イタリアン・ゴシック・ホラー
傑作選
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“I Vampiri”(57)より |
『血ぬられた墓標』(60)より |
イタリアでホラー映画の製作が本格化したのは60年代に入ってからのこと。それまで、イタリア映画界でホラーというジャンルは存在しないに等しかった。57年にリカルド・フレーダ監督がイタリアで最初の本格的バンパイア映画“I
Vampiri(吸血鬼)”を発表するも、興行的には惨敗。
カトリックの総本山であるバチカンのお膝元であり、戦前から映画における暴力描写や性描写に対する検閲の厳しかったイタリアでは、ホラー映画を製作するのが難しいという業界の事情があった。また、『ニューシネマ・パラダイス』を見てもよく分かると思うが、イタリアでは家族や友人、恋人同士などグループ単位で映画を見に行くという習慣が根強く、誰もが楽しめるコメディや活劇、ラブ・ロマンスなどが主流だった。観客を選ぶホラー映画はそもそも需要がなかったのだ。
しかし、戦後の高度成長によって都市部を中心にイタリア人のライフスタイルも徐々に変化。ハリウッドから輸入されたホラー映画も人気を集めるようになった。そこに目をつけたのが“I
Vampiri”だったわけだが、当時としては時期尚早だったのだろう。つまり、国産のホラー映画という発想そのものが受け入れられなかったのである。
そんな折、58年に製作されたイギリスのハマー・プロ作品『吸血鬼ドラキュラ』が翌年ローマで公開され、当時としては驚異的な大ヒットを記録する。さらに、マリオ・バーヴァ監督のゴシック・ホラー『血ぬられた墓標』(60)が製作され、イタリア産ホラー映画としては初めて世界的な大成功を収めるに至った。
この時ならぬホラー映画ブームに、商魂逞しいイタリアの映画関係者が飛びつかないわけはないだろう。先陣を切ったのはレナート・ポルセッリ監督の『吸血鬼と踊り子』(60)。『血ぬられた墓標』よりも3ヶ月早く公開され、ホラー+お色気という組み合わせが受けて大ヒット。吸血鬼役を演じたウォルター・ブランディはイタリア版クリストファー・リーとして脚光を浴びた。
さらに、ジョルジョ・フェローニ監督の『生血(なまち)を吸う女』(60)やピエロ・レニョーリ監督の『グラマーと吸血鬼』(60)も相次いで公開され、かくしてイタリア映画界にホラー・ブームが巻き起こることとなったわけである。
当時イタリアで製作されたホラー映画は、古城を舞台に繰り広げられるゴシック・スタイルのものが圧倒的に多かった。ハマー作品や『血ぬられた墓標』の成功にあやかったことは明白なわけだが、撮影に適した城や邸宅、田園風景など豊かなロケーションに恵まれているというイタリアの環境的な事情もあったに違いない。メディチ家に代表される中世からの血塗られた歴史やルネッサンス文化の伝統なども、そうしたゴシック・ホラー・ブームの背景にあったはずだ。たとえスタジオにセットを組む予算がなくとも撮影は可能だし、小道具に使えそうな骨董品にも事欠かない。つまり、少ない予算で見栄えの良い映画を撮ることが出来るのだ。
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『白い肌に狂う鞭』(63)より |
『顔のない殺人鬼』(63)より |
イタリア産ゴシック・ホラーの名手といえば、やはりマリオ・バーヴァとアンソニー・ドーソン(アントニオ・マルゲリティ)の二人だろう。『血ぬられた墓標』でイタリアン・ホラーの帝王となったバーヴァは、エロスと文学の香り漂う美しい幽霊譚『白い肌に狂う鞭』(63)、そして耽美的な映像と想像力豊かなトリック撮影が魅力の『呪いの館』(66)という比類なき傑作をものにしている。
一方のドーソンも、古城に徘徊する妖怪のごとき殺人鬼にまつわる悲劇的なドラマを描いた『顔のない殺人鬼』(63)、この世に未練を残したことから夜ごと古城に蘇る幽霊たちの哀しみを描いた『幽霊屋敷の蛇淫』(64)という佳作を発表。どちらも様々なジャンルをこなす職人監督であり、手掛けたゴシック・ホラー作品の数も決して多くはないものの、これらの作品は数あるイタリア産ゴシック映画の中でも群を抜いた出来栄えだ。
