ITALIAN SILENT CLASSICS

 

 19世紀の末にフランスとアメリカでほぼ同時期に生まれた映画。最初はただの見世物でしかなかったこの新たなメディアを、初めて芸術表現の手段として用いたのがイタリア人だった。それまでの映画というのは、ただ風景を記録するだけだったり、見世物小屋の余興で見せるような寸劇ばかり。しかし、イタリアで作られた『ポンペイ最後の日』('08)や『トロイの陥落』('09)、『ローズ島の武士』('12)、『クオ・ヴァヂス』('12)といった超大型のスペクタクル史劇は映画表現の可能性を一気に広げ、その金字塔とも言うべきジョヴァンニ・パストローネ監督の『カビリア』('14)はアメリカ映画の父デヴィッド・ワーク・グリフィスに多大な影響を与えた。
 残念ながら第一次大戦の勃発やファシズムの台頭などの混乱によってイタリア映画の全盛期は長くは続かず、第二次世界大戦後のネオレアリスモ映画ブームまで途絶えてしまうこととなるのだが、ドイツの表現主義やソビエトのモンタージュ映画と並んで、サイレントの時代にイタリア映画が果たした役割の大きさや影響力は計り知れない。そこで、ここでは現在DVDソフトで見ることのできるイタリア産サイレント映画の名作を幾つか紹介していこう。

 

アントニーとクレオパトラ
Marcantonio e Cleopatra (1913)
日本では1914年3月劇場公開
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2009 Televista (USA)
画質★☆☆☆☆ 音質★★★☆☆

DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダードサイズ/ステレオ(伴奏音楽のみ)/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/製作:イタリア

特典映像
スライドショー

監督:エンリコ・グァッツォーニ
原作:ウィリアム・シェイクスピア
   ピエトロ・コッサ
撮影:アレッサンドロ・ボナ
美術:エンリコ・グァッツォーニ
出演:ジャンナ・テリビリ=ゴンザレス
   アムレト・ノヴェーリ
   マティルデ・ディ・マルツィオ
   エルサ・レナルド
   イグナチオ・ルーピ
   イーダ・カルローニ・タリ

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クレオパトラの使者を追い返すアントニー(A・ノヴェーリ)

決断に悩むクレオパトラ(G・T・ゴンザレス)

アントニーは一目でクレオパトラの虜となってしまう

妻オッタヴィア(E・レナルド)を拒絶するアントニー

 シェイクスピアの戯曲にも描かれた、古代ローマの軍人マルクス・アントニウス(マーク・アントニー)とエジプトの女王クレオパトラの悲恋。そのシェイクスピアの戯曲とイタリアの劇作家ピエトロ・コッサの戯曲を原典としつつ、大がかりなセットや群衆パニック・シーンなどの見せ場を用意しながら、アントニウスとクレオパトラの波乱に満ちたロマンスをドラマチックに描いたスペクタクル史劇がこれだ。
 ストーリーはシェイクスピアの戯曲に比べると、かなり簡潔に語られている。コッサの戯曲がどのようなものであったかは分からないが、恐らく両者からサイレント映画に相応しい要素だけを抽出し、分かりやすいように再構成していったのではなかろうか。アントニーのエジプト上陸から始まり、クレオパトラとの出会い、愛欲に溺れる生活、妻オッタヴィアの来訪、エジプト貴族によるアントニー暗殺未遂事件を経て、ローマ軍のエジプト来襲へとなだれ込んでいく。シェイクスピア作品とも史実とも異なる、独自の単純明快なメロドラマに仕上がっていると言えよう。
 本作は大正時代の日本でも劇場公開され、『クオ・ヴァヂス』や『カビリア』よりも評判になったと伝えられているが、恐らくこの単純明快な分かりやすさというのが受け入れられたのではないかと思う。歴史的な知識がなくとも人間関係を即座に呑みこむことが出来、なおかつ万国共通とも言える政治的な陰謀や策略と、運命の中で翻弄される男女の哀しい恋愛の顛末が描かれる。当時のイタリア映画界の勢いを如実に物語るようなスペクタクル・シーンのスケールや迫力も十分。登場人物の心理描写に食い足りなさは残るものの、100年近く前の映画ということを考慮すれば娯楽大作として非常に完成度は高い。『クオ・ヴァヂス』を手掛けたグァッツォーニ監督の面目躍如たる堂々とした出来栄えだ。
 ただ、最大の難点はクレオパトラを演じる女優が、どう見ても恰幅の良すぎる太ったオバサンだということ。これが絶世の美女だと言われても、にわかには納得しがたい。もちろん、製作当時の“美の基準”というものがあって、同時代に活躍したハリウッド初のグラマー女優セダ・バラだって、今の審美眼からすればおおよそ美人とかセクシーとは程遠い丸太のようなメタボ女だった。当時は痩せた女性は美しくなかったのであろう。なので、これはこれで納得しなくてはいけないところなのだが、アントニー役の俳優が今見ても十分に男前なだけに、どうしても違和感は最後まで拭えない。そうした価値観の違いというものを興味深く楽しむことも、実はサイレント映画を鑑賞する上で重要なポイントなのだが。

