<メキシカン・ホラーPART 1>

フアン・ロペス・モクテズマ Juan Lopez Moctezuma
〜怪奇と幻想のアバンギャルド映画作家〜

 

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 メキシコのアバンギャルド映画と言えば、アレハンドロ・ホドロフスキーやフェルナンド・アラバルの名前を思い浮かべる人も多いだろう。そのホドロフスキーやアラバルの盟友であり、アート系ホラーの作家として近年再評価されつつあるのが、このフアン・ロペス・モクテズマという人物である。
 モクテズマ作品の特徴は、アート映画と呼ぶには怪奇幻想的なエンターテインメント性が強く、かといって娯楽映画と呼ぶには商業的なエンターテインメント性が希薄であること。セックスもバイオレンスもふんだんに盛り込まれているが、それはあくまでも彼独特の世界観の一部に過ぎず、いわゆる商業主義的なセンセーショナリズムとは無縁であった。それゆえに、当時は観客にも批評家にもなかなか理解されず、長いこと不当に過小評価されてきたと言えよう。

 1932年メキシコ・シティに生まれたモクテズマ。父親は裁判官で、かなり裕福な家庭に育ったようだ。しかし、少年時代から芸術家肌で反権力志向の強かった彼は、法律の道へ進むことを望む家族の反対を押し切って芸術の世界へ。
 絵画、舞台を経て放送業界へ入った彼は、Radio UNAM時代に“Panorama de JAZZ”という音楽番組を手掛ける。1959年に始まったこの番組はメキシコの若者やインテリ層から圧倒的な支持を受け、約36年間に渡って放送されるという超人気番組となった。
 他にも、彼は数多くのテレビ番組を制作。その殆んどが教育番組やドキュメンタリー番組だったが、中には古いサイレント映画を紹介する深夜の映画番組も手掛け、自らホスト役として出演して作品解説も行っていた。その番組を毎回欠かさず見ていたのが、当時まだ少年だったギレルモ・デル・トロ監督。デル・トロは後の監督作品も含めて、モクテズマに多大な影響を受けたことを公言している。
 そうしたテレビ・ラジオでの活動の一方、モクテズマは舞台のアバンギャルド運動にも深く関わっていた。有名な舞台演出家セキ・サノの助手を務めた彼は、サノを通じてホドロフスキーやアラバルと知り合い、彼らと共に前衛演劇集団ル・パニックを立ち上げる。
 ホドロフスキーが演出、アラバルが脚本、モクテズマが製作という役割分担は、映画『ファンドとリス』(67)でも受け継がれた。さらに、ホドロフスキーが独立して作った『エル・トポ』(69)でも、モクテズマは共同製作を受け持っている。
 モクテズマ自身も映画監督志向が強く、60年代に3本の短編実験映画を自主制作していた。しかし、当時のメキシコ映画界はユニオンの力が非常に強く、業界へ入るためには現場の下積みから始めるしかない。モクテズマのように外部の人間が入っていくのは至難の技だった。
 ホドロフスキーとの関わりの中で映画製作のノウハウを身につけたモクテズマは、『エル・トポ』のプロデューサーを務めたロベルト・ヴィスキンの助力を得て、初の長編劇映画を手掛ける。それが『ター博士の拷問地下牢』(72)である。
 これはエドガー・アラン・ポーの短編に着想を得た作品で、シュールレアリズムからグランギニョール、ブニュエルからフェリーニ、『カリガリ博士』からハマー・ホラーに至るまで、モクテズマが影響を受けたあらゆる芸術的要素の詰まった怪作。その根底には“革命”というものに対するモクテズマ自身のかなり冷ややかな目線を感じることが出来る。詳しい作品解説は下記で述べることにするが、彼のフィルモグラフィーの中でも特にアート志向の強い作品であることは間違いない。
 この『ター博士の拷問地下牢』は一部の前衛的な批評家からは高い評価を得たものの、インディペンデント作品であることからメキシコ国内では満足に上映されず、興行的には全くの惨敗だった。
 しかも、アメリカでは原題“The Mansion Of Madness(狂気の館)”を“Dr. Tarr's Torture Dungeon”とタイトル変更され、いわゆるエログロ・ホラーとしてドライブ・インやグラインドハウスで上映された。当然のことながら、作品そのものはアバンギャルドでポリティカルなアート作品。当時の観客は騙されたと思ったことだろう。ちなみに、激安の廉価版として発売された日本盤DVD(当然のことながら海賊盤)のタイトルは、このアメリカ公開版に基づいている。

