イタリア映画のマエストロ(5)
リナ・ウェルトミューラー Lina Wertmuller

 

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 イタリアを代表する女流監督リナ・ウェルトミューラー。代表作『流されて…』(74年)は、一部の映画批評家やフェミニスト運動家から“女性嫌悪的”だとして批判されたが、そのことに関して本人自身はこう語っている。“私は女性も好きだけど、それよりもっと男性が好きなのよ”と。
 一般的に女流監督は女性を描くものと思われがちだが、ウェルトミューラーの作品は男性を主人公にしたものが多い。その点についても、彼女はこう話している。“男だ女だということは私には関係がない。私は映画監督であり、作り手である。性別など意識したことがないわ。私たちは誰でも男性的な部分と女性的な部分を持っているものよ。そんなことよりも大切なのは、知性であり、創造力であり、メッセージだと思う。私は女性だからとか、映画監督だからとカテゴライズされることが一番嫌いなのよ”
 無人島に漂着した男女を描いた『流されて…』は、男性が力とセックスによって女性を支配するという展開が、一部の批評家やフェミニストに強い反感を買った。男性は左翼の貧しい召使、女性は傲慢なフェミニストの上流階級夫人。しかし、無人島のサバイバル生活で立場は逆転する。生存能力の高い男性は食料と住居を確保し、なす術のない女性は彼にひれ伏すしかない。それでもなお自己の優位性を誇示しようとする女性を、男は力ずくで犯すことにより服従させる。だが、やがて救援隊が到着して文明社会に復帰すると、2人はもとの主従関係へと戻ってしまう。
 そう、これは単なるセックスの物語ではなく、階級闘争の物語だ。生きるか死ぬかという極限状態に置かれなければ成り立たない階級闘争。しかし、一旦平和が訪れてしまえば、搾取するものと虐げられるものの関係はもとの鞘に収まってしまう。それが文型社会の現実であり本質なのだ。
 一方、アメリカで爆発的な大ヒットとなった『セブン・ビューティーズ』(75年)は、己の欲と保身のためならどんなことでもする、愚かで滑稽で卑劣な男の物語だ。主人公は女たらしのチンピラ。喧嘩の弱い軟弱者だが、プライドだけは人一倍高い。自分に恥をかかせたヤクザの親分の寝込みを襲って殺してしまい逮捕される。刑期を免れるために兵役を志願。しかし、臆病者だからさっさと敵前逃亡する。ところが、運悪くナチに捕まってしまい、強制収容所へ。殺されるのは絶対に嫌だ。そこで彼はデブで不細工の女所長に色仕掛けで接近し、まんまとその飼い犬になった挙句、仲間の兵士までをも処刑する。そして、終戦のドサクサに紛れて故郷へ戻り、もとのチンピラ生活を始めるわけだ。
 恥も外聞もなく、あらゆる手段を講じて生き残ろうとする人間の醜さ。しかし、それは同時に究極の生存本能でもある。『流されて』も『セブン・ビューティーズ』も、そうした人間の本質的な醜さを余すことなくストレートに描いたことが、当時の観客には新鮮で斬新だったのかもしれない。
 ただ、彼女の作品が人々から受け入れられた理由はそれだけではない。その“醜さ”をスラップスティック・コメディにまで昇華させたユーモア精神こそが、ウェルトミューラー作品の最大の醍醐味と言えよう。物語は深刻で暗いのにも関わらず、その作風は実に陽気で明るい。そのギャップがあるからこそ、普遍的な風刺性が高められているのだろう。“私は醜さを描くことが好き”と彼女自身も語っている。“やり過ぎるとただの悪趣味になってしまう、そのギリギリの微妙なラインに魅力を感じるのよ”と。

 1928年8月14日、ローマに生まれはリナ・ウェウトミューラーは、本名をアルカンジェラ・フェリーチェ・アッスンタ・ウェルトミューラー・フォン・エルグ・スパノル・フォン・ブラウイッヒという。スイス系貴族の家系で、父親はかなり有力な弁護士だったという。ただ、彼女自身は相当なお転婆娘で、退学歴11回というツワモノだった。そんな彼女と意気投合したのがフローラ・カラベッラという年上の女学生。このフローラからタバコの味と演劇の魅力を教えてもらったらしい。
 すっかり演劇少女となった彼女は、父親の猛反対を押し切って演劇学校へ入学。卒業後は幾つかの劇団に在籍し、人形劇団の一員としてロンドンやパリへ巡業も行った。そんな折、彼女は旧友のフローラと再会。当時マルチェロ・マストロヤンニと結婚していたフローラは、ウェルトミューラーをフェデリコ・フェリーニ監督と引き合わせた。フェリーニは豪快で物怖じしない彼女をすっかり気に入り、映画『81/2』(62年)の助監督に抜擢する。
 このフェリーにとの出会いが、あらゆる面で彼女の人生を大きく変えたようだ。後年の彼女の作品を見ても、そのユーモア・センスからビジュアル・センスに至るまで、フェリーニからの影響がそこかしこで手に取るように分かる。
 “撮影が終わる頃、海岸線を歩きながらフェデリコに言われたのよ。テクニックについて言う輩もいるだろう。いろいろと提案されることもあるはずだ。しかし、誰の言葉にも従っちゃいけない。あくまでも友達に話しをするように物語を語れ。語り部としての才能があれば上手くいく。それがなけりゃ、いくらテクニックがあっても無駄だ、って。まったくその通りだと思ったわ”
 その後、友人の勧めで書いた脚本“I basilischi”がエルマンノ・オルミ監督の制作会社に認められ、63年に監督デビューを果たした。この作品でロカルノ国際映画祭銀賞を受賞したウェルトミューラーは、続いて手掛けたリタ・パヴォーネ主演のテレビ用映画“Il giornalino di Gian Burrasca”(64年)も評判に。しかし、その後はなかなかヒットに恵まれず、ジョージ・H・ブラウンやネイサン・ウィッチという男性名で娯楽映画を監督したり、セルジョ・ソリーマの『狼の挽歌』(70年)やフランコ・ゼフィレッリの『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(72年)などの脚本を手掛けたりしていた。
 しかし、シチリアにおける労働闘争と男尊女卑の風習を痛烈に皮肉った“Mimi metallurgico ferito nell'onore”(72年)が各映画賞を受賞。さらに、ムッソリーニ暗殺の使命を帯びたアナーキストと娼婦の愛を描いた“Film d'amore e d'anarchia, ovvero 'stamattina alle 10 in via dei Fiori nella nota casa di tolleranza...”(73年)がカンヌ映画祭の男優賞(ジャンカルロ・ジャンニーニ)を受賞。この作品は特にアメリカで評判となった。
 そして、74年の『流されて』が、アメリカで外国映画としては異例の大ヒットを記録。ウェルトミューラー本人も“なぜアメリカであれほど受けたのかは全くの謎”と語るほどの熱狂ぶりだった。続く『セブン・ビューティーズ』もニューヨークで盛大なプレミア上映が行われるほどの盛り上がりで、配給を担当したニュー・ライン・シネマはウェルトミューラー作品のおかげで軌道に乗ることが出来たとさえ言われている。
 さらに、彼女はこの作品でアカデミー賞4部門にノミネート。中でも監督賞候補に挙がったのは女性としては史上初の快挙だった。ただ、本人曰く制作会社も配給会社もアカデミー賞の根回しについて全く知識がなかったため、何の受賞対策も講じることがなく、そのために1つも受賞が出来なかったらしい。
 いずれにせよ、アメリカでもドル箱監督として認知されるようになったウェルトミューラーは、ワーナー・ブラザーズと契約を結び、ジャンカルロ・ジャンニーニとキャンディス・バーゲンを主演に迎えた“La fine del mondo nel nostro solito letto in una notte piena di pioggia”(78年)を発表。左翼のイタリア人ジャーナリストとフェミニストのアメリカ人女性の奇妙な恋愛を描いたこの作品は、イタリアでは評判になったものの、肝心のアメリカ市場では全くの不発だった。
 その後、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の『愛の彷徨』(79年)や、ベルリン国際映画祭で2部門を受賞した『殺意の絆』(86年)、大富豪のビジネス・ウーマンと野獣のようなテロリストの愛欲を描いた『流されて2』(87年)、エイズを題材にした『ムーンリット・ナイト』(89年)、現代の貧困と教育問題を描いてアメリカでもヒットした“Io speriamo che me la cavo”(92年)、宗教や因習によって歪曲される人間の性を描いた“Ninfa plebea”(96年)、ナポリ王フェルディナンド一世と妻カロリーナの破天荒な関係を描いた歴史コメディ“Ferdinando e Carolina”(99年)など、マイペースでコンスタントな創作活動を続けている。
 “私は常に自分を喜ばせるために映画を撮っているの。それは神のためでもなければ、観客のためでもない。もちろん、批評家なんて論外よ。”と本人も語るように、彼女は決して女流監督だとか、社会派監督だとかいったカテゴリーで語ることの出来ない、非常に独特の世界観を持った映画監督だ。自分の好きな物語だけを自分の言葉で語り続ける、いわば孤高の語り部とでも呼ぶべき映像作家なのである。

