ジョー・ダッサン Joe Dassin

 

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 日本ではダニエル・ヴィダルの歌唱で知られるフレンチ・ポップスの名曲『オー・シャンゼリゼ(Les Champs-Elysées)』。ジェイソン・クレストというイギリスのロック・バンドが歌った“Waterloo Road”という曲にフランス語の歌詞をつけ、最初にレコーディングして大ヒットさせたのがジョー・ダッサンだ。
 60年代末から70年代にかけてフランスで絶大な人気を誇り、41歳という若さで亡くなったジョー・ダッサン。その音楽的ルーツはアメリカン・ポップス、中でもフォーク・ミュージックとカントリー・ミュージックには多大な影響を受けていた。
 もともとニューヨーク生まれのカリフォルニア育ち。学生時代にはデトロイトでラジオDJをしていた。その頃に当時のフォーム・リバイバル・ムーブメントの洗礼を受け、自らも音楽を目指すようになったのだ。
 彼がデビューした当時はフランスでもフォーク・ミュージックが若者の間で大変な人気で、ボブ・ディランのフォロワーであるユーグ・オーフレイなどが活躍していたが、ジョー・ダッサンは言うなれば本場仕込という強みがあったと言えるだろう。恐らく、フランス人のアメリカ文化に対する憧れみたいなものをくすぐる魅力があったのかもしれない。
 また、ダンディでスケールの大きな歌声にも人を惹きつける力があった。また、フォークやカントリーにルーツを持ちながら、その一方でカンツォーネやラテンのカバーもやったり、フレンチ・ポップスらしいメロウなナンバーも歌いこなせてしまう幅の広さも。特にカバー・ソングから脱皮した70年代半ば以降の作品は名曲が多い。

 1938年11月5日、ジョーはロシア系ユダヤ人の映画監督ジュールス・ダッシン(フランス語読みでダッサン)とハンガリー系のバイオリン奏者ビアトリス・ローナーの息子としてニューヨークに生まれた。父親のジュールスは当時まだ売れない舞台役者だったが、その後ハリウッドの映画監督として成功。ジョーと二人の妹リッキーとジュリーは、ロサンゼルスで恵まれた幼少期を過ごした。
 ところが、折からアメリカを吹き荒れたマッカーシズムの影響で、映画界のブラックリストに載せられた父ジュールスはハリウッドを追放されてしまい、一家は1950年にパリへとたどり着く。その後、ジュールスは『男の争い』(56)でカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞し、『日曜日はダメよ』(60)の世界的大ヒットでハリウッドを見返すことになる。
 一方、スイスのインターナショナル・スクールで教育を受けたジョーは、56年に渡米してミシガン大学へ入学。しかし2年で中退し、デトロイトのラジオ局でDJのアルバイトをするようになった。その頃に親しくなったのが、フォーク・リバイバルの立役者で公民権運動の象徴だったピート・シンガーと、まだ無名時代のボブ・ディラン。彼らに多大な影響を受けたジョーは、やがて自らも音楽の道を志すようになった。

