レイ・ハリーハウゼンとジョージ・パルの
ストップモーション・アニメ

 

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レイ・ハリーハウゼン

ジョージ・パル

 現在はコンピューター・グラフィックスによるVFX(視覚効果)がハリウッドの主流になっているが、かつては光学合成やミニチュア撮影、ストップモーション・アニメといったアナログ技術を駆使したSFX(特殊効果)がアメリカ映画を陰で支えていた。そして、その立役者とも言えるのがレイ・ハリーハウゼンとジョージ・パルの二人だったわけだ。
 SFXマンとして『シンドバッド七回目の航海』('58)や『アルゴ探検隊の大冒険』('63)、『恐竜100万年』('66)などのファンタジー映画で夢溢れる映像世界を作り出したハリーハウゼン、プロデューサーとして『月世界征服』('50)や『宇宙戦争』('53)、『タイム・マシン』('60)などの作品でSF映画ブームを巻き起こしたパル。それぞれ違う分野で異なったキャリアを歩んだ人物だったが、SFXをハリウッドの表舞台に引っ張り出したという点では共通の功績を残している。さらに、どちらも最初はストップモーション・アニメの作家として実績を積んでいた。
 今回は、SFX映画の立役者であるレイ・ハリーハウゼンとジョージ・パルがハリウッドにやって来るまでのキャリアを振り返りながら、彼らの作り出したストップモーション・アニメの魅力に触れてみたい。

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“Mother Goose Stories”より

“Mother Goose Stories”より

“Little Red Riding Hood”より

 1920年6月29日、ロサンゼルスに生まれたハリーハウゼンは、13歳の時に人生を変えてしまう1本の映画と出会った。それが『キング・コング』('33)である。人形で出来たキング・コングや恐竜、巨大昆虫がスクリーンを暴れまわる様子は、言葉では言い表せないほどの衝撃だったという。もともと粘土細工でジオラマを作るのが大好きだった彼は、それに生命を吹き込むという魔法のようなテクニックに強く魅了されたのだ。
 これこそ自分が本当にやりたい事だと確信したハリーハウゼンだったが、もちろん13歳の少年には撮影テクニックのことなど分るはずがない。ところが、偶然にも友人の父親が『キング・コング』を製作したRKOで働いており、そのテクニックがストップモーション・アニメと呼ばれるものであり、人形をひとコマづつ動かしながら撮影していくという大変根気の要る作業だという事を教わった。そこで彼はその友人からビクター製の16ミリ・カメラを借り、独学でストップモーション・アニメを作るようになる。
 ただ、このビクター製カメラはコマ撮りの機能が付いていなかったため、シャッターを素早く押すことで擬似的なコマ撮りを行っていたという。しかし、あくまでも勘に任せた作業なので、実際には2コマ、3コマに渡って撮影してしまうことも多く、仕上がりは満足のいくものではなかった。
 そんな彼に助け舟を出したのが両親だった。悪戦苦闘しながらも熱心に作品を撮り続ける息子の姿を見た両親は、彼が20歳の時に新しいコダック製の16ミリ・カメラを買い与え、自宅ガレージを撮影スタジオとして改装してくれた。この両親の理解あるサポートというのも、ハリーハウゼンのキャリアを語る上で重要な要素だったと言えるだろう。
 この時期のハリーハウゼンは、ひたすら恐竜を撮り続けていた。やはり、『キング・コング』に出てきた恐竜がよほど衝撃的だったのだろう。原始時代の地球を再現した“Evolution(進化)”という作品では、ステゴサウルスやトリケラトプス、ティラノサウルス、プテラノドンなど数多くの恐竜が描かれている。中でも、ティラノサウルスがトリケラトプスを襲うシーンは迫力満点。爬虫類特有の動作も細やかに表現されており、獲物を狙うティラノサウルスの感情までも伝わってくるほどリアルだった。結局、構想が壮大過ぎて未完成のまま終わってしまった作品だが、素人の若者が作ったとは思えないような素晴らしい出来映えだった。
 また、彼は18歳の頃から当時新進気鋭だった雑誌編集者フォレスト・J・アッカーマンと交流を深めるようになる。後に、アメリカのサブ・カルチャーに多大な影響を与えた映画雑誌“Famous Monsters of Filmland”を創刊することになるアッカーマンだが、当時はアメリカで最初のSFファン・マガジンと言われる“The Time Traveller”という雑誌を自費出版していた。そんな彼のもとには全米各地から熱心なSFマニアの若者が集まり、そこから数多くの有名な作家、映画監督、脚本家などが巣立って行ったのだが、ハリーハウゼンもその中の一人だったというわけだ。
 特に、その後SF小説の大家となるレイ・ブラッドベリとは、同い年である上に同じファースト・ネーム、しかも『キング・コング』の熱狂的なファンということもあって意気投合。現在まで70年近くに及ぶ友情を育んできている。もちろん、フォレスト・J・アッカーマンも健在。ハリーハウゼンとブラッドベリが今年で88歳、アッカーマンは94歳。いずれもマイ・ペースながら、現在も仕事を続けているのだから驚かされる。

