ジェス・フランコ Jess Franco
セレクション PART 2

 

ビーナスの誘惑・美しき裸身の復讐
Venus in Furs (1969)
日本では劇場未公開・テレビ放送のみ
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2005 Blue Underground (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/86分/製作:イギリス・西ドイツ・イタリア

特典映像
J・フランコ監督インタビュー
女優M・ローム音声インタビュー
オリジナル劇場予告編
ポスター&スチル・ギャラリー
J・フランコ監督バイオグラフィー

監督:ジェス・フランコ
製作:ハリー・アラン・タワーズ
原案:ジェス・フランコ
脚本:ジェス・フランコ
   マルヴィン・ウォルド
   カルロ・ファッダ
   ミロ・G・クッチャ
   ブルーノ・レデール
撮影:アンジェロ・ロッティ
音楽:マンフレッド・マン
   マイク・ハッグ
出演:ジェームズ・ダレン
   バーバラ・マクネア
   マリア・ローム
   クラウス・キンスキー
   デニス・プライス
   マーガレット・リー
   ポール・ミュラー
   マンフレッド・マン

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スランプに陥ったトランぺッター、ジミー(J・ダレン)

砂浜で美女ワンダ(M・ローム)の死体を発見する

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プレイボーイの大富豪アフメッド(K・キンスキー)

気の弱い中年の美術商キャップ(D・プライス)

 原題は「毛皮を着たヴィーナス」。あの作家マゾッホの書いた倒錯小説の映画化とおもいきや、これが全く無関係の作品だったりするのはフランコらしいいい加減さと言うべきだろうか。もともとジャズやロックへの造詣が深いことでも知られるフランコだが、本作はジャズと美女、愛と倒錯、生と死などをキーワードに、めくるめく官能と復讐のラビリンスへと迷い込んでしまったミュージシャンの、文字通り夢とも現実ともつかない奇妙な体験を描いていく。シュールでデカダンなムード、エッジの効いたエクスペリメンタルな演出。どことなく垢抜けなさは残るものの、アバンギャルドな映像作家としてのジェス・フランコの一面を垣間見るには十分な、これは隠れた佳作とも言うべき一本だろう。
 主人公はスランプに陥ったジャズ・トランぺッター、ジミー。ある日、彼は海辺で美女の死体を発見する。女性の名はワンダ。以前に見かけたことのある女性だった。それは彼が演奏するパーティでのこと。毛皮を身にまとって会場に現れたワンダは、主催者アフメッドとその仲間たちからサディスティックに凌辱され、そのまま消息を絶っていたのだ。恐らく彼らに殺されたのだろう。現場を目撃しながら何も出来なかったことを悔やむジミーは、そんな忌まわしい思い出から逃れるかのように、南米はブラジルのリオへと旅立つ。
 やがて、黒人歌手リタの精神的な支えでカムバックを果たしたジミーだったが、そんな彼の前に死んだはずのワンダが姿を現す。海辺の死体は彼女じゃなかったのか?謎の真相もつかめぬまま、ワンダの危険な魅力に溺れていくジミー。彼女との関係が深みにハマればハマるほど、ミュージシャンとしての情熱に火がつくような気がした。だが、時を同じくして、あのパーティ会場でワンダを凌辱した人々が次々と謎の死を遂げていく。果たして、彼女の正体とはいったい…?
 フランコの友人でもあったトランぺッター、チェット・ベイカーの言葉をヒントに作られたという本作。ミュージシャンにとっては、女性こそがインスピレーションの源。それはライブ会場の観客席にいる美女でもいいし、もしくは空想の中にしか存在しない理想の女でもいい。演奏している最中は彼女のことを想い、ある種の疑似恋愛体験をする。それはまるで、海で溺れた人間が死に際に一生分の出来事を走馬灯のように思い返すのと同じ。情熱的な恋愛に身を焦がしながら、しかし気が付くとものの3分程度しか経っていないのだ。そんなベイカーの告白に興味をそそられたフランコは、ベイカー自身を主人公のモデルにしながらストーリーを書き上げたのだという。
 ただ、本来はシュールなタッチのラブ・ストーリーを目指したところ、商業的な分かりやすさを求める出資者や配給元の要望もあって、ミステリー・タッチの復讐劇へと仕立てざるを得なかった。
「毛皮を着たヴィーナス」というタイトルも配給元からの指示。B級映画とはいえ、それなりの予算が注ぎ込まれているため、彼らの要求を呑まないわけにはいかない。そこは雇われる側である職人監督の辛いところだ。
 いずれにせよ、建前上はサスペンス仕立てのB級娯楽映画として作られているものの、実際は極めて観念的かつシュールレアリズムなアート映画風の作品に仕上がっている。タイトルとの辻褄を合わせるため、ヒロインはたびたび毛皮を着て登場するわけだが、これが意外にもスタイリッシュなアクセントとしての効果を発揮した。そのヒロインが凌辱事件の加害者に復讐を遂げるたび、“Venus in Furs will be Smiling〜!”というソウルフルな女性ボーカルがBGMとして鳴り響くというのも、なかなかクールでお洒落なアイディアだ。
 そして、あのどんでん返し的なクライマックス。まあ、そういうことなんだろうなと大方の予想はつくものの、ある種の「ミステリー・ゾーン」的な結末を思いがけず詩情豊かなタッチで描いたフランコのセンスと力量は、改めて評価されて然るべきだろう。ジェス・フランコを単なるエログロ映画監督と思っている人にこそ、是非とも見て欲しい作品かもしれない。

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レズビアンのファッション・フォトグラファー、オルガ(M・リー)

