イタリア映画のマエストロ(4)
ルチオ・フルチ Lucio Fulci
PART 1

 

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 スプラッター映画の帝王、ゾンビ映画の巨匠、などといったイメージが一人歩きしてしまい、なかなか正当な評価を得ることが出来なかった映画監督と言えるだろう。特に日本では出来の悪い晩年の作品ばかりがルチオ・フルチ・ブランドで続々とビデオ発売され、残酷描写を見せるしか能のない二流監督といったイメージが定着してしまった。
 確かに、晩年のフルチ作品はどれも酷い。当時はイタリアのジャンル映画がすっかり衰退してしまい、予算が全く取れないような状況だった。また、イタリア産娯楽映画全盛期を支えた優秀な脚本家の多くも現役を引退してしまい、脚本もロクなものが出回ってなかった。しかし、大病を患って2年以上も仕事をしていなかったフルチは、生活のために働かなくてはならなかったのだ。彼は晩年の作品の出来の悪さを認めながらも、“それでも仕事があるだけ幸運だと思っていた”と語っている。
 いずれにせよ、作家にしろ映画監督にしろ、芸術家というものは全盛期・最盛期の仕事で評価されるべきだ。晩年の『サンゲリア2』('88)や『ルチオ・フルチの新デモンズ』('90)などを引き合いに出して、鬼の首を取ったかのようにフルチを酷評すること自体が愚の骨頂と言うべきだろう。

 そもそもフルチは反骨の映画作家だったと思う。政治家や教会のような権力に対して、プチブル的な社会モラルに対して、そして古い西欧文明的な価値観に対して、常に噛み付き続けた映画監督だった。特に、それは自身が最高傑作と呼ぶ歴史劇“Beatrice Cenci(ベアトリーチェ・チェンチ)”('69)以降の作品において顕著である。“Beatrice Cenci”で利権を貪るカトリック教会の偽善を糾弾したフルチは、風刺コメディ“All'onorevole piacciono le donne(上院議員は女性がお好き)”では政治家と教会、マフィアによって搾取される現代イタリア社会を痛烈に皮肉り、猟奇サスペンス『マッキラー』('72)では貧困と古い因習が支配する南イタリアを舞台に無知と妄信によって引き起こされる負の連鎖を描き出した。
 “私は神を捜し求めながらも、疑問を抱いている人間だ”と語っていたフルチ。強烈なスプラッター描写と腐敗臭のしてくるようなゾンビの造形ばかりが取り沙汰される『サンゲリア』(’79)にしても、そうしたフルチの宗教観が色濃く反映された終末思想的ドラマだったと言えよう。少なくとも、“Beatrice Cenci”から『ビヨンド』('81)辺りまでのフルチ作品を見れば、彼が非凡な才能と揺るぎない信念を持った映像作家であったことがよく分かるはずだ。
 フルチの愛娘アントネッラは、父親の人となりをこう語っている。“彼は自分の人生が誰かにコントロールされようとしていると感じたら、あらゆる手を尽くして猛烈に反抗するような人でした。不平不満は多いし、彼のブラック・ユーモアは誰にも理解が出来ませんでした。私も含めてね。彼を喜ばせる手段は一つだけ。彼の挑発に抵抗することです。もしあなたが言い返すことが出来れば(それ自体がとても困難ですが)、彼はあなたを心底好きになるでしょう”と。
 つまり、かなり偏屈な変わり者だったわけだ。しかし、見方を変えれば非常に人間臭い人物だったとも言える。彼自身、自分の言動を“内面の脆さの裏返しだ”と語っていたが、その屈折こそが彼の映画監督としての動力源だったのかもしれない。

 1927年6月17日、ルチオ・フルチはローマに生まれた。両親は経験なカトリック教徒で、厳格な母親は息子が弁護士になることを望んでいた。映画への情熱を秘めながらも、堅気な職業に就くため薬学を勉強していたフルチ。ところが、金持ちの令嬢に振られた彼は、落ち込みながら乗った電車の中で、向いに座った男性が読んでいる新聞の広告を目にする。それは、国立映画実験センターが再開するという告知だった。それを見て衝動的に試験を受けたフルチは見事に合格。同期にはフランチェスコ・マゼッリやナンニ・ロイなど錚々たる顔ぶれが揃っていた。
 在学中から映画批評を書くようになったフルチは、卒業後ドキュメンタリー映画を撮るようになる。さらに、マックス・オフュールスやマルセル・レルビエ、リカルド・フレーダなどの助監督を務めた後、当時売れっ子だった喜劇監督ステノ(ステファーノ・ヴァンツィーナ)の助監督兼脚本家として活躍するようになった。他にも、カミッロ・マストロチンクエやマウロ・ボロニーニ、ジョルジョ・ビアンキなどの作品で脚本を書いている。
 57年から1年間映画紙“La Settimana Incom”の編集部で勤務したフルチは、セルジョ・グリエコ監督の“Pia de'tolomei”('58)の脚本を書いて映画界に復帰。そして、その翌年に“I ladri”('59)で映画監督へ昇進した。

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久しぶりに再会した兄ジェフ(G・ヒルトン)は酒浸りに
『真昼の用心棒』より

故郷へ舞い戻ったガンマン、トム(F・ネロ)が見たものは・・・
『真昼の用心棒』より

 その後、アドリアーノ・チェレンターノやミーナが出演する音楽映画や、当時イタリアで絶大な人気を誇った喜劇コンビ、フランコ&チッチョ主演のコメディ映画などを手がけていたフルチ。そんな彼にとって初めて国際マーケットで脚光を浴びた作品が、フランコ・ネロ主演のマカロニ・ウェスタン『真昼の用心棒』('66)だった。
 主人公は金鉱で働くガンマン、トム・コーベット(フランコ・ネロ)。ある日、彼は故郷から“至急帰れ”という手紙を受け取る。数年ぶりに故郷ララミー・タウンに帰ったトムは、町が実業家のスコット一家によって牛耳られてしまっている事を知る。家と土地を奪われた兄ジェフ(ジョージ・ヒルトン)はアルコールに溺れ、人々は怯えるようにして暮らしている。
 トムは自分が呼び戻された理由を探ろうとするが、兄ジェフはすぐに町を立ち去るようにと警告するばかり。手紙をよこしたキャラダイン一家も、彼の目の前で何者かによって皆殺しにされてしまった。スコット一家に何かあると考えたトムは、主のスコット氏(ジョン・マクダグラス)に面会を求めるが、そのサディスティックな息子ジェイソン(ニーノ・カステルヌオーヴォ)によってリンチされてしまう。さらに、彼を看護した乳母メルセデス(リナ・フランケッティ)も殺されてしまい、それまで傍観していた兄ジェフもトムと共にスコット一家に立ち向かうことを決意する。
 やがて、トムとジェフはスコット氏と対面する。そこでスコット氏は、自分こそがトムの実の父親であること、町中で横行している虐殺の首謀者がジェイソンであることを告げる。ジェイソンは生まれつきの異常性格者で、その常軌を逸した行動は父スコット氏にも手に負えなくなってしまった。そこで、腹違いの息子であるトムを跡継ぎにしようと、キャラダイン一家を使って手紙を出したのだというのだ。ところが、そこへジェイソンが現れ、スコット氏を射殺してしまう。全ての悪の元凶がジェイソンであることを知ったトムとジェフは、ジェイソンとその一味に最後の戦いを挑むのだが・・・。
 “私はセルジョ・レオーネのようなリアリストではない”と語っていたフルチだが、確かに本作は西部劇の体裁を取ったダーク・ファンタジーのような印象を受ける。怪奇幻想的な空気感が全編に漂っており、何とも陰鬱なムードを醸し出している。幼い子供を含むキャラダイン一家が皆殺しにされるシーンなどは、ほとんどホラー映画のようなおどろおどろしさだ。劇場公開当時話題になった鞭によるリンチ・シーンなどのバイオレンス描写も執拗で陰惨。それを安易に後のホラー映画と結びつけるのもどうかとは思うが、少なくとも人間の悪意や残虐性といった“負”の部分に魅せられるというフルチの個性は如実に現れていると見ていいだろう。そういった意味で、本作は“ホラー映画監督”ルチオ・フルチのルーツ的な作品なのかもしれない。
 ちなみに、主演のフランコ・ネロは明らかに自身の当たり役ジャンゴを意識しているように見える。作品そのもののダークな雰囲気を比べてみても、フルチ自身が『続・荒野の用心棒』をある程度意識したのではないかとも考えられるだろう。一方、トムの兄ジェフを演じるジョージ・ヒルトンは、これがマカロニ・ウェスタン初登場。以降、多数のマカロニ作品でヒーローを演じることになる。
 そして、本作で最大のサプライズは、変態サイコ野郎ジェイソンを演じるニーノ・カステルヌオーヴォだろう。『シェルブールの雨傘』の小市民的な好青年というイメージの強い彼を、金持ちのイカれた我がまま息子という悪役に起用したのは見事なキャスティング・センスだった。人間の傲慢と悪意を最大限にまで誇張したジェイソンの強烈なキャラクターは、時として主役のフランコ・ネロを食ってしまうほどのインパクトだった。

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義姉マーサ(F・ダミューア)に妻の面倒を任せるジョージ(J・ソレル)
“Una sull'altra”より