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“Hansel & Gretel”より

“Rapunzel”より

“The Tortoise & The Hare”より

 さて、未完の大作“Evolution”を持参したハリーハウゼンは、当時“パペトゥーン”と呼ばれるストップモーション・アニメで人気を集めていたジョージ・パルの門戸を叩く。フィルムを見てハリーハウゼンの才能を高く評価したパルは、すぐさまアニメーターの一人として彼を採用した。
 こうしてプロのアニメーターとしての道を歩み始めたハリーハウゼンだったが、1942年に軍隊に召集されることになる。幸いにも軍の映画班に配属された彼は、アニメーターとしての実績を買われてストップモーションを使用した軍事訓練用映画を製作。戦地に赴くことなく終戦を迎えた。
 兵役を終えたハリーハウゼンは再び自宅のスタジオでストップモーション・アニメの製作に取り組むようになり、マザー・グースの世界を映像化した短編パペット・アニメ“Mother Goose Stories”を完成させる。可愛らしい人形のデザイン、リアルでユーモラスな動き、そしてカラフルで夢溢れるミニチュア・セット。今見ても十分に楽しめる素晴らしい出来映えの作品で、ベイリー・フィルムズという配給会社によって全米の小学校で上映されて好評を博した。
 そして、これがレイ・ハリーハウゼンというアニメーターの本格的な出発点だったと言えるかもしれない。この“Mother Goose Stories”の成功のおかげでまとまった収入を手にした彼は、引き続きベイリー・フィルムズのために子供向けのパペット・アニメを製作する。
 まずは“Little Red Riding Hood(赤ずきんちゃん)”。狼のリアルな造形と動きがとても印象的で、動物としての特徴を失うことなく擬人化出来るというのはパペット・アニメならではの醍醐味と言えるだろう。空想の産物にリアリズムを与えるというハリーハウゼンの特色が非常に良く表れている。
 続く“Hansel & Gretel(ヘンゼルとグレーテル)”では、ジンジャー・クッキーやキャンディ・バー、タフィーなど本物を使ったお菓子の家が非常に魅力的だった。これも、ミニチュアで撮影されるパペット・アニメだからこその楽しさと言えるだろう。さらに、彼は同じくグリム童話を原作にした“Rapunzel(ラプンツェル)”も製作する。いずれも、原作の陰湿な残虐性を子供向けにアレンジするため、ストーリーはかなり大胆に脚色されていた。
 このグリム童話3部作に引き続いて撮ったのが“King Midas(ミダス王)”。悪魔によって触れるもの全てを金に変えてしまうという力を授かったミダス王の悲劇を描く道徳劇だ。原作はギリシャ神話だが、ハリーハウゼンは舞台を中世ヨーロッパに置き換え、非常にメルヘンチックな世界を作り出している。
 さらに、彼はお伽噺シリーズ第5作目に当たる“The Tortoise & The Hare(カメとウサギ)”の製作に取り掛かったものの、ある事情から撮影を途中で断念せねばならなくなった。