 アメリカと合作のB級バンパイア映画『ブラッディ・マリー/邪悪なカクテル』(74)で雇われ仕事をこなしたモクテズマは、自身にとって最大の野心作とも言える『鮮血の女修道院/愛欲と情念の呪われた祭壇』(74)を発表する。これは修道院の抑圧に悪魔的な力をもって抵抗する少女を描いた映画で、オカルト物ともバンパイア物ともつかないビザールで複雑怪奇な作品。国民の89%がカトリック信者というメキシコにあって、物語の最後では半ば教会を肯定するような意味合いを残してはいるものの、これは相当に大胆で挑戦的な作品だったと言えよう。
 しかし、やはりメキシコではインディペンデント映画の需要が極めて少なく、この『鮮血の女修道院〜』も国内ではほとんどまともに配給されることはなかった。アメリカやヨーロッパでも単なるエクスプロイテーション映画として紹介され、ほぼ見向きされることもないまま。要は、世間からは完全に無視されてしまったわけだ。
 その後、7年間も映画の仕事から遠ざかっていたモクテズマは、メキシコの有名な女性歌手アンヘリカ・マリア主演のスリラー映画『キラー・ストレンジャー』(82)でカムバック。ドナルド・プレザンスやディーン・ストックウェル、アルド・レイなど国際的な豪華キャストを揃え、モクテズマのフィルモグラフィーの中では特に製作費のかかった作品だった。しかし、明らかにお金のために引き受けた仕事であり、そこにはかつてのアバンギャルド映画作家としてのモクテズマは影も形も残されていなかった。
 その後も生活のために映画を撮ることを余儀なくされ続けたモクテズマは、1995年8月2日心臓発作のために死去。享年63歳だった。生前にホドロフスキーのような評価を得ることがなかったことは大変惜しまれる。

 

 

ター博士の拷問地下室
The Mansion Of Madness (1972)

日本では劇場未公開
VHSは日本未発売・DVDは日本発売済
(※日本盤DVDは粗悪なPD素材を使用した海賊盤)

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(P)2004 Mondo Macabro (USA)
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/スタンダードサイズ/モノラル/音声:英語・スペイン語/字幕:英語
/地域コード:ALL/85分/製作:メキシコ

映像特典
監督に関するドキュメンタリー
ギレルモ・デル・トロ インタビュー
オリジナル劇場予告編
スチル・ギャラリー
監督のテキスト・インタビュー
監督:フアン・ロペス・モクテズマ
製作:ロベルト・ヴィスキン
原作:エドガー・アラン・ポー
脚本:カルロス・イレスカス
   フアン・ロペス・モクテズマ
   ガブリエル・ワイス
撮影:ラファエル・コルキディ
音楽:ナチョ・メンデス
出演:クラウディオ・ブルック
   アーサー・ハンセル
   エレン・シャーマン
   マルティン・ラサル
   ダヴィド・シルヴァ
   モニカ・セルナ
   マックス・ケルロウ
   スサーナ・カミーニ

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精神病院へと向う一台の馬車

ガストン(A・ハンセル/右)とジュリアン(M・ラサル/左)