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クレオパトラもオッタヴィアをあざ笑う

アントニー暗殺計画を知った奴隷娘シャーマイン

間一髪のところで反逆者を捕えるクレオパトラ

恋敵となったシャーマインをワニの餌にしてしまう

 第2三頭政治時代のローマ帝国。その執権を握る3人の政治家の1人であり、勇猛果敢な軍人として名高いアントニー(アムレト・ノヴェーリ)は、戦いを終えてエジプトへと上陸する。ローマの敵に力を貸したエジプトの女王クレオパトラ(ジャンナ・テリビリ=ゴンザレス)を罰するためだ。クレオパトラの使者が宝物を献上するものの、アントニーは本人が目の前でかしずくことを要求。これには女王クレオパトラも悩むものの、占いのお告げを信じてアントニーとの面会を決意する。
 そして、クレオパトラの妖艶な美貌にたちまち心を奪われたアントニーは、彼女を罰することなどすっかり忘れてしまい、エジプトの地に残ることにする。2人のロマンスは瞬く間に燃え盛り、やがてアントニーはクレオパトラと共にエジプトを統治するようになった。しかし、それはエジプトの民の望むところではなかった。
 一方、夫がエジプトへ遠征したまま戻らないことに業を煮やした妻オッタヴィア(エルサ・レナルド)は、アントニーの盟友である兄オッタヴィアヌス(イグナチオ・ルーピ)に相談を持ちかける。自らエジプトへ出向いて夫を取り戻して来るよう助言された彼女は、意を決して異国の地へと単身乗り込んでいく。だが、すっかりクレオパトラに心を奪われたアントニーは妻の説得に耳を貸すつもりなど全くない。藁(わら)をも掴む思いのオッタヴィアは、恥を忍んでクレオパトラに夫を返すよう懇願する。だが、クレオパトラはそんな彼女を嘲笑いながら、全ては本人の意志次第だと言って相手にしなかった。
 ある日、宮殿に仕える奴隷の娘シャーマイン(マティルデ・ディ・マルツィオ)は、間違えて高貴な人々しか立ち入ることの許されない区域へ迷い込んでしまう。警備兵に捕えられた彼女は鞭打ちの刑に処されるところだったが、その様子を見かけたアントニーの慈悲によって無罪放免となった。そのことに深く感謝した彼女は、ローマ人に反感を抱く貴族たちの動向を監視し、彼らがアントニーの暗殺を計画していることを突き止める。
 だが、彼らの集会を盗み見していたシャーマインはあえなく捕まってしまい、そのまま監獄へと幽閉されてしまう。そうこうしている間に一味はアントニーのワインに睡眠薬を混ぜ、熟睡している隙を狙って彼を亡き者にしようとしていた。なんとか看守を殺害して脱走することに成功したシャーマインは、事の次第を女王クレオパトラへ報告。間一髪のところで反逆者たちは逮捕された。この一件で女王からもアントニーからも加護を受けるようになったシャーマイン。しかし、彼女がアントニーのことを愛していると知ったクレオパトラは嫉妬に燃え、無慈悲にもシャーマインをワニの餌にしてしまう。
 その頃、ローマへ戻ったオッタヴィアの報告を受け、元老院はアントニーを裏切り者と断罪。彼の市民権を剥奪することを決める。ローマの使者からその報告を受けたアントニーだったが、全く意に介さないどころか、ローマに屈するつもりがないことを宣言して使者を追い返してしまう。元老院の議員たちはアントニーを犯罪者として捕えることを決め、オッタヴィアヌス率いるローマ軍を送り込むことにした。
 ローマ軍の奇襲を受けてパニックに陥るエジプト。戦いは圧倒的にローマ側の有利だった。追い詰められたアントニーは自害。悲しみに暮れるクレオパトラだったが、冷徹なオッタヴィアヌスはそんな彼女に一切の同情心を見せることはなかった。自らが罪人としてローマへ連行されることを知ったクレオパトラは、愛するアントニーの後を追うようにして、毒ヘビに自らの胸を噛ませるのだった…。

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ローマの元老院はアントニーを犯罪者として糾弾

エジプトに押し寄せたローマ軍

宮殿の周辺はたちまちパニックに陥る

アントニーの亡きがらを見て衝撃を受けるクレオパトラ

 監督のグァッツォーニはもともとセット美術や衣装のスタッフとして映画界に入り、当時ローマで最大の映画会社だったチネス社で監督に転じた人。本作でも美術監督と衣装デザインを兼ねている。先述したようにイタリアン・サイレントを代表する大作『クオ・ヴァヂス』の監督でもあり、他にも『十字軍』('16)や『ファビオラ』('18)といったスペクタクル史劇を数多く手掛けた名匠だ。なお、撮影監督のアレッサンドロ・ボナは『クオ・ヴァヂス』も撮っている。
 クレオパトラ役のジャンナ・テリビリ=ゴンザレスは当時の人気映画女優の1人で、グァッツォーニ監督とは他の作品でも何度か組んでいる。ただ、キャリアは非常に短命だったようで、トーキーの到来を待たずして引退してしまった。一方、アントニー役を演じているアムレト・ノヴェーリは『クオ・ヴァヂス』でも主人公ヴィニチオを演じていたトップ・スター。いかにもヒーローらしい体格に恵まれた二枚目で、誰もが納得できるはまり役だ。
 また、イタリアの有名な舞台女優イーダ・カルローニ・タリが、クレオパトラに神のお告げを伝える巫女の老婆役で登場。オッタヴィアヌス役のイグナチオ・ルーピもサイレント期の名脇役として数多くの映画に出ているが、それ以外の出演者については詳細不明だ。
 

 

スパルタカス
Spartaco (1913)
日本劇場公開年は不明
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2009 Televista (USA)
画質★☆☆☆☆ 音質★★☆☆☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダードサイズ/ステレオ(伴奏音楽のみ)/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/72分/製作:イタリア

特典映像
スライドショー
監督:ジョヴァンニ・エンリコ・ヴィダーリ
製作:エルネスト・マリア・パスカーリ
原作:ラファエロ・ジョヴァノーリ
脚本:ラファエロ・ジョヴァノーリ
出演:マリオ・グアイタ・アウソニア
   マリア・ガンディーニ
   クリスティーナ・ルスポリ
   ルチアーノ・アルベルティーニ
   アキーレ・マエローニ

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捕らわれの身となった戦士スパルタカスと妹イダミス

クラッスス率いるローマ軍の凱旋行進

ナローナはイダミスを妹のように可愛がる

剣闘士としての厳しい訓練を受けるスパルタカス

 スタンリー・キューブリック版('60)は勿論のこと、最近ではセックス&バイオレンス満載のテレビシリーズ版でもお馴染みの『スパルタカス』。古代ローマ帝国の捕虜として剣闘士にさせられたトラキア人の戦士スパルタカスが、仲間たちと共に自由を求めて蜂起するという史実に基づいた英雄譚だ。サイレント初期に短編映画として映像化されたことはあったものの、長編映画として作られるのはこれが初めて。イタリア史劇映画の十八番である古代遺跡を活用した臨場感あふれる巨大セットや大量のエキストラを動員した戦闘パニックは勿論のこと、権力と愛を巡る野心や陰謀の渦巻くスリルに満ちたストーリーが展開する。娯楽映画としての完成度は文句なしに素晴らしい。
 ただ、本作にはそれとはまた別に興味深い点がある。というのも、この作品でのスパルタカスはローマ軍を見事に打ち破って自由を手に入れ、しかも愛する人と結ばれてハッピーエンドを迎えてしまうのだ。そう、ローマ軍に敗北して惨殺されたという史実を100%無視してしまったのである。'08年の短編バージョンがどのような内容だったかは分からないが、少なくともハッピーエンド版の『スパルタカス』というのは他に知らない。やはり、ヒーローが非業の最期を遂げるというのは、当時の映画マーケティング的に受け入れがたいものがあったのだろう。他にも人物設定やプロットに独自のアレンジが加えられている。これは、実在したスパルタカスの物語から着想を得たフィクションとして楽しむべきなのかもしれない。
 ちなみに、スパルタカス役の俳優をルチアーノ・アルベルティーニとする資料を多く見かけるが、これは大きな間違い。そもそも本編に配役表がクレジットされておらず、当時の資料も出演者をアルファベット順に記載したものばかりなので、恐らく一番最初に名前の来るアルベルティーニを主演スターと勘違いしたのであろう。実際の映像を見れば、マリオ・グアイタ・アウソニアがスパルタカス役であることがハッキリと分かるはずだ。