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ラッキー・ストライクのコマーシャル・フィルム

“Evolution”より

『宇宙戦争』用のデモ・フィルムより

 時を遡って1939年。親友レイ・ブラッドベリと共に『キング・コング』の素晴らしさを語り合っていたハリーハウゼンは、意を決してウィリス・H・オブライエンに電話をかけてみることにする。オブライエンはアメリカにおけるストップモーション・アニメのパイオニアであり、『キング・コング』の特撮を担当した人物。つまり、ハリーハウゼンにとって永遠の憧れであり、最大のヒーローである。見ず知らずの若者からの電話にも快く対応してくれたオブライエンは、改めて面会の場をもうけてくれた。しかも、ハリーハウゼンの持ち込んだ自作フィルムについて様々なアドバイスまでしてくれたのだ。
 それから数年を経た1946年。そのオブライエンからハリーハウゼンのもとに連絡があった。新作『猿人ジョー・ヤング』のアシスタントを務めてくれないかという。ハリーハウゼンにとっては夢のような申し出だった。製作に2年以上の歳月を要したこの大作は、1949年に劇場公開されるやいなや大ヒットを記録。『キング・コング』よりも遥かに進化したストップモーション・アニメの自然な動きが高く評価され、オブライエンはアカデミー賞の特殊効果賞を受賞した。
 そして、この作品でオブライエンのアシスタントを務めたハリーハウゼンの評価も高まり、映画『原始怪獣現る』('53)の特撮を任されることになる。しかも、大親友レイ・ブラッドベリの小説が原作になっているという。当時“The Tortoise & The Hare”の撮影を進めていたハリーハウゼンだったが、それを中断して『原始怪獣現る』の仕事を引き受けることにしたのだった。
 この『原始怪獣現る』の大ヒットで一躍脚光を浴びたハリーハウゼンは、続いて『水爆と深海の怪物』('55)、『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』('56)と立て続けにSF映画の特撮を担当。折からのSF映画ブームとも相俟って、すっかり多忙を極める身となってしまった。こうした状況の中、撮影途中で頓挫していた“The Tortoise & The Hare”への関心も薄れていってしまい、そのままお蔵入りになってしまうことになったのだ。
 それから40年以上が過ぎた1999年、ハリーハウゼンの熱狂的なファンである二人の若者が彼のもとを訪れる。彼らの名前はマーク・カバレーロとシーマス・ウォルシュ。共にストップモーション・アニメ作家である二人は、未完のままになっている“The Tortoise & The Hare”を自分たちの手で完成させたいというのだった。彼らの熱意に押されたハリーハウゼンは協力を快諾。自宅に保管されていたパペットを提供し、自らも監督として撮影スタジオに赴き、若い二人に様々なアドバイスを与えた。こうして、2002年にようやく“The Tortoise & The Hare”が完成。最初にハリーハウゼンが撮影を始めてから、実に50年という歳月が流れていた。
 さて、『タイタンの戦い』('81)を最後に、SFXマンとしては第一線を退いたハリーハウゼン。ファンタジーよりもバイオレンスが持て囃される映画界に嫌気が差した、というのが引退の理由だった。その後は、講演活動を行ったり、彼を敬愛する映画監督たちの作品にゲスト出演するなど、悠々自適の隠居生活を送っていたハリーハウゼンだが、“The Tortoise & The Hare”を完成させたことで再び創作意欲が湧いてきたようだ。
 2006年には若手アニメーター、マーク・ラウンジーが監督を務める“Pit and the Pendulum”('06)の製作総指揮を担当。さらに、現在はSFアドベンチャー“War Eagles”の製作準備に取り掛かっており、2010年の完成を目指しているという。

 なお、2005年にハリーハウゼンの短編アニメーションばかりを集めた2枚組DVD“Ray Harryhausen : The Early Years Collection”がアメリカで発売された。こちらには、上記で紹介したお伽噺シリーズや未完成となった恐竜アニメ“Evolution”の他、軍隊時代に撮影した訓練用映画やコマーシャル・フィルム、『宇宙戦争』のために製作したデモ・フィルムなどの貴重な映像が収められている。アニメーターとしてのハリーハウゼンを知る上でとても貴重なコレクションだと言えるだろう。個人的にも、彼が非常に優れたパペット・アニメ作家であったことを初めて知るきっかけとなった。SFファン、特撮ファンのみならず、多くのアニメ・ファンにも是非お薦めしたいと思う。

 