妻スーザンに瓜二つのストリッパー、モニカ(M・メル)
“Una sull'altra”より


 さて、その『真昼の用心棒』を含め、一貫して職人監督としての仕事に徹してきたフルチが、初めて自ら原作、脚本、演出までを手がけた作品が“Una sull'altra”('69)である。これはヒッチコックの『めまい』にヒントを得たサスペンス・スリラー。サイケデリックでモダンなセットや衣装、スタイリッシュで実験的な映像スタイルなど、非常にアバンギャルドで洒落たセンスの光る作品だ。屈折したキャラクターばかり登場する不条理なストーリー展開やクィアーで変態チックな性描写など、フルチ独特のひねくれた世界観も健在。70年代以降のフルチを語る上でも欠かせない、重要な作品と言えるだろう。
 舞台となるのは霧の街サンフランシスコ。若くてハンサムな医師ジョージ(ジャン・ソレル)は、弟ヘンリー(アルベルト・デ・メンドーザ)と共にクリニックを経営している。彼にはスーザン(マリーサ・メル)という病気がちの妻がいるが、夫婦の間は既に冷え切っていた。クリニックの経営は弟に頼りっぱなしで、妻の介護も義姉マーサ(フェイス・ダミューア)に任せたままのジョージは、友人の人気写真家ラリー(ジャン・ソビエスキー)の助手であるジェーン(エルザ・マルティネッリ)との情事に溺れている。
 そんなある日、ジェーンとの不倫旅行に出かけていたジョージは、ヘンリーから妻スーザンが亡くなったという連絡を受ける。持病の喘息をこじらせてしまったというのだ。彼女には多額の保険金が掛けられていたが、保険会社はその死因に疑問を抱く。何故なら、ジョージの経営するクリニックは多額の負債を抱えており、妻スーザンの死は余りにもタイミングが良すぎるからだ。
 一方、スーザンに保険が掛けられている事を知らなかったジョージは当惑する。自分を憎んでいたはずの妻がなぜ保険金を残してくれたのか?そんな折、匿名の電話を受けたジョージは、スーザンに瓜二つのストリッパー、モニカ(マーシャ・メリル)の存在を知る。彼女が働くストリップ・クラブを訪れたジョージは大きく戸惑いながらも、その美しさにたちまち惹かれていく。モニカは姿かたちこそスーザンとそっくりだったが、挑発的で官能的な魅力は全くの正反対だった。
 しかし、ジョージがモニカと結託して保険金詐欺を謀ったのはと考えた保険会社は警察に通報し、それを受けたウォルド警部(ジョン・アイアランド)はモニカを逮捕する。警察の尋問に対し、モニカはベティと名乗る女性からスーザンになりすまして保険会社と契約するよう頼まれたと語った。さらに、モニカの部屋から大金の入った封筒が発見され、ジョージの指紋が大量に付着していることが判明する。これにより、ジョージは妻殺しの犯人として逮捕されてしまう。
 モニカにはベンジャミン・ウォームサー(リカルド・クッチョーラ)という金持ちのパトロンがいた。ウォームサーは気弱な中年男だったが、モニカにぞっこん惚れ込んでおり、まるで奴隷のような状態だった。モニカが逮捕されたことを知ったウォームサーは保釈金を払おうとするが、既に何者かによって彼女が釈放されたことを知る。自分以外に愛人がいると考えたウォームサーは激しい嫉妬を覚えるのだった。
 逮捕されたジョージは自らの潔白を訴えるものの、状況は極めて彼に不利だった。彼の無実を信じるジェーンは独自の調査で、行方不明になっている高級娼婦の存在を突き止めるものの、謎を解明するには至らなかった。そして裁判の結果、ジョージに死刑が宣告される。絶望に打ちひしがれるジョージ。そんな彼のもとを訪れた兄ヘンリーが、驚くべき真実を語り始めた・・・。

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ジョージと愛人関係にある女性ジェーン(E・マルティネッリ)
“Una sull'altra”より

スプリット・スクリーンを駆使したスタイリッシュな映像
“Una sull'altra”より

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捜査を担当するウォルド警部(J・アイアランド)
“Una sull'altra”より

嫉妬に狂った中年男ウォームサー(R・クッチョーラ)
“Una sull'altra”より

 スプリット・スクリーンやフリー・ハンド・カメラなどを駆使したフルチのハイセンスな演出、60年代ベイ・エリアのスウィンギーなロケーション、リズ・オルトラーニによるファンキーなモダン・ジャズが見事に絡み合い、何ともクールでスタイリッシュなサスペンス映画に仕上がっている。複雑なストーリーも全く破綻することなく、二転三転するどんでん返しも隙がない。これほどまでに洗練された映画をフルチがモノにしていたというのは、『サンゲリア』や『ビヨンド』しか見たことのないファンには嬉しい驚きだろう。やはり彼がただ者ではなかったということを実感させてくれるはずだ。
 モダンでシックなプロダクション・デザインを担当したのは、ヴィスコンティの『ベニスに死す』やベルトルッチの『暗殺の森』なども手がけたネド・アッツィーニ。セット・デザインのピエル・ルイジ・バシーレは『ハンニバル』('01)や『ブラック・ダリア』('06)の美術デザインを手がけている人物だ。撮影監督はマカロニ・ウェスタンからスパイ映画まで幅広く手がけた名カメラマン、アレハンドロ・ウロア。こうした一流のスタッフによる見事な職人技も見応えがある。
 そして、豪華な顔ぶれが揃ったキャストの見事なアンサンブルも大きな魅力。『熊座の淡き星影』や『昼顔』などで60年代に大変な人気を誇ったフランスの二枚目俳優ジャン・ソレル、『ハタリ!』でジョン・ウェインの相手役を演じたエルサ・マルティネッリ、『赤い河』のジョン・アイアランド、50年代SF映画の女王フェイス・ダミューア、『死刑台のメロディ』でカンヌ映画祭男優賞を受賞したリカルド・クッチョーラ、スペインの人気俳優アルベルト・デ・メンドーサ、そして女優リリー・ソビエスキーの父親であるジャン・ソビエスキーなど、個性的なスター俳優が一堂に顔を合わせている。その中でも、やはりスーザンとモニカの一人二役を演じているマリーサ・メルはダントツの存在感。アクの強い顔つきが人によって好き嫌いの分かれるところかもしれないが、その超然としたミステリアスな美貌はハマリ役だった。

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父殺しを計画するベアトリーチェ(A・ラルッサ)と恋人オリンピオ
“Beatrice Cenci”より

教会の拷問にかけられるオリンピオ(T・ミリアン)
“Beatrice Cenci”より

 この“Una sull'altra”で映画監督として新たな転機を迎えたフルチは、次に自ら最高傑作と自負する歴史ドラマ“Beatrice Cenci”('69)を発表する。これは16世紀末のイタリアに実在した女性ベアトリーチェ・チェンチの悲劇を描いた実録もので、フルチ自身の権威に対する懐疑心と嫌悪感が全面的に打ち出された作品だった。暴君によって虐げられた封建社会の理不尽、正当化される暴力と歪められる性、そして信仰の名の下に私利私欲を肥やすカトリック教会の偽善。そうした人間の欲望と悪意によって悲劇的な最期を遂げることとなった女性ベアトリーチェ・チェンチの物語を、荘厳な映像美と生々しいバイオレンスで描ききった問題作だ。
 舞台は1599年。ベアトリーチェ(アドリエンヌ・ラルッサ)をはじめとするチェンチ家一族は処刑の瞬間を待っていた。彼らは当主フランチェスコ(ジョルジュ・ウィルソン)殺害の容疑で有罪判決を受けたのだ。果たして彼らの身に何が起きたのか?
 物語は4年前へと遡る。チェンチ家は近隣一体を支配する裕福な貴族だったが、当主フランチェスコは残忍な暴君として悪名高い人物だった。貧しい庶民を虐げ、教会とも対立してきたフランチェスコは、家族にとっても恐ろしい存在。妻や子供たちに暴力を振るうことも珍しくはなかった。美しく聡明な長女ベアトリーチェは父親を嫌悪し、その支配から逃れるために修道女となることを決意する。しかし、それを知ったフランチェスコは娘を城の一室に監禁してしまった。
 それから約1年後、ベアトリーチェはようやく自由の身となる。父親への憎しみを募らせた彼女は、晩餐会の席でフランチェスコに恥をかかせる。怒り狂ったフランチェスコはベアトリーチェをレイプしようとした。この一件をきっかけに、ベアトリーチェの父親に対する憎悪は殺意へと変わったのだった。
 ベアトリーチェには密かに愛する男性がいた。忠実な家臣オリンピオ(トーマス・ミリアン)である。ベアトリーチェから相談を受けたオリンピオは、盗賊カタラーノ(ペドロ・サンチェス)を使ってフランチェスコの暗殺を計画する。オリンピオの手引きで城に忍び込んだカタラーノはフランチェスコを殺害しようとするが失敗。そこへ現れて止めを刺したのは、他でもないベアトリーチェだった。
 フランチェスコの死は事故として報告された。しかし、一族の内情を知る教会関係者は偽装を疑い、オリンピオに壮絶な拷問を加える。当初は頑なに供述を拒否していたオリンピオだったが、遂に拷問に耐えかねて事の次第を告白してしまった。本来は情状酌量の余地のある事件だったが、カトリック教会にはある目論見があった。枢機卿ランチアーニ(レイモン・ペルグラン)はこれを絶好の機会と考え、チェンチ家の土地と財産を教会のものとするため、一族郎党を抹殺してしまうことを企んでいたのだ・・・。

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哀れな末路を辿っていくチェンチ家の人々
“Beatrice Cenci”より

処刑の日を迎えたベアトリーチェ
“Beatrice Cenci”より

 題材としては、フランコ・ゼフィレッリ辺りが好みそうな作品。もしこれがゼフィレッリだったら、恐らくもっと瑞々しい正統派のメロドラマに仕上げていたことだろう。それこそ、『ロミオとジュリエット』や『ブラザー・サン・シスター・ムーン』のように。どんなに過酷な状況下でも人生は美しいもの、というのがゼフィレッリの持論だった。しかし、根っからのペシミストであるフルチには、ゼフィレッリのようなロマンティシズムの介在する余地などはない。富と権力に駆られた人間の恐ろしさ、愚かさ、残酷さというものが、これでもかとばかりに生々しく描写されていくのだ。まるで、フルチ自身の権力に対する不信感や憎しみをぶちまけるかのごとく。それは一種異様なまでの迫力と言えるだろう。
 また。フラッシュ・バックを多用しながら当時の社会情勢や人物関係などを丁寧に紡いでいくストーリー・テリングも巧い。脚本家出身であるフルチの面目躍如といったところだ。全面的に打ち出された反体制のメッセージには、左翼へと傾倒していた当時の社会情勢からの影響も少なからずあるかもしれない。同時に、暴力や権力に屈することなく己の尊厳を守りぬいたベアトリーチェの姿を描くフェミニズム映画、という側面があることも見逃せないだろう。
 中世の南イタリアの土着的で幻想的な世界をカメラに収めたのは、ジュリアーノ・モンタルドの『明日よさらば』やダリオ・アルジェントの『わたしは目撃者』で知られる撮影監督エンリコ・メンツェール。また、ダミアーノ・ダミアーニの名作『シシリアの恋人』を手がけたウンベルト・トゥルコが、オリエント世界の影響を受けた南イタリア独特の壮麗な美術セットをデザインしている。
 ベアトリーチェ役のアドリエンヌ・ラルッサはイタリア系アメリカ人。イタリアで映画デビューしたが、70年代にはアメリカへ拠点を移している。『地球に落ちてきた男』にも出演していたようだが、残念ながらアメリカでは大成しなかった。大きな目が印象的な美しい女優だが、演技力は正直なところ及第点だった。
 その父親フランチェスコ役で怪演を見せるのは、反戦映画の大傑作『かくも長き不在』で知られる名優ジョルジュ・ウィルソン。どちらかというと温厚で大人しい役柄を得意とする俳優だったが、本作では同情の余地もない暴君として違った一面を見せている。
 その他、オリンピオ役ではマカロニ・ウェスタンの暴れん坊、トーマス・ミリアンが珍しく実直な人間を演じている。そのオリンピオが暗殺を依頼する盗賊役には、やはりマカロニ・ウェスタンの悪役で有名なペドロ・サンチェス(本名イグナチオ・スパッラ)が登場。また、サッシャ・ギトリ版『ナポレオン』('54)のナポレオン役で有名なフランスの名優レイモン・ペルグランが、枢機卿ランチアーニ役で顔を出している。