 

流されて…
Travolti da un insolito destino all'azzurro mare d'agosto (1974)

日本では1978年劇場公開
VHS・DVD共に日本発売済

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(P)2005 Koch Lorber Films (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/5.1chサラウンド/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/116分/製作:イタリア
監督:リナ・ウェルトミューラー
製作:ロマーノ・カルダレッリ
脚本:リナ・ウェルトミューラー
撮影:エンニオ・グァルニエッリ
美術:エンリコ・ジョブ
音楽:ピエロ・ピッチョーニ
出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ
    マリアンジェラ・メラート
    リカルド・サルヴィーノ
    イサ・ダニエリ
    アルド・プリージ
    エロス・パーニ

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傲慢で威圧的な実業家夫人ラファエッラ(M・メラート)

ヨットの従業員を務めるジェンナリーノ(G・ジャンニーニ)

 リナ・ウェルトミューラーの名声を世界的に高めた傑作。原題は“8月の青い海で奇妙な運命によって押し流されて”という意味。無人島に漂着した傲慢なブルジョワ女性と貧しい召使の男性を主人公に、主従関係の逆転から生まれる奇妙な愛憎ドラマをコミカルに描いた作品だ。
 映画ファンならすぐにピンと来ると思うが、同じようなストーリーはセシル・B・デ・ミルの『男性と女性』(19年)以来幾度となく描かれてきた。ある意味、語り尽くされてきたお話と言ってもいいだろう。それが興行的に大成功を収めることが出来たのは、セックスと暴力という人間の野性本能によって階級社会の本質を暴こうとしたウェルトミューラーの斬新な視点、そして貧困と格差の問題や右翼と左翼による政治闘争が激化していた当時のイタリアの社会情勢が背景にあったからだと言えるだろう。
 マドンナ主演のリメイク版『スウェプト・アウェイ』が大失敗した理由は、こうした階級闘争に対する着眼点と社会的背景の決定的欠如だったと言えよう。『流されて』という作品は、70年代の時代と社会が求めた映画だったのだ。そして、当時この作品を“女性嫌悪的”と批判した人々も、ストーリーの表層ばかりに目を奪われてしまい、その真意を見抜くことが出来なかったのである。
 あくまでもヒーローは労働者階級を、ヒロインはブルジョワ階級を象徴する存在であり、決して男性と女性のジェンダーを題材にした物語ではない。そこを見誤ってしまうと、この物語は単に男性の誇大妄想を描いただけのポルノ映画となってしまうはずだ。

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ジェンナリーノを小ばかにするラファエッラ

2人を乗せたボートが故障する

 真夏の地中海を運航する1隻のヨット。船上ではミラノの実業家夫人ラファエッラ(マリアンジェラ・メラート)が、上流階級の友人たちと優雅に日光浴を楽しんでいる。ラファエッラは筋金入りの資本主義者でフェミニスト。その傲慢で威圧的な態度に、ヨットの従業員であるジェンナリーノ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)は内心憤慨していた。ラファエッラの方も、そんなジェンナリーノの様子に気付き、わざと神経を逆なでさせてほくそ笑んでいた。南部育ちの下品で頭の悪い貧乏人のクセに、と。
 ある日、ラファエッラが寝過ごしているうちに、友人たちが近くの入江へと遊びに出かけてしまった。彼女は友人たちと合流すべく、ジェンナリーノにモーター・ボートを操縦させて入江へ向う。小さなボートで行くには遠すぎるというジェンナリーノの反対を押し切るラファエッラ。案の定、海の上でボートのエンジンが故障してしまった。
 一昼一夜漂流したボートは、やがて南海の楽園とも言うべき無人島にたどり着く。ジェンナリーノにいちいち指図されることに腹が立ったラファエッラは、単独で行動する道を選んだ。海に潜って魚や海老を採り、火を起こして空腹を満たすジェンナリーノ。島に残されていた小屋を発見し、そこで寝泊りすることにする。
 一方、ブルジョワ育ちで何もすることが出来ないラファエッラは、無人島をただ歩き回るだけで心身ともに疲れ果ててしまう。自給自足の生活をしているジェンナリーノを見て、雇い主である自分にも分け前をよこせと憤慨するラファエッラ。相変わらず傲慢な彼女に冷ややかな目線を送るジェンナリーノ。やがて空腹に耐えられなくなったラファエッラは、ジェンナリーノの身の回りの世話をすることを条件に食事を分けてもらう。
 しかし、やはりどうしても支配階級の意識が抜け切らないラファエッラ。そんな彼女を、ジェンナリーノは遂に力ずくで征服した。彼の荒々しい野性的な肉体に溺れていくラファエッラ。彼女はそれまでに知らなかった男性の魅力を感じるようになった。2人は奇妙な愛情と信頼関係で結ばれていく。それはまるで、人類原初における男女の姿のようだった。
 ある日、沖に1隻のボートを発見したラファエッラだが、島での生活を失いたくない彼女はボートをわざと見過ごす。しかし、やがて救援隊が島へと到着した。このまま島に残りたいと言い張るラファエッラ。ジェンナリーノは文明社会に戻ることによって、2人の真実の愛を確かめ合おうと説得するのだったが…。