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スパルタカスを目の仇にする剣闘士隊長ノリクス

剣闘士の競技会が開催される

優勝を手にしたのはスパルタカスだった

愛を確かめ合うスパルタカスとナローナ

 トラキアを征服したクラッスス率いるローマ軍が大勢の捕虜を連れて凱旋帰国する。その中には、トラキア軍で一番の強者と呼ばれた勇猛果敢な戦士スパルタカス(マリオ・グアイタ・アウソニア)とその妹イダミス、そしてスパルタカスの親友にしてイダミスの恋人であるアルテモン(ルチアーノ・アルベルティーニ)の姿もあった。イダミスはクラッススの愛娘ナローナの侍女となり、スパルタカスとアルテモンは剣闘士として訓練されることとなる。
 野心的で尊大な父親とは正反対に穏やかで心優しいナローナは、悲しみに暮れるイダミスを妹のように可愛がった。そんな彼女の美しさと優しさにスパルタカスは惹かれ、ナローナもまた強いばかりでなく謙虚で礼儀正しいスパルタカスにときめきを覚える。だが、剣闘士のリーダーで卑劣な男ノリクス(アキーレ・マエローニ)はナローナに横恋慕しており、スパルタカスのことを目の仇にするのだった。
 クラッススの勝利をたたえて剣闘士の競技会が開かれることとなった。コロシアムに集められた剣闘士たちはトラキア側とノリクス側に分かれ、命懸けの激しい死闘を演じる。アルテモンはノリクスの刃に倒れて重傷を負ってしまうが、最終的に勝利を手にしたのはスパルタカスだった。勝者への褒美として、スパルタカスには二つの選択肢が与えられる。剣闘士のリーダーとなるか、それとも自由の身となるか。祝宴の日までに決めなければならなかった。
 今やお互いへの気持ちをしっかり確かめ合ったスパルタカスとナローナ。もし彼女が一緒にトラキアへ帰ってくれるのであれば自由の身を、そうでなければこのまま一生奴隷の身でいると、スパルタカスは彼女に伝える。その深い愛に感動したナローナは、共に彼の故郷で暮らすことを約束した。ところが、いよいよ訪れた祝宴の晩、クラッススはスパルタカスにアルテモンと戦うよう命じる。妹の恋人でもある無二の親友と戦うことなど考えられない。どこまでトラキア人をバカにするのか。怒りの収まらないスパルタカスは自らの剣を抜いて暴れ出し、ついにはアルテモンら仲間を率いて反乱軍を結成。ヴェスヴィウス山に立てこもった。
 すぐさまクラッススは元老院を説得し、自らがローマ軍を率いてスパルタカス一味の鎮圧に乗り出す。ナローナとイダミスは反乱軍に合流しようとしたが、その途中でノリクスに捕えられてしまった。しかし、反乱軍の奇襲作戦が功を奏し、ローマ軍はあえなく敗北。晴れて自由の身となったスパルタカスと仲間たちは、英雄としてローマ市民から熱狂的な歓迎を受ける。
 これに腹を立てたのがノリクス。彼はスパルタカスがナローナと結婚してローマを我がものにしようと企んでいるなどと吹聴し、ローマ市民の彼に対する反感を煽ろうとした。そればかりか、彼は金で買った刺客を使ってクラッススの実弟ヘロシウスを殺害し、その罪をスパルタカスに着せようと計画する。偶然にもその陰謀を知ってしまったイダミスだったが、ノリクスに捕えられてコロシアムの地下に幽閉されてしまう。
 その頃、スパルタカスはナローナからの手紙を受け取っていた。中庭で落ち合おうというのだ。だが、それはノリクスの仕掛けた罠。スパルタカスの剣を盗んだノリクス一味は、それを使って中庭でヘロシウスを殺害。そこへ、何も知らないスパルタカスが現れ、その場で犯人として捕えられてしまった。無実を主張するスパルタカスだったが、現場に残された剣が証拠となって有罪を言い渡され、コロシアムでライオンの餌食にされることとなってしまう…。

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クラッススの横暴に憤慨して蜂起したスパルタカスたち

反乱軍は日毎にその数を増やしていく

自らローマ軍を率いて鎮圧に乗り出すクラッスス

反乱軍の奇襲作戦は大成功だった

 監督のジョヴァンニ・エンリコ・ヴィダーリはもともと俳優出身で、映画の演出はこれが2作目。とはいえ、新人らしからぬ堂々たる仕事ぶりを披露しており、わずか9年間で40本以上の映画を監督することとなった。特に登場人物たちの心理描写はとても丁寧で、単に派手な群衆シーンやチャンバラシーンを見せるだけの歴史スペクタクルに終始していないのは評価に値するだろう。後半のサスペンスの盛り上げ方もなかなか上手い。
 原作となったのは19世紀末に活躍したイタリアの大衆作家ラファエロ・ジョヴァノーリの小説。当時既に70代半ばだった晩年のジョヴァノーリ本人が脚本も手掛けている。また、自らイタリア映画草創期の演出家であり、トリノの映画会社パスカーリ社の創設者でもあるエルネスト・マリア・パスカーリが製作を担当している。
 なお、本作には幾つかのバージョンが存在しているのだが、上記のアメリカ盤DVDがどうやら現存する最も長いバージョン。当時のオリジナル完全版は88分あったらしいので、10分ほど短いことになる。

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ローマ軍を破って自由を手にしたスパルタカス

ノリクスはスパルタカスを失脚させるべく罠を仕掛ける

陰謀計画を知ったイダミスは地下に幽閉される

殺人の濡れ衣を着せられたスパルタカス

 主人公スパルタカス役を演じているマリオ・グアイタ・アウソニアは、もともとその端麗な容姿と肉体美を活かして写真モデルをしていたらしく、他のモデル2人と組んで“トリオ・アウソニア”なるグループを名乗っていた。どのような趣旨のモデルだったのかは不明だが、現存するポストカードには筋肉質な肉体を惜しげもなくさらしたイケメンが3人。本作をきっかけに売れっ子俳優となったようだが、トーキーの到来と共に消え去ってしまった。どことなくクリス・ノース(『Sex and the City』のミスター・ビッグ)に似ている。
 その親友であるアルテモン役を演じているのが、『怪力サムソン』('19)などの英雄サムソン・シリーズで人気を博した俳優ルチアーノ・アルベルティーニ。もともとサーカスの曲芸師として有名だった彼は本作で映画デビューを果たし、その端正な顔立ちとマッチョな肉体を活かして史劇映画で活躍。その後、ドイツ映画界でも引っ張りだこになり、さらにはハリウッドの連続活劇に主演したり、アレクサンドル・ドヴジェンコ監督の名作ソビエト映画『武器庫』('29)に出演したりと国際的な俳優となったものの、トーキー時代の流れについていけず引退。晩年は精神病院で暮らしていたという。
 悪役のノリクスを演じているアキーレ・マエローニは、戦前のマリオ・カメリーニやカルミネ・ガローネの作品には欠かせなかった脇役俳優。1964年に83歳で亡くなるまで息の長い役者生活を続け、フェリーニの『青春群像』('53)やマルコ・フェレーリの『女王蜂』('63)などにも小さい役で顔を出している。