 さて、フルチにとっては文字通り渾身の力作だった“Beatrice Cenci”だが、当時の評論家からは猛烈な反発を受けてしまった。特にあからさまな教会批判が、カトリックのお膝元であるイタリアでは問題視されたようだ。もちろん、フルチ自身がカトリック教徒であり、本作でも信仰そのものを否定しているわけではない。だが、その真意を理解できる評論家は残念ながら存在しなかった。おかげで、フルチは問題児のレッテルを貼られてしまうこととなる。
 さらに追い討ちをかけるように、11年間連れ添った最愛の妻グレッタが癌にかかっている事が発覚し、それを苦にガス自殺を遂げてしまった。すっかり気落ちしてしまったフルチは、フリオ・ブックスと共同監督した西部劇“Los desesperados”を最後に仕事から遠ざかってしまう。

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悪夢に悩まされ続けているキャロル(F・ボルカン)
『幻想殺人』より

毎晩のように乱交パーティを開いているジュリア(A・ストリンドバーグ)
『幻想殺人』より

 そんなフルチが1年余りのブランクを経て発表した作品が、めくるめく幻想と官能のサスペンス・ホラー『幻想殺人』('71)である。人を刺し殺す夢を見た女性が、現実に起きた殺人事件の容疑者となる。果たして彼女は本当に人を殺したのか?という謎を巡って、夢と現実が交錯するサイケデリックでトリッピーな作品だ。“Una sull'altra”で見せたアバンギャルドなスタイルをベースに、より洗練されたカメラワークとヒップなセンセーショナリズムで見せるフルチの演出には目を見張るものがある。作品そのものは明らかにダリオ・アルジェントの『歓びの毒牙』に影響されたジャッロ。当時はアルジェントを真似たジャッロ作品が大量生産されていたが、本作はその中でも群を抜いた出来栄えだった。
 イギリスの有力な政治家ブライトン(レオ・ゲン)の愛娘キャロル(フロリンダ・ボルカン)は、夜な夜な見る悪夢に悩まされていた。それは全裸の男女が入り乱れる非常にセクシャルなもの。キャロルの住む高級アパートでは隣人ジュリア(アニタ・ストリンドバーグ)が毎晩のように乱交パーティを開いており、その騒音は近隣の住人宅にも響き渡っていた。かかりつけの精神分析医(ジョルジュ・リゴー)は、ジュリア宅の乱交パーティがキャロルの潜在的な欲求不満を刺激し、それが悪夢の原因になっていると推測する。
 キャロルにはフランク(ジャン・ソレル)という夫がいる。フランクは彼女の父親の部下であり、有能な弁護士だった。父親の勧めで結ばれた2人だったが、幸せな結婚生活はあくまでも表面上だけのもの。夫婦の間には溝が深まっていたが、気位の高いキャロルは満ち足りた妻の役割を演じ続けていた。
 そんなある晩、彼女は夢の中でジュリアを刺し殺してしまう。傍にはヒッピーの男女2人(マイク・ケネディ、ペニー・ブラウン)がケラケラ笑いながら、その様子を見ている。あまりにも生々しい夢だった。さらに翌日、ジュリアが本当に殺されているのが発見される。警察が現場検証を行う中、ジュリアの部屋に駆け込んできたキャロルは、ジュリアの死体の傍に夢の中で自分が着ていた毛皮のコートを発見して気絶する。その様子を見ていたコーヴィン警部(スタンリー・ベイカー)は、キャロルが何かを知っていると考える。
 精神的なショックから立ち直れないでいるキャロルは、フランクの連れ子である義理の娘ジョーン(エリー・ガレアーニ)と一緒にショッピングで気を紛らわそうとする。すると、彼女は夢の中に出てきたヒッピーの男女を見かける。どうやら2人はジョーンと顔見知りのようだった。
 一方、殺人現場から見つかった凶器のペーパーナイフから、キャロルの指紋が検出される。彼女は殺人容疑で逮捕されてしまった。しかし、コーヴィン警部はキャロルが夢の話を精神分析医に相談していることが気がかりだった。なぜなら、推定犯行時間はキャロルがセラピーを受けた後であり、その内容を知った何者かが彼女の夢を真似てジュリアを殺すことも可能だった。
 一方、キャロルの父親ブライトンは独自の調査で、フランクが秘書デボラ(シルヴィア・モンティ)と愛人関係にあり、それを知ったジュリアが彼を脅迫していたことを突き止める。キャロルは仮釈放され、今度はフランクに疑いの目が向けられた。さらに、キャロルがヒッピーの男に襲われ、ジョーンが変死体で発見される。さらにキャロルの父親の死体も見つかり、ジュリア殺しを告白する遺書が発見されるのだったが・・・。

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キャロルの父(L・ゲン)と夫フランク(J・ソレル)
『幻想殺人』より

ジュリア殺しの嫌疑をかけられるキャロル
『幻想殺人』より

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コービン警部(S・ベイカー)とブランドン刑事(A・デ・メンドーサ)
『幻想殺人』より

秘書デボラ(シルヴィア・モンティ)は夫フランクの愛人だった
『幻想殺人』より

 本作がユニークなのは、他のジャッロ作品と違って殺人シーンに焦点が当てられていない、という点だろう。猟奇的で生々しい残酷描写はジャッロの大きな特徴だったが、本作の殺人シーンはほのめかされる程度でしか描かれない。その代わりに、フルチはトリップ感覚溢れるドリーム・シークエンスや謎解きのディテールにこだわりながら物語を進めていく。ジャンプ・カットやフラッシュバックを多用した巧みな編集テクニックにも助けられ、非常にサイケデリックで幻想的なサスペンス映画に仕上がっている。
 ただ、本作はあるシーンが問題となって裁判沙汰にまで発展してしまった。それは、キャロルがサナトリウムの中を何者かに追い掛け回されるという下りで登場する。彼女が逃げ込んだラボで、犬の生体実験が行われているのだ。何匹もの犬が器具の上で内臓をむき出しにした状態で晒されており、心臓がドクンドクンと脈打っている。その様子が余りにもリアルだったため、製作スタッフが動物虐待の嫌疑をかけられたのだ。
 このシーンの特殊効果を担当したのは、後に『E.T.』でオスカーを受賞するカルロ・ランバルディ。もちろん、全て彼が本物そっくりに作ったメカニカル・モデルだったわけだが、まるで本当に生きているかのような造形と動きが誤解の原因だった。フルチは逮捕されて懲役2年を求刑されたが、裁判でランバルディ自身がメカニカル・モデルを法廷に持ち込んで彼の潔白を証明した。
 撮影を担当したのはエリオ・ペトリの傑作『殺人捜査』やアルジェントの『サスペリアPART2』で有名なカメラマン、ルイジ・クヴェイレール。また、『夕陽のガンマン』を手がけたジョルジョ・セラロンガが編集を担当している。そして、本作のクールでスタイリッシュな雰囲気を高めてくれているのが、巨匠エンニオ・モリコーネによるジャジーでファンキーな音楽スコアだ。
 そして、本作では豪華な女優陣の顔ぶれも大きな魅力の一つ。キャロル役のフロリンダ・ボルカンもゴージャスだが、何とってもジュリア役を演じるアニタ・ストリンドバーグが美しい。70年代から80年代にかけて数多くのイタリア映画で活躍したスウェーデン出身の女優で、そのアンニュイなムードがとても素敵だった。また、デボラ役を演じるシルヴィア・モンティも当時引っ張りだこだったスター。トップ・モデル出身のエレガントな美貌が印象的で、『レディ・カロライン』などイギリス映画にも出演していた。義理の娘ジョーン役のエリー・ガレアーニも、当時売り出し中だった女優さん。マリオ・バーヴァの『ファイブ・バンボーレ』にも出ていたが、かわいい顔をした悪女キャラで数多くのサスペンス映画に出演していた。
 一方、男優陣は“Una sull'altra”でもフルチと組んだジャン・ソレルに加え、レオ・ゲンにスタンリー・ベイカーというイギリスの名優が登場。やはり“Una sull'altra”でソレルの兄役を演じていたアルベルト・デ・メンドーサが刑事役で顔を出し、数多くのイタリアン・ホラーに出演しているスペインの老優ジョルジュ・リゴーが精神分析医役を演じている。
 また、“Black Is Black”の大ヒットで知られるスペイン出身のロック・バンド、ロス・ブラヴォスのリード・ボーカリストだったマイク・ケネディが、ヒッピー役として出てくるのにも注目したい。

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思わぬ性癖が露呈した上院議員プピス(L・ブザンカ)
“All'onorevole piaccio le donne”より