司祭(D・シルヴァ)に案内されるガストン

 モクテズマ監督の記念すべき監督デビュー作。上記でも説明したように、『ター博士の拷問地下室』というのはアメリカ公開時のタイトルを邦訳しただけで、実際にはター博士なる人物も拷問地下室も出てこない。ただ、これは全くのでたらめで付けられたタイトルというわけでもなく、エドガー・アラン・ポーの原作「タール博士とフェザー教授の療法」に由来するものだ。
 19世紀末のフランスを舞台に、森の中に隔離された精神病院を訪れたアメリカ人記者の経験する摩訶不思議な恐怖体験が描かれていく。そこは奇妙な身なりをしたスタッフたちによって守られた要塞で、患者たちは自由に施設内を歩き回っている。院長であるマイヤール博士は“タール博士”と“フェザー教授”による理論をもとに独自の治療を実践しているのだというが、どちらも記者には耳慣れない名前だ。やがて、この病院が精神病患者たちによって占拠されていること、マイヤール教授の正体が医者を名乗る狂人であること、本当の医者やスタッフたちが牢屋に監禁されていることが判明。“タール博士”と“フェザー教授”というのは、狂人が彼らに対して行った懲罰“Tarring and Feathering(全身にタールを塗った上で鳥の羽根をまぶして晒し者にする)”のことだったのだ。
 以上がポーの原作の粗筋。モクテズマ監督はその“Tarring and Feathering”にまつわるエピソードをそっくり削除し、マイヤール博士の正体を誇大妄想癖のある山賊に変えることで、その目的が狂人たちによる政治的な革命であることを示唆する。
 そこには、当然のことながら19世紀初頭のメキシコ革命と、その結果としての一党独裁政権、そしてそれによってもたらされた政治腐敗と社会混乱というメキシコの近代史における教訓が投影されていると考えて間違いないだろう。これは“革命”という概念の理想と現実に対する大いなる皮肉、一部の誇大妄想家によって大衆が踊らされる“革命”の本質的な危険性を描いた作品と言えるかもしれない。
 さらに、主人公の友人である医師や偽マイヤール博士に囚われの身となっている美女を登場させることにより、ストーリーに娯楽映画的な膨らみを持たせることに成功している。ちなみに、アメリカ公開版では形式上ワン・シーンだけ“タール博士”の研究に言及するセリフがあるものの、オリジナルのスペイン語版には一切存在しない。
 しかし、本作の真にユニークな点は、モクテズマ監督の描き出すビザールでシュールな映像世界にあると言うべきだろう。アメリカ版DVDのキャッチ・コピーに“フェリーニがクスリをやりながらモンティ・パイソンの映画を監督したような作品”と書かれているが、まさにそんな感じだ(笑)
 全編に渡って貫かれたデカダンな見世物小屋的感覚、オフビートでナンセンスなユーモア精神、表裏一体にあるエロスとバイオレンス。盟友ホドロフスキーよりも、フェリーニの『サテリコン』や『カサノバ』、『女の都』辺りと相通ずるような映像カーニバルを楽しむことが出来る。
 これを当時“エドガー・アラン・ポー原作のエログロ・ホラー”として鑑賞したアメリカのドライブ・インやグラインドハウスの観客は、恐らく大いに戸惑ったはずだ。

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そこはまるで迷路のような場所だった

院長のマイヤール博士(C・ブルック)

マイヤール博士の娘エウジェニー(E・シャーマン)