また、『血ぬられた墓標』でイタリアを代表するホラー・クィーンとなった女優バーバラ・スティールも、数多くのゴシック・ホラー作品に主演。中でもリカルド・フレーダ監督の“L'orribile
segreto del
Dr.Hichcock(ヒチコック博士の恐ろしい秘密)”(62)とマリオ・カイアーノ監督の『亡霊の復讐』(65)は、60年代イタリアン・ホラーを代表する名作として人気が高い。
その他、先述したジョルジョ・フェローニ監督の『生血を吸う女』やダミアーノ・ダミアーニ監督の“La
strega in
Amore(恋に落ちた魔女)”(66)などがイタリア産ゴシック・ホラーの秀作として名高いが、一方でブームに便乗しただけの駄作・凡作も非常に多かった。さらに、60年代後半におけるジャッロ(猟奇サスペンス)映画の台頭や世界的なゴシック・ホラーの衰退などもあり、70年代に入るとイタリアで製作されるゴシック・ホラー作品は激減してしまう。
ただ、やはりゴシック・スタイルはイタリアン・ホラーの伝統であり、その後もオカルト映画やスラッシャー映画などのジャンルに形を変えて受け継がれている。そこで、今回は60年代に製作されたイタリア産ゴシック・ホラー映画を幾つか紹介してみたい。ただ、マリオ・バーヴァやアンソニー・ドーソンの作品、バーバラ・スティールの主演作については、別項で詳しく紹介しているので、そちらをご参照のほど。
グラマーと吸血鬼
L'ultima preda del vampiro
(1960)
日本では1964年劇場公開
VHS・DVD共に日本未発売
(P)1999 Gordon Films/Image
(USA)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル
/音声:英語/字幕:なし/地域コード:AL
L/80分/製作:イタリア
映像特典
アメリカ公開版劇場予告編
監督:ピエロ・レニョーリ
製作:ティツィアーノ・ロンゴ
脚本:ピエロ・レニョーリ
撮影:アルド・グレチ
音楽:アルド・ピガ
出演:ウォルター・ブランディ
リラ・ロッコ
アルフレード・リッツィ
マリア・ジョヴァンニーニ
マリサ・クアトリーニ
レオナルド・ボッタ
コリンヌ・フォンテイン
アントニオ・ニコス
ティルデ・ダミアーニ
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田舎道で立ち往生した踊り子たち |
一行はケルナシー伯爵の城に宿を求める |
伯爵(W・ブランディ)はヴェラ(L・ロッコ)に惹かれる |
地方を巡業している場末の踊り子たちが、立ち寄った古い城で世にも恐ろしいバンパイアと遭遇する。ホラーとエロスを掛け合わせた典型的な低予算映画。それでも、伝統的なゴシック・ホラーとエロスを露骨に結びつけたのは、当時としては目新しい試みだったはずだ。中でも、一瞬とはいえ裸の女性バンパイアが登場するのは映画史上初のことであろう。
主人公は美しい踊り子ヴェラ。彼女は城の主であるケルナシー伯爵と恋に落ちるわけなのだが、その容姿が伯爵家の祖先マルゲリータと瓜二つだったため、かつてマルゲリータの夫だった不死身のバンパイアに狙われる。しかも、そのバンパイアがケルナシー伯爵と瓜二つだったりするのだからややこしい(笑)
ただ、脚本自体はシンプルそのもの。ところどころ辻褄の合わない部分が目立つものの、一応最後までストーリーが破綻せずに進行するので安心して見ることが出来る。踊り子たちのセクシーなダンスや先述したヌード・シーンなどサービス・ショットも盛り込まれ、観客を飽きさせない工夫が凝らされているのは低予算映画のお手本というべきだろう。
また、ロケ地となったローマ近郊の村アルテーナの美しい風景も存分に生かされている。撮影に使われたのは『吸血鬼と踊り子』やラドリー・メッツガーの『夜行性情欲魔』(71)にも登場するボルゲーゼ城で、低予算映画らしからぬ優美なゴシック・ムードが魅力的だ。