無意識のうちに女性のお尻をムギュッ!
“All'onorevole piaccio le donne”より

 先述したように、もともと喜劇映画を数多く手がけていたルチオ・フルチ。当時のイタリアでは、喜劇映画は大衆娯楽の王様だったわけだが、フルチ自身は喜劇を撮ることに少なからず違和感を感じていたようだ。“私みたいな性格の人間は、喜劇役者とはなかなか上手くいかない。なぜなら、私は常に自分の映画を撮りたいと思っている。それがたとえ駄作だとしても、私自身のものでなくてはいけない。しかし、喜劇映画は喜劇役者のためのものなんだ”と彼自身も語っているが、コメディアンの個性や持ちネタに依存しなくてはいけない喜劇映画はフルチにとって窮屈なジャンルだったのかもしれない。
 そうしたこともあって、70年代以降のフルチは喜劇映画を殆ど撮っていない。その中でも数少ない例外と言えるのが、“All'onorevole piaccio le donne(上院議員は女性がお好き)”('72)という作品だ。これは女性のお尻に異常な執着心を持つ上院議員を主人公に、彼の政治生命を守るために右往左往する人々を描く風刺コメディ。政界とマフィア、さらにはカトリック教会の癒着を暴露しつつ、権力に蝕まれたイタリア社会の混乱を痛烈なブラック・ユーモアで笑い飛ばす。教会が邪魔になる人間たちを次々と殺して聖人像に変えていくというクライマックスもなかなかショッキング。フルチの反権力主義が最高潮に発揮された、恐るべき傑作と言えるだろう。

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修道院で治療を受けることになったプピス
“All'onorevole piaccio le donne”より

プピスの餌食(?)になった若い修道女(アゴスティナ・ベッリ)
“All'onorevole piaccio le donne”より

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夢の中でプピスを誘惑する美女
“All'onorevole piaccio le donne”より

修道女たちのお尻がプピスを誘惑!?
“All'onorevole piaccio le donne”より

 主人公は若手の上院議員プピス(ランド・ブザンカ)。次期県知事の最有力候補と目されている政界の有望株で、ユーモアのかけらもない生真面目な堅物人間だ。ウラニア共和国の女性元首を迎えた記念式典のニュース映像を編集していたテレビ局スタッフは、プピスが女性元首のお尻を触る瞬間がフィルムに収められていることに気付く。
 その決定的瞬間をキャプチャーした写真を手に入れたのは、プピスの旧友でもある生臭坊主ルチアン神父(レンツォ・パルメール)。プピスを教会に呼び出したルチアン神父は、写真をネタに大金を要求する。しかし、全く身に覚えのないプピスはそれを断った。
 ところが、プピスは徐々に己の性癖に疑問を感じるようになる。どうやら彼は女性のお尻を見ると興奮して意識が飛んでしまい、本人の気付かない内に痴漢行為を働いてしまっているようなのだ。遅かれ早かれスキャンダルになってしまうだろう。焦ったプピスはルチアン神父に大金を支払い、その代わりとして信頼できるセラピストを紹介するよう頼む。
 セラピストはプピスが深刻な精神状態にあると診断する。日常のストレスから性的欲求不満が溜まり、それが無自覚の痴漢行為や毎晩のように見る悪夢となって現れているのだ。そこで、ルチアン神父は精神科医でもある友人シレール神父(フランシス・ブランシェ)のもとへプピスを預けることにする。修道院で集中治療を受けるようになったプピス。その症状はかなり悪化しており、既に男女の見境なく全てのお尻に反応するようになっていた。
 その頃、ローマではプピスの不在が様々な憶測を呼んでいた。様々な情報筋からプピスの“性癖”を知ったマフィアのドン、ゲスアルド(コラード・ガイパ)は、バチカンの枢機卿マラヴィジーリ(ライオネル・スタンダー)に事態を報告する。バチカンではマフィアが秘密警察の任務を請け負っているのだ。イタリア政界の陰の黒幕である枢機卿マラヴィジーリは、南イタリア出身の貧しい若者だったプピスを政治家に育て上げた人物。彼は将来的にプピスを大統領にし、バチカンの“崇高な力”を強大なものにするつもりだった。それだけに、今回の不祥事は絶対に外部に露呈してはならない。彼はプピスの秘密を知る人物を片っ端から抹殺し、証拠を消すために死体を聖人像に替えてしまうよう指示を出す。それが、バチカンの伝統的な危機管理対策なのだ。
 一方、修道院での治療を終えたプピスはローマに戻ってくる。すっかり気分も晴れたプピスは、久しぶりに公務に復帰するつもりだった。ところが、そこへシレール神父が駆け込んでくる。彼の言うのには、どうやらプピスは無意識のうちに修道女たちを手篭めにしていたようなのだ。つまり、彼の精神状態はセックスによって一時的に解放されただけで、根本的な治療にはなってなかったのである。さらに、修道女の中で唯一彼に指一本触れられなかったシスター・ヒルデガルト(ラウラ・アントネッリ)が怒り心頭で押しかけてくる。水面下ではバチカンとマフィアの陰謀が進行し、事態を嗅ぎつけた政敵や警察も動き始めた。果たして、プピスは無事に政治生命を保つことが出来るのか・・・?

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お尻に魅せられたプピスの妄想はエスカレートするばかり
“All'onorevole piaccio le donne”より

シスター・ヒルデガルド役のラウラ・アントネッリ
“All'onorevole piaccio le donne”より

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イタリア政界の黒幕である枢機卿マラヴィジーリ(L・スタンダー)
“All'onorevole piaccio le donne”より

殺された死体は聖人像として生まれ変わる!?
“All'onorevole piaccio le donne”より

 かなり政治的危険指数の高いブラック・ジョークのオンパレードは、まさに痛快そのもの。バチカンを真正面から槍玉に挙げているが、コメディ映画だから何とか許されたという側面もあったことだろう。信仰は人々の犠牲によって成り立っている、なんて下りは、笑うに笑えないくらい皮肉の利いたギャグだ。また、プピスの夢や妄想を描いたシュールでエロティックなファンタジー・シーンも秀逸。左翼系映画作家としてのフルチの面目躍如たる素晴らしさと言えるだろう。フルチを単なるスプラッター映画監督と思っているような人は、この作品を見て猛省して欲しいものである。
 フルチと共に脚本を手がけたのはアレッサンドロ・コンチネンザとオッタヴィオ・ジェンマ。コンチネンザは巨匠アレッサンドロ・ブラゼッティの『懐かしの日々』('52)やマリオ・カメリーニの『バストで勝負』('55)などで知られる脚本家だが、『七人のあばれ者』('63)のようなスペクタクル史劇からマカロニ・ウェスタン、スパイ・アクション、さらには『悪魔の墓場』('74)のようなホラー映画まで幅広く手がける職人だった。一方のジェンマは『女性上位時代』('68)や『SEX発電』('75)のような風刺セックス・コメディや、『スキャンダル』('76)や『トリエステから来た女』('83)のような社会派エロスを得意とした個性的な脚本家。
 また、撮影監督のセルジョ・ドフィッツィはマカロニ・ウェスタンから戦争アクション、コメディまで手がけたカメラマンだが、中でも『食人族』の撮影監督として名高い人物だ。また、元カンツィオーネ歌手であるフレッド・ボングストの手がけたお洒落なBGMも秀逸な出来栄え。
 主演は当時イタリアで人気絶頂だった喜劇俳優ランド・ブザンカ。シチリア出身の種馬キャラで人気を集めた俳優だが、本作のむっつりスケベぶりもなかなか秀逸だった。一方、性的に抑圧された修道女を演じるラウラ・アントネッリも、当時は売り出し中のセックス・シンボル。セクシーな尼僧服姿は後の『セッソ・マット』を彷彿とさせる。ちなみに、『SEX発電』や『悪魔が最後にやって来る』などでイタリア映画ファンの間で根強い人気を誇る小悪魔女優アゴスティナ・ベッリが、うら若い修道女役でチラッと顔を出すのも見逃せない。
 一方、生臭坊主のルチアン神父を演じたレンツォ・パルメールは、アクション映画などで主人公の相棒キャラとして親しまれた巨漢の名優。また、政治映画やマフィア映画の悪役としてお馴染みのコラード・ガイパがマフィアのボス役を演じ、赤狩りでハリウッドを追われた名優ライオネル・スタンダーが枢機卿役で豪快な演技を見せている。
 その他、『インフェルノ』や『月の輝く夜に』のフェオドール・シャリアピン・ジュニアがプピスの政敵役で、『幻想殺人』にも出ていたアニタ・ストリンドバーグがフランス大使夫人役で顔を出している。

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思春期を迎えた三人の少年たち
『マッキラー』より

次々と少年が殺されていく
『マッキラー』より

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全裸姿で少年を弄ぶ女性パトリツィア(B・ブーシェ)
『マッキラー』より