ワンダを暗闇へと誘うアフメッド

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アフメッドはオルガやキャップと共にワンダを凌辱する

トラウマに苦しむジミーを黒人歌手リタ(B・マクネア)が支える

 舞台はイスタンブールの海辺。一度は音楽を捨てたトランぺッターのジミー(ジェームズ・ダレン)だったが、まるで何かに取りつかれたかのように砂浜へ飛び出し、地中に埋めたトランペットを掘り起こした。やはり自分にはこれしかない。無我夢中でトランペットを吹く彼は、水際に打ち上げられた女性の死体を発見する。どこかで見たことのある女だ。あれは1か月前のことだろうか、それとも半年前だろうか。ジミーはおぼろげな記憶をたぐり寄せた。
 女の名前はワンダ(マリア・ローム)。場所は豪邸で開催されたパーティ。ジミーはジャズ・バンドのメンバーとして演奏していた。遅れて会場に現れた毛皮の美女、それがワンダだった。彼女はパーティの主催者で名うてのプレイボーイ、アフメッド(クラウス・キンスキー)の知人のようだ。2人はこっそりとパーティを抜け、さらに示し合わせたかのように初老の美術商人キャップ(デニス・プライス)、ファッション・フォトグラファーのオルガ(マーガレット・リー)も姿を消した。
 気が付くと、ジミーは彼らの後を追っていた。すると、彼の耳にワンダの悲鳴が飛び込んでくる。暗闇に包まれたリビングへ目を凝らすと、彼女はアフメッド、キャップ、オルガの3人に凌辱されていた。興奮しながらワンダを鞭打つオルガ、恐る恐るその肉体に舌を這わせるキャップ、そして傷口から染み出た血を貪るアフメッド。彼らはSMの愛好家としてその筋では有名だった。ワンダは彼らに買われた娼婦なのかもしれない。自分の出る幕ではないと感じたジミーは、そのままパーティを後にした。
 そして今、砂浜にワンダの死体が横たわっている。その体には無数の傷跡が。恐らく、サディスティックな凌辱行為の果てに殺されたのだろう。自分はその現場を目撃していながら、何もすることが出来なかった。後悔の念にいたたまれなくなったジミーは、逃げるようにしてブラジルのリオへと旅立つ。
 しばらくはトラウマから抜け出せないでいたジミーだったが、恋人の黒人歌手リタ(バーバラ・マクネア)の精神的な支えもあって、やがてリオのクラブで演奏するようになる。そんなある晩、クラブにワンダと瓜二つの毛皮の女が現れる。夢中になって彼女の後を追うジミー。2人は情熱に身を任せるかのごとく結ばれた。君は何者なんだ?と尋ねるジミー。分からないわ、と答える毛皮の女。もはやジミーにとって、そんなことはどうでもいいように感じられた。
 その晩、リオに滞在する美術商人キャップの前にも毛皮の女が現れる。これは幻覚なのか?それとも妄想なのか?我を忘れて彼女を追いかけるキャップ。ベッドへ横たわった彼女に触れようとすると、女は忽然と姿を消してしまった。恐怖に震え上がったキャップは、その場で心臓発作を起こして息絶えてしまう。
 どこからどう見ても彼女はワンダだ。その翌晩も、そしてまたその翌晩も、毛皮の女はジミーの演奏するクラブへやって来る。リタは2人の関係に勘付いていたが、あえて何も言わなかった。男とはそういうもの。女の間を渡り歩く生き物だ。でも、いつかは自分のもとへ戻ってくる。リタはそう信じていた。
 一方、ワンダの存在に言い知れぬ危険を感じながらも、その魅力に抗することのできないジミー。リタの与えてくれる安らぎとは違う何かが、ミュージシャンとしてのジミーの魂に火をつけるのだ。彼女のことを考えれば考えるほど、演奏にも身が入っていく。もはや、彼女なしでは生きられないとさえ感じていた。
 奇妙な偶然は重なるもので、レズビアンのファッション・フォトグラファー、オルガもリオに滞在していた。パーティの席でワンダを見かけた彼女は、思わずわが目を疑う。そしてその晩、オルガのスタジオに毛皮を身にまとったワンダが現れた。不思議な力に惹きつけられ、ワンダの肉体を求めるオルガ。しかし次の瞬間、彼女が目にしたのは青ざめた顔をしたオルガの死体だった。ごめんなさい、殺すつもりはなかったの。そう涙ながらに呟いたオルガは、ナイフで自らの手首を切って自害する。
 やがてリタはジミーのもとを去り、彼はワンダを連れてイスタンブールへ戻る。その道すがら、彼女は全てをジミーに告白した。自分はアフメッドたちから酷い仕打ちを受けたが、辛うじて一命を取り留めたのだと。2人は海辺のコッテージに滞在し、幸せに満ち溢れた時間を過ごす。
 その晩、今度はアフメッドの前にワンダが姿を現した。夢とも現実ともつかない摩訶不思議な世界の中で、アフメッドを縄で縛り上げ、他の男とのセックスを見せつけるワンダ。興奮と屈辱に身悶えながら、アフメッドは息を引き取った。翌朝、刑事(アドルフォ・ラストレッティ)がジミーのもとを訪ねる。ワンダ殺害の容疑がかけられた3人の男女が相次いで謎の死を遂げたというのだ。刑事はワンダが自らの死を偽装し、加害者たちに対して復讐を重ねたものと疑っていた。本人を呼びに行くふりをして、急いで彼女を連れて逃げ出すジミー。ところが、思いもよらぬ結末が彼を待ち受けていた…。

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殺されたはずのワンダが姿を現す

ワンダが生きていたことを喜ぶキャップだったが…

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オルガのスタジオにもワンダはやって来る

夢中でワンダの肉体を写真に収めるオルガ

 もともと“Black Angel”というタイトルで脚本の執筆を進めていたフランコ。当初はマイルス・デイヴィスをモデルにした黒人のトランぺッターと、彼の妄想の産物とも言える美しい女性との恋愛を描いた、サイコロジカルなラブストーリーとなるはずだった。しかし、アメリカでの配給を担当するAIPから、その内容にケチがつけられてしまう。白人男性と黒人女性の恋愛だったらオーケーだが、その逆はご法度だというのだ。そんなバカバカしい話があるもんかと頭に来たフランコだったが、やはり配給元の要望は呑まないわけにはいかない。
 さらに、AIPは一方的にタイトルを“Venus in Furs”と決めてしまった。一連のマルキ・ド・サド原作映画がヒットした流れもあって、有名なマゾッホの小説と同じタイトルなら宣伝もしやすいと考えたようだ。他にもイタリアや西ドイツの出資元から様々な要望が寄せられ、それらを万遍なく汲み取る形で脚本が出来上がったというわけだ。
 フランコの書いた脚本を英語に翻訳したのは、ジュールズ・ダッシン監督の傑作フィルムノワール『裸の町』(48)でアカデミー賞にノミネートされたマルヴィン・ウォルド。この英語版における主人公ジミーの渋いモノローグなどはなかなか秀逸だ。そのほか、カルロ・ファッダやブルーノ・レデールといった無名の脚本家が携わっているものの、彼らがどの程度まで脚本に関与していたのかは分からない。
 撮影監督を担当したのは、『サンドカン総攻撃』(64)や『ガンマン無頼・地獄人別帖』(71)などで知られるイタリアのカメラマン、アンジェロ・ロッティ。さらに、『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』(69)でも組んだニコラス・ウェントワースが編集を手掛けている。
 そして、本作で最も注目すべきなのが、あの伝説的なロック・バンド、マンフレッド・マンのリーダー、マンフレッド・マンと相方のマイク・ハッグが音楽スコアを手掛けているという点だろう。当時既に世界的なビッグネームだった彼らを連れてきたのは、プロデューサーのハリー・アラン・タワーズ。フランコ自身はジャズとは畑違いの彼らの起用にかなり懐疑的だったらしいが、目の前でゼロニアス・モンクのナンバーを見事に演奏する姿を見て考えを改めたという。その結果生まれたのが、どことなく退廃的なムードを漂わせた渋いジャズ・スコア。また、彼らは本編にもジャズ・バンドのメンバーとして登場し、主演のジェームズ・ダレンやフランコ監督と一緒にファンキーなライブ演奏を聴かせてくれる。