とはいえ、主演のウォルター・ブランディ以下、役者陣の演技は決して褒められたものではなく、普段は芸達者な名優アルフレード・リッツィも今回は演技が過剰気味。ストーリーも分かりやすいだけが取り柄で、何のひねりも独創性もない。残酷シーンもほとんどないので、今の観客の目から見ればちっとも恐くなどないはずだ。
しかし、この古き良き時代の素朴で牧歌的なストーリー・テリングや優雅でロマンチックなゴシック・ムードは、やはり現在のホラー映画にはない魅力。『吸血鬼ドラキュラ』をそのままパクったクライマックスもご愛嬌だ。なにしろ特殊メイクにかける予算がなかったのだろう、日の光を浴びて溶けていくバンパイアの姿が下手クソ極まりないイラストで描かれているのだから。これはもう爆笑必至。滅多にお目にかかれない珍シーンである。
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踊り子カーチャ(M・ジョヴァンニーニ)の死体が発見される |
城に足止めを食らった一行はダンスのレッスンに興じる |
お約束のお色気サービス・ショット♪ |
真夜中の田舎道を走る一台のバス。乗っているのは地方巡業中の踊り子たちと、そのマネージャーであるルーカス(アルフレード・リッツィ)だ。資金が底を尽きてホテルに泊まる余裕がなくなった彼らは、次の巡業先を目指して夜通しバスを走らせていた。しかし、生憎のところ天候は荒れ模様。このままバスを走らせるのは難しいと考えたルーカスは、近隣に古い城があるということを知って、一夜の宿を求めようと考えた。
城の主はケルナシー伯爵(ウォルター・ブランディ)。ルーカスの申し出に表情を曇らせた伯爵だったが、踊り子の一人ヴェラ(リラ・ロッコ)の顔を見て考えを変えたようだった。しかし、一行の宿泊は許可したものの、それには条件があった。部屋からは絶対に出ないこと。そして、夜が明けるまで城の中を歩き回らないこと。その言葉に誰もが首をかしげるが、相手の好意に甘えるからには文句も言えまい。
気分転換にとバルコニーへ出たヴェラに、どこからともなく現れたケルナシー伯爵が近づいてきた。たちまちお互いに惹かれあう二人。しかし、伯爵はこの城が彼女にとって危険な場所であると語り、朝一番には出て行って欲しいと言い残して去っていく。
その頃、部屋でじっとしていることに我慢できなくなったカーチャ(マリア・ジョヴァンニーニ)は、ヴェラのコートを借りて部屋の外へと出てしまう。城の中を散策していた彼女は、地下で不気味な部屋を発見する。そんな彼女の背後から忍び寄る影。暗闇にカーチャの悲鳴が響き渡った。
翌朝、城の外でカーチャの死体が発見される。現場の状況から察するに、塔の上から転落したようだった。誰もが事故死だと考え、カーチャは城の傍にある墓地へ埋葬される。昨夜の嵐で河川が決壊し、橋を渡ることができなくなったことから、一行は橋の修理が終るまで城に足止めを食らうことになった。
ルーカスや踊り子たちはダンスのレッスンを始めるが、ヴェラだけは気乗りがしない。一人で城内を歩き回っていた彼女は、とある肖像画を目にして愕然とした。そこに描かれた女性がヴェラ自身と瓜二つだったのだ。通りがかったケルナシー伯爵によると、その肖像画の主は200年ほど前に伯爵家へ嫁いできたマルゲリータという女性だという。二人はあまりにもよく似ていた。それゆえに、伯爵はヴェラが城に滞在することに反対なのだ。カーチャも事故死ではない。ヴェラのコートを羽織っていたがために、間違えて殺されたのだ。
そう語る伯爵に自分が命を狙われる理由を尋ねるヴェラだったが、伯爵は答えに窮した。彼は城内で何かの研究をしている様子だったが、理解はしてもらえまいと口をつぐむばかり。一方、近隣の村を訪ねてきたピアニストのフランク(アントニオ・ニコス)は、この城が忌まわしい場所として村人に恐れられていることを知る。
やがて、伯爵に瓜二つの何者かが城内を徘徊し、死んだはずのカーチャが生ける屍となって姿を現す・・・。
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ヴェラはマルゲリータという女性の肖像画に瓜二つ(?)だった |