 60年代初頭にパリへ戻ったジョーは、62年に母ベアトリスと離婚した父ジュールスの仕事を手伝った後、フランスの大手ラジオ局RTLのDJとして活躍するようになった。そんな彼が運命の出会いをしたのが64年。映画のプレミア・パーティで知り合った7歳年上の女性マリーセと知り合い、熱烈な恋に落ちたのだ。
 そして、そのマリーセがジョーに思わぬチャンスをもたらす。彼女にはカトリーヌという学生時代からの親友がいたのだが、そのカトリーヌが当時フランス支社を設立したばかりだったCBSレコードの秘書として雇われた。ジョーの音楽の才能を信じていたマリーセは、その親友を通じてCBSに彼の作品を売り込んだのである。
 マリーセはジョーに無断で彼のデモテープをアナログ・レコードに起こし、CBSの社員に渡したという。暇つぶし程度の気持ちでそれを聴いた彼らは、ジョーの逞しくて深い歌声に驚いた。早速カトリーヌがジョーのスカウトに派遣されたのだが、本人は自分の作品を勝手に持ち出されたことに腹を立て、当初は頑なに断り続けたという。彼が首をタテにふるまで2ヶ月近くかかったのだそうだ。かくして、ジョーはCBSレコードにとって初のフランス人専属アーティストとなったのである。
 デビュー曲は65年3月に発売された“Je change un peu de vent”。これはアメリカのトラッド・フォーク“Freigth Train”のフランス語カバーで、残念ながらトータル・セールス1800枚と振るわなかった。しかし、彼はこの失敗で音楽活動を諦めるどころか、逆に本気で取り組むことを決意するようになったという。
 そして、翌66年に発表されたシングル“Bip Bip”の大ヒットで一躍脚光を浴びたジョー。さらに、過去2年に渡って内助の功を尽くしてきた恋人マリーセとも結婚し、公私共に順調なキャリアを歩み始めた。
 67年にはサルヴァトーレ・アダモとのジョイント・コンサートを成功させ、さらに69年の夏にはフランスとカナダを含むインターナショナル・ツアーが大成功。フランス音楽界の殿堂オランピア劇場での初ライブも実現させた。
 そして、70年初頭にリリースされたシングル“Les Champs-Elysées(オー・シャンゼリゼ)”の爆発的なヒットで、ジョーはトップ・スターとしての地位を不動のものにする。また、75年に発表されたシングル“L'été indien”も大評判で、彼のディスコグラフィーの中でも最大のセールスを記録するヒットとなった。この頃からデビュー以来のアメリカ音楽的なカラーが薄れていき、フレンチ・ポップスらしい甘いバラード・ナンバーが増えていく。
 一方、私生活では南太平洋への憧れが高じてタヒチに土地と別荘を購入。長期休暇の際には家族や友人を連れて行き、気ままな南国生活を楽しむようになった。また、73年に生まれた長男ジョシュアが生後5ヶ月で死亡したことが原因で別居状態となったマリーセと77年に離婚した彼は、その前年にノルマンディーで知り合った女性歌手クリスティネ・デルヴォーと78年1月にゴールイン。その年の9月には次男ジョナサンが生まれている。
 79年には3度目のオランピア劇場コンサートを成功させたものの、その年の12月に心臓疾患で緊急入院して手術を受けたジョー。翌80年には三男ジュリアンが生まれたものの、その数週間後に妻クリスティネと離婚している。そして、7月にカンヌで行われたコンサートを無事に終え、二人の息子と実母ビアトリスと共に休暇を過ごすためにタヒチの別荘へ向かった彼だったが、現地のレストランで食事中に心臓発作に襲われて帰らぬ人となった。1980年8月20日のことである。

 死後30年を経た現在もフランスでは根強く愛されているジョー。ドイツやカナダ、南米などでも依然として人気が高い。94年には若手ミュージシャンによるトリビュート・アルバムも発売され、『オー・シャンゼリゼ』はアメリカ映画『ダージリン急行』(07)の挿入歌にも使われた。今年の10月には、没後30周年を記念したミュージカルの上演がパリで予定されているという。

 ちなみに、70年代後半のメロウでロマンティックなポップ・ナンバーの数々は、ソビエト時代のロシアでも大変な人気だった。79年にはモスクワを訪れ、ソビエト製作のテレビ特番にまで出演している。

 