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献身的に尽くしたリタはジミーのもとを去っていく

ワンダと2人きりでイスタンブールへ戻ったジミー

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縄で縛り上げられたアフメッド

その目の前でワンダは他の男を抱いてみせる

 主人公ジミー役を演じるのは、『タイム・トンネル』(66〜67)や『パトカー・アダム30』(82〜86)などの人気テレビ・ドラマで知られるハリウッド俳優ジェームズ・ダレン。いかにも健康的で溌剌としたナイス・ガイであり、心に闇を抱えたジャズ・ミュージシャンという役柄には一見すると不向きな役者だ。面接をしたフランコ監督自身も当初そう思っていたが、実は彼がチェット・ベイカーの長年の大親友であり、自らも玄人はだしのジャズ・トランぺッターであることを知り、思い切ってジミー役に起用することを決めたのだという。なので、劇中のライブ演奏シーンは吹き替えなし。ジミーの表情や仕草などにはベイカーのそれを取り入れ、もともと彼をモデルにジミー役を書いたフランコ監督としては願ったり叶ったりのキャスティングとなったわけだ。ただ、それでもやはりジミーのダークサイドを十分に表現できたとは言えず、ミスキャストではないかとの印象は拭いきれない。
 一方、非常に勿体ないキャスティングだったのは、ジミーを支える黒人女性歌手リタ役を演じるバーバラ・マクネア。美人ジャズ・シンガーとして日本でも根強いファンの多い人だ。キャスト・クレジットでは主演扱いなのだが、実際の出番は極めて少ないし、ストーリー上もそれほど重要な役柄ではない。唯一の見せ場がナイトクラブの歌唱シーンだけというのは、ちょっとばかし残念な気がする。
 そんな影の薄いヒロインを木端微塵に蹴散らかし、その妖艶な美貌と謎めいた存在感で強烈なインパクトを放つのが、影のヒロインとも言うべき復讐の女神ワンダ役のマリア・ローム。ハリー・アラン・タワーズの奥方であり、ジェス・フランコ作品では常連組の彼女だが、その中でも本作は一世一代の当たり役と言って良かろう。聖女と悪女の二面性を兼ね備えた役柄は彼女の個性にピッタリだし、なによりも彼女をこれほどまでに美しく撮った作品は他になかなかない。
 また、脇を固める役者もいずれ劣らぬ個性派の名優ばかり。サディストとマゾヒストの両面を持ったプレイボーイ、アフメッドを演じるクラウス・キンスキーの生々しさ、抑えきれない欲望のために身を滅ぼす中年男キャップを演じるデニス・プライスの哀しさ、そして屈折した方法でしか愛を表現できないレズビアンのオルガを演じるマーガレット・リーの冷たさ。どれも見事なはまり役だ。
 そのほか、イタリア産マフィア映画の小悪党としてお馴染みのアドルフォ・ラストレッティ、フランコ作品の常連組ポール・ミュラー、マカロニ・ウェスタンやスパイ映画などのお色気要員だったミレッラ・パンフィリなどが顔を出している。

 

 

The Bloody Judge (1970)
日本では劇場未公開・テレビ放送なし
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2003 Blue Underground (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/104分/製作:リヒテンシュタイン・西ドイツ・イタリア・スペイン

特典映像
J・フランコ監督&C・リーのインタビュー
未公開シーン
別バージョン・シーン集
オリジナル劇場予告編集
テレビ・スポット集
ポスター&スチル・ギャラリー
タレント・バイオグラフィー
監督:ジェス・フランコ
製作:ハリー・アラン・タワーズ
原案:ハリー・アラン・タワーズ
脚本:アンソニー・スコット・ヴェイッチ
   ミカエル・ハラー
撮影:マヌエル・メリーノ
音楽:ブルーノ・ニコライ
出演:クリストファー・リー
   マリア・シェル
   レオ・ゲン
   マリア・ローム
   ハンス・ハース
   マーガレット・リー
   ピエトロ・マルテランザ
   ハワード・ヴァ―ノン
   ミロ・ケサダ
   ディアナ・ロリス

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“血みどろ判事”として悪名高いジェフリーズ判事(C・リー)

革命家の恋人アリシア(M・リー)が魔女として告訴される

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ケッチ(H・ヴァ―ノン)による壮絶な拷問を受けるアリシア

アリシアの無実を訴える姉メアリー(M・ローム)だったが…

 1968年、ある一本の映画が欧米で大変な話題となった。その作品とは、マイケル・リーヴス監督によるイギリス映画“Witchfinder General”。日本では劇場公開はおろかテレビ放送やビデオ発売すらされなかった作品だが、カルト映画に精通しているファンならば一度はタイトルを聞いたことがあるだろう。いわば、知る人ぞ知る名作だ。
 その内容はというと、17世紀のイギリスで300人以上もの無実の女性に魔女の烙印を押し、片っ端から処刑していったという悪名高き“魔女狩り将軍”ことマシュー・ホプキンスの悪行をショッキングに描いた歴史ドラマ。ホプキンス役を演じるホラー映画の帝王ヴィンセント・プライスの怪演や残酷極まりない拷問シーンなどが当時の観客に大きな衝撃を与え、同時に己の欲望のままに悪行を重ねる実在の権力者を糾弾した題材が当時の“反体制”的な若者層から高い支持を得た。言うなれば、革命世代の若者たちの権力に対する不信感や嫌悪感を強烈に代弁した作品だったと言えるだろう。
 で、映画の社会に与えた影響が大きければ大きいほど、その柳の下のドジョウを狙うパクリ映画がゾロゾロと出てくるもの。もちろん、“Witchfinder General”の場合もご多聞に漏れず、世界各国で魔女狩りや拷問を題材にしたパチもの残酷映画が製作されるようになった。ここ日本でも東映が『徳川女刑罰史』(68)や『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』(76)なんて残酷時代劇を作っていたが、ジェス・フランコ監督の“The Bloody Judge”もそうした残酷映画ブームの流れから生まれた作品の一つだったわけだ。
 本作の主人公は、17世紀のイギリスで悪名を轟かせた実在の判事ジョージ・ジェフリーズ。当時のイギリスはジェームズ2世の統治下にあったのだが、その不公平な宗教政策や政治手法は民衆からも支配層からも強い反感を買い、社会は不穏な空気に包まれていた。そんな時代にあってジェームズ2世からの絶大な信頼を得ていたジェフリーズは、その絶対的な権力主義と法律第一主義を徹底して貫き、権力に盾突く者には情け容赦のない罰を与えていたのだ。特にジェームズ2世の甥であるマンモス公が起こした“マンモスの反乱”では、実に300人もの反体制派を絞首刑に処し、世間では“首つり判事”という異名で恐れられたという。
 本作が意外なのは、そうした史実を最大限に尊重し、極めて真っ当な歴史ドラマとして製作されているということ。確かに残酷な拷問シーンやエロティックなセックス・シーンも盛り込まれてはいるが、全体的に過剰なエログロ表現は極力抑えられている。それよりも、動乱の時代を背景にした権力を巡る様々な人間模様や、大量のエキストラを動員したバトル・シーンなどに主眼が置かれており、意外にも真面目な作品に仕上がっているのだ。
 主人公ジェフリーズ判事の人間像にしても、決してサディスティックな異常者としては描かれていない。あくまでも史実に基づき、権力と法律を絶対視し過ぎたために怪物と化してしまった人物、人間的な感情の欠落した法律の鬼として描写されている。革命側の勝利で終わるハッピー・エンドを含めて、同時期に作られた猟奇趣味の強い陰湿なエログロ映画『残酷!女刑罰史』(70)などとは一線を画した作品だと言えよう。
 ただ、そうなるとジェス・フランコ作品ならではの悪趣味なお楽しみがあまり期待できないわけで、そういった意味では物足りなさを感じるファンも少なくなかろう。また、104分という上映時間も少々長すぎるように感じる。決して出来の悪い映画ではないのだが、もうちょっと羽目を外しても良かったかもしれない。結果的に、B級娯楽映画なのか歴史映画なのかよく分からないような作品になってしまったことは否めないだろう。

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預言者マザー・ローザ(M・シェル)はさらなる苦難を予見する

メアリーは貴族の子息ハリー(H・ハース)と恋仲だった

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親友バーナビー(P・マルテランザ)と共に革命に身を投じるハリー