伯爵は何か恐ろしい秘密を隠しているようだった |
マネージャーのルーカス(A・リッツォ)の前に現れたのは・・・ |
演出と脚本を手掛けたピエロ・レニョーリは50年代から活躍する職人監督だが、どちらかというと脚本家としての方が有名かもしれない。ディーン・クレイグやマーティン・アンドリュースなどの変名を使い分け、『さすらいのガンマン』(66)や『マッチレス殺人戦列』(67)、『栄光の戦場』(79)など西部劇やアクション映画の脚本を数多く手掛けた。一方、ホラー・ファンには『ゾンビ3』(80)や『ナイトメア・シティ』(80)、『ルチオ・フルチの地獄の門2』(91)といったC級カルト・ホラーの脚本家として馴染み深いだろう。
他にも、ソフト・ポルノからマフィアもの、ファミリー・ドラマなどあらゆるジャンルを手掛けてたレニョーリだが、基本的に質よりも量をこなした人物。良く言えば単純明快。裏を返すと、安易で底の浅い作品が圧倒的に多かった。ヒット作からのパクリなどは当たり前。本作も基本プロットは『吸血鬼と踊り子』のコピーだし、ウィルター・ブランディの一人二役という設定も『血ぬられた墓標』からの拝借だ。まあ、当時のイタリア産ホラーは多かれ少なかれ『血ぬられた墓標』のパクリばかりだったのだけれども・・・(笑)
映画監督としても脚本家としても決して優れた才能に恵まれていたわけではないレニョーリだが、ゴシック・ホラーの基本を踏襲した本作では特に目立つような子供だましやインチキもなく、それなりに手堅い演出を披露してくれる。ただし、あくまでも比較対象のレベルが低いだけなので、バーヴァやドーソンの傑作・名作と比べてしまうと箸にも棒にも引っかからないのは致し方ないところだろう。
撮影のアルド・グレチは、主にC級マカロニ・ウェスタンやゲテモノ残酷ドキュメンタリーなどを手掛けたカメラマン。悪名高いスラッシャー・ポルノ“Play
Motel”(79)の撮影監督を務めた人だ。また、音楽スコアを手掛けたアルド・ピガは知る人ぞ知る作曲家。非常に美しいメロディを書く人で、一部のイタリア映画音楽ファンには評価が高い。本作でもバロック・スタイルの上品で格調高いオーケストラ・スコアを書いており、本編のムードを高めるのに重要な役割を果たしている。
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死んだはずのカーチャが蘇った |
ヴェラは城の地下室で伯爵家の恐るべき秘密を知る |
伯爵に瓜二つの人物はバンパイアだった |
ケルナシー伯爵役を演じているウォルター・ブランディは、本名をワルター・ビガーリというイタリア人。『吸血鬼と踊り子』でバンパイア役を演じたことからイタリア版クリストファー・リーとして注目され、矢継ぎ早で本作に起用された。ただし、俳優としては救いようがないくらいの大根。大袈裟な身振り手振りや鈍臭い動きは見ているだけでイライラしてくる(笑)当時のイタリアではこれといったホラー俳優がいなかったため、それなりに重宝はされたようだが、結局大成しなかったのも宜なるかなといったところだろう。
一方のヒロイン、ヴェラ役を演じているリラ・ロッコはとても可愛らしい女優さんで、庶民的な親しみやすさが魅力。50年代にはイタリアの国民的コメディアン、アルベルト・ソルディの主演作で相手役を務めるなど活躍したようだが、本作を最後に名優アルベルト・ルーポと結婚して引退してしまった。
そして、踊り子たちのマネージャーであるルーカス役を演じているのは、『ローマの休日』(53)でオードリーとグレゴリー・ペックにローマ市内を案内するタクシー運転手役を演じていた俳優アルフレード・リッツォ。個性的でアクの強い芸達者な役者で、下町の頑固オヤジや荒くれ者なんかを演じることが多かった。ホラー映画への出演も少なくない。本作ではコミック・リリーフ的な役回りなのだが、正直なところやり過ぎの感は否めないだろう。しかも周りのキャストが大根ばかりなだけに、熱演すればするほど一人だけ浮いてしまうというのは困ったもの。やけに場違いなのだ。