 19世紀末のフランス。アメリカでジャーナリストとなったフランス人ガストン・ルブラン(アーサー・ハンセル)は、画期的な治療法を開発したと評判の精神病院を取材するために祖国へ戻ってきた。
 病院を運営するマイヤール博士は滅多に来客を受け付けないという。そこで、彼は共通の友人である医師ジュリアン・クーヴィエ(マルティン・ラサル)に頼み、マイヤール博士を紹介してもらうことにした。
 精神病院はパリを遠く離れた郊外にある。森や林を駆け抜けていった馬車は、やがて病院の門へとやって来た。ところが、そこには武装した警備兵が待ち構えていた。以前はこんなことはなかったのに、と首を傾げるジュリアン。そもそも、警備兵たちの格好もどこか薄汚れていて胡散臭い。
 なんとか門を通してもらった一行は、さらに深い森を抜けて病棟へと向った。ところが、途中で怪しげな狂人が路上に飛び出し、奇妙な騒ぎを繰り広げる。辺りの雰囲気もどことなく不気味だ。馬車に同乗していたジュリアンの姪ブランシュ(モニカ・セルナ)が気味悪がったことから、ジュリアンは病棟の近くでガストンを降ろし、自分の名刺を渡して引き返してしまう。
 怪しげな僧侶(ダヴィド・シルヴァ)に案内されたガストンは、院長のマイヤール博士(クラウディオ・ブルック)と面会する。ガストンがジュリアンの友人と知った彼は、快く迎え入れてくれた。
 病院の内部は実に奇妙で摩訶不思議なものだった。明らかに不釣合いな軍服やドレスを身にまとったスタッフが施設を守っており、さながら要塞のような雰囲気。しかも、そこかしこで精神病患者たちが歩き回っており、おのおの好き勝手放題に行動している。自分がニワトリだと思い込んでいる男、自分をダンテになぞらえて自ら地下に監禁されている男。だが、これこそがマイヤール博士の編み出した画期的な治療法だという。“患者たちの思いつきや空想を自由に探求させる”のだ。
 だが、ガストンはマイヤール博士の真面目なのかふざけているのか分からないような言動に疑問を抱いていく。博士の美しい娘エウジェニー(エレン・シャーマン)の父親に対する態度も、どこかよそよそしくてぎこちがない。
 一方、その頃帰路に着いたジュリアンの馬車は狂人たちによって襲われてしまう。姪のブランシュは集団レイプされ、ジュリアンは縄で縛り上げられてしまった。だが、狂人たちが酒と食事に興じている隙を見て、ジュリアンはその場から逃走することに成功する。
 夜中に女性の悲鳴を聞いたガストンは、施設内にある温室の扉を開けた。すると、僧侶が今まさにエウジェニーを生贄として殺そうとしているではないか。驚いたガストンはピストルを発砲し、エウジェニーを連れて病院から逃げ出す。
 ガストンの疑念は間違っていなかった。マイヤール博士を名乗っている男の正体は悪名高き山賊フラゴナール。傷を負って病院に迷い込んだ彼は精神病患者たちを煽動し、エウジェニーの父親である本物のマイヤール博士や病院スタッフたちを牢屋へ監禁。自ら“世界を変える革命家”を自負し、狂人たちを兵士として訓練しながら、来るべき“革命”に備えていたのだ。
 森の中でジュリアンと再会したガストンとエウジェニー。3人は力を合わせて追っ手を次々と倒していくものの、最終的には軍隊に囲まれて囚われの身となってしまった。やがて、華やかだが奇妙で不気味で悪趣味な狂人たちの宴が始まる。フラゴナールは狂人たちを焚きつけ、ガストンとエウジェニーを不満分子として処刑させようとするのだったが・・・。

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ガストンに病院内を案内するマイヤール博士

自分をニワトリだと思い込んでいる患者

古代宗教の儀式で舞を踊るエウジェニー

 本作の最も惜しむべき点は、この死刑宣告から叛乱へ至るまでのクライマックスにあると言えるかもしれない。あまりにも唐突で尻つぼみな展開はご都合主義的とも取られかねないし、ポーの原作から脱線するのであれば、もっと大胆な脚色を施しても良かったように思う。
 撮影監督を手掛けたのはホドロフスキーの『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』(73)で知られるカメラマン、ラファエル・コルキディ。自身も映画監督として数多くのファンタジー映画を手掛けており、本作で脚本に参加しているカルロス・イレスカスはその重要なコラボレーターの一人だった。
 さらに、劇団ル・パニック時代からの友人であり、ホドロフスキーの『ファンドとリス』にも出演していたガブリエル・ワイスが、共同脚本及びプロダクション・デザイナー、美術監督として参加している。
 また、『エル・トポ』の音楽スコアを手掛けていたナチョ・メンデスによる、ミステリアスでシュールな前衛音楽もホドロフスキー・ファンなら注目かもしれない。

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ビザールな歌姫と楽器隊

脱走を試みたガストンたちだったが・・・・

浴場で身を清めるマイヤール博士ら

 偽マイヤール博士役を演じているクラウディオ・ブルックはブニュエル映画の常連としても知られるメキシコの名優。フランス映画やイタリア映画などヨーロッパでの出演作も多く、ヴィンセント・プライスやクリストファー・リーを彷彿とさせる貴族的な雰囲気を持った個性的な役者だった。ギレルモ・デル・トロ監督の『クロノス』(92)で“クロノス”を狙う老人役を怪演していた俳優として記憶している人も多いかもしれない。本作ではかなりオフビートでクレイジーな演技を披露しており、コメディアンとしての才能も垣間見せている。
 一方、本作の語り部でもある主人公ガストン役を演じているアーサー・ハンセルは、イタリアやユーゴスラヴィアなどヨーロッパ各国の映画でも活躍したアメリカ人俳優。グイド・マラテスタ監督によるユーロ・スパイ映画“Missione apocalisse”(66)なんていう主演作もあるが、日本では殆んど無名に等しい。
 その他、『太陽のエトランゼ』(80)や『ミッシング』(82)にも出ていたメキシコ人俳優マルティン・ラサル、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテンン』にも出ていたダヴィド・シルヴァなどが出演している。