ハリーの父ウェセックス卿(L・ゲン)は息子の身を案じる

 時は1685年。英国王チャールズ2世が崩御し、弟のジェームズ2世がその後を継いだ。しかし、カトリックを優遇する彼の政策は国内で大きな反発を招き、各地で革命の気運が高まりつつあった。そして、日に日に強まる民衆の不満と怒りに油を注いだのが、裁判所の最高責任者であるジョージ・ジェフリーズ判事(クリストファー・リー)。権力と法律を絶対視する彼は革命家や反乱分子を嫌悪し、活動家はもとよりその疑いのある者までをも情け容赦なく裁き、片っ端から死刑台へと送り込んでいたのだ。
 ある日、そんな反乱分子の若者が憲兵隊によって殺害され、その場に居合わせた恋人の女性アリシア(マーガレット・リー)が逮捕される。明らかに不当逮捕だったが、裁判所は見せしめのためにも彼女を生贄にせねばならない。そこで、検事はアリシアを魔女として告訴。取り調べの過程では壮絶な拷問による自白の強要、そして拷問官ケッチ(ハワード・ヴァ―ノン)による魔女の証拠の捏造などが行われる。なんとか無実を訴えようと姉メアリー(マリア・ローム)はジェフリーズ判事へ直訴するものの、その努力もむなしくアリシアは火あぶりの刑に処せられてしまった。嘆き悲しむメアリーに、盲目の預言者マザー・ローザ(マリア・シェル)は更なる試練の訪れることを告げる。
 それからほどなくして、穏健派の大物上院議員ウェセックス卿(レオ・ゲン)のもとへジェフリーズ判事がやって来る。というのも、ウェセックス卿の息子ハリー(ハンス・ハース)の友人バーナビー(ピエトロ・マルテランザ)は革命分子の一味であり、ハリー自身にも革命運動に加担しているとの疑いの目が向けられていたのだ。そこへウェセックス卿の家来で立身出世を目論む野心的な男サッチェル(ミロ・ケサダ)が偶然を装って現れ、ハリーが魔女と関係していることを密告する。
 その魔女とはメアリーのことだった。ハリーとメアリーは恋人同士。しかも、ハリーはバーナビーと共に革命運動へ身を投じており、メアリーは彼らの活動を支えていた。ジェフリーズ判事はサッチェルに命じて、メアリーの身柄を拘束させる。息子の身を案じるウェセックス卿は革命運動やメアリーとの関わりを絶つよう説得するものの、ハリーの信念と決意は固かった。父親からメアリーが捕えられたことを教えられたハリーは、急いで救出へ向かう。
 ジェームズ2世の甥マンモス公が反乱軍を決起させたことからジェフリーズ判事の身辺も慌ただしくなり、サッチェルはメアリーを近くの宿屋へ監禁する。2人だけになったことをいいことに、メアリーをレイプしようとするサッチェル。必死に抵抗するメアリー。揉みあいの結果、サッチェルは暖炉の火で顔面を焼かれて気絶する。そこへハリーが駆けつけ、宿屋からメアリーを救い出した。
 いよいよ国王側と反乱軍の決戦の時がやって来た。その中には、ハリーとバーナビーの姿も。しかし、バーナビーが流れ弾に当たって負傷し、2人はメアリーの待つ隠れ家へと逃げる。とりあえず、馬がなければ遠くへ逃げることは出来ない。ハリーは実家へ戻り、信頼できる女中サリー(ディアナ・ロリス)に馬の手配を頼む。しかし、復讐に燃えるサッチェルがサリーに暴行を加え、彼らの隠れ家を突き止めてしまった。ハリーが隠れ家へ戻ると、バーナビーは首を吊られた状態で殺されており、メアリーの姿はなかった。
 仲間たちと合流したハリーは、ジェフリーズ判事が人々を片っ端から逮捕しているということを知る。革命の気運をいっぺんに削ぐための粛清だ。その中にはメアリーやサリーも含まれている。情報を求めてマザー・ローザのもとを訪ねたハリーは、メアリーたちの行方を教えてもらう。女性ばかりがサッチェルの率いる憲兵隊によって捕えられ、森の中を移動しているらしい。そこで、ハリーと仲間たちは野営する憲兵隊を急襲し、メアリーら女性たちを救い出すことに成功する。
 追手を逃れたハリーとメアリーは、マザー・ローザの住む洞窟に身を隠した。ところが、そこには憲兵隊が先回りしており、2人はあっけなく捕えられてしまう。その翌日から囚人たちの取り調べが始まる。実に500人以上もの人々が反逆者として告訴された。もちろん、裁判とは名ばかり。有罪を自供させるために、ありとあらゆる残酷無慈悲な拷問が行われた。ウェセックス卿は息子を助けるべく裁判所へ圧力を加えようとするが、絶対的権力を持つジェフリーズ判事には歯が立たない。それどころか、リベラルなウェセックス卿を日頃から快く思っていなかったジェフリーズは、ハリーの恋人メアリーを凌辱することで己のサディスティックな欲求を満たすのだった。しかし、革命の勢いはもはや止まるところを知らず、ついにはジェームズ2世が国外へ逃亡する事態となってしまう…。

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革命分子を根絶やしにすべく画策するジェフリーズ判事

ついに国王軍と反乱軍の戦いが勃発する

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愛するハリーのため革命軍に協力するメアリー

ジェフリーズ判事の手先となったサッチェル(M・ケサダ)

 最後の最後まで己の正当性を信じて疑わないジェフリーズ判事は、ある意味で非常に高潔な人物だとも言えるだろう。それだけに、たとえ私怨を晴らすためとはいえ、彼がメアリーを凌辱する下りは若干の違和感を覚えざるをえない。もちろん、マーケティングを意識した上で挿入されたシーンだということは理解できるのだけれど。それ以外にも、拷問で血みどろになった女性の体を、看守がメアリーに舐めさせるというプチ・エロシーンなんかも完全に無意味。そこら辺が結局、これは果たしていったいエクスプロイテーション映画なのか?それとも歴史映画なのか?いったいどっちなんだ!?という中途半端な印象を観客に与えてしまうのだ。
 ハリー・アラン・タワーズの原案を脚色したのは、日本でもヒットした西ドイツ映画『アルプスの少女ハイジ』(65)のミカエル・ハラーと、主にイギリスのテレビで活躍していたアンソニー・スコット・ヴェイッチの2人。役柄の大小に関わらず登場人物それぞれのキャラクターがきっちりと描きこまれており、群像劇としてちゃんと成立しているのは立派だと言えよう。憎まれ役を誇張するための荒唐無稽な展開がほとんどないという点も好感が持てる。
 撮影監督はフランコ映画常連組のマヌエル・メリーノ。あくまでも低予算映画なのでバトル・シーンのスケールも決して大きいとは言えないものの、それでも十分に頑張っていると言っていいだろう。その点では、フランコ監督の演出も同じく評価すべきかもしれない。フランコはオーソン・ウェルズ監督の『フォルスタッフ』(66)の第2班監督として、戦闘シーンを演出したことでも知られているわけだが、本作でもその片鱗を垣間見せている。ちなみに、このバトル・シーンの撮影に使用された武器はスペインのレンタル会社から格安で借りることが出来たらしく、その総額はたったの5000ドルだったそうだ。
 そのほか、どことなく哀愁をたたえた重厚なオーケストラ・スコアをイタリアのマエストロ、ブルーノ・ニコライが担当。また、フランコ映画の常連俳優として知られるジャック・テイラーが、ジョージ・O・ブラウンという変名で美術監督とセット装飾を手掛けている。