村人から忌み嫌われるジプシー女マキアーラ(F・ボルカン)
『マッキラー』より

 さて、この“All'onorevole piaccio le donne”が公開された同じ年、フルチはもう一本の傑作を世に送り出している。あのダリオ・アルジェントをして、“ルチオ・フルチの代表作である傑作ジャロ”と言わしめた作品、『マッキラー』('72)である。
 古い迷信や因習が色濃く残る南イタリアの村で次々と起きる連続殺人。犠牲者は幼い少年ばかりだ。フルチは事件の謎解きを軸にストーリーを進めながら、大人社会の堕落と腐敗、そしてイタリア社会を蝕む貧困と無知によって、子供たちが大きな犠牲を強いられているという現実を浮き彫りにしていく。社会派猟奇サスペンスとも呼ぶべき、気骨溢れる力作と言えるだろう。
 舞台は南イタリアの小さな村。地元の少年ブルーノ、ミケーレ、ルイジの三人は、いつものように村はずれの空き地で遊んでいる。近くの小屋では都会からやって来た男女が乱交パーティを楽しんでおり、知恵遅れの男ジュゼッペ(ヴィト・パッセーリ)が覗き見をしていた。その様子を見て囃したてる少年たち。彼らも、そろそろ性に目覚めてくる年頃だった。
 家に戻ったミケーレは、メイドをしている母親の手伝いで雇い主の女性パトリツィア(バーバラ・ブーシェ)のもとにジュースを届ける。パトリツィアはミラノの有力者の娘だったが、麻薬関係のトラブルを起こしてしまい、この村にある別荘へ身を隠しているのだった。退屈な田舎の生活に飽き飽きしているパトリツィアは、全裸姿でミケーレを誘惑して楽しむ。
 その翌日、ブルーノが森の中で変死体となって発見される。身代金を要求する電話があったことから、誘拐殺人と目された。やがて、死体の傍にいるのを目撃されたジュゼッペが犯人として逮捕された。暴徒となった住民はジュゼッペに向って次々と石を投げる。しかし、ジュゼッペは身代金を要求したことは認めたものの、ブルーノの殺害については頑なに否定する。たまたま顔見知りであるブルーノの死体を発見し、その両親から身代金を巻き上げるという計画を思いついたというのだ。
 その翌朝、今度は村の水汲み場でルイジの水死体が発見された。連続殺人事件の可能性が高まり、ジュゼッペは釈放された。さらに、真夜中に何者かに電話で呼び出されたミケーレが、翌朝絞殺体で発見される。
 警察は地元で黒魔術を行っている男フランチェスコ(ジョルジュ・ウィルソン)の供述から、魔女として村人に忌み嫌われているジプシー女マキアーラ(フロリンダ・ボルカン)を尋問する。そして、マキアーラが少年たちの殺害を認めたことから、警察はただちに彼女を逮捕する。だが、黒魔術によって少年たちを呪い殺したという彼女の供述は真実味がなく、さらに彼女が事件現場から遠く離れた場所で目撃されていたことから、マキアーラはすぐさま釈放された。しかし、迷信深い村の人々はマキアーラが少年たちを呪い殺したという言葉を鵜呑みにし、墓地で彼女に凄惨なリンチを加える。
 瀕死状態のマキアーラは丘の上にたどり着く。そこには、死産した彼女の子供の墓があった。すぐ傍の高速道路では幸せそうな子供連れの家族を乗せた車が過ぎ去る。世間から理由なく嫌われ続けた彼女は、誰にも気付かれることなくひっそりと息を引き取ったのだった。
 その頃、事件を追跡取材している新聞記者マルテッリ(トーマス・ミリアン)は、パトリツィアと親しくなる。タンクトップやミニスカートなどを着て人前で肌をさらす現代娘パトリツィアを、保守的な村人たちは蔑んだ目で見ていた。息苦しさを感じていた彼女はマルテッリの取材活動に協力するようになる。2人はドン・アルベルト(マルク・ポレル)という若い神父と知り合った。彼は教会で子供たちに勉強やサッカーを教えており、殺された少年たちとも親しかったのだ。やがてマルテッリとパトリツィアは、ドン・アルベルトの謎めいた母親(イレーネ・パパス)の存在、そして狂信的とも言えるドン・アルベルト自身の素顔を知ることになる・・・。

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少年たちに愛情を注ぐ神父ドン・アルベルト(M・ポレル)
『マッキラー』より

村人たちに凄惨なリンチを受けるマキアーラ
『マッキラー』より

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事件の真相を追う記者マルテッリ(T・ミリアン)とパトリツィア
『マッキラー』より

ドン・アルベルトの母(I・パパス)が事件の鍵を握る
『マッキラー』より

 邦題の『マッキラー』とは、恐らく本編に登場するジプシー女マキアーラと殺人鬼を意味する“キラー”を勝手に合体させた造語。思わずガッカリしてしまうような安直さだが、本編の出来栄えは実に素晴らしい。中でも、マキアーラが村人たちにリンチされるシーンの迫力は圧巻そのもの。彼女の腹や腕、顔面に容赦なく叩きつけられたチェーンが食い込み、晴れ上がった傷口から血飛沫が噴きあがる。苦悶の表情を浮かべていた顔もやがて虚ろとなり、地面を這い蹲りながら丘へと上っていくマキアーラ。通り過ぎる車を眺めながら、石を積み上げて作った子供の墓の傍で、誰にも気付かれることなくひっそりと息絶える。BGMで流れるオルネラ・ヴァノーニの悲しくも情熱的な歌声。南イタリア社会を蝕む差別と貧困、無知と迷信が生み出した悲劇。その無常さが見る者の胸を締め付ける感動的なシーンだ。
 また、フルチは連続殺人事件の背景として、カトリック教会による偽善的なモラル観念が生んだ差別や偏見の根深さに言及しつつ、その一方で現代社会の堕落したモラルにも強い警鐘を鳴らす。犯人は子供たちの純真無垢な魂が汚されないよう、自らの手で彼らを天国へと送り出しているのだ。性を汚らわしいものと考えるがゆえの凶行なわけだが、それは同時に性の氾濫が子供たちに及ぼす悪影響をも示唆する。製作から35年以上を経ているわけだが、性と子供を巡る問題は今なお深刻だ。そもそも、こうしたテーマを率直に扱った映画は非常に稀であり、そういった意味でも非常に革新的な作品だったと言えるだろう。
 しかし、当時は反カトリック教会的なメッセージや、子供が残忍な方法で殺されるという描写が問題視され、劇場公開を限定する国も少なくなかった。中でも、宗教的なテーマや子供の描写に神経質なアメリカでは劇場公開が見送られ、長いことビデオ発売やテレビ放送もされなかった。ちなみに、フルチは本作についてこう語っている。“『マッキラー』はホラー映画ではない。暴力を描いた作品じゃないんだ。なぜなら、私の意図は宗教の本質について描くことだった。宗教とは疑いと罪から生まれるものなんだ”と。
 ちなみに、フルチと共に脚本に参加したのは、『幻想殺人』などでも組んでいるロベルト・ジャンヴィーティと、後に『ザ・リッパー』や『マーダロック』で組むことになるジャンフランコ・クレリチの2人。クレリチはルッジェロ・デオダートの『食人族』や『ヘルバランス』の脚本家としても知られる。また、名匠リズ・オルトラーニによるロマンティックで叙情的な音楽も非常に印象的だった。
 もちろん、名優ばかり揃えた国際的な豪華キャストも大きな魅力。中でも、マキアーラ役のフロリンダ・ボルカンは大熱演だった。一方、普段はアクの強い役柄を演じることが多いトーマス・ミリアンだが、本作では事件記者マルテッリ役で抑え気味の演技を見せている。
 ドン・アルベルト役のマルク・ポレルは当時売り出し中だったスイス出身の俳優で、巨匠ヴィスコンティの『ルードヴィヒ 神々の黄昏』('72)と『イノセント』('76)に起用されて国際的にも注目を集めるようになった。確かに、その端正な美貌はヴィスコンティ好みだったと言えるかもしれない。
 そのドン・アルベルトの母親役で登場するのはギリシャの誇る大女優イレーネ・パパス。出番は少ないものの、その存在感だけで強烈な印象を残している。また、マキアーラに黒魔術を教えるフランチェスコ役で、フルチの“Beatrice Cenci”にも出ていたフランスの名優ジョルジュ・ウィルソンが顔を出している。
 そして、本作における罪と堕落の象徴とも言える美女パトリツィア役を演じているのがバーバラ・ブーシェ。『007/カジノ・ロワイヤル』などハリウッド映画で活躍した小悪魔系セクシー女優だったが、当時はイタリアを拠点に活躍していた。古い映画ファンの間では根強い人気を誇るカルト女優だ。彼女が全裸で幼い少年を誘惑するシーンは今見てもかなりセンセーショナルで、当時この作品が問題視された要因の一つでもあった。

 このように、立て続けに問題作を世に放ったフルチだったが、その後しばらくは職人監督としての仕事に専念することになる。まずは、ジャック・ロンドンの有名な児童文学小説を映画化した『白い牙』('73)。“白い牙”と名づけられた狼とネイティブ・アメリカンの少年の友情を軸に、少年と親しくなった作家(フランコ・ネロ)、病院で奉仕活動をする尼僧(ヴィルナ・リージ)らが、小さな町を無法者たちの横暴から救うというお話。原作とはかけ離れたマカロニ・ウェスタンに仕上がってしまったが、原作の知名度もあって興行的には大成功を収めた。
 そのヒットにあやかり、翌年には続編『名犬ホワイト/大雪原の死闘』('74)も作られている。もちろん、再びフルチが演出を担当。前作に引き続いてフランコ・ネロとヴィルナ・リージが主演を務め、往年の西部劇スター、ハリ・ケリー・ジュニアも顔を見せていた。
 さらに、フルチは『明日に向って撃て』を彷彿とさせるマカロニ・ウェスタン『荒野の処刑』('74)を発表する。町を追われて当所なく旅を続ける無法者たちの姿を、ファビオ・テスティ扮する賭博師、リン・フレデリク扮する売春婦、マイケル・J・ポラード扮する飲んだくれの3人を中心に描いていくロード・ムービー。一行に加わる謎のガンマンをトーマス・ミリアンが演じていた。ソフト・ロック風の爽やかなテーマ曲も含めて、かなりアメリカン・ニュー・シネマを意識した作品で、マカロニ・ファンの間では名作との呼び声も高いが、フルチ自身は後に失敗作だったと語っている。
 また、“Il Cav.Costante Nicosia demoniaco, ovvero : Dracula in Brianza”('75)ではホラー・コメディに挑戦。これはランド・ブザンカ扮する強欲な実業家が精神科医(ロッサノ・ブラッツィ)の助けを得て吸血鬼ドラガレスク伯爵(ジョン・スタイナー)を倒すというパロディ映画。ヴァレンティナ・コルテーゼやシルヴァ・コシナ、チッチョ・イングラシアなど豪華なキャストを揃えた作品だが、残念ながらイタリア以外の国では殆ど配給されていない。翌年に作られたエドウィージュ・フェネッシュ主演のセックス・コメディ“La pretora”も同様の運命を辿っている。

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幼いヴァージニアは母親の自殺を透視する
『ザ・サイキック』より