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いよいよ宴が始まる

マイヤール博士の正体は山賊フラゴナールだった

思い思いに宴を楽しむ狂人たち

 

 

鮮血の女修道院/愛と情念の呪われた祭壇
Alucarda (1975)

日本では劇場未公開
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

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(P)2003 Mondo Macabro (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆

DVD仕様(北米盤)
カラー/スタンダードサイズ/モノラル/音声:英語・スペイン語/字幕:なし
/地域コード:ALL/74分/製作:メキシコ

映像特典
監督に関するドキュメンタリー
ギレルモ・デル・トロ インタビュー
オリジナル劇場予告編
スチル・ギャラリー
監督のテキスト・インタビュー

監督:フアン・ロペス・モクテズマ
製作:フアン・ロペス・モクテズマ
   マックス・ゲフェン
   エドゥアルド・モレノ
脚本:フアン・ロペス・モクテズマ
   アレクシス・アロヨ
撮影:ザヴィエル・クルス
音楽:アントニー・ゲフェン
出演:クラウディオ・ブルック
   ダヴィド・シルヴァ
   ティナ・ロメロ
   スサーナ・カミーニ
   リリ・ガルザ
   ティナ・フレンチ
   マルティン・ラサル

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両親を失った少女ジュスティーヌ(S・カミーニ)

ジュスティーヌを案内するシスター・アンジェリカ

エキセントリックな少女アルカルダ(T・ロメロ)

 アバンギャルドなアート作品という点では『ター博士の拷問地下室』に遠く及ばないものの、こちらもなかなか独創的な世界観を持ったビザールな作品。セックスとバイオレンスとオカルティズムを、モクテズマ流の詩情豊かなアナーキズムで描いたホラー映画である。
 舞台は19世紀末。ジュスティーヌという感受性豊かな少女が女子修道院へやって来る。そこで彼女はアルカルダというエキセントリックな少女と出会い、2人は急速に友情を深めていく。抑圧された修道院の生活に息苦しさを感じ、自由を渇望するようになるアルカルダとジュスティーヌ。しかし、強い反抗心から徐々に悪魔崇拝へ傾倒していく2人に恐れおののいた修道女たちは、彼女らが悪魔に取り憑かれているのではないかと疑い・・・。
 ケン・ラッセル監督の『肉体の悪魔』(71)と比較されることの多い作品だが、確かに信仰の名の下に個人の自由を抑圧する
教会の偽善や狂信を描いているという点で共通するものがあるかもしれない。
 結果として本当に悪魔憑きだったことが分かる後半は賛否両論あると思うが、やはり地元のカトリック教会に配慮してのことと考えられる。悪魔の恐ろしさを描いたストレートな恐怖譚でありながら、実は悪魔と同じくらい教会も恐ろしいということを描いている点こそが本作の真骨頂と言えよう。少なくとも、世界有数のカトリック大国メキシコで教会のダーク・サイドを糾弾しようとしたという事実だけでも、十分に大胆な試みであったはずだ。
 しかし、それ以上に強烈なインパクトを残すのは、やはりモクテズマ作品ならではの、ちょっと普通ではないビジュアル・イメージの数々。まず修道女たちのミイラみたいな不気味な服装に驚かされる。古代宗教を思わせるプリミティブで“悪魔的”な教会の内装も凄いし、生ける屍と化したジュスティーヌが血だらけの棺から全裸で姿を現すシーンも印象的。
 さらに、怒りや悲しみなどの感情をストレートの剛速球でぶつけてくる少女アルカルダのキャラクターも強烈だ。演じるティナ・ロメロという女優自身がかなり個性的な顔をしているのだが、彼女が泣き、叫び、髪を振り乱しながらグルグルと飛び回る姿はドン引きするくらいに圧巻。さらに、クライマックスで彼女が悪魔的なパワーを発揮するシーンでは、修道女たちが次々と凄まじい勢いで燃え上がり、天井のシャンデリアが崩れ落ち、文字通り阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる。
 スプラッター・シーンやヌード・シーンなどを含めて、一歩間違えると単なるエクスプロイテーション映画に陥りかねないところを、ギリギリ寸前のところでアート映画として成立させているのもユニークな点だ。
 その一方で、極端な低予算によるチープな特殊メイクやお世辞にも上手いとは言えない編集など技術的な粗が目立つのも事実で、手放しで褒めることができないというのが惜しまれるところ。こと宗教的な知識やバックグランドに乏しい日本では理解されづらい作品かもしれない。