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自給自足の生活を始めたジェンナリーノ

ブルジョワ育ちのラファエッラは無力だった

 ウェルトミューラーが描こうとしたのは、結局のところ階級闘争というのは人間そのものが文明以前の原点に立ち戻らねば実現できないということなのだろう。最終的は元の木阿弥、という皮肉なクライマックスがそれを象徴しているように思える。しかも、あれだけ男性的魅力に溢れていた理想家のジェンナリーノにしても、一皮剥けば単に女房の尻に敷かれたダメ亭主。資本主義の原理を振りかざすブルジョワも、万人平等の理想郷を掲げる社会主義者も、ウェルトミューラーにしてみれば同じ穴のムジナということか。いずれにせよ、様々な論議を誘発するような奥の深い作品と言えるだろう。
 製作を担当したロマーノ・カルダレッリは、ウェルトミューラーとは“Mimi metallurgico ferito nell'onore”以来の付き合い。手掛けた作品はとても少なく、その素顔についてもあまり知られていない。製作過程で一切の口出しをしない良心的なプロデューサーだったらしく、ウェルトミューラー自身も“彼のような素晴らしい製作者が、僅かしか作品を残していないということが理解できない”と語っている。
 撮影にはイタリアを代表する大御所カメラマン、エンニオ・グァルニエリがクレジットされているほか、一連のダリオ・アルジェント作品で有名な編集マンフランコ・フラティチェッリや、ウェルトミューラーの夫でもある大御所美術デザイナー兼衣装デザイナーのエンリコ・ヨブなど一流のスタッフが集結。
 また、日本でもお馴染みの大物作曲家ピエロ・ピッチョーニによる、スウィート&ソフトなボサノバを中心としたBGMもお洒落で心地良い。

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ラファエッラを力ずくで服従させるジェンナリーノ

ラファエッラはひれ伏すしかなかった・・・

 主人公のジェンナリーノとラファエッラを演じるのは“Mimi metallurgico ferito nell'onore”以来、ウェルトミューラー作品の主演コンビとして活躍したジャンカルロ・ジャンニーニとマリアンジェラ・メラート。ジャンニーニはご存知の通り、イタリアを代表する名優としてハリウッドでも活躍するようになった。今ではすっかり銀髪の似合う渋い紳士となったが、当時のギラギラとしたエネルギッシュな演技は強烈。マストロヤンニとはまた違ったタイプの、野性味溢れるスケールの大きな役者だった。
 一方、マリアンジェラ・メラートも個性的なマスクとパワフルな演技で人気を集め、『フラッシュ・ゴードン』(80年)や『ダンサー』(88年)などのハリウッド映画にも出演。イタリアではシルバー・リボン賞の主演女優賞を5回受賞し、イタリア版オスカーと言えるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では主演女優賞を4回、功労賞などを3回も受賞しているという大女優だ。
 この2人以外の役者はほとんど出番のないような感じだが、ジェンナリーノの上司ピッペを演じている名脇役エロス・パーニと、ジェンナリーノの口やかましい女房を演じているイサ・ダニエリの2人も印象的。ダニエリはウェルトミューラー作品の常連としても知られている。

 

セブン・ビューティーズ
Pasqualino Settebelle (1975)

日本では1984年劇場公開
VHSは日本発売済・DVDは日本未発売

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(P)2005 Koch Lorber Film (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/5.1chサラウンド/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/117分/製作:イタリア
監督:リナ・ウェルトミューラー
製作:ジャンカルロ・ジャンニーニ
    アリーゴ・コロンボ
    リナ・ウェルトミューラー
脚本:リナ・ウェルトミューラー
撮影:トニーノ・デッリ・コッリ
音楽:エンツォ・ヤヌッチ
出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ
    フェルナンド・レイ
    シャーリー・ストーラー
    エレナ・フィオーレ
    ピエロ・ディ・イオリオ
    エンツォ・ヴィターレ
    ロベルト・ヘルリツカ

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キザで下品なチンピラ、パスカリーノ(G・ジャンニーニ)

経営する工場で女ばかりに囲まれている

 自分が生き残るためには手段を選ばないゴキブリのような男を描いた痛烈な風刺コメディ。スラップスティック・コメディを連想させるオフビートなリズム感や、象徴的で印象的な美術セットを生かしたビジュアル・センスなど、ウェルトミューラー作品の中でも特に師匠フェリーニからの影響を強く感じさせる作品だ。
 もともと、この物語はウェルトミューラー自身がスタッフから聞いた実話をベースに書き上げた作品だった。プライドは高いが小心者で、喧嘩は弱いくせに短気で短絡的な男。それが仇となって戦場へと送られてしまうわけだが、己の保身のためなら女性に暴力を奮おうが、不細工な女所長の股間を舐めようが、味方の兵士を射殺しようが全くのお構いなし。恥も外聞もないとはまさにこのこと。ありとあらゆる裏切りや悪事を行った挙句、ちゃっかりともとの生活に戻ってしまう調子の良さ。正義と理想を信じるものばかりが散って行き、世渡り上手のクズみたいな輩が生き残ってしまうという皮肉。
 しかし、自分の身が一番かわいいというのは、多かれ少なかれ誰もが同じこと。果たしてあなたは彼のことを本当に心底バカに出来るのか?彼の愚かさを笑い飛ばすことが出来るのか?という含みを持たせている辺りが、ウェルトミューラー作品の真骨頂なのかもしれない。

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街を歩けば女に色目ばかり使うパスカリーノ

姉コンチェッタ(E・フィオーレ)の身持ちの悪さに激怒する

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勢いで殺人を犯してしまったパスカリーノ

裁判には彼を支援する女性たちが駆けつける


 時は第二次世界大戦前夜。ナポリで稼業のマットレス製造業を営むパスカリーノ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)は、町中の娘たちを虜にする女たらしのチンピラだ。決してハンサムではないのだが、ポマードで髪をてからせて、キザなスーツに身を包むと、なぜか女たちはそれだけでイチコロ。7人の姉妹と母親、女性ばかりの従業員に囲まれて育った彼は、プライドばかり高い小心者のナルシストだ。
 ある日、彼は長女コンチェッタ(エレナ・フィオーレ)が場末の舞台でダンサーをしているのを発見する。シチリア人気質の彼は、一家の女が人前であられもない格好をして踊っていることに激怒。どうやら、コンチェッタはトトンノ(マリオ・コンティ)というポン引きにそそのかされているらしい。彼とは愛し合っていると涙ながらに訴えるコンチェッタに、パスカリーノは近日中に結婚をするなら許してやると猶予を与えた。
 ところが、身内のドン・ラファエッレ(エンツォ・ヴィターレ)から、コンチェッタがトトンノの経営する売春宿で働いているらしいという情報を聞いてパスカリーノは逆上。派手な格好をしたコンチェッタを半殺しの目にあわせる。そこへやって来たトトンノに拳銃をちらつかせていきがってみせるパスカリーノだったが、その場で顔面を一発殴られて失神。女たちの前で恥をかかされた彼は、真夜中にトトンノの家に忍び込み、寝起きで無防備の彼を銃殺した。
 ナポリの町をさんざん逃げ回った挙句に逮捕されたパスカリーノ。しかし、人々は事件を名誉の殺人として賛美し、裁判では凶器の犯行と判断された。形式として精神病院へ送られたパスカリーノ。ところが、そこで色情狂の女性患者をレイプしてしまったものだから、立場が一転して刑務所送りとなってしまった。
 ちょうどその頃、第二次世界大戦が勃発。刑期を免れるために兵役を志願したパスカリーノは戦線へ送られる。しかし、臆病者の彼は軍隊の厳しさに辟易して脱走。その途中でフランチェスコ(ピエロ・ディ・イオリオ)というインテリの脱走兵と知り合う。民家に押し入って食料を奪った2人だったが、森の中でドイツ兵に捕らえられてしまった。
 かくして、ナチの強制収容所へと送り込まれたパスカリーノとフランチェスコ。そこでは、毎日のように大量の人々が虐殺されていた。こんなところで死ぬのは絶対に嫌だ。そう考えたパスカリーノは、醜い巨漢の女所長(シャーリー・ストーラー)に取り入ろうとする。彼の理屈で言えば、女は誰でも心の中に母性本能を秘めているという。
 わざと規則違反をして女所長のもとへ呼び出されたパスカリーノは、彼女への愛を涙ながらに切々と語る。しかし、そんな彼の大熱演も冷血漢の女所長には全く通用しない。彼女から浴びせられる屈辱的な言葉や態度にもじっと耐え、地べたを這いずって気に入られようとするパスカリーノ。セックス奉仕を強要されるが、ろくに食事も与えられていないために肝心のモノが立たない。床に放り投げられた残飯を貪ってセックスに励むパスカリーノ。
 その甲斐あって、彼はなんとか囚人房のリーダーを任されることになった。しかし、その初任務は仲間を処刑することだった。同じ房の中から6人を選べという。彼は一番負い目を感じない少年たちを選んだ。その行為に怒りを感じた老人ペドロ(フェルナンド・レイ)は公衆の面前で自殺することで抗議し、フランチェスコも自ら処刑を願い出る。自分が庇おうとした仲間たちが次々と死を選ぶ姿に狼狽するパスカリーノ。しかし、彼は自分の身を守るためにフランチェスコを自らの手で射殺するのだった・・・。

