「ペルセポリス」

 

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渋谷 シネマライズにてお正月ロードショー
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 アニメーションが子供向けのものと言われた時代は、既に遥か過去のものとなってしまった感がある。かつては“漫画映画”などと呼ばれていたものだが、そこには“大のオトナが鑑賞するものではない”という傲慢な侮蔑意識が少なからずあったはずだ。しかし、今やアニメーションは世界共通の映像言語、世界共通の芸術文化となりつつある。いや、既になっていると言えるかもしれない。そのことを改めて強く意識させてくれるのが、このフランス製アニメーション「ペルセポリス」である。
 原作は世界中でベストセラーを記録した同名のグラフィック・ノベル。作者であるイラン人女性マルジャン・サトラピの半生をキュートでお洒落なイラストで綴った作品で、今回の映画化に際してはサトラピ自身がイラストレーターのヴァンサン・パロノーと共同で監督を務めている。基本的にはモノクロ(一部パート・カラー)で製作されており、とてもスタイリッシュでお洒落な作画デザインが魅力的だが、そこで展開される物語はとても過酷で真摯で力強い。

 主人公はマルジャン。フランスのオルリー空港を彷徨う彼女は、ふと掲示板を見上げながら故郷イランで過ごした少女時代に思いを馳せる・・・。舞台は移って1978年のテヘラン。9歳のマルジャンはブルース・リーが大好きという活発な少女だ。根っからの自由主義者で愛情深い両親と、皮肉屋だが大らかで逞しい祖母に囲まれ、なに不自由なく暮らしていた。外では“国王(シャー)を倒せ!”と叫ぶ人々が街中でデモを繰り広げている。実は、マルジャンの亡くなった祖父はカジャール朝王家の血を引く王子で、共産主義者だったために先代の国王(シャー)に殺されていた。両親は革命が起こり、独裁的な現政権が倒されることを期待していた。
 そして、遂にイラン革命が勃発し、シャーが倒される。反政府主義者として投獄されていた人々も開放され、父の兄であるアヌーシュおじさんも戻ってきた。好奇心旺盛なマルジャンに、アヌーシュおじさんは祖国イランを豊かにするための夢を語って聞かせてくれる。そして、“知る事が大切だ”と教えてくれるのだった。
 だが、イランの人々が夢と希望を託した革命は、たちまち悪夢へと変っていった。新政権はイスラム原理主義を国民に強要し、人々の生活は革命以前よりもさらに悲惨なものとなっていく。かつて許されていた自由は全て奪われ、革命の名のもとに様々な圧政が敷かれていった。そして、開放されたはずの政治犯が次々と逮捕され、処刑されていったのだった。その中には大好きなアヌーシュおじさんも含まれていた。処刑される直前に、アヌーシュおじさんはマルジャンとの面会を希望した。大好きなおじさんと最後の別れをするマルジャン。その夜、枕元に現れた神様にマルジャンは激しい怒りをぶつける。

 時は移って1982年。学校は男女別となり、女子はヴェール着用を義務付けられていた。イラン・イラク戦争は激化し、授業も空襲で中断されることが多かった。しかし、マルジャンたち学生は隠れてアバやビー・ジーズの音楽を楽しみ、大人たちも当局の取締りの目を盗んで飲酒やパーティ、賭け事に興じていた。それでも、空襲や逮捕に怯える生活であることには変わりなかった。そうした中で、怖いもの知らずの少女マルジャンはパンクなジャケットを羽織り、闇市でアイアン・メイデンのカセット・テープを購入していた。
 ある日、学校で現政権のプロパガンダを教える教師に対してマルジャンが反論、痛烈な皮肉を交えてやり込めてしまう。その事実を知った両親は娘をきつく叱りつけた。なぜなら、反政府分子として逮捕された娘は強制的に結婚させられ、処女を奪われた上で処刑されてしまうからだ。“この子はこの国にいてはいけない”と悟った両親は、マルジャンをウィーンに留学させることにする。
 ウィーンで彼女を受け入れたのは母親の友達だったが、マルジャンのことを煙たがって修道院の寄宿舎に入れてしまう。マルジャンが入学したのはフランス語学校。彼女はテヘランでフランス語を学んでいた。ウィーンに来てから言葉が通じずに困っていた彼女も、ここでようやく友達が出来るようになる。徐々に西欧文化に慣れるようになったマルジャンだったが、やはり周囲の友達の豊かな生活を見ていると距離を感じずにはいられなかった。
 ある時、シスターの心ない差別的な発言をやり返したマルジャンは寄宿舎を追い出されてしまう。それ以来、彼女は友達の家から家へ移り住む生活を送るようになり、その強靭な反骨精神はより逞しく鍛えられていく。
 そして、ウィーンに来て3年が経った1986年。すっかり大人の身体に成長したマルジャンは、生まれて初めて恋をする。が、彼はゲイだった。すっかり落ち込んでしまった彼女だったが、そんな時に目の前に現れた男性と再び恋に落ちる。まるで夢のように過ぎていくキラキラとした時間。だが、彼の浮気現場を目撃してしまい、夢の王子様は鼻水をたらしたニキビ面男だったという現実に目が覚める。生まれて初めての大失恋に生きる気力を失ったマルジャンは放浪生活を送るようになり、しまいには寒さと空腹で血を吐いて倒れてしまう。
 病院で目が覚めたマルジャンは、2ヶ月間音信不通だったイランの両親に連絡。両親は何も訊かず、彼女に帰ってくるようにと優しい言葉をかけるのだった。