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Salut les amoureux

(P)2007 Sony BMG Music Entertainment (France)
CD 1
1,Et si tu n'existais pas ビデオ
2,Cecilia ビデオ
3,La fleur aux dents ビデオ
4,Salut les amoureux ビデオ
5,Depuis l'annee derniere
6,Le petit pain au chocolat ビデオ
7,Siffler sur la coline ビデオ
8,Le chemin de Papa
9,Dans les yeux d'Emilie
10,Ma bonne etoile ビデオ
11,Je change un peu de vent
12,Ca m'avance a quoi?
13,Le marche aux puces
14,Le grand parking
15,Le temps des coeuts au plat
16,Salut ビデオ
17,Guantanamera ビデオ
18,Me Que Me Que
19,L'Amerique ビデオ
20,Les Champs Elysees ビデオ
CD 2
1,L'equipe a Jojo ビデオ
2,Les Dalton ビデオ
3,La complainte de l'heure de pointe
4,La bande a Bonnot ビデオ
5,Il faut naitre a Monaco ビデオ
6,Excuse Me Lady
7,Le moustique ビデオ
8,Viens voir le loup
9,Tout bebe a besoin d'une maman
10,Comme la lune
11,Pauvre doudou
12,Bip bip
13,Vade Retro ビデオ
14,La Luzerne
15,Taka Taka (la femme du torero)ビデオ
16,Un codeau de Papa
17,Un garcon nomme Suzy
18,Cote banjo, cote violon ビデオ
19,Billy le Bardelais ビデオ
20,Fais-moi de l'electricite
CD 3
1,L'ete indien ビデオ
2,A toi ビデオ
3,Mon village du bout au monde
4,Marie-Jeanne ビデオ
5,Le cafe des trois colombes ビデオ
6,Ca va pas changer le monde ビデオ
7,Les plus belles annees de ma vie
8,Si tu t'appelles Melancolie ビデオ
9,Happy Birthday ビデオ
10,Ton cote du lit ビデオ
11,La premiere femme de ma vie
12,Le chateau de sable ビデオ
13,Il etait une fois nous deux ビデオ
14,Un lord Anglais
15,La demoiselle de deshonneur ビデオ
16,Dans la brume du matin
17,Ma musique
18,Le jardin du Luxembourg
  (avec Dominique Poulain)
  (Version longue)
 ジョー・ダッサンの代表曲をほぼ網羅した3枚組のCDボックス。ラテン・スタンダードとして有名な#17やジルベール・ベコーの#18
、ハーマンズ・ハーミッツのヒットで有名なリカルド・デル・トゥルコの#6、ジョニ・ミッチェルの名曲#14など、やはりカバー作品が圧倒的に多いですね。とはいえ、スインギーでノスタルジックに仕上げた大ヒット曲#20、サイモン&ガーファンクルのオリジナルよりもさらにラテン・トライバル色を強くした#2など、いずれもお洒落でセンスの良いアレンジが施されています。
 こちらのCD2はオリジナル曲中心のセレクト。大ヒットした#2とか#5なんかは、かなりカントリー&ウェスタンに影響を受けた作品ですね。てっきりカバー曲かと思いました。個人的にはメロウ&スウィートなソフト・ロック調の#1とか、ノスタルジックでキャッチーなパーティ・チューン#13、トト・クトゥーニョと組んだ甘酸っぱい#18なんかが大好き。カバー曲の中では、ポール・モーリアもレコーディングしていたフラメンコ風の情熱ラテン・ナンバー#15が最高にカッコいいです。  いやあ、やっぱいいですね〜、トト・クトゥーニョと組んだ名曲中の名曲#1。ノスタルジックで切なくてダンディでムーディ。しびれますね。続く#2も甘くロマンティックだし、メランコリックで寂しげな#3も最高。個人的には、このCD3が一番充実しているかも。ミレイユ・マチューも歌っていた#5、切なくて爽やかな#6、牧歌的で優しげな#8など、思わず一緒にメロディを口ずさんでしまうような楽曲が目白押し。ちなみに#12はミレイユ・マチューのとは同名異曲。でも、こちらも負けず劣らずの名曲です。

CHAMP_ELYSEES.JPG LA_FLEUR.JPG MELANCOLIE.JPG

Les Champs-Elysees (1969)

La fleur aux dents (1970)

Si tu t'appelles Melancolie (1974)

(P)1995 Sony Music (France) (P) 1995 Sony Music (France) (P)1995 Sony Music (France)
1,Le chemin de papa ビデオ
2,Le petit pain au chocolat
3,Les Champs Elysees ビデオ
4,Siffler sur la colline ビデオ
5,Mon village du bout du monde
6,Me Que Me Que ビデオ
7,Ma bonne etoile ビデオ
8,Un peu comme toi
9,La bande a Bonnot ビデオ
10,La violette Africaine
11,Le temps des oeufs au plat
12,Sunday Times