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パスカリーノの妄想に出てくる初恋の女

フランチェスコ(P・ディ・イオリオ)と逃亡生活を送る

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民家に押し入って食事を奪うパスカリーノ

強制収容所へと連行されてくる

 誰の目から見ても救いようがないくらいに下品で愚かで自己中心的な男パスカリーノ。しかし、ウェルトミューラーが彼に注ぐ眼差しは意外なくらいに暖かい。彼女はパスカリーノというキャラクターの中に、なりふり構わない人間の生命力みたいなものを見出しているように思える。これほどまでに深刻なストーリーでなければ、彼はイタリアの下町にいくらでもいる愛すべき愚か者程度の人間だったのかもしれない。
 そう考えると、ウェルトミューラーは彼を典型的イタリア人のカリカチュアとして描いていたという見方もできると思う。パスカリーノが、刑務所で出会った反ファシズムの思想犯(ロベルト・ヘルリツカ)と言葉を交わすシーンがある。“ドゥーチェ(ムッソリーニ)は偉大な人だよ。我々に道路を与え、食料を与えてくれたんだから。難しい政治の事なんか俺には関係ないね”と。ヨーロッパを戦争に巻き込んだファシズムという怪物を生み出しながら、なんとなく責任をナチス・ドイツに転嫁し、何食わぬ顔をして戦後を迎えたイタリアに対するウェルトミューラーならではの大いなる皮肉なのだろう、パスカリーノという男は。
 撮影を担当したトニーノ・デッリ・コッリは、パゾリーニやセルジョ・レオーネの撮影監督として有名な大御所で、フェリーニの『ジンジャーとフレッド』(85年)や『インテルビスタ』(87年)、『ボイス・オブ・ムーン』(90年)も手掛けていた人物。また、音楽を手掛けたエンツォ・ヤヌッチはもともとアニメ作家ブルーノ・ボゼットの作品で知られる作曲家だ。そして、フェリーニ作品を彷彿とさせる美術セットや衣装デザインを担当したのは、ウェルトミューラーの夫エンリコ・ヨブ。

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フェリーニを彷彿とさせる映像美

虎視眈々と自衛策を練るパスカリーノ

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自殺を選ぶ老人ペドロを演じるフェルナンド・レイ

強制収容所の女所長を怪演するシャーリー・ストーラー

 俳優陣に目を移すと、やはりパスカリーノを演じるジャンカルロ・ジャンニーニの独壇場といったところか。パスカリーノという男のいやらしさ、卑劣さ、抜け目なさ、愚かさをギラギラとした強烈なパワーで最後まで演じきって圧巻。強制収容所で女所長の気を引くために、捨て犬のような顔をして目を潤ませながら甘いメロディを口ずさんでみせるあたりの、哀れとも情けないともつかない狡猾さには全くもって舌を巻く。まさに一世一代の名演技だ。
 糞尿の中に飛び込んで自殺する老人ペドロを演じたのは、スペインの誇る名優フェルナンド・レイ。ブニュエル作品や『フレンチ・コネクション』など、主に権力者や悪役というイメージの強い役者だが、本作では出番が少ないながらも、人間の良心と魂の尊厳を象徴する存在として強い印象を残している。
 そして、ナチ強制収容所の女所長を演じているのが、アメリカ人女優シャーリー・ストーラー。カルト映画として名高い『ハネムーン・キラーズ』(70年)で知られる巨漢女優で、それを見たウェルトミューラーは一目で気に入り、自らニューヨークへと出向いて出演交渉をしたという。
 そのほか、当時ウェルトミューラー作品の常連だった女優エレナ・フィオーレがパスカリーノの不細工な姉コンチェッタを、同じくウェルトミューラー作品の常連として有名な個性派俳優ロベルト・ヘルリツカが思想犯を、その後脚本家や監督として活躍しているフランチェスカ・マルチアーノがパスカリーノに憧れる若い娘カロリーナを演じている。いわゆる美男美女が一人も登場しないというのも、ウェルトミューラーらしいキャスティング感覚だ。

 

 

流されて2
Notte d'estate con profilo greco, occhi a mandorla e odore di basilico (1987)

日本では1988年劇場公開
VHS・DVD共に日本発売済

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(P)2005 Koch Lorber Films (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/モノラル/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/98分/製作:イタリア
監督:リナ・ウェルトミューラー
製作:ジャンニ・ミネルヴィーニ
脚本:リナ・ウェルトミューラー
撮影:カミロ・バッツォーニ
衣装:ヴァレンチノ
音楽:ダンジョ&グレコ
出演:マリアンジェラ・メラート
    ミケーレ・プラシド
    ロベルト・ヘルリツカ
    マッシモ・ウェルトミューラー
    ジョン・スタイナー
    アルナルド・ニンキ

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ミラノの凄腕女社長フラヴィア(M・メラート)

テロリスト組織のボス、ジュセッペ(M・プラシド)を誘拐する

 日本では『流されて』の続編として劇場公開されたが、もちろん直接的な関連性は全くない。原題は“夏の夜...ギリシャの外郭、アーモンド形の瞳とバジルの香りと共に”といったような意味だ。地中海の孤島を舞台に、辣腕の女性実業家とテロリストのボスがセックスを通じて立場を逆転させていくという物語。確かに『流されて』の続編というわけではないが、その延長線上にある作品であることは間違いないだろう。
 そして、その酷似性こそが本作最大の弱点とも言える。主人公の女性実業家フルヴィアは、金持ちばかりを誘拐しては身代金で稼いでいるテロリスト組織のボス・ジュセッペを誘拐する。傲慢で拝金主義のフルヴィアとシチリアの労働者階級に生まれたジュゼッペは、文字通り水と油の仲だ。しかし、自尊心と支配欲の強さでは互いに引けをとらない。2人は本能的にお互いを認め合うようになり、やがてセックスを通じて奇妙な恋愛関係へと発展していく。
 ストーリーそのものは『流されて』と全く別ものではあるが、登場人物や舞台の設定は非常によく似ている。さらに、物語の背景としてイタリアにおける階級闘争や右派と左派の対立などの問題を描いているという点でもそっくり。一度やりつくしてしまった題材に再びチャレンジすることの必然性が、残念ながらなかなか見えてこない。
 とりあえず、ウェルトミューラーは『流されて』とちょっと違ったアプローチを試み、よりドリーミーでファンタジックな大人の風刺コメディとして仕上げている。地中海の離島を舞台にしたロケーションはさらに美しく、島にそびえたつ広大な屋敷や庭園はおとぎ話のような豪華さ。まるでアラビアン・ナイトのように幻想的なセックス・シーンや、ヴァレンチノによる壮麗でゴージャスな衣装の数々。とても口当たりの良いライト・コメディといった印象だ。
 それだけに、『流されて』や『セブン・ビューティーズ』のように痛烈な社会的・政治的メッセージに乏しく、なんとなく『流されて』のお手軽なリメイク・バージョンを見せられているような感覚も否定できまい。決して駄作ではないのだが、ウェルトミューラーのフィルモグラフィーの中では、決してベストの部類に入る作品でないことも確かだろう。