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固い絆で結ばれるジュスティーヌとアルカルダ

謎めいた廃墟を発見する2人

修道院では恐怖心によって信仰を煽っていた

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狂ったように悪魔の名を連呼するアルカルダ

トランス状態の中で悪魔と結ばれる2人

神に祈りを捧げるシスター・アンジェリカ

 両親を亡くした少女ジュスティーヌ(スサーナ・カミーニ)が修道院へ到着する。幼い頃から彼女を良く知るシスター・アンジェリカ(ティナ・フレンチ)は、その心中を察して暖かく出迎えるが、ジュスティーヌはなかなか心を開こうとはしなかった。
 そんな彼女と相部屋になったのが、天涯孤独の少女アルカルダ(ティナ・ロメロ)。自然と昆虫と自由を愛する少々エキセントリックなアルカルダに、ジュスティーヌは魅せられていく。2人はたちまち固い絆で結ばれた。
 森の中で束の間の自由を満喫するアルカルダとジュスティーヌ。そんな彼女たちの前に、ジプシーのせむし男(クラウディオ・ブルック)が姿を現す。その悪魔的な魅力に2人は興味を示し、彼から不思議な短刀を貰った。その帰り道、2人は不気味な廃墟を発見。アルカルダは不思議な懐かしさを覚える。
 教会ではラザロ神父(ダヴィド・シルヴァ)や修道院長(ビルギッタ・セゲルスコグ)らが、来る日も来る日も厳しい説教を行っていた。“我らこそが唯一絶対の宗教であり、その教えを守らないものは地獄で永遠に焼かれる”と少女たちに恐怖心を植え付けて信仰心を煽ろうとする大人たち。少女や若いシスターたちは次々とトランス状態に陥り、神に救いと情けを請うのだった。
 その最中に気を失って倒れるジュスティーヌ。修道院の抑圧と冷酷さに耐えかねたアルカルダは怒りを爆発させるように悪魔の名を叫び、それと呼応するようにジュスティーヌもトランス状態へと陥っていく。そんな彼女たちの声を聞き、シスター・アンジェリカは必死になって神に祈るのだった。
 それ以来、アルカルダとジュスティーヌの態度が一変した。シスター・ジェルマーナ(アドリアーナ・ロエル)に悪魔的な暴言を吐いた2人は罰せられ、ジュスティーヌは病の床に伏してしまう。
 ラザロ神父に告解を迫られたアルカルダは、逆に“私は人生を愛している、でもあなたたちは死のことばかり語ろうとする。あなたたちは人生そのものを恐れているのよ”と食ってかかった。ラザロ神父はその態度に恐れおののき、悪魔が憑いていると糾弾するのだった。
 我が身に鞭を打って悪魔の誘惑を払いのけようとするラザロ神父とシスターたち。やがてトランス状態に陥った彼らは過去の“悪魔憑き”の例を持ち出し、興奮の覚めやらぬままアルカルダとジュスティーヌに悪魔祓いを施すことにした。
 それを知ったシスター・アンジェリカは、密かにジュスティーヌを逃がそうとする。ラザロ神父たちがやろうとしていることは、悪魔祓いに名を借りた拷問だと知っているからだ。しかし、寸でのところで間に合わず、ジュスティーヌは連れ去られてしまった。
 やがて始まる悪魔祓いの儀式。ジュスティーヌとアルカルダは磔にされる。次々と肉体を痛めつけられたジュスティーヌとアルカルダは苦痛に顔を歪めるが、ラザロ神父は“彼女たちが苦しんでいるのではない、肉体に巣食う悪魔が苦しんでいるのだ”と拷問の手を緩めないように戒める。
 そこへ、ジュスティーヌの主治医オスゼック(クラウディオ・ブルック)が駆けつけた。時代錯誤の悪魔祓いを止めさせようというのだ。しかし時すでに遅く、哀れなジュスティーヌは息絶えていた。その亡骸を抱きしめたシスター・アンジェリカは、“あなた方のしたことは神の言う愛ではない”と断罪する。しかし、修道院長は顔色一つ変えずに彼女を黙らせるのだった。
 オスゼック医師は辛うじて一命を取りとめたアルカルダを、自宅へと運んで静養させる。目を覚ましたアルカルダは、オスゼック医師の一人娘である盲目の少女ダニエラ(リリ・ガルザ)と親しくなった。
 その頃、修道院ではジュスティーヌの死体と、それを見守っていたシスターが忽然と姿を消してしまった。慌てた修道院長はオスゼック医師を呼ぶ。修道院内部を捜索したオスゼックは、変わり果てた姿となったシスターの死体を発見。しかも、目の前でその死体が動き出し、ラザロ神父はその首を切り落とした。これこそが“悪魔の仕業”の動かぬ証拠だ。ようやく超自然的な力の存在に気付き始めたオスゼック医師は、愛娘をアルカルダと一緒に残してきたことを思い出した。
 急いで自宅へ戻ったオスゼック医師だが、既に2人の姿はなかった。シスター・アンジェリカは、アルカルダのお気に入りの場所だった廃墟のことを思い出し、オスゼック医師や修道士たちを案内する。ところが、そこにいたのは生ける屍と化したジュスティーヌだった。しかも、その頃アルカルダがダニエラを連れて修道院に姿を現し、悪魔的な力によって恐るべき大虐殺を行っていたのだ・・・。