バンパイアにされてしまうカーチャ役のマリア・ジョヴァンニーニは他で見たことのない女優だが、いかにもイタリア人好みの濃厚なグラマーという感じ。その他の踊り子役には、マリサ・クアトリーニやコリンヌ・フォンテインなど、当時イタリア産娯楽映画の色添え役として活躍したセクシー女優が登場する。
生血(なまち)を吸う女
Il mulino delle donne
di pietra
(1960)
日本では1963年劇場公開
VHSは日本未発売・DVDは日本発売済
※但し、日本盤DVDは5分ほど短いカット・バージョン
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(P)2004 Boum/Mondo Macabro (USA) |
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆ |
DVD仕様(北米盤) カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録 )/モノラル/音声:英語・米語・フランス語/字幕:英語/地域コード:ALL/96分/製作:イタリア・フランス 映像特典 未公開シーン集(2編) フランス語版オープニング オリジナル劇場予告編 スチル&ポスター・ギャラリー |
監督:ジョルジョ・フェローニ 製作:ジャンパオロ・ビガッツィ 原作:ピエテル・ヴァン・ウィーゲン 脚本:ジョルジョ・フェローニ ウーゴ・リベラト−レ レミジョ・デル・グロッソ ジョルジョ・ステガーニ 撮影:ピエル・ルドヴィコ・パヴォーニ 音楽:カルロ・インノチェンツィ 出演:ピエール・ブリス シラ・ガベル ウォルフガング・プレイス ダニー・カレル ヘルベルト・A・E・ボーム リアーナ・オルフェイ マルコ・グリエルミ オルガ・ソルベッリ |
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舞台はアムステルダム郊外の風車小屋 |
ハンス(P・ブリス)はヴァール教授(W・プレイス)のもとを訪ねる |
風車小屋の蝋人形館に隠された恐ろしい秘密と、その秘密にまつわる美しい女性の哀しい運命を描いたメロドラマ調のゴシック・ホラー。ストーリー自体は使い古された怪奇譚だが、幻想的で悪夢のような美術セットと原色を散りばめた鮮烈なテクニカラーの色彩は素晴らしい。ゴシック・ホラー・ファンならば必見の佳作である。
舞台となるのはオランダのアムステルダム郊外。一人の若者が、風車小屋で蝋人形館を経営する彫刻家の仕事を研究するためやって来る。そこで彼は教授の美しい一人娘と出会うのだが、彼女には誰も知らない恐ろしい秘密が隠されていた・・・。
その秘密については伏せておくとしても、『顔のない眼』と『肉の蝋人形』を合わせたような内容と言えば、おおよそ察しがついてしまうだろうか。アイディアそのものは決して目新しくないものの、真冬のオランダの荒涼とした風景や見世物小屋的ないかがわしさの混在する独創的なビジュアル世界は実に魅力的。計算し尽くされた巧みなライティングやカメラワーク、壮麗で鮮やかな色彩などの使い方は、マリオ・バーヴァ作品にも匹敵するような美しさだ。
監督のジョルジョ・フェローニは主にスペクタクル史劇やマカロニ・ウェスタンで鳴らした人物だが、ホラー映画作家としても抜群のビジュアル・センスを持っていたと言えるだろう。残念ながら、ホラー映画を手掛けたのは本作と『悪魔の微笑み』(72)の2本だけだが、どちらも水準以上の出来栄えなのはその証ではないだろうか。
ちなみに、上記のアメリカ盤DVDは日本盤よりも5分以上長いロング・バージョン。イタリアやアメリカで公開されたバージョンは90分前後なので、恐らくイギリス公開版かフランス公開版を使用しているのだろう。さらに、当時はカットされた未公開シーンが特典映像として収録されている。ストーリー上は存在しなくても構わないようなシーンなのだが、背景の奥に60年代当時の自動車が映り込んでいるのは面白い。なにしろ、映画の時代設定は19世紀初頭なのだから。