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傲慢で鼻っ柱の強い女性フラヴィア

ジュゼッペは脱走を試みたものの失敗に終わる

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地中海建築の美しい豪邸が舞台となる

野獣のように獰猛で強靭なジュゼッペ

 CIAやインターポールを渡り歩いた凄腕の元諜報員トゥーリ(ロベルト・ヘルリツカ)は、イタリアを代表する巨大企業グループの女社長フラヴィア・ボルク(マリアンジェラ・メラート)に雇われる。フラヴィアは彼にある秘密計画の陣頭指揮を依頼した。それは、サルデーニャ地方を根城に、イタリア全土の金持ちを次々と誘拐しては身代金を稼いでいるテロリスト組織のボス、ジュゼッペ・カタリーナ(ミケーレ・プラシド)の誘拐だった。
 フラヴィアが用意した軍隊を率いるトゥーリは、壮絶な銃撃戦と追跡戦の果てにジュゼッペを捕獲することに成功した。フラヴィアは彼をサルデーニャ島近辺の離島に監禁をする。そこは彼女が所有する島で、関係者以外が立ち入る危険性はない。もし彼女が誘拐・拉致を行ったことが外部に知れれば、懲役30年以上の実刑は免れないからだ。
 島にそびえたつ地中海様式の豪邸へと運び込まれたジュゼッペ。フラヴィアの目的はただ1つ、ジュゼッペの身代金を組織から搾り取ることだった。この10年間に彼女の友人たちが次々と誘拐され、多額の身代金が奪われてきた。彼女はそうした友人たちを代表して、この計画を実行に移したのだ。
 しかし、フラヴィアがこの計画にこだわった理由はそれだけではない。そうした誘拐犯が野放しにされることにより、自分たち支配階級の名誉や権威が傷つけられてきた。イタリアが豊かになったのは自分たちのおかげだ。今こそ、この国を支配しているのが誰なのかを犯罪者たちに知らしめ、支配階級への畏敬の念というものを取り戻さねばいけない。
 そんなフラヴィアの言葉を、目隠しされた上に縛られたジュゼッペは笑い飛ばす。お前たちは庶民から金を搾り取れるだけ搾り取っている寄生虫だろう、と。野獣のように獰猛で、鋼のような意思と生命力に溢れたジュゼッペを、最初は珍獣のように扱っていたフラヴィアだったが、次第にその男性的魅力に興味をかき立てられていく。トゥーリの部下たちのミスでジュゼッペが逃亡を企てるという騒動も起きたが、フラヴィアは彼の強さに親近感を抱くようになる。
 ある日、ジュゼッペはフラヴィアにささやかな快楽を要求する。何週間も監禁されていれば性欲も抑えきれない。面白がったフラヴィアは、トゥーリの反対にも耳を貸さず、娼婦を2人調達した。そして、自らも女たちの中に紛れ込む。目隠しをされたジュゼッペが選んだのはフラヴィアだった。正体がばれないように一言も口を開かないフラヴィアだったが、どうやらジュゼッペは動物の臭覚で勘付いているようだった。その逞しい肉体に我を忘れるフラヴィア。
 やがて組織から身代金の要求を呑むという旨の連絡が入った。一度はお互いを認め合ったフラヴィアとジュゼッペだが、それぞれにプライドや立場というものがある。フラヴィアは身代金を受け取り、ジュゼッペは解放された。しかし・・・。

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フラヴィアの我がままに振り回されるトゥーリたち

フラヴィアはジュゼッペの肉体に我を忘れる

 『流されて』に比べて支配層と被支配層という対立構造がやや曖昧なため、なかなか明確なメッセージが伝わりにくい物語だ。全体的にセリフ過多の傾向が強いため、中だるみも否定できない。それでも、クライマックスのどんでん返しと抱腹絶倒のエンディングはなかなか皮肉が効いていて面白かった。
 撮影を手掛けたのは『思春期』(64年)や『エルネスト美しき少年』(79年)、『女たちのテーブル』(86年)などで有名なカメラマン、カミロ・バッツォーニ。彼はマカロニ・ウェスタンの監督としても知られる。目の醒めるほどに青い地中海や、アラベスク模様が美しい壮麗な屋敷内部など、その鮮やで透明感のある色彩を捉えた映像が素晴らしい。また、岩の切り立った特異な地形の中で展開される追撃シーンの躍動感も、マカロニで鍛えられたバッツォーニならではの見せ場と言えるだろう。
 また、ダンジョ&グレコが手掛けたラウンジ・スタイルのゴージャスなBGMも印象的。けだるいジャズのリズムにのって奏でられる官能的なテーマ曲では、ウェルトミューラー監督自身が歌声(というよりも語り声)を披露している。
 そして、主人公フラヴィアが身に纏うゴージャスな衣装の数々は全てヴァレンチノ。インテリアや小道具なども大変豪華で、ジュゼッペが繋がれる鎖までもがブルガリ製だったりする。

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フラヴィアの衣装を担当したのはヴァレンチノ

トゥーリ役を演じる名優ロベルト・ヘルリツカ

 フラヴィア役のマリアンジェラ・メラートは当時46歳だったが、本作では鍛え抜かれた美しい肉体を惜しげもなく披露している。豪快な演技力も相変わらずの迫力。ほんとうに、この人は強い女というイメージがよく似合う。その威圧感のある顔立ちといい、押しの強い演技といい、無駄のない完璧な肉体美といい、辣腕の女実業家としてこれほど適した女優は他にいないだろう。本作などは、まさに彼女の独壇場といったところ。
 対するジュゼッペを演じるミケーレ・プラシドもハリウッド映画に進出したことのあるイタリアの名優で、演技力にも定評のある人だが、やはり彼はどちらかというとインテリ・タイプの2枚目。シチリア出身の野獣みたいなテロリストを精一杯演じてはいるものの、残念ながらマリアンジェラ・メラートの存在感にはちょっと及ばなかった。ジュゼッペ役がジャンカルロ・ジャンニーニでなかったのは惜しまれるところだ。
 また、トゥーリ役のロベルト・ヘルリツカも意外なキャスティング。ウェルトミューラー作品の常連で、普段は物静かなインテリを演じることが多い名脇役だが、ここではフラヴィアに横恋慕してしまうベテラン・スパイ役を悲哀感たっぷりに演じていて面白い。
 そのほか、ウェルトミューラー監督の甥に当たるマッシモ・ウェルトミューラーがトゥーリの助手役を、イタリア産娯楽映画の悪役として有名なイギリス人俳優ジョン・スタイナーがフラヴィアの愛人フレデリク役を演じている。