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裁判とは名ばかりの粛清が始まった

逮捕者にはありとあらゆる拷問が加えられていく

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メアリーを呼び出したジェフリーズ判事

私怨を晴らすためにメアリーを凌辱するのだった

 そして、ジェフリーズ判事役を大熱演している名優クリストファー・リー。それまでハマー・フィルムのホラー映画やB級娯楽映画のモンスター役ばかりだった彼にとって、本作は歴史上の人物を演じるという願ってもないチャンスであり、それだけに並々ならぬ意欲をもって取り組んだという。ただし、メアリーを凌辱するシーンでは代役を使用。映画の残酷描写やセックス描写に関して否定はしないものの、直接的に関与することもしない、というのが彼の一貫したポリシーなのだそうだ。そういわれると確かに、クリストファー・リーの演じるセックス・シーンというのはこれまでに一度も見かけたことがない。
 そのジェフリーズ判事とは対照的な立場にある、リベラルな穏健派の上院議員ウェセックス卿を演じるのがレオ・ゲン。『ヘンリィ五世』(45)や『シーザーとクレオパトラ』(45)などの歴史劇で名を成し、『クォ・ヴァディス』(51)ではアカデミー助演男優賞にもノミネートされたイギリスを代表する名優だ。晩年はヨーロッパ各国のホラー映画にも多数出演した人だが、やはり他の俳優とは存在感と説得力が違う。本作では生き馬の目を抜く政治の世界で上手く立ち回る策士の顔と、やんちゃな一人息子を温かい目で見守る心優しき父親の顔の両面を持ち合わせたウェセックス卿を実に頼もしく演じており、強烈な個性を発散するクリストファー・リーと見事な好対照ぶりを披露してくれる。
 そのほか、メアリー役のマリア・ローム、ハリー役のドイツ人俳優ハンス・ハース、アリシア役のマーガレット・リー、サッチェル役のミロ・ケサダ、サリー役のディアナ・ロリスなどもいずれ劣らぬ好演。また、虐げられた庶民の人々に助言を与えるマザー・ローザ役には、『居酒屋』(56)や『女の一生』(58)で名高い大女優マリア・シェルが扮している。
 そして、脇役の中でも一際目を引くのは、ジェフリーズ判事のもとで様々な拷問を行う醜悪な男ケッチ役を演じるハワード・ヴァ―ノン。フランコ監督の出世作『美女の皮をはぐ男』(61)以来の常連俳優だ。本作では同じように英国の暗い歴史を扱ったハリウッドの古典ホラー『恐怖のロンドン塔』(39)にオマージュを捧げ、ケッチの姿形をボリス・カーロフの演じた拷問官モードと瓜二つに仕上げている。

 

 

ヴァンピロス・レスボス
Vampyros Lesbos (1971)
日本では劇場未公開
VHSは日本未発売・DVDは日本発売済

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(P)2000 Second Sight (UK)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(イギリスPAL盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:ドイツ語/字幕:なし/地域コード:2/86分/製作:西ドイツ・スペイン

特典映像
オリジナル劇場予告編
フォト・ギャラリー

監督:ジェス・フランコ
製作:アルトゥール・ブラウナー
原案:ハイメ・シャヴァーリ
脚本:ジェス・フランコ
   ハイメ・シャヴァーリ
   アンヌ・セッチモ
撮影:マヌエル・メリーノ
音楽:ジェス・フランコ
   マンフレッド・ハブレル
   シギ・シュワーブ
出演:ソレダード・ミランダ
   エヴァ・ストロンベルグ
   デニス・プライス
   アンドレス・モナレス
   ポール・ミュラー
   ハイドルン・クッシン
   ホセ・マルティネス・ブランコ
   ジェス・フランコ

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オマール(A・モナレス)とクラブを訪れたリンダ(E・ストロンベルグ)

リンダは謎めいたストリッパーの姿を見て驚く

 恐らく、ジェス・フランコの作品の中でも最も人気の高い作品の一つであり、70年代のユーロ・エクスプロイテーションを語る上で欠かせないカルト映画であろうと思われる。だが、個人的には過大評価され過ぎている作品ではないかと思う。なにしろ、見どころはレズビアンのヴァンパイアが出てくるという点と、サイケデリックでファンキーな音楽スコアのみ。まあ、インパクトの強いタイトルも悪くないだろう。しかし、あとは本当に酷い代物。カメラワークは適当だし、ストーリーだっていい加減。辛うじてヴァンパイアに魅入られる美女リンダ役を演じているエヴァ・ストロンベルグはなかなかの好演ではあるものの、他の役者は軒並み大根だらけだ。ベテラン名優のデニス・プライスですら手抜きとしか思えない有様だし、なによりも主演のソレダード・ミランダの魅力を全く生かし切れなかったことの罪は大きい。
 物語はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』をベースに作られている。女性弁護士のリンダは奇妙な悪夢に悩まされていた。それは謎めいた美女に誘惑されて血を吸われるというもの。恋人と共にトルコへとやって来た彼女は、ナイトクラブで夢の中の美女と瓜二つのストリップダンサーを見かける。その後、遺産相続の手続きのため、孤島に住むカロディ伯爵婦人のもとを訪ねたリンダ。なんと、伯爵夫人はあのストリップダンサーと同一人物であり、しかも数百年の歳月を生きながらえるレズビアンのヴァンパイアだったのだ…!
 一応、思わせぶりな仕掛けで観客の興味を惹きつけようという努力は随所で見られるものの、結局は行き当たりばったりで意味のない展開に終始していることは否めず。まあ、それ自体は許せる範囲内ではあるのだが、美しいロケーションや人物などの被写体をことごとくぶつ切りにしてしまった構図の悪さは致命的。撮影監督とろくに事前の打ち合わせもしていないせいなのだろうか、なぜそっち側から撮る!?と思わず突っ込みを入れたくなるようなアングルの悪さにも驚かされる。これではフランコ映画のミューズ、ソレダード・ミランダの妖艶な美しさも全くもって台無しだ。
 もちろん、この時期からフランコ映画のクオリティは急激なまでに下降の一途を辿るわけだし、客観的に見ればもっと酷い作品は他にも沢山あると言えばあるのだが、やはり世間の評価や人気と実際の完成度との間に歴然と存在する落差には違和感を覚えずにいられない。これだったら、同時期に作られた『シー・キルド・イン・エクスタシー』の方がまだなんぼかマシである。