 

Christus (1914)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2005 Gravevine Video (USA)
画質★☆☆☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤DVD-R)
モノクロ(着色)/スタンダードサイズ/ステレオ(伴奏音楽のみ)/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:AL
L/82分/製作:イタリア

特典映像
短編サイレント映画The Death of Christ (1906年製作)収録
監督:ジュゼッペ・デ・リグオロ
原案:ヴィクトル・デ・ルサック
脚本:エンリコ・サンジェルマーノ
撮影:グイド・ジオッティ
出演:アレッサンドロ・ロッカ
   ジュリア・カッシーニ=リゾット
   リア・モネシ=パッサーロ
   アルフォンソ・カッシーニ
   マチルデ・グラニーロ
   エミリア・ポッジ=リッチ

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マリアの前に姿を現した天使

ヨゼフとマリアの夫婦はとても貧しかった

大空を埋め尽くす天使たち

東方の王たちはイエスの誕生を祝福した

 これは戦前の日本へも輸入されたチネス社の同名作品ではなく、その2年前にシチリアのエトナ社が製作したもの。当時のトリック撮影技術やシチリアの古代遺跡を使ったロケ、そして数えきれないほどのエキストラを駆使しながら、イエス・キリストの人生を映像化したイタリアお得意のスペクタクル史劇である。
 ストーリーは部分的に独自の解釈がなされてはいるものの、基本的には誰もが知っているキリストの物語そのまま。とはいっても、約1時間半の上映時間に納めなければいけないものだから、かなり駆け足のダイジェスト版的な内容になっている。しかも、ことさらキリストの偉大さを際立たせるような描き方がなされているので、まるでお子様向けの“イエス・キリスト物語”的な絵本を映画にしてしまったかのような印象だ。恐らく、文字が読めない人でも分かるような作品にしたかったのであろう。なので、現代の鑑識眼で見れば底が浅くて稚拙極まりない映画としか言いようがない。
 ただ、聖母マリアの前に天使がスーッと現れるシーンや、イエスの誕生を祝して天使の大群が空を埋め尽くすシーン、イエスが水の上を歩くシーンなどのトリック撮影は、テクニックとして原始的であるからこそ逆に興味深いものがある。また、スタジオ・セットの代わりに古代遺跡をフル活用した屋外ロケ・シーンもなかなか見応えがある。
 さらに、本作はイタリア映画史においても少なからず重要性を持つ映画だ。製作を手掛けたエトナ社が拠点を置いていたシチリア第2の都市カターニアは、サイレント期イタリア映画の金字塔であるスペクタクル超大作『カビリア』('14)が撮影された場所(撮影は1913年)であり、それをきっかけにして当時イタリア最大と呼ばれた巨大な映画撮影スタジオが建設された土地でもあった。たちまちカターニアは“シチリアの映画都市”と呼ばれるようになり、エトナ社は地元を代表する映画会社となった。短編コメディから長編メロドラマまで、矢継ぎ早に数えきれないほどの映画が作られたのだが、その中でも最大規模の製作費を投じて作られたのが本作だったのである。
 1914年のクリスマス・シーズンに合わせて劇場公開された“Christus”。ところが、第2の『カビリア』を夢見た会社側の期待とは裏腹に興行成績は惨敗。エトナ社は多額の負債を抱えることとなり、折から勃発した第一次世界大戦の混乱も重なって1916年に撮影スタジオは閉鎖。ほどなくしてエトナ社も倒産に追い込まれた。つまり、カターニアの映画バブルを崩壊に招いたのが本作だったというわけだ。

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ユダヤの統治者ヘロデ王はイエスの存在を疎む

2歳以下の幼児を虐殺する兵士たち

ヨゼフとマリアはイエスを連れてエジプトへ逃れた

立派な青年へと成長したイエス・キリスト

 冒頭、マリアの前に天使が現れ、これから生まれてくる息子にイエスと名付けるよう告げる。その頃、世界征服の野望に燃えるローマ皇帝アウグストゥスは、全ての庶民に住民登録を義務付けることを決めた。貧しい町ナザレスに住むヨゼフとマリアの夫婦も、手続きのためエルサレムへ向かうこととなる。だが、その途中でマリアが産気づいてしまい、立ち寄ったベツレヘムの馬小屋で息子イエスを出産する。その瞬間、馬小屋には天空からの光が差し、まるでイエスの誕生を祝福するかのごとく大空を天使たちが埋め尽くした。それを見た東の王たちや羊飼いたちが、星に導かれながらイエスのもとを訪れる。彼らはイエスのことを“ユダヤの王”と認定した。
 だが、これを聞いて激怒したのはユダヤの統治者ヘロデ王。イエスの存在を脅威に感じたヘロデ王は、ベツレヘムに軍隊を送り込んで2歳以下の幼児を虐殺してしまう。だが、事前に天使から危険を知らされていたヨゼフとマリアはイエスを連れてエジプトへと逃れ、その後エルサレムへと戻ったのだった。
 イエスは幼い頃から聡明で思慮深く、子供でありながら人々から崇められる存在となっていく。神殿には彼の御言葉を求めて大勢の人が集まった。やがて立派な青年へと成長した彼(アレッサンドロ・ロッカ)は、高潔で慈悲深い人物として町の誰からも崇拝される。優雅な生活を送っていた高級娼婦マグダラのマリアも、そんなイエスの姿に感銘を受けて自らの職業や生活ぶりを恥じるようになり、イエスの許しと祝福を得て神の道へと入った。
 やがて、イエスはユダヤの不平等な古い法律を否定し、金貸しや商人を神殿から追放する。そして恵まれない子供たちに施しを与えた。他にも、水の上をやすやすと歩いたり、死者ラザロを蘇らせたり、悪魔の誘惑をはねのけるなどの偉業や奇跡を重ね、エルサレムの人々から絶大な信頼を集めるようになっていった。だが、これを苦々しい思いで見ていたヘロデ王配下の権力者たちやパリサイ人の聖職者たちはイエスの失脚を計画し、彼の使徒の一人ユダを買収する。欲深くで邪まなユダは銀貨と引き換えにイエスを引き渡すことを約束した。
 そして、最後の晩餐の後、ゲツマセネの園で祈ったイエスは、ユダの手引きで待ち構えていた兵士たちによって捕えられる。裁判とは呼べない裁判、そして不信心者の兵士や大衆による酷い仕打ちにひたすら耐え続けたイエスは、ゴルゴダの丘で十字架に張り付けられることとなるのだった…。