 

 

Ninfa Plebea (1996)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2005 Koch Lorber Films (USA)
画質★★★☆☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/ステレオ/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/110分/製作:イタリア
監督:リナ・ウェルトミューラー
製作:チロ・イポリート
    フルヴィオ・ルチサーノ
原作:ドメニコ・レア
脚本:ウーゴ・ピッロ
    リナ・ウェルトミューラー
撮影:エンニオ・グァルニエリ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ステファニア・サンドレッリ
    ラウール・ボヴァ
    ルチア・カーラ
    リーノ・マルチェッリ
    エンニオ・コルトルティ
    イサ・ダニエリ
    ロレンツォ・クレスピ
    ルイサ・アマトゥッチ
    ジュディッタ・デル・ヴェッキオ

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第2時世界大戦下のナポリ近郊

ミルッツァ(L・カーラ)と最愛の母ヌンツィアータ

 第2次世界大戦下のイタリア南部を舞台に、古きよき時代の大らかで自由なセックスと、それを歪曲させてしまう教会や大衆モラルの偽善を描いた作品。ウェルトミューラー監督としてはとても珍しい女性映画だ。
 ヒロインは性的に自由奔放な母親の影響を受けて育った少女ミルッツァ。彼女にとってセックスとは日常の中に存在するごく当たり前のこと。ご飯を食べたり、トイレに行ったりするのと同じ感覚の生理現象だ。そこには嫌らしい邪念など一切ない。
 まるで孫娘がお爺ちゃんの肩をもんであげるように、彼女は体の不自由な近所の老神父に性処理を施してあげる。その姿は本当に無邪気だ。“あら、神父さんったら体はヨボヨボなのに、ここだけはもの凄く元気なのね!”って(笑)。対する老神父も、“神よ煩悩の罪を許したまえ”とかなんとか言いながら、申し訳なさそうな様子でミルッツァに下半身の世話をしてもらう。それがごくありきたりの日常なのだ。
 だが、そんな彼女も母親と父親が相次いでこの世を去り、守ってくれる人がいなくなってしまったことから、世間の好奇の目に晒されるようになる。無邪気ゆえに自由奔放な彼女は世間から孤立。そんな折に知り合った若い負傷兵と恋に落ちるミルッツァだったが、そんな彼女の前に立ちふさがるのが処女性を重んじる旧家のしきたりだった。
 随所に宗教的なイメージを散りばめたこの作品は、大いなる女性賛歌であると同時に、カトリック教会に対するウェルトミューラーならではの皮肉をこめた映画だとも言えるだろう。この種の題材は、ヴィットリオ・デ・シーカやピエトロ・ジェルミなど、戦後の巨匠たちが幾度となく手掛けてきた。それゆえに決して目新しい内容の作品とは言えないが、ウェルトミューラーの語り口は辛口のユーモアがピリッと効いていて楽しい。時として胸が痛くなるような展開もあるが、総じてとても大らかな作品に仕上がっている。クライマックスのどんでん返しなどは、古い因習に対する痛烈な風刺を含んだ抱腹絶倒のハッピー・エンド。イタリア人の生命力と逞しさを感じさせてくれる優れた映画だ。

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天真爛漫で自由奔放な母ヌンツィアータ(S・サンドレッリ)

地味で心優しい父親ジョアッキーノ(E・コルトルティ)

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セックスの最中に激痛を訴えたヌンツィアータは死亡してしまう

ピザ売りで生計を立てるミルッツァ

 第二次世界大戦下のナポリ近郊。ドイツ軍がイタリアへの侵攻を始めた時期だ。ミルッツァ(ルチア・カーラ)は母ヌンツィアータ(ステファニア・サンドレッリ)、親友アヌンツァ(ルイサ・アマトゥッチ)、その母親ナンニーナ(ジュディッタ・デル・ヴェッキオ)と共に、隣町の教会へと礼拝に出かけた。
 そこで彼らは若くてハンサムなバラクーダ少佐(ロレンツォ・クレスピ)と知り合う。“肉欲の罪は殺人よりも罪深い!結婚で結ばれた男女にしか許されない神聖な行為だ!”と神父が力説する中で、互いの陰部をまさぐりあうヌンツィアータとバラクーダ少佐。教会の説教などどこへやら、一歩森の中へ足を踏み入れれば、そこかしこの草むらで男女が“肉欲の罪”に励んでいる。
 貧しい庶民のセックスは大らかだった。それは子供たちとて同じ。まだ年端の行かないミルッツァでも、セックスが人間の自然な生理現象であることを知っている。挨拶代わりに大人の男性からスカートをめくられるなんて当たり前。笑ってやり過ごすものだ。知り合いの老婆から、いい体になってきたねえとお尻を揉まれてケラケラと笑うミルッツァ。親友のアヌンツァとアソコの毛がどれくらい生えてきたかを確認しあって、“あなたのは林というよりも森ね”と言われて思わず笑い転げる。そこには、何の嫌らしさも猥褻さもない。
 中でも、母親ヌンツィアータは自由奔放な性遍歴の持ち主として有名だった。父親ジョアッキーノ(エンニオ・コルトルティ)はそんな彼女の無邪気さをこよなく愛しており、ヌンツィアータも真面目で勤勉な彼を心から愛している。しかし、そっちは別の問題だ。他の男とセックスをしたくなるのは仕方のない生理現象。ジョアッキーノは黙ってそれを認めていたが、内心では深く心を痛めていた。
 ある晩、ミルッツァの家ではバラクーダ少佐を招いて夕食会が開かれていた。そこへ、遠くから爆撃の音が聞こえてくる。町中の人々が外へ出ると、隣町が連合軍の空爆に遭っていた。家にはヌンツィアータとバラクーダ少佐が残っている。ミルッツァが危険を知らせようと家に戻ると、母親と少佐がセックスをしている最中だった。ところが、突然ヌンツィアータは激痛を訴え、陰部からの出血多量であっけなく死んでしまった。
 母の死以来、父ジョアッキーノは仕事を辞めて廃人同然の状態となってしまった。ミルッツァは祖父(リーノ・マルチェッリ)と共に路上でピザ売りを始める。その明るさと器量の良さから評判も上場。その勤勉ぶりが認められて、食品工場の従業員として雇われた。ある日、現場を訪れた社長ドン・ペッペ(ペペ・ダ・ローサ)は彼女に一目ぼれする。
 ドン・ペッペは真面目で人が良いと評判の人物だったが、ミルッツァへの想いを抑えることができなかった。ある日、彼は思わずミルッツァの下半身を触ってしまう。それを他愛ないことと思って微笑むミルッツァ。しかし、恋に盲目となったドン・ペッペは完全に勘違いしてしまう。
 ミルッツァを隣町へと誘うドン・ペッペ。彼女は何の警戒心も持たずについていった。きれいな洋服を買ってもらって、豪華な食事をご馳走になって有頂天のミルッツァ。だが、ドン・ペッペは彼女が自分をじらしているものと勘違いし、欲求を抑えきれずにレイプしてしまう。
 ボロボロに傷ついて家へと帰り着くミルッツァ。彼女を待っていたのは、愛する父の死だった。その葬儀費用をドン・ペッペが肩代わりしたことから、瞬く間に悪意ある噂が町中を駆け抜けた。ミルッツァは善人のドン・ペッペを誘惑したふしだらな女だというのだ。仕事場では彼女の若さに嫉妬する年増女たちから嫌がらせを受け、家に帰れば押し入ってきた若い男たちからレイプされるミルッツァ。
 そんな彼女の唯一の支えは、心優しい祖父だった。“もっと自分の行動に用心するんだ。お前は私やお母さんの血を引いてしまったんだから。自分に誇りを持てば、いずれは周りも尊敬してくれるようになる”と語る祖父。また、かつて年上の男性にレイプされた経験のあるナンニーナも、噂なんていずれは消えてなくなると彼女を励ます。
 ところが、彼女の住む町もドイツ軍の空爆を受けてしまい、愛する祖父は瓦礫の下敷きとなって死んでしまった。誰もいなくなった町に一人残ったミルッツァ。ある日、彼女は逃亡中の若い兵士ピエトロ(ラウール・ボヴァ)を発見する。傷ついた彼を優しく介抱するミルッツァ。ドイツ軍の侵攻が迫っていることを知った2人は、闇夜に紛れて町を脱出する。
 やがて、2人はピエトロの故郷へとたどり着いた。彼の実家は由緒正しい家系だった。愛する息子の帰還に喜ぶ母ジェスミーナ(イサ・ダニエリ)。しかし、彼女はミルッツァのことを快く思わなかった。やがて、ピエトロに横恋慕する従姉妹がジェスミーナにミルッツァの根も葉もない噂を伝える。それを知ったミルッツァはこっそりと家を出て行こうとするが、彼女を愛するピエトロに引き止められた。ピエトロは家族の前で彼女との婚約を宣言する。しかし、ジェスミーナは猛反対。ミルッツァが処女であることを確認するまでは結婚を許さないというのだ・・・。