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それは夢の中に出てくる美女と瓜二つだった

精神科医シュタイナー(P・ミュラー)は欲求不満だと診断する

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仕事のために孤島の豪邸を訪れたリンダ

豪邸の主カロディ伯爵夫人はあのストリッパーだった

 舞台はトルコのイスタンブール。弁護士のリンダ(エヴァ・ストロンベルグ)は、見ず知らずの謎めいた美女に誘惑されて血を吸われるという悪夢に悩まされていた。ある晩、恋人オマール(アンドレス・モナレス)と共にナイトクラブを訪れた彼女は、ショータイムで踊るストリッパーの姿を目にして驚く。夢の中に出てくる美女と瓜二つだったのだ。知人の精神科医シュタイナー博士(ポール・ミュラー)に相談したものの、単なる性的な欲求不満だと一笑に付される。
 それからしばらくして、リンダは仕事のために一人でアナトリア半島へと向かう。孤島に住むカロディ伯爵婦人へ遺産相続の手続きに必要な書類を届けるのだ。しかし、悪天候のために港で足止めを食らってしまう。仕方なくホテルへ泊まったリンダ。下男のメメット(ジェス・フランコ)は伯爵夫人の秘密について知っているという。詳しい話を聞くためにホテルのワイン貯蔵庫へ行ったところ、そこにはメメットに殺された女性の死体が横たわっていた。
 翌朝、リンダはボートに乗って島へとやって来る。彼女の前に現れたカロディ伯爵婦人(ソレダード・ミランダ)は、他でもないあの謎めいたストリップダンサーだった。だが、伯爵婦人は初対面だという。キツネに鼻をつままれたような気分のリンダだったが、とりあえず遺産相続の話をせねばなるまい。伯爵夫人に相続される遺産はドラキュラ伯爵からのもので、その金額は膨大だった。伯爵夫人とドラキュラの間には長い付き合いがあったという。
 やがて、伯爵婦人からワインを勧められて飲んだリンダだったが、すぐに気分が悪くなって寝込んでしまった。ベッドで横たわるリンダに忍び寄るカロディ伯爵婦人。いつしか2人は情熱的に愛を交わし、伯爵婦人はリンダの首筋に噛みつくのだった。朝になって目を覚ましたリンダは、プールで伯爵婦人の死体を発見し、その場で気を失ってしまう。
 それからどのくらいが経ったのだろう。リンダはセワード博士(デニス・プライス)の運営する精神病院へ収容されていた。海岸で倒れているところを発見されたのだという。しかし、彼女には全く記憶がなかった。やがて、新聞報道を見たオマールが病院を訪れ、リンダの記憶が戻る。晴れて病院を後にし、日常生活へ戻ったリンダ。そんな彼女を、カロディ伯爵婦人が遠くから見つめるのだった。伯爵婦人はリンダに魅了され、彼女を自分と同じヴァンパイアにしようと考える。催眠術によって呼び出されたリンダは、呪文によって闇の洗礼を受け、ヴァンパイアの一員となるのだった。
 それ以来、オマールの体調が急激に悪化する。リンダには自分がヴァンパイアになった自覚がなかったのだ。まさか自分が彼の血を吸っているなどとは思わず、セワード博士のもとへ相談に訪れたリンダ。実は博士はヴァンパイアの研究を行っており、リンダがカロディ伯爵婦人の餌食になっていたことも知っていたのだ。精神病院にはアグラ(ハイドルン・クッシン)という女性患者がいるのだが、彼女はヴァンパイアに魅了された哀れな犠牲者であり、伯爵婦人のことをご主人様と呼んでいた。博士はヴァンパイアの誘惑と闘う術をリンダに伝授する。
 その後、元気を取り戻したオマールは無事に退院。そんな彼にアグラがヴァンパイアの存在を伝える。その直後に、病院へカロディ伯爵婦人が現れた。自分もヴァンパイアになりたいセワード博士は彼女を脅迫するが、逆に婦人の召使モーフォ(ホセ・マルティネス・ブランコ)の手で殺されてしまう。さらに、アグラも伯爵婦人に血を吸われて絶命した。
 一方、ホテルへ戻ったオマールだったが、待っているはずのリンダがいない。彼女の行方を探し回ったオマールは、セワード博士やアグラが謎の死を遂げたことを知り、カロディ伯爵婦人がヴァンパイアであることに気付く。彼は半信半疑のシュタイナー博士に協力を頼み、リンダを救い出すために伯爵婦人の屋敷へと乗り込んでいくのだった…。

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伯爵婦人からワインを勧められるリンダ

伯爵婦人の正体はレズビアンのヴァンパイアだった

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意識を取り戻したリンダが見たものとは…

それはプールに浮かぶ伯爵婦人の死体だった

 ドラキュラ伝説をそれとなく絡めてみたり、ホテルの下男が殺人鬼だったりと、手を変え品を変えサプライズ・ネタを散りばめたのはいいのだが、どれもやり逃げするかのように後始末がされないのは困ったもの。脚本にはフランコ作品の助監督をたびたび務めている女性アンヌ・セッチモと、後に映画監督として活躍するようになったハイメ・シャヴァーリがフランコ監督と共同で携わっているものの、三人寄れば文殊の知恵とはいかなかったようだ。
 撮影監督は常連組のマヌエル・メリーノ。母国スペインはもとよりイタリアや西ドイツでも数多くの娯楽映画を手掛けており、そのキャリアやフィルモグラフィーを考えれば決して下手なカメラマンではないはずなのだが、本作での手抜きっぷりは目も当てられないほどに酷い。フランコ監督と組んだ他の作品、たとえば『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』や『悪徳の快楽』なんかと比べてみても、そのクオリティには雲泥の差がある。やはり、映画製作には必要最低限の時間と金というものがあるのだろう。
 そんな中で唯一、抜きん出て素晴らしい出来栄えなのが音楽スコア。フランコ監督自身も作曲に携わっており、ダンサンブルでキャッチーなサイケ・ロックを存分に聴かせてくれる。もともとフランコ作品のスコアは評価の高いものが多いのだが、本作はその中でも断トツに良く出来てると言っていいだろう。

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リンダはセワード博士(D・プライス)の精神病院に収容された

伯爵婦人はリンダをヴァンパイアの仲間にする

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オマールは患者アグラ(H・クッシン)から恐るべき真実を聞かされる

秘密を知るセワード博士を殺害したカロディ伯爵婦人

 そして、主演はこれがジェス・フランコとのコンビ3作目となるスペインのセクシー女優ソレダード・ミランダ。もともとあまり演技の達者な人ではなく、その美貌と存在感だけで魅せるタイプの女優なのだが、本作はそのカメラワークのまずさから彼女の本来持っている魅力がほとんど生かされていない。しかも、ヘタックソなアングルのせいで胴長短足な体型の悪さが丸わかり。なんだか見ていていたたまれなくなってしまう。
 一方、リンダ役を演じるドイツ人女優エヴァ・ストロンベルグもまたフランコ作品の常連なのだが、恐らくこれが一番のはまり役であろう。ミランダとは『シー・キルド・イン・エクスタシー』でも共演しているが、どうも本作の場合はエヴァの知的な美しさの方が際立って見える。常連といえば、『ビーナスの誘惑・美しき裸身の復讐』以降フランコ作品にたびたび顔を出しているイギリスの名優デニス・プライスだが、本作は完全にやっつけ仕事といった印象。殺されるシーンの演技なんか、殆ど
小学生の学芸会みたいなノリ。とても主演作を幾つも持つベテラン俳優とは思えない代物だ。
 そのほか、ポール・ミュラーやアンドレス・モナレス、ホセ・マルティネス・ブランコなどフランコ作品の常連組が脇を固めているが、みんな一様に精彩を欠いているのがちょっと切ない。

 

 

女体拷問人グレタ
Greta - Haus ohne Männer (1977)
日本では1977年劇場公開
VHS・DVD共に日本発売済

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(P)2000 Anchor Bay (USA)
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/94分/製作:西ドイツ・スイス・アメリカ

特典映像
オリジナル劇場予告編
女優D・ソーン俳優H・マウラーによる音声解説
タレント・バイオグラフィー
監督:ジェス・フランコ
製作:エルウィン・C・ディートリッヒ
脚本:エルウィン・C・ディートリッヒ
   ジェス・フランコ
撮影:ルーディ・クッテル
音楽:ワルター・バウムガルトナー
出演:ダイアン・ソーン
   タニア・ビュッセリエ
   エリック・フォーク
   リーナ・ロメイ
   エスター・スチューダー
   ジェス・フランコ
   ハワード・マウラー