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イエスの姿を見て己を恥じるマグダラのマリア

水の上を歩いて人々を驚かせるイエス

死者ラザロを甦らせたイエス

悪魔の誘惑にも負けなかった

 といった具合に、全体としては有名なエピソードの再現を羅列していっただけ。物語としての統一性が著しく欠如していることは否めない。見どころであるスペクタクル・シーンにしても、同時代の『クオ・ヴァヂス』('12)や『カビリア』('14)に比べると小ぢんまりとした印象。エトナ社にとっては社運を賭けた大作だったのかもしれないが、興行的に失敗してしまったのも致し方ないところだろう。
 監督はイタリア映画草創期を代表する名匠の1人ジュゼッペ・デ・リグオロ。もともと19世紀末から舞台の演出家として活躍していたが、1908年にミラノのイタリア映画製造会社(SAFFI)に入って映画監督へ転身した。文芸作品や歴史ドラマなどを得意とした人だったらしく、なんと当時は1年間に14〜5本もの映画を手掛ける売れっ子監督だったようだ。その実績を買われてエトナ社へ招かれたのだろう。しかも、当時はトリノのグロリア社の仕事も掛け持ちしていたらしい。
 だが、どちらの映画会社もほぼ同時期に倒産してしまい、その後はローマやトリノを拠点に'25年頃まで第一線で活躍していた。ただ、彼のフィルモグラフィーで後世に語り継がれているような作品は、ダンテの「神曲 地獄篇」を初めて映画化した『ダンテの地獄廻り』('11)くらいのもの。しかも、これとてフランチェスコ・ベルトリーニやアドルフォ・パドヴァンとの共同演出だ。20年近くのキャリアで90本以上の映画を手掛けた人だが、その殆どが忘れ去られてしまっている。

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最後の晩餐の様子

いかにも腹黒く憎々しげな男として描かれるユダ

ユダの裏切りで兵士に捕えられたイエス

十字架を背負ってゴルゴダの丘へと連行されていく

 なお、当時の映画はスタッフやキャストの名前が一部しかクレジットされていない場合が多く、本作もそのご多聞に漏れない。しかも、どういう理由があるのか分からないが、イタリア語の配役表ではキリスト以外のキャラクター名がなぜか変更されており、その一方で現存する英語版フィルムは聖書通りの名前が当てはめられているため、役柄と役者の名前を照らし合わせることが出来ない。なので、明確になっている範囲内でスタッフやキャストに言及してみたい。
 まず、原案のヴィットリオ・デ・ルサック及び脚本のエンリコ・サンジェルマーノの素性については全く分かっていない。また、撮影監督のグイド・ジオッティについても、当時エトナ社の作品を何本か手掛けていたことが確認できるだけ。恐らく、いずれも当時エトナ社が地元カターニアで雇った人材だったのだろう。
 それはキャストにも同じことが言える。キリスト役のアレッサンドロ・ロッカを含め、出演者の多くがエトナ社時代のデ・リグリオ監督作品にしか出た形跡がない。そんな中、イタリア語版配役表でいうところのクセニア役のジュリア・カッシーニ=リゾットとヒシオ役のアルフォンソ・カッシーニ、フルバ役のオレステ・グランディの3人は、ローマやトリノなどの他社作品にも数多く出演したプロの映画俳優だったようだ。

 

アッスンタ・スピーナ
Assunta Spina (1915)
日本では劇場未公開/特殊上映のみ
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2003 Kino Video (USA)
画質★★☆☆☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ(着色)/スタンダードサイズ/ステレオ(伴奏音楽のみ)/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:AL
L/62分/製作:イタリア

特典映像
記録映画“The Last Diva: France
sca Bertini”('82年/85分)
監督:グスタヴォ・セレーナ
   フランチェスカ・ベルティーニ
製作:ジュゼッペ・バラットーロ
原作:サルヴァトーレ・ディ・ジャコモ
脚本:フランチェスカ・ベルティーニ
   グスタヴォ・セレーナ
撮影:アルベルト・G・ガルタ
出演:フランチェスカ・ベルティーニ
   グスタヴォ・セレーナ
   カルロ・ベネッティ
   ルチアーノ・アルベルティーニ
   アメリア・チプリアーニ
   アントニオ・クルイチ

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ナポリに暮らす庶民の娘アッスンタ(F・ベルティーニ)

フィアンセのミケーレ(G・セレーナ)

ヤクザな男ラファエレ(L・アルベルティーニ)がつきまとう

ミケーレに嫌がらせの手紙を送るラファエレ

 サイレント期のイタリア映画界が誇る最高のディーヴァ、フランチェスカ・ベルティーニの代表作。南イタリアの文壇を中心に盛んだったヴェリズモ(真実主義)の作家サルヴァトーレ・ディ・ジャコモの同名小説を原作に、その美しさと気高さゆえに男たちを惑わせ、自らも破滅の道を歩んでいく庶民の娘アッスンタ・スピーナの悲劇を描いた大衆メロドラマである。
 主人公はナポリに住む若くて美しい娘アッスンタ。彼女にはミケーレという許婚がいるものの、その一方でラファエレという若い男がストーカーのように付きまとっていた。その嫌がらせにまんまと乗せられたミケーレが嫉妬でアッスンタを傷つけてしまい、傷害罪で2年の懲役刑を言い渡されてしまう。愛する人が遠くの刑務所へ送られてしまうと嘆き悲しむアッスンタに近づいてきたのは、裁判所で働くフェデリコという既婚の中年男。ミケーレをナポリの刑務所に留まらせて会えるようにする代わりとして、彼が求めたのはアッスンタの肉体だった。それから歳月が経ち、いつしかミケーレへの情熱も失せ、フェデリコに思いを寄せるようになったアッスンタ。だが、所詮は愛人の身であり、しかもフェデリコは彼女に飽きてきていた。そんな折、ミケーレが予定よりも早く出所してくる。罪悪感に苛まれたアッスンタは、つい自分の不実を彼に告白してしまうのだが…。
 イタリア南部の貧困層の置かれた現実を徹底したリアリズムで描いたのがヴェリズモという文学運動だったわけだが、本作はその精神をなるべく忠実にスクリーンの上で再現することに成功している。中でも、ナポリの街中にカメラを持ち出し、人ごみの中で役者に演技をさせることで、市井の人々の日常生活をそのまま物語の背景として使ったのは効果テキメン。まるでドキュメンタリーのようなリアリズムと躍動感を作品に与えている。また、サイレント映画にありがちな仰々しい演技を極力排し、限りなく自然な感情表現を貫いたベルティーニの力強い演技も高く評価されて然るべきであろう。
 ただ、物語そのものは古典的な愛憎劇であるし、主演コンビが自ら演出を手掛けたという先駆性は買うものの、カメラの構図や編集などは当時のハリウッド映画やドイツ映画に比べると明らかに荒削りで未熟だ。それでもなお、晩年のベルティーニが“『アッスンタ・スピーナ』こそネオレアリスモの原点だ”と誇らしく語っていたように、そうした弱点を補って余りあるほどの迫力と説得力を持つ作品でもある。しかも、こうした男女の複雑な愛憎劇というのは、当時の一般的な映画だとブルジョワ階級を舞台にしたものが圧倒的に多かったのだが、本作は社会の底辺に生きる男女を主人公にすることで、より生々しくも人間臭い愛欲の世界を描いている。そういった意味では、とても革新的で芸術性の高い映画と言えるだろう。