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ミルッツァに夢中となる工場主ドン・ペペ(P・ダ・ローサ)

ドン・ペペの誘いに応じる無邪気なミルッツァだったが・・・

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最愛の父親までもが他界してしまう

ミルッツァを唯一理解してくれる祖父(R・マルチェッリ)

 原作はナポリ出身で、戦後のイタリアを代表する大衆作家ドメニコ・レアの書いた小説。それを『悪い奴ほど手が白い』(67年)や『殺人捜査』(70年)、『悲しみの青春』(71年)などを手掛けた社会派ウーゴ・ピッロとウェルトミューラーの2人で脚色した。
 製作を手がけたのは『新ゴッドファーザー』(78年)や『薔薇の貴婦人』(87年)、『ローマの女』(88年)などのチロ・イッポリートと、『バンパイアの惑星』(65年)や『ソランジェ/残酷なメルヘン』(72年)、『トスカニーニ』(88年)などのベテラン、フルヴィオ・ルチサーノ。イッポリートはサム・クロムウェル名義でポンコツSFホラー『エイリアンズ』(79年)の監督を手掛けたことでも知られる。
 そのほか、大御所撮影監督エンニオ・グァルニエリがネオ・レアリスモ・スタイルの生き生きとした美しい映像を、巨匠エンニオ・モリコーネが幻想的で重厚な音楽スコアを手掛けている。

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ミルッツァの住む町にも空爆が・・・

負傷兵ピエトロ(R・ボヴァ)と惹かれあうミルッツァ

 ヒロインのミルッツァを演じたルチア・カーラは、これが映画デビュー作。その後も映画には殆んど出ていないので、詳しいプロフィールなどは殆んど知られていない。南イタリアの女性特有のジプシー的な魅力を持った女優。どこから見ても幼い少女だった前半から、見違えるほど大人びた後半まで、同じ女優が演じているとは思えないような変身ぶりに驚かされる。決して目立つ美人というわけではないが、どこか不思議な雰囲気の女優だと思う。
 その母親ヌンツィアータを演じているのが、イタリアの誇る大女優ステファニア・サンドレッリ。これはもう、彼女のためにあるような役柄だろう。自由奔放でふしだらで、でも純粋で暖かいキュートな女性。どこか浮世離れした美しさを持つサンドレッリだからこその説得力。妖精の可愛らしさと娼婦の大らかさ、そして母親の逞しさを併せ持った稀有な女優である。
 そして、ミルッツァにとって最大の理解者となる若者ピエトロ役を演じるのが、『トスカーナの休日』(03年)や『エイリアンVSプレデター』(04年)などのハリウッド映画でもお馴染みの2枚目スター、ラウール・ボヴァ。
 そのほか、『ハンニバル』(01年)にも出ていたエンニオ・コルトルティが地味で温厚な父親役を、ナポリの民謡歌手として有名なリーノ・マルチェッリが祖父役を、アルマーニのモデルとして知られるロレンツォ・クレスピがバラクーダ少佐役で登場する。また、ウェルトミューラー作品の常連女優イサ・ダニエリがピエトロの母親役で登場し、頑固で口うるさいイタリアのおっかさんを豪快に演じているのも印象深い。

 

 

Ferdinando e Carolina (1999)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本未公開

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(P)2005 Koch Lorber Films (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録
)/ステレオ/音声:イタリア語/字幕:英語/地域コード:ALL/108分/製作:イタリア
監督:リナ・ウェルトミューラー
製作:エドウィージュ・フェネッシュ
    エドウィン・フェネッシュ
脚本:ラッファエレ・ラ・カプリア
    リナ・ウェルトミューラー
撮影:ブラスコ・ジュラート
音楽:イタロ・グレコ
    パオロ・ラッフォーネ
    マルチェッロ・ヴィターレ
出演:セルジョ・アッシージ
    ガブリエラ・ペッション
    ニコール・グリマウド
    エリオ・パンドルフィ
    マリオ・スカッチャ
    イサ・ダニエリ
    アドリアーノ・パンタレオ
    ロラ・パニャーニ
    シルヴァーナ・デ・サンティス

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元ナポリ王フェルディナンド(M・スカッチャ)が倒れた

幼い頃からやんちゃ坊主だったフェルディナンド

 ウェルトミューラーが初めて手掛けたコスチューム・プレイ。18世紀末のナポリ王フェルディナンド4世と妻カロリーナを主人公に、オーストリアとスペインという大国の思惑に翻弄された2人の物語を描くことにより、夫婦愛さえも政治のパワー・ゲームに利用される貴族社会を皮肉ったセックス・コメディだ。
 スペイン王カルロス3世を父に持つフェルディナンドは暴れん坊の野生児。一方、オーストリアの女帝マリア・テレジアを母に持つカロリーナも気性の激しいお姫様だ。2人は理想的なカップルに思えたが、ナポリ王国をブルボン家の影響下に置きたいマリア・テレジアと息子を骨抜きにされてたまるかと憤慨するカルロス3世の思惑が、夫婦関係に様々な影響を及ぼしていくことになる。
 全体的にスケールの大きな歴史劇といった印象だが、ストーリーや語り口はいたって軽妙洒脱。様々なトラブルの引き金となるのも、最終的にそれを丸く収めるのも、結局はセックスだったりする。発言権を増すカロリーナの影響力を抑えようとカルロス3世は、自分の意のままになる貴婦人を妾として息子のもとへ送り込む。しかし、フェルディナンドにとっては妻の肉体が一番。どんな政治的陰謀も、セックスの相性の良さには敵わないというわけだ。
 ただ、当時の歴史的な背景をある程度知らなければ分かりにくい作品でもある。年老いたフェルディナンドがカロリーナとの結婚を強く後悔していたり、フリー・メイソンとカロリーナの因果関係であったりといった描写も、ナポリ王国が歩んだ歴史を理解していないとチンプンカンプンだろう。それゆえに、なかなか伝わりにくいブラック・ジョークも少なくない。意外と見る人を選ぶような作品なのではないかと思う。