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告解を強要されるアルカルダ

鞭を打って体を清める修道士とシスターたち

悪魔祓いを受けるジュスティーヌ

 勘の良い人ならお分かりのことと思うが、ジュスティーヌという名前はマルキ・ド・サドの小説から拝借したもの。さらに、アルカルダという名前はDRACULAのアナグラム(厳密に言うとAが一つ多いのだが)である。
 なお、本作はインディペンデント映画である上に内容が過激であったことから、メキシコでは3年間もお蔵入りしていた。また、アメリカでは“Sisiters of Satan”というタイトルのオカルト映画として公開され、後に“Innocentsfrom Hell”及び“Mark of the Devil 3”のタイトルでビデオ発売されている。
 一応、シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』を原作にしているとされるが、残念ながらレズビアン的な描写以外は殆んどストーリー的な関連性はない。脚本はモクテズマ自身と友人のアレクシス・アロヨが手掛け、モクテズマ夫人であるヨランダが原案に関わっている。
 撮影監督を務めたのは『ナイトライダース』(87)や『デス・ストーカー/誓いの剣』(88)などのB級映画を数多く手掛けているザヴィエル・クルス。音楽を手掛けたアントニー・ゲフェンも、『巨大ねずみパニック』(82)や『スタッフ』(85)などのB級映画をもっぱら手掛けていた作曲家だ。プロデューサーとしてクレジットされているマックス・ゲフェンとの関係は不明だが、恐らく血縁か何かだろう。

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アルカルダを救い出すオスゼック医師(C・ブルック)

甦ったシスターの首を切断したラザロ神父(D・シルヴァ)

生ける屍となったジュスティーヌ

 アルカルダ役を演じているティナ・ロメロは、メキシコではとても有名なテレビ・スター。英語が堪能なことからハリウッド映画にも数多く出演している。一方のジュスティーヌ役を演じたスサーナ・カミーニは、モクテズマ監督の『ター博士の地下拷問室』に精神病患者の一人として顔を出していた女優。『ブラッディ・マリー/邪悪なカクテル』にも出演しており、モクテズマのお気に入りだったようだ。
 その他、クラウディオ・ブルックやダヴィド・シルヴァ、マルティン・ラサルといった常連組が登場。また、ダニエラ役で出演しているリリ・ガルザは、現在テレノヴェラの女流監督として活躍している。

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悪魔的なパワーを発揮するアルカルダ

次々と炎に包まれるシスターたち

阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる

 

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