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婚約を祝ってパーティを開くアッスンタとミケーレ

人目もはばからずアッスンタに言い寄るラファエレ

激怒したミケーレがラファエレに掴みかかる

アッスンタは逆上したミケーレに顔を傷つけられる

 ナポリの町外れで父親と暮らす若くて美しい娘アッスンタ・スピーナ(フランチェスカ・ベルティーニ)には、年上の男性ミケーレ(グスタヴォ・セーナ)という許婚がいた。しかし、彼女にプロポーズを断られたヤクザな男ラファエレ(ルチアーノ・アルベルティーニ)は嫉妬深い性格で、なにかにつけてアッスンタの周囲をつけ回す。あえて無視したり軽くあしらったりするアッスンタだったが、それがかえってラファエレの執着心を刺激するのだった。
 恨みつらみの積もったラファエレは復讐心に駆られ、ミケーレにアッスンタの浮気をほのめかすような手紙を匿名で送る。不安になったミケーレは抜き打ちでアッスンタの家を訪ねるが、もちろん彼女が浮気などしているはずもない。アッスンタの経営する洗濯屋とミケーレの経営する肉屋は共にナポリ市内の近所にあり、2人は日頃からお互いの店を行き来しながら愛情を深めていった。そして、彼女の誕生日にミケーレは婚約指輪をプレゼントする。
 ある日、アッスンタとミケーレはお互いの親族や店の従業員を招いて、ポシリポのレストランで婚約祝いのパーティを開いた。だが、そのことを知ったラファエレが店へ現れてアッスンタにしつこく迫り、プライドを傷つけられたミケーレはすっかりヘソを曲げてしまう。困ったアッスンタは彼の気を引くために、わざとラファエレとダンスを踊って見せるのだが、それが逆効果となってしまう。ブチ切れたミケーレはラファエレに掴みかかり、すっかり気まずい空気が流れてしまった。しかも、その帰り道に腹の虫の収まらないミケーレがアッスンタの顔をナイフで切りつけてしまい。傷害罪で警察に逮捕されてしまう。
 自分のせいで彼が犯罪者になってしまったと責任を感じたアッスンタは、裁判で彼のことを弁護するのだったが、判決は2年の懲役刑。しかも、遠く離れたアヴェリーノの刑務所に送られてしまうという。2年間もミケーレに会うことが出来ないなんて耐えられない。そう嘆く彼女にいやらしい笑みを浮かべながら近づいたのが、裁判所で副判事長を務める中年男フェデリコ(カルロ・ベネッティ)だった。自分だったらミケーレをナポリの刑務所に留まらせる権限がある、1カ月に最低でも2回は会わせてあげると言い寄るフェデリコ。だが、その見返りとしてアッスンタは自らの肉体を彼に捧げねばならなかった。はじめは嫌悪感を覚えて拒絶する彼女だったが、愛する人のためと思い我が身を犠牲にする覚悟を決める。
 ミケーレとの絆を確かめるため、そして汚らわしいフェデリコとの関係を一時でも忘れるため、アッスンタは刑務所へと足しげく通った。しかし、悲しいことにかつてあれほど燃え上がったミケーレへの愛情は冷めていくばかり。やがてミケーレからの手紙にも返事を出さなくなってしまった。
 それから月日が経ち、クリスマスを2日後に控えたある冬の日。今ではフェデリコに愛情を感じるようになっていたアッスンタだったが、彼はすでに彼女に飽きてきていた。しかも、彼には家庭がある。日陰者の愛人としての辛さや寂しさに絶望を感じるアッスンタ。それでも、せめて二人だけで早めのクリスマスを祝いたいと手料理を用意して店で待つのだった。
 ところが、そこへ予定よりも早く出所したミケーレがやって来た。何も知らずにアッスンタとの再会を喜んで興奮するミケーレ。罪悪感に苛まれた彼女は、どう接していいのか分からない。ミケーレもアッスンタの様子がおかしいことに気付いた。何があったのかと問い詰める彼に、アッスンタは自らの不実を告白してしまう…。

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ミケーレは傷害罪で逮捕されてしまった

裁判所へと赴くアッスンタ

ミケーレを擁護するアッスンタだったが…

判決は2年の懲役刑という重いものだった

 もともと本作の企画を思いついたのはベルティーニ自身で、彼女自らが作者ディ・ジャコモに映画化の権利を直接かけ合ったのだという。ナポリの街頭でロケをし、素人を出演させるというネオレアリスモを先駆けたアイディアも彼女の発案。脚本の執筆と演出にも携わっており、文字通り全身全霊をかけて打ち込んだ野心作だった。ただ、当時の庶民は映画の街頭ロケというものに慣れておらず、スタッフやキャストは通行人から邪魔だとトマトを投げつけられたこともあったそうだ。
 撮影監督を担当したアルベルト・G・ガルタはベルティーニ主演作の殆どを手掛けた人物で、彼女が全幅の信頼を置いていたカメラマン。カムバック作品“Odette”('35)でも、当時第一線を退いていたガルタをわざわざ起用したほどだった。また、屋内シーンの美術セットをデザインしたアルフレッド・マンツィもベルティーニ御用達のスタッフである。
 なお、本作は戦後アンナ・マニャーニの主演で再映画化された。

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弱みにつけ込んで言い寄るフェデリコ(C・ベネッティ)