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ジャングル奥地の精神病院から脱走した女性ローザ

アルコス医師(J・フランコ)はローザを介抱する

 70年代から80年代にかけて、欧米では女囚映画が大変なブームとなった。最もポピュラーなパターンとしては、無実の罪を着せられた女性が刑務所へと投獄され、看守によるサディスティックな暴力や拷問、囚人同士の権力争いやレズビアン・セックスなど、外の世界からは窺い知ることのできない刑務所の劣悪な状況を目の当たりにしていくというもの。もともと女子刑務所を舞台にした映画は古くから存在したものの、基本的には囚人の人権問題や司法の不公平を糾弾する社会派的な色合いの強いジャンルであった。それをエログロてんこ盛りのエクスプロイテーション映画に仕立てた最初の作品は、リー・フロスト監督の手掛けた『ラブ・キャンプ7』(69)という作品。その後、ロジャー・コーマン製作の『女残酷刑務所』(71)が大ヒットしたことから、このジャンルは一気に世間の注目を集めることとなる。
 ロジャー・コーマンはさらにジョナサン・デミ監督の処女作『女刑務所・白昼の暴動』(74)を大ヒットさせ、この頃からイタリアや西ドイツなどヨーロッパのB級映画プロデューサーたちも積極的に女囚映画を作るようになった。カナダでも女囚ものとナチものを合体させた『ナチ収容所/悪魔の生体実験』(74)に始まる極悪女看守イルザ・シリーズが製作され、いわゆる“ナチ・エクスプロイテーション”と呼ばれる変種型のサブ・ジャンルまで持てはやされるようになる。そして、そのイルザ・シリーズで映画ファンに強烈なインパクトを与えた怪女優ダイアン・ソーンを主演に迎え、ジェス・フランコ監督が限界ギリギリのエロとグロに挑戦した悪名高き女囚映画というのが、この『女体拷問人グレタ』なのだ。
 もともと、わりと早くからフランコ監督は女囚映画というジャンルに着目をしていた。その原点となったのは、マリア・シェルやマーセデス・マッケンブリッジなどの大物女優を配した社会派の告発映画“99 Women”。ジョナサン・デミ監督の『女刑務所・白昼の暴動』がそうであったように、フランコはリベラリストとしての立場から女性刑務所の劣悪な環境やその根底にある女性蔑視について問題意識を持っており、この“99 Women”という作品もそうした観点に立った真面目な映画であった。とはいえ、その後ヨーロッパの超低予算映画会社と仕事をするようになってからは、やはり背に腹は変えられないのであろう、露骨なセックスと血みどろのバイオレンスを全面に押し出したエログロ女囚映画へと方向転換。おかげで『女体拷問人アマゾネス2』(75)などは、西ドイツにおける1976年の年間興行収入ランキングで堂々の3位を飾るほどの大成功を収めた。いやはや、今にしてみれば凄い時代だったと言えるだろう。
 で、メガトン級の爆乳女優ダイアン・ソーンを主演に迎えた本作。イルザ・シリーズにおける彼女の怪物的なイメージを最大限に活かし、まさになんでもアリの残酷地獄絵図がこれでもかとばかりに描かれていく。舞台は南米の某独裁国家。ジャングルの奥にひっそりとたたずむ巨大な病棟施設では、色情狂などの精神病を抱えた女性ばかりが大勢収容されていた。だが、その実態は残酷な女病院長グレタによるサディスティックな拷問や人体実験が横行する地獄のような場所。しかも、彼女は使い物にならなくなった患者たちを利用してポルノ映画やスナッフ映画などを撮影して荒稼ぎをしていた。もちろん、地元の警察や軍隊も買収済み。まさしく、一度入ったら二度と出ることが出来ない悪夢のクリニックだったのだ。
 ある日、その病棟施設からローザという女性が脱走し、近隣に住む精神科医アルコスに助けられる。ローザはすぐに連れ戻されてしまったが。アルコス医師は病棟施設内部で行われている違法行為に対して疑念を抱いた。そんな彼に接触したのが、ローザの妹でジャーナリストのアビー。アルコスの協力で施設内部へ潜入した彼女は、グレタの恐るべき悪行の数々を目の当たりにすることとなる。
 さすがに最近の『ホステル』シリーズや『SAW』シリーズに比べれば残酷描写も大したことはないかもしれないが、そのチープな場末感との相乗効果で心理的な不快指数は最高潮。患者をビニール袋で窒息死させるシーンなんかも、嫌っていうくらいにリアルだ。もちろん、レズ・セックスやキャット・ファイトなどのエロ描写もてんこ盛り。患者のボス的存在でグレタの愛人であるフアナが、トイレで排泄したあとのあそこをアビーに舐めさせるなんてえげつないシーンまである。当時のヨーロッパB級映画界は暴力表現や性表現がエスカレートする一方だったゆえ、商売のためには手加減や躊躇などしてられなかったのだろう。
 その一方で、ストーリーの根底にしっかりと反権力の思想が貫かれており、患者たちがグレタに壮絶な復讐を遂げる驚きのクライマックスに至るまで、アナーキーな社会派ドラマとしての軸が全くブレていないというのも興味深い。センセーショナリズム以外は見るべきところのなかったイルザ・シリーズに比べ、少なくと映画としてはこちらの方が良くまとまっているし、最後の最後まで飽きることなく楽しむことが出来る。まあ、題材が題材ゆえに好き嫌いは極端に分かれることだろうが、カルト映画やユーロ・トラッシュ映画のファンならば一度は見ておきたい作品だ。
 なお、全米では“Ilsa, the Wicked Warden”というタイトルのもと、イルザ・シリーズの一本として劇場公開された本作。というのも、プロデュースを手掛けたエルウィン・C・ディートリッヒがイルザ・シリーズの配給権を持っていたことから、主演のダイアン・ソーンのネーム・バリューに便乗してシリーズ作品を名乗ることにしたのだそうだ。他にも、“Ilsa, Absolute Power”や“Ilsa-Ultimate Perversion”、“Wanda, The Wicked Warden”など数えきれないほどの別タイトルが存在し、国によって様々なバージョンで上映されている。

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ローザを無理やり連れ戻していく院長グレタ(D・ソーン)