再び幻覚を見たヴァージニア(J・オニール)
『ザ・サイキック』より

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幻覚の中に出てくる老女の死体
『ザ・サイキック』より

壁の穴から白骨化した死体が発見される
『ザ・サイキック』より

 そして、フルチにとって久々の本格的なホラー作品となったのが、ヴィスコンティの『イノセント』で絶賛されたばかりのハリウッド女優ジェニファー・オニールを主演に迎えた『ザ・サイキック』('77)だった。透視能力を持った女性が殺人事件の謎を追うというストーリーは、フェイ・ダナウェイ主演のサイコ・サスペンス『アイズ』('78)を先駆けたものと言ってよかろう。フルチにしては残酷シーンも控えめで、緻密に計算された謎解きの面白さで見せていく秀作だ。
 フラッシュ・バックを効果的に使った演出、丁寧に配置された色彩や画面構成、流麗なカメラワークなど、とても完成度の高い作品。しかし、残念ながら当時は批評的にも興行的に惨敗を喫してしまった。“私の作品の中で最も美しい映画の一つであり、同時に最も成功しなかった映画の一つでもある”と後にフルチは語っているが、その批評的・興行的な失敗は、本人にしてみれば大いに不満の残る結果だったのかもしれない。
 イタリアの大富豪フランチェスコ(ジャンニ・ガルコ)と結婚したイギリス女性ヴァージニア(ジェニファー・オニール)は、誰にも知られていない秘密があった。幼い頃に遠く離れた母親(エリザベス・ターナー)の自殺を透視したのだ。それ以来、幻覚を見るようなことはなくなったが、その記憶は彼女の心に暗い影を落としていた。
 ある日、出張する夫を見送った帰り道、ヴァージニアは車の中で突如幻覚に襲われる。それは古い調度品と割れた鏡、白い壁に開けられた穴、灰皿に載せられた吸いかけの黄色いタバコ、若い女性が表紙を飾る雑誌、聖母子を描いたフレスコ画、黄色いタクシー、頭から血を滴らせた老女の死体、片足を引きずった初老の男など、意味不明の断片的な映像ばかりだった。
 ヴァージニアは友人である精神科医ルカ(マルク・ポレル)に相談し、幻覚を分析してもらうことにする。その帰り道、彼女は夫が所有する古い邸宅を訪れた。屋敷は長いこと放置されていたが、夫婦は内装をリフォームして移り住むつもりだった。リビングを眺め回していたヴァージニアは、その調度品などが幻覚に出てくるものと酷似していることに気付く。壁をよく見ると、穴を埋めたような痕跡がある。何かを直感した彼女は、一心不乱で壁を叩き壊し始めた。
 壁の穴からは白骨化した死体が出てきた。警察は第一発見者であるヴァージニアに疑いの目を向ける。なぜ壁に埋め込まれた死体の存在に気付いたのか?彼女は警察に幻覚の話をするが、当然のことながら信じてはもらえない。警察の捜査の結果、発見された死体はアグネタ・ビニャルディという若い女性のもので、死後4年近くを経ていた。それは、ヴァージニアの幻覚に中に出てくる雑誌の表紙を飾っている女性だった。さらに、アグネタが夫フランチェスコの愛人だったことが発覚。出張から戻った夫は殺人容疑で逮捕されてしまった。
 ところが、フランチェスコの姉グロリア(イヴリン・スチュアート)の話だと、屋敷の調度品は彼が4年前にアメリカへ渡った後、グロリア自身が買い揃えたものだという。となると、ヴァージニアの見た幻覚と辻褄が合わなくなる。フランチェスコがアグネタを殺したのであれば、その時点で調度品も揃っていなくてはおかしい。ヴァージニアは夫の無実を直感する。
 一方、ルカの助手ブルーナ(ジェニー・タンブリ)は、ヴァージニアの幻覚に出てくる事柄の裏付けを取っていた。彼女の調べたところによると、4年前にローマで営業していた黄色いタクシーは16台しかなかったという。それらの運転手を1人づつ当たったヴァージニアとルカは、アグネタと思われる女性を乗せた覚えがあるという人物と出会う。彼の記憶を頼りに行き着いた場所は市内の画廊だった。その画廊のオーナー、ロスピーニ(ガブリエル・フェルゼッティ)を見たヴァージニアは、彼が幻覚の中に出てくる初老の男である事に気付く。
 さらに、彼女はアグネタが表紙を飾った雑誌をフランチェスコの書斎で見つけた。しかし、その雑誌が発行されたのは1年前。首をかしげるヴァージニアだったが、ルカはあることに気付く。彼女が見た幻覚は過去に起きたことではなく、これから起こることなのではないか・・・?と。

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夫フランチェスコ(G・ガルコ)には意外な過去があった
『ザ・サイキック』より

ヴァージニアを手伝う精神科医ルカ(M・ポレル)
『ザ・サイキック』より

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画廊のオーナー、ロスピーニ(G・フェルゼッティ)
『ザ・サイキック』より

古都ローマの美しいロケーションも見所
『ザ・サイキック』より

 透視能力という、ある種オカルト的な設定を用いてはいるものの、ストーリー自体は正統派の推理サスペンスと言えるだろう。きっちりと伏線を張った用意周到な謎解きの展開はとても巧い。また、アンティーク家具や古典絵画をふんだんに散りばめた趣のあるセット美術、古都ローマの街並みや田舎の大自然などのロケーションを生かした美しい映像のおかげで、見た目にも風格のある作品に仕上がっている。
 ただ、オープニングに出てくるヴァージニアの母親の自殺シーンは、ちょっとやり過ぎだったかもしれない。崖の上から投身自殺するわけだが、その落ちていく様をカメラが横から追うのだ。しかも、途中の岩に何度も頭がクラッシュして顔面が損壊していく。明らかに人形だとは分かるものの、観客の神経を逆なでするには十分な描写だ。フルチの人体破壊趣味が露骨に出てしまったのかもしれないが、このシーンで嫌悪感を持った人がいても不思議はないだろう。ちなみに、フルチは『マッキラー』のクライマックスでも、同じようなシーンを撮っている。
 フルチと共に脚本を手がけたのは、盟友ロベルト・ジャンヴィーティとダルダノ・サケッティ。イタリアン・ホラーを代表する脚本家として名高いサケッティだが、フルチと組むのは本作が初めてだった。もともと本作はヴィエリ・ラッツィーニの小説の映画化として企画され、フルチとジャンヴィーティが脚色を手がけていた。しかし、原作は心理描写が主体でなかなか思うように脚本化が進まず、アルジェントの『わたしは目撃者』で注目されたサケッティに白羽の矢が立ったのだった。以降、彼は『ビヨンド』、『地獄の門』、『ザ・リッパー』など幾つものフルチ作品を手がけていくことになる。ちなみに、出来上がった脚本はほとんど原作と関係がないという。
 一方、撮影監督のセルジョ・サルヴァーティは、『荒野の処刑』以来フルチと組むのはこれが三作目。彼も70年代後半以降のフルチ作品には欠かせない重要なスタッフの一人だ。また、彼は80年代末にアメリカのエンパイア・ピクチャーズ作品を数多く手がけたことでも知られている。
 主人公ヴァージニア役は『おもいでの夏』('72)で一世を風靡したハリウッド女優ジェニファー・オニール。先述したように、当時は巨匠ヴィスコンティの『イノセント』に抜擢されて話題になったばかりで、まさに美しさの盛りにあったと言ってもいいだろう。シックでゴージャスなイタリアン・モードを着こなす彼女の姿だけでも一見の価値はある。ただ、あまり体の丈夫な人ではなかったらしく、本作でも体調を崩して撮影を中断しなくてはならなくなってしまった。そのため、フルチからはかなり嫌われてしまったという。
 ヴァージニアに協力する精神科医ルカを演じるマルク・ポレルは、『マッキラー』以来二度目のフルチ作品。彼とジェニファーは『イノセント』でも共演している。また、ヴァージニアの夫役にジャンニ・ガルコ、その姉役にイヴリン・スチュアート(イーダ・ガリ)と、イタリア映画ファンにはお馴染みのスターが顔を揃える。
 そして、謎の鍵を握る画廊オーナー、ロスピーニを演じるのが、イタリアの誇る名優ガブリエル・フェルゼッティ。『女ともだち』('56)や『情事』('60)など、巨匠ミケランジェロ・アントニオーニのお気に入りとして有名な往年の二枚目スターだ。『天地創造』('66)、『ウエスタン』('69)、『女王陛下の007』('69)など数多くの名作に出ているが、ホラー映画への出演は極めて珍しい。
 その他、当時ソフト・ポルノやセックス・コメディなどで人気のあったセクシー女優ジェニー・タンブリがルカの助手ブルーナ役で、『デアボリカ』('74)や『地獄の謝肉祭』('80)のヒロインを演じたエリザベス・ターナーがヴァージニアの母親役で顔を出している。

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ニューヨークに現れたゾンビ
『サンゲリア』より

父の行方を捜すアン(T・ファロー)と記者ピーター(I・マカロック)
『サンゲリア』より

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ブライアン(A・クライヴァー)の運転するボートで島へ向う
『サンゲリア』より