アッスンタの情熱は次第に冷めていく

フェデリコに思いを寄せるようになったアッスンタ

刑期を早く終えたミケーレにアッスンタは当惑する

 もともとディーヴァ(女神)という形容詞はオペラのプリマドンナに対して使われていた言葉だが、映画界で最初にそう呼ばれるようになったのがベルティーニ。当時のイタリア映画界は彼女のようにゴージャスなスター女優が持てはやされ、まさに“ディーヴァの時代”とも呼ぶべき賑やかさだった。中でも人気・実力共に突出していたのが、ベルティーニとリダ・ボレッリ。舞台演劇的で古典的なボレッリの演技に対して、ベルティーニは映画ならではのリアルでモダンな演技を身上とし、2人は全く対照的な個性を持つ女優としてライバル関係にあったという。本作は、そんな彼女の地位と名声を決定づけた大ヒット作であり、以降彼女はイタリア版ガルボとも言うべき華やかなキャリアを歩んでいくことになる。かの大作曲家ジャコモ・プッチーニも彼女の大ファンだったそうだ。
 しかし、トーキーの時代になると“白い電話”と呼ばれる品行方正なブルジョワ・ドラマが主流となり、彼女のような“ディーヴァ”は時代遅れとなってしまった。折しも20世紀フォックスから数百万ドルという当時としては破格の契約金でハリウッド進出をオファーされた彼女だったが、これを断ってスイスの裕福な銀行家と結婚。戦後は一切人前に姿を現さず、映画祭や回顧上映などへの招待も断り続けていたそうだ。そんな彼女を説得して映画界へ復帰させたのがベルナルド・ベルトルッチ監督。84歳にして『1900年』('76)の尼僧役でスクリーンにカムバックを果たした。'82年には彼女の偉業にスポットを当てたドキュメンタリー映画にも出演。“ベルティーニのような女優は2度と現れることはない”と自ら言いきってしまうその揺るぎない自信と誇り高さに、彼女が“ディーヴァ”と崇められた理由を垣間見ることが出来るだろう。
 アッスンタの許婚ミケーレ役を演じ、ベルティーニと共に脚本と演出を手掛けたグスタヴォ・セレーナは、もともとローマの有名な舞台俳優であり、映画でも『ロミオとジュリエット』('12)のロミオ役や名作『クオ・ヴァヂス』('12)の主人公の叔父ペトロニオ役などで親しまれた名優。本作以外にもベルティーニとの共演作が数多い。
 さらに、下心あってアッスンタに近づく中年男フェデリコを演じるカルロ・ベネッティも、当時ベルティーニ主演作で脇役を務めることが多かった俳優。また、アッスンタにつきまとうヤクザな男ラファエレ役には、前出の『スパルタカス』にも出ていた肉体派二枚目俳優ルチアーノ・アルベルティーニが扮している。

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『毒蛇』('18)のベルティーニ

“Odette”('35)のベルティーニ

インタビューに応える晩年のベルティーニ

 

 

剛鉄の人
L'uomo meccanico (1921)
日本劇場公開年は不明
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2005 Alpha Video (USA)
画質★☆☆☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ(着色)/スタンダードサイズ/ステレオ(伴奏音楽のみ)/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:AL
L/26分/製作:イタリア

特典映像
ウィル・ロジャース主演映画“The Headless Horseman”収録
監督:アンドレ・デード
脚本:アンドレ・デード
撮影:アルベルト・ケントレンス
出演:クレティネッティ(アンドレ・デード)
   ヴァレンティナ・フラスカローリ
   マティルデ・ランベール
   ガブリエル・モロー
  
フェルディナンド・ヴィヴァス=メイ

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仮病を使って脱獄を図る悪女マドー(V・フランスカローリ)

火災のパニックに乗じて看護婦の衣装を盗む

エレナ(M・ランベール)と恋人サルタレッロ(A・デード)

超人的な破壊力で強盗を重ねる機械人間

 恐らく、イタリアで作られた最初のSF映画。そればかりか、世界の映画史を振り返ってみた場合でも、これはホルガー・マドセン監督のオランダ映画『火星旅行』('17)と並んで最も初期に作られた本格的なSF映画と呼んでいいかもしれない。ストーリーはいたって単純。とある天才科学者が超人パワーを持った機械人間(ロボット)を開発するものの、盗賊団の女首領マドーによって科学者は殺され、設計図も奪われてしまう。やがて、マドーに操られた機械人間が世間を恐怖のどん底に落としいれるのだが、殺された科学者の弟がもう一体の機械人間を完成させ、最後はオペラハウスを舞台に正義の機械人間と悪の機械人間が壮絶(?)な死闘を演じることとなる。ノリとしては当時の連続冒険活劇に近いものがあると言えよう。
 監督はフランスの元祖喜劇王アンドレ・デード。今では殆んど忘れられてしまった人だが、草創期のフランス映画界で絶大な人気を誇ったコメディアンだった。フランスの喜劇王といえば、あのチャップリンが芸風スタイルを真似したとされるマックス・ランデが有名かもしれないが、実はそのランデの芸風の元になったのがこのデードだとも言われている。本国のみならず世界中で人気を博した彼は、ここ日本でも“新馬鹿大将”という愛称で親しまれた。しかし、1915年頃からイタリアに活動の拠点を移すようになり、クレティネッティというイタリア風の芸名を使用。コメディアンとしてのみならず監督としても活躍するようになる。そのイタリア時代の作品の一本が、この『剛鉄の人』というわけだ。
 もともとトリック映画の王様ジョルジュ・メリエスの作品でキャリアをスタートさせた人なだけに、機械人間というのはデードらしいアイディアだと言えるだろう。ただ、メリエスの『月世界旅行』('02)や『不可能な世界への旅』('04)が科学的根拠に乏しい完全な空想ファンタジーだったのに対し、本作は荒唐無稽でありながらも基本的にはリアルな設定と描写が貫かれている。リモコン操作で動く機械人間、その様子をリアルタイムで映し出すスクリーンモニターなど、恐らく当時の観客にとっては夢物語だったのかもしれないが、そもそも無線リモコンで機械を動かす技術の開発は20世紀初頭に始まっていたし、動く映像を電波で送信するテレビジョンの開発はさらに遡って19世紀末から始まっていた。つまり、本作で描かれている空想科学的要素というのは、当時の科学技術や理論でも十分に説明のつくものばかりなのだ。冒頭で本作のことを“本格的なSF映画”と説明した理由はそこにある。
 ただ、先にも述べた通りストーリーの基本は冒険活劇であり、なおかつデード監督自身がクレティネッティの名前で主演を兼ねていることからも推察できるように、古典的なドタバタ喜劇の要素もふんだんに盛り込まれている。なので、その数年後に作られたソビエトの『アエリータ』('24)やドイツの『メトロポリス』('27)に比べると、SF映画としての面白さはあまり感じられないかもしれない。
 なお、本作のマスターフィルムは既に消失しており、ブラジルで発見された26分の上映用コピーが現存する唯一のフィルムとなっている。もともとの上映時間は80分近くあったというのだから、全体の3分の2近くが失われたままということになるだろう。ただ、不幸中の幸いだったのは、中盤以降の見せ場の殆どがその26分のフィルムに含まれているということ。もちろん、クライマックスの機械人間大激突も丸々収録されている。ある意味、ダイジェスト版として美味しいところだけを楽しめるというわけだ。