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水車小屋の呼び物は不気味な蝋人形だった |
どこか怪しげなヴァール教授 |
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ハンスは水車小屋の奇妙な雰囲気に戸惑う |
謎めいた美女エルフィー(S・ガベル) |
19世紀初頭のオランダ。真冬のアムステルダム郊外に広がる田園風景は、どことなく荒涼として寂しい。そんな中、とある風車小屋へ美大生ハンス(ピエール・ブリス)がやって来る。目的はヴァール教授(ウォルフガング・プレイス)との面会。ヴァール教授は有名な彫刻家で、引退した今は美大で教鞭を執りながら風車小屋で蝋人形館を経営している。恩師の依頼で彼の実績をまとめあげるというのがハンスの役目だった。
教授は申し出を快く引き受け、資料を整理するための部屋も用意してくれた。ただし、6日間で全ての作業を終えるというのが条件だ。さっそく仕事にとりかかったハンスだが、無言で彼を見つめる謎めいた美女の存在に気付く。
ハンスの恋人リゼロッテ(ダニー・カレル)と親友ラルフ(マルコ・グリエルミ)はヴァール教授の教え子だった。彼らの話によると、どうやら謎の美女は教授の一人娘エルフィー(シラ・ガベル)らしい。ただ、未だかつて彼女を実際に見たことのある人は誰もいなかった。
その翌日、仕事に取り掛かろうとしたハンスの前に再びエルフィーが姿を見せる。彼女は切迫した様子で、今日の深夜に二人きりで会って話をしたいという。ただならぬ雰囲気を感じたハンスは、約束通りに彼女と落ち合った。昼間とは打って変わって艶かしい仕草で誘惑するエルフィーにハンスは戸惑いを覚えるが、いつしか二人は結ばれてしまった。
翌朝、ハンスが仕事部屋に入ると、一輪の花がテーブルの上に飾られていた。エルフィーからの贈り物だった。そこへ、リゼロッテとラルフが訪ねてくる。二人は仕事で煮詰まっているハンスに息抜きを、と考えたのだ。仲睦まじそうにしているハンスとリゼロッテの姿を目撃したエルフィーは強い衝撃を受ける。
ハンスはリゼロッテと再会して、改めて彼女への深い愛を確認した。一方、ヴァール教授は愛娘の心理的な変化に気付いたのか、ハンスを呼んでこう告げた。エルフィーが虚弱体質であると。神経が極端に繊細で、感情的な昂ぶりが命を奪いかねない危険性があるというのだ。それを聞いたハンスは、エルフィーと距離を置くことを教授に約束する。
だが、嫉妬に駆られたエルフィーは強引にハンスを呼び出し、自分のことだけを見て欲しいと詰め寄る。しかし、リゼロッテへの愛を貫こうとするハンスは、その気持ちに応えることは出来なかった。興奮が頂点に達したエルフィーは、その場で発作を起こして倒れてしまう。ハンスは急いで彼女を寝室へ運んでベッドに寝かせるが、エルフィーは既に息を引き取っていた。ショックでパニックに陥ったハンスは、その場を逃げ出すようにして去っていく。
やがて、全てを教授に告白しようと決意したハンスは、再び風車小屋へと戻ってきた。興奮した様子の彼を見かね、エルフィーの主治医ボーレム医師(ヘルベルト・A・E・ボーム)は鎮静剤を勧める。だが、薬を飲んだハンスは夢とも現実ともつかないような光景を目の当たりにした。彼を責めるヴァール教授、不気味な笑みを浮かべるボーレム医師、恐ろしい形相で迫ってくるエルフィー、そして椅子に縛られた見知らぬ美女。
大声で教授を呼びながら錯乱するハンスの前に、ヴァール教授が姿を現した。正気に戻ったハンスはエルフィーの死について問いただすが、教授は怪訝そうな顔をする。彼女は死んでなどいないというのだ。そして、ハンスの目の前に死んだはずのエルフィーが現れる。全ては彼の幻覚だったのか・・・?
ショックと混乱から床に伏してしまったハンスだが、ある日ラルフの恋人アンネローレ(リアーナ・オルフェイ)の写真を見て驚く。それは、風車小屋で椅子に縛られていた女性だった。彼女はパリに行くといったまま消息を絶っているらしい。やはり、全て幻覚などではなかったのか?風車小屋に隠された秘密とは?そして、美しきエルフィーの正体とは・・・?