島で疫病の研究を進めるメナード博士(R・ジョンソン)
『サンゲリア』より

 さて、ジュリアーノ・ジェンマを主演に迎えたマカロニ・ウェスタン『新・復讐の用心棒』('78)が再び興行的に失敗したフルチ。しかし、その次に手がけた作品は、まさに奇蹟の逆転ホームランとも言うべき世界的大ヒットとなった。イタリアン・ホラーを代表する傑作であり、ゾンビ映画の金字塔とも言うべき作品、『サンゲリア』('79)である。
 当時はジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』が世界的な大ヒットとなり、ホラー映画の世界ではゾンビ映画がブームになっていた。“Zombie 2”というオリジナル・タイトルからも分かるように、この『サンゲリア』はロメロ版『ゾンビ』の続編として作られた作品。それも、勝手に続編を名乗ってしまった、正真正銘(?)の亜流映画だった。
 しかし、フルチはロメロ版『ゾンビ』とは全く異なるアプローチを試みている。ロメロがドキュメンタリー・タッチの社会風刺劇として『ゾンビ』を作り上げたのに対し、フルチは30〜40年代のハリウッド映画で描かれたようなファンタジー的要素を基盤とした。“私はゾンビ映画の原点に戻りたかった。サント・ドミンゴで撮影したのも、それが理由だ。”とフルチも語っている。“私が影響を受けたのはジャック・ターナーであって、ロメロではない”と彼自身が言うように、本作の異国的・異教的な独特のムードは、ハイチを舞台にしたジャック・ターナーの『私はゾンビと歩いた』('43)やヴィクター・ハルペリンの『恐怖城(ホワイト・ゾンビ)』('32)と非常によく似ている。つまり、フルチのゾンビはロメロのような空想科学的解釈ではなく、ヴードゥー経に根ざした宗教的イメージの賜物なのである。その点についても、フルチはこう語っている。“警察映画やテレビ番組では、死者は死んだままだ。しかし、死者が墓から蘇るというのは、あらゆる宗教が魅せられてきた美しい謎だ。私が言いたいのは、ハイチの奴隷や伝統的魔術のことではない。神と信仰のことなんだ”
 一方、『サンゲリア』に出てくるゾンビはロメロ作品に比べて、かなり医学的リアリズムに基づいた描写がなされている。まさしく、“歩く屍”そのものと言えよう。ロメロ作品のゾンビが死体というよりもモンスター的な姿形であったのに対し、フルチの描くゾンビは死臭の漂ってきそうなくらいにリアルな腐乱死体である。肉は腐って蛆がわき、皮膚はめくれあがり、毛髪も抜け落ちている。特殊メイクを手がけたのはジャンネット・デ・ロッシ。当初、プロデューサーのファブリツィオ・デ・アンジェリスは、トム・サヴィーニが手がけたロメロ版と同じようなゾンビ・メイクを希望したというが、デ・ロッシはフルチと相談して全く違ったアプローチを試みた。彼はこう語っている。“フルチも私も、ゾンビが恐ろしくなければ観客を驚かせることは出来ないと考えた。それは正解だったよ。我々のゾンビはロメロのとは全く違うんだ。”と。
 この宗教的幻想とリアリズムこそが、『サンゲリア』という作品の最大の特徴と言えるかもしれない。だからこそ、ブルックリン橋の上をゾンビが行進するという有名なクライマックスに、終末思想的な重々しさを感じるのかもしれない。目を背けたくなるくらいにリアルな残酷描写が展開される一方で、詩的とも呼べるような幻想的で美しい映像が強い印象を残す。何とも不思議な魅力を湛えた傑作だ。

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鮫と格闘するゾンビ
『サンゲリア』より

メナード博士の患者たち
『サンゲリア』より

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どことなく不穏な空気が漂うドミニカ共和国の島
『サンゲリア』より

ゾンビに襲われるメナード博士夫人パオラ(O・カルラトス)
『サンゲリア』より

 ニューヨークの港に一隻のボートが漂流している。パトロール艇の警官2人が船内を捜索したところ、全くの無人であることが分かる。ところが、突如として物陰から現れた何者かが、1人の警官の喉もとを食いちぎった。それは腐乱した死体だった。残された警官が拳銃で応戦するも全く効き目がなかったが、やがて足を滑らせて海へと落ちていった。
 ボートの所有者はボウルズという人物だった。しかし、娘アン(ティサ・ファロー)によると、彼は南米のドミニカ共和国へ出航したまま消息が分からなかった。一方、新聞記者ピーター・ウェスト(イアン・マカロック)は、編集長(ルチオ・フルチ)の命令でこの事件の取材を担当することになる。真夜中にこっそりとボートへ忍び込んだ彼は、父親の安否を心配するアンと知り合う。2人はボウルズの消息を求め、一緒に南米へ行くことにした。
 ドミニカでのボウルズの足どりを追うアンとピーターは、カリブ海に浮かぶマトゥルという島に彼が向った事を突き止める。だが、地元の人々はマトゥルを忌み嫌っており、島まで運んでくれる船はなかった。そんな折、2人はブライアン(アル・クライヴァー)とスーザン(オーレッタ・ゲイ)という旅行者カップルがカリブ諸島巡りをすると知り、彼らのボートに乗せてもらうことにする。
 その頃、島では恐ろしい疫病が蔓延していた。その病は死に至る確立が極めて高く、しかも死んだ人間はゾンビとなって蘇るのだった。島で唯一の医者であるメナード博士(リチャード・ジョンゾン)が治療薬の研究を急いでいたが、成果は全くなかった。不安と恐怖に怯えるメナード夫人パオラ(オリガ・カルラトス)は、一刻も早く島を出たいと夫に詰め寄るが、博士は患者たちを置いて逃げることなど出来なかった。
 一方、ボートで島へと向う一行は、その途中で奇妙な体験をする。海に潜ったスーザンが、海中で何者かに襲われたのだ。命からがら逃げてきたスーザンは、それが人間のようだったと語る。もちろん、彼女を襲ったのはゾンビ。スーザンに逃げられたゾンビは、近くを通った鮫に襲いかかった。
 その晩、自宅でシャワーを浴びていたパオラがゾンビに襲われる。クローゼットに逃げ込んだものの、ゾンビの腕は扉をぶち破り、彼女の髪をわしづかみにした。抵抗したパオラだったがゾンビの力は強く、あえなく殺されてしまう。
 翌朝、ようやく島へとたどり着いたアンたちは、助けを呼ぶために照明弾を撃つ。それを見たメナード博士がジープで海岸へとやって来た。博士はアンの父親が3ヶ月前に疫病で死んでしまったことを告げる。そして、その病で島の人間が次々と死んでいること、その死者がゾンビとなって蘇ることなどを伝える。島の外でも話が広まり、信心深い人々はヴードゥー教の呪いだと噂していた。にわかには信じがたい話に戸惑う一行だったが、博士に頼まれて妻パオラの様子を見に行ったところ、彼女の死体を貪るゾンビたちの姿を発見して呆然とする。
 パニックに陥って逃げ出した一行。しかし、途中でジープが故障してしまった。歩いてメナード博士の病院を目指す一行だったが、次々と墓場から蘇るゾンビたちに襲われ、スーザンが殺されてしまった。それでも何とか病院へとたどり着いたアンとピーター、ブライアンの3人。しかし、夜のとばりと共に、無数のゾンビたちが病院の周辺に集まって来るのだった・・・。

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パオラの死体を貪るゾンビたち
『サンゲリア』より

病院の周辺に集まってくるゾンビ
『サンゲリア』より

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ゾンビとの攻防戦を繰り広げるピーターたちだったが・・・
『サンゲリア』より

編集長役で顔を出すルチオ・フルチ監督
『サンゲリア』より

 全編これ見せ所の連続なわけだが、中でも圧巻なのはメナード博士の妻パオラがゾンビに殺されるシーンだろう。破られたドアから突き出た木片に、眼球が串刺しにされてしまうのである。この描写が強烈なくらいリアルで執拗なのだ。もちろん、実際に木片が眼球に刺さるシーンはダミー・ヘッドを使用しているものの、ギリギリまで女優本人の顔を近づけているため、見ている方は本当に気が気ではない。しかも、突き刺さったあとに木片がポキッと折れるという念の入れよう。人体破壊に対するフルチの異様な執着心が感じられるワン・シーンだった。
 また、海中でゾンビが鮫と格闘するシーンにもビックリさせられる。もちろん、鮫は本物を使用。鮫につかみかかったゾンビが、その肉を食いちぎるという展開は、まさに前代未聞の代物だった。
 脚本を手がけたのは女流脚本家エリザ・ブリガンティ。フルチの『墓地裏の家』('81)や『未来世紀ローマ』('83)の他、ランベルト・バーヴァの『暗闇の殺意』('83)やジュリアーノ・カルニメオの『ラットマン』('88)、そしてエリザベス・パーカー名義でセルジョ・マルティーノの『片腕サイボーグ』('86)などにも参加している。また、ノー・クレジットでダルダノ・サケッティも加わっているらしい。
 フルチ自身が脚本に携わっていないことからも推測できると思うが、本作はもともと彼のための企画ではなかった。当初監督に予定されていたのは、アクション映画で有名なエンツォ・G・カステラーリ。しかし、彼はホラー映画が苦手で嫌がったため、フルチに白羽の矢が立ったのだった。
 特殊メイクを担当したジャンネット・デ・ロッシは、イタリアを代表する特殊メイク・アーティスト。『殺人魚フライング・キラー』('82)や『砂の惑星』('84)、『デイライト』('96)などハリウッド映画も手がけており、最近ではフランス産スプラッター『ハイテンション』('03)にも参加していた。
 なお、プロデューサーの1人であるファブリツィオ・デ・アンジェリスは、本作の“汚いゾンビ”と“強烈スプラッター”というコンセプトだけを頂いたC級ゾンビ映画『ドクター・ブッチャー 人体解剖島』('80)を翌年に製作している。
 ヒロインのアンを演じているのは、大女優ミア・ファローの妹であるティサ・ファロー。なぜか彼女はイタリア映画への出演が多く、他にも『ビッグ・マグナム77』('76)や『猟奇!喰人鬼の島』('80)などにも出ている。現在は女優業を引退し、ヴァーモント州で看護婦をしているそうだ。ちなみに、他にもプルーデンス、ステファニーという姉がおり、ミアも含めて全員顔がそっくりなのが興味深い。
 アンと共に行動する記者ピーターを演じているイアン・マカロックはイギリス人。BBCの人気ドラマ“Survivors”の主演で人気を得たスターだった。彼もイタリア映画への出演が多く、『ドクター・ブッチャー 人体解剖島』や『エイリアンドローム』('80)に主演している。
 イタリア映画への出演が多いといえば、メナード博士役のリチャード・ジョンソンもそうだろう。当たり役であるブルドッグ・ドラモンドを演じた『キッスは殺しのサイン』('66)と『電撃!スパイ作戦』('69)の他、『クロスボー作戦』('65)や『謀略ルート』('67)などスパイ映画のダンディな2枚目スターという印象の強い俳優だが、『デアボリカ』('74)や『ナイトチャイルド』('75)、『ラスト・コンサート』('76)などイタリア映画にも数多く出演している。また、古典ホラーの傑作『たたり』('63)の主演スターとしても忘れられない存在だ。
 また、ブライアン役のアル・クライヴァーは、本名をピエル・ルイジ・コンティというイタリア人。イタリア産B級映画に数多く出演している人だが、70年代のセクシー女優アニー・ベルの旦那さんとしても有名。
 そして、眼球を串刺しにして殺されるパオラ役を演じたのは、日本でも一部のホラー・マニアの間で人気の高い女優オルガ・カルラトス。ギリシャの出身で、池田満寿雄監督の『エーゲ海に捧ぐ』('79)で主人公の若者と愛し合う年増美女エルダ役を演じていた人だ。80年代半ばにはアメリカに活動の拠点を移し、プリンスの『パープル・レイン』('84)やテレビ『マイアミ・バイス』にも出ていた。