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機械人間を止めることが出来る者は誰もいない

猛烈なスピードで車を追いかける機械人間

オペラハウスの仮装パーティに現れた機械人間

人々は参加者の仮装だと勘違いする

 天才的な科学者ダーラ博士が、電波を使って遠隔操作の出来る機械人間を開発した。それは超人的な破壊力を持ち、猛スピードで走ったり火を噴いたりすることも出来るロボット兵器だ。ところが、それを知った盗賊団の女リーダー、マドー(ヴァレンティナ・フラスカローリ)によって博士は殺されてしまい、機械人間の設計図もまんま盗まれてしまう。
 しかし、警察の有能な刑事ランベルティ(フェルディナンド・ヴィヴァス=メイ)の活躍で盗賊団は一網打尽にされ、悪女マドーもあえなく逮捕された。有罪判決を受けて刑務所へ収監されるマドー。しかし、彼女は仮病を使って病棟へと移送され、看護婦の目を盗んで病室に火を放つ。そして、病棟が大パニックに陥る中、その混乱に乗じて看護婦の制服を盗み、まんまと脱走することに成功してしまったのだ。
 さらにマドーはダーラ博士の姪エレナ(マティルデ・ランベール)を誘拐し、催眠術を使って機械人間の秘密を聞き出すことに成功する。かくして、機械人間を完成させたマドー。秘密基地に建てられたコントロール・パネルとスクリーン・モニターを駆使して機械人間を操作し、次々と強盗犯罪を重ねていく。無敵のパワーを持った機械人間を止めることが出来る者などいなかった。
 一方、エレナの恋人サルタレッロ(クレティネッティ)は機械人間の暴走を止めようと奔走するが、なにしろおっちょこちょいで単細胞な人間ゆえに失敗ばかり。その度に、犯罪者と間違えられて警察に逮捕されてしまう。機械人間に追われて車で逃走した際にも、助けに駆け付けた警官隊を強盗団と勘違いして発砲したことから、公務執行妨害で身柄を拘束されてしまった。
 その頃、オペラハウスで開催されている仮装パーティに機械人間が現れる。誰もが、今話題の機械人間に仮装した来賓だと勘違いし、疑われることなくパーティ会場へ入ることが出来た。主催者である美しい富豪令嬢とお近づきになる機械人間。上機嫌でシャンパンに舌鼓を打つものの、それを見た令嬢の恋人が黙っていなかった。機械人間に掴みかかろうとする男性だったが、その怪力であえなく殺されてしまう。人々はようやく機械人間が本物だと気付いた。
 一転して大パニックとなるパーティ会場。機械人間は令嬢のドレスを引き裂いて半裸にし、バルコニーの上から放り落として殺してしまう。絶体絶命の危機に陥ったパーティ参加者たち。すると、そこへもう一体の機械人間が現れる。ダーラ博士の弟であるエレナの父親(ガブリエル・モロー)が新たに完成させた、正義の機械人間だった。火花を散らして壮絶な戦いを繰り広げる両者だったが、互角のパワーを持っているがためになかなか決着がつかない。その頃、警察署から逃走したサルタレッロがマドーの秘密基地へと潜入していた…。

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拉致した令嬢のドレスを引き裂く機械人間

正義VS悪の機械人間大激突

スクリーンモニターを見ながら操作するマドー

サルタレッロはこっそりとマドーの秘密基地へ忍び込む

 まず機械人間の造型や動きはなかなか良く出来ている。ただ単に人間が中へ入っているだけではなく、恐らくクレーン車の技術を応用しているのであろう、長く伸びた腕を動かして物を掴んだり運んだり、必要に応じて火を噴いたりといった芸当まで見せてくれるのだ。大きさも恐らく2メートル以上はあるだろうか。後の『禁断の惑星』('56)のロビーや『ロボット・モンスター』('53)よりも、もしかすると完成度は高いかもしれない。また、機械人間が全速力で車を追いかけるシーンも、単純に2枚のフィルムを重ね焼きしただけの原始的なトリック撮影なのだが、仕上がりはかなり自然で見栄えがいい。さすが、当時世界最大級の映画大国だったイタリアならではの見事な職人技と言えよう。ただ、仮装パーティに現れた機械人間が富豪令嬢に惹かれるという展開は、彼が悪女マドーに操作されているということを考えると不自然。それとも、マドーがレズビアンだということを暗にほのめかしているのだろうか…?
 その悪女マドーの巧妙な脱獄計画の過程もまた非常に面白い。仮病を使って病棟へ移送される際なんかも、やはり演技だけでは見破られてしまう可能性があると判断したのだろうか、自分の太ももに注射を打って薬物を投与し、リアルな発作を起こしてみせるのだからアッパレ。やはり映画は悪者が強くて賢くなければつまらない。
 加えて、女優が乳房を露出シーンが含まれているのも興味深いところ。90年前の映画でヌードシーン!?と驚く人もいるかもしれないが、実は当時の欧米映画で女性のセミヌードはそれほど珍しいものではなかった。もちろん、性的なシーンでの裸は倫理的にタブーであったものの、ただ単に乳房を見せるだけならば大した問題にならなかったと言えよう。事実、セシル・B・デミルやキング・ヴィダーの初期作品でも半裸の女性はたびたび出てくる。本作でも病院で治療を受けるマドーは上半身裸になるし、クライマックスでも機械人間にドレスを引き裂かれた富豪令嬢の乳房がポロリと露出する。なお、ハリウッドでヌードがご法度になったのはヘイズ・コードの施行された34年以降のこと。西側ヨーロッパでは基本的に禁止されたことはない。
 とまあ、いろいろと見どころのある作品なのだが、先述したように完全な形でフィルムが残されていないことや、当時の作品資料が極めて少ないということもあり、関わったスタッフやキャストの名前もごく一部しか判明していない。撮影監督を担当したのは、イタリア映画草創期の職人監督ウーゴ・グラッチのご贔屓だったカメラマン、アルベルト・ケントレンス。悪女マドー役を演じているヴァレンティナ・フランスカローリはデード夫人であり、彼の主演作・監督作の多くでヒロインを務めているイタリア女優。ダーラ博士の弟を演じているガブリエル・モローもデード作品の常連だったようだ。一方、可憐な乙女エレナ役のマティルデ・ランベールはフランスの女優と思われるが、詳細についてはよく分かっていない。

 

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