 一方のジョージ・パルは、1908年2月1日オーストリア=ハンガリー帝国(現ハンガリー)のペシュト県にあるツェグレードという町に生まれた。もともと建築家を目指していたパルはブダペスト芸術アカデミーで建築デザインを学ぶが、当時のオーストリア=ハンガリー帝国では建築関係の就職先が少なかった。
 そこで、彼はデザインの技術を生かすためブダペストのハンニア映画社に就職し、主に映画ポスターのデザインを手掛けるようになった。その傍らでアニメーションに魅せられたパルは、やがてアニメーターを目指して勉強するようになる。だが、ハンガリーではアニメーションの仕事が少ないため、結婚したばかりの妻エリザベスを連れて31年にドイツへ移る。
 名門ウーファ社に迎えられたパルはメキメキと才能を伸ばし、瞬く間にアニメ制作部門の主任へと上りつめた。これに自身をつけた彼は、翌32年にウーファ社を退職してベルリン市内にアニメ制作スタジオを設立。企業のコマーシャル・フィルムを制作して評判を呼ぶようになった。ここで彼は、後にパペトゥーンと呼ばれるようになる独自のストップモーション・アニメ技術“パル・ドール”を開発して特許を取得、ドイツ国内のみならずヨーロッパ各国の企業からも注目を集めるようになる。
 しかし、やがてナチスが台頭するようになると外国人排斥のムードも高まり、家族の安全を憂慮したパルはハンガリーに帰国。だが、母国ではコマーシャル・フィルムの需要が全くなかったため、すぐにパリへと移り住んだ。そんな矢先、オランダのフィリップス社から声がかかる。映画館で上映するためのコマーシャル・フィルムを制作して欲しいというのだ。そこで、彼は家族を連れてオランダへ移住。パペット・アニメで作られた彼のコマーシャルは観客の間で大評判となり、やがてアメリカやイギリスなど世界各国から仕事のオファーが舞い込むようになった。
 だが、ヨーロッパでは次第に戦争ムードが色濃くなり、家族の将来を心配したパルは39年にアメリカ行きを決意する。ニューヨークにやって来た彼はパラマウント映画と専属契約を結び、ロサンゼルスへと移動。パルの才能を高く評価していたパラマウントはビバリーヒルズに豪邸を用意した他、彼専用のアニメ・スタジオまで提供するほどの歓迎ぶりだったという。こうして、彼はパラマウントの為に通算40本以上にも及ぶ“パペトゥーン”シリーズを生み出していくこととなる。

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“Mr.Strauss Takes a Walk”より

“Philips Cavalcade”より

“Philips Cavalcade”より

 さて、その“パペトゥーン”が普通のストップモーション・アニメとどう違うのかという事を簡単に説明しておこう。一般的なストップモーション・アニメは、中に針金を仕込んだ柔らかい素材のパペットを使用し、それを少しづつ動かしながら一コマごと撮影していく。それにより、あたかも人形が勝手に動いているかのように見せるのだ。しかし、パルは木製の堅いパペットを使用し、パーツを入れ替えながら一コマごと撮影していくという複雑な手法を選んだのだった。それゆえに、膨大な数のパーツを用意しなくてはならず、通常のストップモーション・アニメに比べると撮影の手間や労力も遥かに増大してしまう。
 だがその一方で、ただパペットを動かすだけではなくパーツをそっくり入れ替えるという作業が加わることで、パペットそのものの原型にこだわる必要がなくなり、より自由な表現が可能になった。つまり、キャラクターの動きにマンガ的なデフォルメを加えることが出来るようになったのだ。この“マンガ的”というのはパル作品において重要なキーワードであり、それこそがパペットとカートゥーン(マンガ)を合体させた“パペトゥーン”の目指すところだったわけである。
 従来のストップモーション・アニメが動作の上ではリアリズムを追求していたのに対し、ジョージ・パルは全く逆の発想を持っていたと言えるだろう。大親友がアニメ“ウッディ・ウッドペッカー”の生みの親であるウォルター・ランツだったこと、ウォルト・ディズニーとも親交が深かったことなどからも、彼のカートゥーン志向の強さを伺い知る事が出来るかもしれない。