 なお、本作は劇場公開当時だけで3000万ドル以上の興行収入を稼ぎ出し、フルチにとって最大のヒット作となった。

<以降 PART2へと続く・・・>

 

PERVERSION_STORY-DVD.JPG BEATRICE_CENCI-DVD.JPG LIZARD_IN_A_WOMENS_SKIN-DVD.JPG THE EROTICIST-DVD.JPG

Una sull'altra (1969)
日本では劇場未公開
DVD・VHS共に日本未発売

Beatrice Cenci (1969)
日本では劇場未公開
DVD・VHS共に日本未発売

幻想殺人
Una Lucertola con la pelle di donna (1971)
日本ではテレビ放送のみ
DVD・VHS共に日本未発売

All'onorevole piacciono le donne (1971)
日本では劇場未公開
DVD・VHS共に日本未発売

(P)2007 Severin Films (USA) (P)2007NEW Entertainment(Germany) (P)2003 Media Blasters (USA) (P)2007 Severin Films (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆ 画質★★★★☆ 音質★★★★☆ 画質★★★★☆ 音質★★★★☆ 画質★★★★★ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤2枚組)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:英語・イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/103分/製作
/イタリア・フランス・スペイン

映像特典
オリジナル劇場予告編
DVD仕様(ドイツPAL盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:ドイツ語・英語・イタリア語/字幕:ドイツ語/地域コード:ALL/
90分/製作:イタリア

映像特典
オリジナル劇場予告編
ドイツ劇場公開版オープニング
ポスター&スチル・ギャラリー(ROM)
DVD仕様(北米盤2枚組)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:英語・イタリア語/字幕:英語/地域コード:1/103分/製作:イタリア・スペイン・フランス

映像特典
イタリア公開バージョン収録
フロリンダ・ボルカン インタビュー
ジャン・ソレル インタビュー
カルロ・ランバルディ インタビュー
フランコ・ディ・ジャコモ インタビュー
メイキング・ドキュメンタリー
オリジナル劇場予告編
ポスター&スチル・ギャラリー
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/109分/製作:イタリア・フランス

映像特典
メイキング・ドキュメンタリー(ランド・ブザンカ、セルジョ・ドフィッツィ、ジャンネット・デ・ロッシのインタビュー収録)
監督:ルチオ・フルチ
製作:エドモンド・アマティ
脚本:ルチオ・フルチ
    ロベルト・ジャンヴィーティ
    ホセ・ルイス・マルティネス・モラ
撮影:アレハンドロ・ウロア
音楽:リズ・オルトラーニ
出演:マリーサ・メル
    ジャン・ソレル
    エルサ・マルティネッリ
    ジョン・アイアランド
    フェイス・ダミューア
    アルベルト・デ・メンドーサ
    リカルド・クッチョーラ
    ビル・ヴァンダース
    ジャン・ソビエスキー
監督:ルチオ・フルチ
製作:ジョルジョ・アグリアーニ
脚本:ルチオ・フルチ
    ロベルト・ジャンヴィーティ
撮影:エンリコ・メンツェール
音楽:フランチェスコ・ラヴァニーノ
    シルヴァーノ・スパダッチーノ
出演:トーマス・ミリアン
    アドリエンヌ・ラルッサ
    ジョルジュ・ウィルソン
    レイモン・ペルグラン
    マヴィー
    ペドロ・サンチェス
    アントニオ・カサグランデ
    マックス・ステファン・ザカリアス
    ミルコ・エリス   
監督:ルチオ・フルチ
製作:エドモンド・アマティ
脚本:ルチオ・フルチ
    ロベルト・ジャンヴィーティ
    ホセ・ルイス・マルティネス・モラ
    アンドレ・トランシェ
撮影:ルイジ・クヴェイレール
特殊効果:カルロ・ランバルディ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:フロリンダ・ボルカン
    ジャン・ソレル
    スタンリー・ベイカー
    レオ・ゲン
    アルベルト・デ・メンドーサ
    シルヴィア・モンティ
    アニタ・ストリンドバーグ
監督:ルチオ・フルチ
製作:エドモンド・アマティ
脚本:ルチオ・フルチ
    アレッサンドロ・コンティネンザ
    オッタヴィオ・ジェンマ
撮影:セルジョ・ドフィッツィ
音楽:フレッド・ボングスト
出演:ランド・ブザンカ
    ラウラ・アントネッリ
    ライオネル・スタンダー
    レンツォ・パルメール
    フランシス・ブランシェ
    コラード・ガイパ
    アゴスティナ・ベッリ
    アルトゥーロ・ドミニチ
    アニタ・ストリンドバーグ
 リズ・オルトラーニのオリジナル・サントラ盤CDが特典で付いたアメリカ盤2枚組。画質はハリウッド・メジャー並みのクオリティの高さです。制作年代を考えれば、驚異的と言えるかもしれません。このSeverin Filmsというメーカーは比較的新しい会社ですが、ユーロ・トラッシュを中心にかなり品質の高いDVDをリリースしているので要注目ですね。  これまでイタリア以外ではソフト化されていなかった幻の作品でしたが、昨年ようやくドイツでDVD発売されました。DVD化はこれが初めて。画質は最高。殆どフィルムの傷や汚れ、退色などは見られず、ほぼ完璧な状態で見ることが出来ます。また、スチル・ギャラリーがROM収録されており、PCでダウンロード出来るのも便利です。  インターナショナル・バージョンとイタリア公開バージョンの両方を収録した2枚組DVD。イタリア公開バージョンの画質はVHS並ですが、インターナショナル・バージョンはかなり良好です。ただ、複数のネガ・プリントやポジ・プリントを合わせてマスターを作成したらしく、部分的に画質が落ちるのはちょっと気になるかもしれません。  ほとんど新作同様と言ってもいいくらい、ピッカピカの高画質にビックリさせられます。過去にイタリア盤、アメリカ盤でDVD化されていましたが、まさに雲泥の差。メジャー映画でも、この時代の作品でこれだけ鮮明な画質のDVDはなかなかないですよね。映像特典ではすっかりイタリアの肝っ玉親父(?)となったランド・ブザンカも登場します。

DONT_TORTURE_A_DUCKLING-DVD.JPG THE PSYCHIC-DVD.JPG ZOMBI 2-DVD.JPG

マッキラー
Non si severizia un paperino (1972)
日本ではテレビ放送のみ
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

ザ・サイキック
Sette note in nero (1977)

日本では劇場未公開
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

サンゲリア
Zombie 2 (1979)

日本では1980年劇場公開
VHS・DVD共に発売済

(P)2000 Anchor Bay (USA) (P)2007 Severin Films (USA) (P)2004 Media Blasters (USA)
画質★★★☆☆ 音質★★★★☆ 画質★★★★☆ 音質★★★★☆ 画質★★★★☆ 音質★★★★☆

DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/102分/製作:イタリア

映像特典
バイオグラフィー

DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:1/97分/製作:イタリア

映像特典
メイキング・ドキュメンタリー(ダルダノ・サケッティ、マッシモ・レンティーニ、ブルーノ・ミケーリのインタビュー収録)
DVD仕様(北米盤2枚組)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/5.1chサラウンド/音声:英語/字幕:なし/91分/製作:イタリア

映像特典
メイキング・ドキュメンタリー(98分)
出演者・スタッフ インタビュー集
イアン・マカロックの音声解説
スチル・ギャラリー
ラジオ・スポット集
オリジナル劇場予告編
監督:ルチオ・フルチ
製作:ルチオ・フルチ
脚本:ルチオ・フルチ
    ロベルト・ジャンヴィーティ
    ジャンフランコ・クレリチ
撮影:セルジョ・ドフィッツィ
特殊メイク:ジャンネット・デ・ロッシ
音楽:リズ・オルトラーニ
出演:フロリンダ・ボルカン
    バーバラ・ブーシェ
    トーマス・ミリアン
    イレーネ・パパス
    マルク・ポレル
    ジョルジュ・ウィルソン
    ウーゴ・ダレッシオ
監督:ルチオ・フルチ
製作:ルチオ・フルチ
脚本:ルチオ・フルチ
    ロベルト・ジャンヴィーティ
    ダルダノ・サケッティ
撮影:セルジョ・サルヴァーティ
音楽:ビクシオ=フリッツィ=テンペラ
出演:ジェニファー・オニール
    ガブリエル・フェルゼッティ
    マルク・ポレル
    ジャンニ・ガルコ
    イヴリン・スチュアート
    ジェニー・タンブリ
    ファブリツィオ・ジョヴィーネ
    ロレダーナ・サヴェッリ
監督:ルチオ・フルチ
製作:ファブリツィオ・デ・アンジェリス
    ウーゴ・トゥッチ
脚本:エリザ・ブリガンティ
撮影:セルジョ・サルヴァーティ
特殊メイク:ジャンネット・デ・ロッシ
音楽:ファビオ・フリッツィ
出演:イアン・マカロック
    ティサ・ファロー
    リチャード・ジョンソン
    オルガ・カルラトス
    アル・クライヴァー
    オーレッタ・ゲイ
    ステファニア・ダマリオ
    ダッカール
 スクィーズ収録ではあるものの、画質は若干粗さが目立ちます。マスター・フィルムの状態ではなく、エンコード処理の問題ではないかと思われますね。高画質で定評のあるAnchor Bayにしては及第点といった印象。映像特典がバイオグラフィー集だけというのも寂しい限り。最近になってBlue Undergroundから再発されていますが、どうやら中身は全く同じだそうです。  部分的に、若干の古さを感じさせるものの、ほぼ完璧に近い画質。さすがはSeverin Filmsといった感じですね。壮麗な美術セットや流麗なカメラワークなど、きめ細かい部分までとても丁寧に再現されています。特に暗闇部分が全く潰れることなく、重厚な深みを感じさせてくれるのは立派。DVD化に携わった人々の優れた職人技を実感させてくれる1枚です。  『サンゲリア』のソフト化としては、過去最高の高画質を誇る究極の2枚組です。映像特典も満載。意外なゾンビ役者のインタビューまで収録されているので、マニアなら思わず感涙(?)ものなはず。日本でもJVDから同一内容の2枚組DVDが2005年に発売されています。特典ディスクなしの単品廉価版も出ておりますので、マニアじゃない方も是非♪

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