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女帝マリア・テレジアの率いるブルボン家

娘たちを強引に政略結婚させるマリア・テレジア(S・デ・サンティス)

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女たらしの野生児に成長したフェルディナンド(S・アッシージ)

気の強いお姫様カロリーナ(G・ペッション)

 時は1825年、かつてのナポリ王フェルディナンド4世(マリオ・スカッチャ)が病に倒れる。既に70歳を超えており、いつ天国からのお迎えが来てもおかしくはない。尼僧たちは神父を呼びにやろうとするが、50年以上仕えているメイド、フラヴレッラ(イサ・ダニエリ)は赤唐辛子の棒をフェルディナンドに手渡す。彼に必要なのは牧師ではなく、幼い頃から親しんできた民間治療だった。やがて彼は、過ぎ去った若き日々に思いを馳せる。
 フェルディナンドは幼い頃から手の付けられないやんちゃ坊主だった。王位継承者であるにも関わらず、庶民の子供たちと一緒になって野山を駆け回る毎日。まとな教育も受けないで育った。ナポリ王として立派な若者に成長してからも、フェルディナンド(セルジョ・アッシージ)の生活は変わることなく、仲間たちと狩りや賭け事をして毎日を過ごしている。また、無類の女好きとしても知られ、人妻であるメディーナ王女(ニコール・グリマウド)を愛人として侍らせていた。メディーナ王女はシチリアの出身で、狩りやスポーツを好む男性的で鉄火肌の美女。しかも、それは美しい尻の持ち主で、フェルディナンドはその肉体にぞっこん惚れぬいていた。
 しかし、彼には幼い頃からオーストリア皇女との結婚が定められていた。オーストリアの女帝マリア・テレジア(シルヴァーナ・デ・サンティス)は、自分の娘たちをヨーロッパ各国の王室に嫁がせ、その勢力を拡大しており、ナポリ王国へも娘の一人を嫁がせるつもりでいたのだ。フェルディナンドの父であるスペイン王カルロス3世(ジェラルド・ガルギウロ)も、この結婚には乗り気だった。ブルボン家との姻戚関係は、ヨーロッパ社会におけるナポリ王国の位置を安定させてくれるからだ。
 一方、メディーナ王女との結婚を望むフェルディナンドは、親同士の決めた結婚に真っ向から反対する。だが、メディーナ王女は既に人妻であり、しかもブルボン家に匹敵するような政治的メリットも全くない。どうあがいても、彼女と結婚することは不可能だった。
 ところが、フェルディナンドの婚約者として指名されたマリア・ジョヴァンナ、マリア・ジョゼッパが相次いで天然痘のために死去する。当時はまだ天然痘は不治の病。迷信深いフェルディナンドはブルボン家との婚姻は不吉だとして、より一層頑なな態度をとるのだった。
 さて、その頃オーストリアでも、相次いで亡くなった姉たちに代わって、ナポリ王妃の候補に指名されたマリア・カロリーナ(ガブリエラ・ペッション)が、母マリア・テレジアに涙の抗議を重ねていた。というのも、当時オーストリア皇室に渡されていたフェルディナンドの肖像画はあまり出来が良くなく、人々はフェルディナンドを鼻の大きな醜い男だと思っていた。そんなブ男とは結婚したくない、と泣きわめいてみせるカロリーナ。しかし、鋼鉄の意志を持った母マリア・テレジアには全く通用しなかった。
 本人同士がお互いに全く気乗りがしない政略結婚。しかし、初顔合わせの日にお互いの姿を確認しあったフェルディナンドとカロリーナは、それまでの態度を一変させる。フェルディナンドは肖像画とは全く違ってハンサムだった。そして、まだうら若いカロリーナも可愛らしい美少女。さらに、2人とも気性が激しくて正直、迷信や占いごとに造詣が深く、しかもベッドの中でも自由奔放。あらゆる面で共通点が多かった。
 すっかり意気投合をしたフェルディナンドとカロリーナ。その結婚生活は大変に円満で、子宝にも恵まれ、毎日がお祭りのような騒ぎだった。しかし、やがてカロリーナはナポリ王国の内政にも口出しをするようになる。豊かな教養に恵まれた彼女は母親譲りの才媛で、無教養で政治には全く無関心のフェルディナンドとは正反対。カロリーナに夢中のフェルディナンドは、何事も彼女のやりたいようにさせていた。
 しかし、それを快く思わなかったのが、父であるスペイン王カルロス3世だ。ナポリ王国がブルボン家の女に乗っ取られてしまう。そう危惧した彼は、ナポリ王国の摂政タヌッチ(レオ・ベンヴェヌッティ)に極秘指令を出す。それは、“ポンパドゥール夫人を探せ”というもの。つまり、フェルディナンドを夢中にさせ、意のままに操ることが出来るような女性を探し出せというのだ。 そこで白羽の矢を立てられたのが、不良貴族ゴーダーの夫人サラ(ロラ・パニャーニ)だった。サラはフェルディナンドを誘惑することに成功。これで、彼女が内政の実権を握り、それをスペイン王が裏で操ることが出来れば、ナポリの未来も安泰というものだ。
 ところが、噂はたちまちナポリの貴族社会に知れ渡り、夫とサラの関係を知ったカロリーナが復讐に乗り出す・・・。

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周囲の予想に反してお互いを気に入るフェルディナンドとカロリーナ

ベッドの中でも2人は息がピッタリだった

 ウェルトミューラーと共に脚本を手掛けたのは、巨匠フランチェスコ・ロージの“Le mani sulla citta”(63年)や『エボリ』(79年)で知られるラッファエレ・ラ・カプリア。『ニュー・シネマ・パラダイス』(88年)や『みんな元気』(90年)のブラスコ・ジュラートが撮影監督を、フランチェスコ・ロージの『カルメン』(84年)を手掛けたジーノ・ペルシコが衣装デザインを、ウェルトミューラーの夫エンリコ・ヨブが美術デザインを担当している。
 また、本作は70年代に一世を風靡したセクシー女優エドウィージュ・フェネッシュがプロデュースを手掛けた作品でもある。共同製作者として名を連ねているエドウィン・フェネッシュは彼女の息子だ。

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円満のように思えた結婚生活だったが・・・

フェルディナンドを誘惑する貴婦人サラ(L・パニャーニ)

 フェルディナンド役を演じているセルジョ・アッシージは、これが映画デビュー作。どことなくロック・スターのような雰囲気を持った役者で、フェルディナンドの野生児的な魅力をとても上手く表現していると思う。対するカロリーナ役のガブリエラ・ペッションも、当時はデビューしたばかりの新人。2人は本作での共演がきっかけで交際を続けているらしいが、未だ結婚までには至っていないようだ。
 そのほか、エリオ・ペトリ監督の『悪い奴ほど手が白い』(67年)にも出ていたベテラン脇役マリオ・スカッチャが晩年のフェルディナンドを、『明日へのチケット』(05年)でシルバー・リボン賞にノミネートされた女優シルヴァーナ・デ・サンティスが女帝マリア・テレジアを、ウェルトミューラー作品でお馴染みの脇役女優イサ・ダニエリがメイドのフラヴレッラをそれぞれ演じている。

 

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