artistic direction Jacques Plait
1,La fleur aux dents ビデオ
2,L'equipe a Jojo
3,C'est bon l'amour ビデオ
4,Le portugais ビデオ
5,Le grand parking
6,Un garcon nomme Suzy
7,Au bout des rails
8,La luzerne
9,Un petit air de musique
10,Un cadeau de Papa
11,Je la connais si bien
12,L'Amerique ビデオ

artistic direction Jacques Plait
1,Vade retro
2,Si tu t'appelles Melancolie ビデオ
3,Messieurs les jures
4,Six jours a la campagne
5,L'amour etc...
6,Entre deux adieux
7,Le service militaire ビデオ
8,Annie de l'annee dernire
9,Marie-Madeleine ビデオ
10,Ce n'est rien que du vent
11,Je te crois
12,Ma derniere chanson pour toi

artistic direction Jacques Plait
 こちらはサード・アルバム。大ヒット曲#3を筆頭に、リカルド・デル・トゥルコの#2、トレメローズの大ヒットでお馴染みのバブルガム・ロック#5、美輪さんも歌ったジルベール・ベコーの名曲#6などのカバー曲が目立ちますが、よく見ると半分はオリジナル曲です。中でも流暢な(って当たり前か)英語で歌う癒し系バラード#12はなかなかの名曲。陽気なパーティ・チューン#1や小粋なシャンソン#8も好きです。  当時のUKポップスを彷彿とさせるサウンドは、やはりロンドン・レコーディングだからでしょうか。フォークやカントリーをベースにしつつ、しっかりとお洒落なポップ・サウンドに仕上げています。#3と#7はニール・ダイアモンド、#5はジョニ・ミッチェルといった具合に今回もカバー曲が全体の半分を占めています。中でも、クリスティのカバー#12はフランス語の響きと絶妙にマッチしていい感じ。  #4でホイト・アクストンを、#5でゴードン・ライトフットをカバーしているのが彼らしいというか、とってもアメリカンな選曲センスですよね。#3はビリー・ジョエルのカバーですが、何を選んだのかというと『流れ者の祈り』ですからね。やっぱこの人はアメリカの音楽が好きなんだな〜ってのが分ります。本作は中でも、そんなカラーが強い作品。なので、フレンチ・ポップ・ファンは好き嫌い分れるかもですね。

LUXEMBERG.JPG LES_FEMMES.JPG

Le jardin du Luxembourg (1976)

Les femmes de ma vie (1978)

(P)1995 Sony Music (France) (P)1995 Sony Music (France)
1,Le jardin du Luxembourg ビデオ
2,Il etait une fois nous deux ビデオ
3,A toi ビデオ
4,Le cafe des trois colombes
  (Klein Cafe Aan De Haven) ビデオ
5,Comme disait Valentine
6,Laisse-moi dormir (Sleep All Mornin')
7,Que sont devenues mes amours?ビデオ

artistic direction Jacques Plait
1,La femme ideale
2,La premiere femme de ma vie ビデオ
3,Noisette et Cassidy ビデオ
4,La demoiselle de deshonneur
5,Dans les yeux d'Emilie ビデオ
6,Quand on sera deux ビデオ
7,Maria ビデオ
8,Mon copain Julie
9,Marie-Ange
10,J'ai craque
11,Petit Ballon
12,La rue Marie-Laurence

artistic direction Jacques Plait
 これはヤバイ。12分に及ぶトト・クトゥーニョ作の#1ですが、とにかく素晴らしい出来栄え。ロマンティックでファンタジックでドリーミーで、それでいて中盤では超ファンキーなサウンドを聴かせたかと思えば、ガラリとシンフォニックな顔を覗かせたり。圧巻としか言いようのない傑作です。まさにフレンチ歌謡といった感じの哀愁ポップ#2もいいし、切なさ前回のラブソング#3も最高。全曲おススメの名盤です。  これまた良く出来たアルバム。まさにロマンティックそのものといった感じで、70年代フレンチ・ポップの魅力が存分に詰まった1枚。#8ではグレン・キャンベルを、#9ではフランキー・ヴァリをカバーしていますが、しっかりと世界に溶け込んでいるんですよね。中でも、ゲンズブールやボリス・ヴィアンとのコラボで有名な作曲家アラン・ゴラゲールの手掛けた#2は名曲。#3と#5も大好きです。

 

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