 こうして祖国イランに戻ってきたマルジャン。だが、街はさらに荒廃し、人々の生活はより暗いものとなっていた。祖国への愛情は変らずとも、既にこの国に彼女の居場所はないも同然だったのだ・・・。

 その乙女チックな作画デザインとは裏腹に、なかなかハードな物語が展開する作品。しかし、その大らかで痛快なユーモアと不屈の反骨精神は見る者に勇気と希望を与えてくれる。また、本作の最大のメリットはモノクロのアニメーションという表現手段を取ったことだ。原作・監督を務めたマルジャン・サトラピ自身も述べているが、アニメーションという手段を用いることにより、この物語にユニバーサルな普遍性を与えることに成功している。遠いイランという国の物語を、誰もが身近なものとして感じることが出来るのだ。
 「グラフィック・ノベルが世界的に成功したのは、画が抽象的でモノクロだったから。世界中の誰もが関係のある話だと思えることに役立った。もしこれが実写映画だったら、自分たちとは顔つきが違う人物が住んでいる、遠い国の話になってしまっただろうから。良く言ってエキゾチック、最悪なのは第三世界の物語」と述べているが、まさにその通りだと思う。
 さらに、主要人物の声を演じているのがプロの声優ではなく、一般映画の俳優であるというのも非常に良かった。ヒロインのマルジャンを演じるのがキアラ・マストラヤンニ。その母親を演じるのが、キアラの実母である大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。さらに、祖母役を演じるのが御年90歳になる伝説的な大女優ダニエル・ダリュー。マルジャンの父親役も舞台俳優として有名なサイモン・アブカリアンである。本作は登場人物の演技にリアリズムを持たせるため、予め録音された俳優の声に合わせてアニメーションを製作したという。それゆえに、俳優はアニメの動きに合わせなくてはいけないという制約を受けることなく、自由に演技することが出来たようだ。
 登場人物の中では、ダニエル・ダリュー演じる祖母が特に魅力的。怖いもの知らずで、言いたいことは何でも言う。ユーモア精神が旺盛で、ちょっと下品なジョークも嫌味にならない。様々な苦難を乗り越えてきたにも関わらず、そんな事を微塵も感じさせない大らかさ。そして、毎朝ブラジャーの中にジャスミンの花を忍ばせて香りを漂わせるという女性らしさ。女なら誰もがこうありたいと思わせる、強さと優雅さを兼ね備えた魅力的な女性として描かれている。
 ちなみに、ダニエル・ダリューとカトリーヌ・ドヌーヴは、「ロシュフォールの恋人たち」以来たびたび母娘の役を演じている。今や定番とも言えるキャスティングかもしれない。

 「原理主義の最初の犠牲者は、イラン人自身だということを忘れないで欲しい」とサトラビ監督も語っているが、この問題は現在も全く解決されないままだ。この作品では、何が正しい、何が間違っているという主張の押し付けは一切されていない。ただ、ありのままのマルジャンの物語が語られていくだけだ。その中から何を感じ取り、何を受け止め、何をどう変えていかなくてはならないのかということを、観客が自分自身の頭で考えることが一番大切なことなのだろう。マルジャンの物語はまだ続いているのだ。

 

監督・脚本:マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー
原作:マルジャン・サトラピ
製作:マルク=アントワーヌ・ロベール&グザヴィエ・リゴ
音楽:オリヴィエ・ベルネ
声優:キアラ・マストロヤンニ
    カトリーヌ・ドヌーヴ
    ダニエル・ダリュー
    サイモン・アブカリアン
    ガブリエル・ロペス
    フランソワ・ジェローム

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