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“Hoola Boola”より

“Ether Symphony”より

“The Philips Broadcast of 1938”より

 まず、パルの作品に登場するキャラクターは伸びたり縮んだりするのは勿論のこと、自由自在に身体を変形する事が出来るというのが大きな特徴だ。例えば、オランダ時代に製作した“The Little Broadcast”('35)では華やかなダンス・シーンが見どころになっている。突然ステージの上にニョキニョキと筒状のものが幾つも生えてきたかと思ったら女性ダンサーに早変わりし、様々に形を変えたり曲がりくねったりしながら、バスビー・バークレーも真っ青のダイナミックな踊りを繰り広げていく。
 また、イギリスの粉末ドリンク・ブランド、ホーリックのために製作した“What Ho She Bumps”('37)では海賊の船長がペッチャンコに引き伸ばされた後、今度はプクーッと膨らんでもとの姿に戻るというシーンがある。これらは、パーツを組み替えながら撮影していく“パペトゥーン”だからこそ描くことの出来るマンガ的表現だと言えるだろう。
 そのパーツの組み替えというのはパペットの目や鼻、口などにも及んでいる。そのため、“パペトゥーン”に登場するキャラクターはとても表情が豊かなのも特徴的だ。40年代半ばに製作された“Together in the Weather”では、隣に住む女の子ジュディに夢中になった男の子パンチーが様々なリアクションを繰り広げるのだが、セクシーな水着に着替えたジュディを見たパンチーの目玉が星型に飛び出してクルクル回るのが何とも可笑しい。また、“Tubby the Tuba”では主人公であるタビーという名前のチューバの他、ホーンやクラリネット、バイオリンなどの楽器を擬人化して描いており、楽器ならではの堅い質感を保ちながら目をキョロキョロさせたり頬を膨らませたりと自由に表情を変えている。これも、ゴム素材や粘土を使った従来のストップモーション・アニメでは、なかなか表現できない世界だ。
 その一方で、パルは自作の中で政治的なメッセージを込めたり、リアルな人間ドラマを描いたりすることもあった。その代表的なものが“Tulips Shall Grow”('42)だろう。オランダのチューリップ畑で平和に暮らす一組のカップル。そこへ、メタル製のロボット軍団率いる戦車や戦闘機が襲来し、畑や風車をことごとく破壊していく。しかし、やがて雨が降り始めるとロボット軍団は錆び付き、戦闘機は稲妻で撃墜され、戦車は泥沼に沈んでいく。晴れ渡った空の下、畑には再びチューリップが育ち、風車小屋も再建されていく。明らかに、ナチによるオランダ侵攻を描いた作品で、子供向けの反戦アニメとして見事な出来映えだった。
 また、アフリカ系アメリカ人の伝説的な英雄として知られるジョン・ヘンリーの物語を描いた“John Henry and the Inky-Poo”('46)では、19世紀の貧しい黒人労働者たちの生活を丹念に再現し、虐げられた人々の悲哀を牧歌的なムードの中で詩情豊かに描いている。

 これらの“パペトゥーン”作品はパラマウントの配給網を通じて全米の映画館で上映され、1942年から47年までの間に通算7回もアカデミー賞の短編アニメ賞にノミネートされた。44には“パペトゥーン”シリーズを生み出した功績が高く評価され、アカデミー賞の特別賞を受賞している。
 ただ、膨大な数のパペット製作や入念な撮影準備、複雑なアニメート作業などが必要とされることから、“パペトゥーン”の技術を使うアニメーターが他になかなか現れなかったというのも事実。しかし、そのカートゥーン的な魅力と面白さはアート・クローキーのガンビー・シリーズやニック・パークスのウォレス&グルミット・シリーズなどのクレイ・アニメーションに受け継がれていったと考えていいだろう。また、ティム・バートンも『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』でパペトゥーンの技術を取り入れている。