アビー(T・ビュッセリエ)がアルコスに接触する

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偽名を使って精神病院へ潜入したアビー

女番長フアナ(L・ロメイ)はアビーの存在が気に食わない

 南米の某独裁国家。ジャングルの奥地に建つ精神病の医療施設ラス・パレルマス・クリニックでは、色情狂や同性愛などの異常性癖を持つ女性たちが多数収容されていた。ある日そこから、ローザという若い女性が脱走をする。捜索に出た警備兵たちは次々と彼女に向けて発砲。ジャングルの沼地や崖を命からがら逃げ切った彼女は、精神科医アルコス(ジェス・フランコ)の自宅へと逃げ込む。
 疲れ切ったローザを介抱するアルコス医師。彼女はクリニックで違法なショック療法などが行われていることを訴えるが、部下たちを引き連れて現れた女院長グレタ(ダイアン・ソーン)に有無を言わさず連れ戻されてしまう。だが、ローザからの訴えに耳を傾け、グレタの威圧的な態度に疑問を持ったアルコス医師は、アムネスティ・インターナショナルの会議でラス・パレルマス・クリニックの違法行為に対する懸念を表明。実は以前から同様の訴えがアムネスティには寄せられていたが、確たる証拠のないままうやむやにされてきていた。独裁国家ゆえに国連からの調査要請も全く効力がないし、生きてクリニックを出てきた人間がいないために証言を得ることすら出来ないからだ。
 その会議で、アルコス医師の訴えを真剣な表情で聞いている女性がいた。ジャーナリストのアビー(タニア・ビュッセリエ)である。彼女はアルコス医師の車に忍び込み、拳銃を片手に協力するよう脅迫する。実は、アビーはローザの妹だった。姉の無事を確かめたいと考えた彼女は、自ら患者としてクリニックへ潜入しようとする。そのためには専門家の偽診断書が必要だった。事情を理解したアルコス医師は協力することを約束。頃合を見計らって、アルコスが国連関係者と共にアビーの救出へ向かうこととなった。
 かくして、アベリーナ・ガルシアという偽名を使ってラス・パレルマス・クリニックへ入ることとなったアビー。入所手続きでは女性職員たちによる横暴で差別的な態度にも耐えた。ここでは患者は全て番号で呼ばれる。アビーは41番だった。クリニック内は殺伐としており、患者の女性たちもどことなく異様な雰囲気を漂わせている。リーダー格は10番のフアナ(リーナ・ロメイ)という若い女性だ。
 実は、フアナはグレタの愛人だった。オモチャといってもいいかもしれない。グレタはフアナを慰みものにし、彼女の乳房に無数のピンを刺すなどのサディスティックな方法で己の異常性欲を満たしていた。その引き換えとして、フアナは病院内での特別待遇を受けていたのである。
 一方、アビーは他の患者たちと次第に親しくなる。性転換者で男性嫌いの7番は特によく面倒を見てくれた。仲間たちの話によると、院内には植物人間状態の女性たちが多数おり、しかもいつの間にかどこかへ消え去ってしまうのだという。そもそも、ここには古い入院患者は一人も残されていなかった。もちろん、退院したわけではない。果たして、彼女たちはどこへ行ってしまったのか?
 仲間たちの信頼を得るアビーのことを、フアナは快く思っていなかった。ここではアタシ
に服従しなくてはいけない。シャワールームでアビーを屈服させようとしたフアナだったが、結局取っ組み合いのケンカになってしまった。グレタはアビーを要注意人物と見なし、ありとあらゆる屈辱的で残酷なショック療法を試みるようになる。しかも、その様子は8ミリフィルムで撮影されていた。実はグレタは助手ドラゴ(エリック・フォーク)と結託し、そうした8ミリ・フィルムを闇マーケットへと流して大金を得ていた。患者同士のセックスを収めたポルノや、使い物にならなくなった患者を拷問の末に殺害するスナッフ映画も人気の高いアイテムだ。
 そんなある日、アビーと7番の会話を盗み聞きしていたフアナは、アビーがローザの妹であることを知り、そのことをグレタに報告する。実は、ローザはまだ生きていた。というのも、ショック療法の末に廃人となってしまった患者や身体に障害を負ってしまった患者は地下室に隔離されており、さらなる拷問や人体実験のモルモットにされていた。その中にローザも含まれていたのだ。
 グレタはローザに会わせることを口実にアビーをおびき出すよう、フアナに命じる。そして、廃人寸前のローザに拷問をかけ、アルコス医師がアビーに協力していることを悟る。そこで、彼女は金で買収した地元警察を差し向け、アルコス医師を始末させてしまった。これでアビーの存在を知る外部の人間はいなくなった。あとは獲物を料理するだけだ。
 フアナはグレタの指示通り、アビーを地下室へ連れてきた。変わり果てた姉の姿を見てショックを受けるアビー。ローザがどのような状態になっているのか知らなかったフアナも、その様子に動揺を隠せなかった。そんな彼女たちをあざ笑うかのように現れたグレタ。彼女はうろたえるフアナを外へ締め出し、アビーの目の前でローザを殺害した。そして、発狂寸前のアビーを実験台へと連れて行くのだった。
 一方、グレタが拷問や人体実験まで行っていたことを初めて知ったフアナは、彼女に対する怒りと不信感を募らせていた。そして、実験によって廃人にされたアビーの姿を見た瞬間、彼女の怒りは頂点に達する…。

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フアナは院長グレタの愛人だった

アビーを服従させようとするフアナだったが…

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アビーにサディスティックなショック療法を加えるグレタ

病院は裏でポルノ映画やスナッフ映画を闇ルートに流していた

 製作を手掛けたエルウィン・C・ディートリッヒは、スイスの映画監督兼プロデューサー。映画が産業としてほとんど成り立っていないスイスにおいて、極端なまでの低予算と露骨なセンセーショナリズムを売りに、数多くのセックス・コメディやポルノ映画、エログロ映画を世に送り出した生粋の商売人だ。そのあざとさゆえに業界での評判はかなり悪かったようだが、1年に5〜6本の映画を製作して一銭も損したことがなかったというのは立派であろう。フランコとはソフト・ポルノ“Die Marquise von Sade”(75)をきっかけに16本もの作品で組んでいるのだが、アルトゥール・ブラウナーといい、このディートリッヒといい、海千山千の製作者たちから都合のいいように使われていたというのが、70年代以降のジェス・フランコにとって最大の不幸であり過ちであったとも言えるかもしれない。
 で、脚本はそのディートリッヒとフランコの2人が共同で執筆。ディートリッヒはマンフレッド・グレゴールという変名を使用している。撮影監督のルーディ・クッテルは、フランコ&ディートリッヒによる女囚映画の大半を手掛けたカメラマン。音楽スコアのワルター・バウムガルトナーも同じくこのコンビの女囚映画を軒並み担当したほか、ディートリッヒの監督したポルノ映画の大半も手掛けている。
 ちなみに、本作はセックス・シーンや残酷シーンをカットしたバージョンが複数存在する。どうやら日本盤DVDとして発売されているのは、全米公開当時に使用された90分のカット・バージョン。上記の米アンカー・ベイ盤DVDが正真正銘のノーカット版だとされている。

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フアナはアビーの正体をグレタに報告してしまう

ローザは地下室で人体実験のモルモットにされていた

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グレタは警察を使ってアルコス医師を暗殺させる

アビーの目の前でローザを窒息死させるグレタ

 さて、主人公の極悪女院長グレタ役を演じている怪女優ダイアン・ソーン。もともとリー・ストラスバーグのもとで演技を学んだという本格志向の女優だったらしいが、ハリウッドでは端役ばかりで全く芽が出なかった。辛うじて低予算のホラー映画やエロティック映画に活路を見出し、70年代に入るとその並外れた爆乳を武器にソフト・ポルノでも活躍。そんな彼女の名前を初めて世に知らしめたのが、『ナチ収容所/悪魔の生体実験』で演じた残虐な女収容所長イルザ役だったというわけだ。ただ、そのおかげでハリウッドでの友人の多くが彼女のもとを離れてしまい、実質上アメリカ映画界では殆ど仕事が出来なくなってしまったという。現在は夫と共に牧師の資格を取得し、ラスベガスで結婚式専門の小さな教会を経営しているそうだ。ちなみに、本作でグレタと愛人関係にある政府高官役として登場し、濃厚な濡れ場を演じている俳優ハワード・マウラーが現在の夫である。
 ヒロインのアビー役を演じているタニア・ビュッセリエは、当時売れっ子だったフランスのポルノ女優。また、髪型をショートにカットしたリーナ・ロメイが準ヒロインとも言うべきフアナ役を演じており、タニアを完全に食ってしまうほどの存在感を示している。もともと演技経験の全くないままフランコ映画のミューズとなった彼女は、言ってみれば第2のソレダード・ミランダ的な役割を半ば押し付けられ、ほとんど操り人形のように扱われてきたとも言えるだろう。『吸血処女イレーナ』や『デモニアク』などにおける無表情でぎこちのない演技は、ただ単に勉強や経験が不足しているというだけではなく、彼女自身が本来持っている個性を封印させられていたことにも理由があったのではないだろうか。その点、本作では従来のミステリアスなエロスの女神的イメージから完全に脱却し、タフでアグレッシブな個性を発揮。『女体拷問人アマゾネス2』などでもその片鱗は見せていたものの、ここではさらに複雑な心理描写に磨きをかけ、まだまだ未熟な部分は残しつつも個性派女優へと成長しつつある様子が伺える。
 そのほか、フランコ印の女囚映画でお馴染みのコワモテ女優が多数出演。また、フランコ監督自身も正義感の強い精神科医アルコス役で登場し、いつになくシリアスな演技を披露している。

 

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