。
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地方紙の女性記者ダーラ(D・アボット) |
あられもない姿の水着美女たち |
カメラの前でトップレスになってみせる美女 |
主人公は地方紙の若手女性記者ダーラ・スローン(ドロシー・アボット)。彼女は編集長に命じられ、ハリウッドの裏側をレポートするために大都会ロサンゼルスへとやって来た。世間ではセックスとドラッグにまみれたハリウッド人種のスキャンダルが良識ある中産階級の人々の脅威となっており、その実情を告発するのがジャーナリストである彼女の使命なのだ。果たして、全裸の女性が自転車に乗って行き来しているという噂は真実なのか?スクリーンでは無邪気に笑顔を振りまいている映画女優が、素顔は仕事のために体を売るようなビッチなのか!?
まず手始めに、スター・マップを購入してセレブの豪邸を見学して廻るダーラ。しかし、それではハリウッドの裏側に足を踏み入れることなど出来ないと気付いた彼女は、いつの間にかハリウッド・ヒルズの近辺で迷子になってしまう。道をたずねようと豪邸に入り込んだダーラ。しかし、そこはまるで幽霊屋敷のように静まり返っており、ダーラは自分の身になにかとんでもなく恐ろしいことが起きるのではないかと直感する。突然、物陰から現れる魔物。悲鳴をあげて逃げまどうダーラ。しかし、それは仮面を被った水着モデル(!)だった。
彼女が入り込んだ屋敷は、南欧をイメージした風光明媚な撮影スタジオ。そこではあられもない姿の水着美女たちが、恥も外聞もなく男性カメラマンの前でポーズを取っていた。撮影の合間にはビキニを脱ぎ捨てて日光浴をするモデルまでいる。中には、必要もないのに女性モデルを水着姿にさせようとする猥褻な肖像画家も。その様子に戸惑いを隠せないダーラ。
次にダーラはナイトクラブへと繰り出してみる。そこでは、パリでしか見れないようなショーを楽しめるという。期待に胸を膨らませるダーラだったが、そこで繰り広げられたのは破廉恥極まりないダンスの数々だった。何と、女性ダンサーが踊りながら服を一枚一枚脱ぎ捨てていくのだ!
さらに、先日の水着モデルにカメラマンを紹介されたダーラは、自分もモデルに挑戦してみることにする。しかし、撮影スタジオには彼女とカメラマンの二人だけ。ここで肌も露わな衣装に着替えろという。何か汚らわしいことをされてしまうかもしれない!近づいてくるカメラマンを見て恐怖に顔が引きつるダーラ。しかし、彼はストッキングを手渡しに来ただけだった。自分の滑稽さに赤面するダーラ。
その後も、新聞の恋人募集欄に応募してみたり、バーで女装のオカマと遭遇したり、ランジェリー・ショップでモデルに挑戦してみたりと、様々なアドベンチャーを繰り広げるダーラ。次第に、彼女はハリウッドの魅力に取り付かれていくのだった・・・!?
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ゴージャスなバーレスク・ダンサー |
ナイトクラブに現れたトランヴェスタイト |
下着を試着して見せるランジェリー・モデル |
といった具合に、スキャンダラスでも何でもないことが実に大袈裟に紹介されていく。一応、ドキュドラマのつもりらしく、全編に渡ってダーラ自身の鬼気迫る(笑)ナレーションが挿入されているが、その大仰な説明がかえって嘘っぽさを倍増させている。
それにしても、このダーラという女性記者の田舎娘ぶりがまた凄まじい。若いとはいえ、どこからどう見ても立派な成人女性。しかし、酒もタバコもやったことがなく、あらゆる面でウブなこと甚だしいのだ。ロサンゼルスで知り合った女性と話をする下りで、上司の編集長について話題が及んだ時も、“確かにハンサムな人よ。でも、彼と話をしているとなんだか変な気分になるの。どうしてかしら?”なんて、小学生みたいなことを言ってのける始末。コウノトリが子供を運んでくるような世界に生きている女性なのだ。
ゆえに、どこからどう見ても男にしか見えないトランヴェスタイト(女装)と出会った時も、彼(というか彼女)がオッパイ・カップを取り外してみせるまで男性だとは気付かない。そもそも女としてどうなのよ・・・としか思えない彼女のキャラクターこそが、実は本作で一番衝撃的なのかもしれない。
その一方で、顧客に対してモデルが実際に下着を試着して見せるランジェリー・ショップの販売システムであったり、バーレスク・ダンサーのストリップティーズであったりといった、今は失われてしまった古き良き時代の文化や習慣はとても興味深い。その他大勢のセクスプロイテーション映画と同様に、サブカルチャーの歴史を記録した映像資料として一見の価値がある作品だろうと思う。
ちなみに、本作の製作総指揮を担当したのはダン・ソニー。40年代から60年代にかけて数多くのストリップ映画やバーレスク映画を製作した伝説的な人物であり、2001年にはそのキャリアにスポットを当てたドキュメンタリー映画“Mau
Mau Sex
Sex”という作品まで製作されている。ドラッグ中毒を描いた古典的エクスプロイテーション映画“Maniac”('34)の製作アシスタントから身を起したという、筋金入りの商売人として特筆しておきたい映画プロデューサーだ。
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Party Girl (1930) |
A Virgin in Hollywood
(1948) |
(P)2006 Alpha Video (USA) | (P)2006 Alpha Video (USA) |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル /音声:英語/字幕:なし/地域コード:AL L/61分/製作:アメリカ 映像特典 なし |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル /音声:英語/字幕:なし/地域コード:AL L/122分/製作アメリカ 映像特典 短編ストリップ映画“Peep” |
どうやら、このDVDに収録されているのはカット・バージョンみたいですね。1934年に映画倫理規定が導入されると、それ以前の映画も性描写や暴力描写を削除しないと再上映が出来なくなってしまい、多くの作品が不本意なカットを余儀なくされました。本作も、その中の一本だったわけです。なお、パブリック・ドメイン素材を使っているため、画質は最悪。 | こちらの“A Virgin in Hollywood”も1953年に再編集されたカット版が上映されており、現在見ることの出来るコピーの殆んどがカット版ですが、このDVDに収録されているのは1948年のオリジナル版です。ちなみに、カット版には追加撮影された3Dシーンが存在します。画質は、やはり両作品ともパブリック・ドメインなので良くはありません。映像特典のストリップ映画なんてカラーがダブってしまっているので、画面がチカチカしており、見れた代物じゃないです。 |