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“Tulips Shall Grow”より

“Together in the Weather”より

“Tubby the Tuba”より

 その後、“パペトゥーン”シリーズの大成功でパラマウントのプロデューサーに昇格したパルは、『偉大なるルパート』('50)で実写劇映画の製作に転向し、アカデミー賞特殊効果賞を受賞した『月世界征服』('50)でSF映画ブームの口火を切ることになる。
 こうしてアニメーターとしての活動からは足を洗ってしまったパルだが、その実績はSFXという形で生かされていった。『偉大なるルパート』ではリスが踊るシーンをストップモーション・アニメで撮影し、そのあまりのリアルさから本当にリスが踊っているのではないかと問い合わせが殺到したという。『親指トム』('58)や『不思議な世界の物語』('62)では“パペトゥーン”が全編に渡って多用されているし、『ラオ博士の7つの顔』('64)でも人面大蛇をストップモーション・アニメで撮影している。“パペトゥーン”シリーズで培った技術を応用しつつ、カラフルで想像力豊かなファンタジー映画の世界を作り上げていったというわけだ。
 『ドクサベージの大冒険』('74)を最後に第一線を退いたジョージ・パル。しかし、水面下では様々なプロジェクトを進行させていたが、そのどれもが実現することなく終わってしまってしまった。やはり、リアリズムを追求し始めた『2001年宇宙の旅』以降のSF映画にはついていく事が出来なかったのだろうか。70年代半ばには、自らの代表作である『宇宙戦争』のテレビ・シリーズ版を企画し、パイロット版の撮影にも着手していたようだが、結局は未完成のままお蔵入りしてしまった。この企画が実現したのは、パルの死から8年を経た1988年のことだ。1980年5月2日、ジョージ・パルは心臓発作のためロサンゼルスの自宅にて死去している。
 しかし、死後もその人気は衰える事を知らず、レイ・ハリーハウゼンやレイ・ブラッドベリ、チャールトン・ヘストン、ジム・ダンフォースらが彼の偉業を振り返るドキュメンタリー映画『ジョージ・パルSFXの世界/ファンタスティック・タイム・マシン』('85)、ガンビーやポーキーがパペトゥーン映画を紹介していくオムニバス映画“The Puppetoon Movie”('87)が相次いで公開された。
 特に、アニメ・ファンには“The Puppetoon Movie”がお薦めだ。今ではなかなか見ることのできないパペトゥーン映画をまとめて楽しむ事ができる。アメリカでは8年前にDVD化されているが、映像特典として本編には収録されていないレアなパペトゥーン映画もたっぷりと入っているのが嬉しい。

 

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Ray Harryhausen
The Early Years Collection

The Puppetoon Movie
Special Expanded Edition

(P)2005 Sparkhill (USA) (P)2000 Image Entertainment (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆ 画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤2枚組)
カラー/スタンダード・サイズ/5.1chサラウンド/音声:英語/字幕:フランス語・ドイツ語・日本語/地域コード:ALL/233分
/製作:アメリカ

映像特典
“The Tortoise & The Hare”メイキング
“How To Bridge A Gorge”別エンディング
名声の歩道入り記念式典の様子
イギリス訪問時の様子
ハリーハウゼン インタビュー
修復作業の様子
フォト・ギャラリー
など合計で16本の映像特典を収録
DVD仕様(北米盤)
カラー/スタンダード・サイズ/ステレオ/音声:英語/字幕:なし/地域コード:1/
79分(本編)/製作:アメリカ・オランダ

映像特典
“What Ho She Bumps”
“Mr.Strauss Takes A Walk”
“Olie for Jasper”
“Philips Cavalcade”(ノーカット版)
“Jasper's Derby”
など合計13本の短編をフルで収録
ボブ・ベイカーのインタビュー
フォト・ギャラリー
オリジナル劇場予告編

収録作品
“Mother Goose Stories”
“Little Red Riding Hood”
“Hansel & Gretel”
“Rapunzel”
“King Midas”
“The Tortoise & The Hare”
“How To Bridge A Gorge”
“Guadalcanal”
“Commercial Demo”
“Lakewood”(3編)
“Cave Bear & Dinosaurs”
“Evolution”
“Adventures of Baron Munchausen”
“War of the Worlds” など合計22本

収録作品
“The Little Broadcast”
“The Philips Broadcast of 1938”
“Hoola Boola”
“South Sea Sweetheart”
“The Sleeping Beauty”
“Tulips Shall Grow”
“Together in the Weather”
“John Henry and the Inky-Poo”
“Philips Cavalcade”
“Jasper in a Jam”
“Tubby the Tubs”

 

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