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エルフィーは主治医ボーレム(H・A・E・ボーム)の監視下に置かれていた |
無防備なハンスを誘惑するエルフィー |
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ハンスは恋人リゼロッテ(D・カレル)との愛を再確認する |
嫉妬と興奮のあまり発作を起こすエルフィー |
原作はフランドル地方に伝わる説話を基にしたピエテル・ヴァン・ウィーゲンなる人物の小説・・・ということになっているが、どうやらこれは製作サイドによるギミック(仕掛け)だったようだ。実際には、そのような作家も小説も存在しないという。風車小屋の秘密やエルフィーの正体が暴かれる前後の展開は予想通りで、少々安直が過ぎるようにも感じるが、壮麗でドラマチックなクライマックスは見応え十分の迫力だ。
ジョルジョ・フェローニ監督と共に脚本を手掛けたのは、ウーゴ・リベラトーレとレミジョ・デル・グロッソ、ジョルジョ・ステガーニの面々。リベラトーレは『禁じられた恋の島』(62)や『禁じられた抱擁』(63)など名匠ダミアーノ・ダミアーニの作品で知られる脚本家。デル・グロッソは音楽映画の傑作『ナポリの饗宴』(53)やエドガー・G・ウルマーの『アトランタイド』(61)などを手掛け、ステガーニは『ふたりだけの恋の島』(71)など映画監督としても知られる。いずれも娯楽映画の優れた脚本家ばかりだ。
撮影監督のピエル・ルドヴィコ・パヴォーニは、日本でも大ヒットした名作『チコと鮫』(61)で知られる名カメラマン。カルロ・リッツァーニ監督の傑作ドキュメンタリー『黄色い大地』(55)ではシルバー・リボン賞のカラー撮影賞を獲得している。
幻想的で魔術的な美術デザインを担当したのは、『黄金の7人』(65)シリーズやスペクタクル史劇を数多く手掛けたデザイナー、アリーゴ・エキーニ。また、50年代から60年代にかけてスペクタクル史劇の作曲家として活躍したカルロ・イノチェンツィが音楽スコアを書いている。
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エルフィーの死にショックを受けるハンス |
まるでエルフィーの死を象徴するような喪服の老女 |
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風車小屋に戻ったハンスが目にしたものとは・・・? |
死んだはずのエルフィーが亡霊のように姿を現す |
主人公ハンス役を演じているのは、60年代に西ドイツ製の西部劇“ウィネットー”・シリーズで活躍したフランス人俳優ピエール・ブリス。この“ウィネトー”シリーズ、日本ではあまり評判にならなかったみたいだが、ヨーロッパでは当時絶大な人気を誇っていたようだ。
謎めいた美女エルフィー役のシラ・ガベルも、当時ヨーロッパでは人気の高かったイタリアのグラマー女優。特にスペクタクル史劇のヒロイン役として数多くの映画に出演している。いかにも典型的な整形美人といった感じで、そのマネキンのような顔がエルフィーの妖しげな雰囲気を上手く醸し出していた。
一方、こちらも怪しい雰囲気をプンプンに漂わせたヴァール教授を演じているウォルフガング・プレイスは、『怪人マブゼ博士』(60)シリーズのマブゼ役で有名なドイツの名優。この手のマッド・ドクターやナチ将校などの悪役はお手のもので、ハリウッド映画にも数多く出演していた。
ハンスの恋人リゼロッテ役には、『奥様ご用心』(57)や『夏物語』(58)などのコケティッシュなグラマーとして日本でも人気の高かったフランス女優ダニー・カレル。ハンスの親友ラルフ役には戦争映画やマカロニ・ウェスタン、ポリス・アクションで活躍したマルコ・グリエルミ。その恋人で歌手のアンネローレ役には、姉モイラと共に美人姉妹として活躍したイタリアのセクシー女優リアーナ・オルフェイ(『ヘラクレス・サムソン・ユリシーズ』(64)のデリラ役)。当時のホラー映画としては、なかなか豪華な顔ぶれだったと言えるだろう。
La strage dei vampiri
(1962)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本未発売
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(P)2007 Dark Sky Films (USA) |
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆ |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:英語/字幕:英語/地域コード:ALL/79分/製作:イタリア 映像特典 俳優D・エップラー インタビュー オリジナル劇場予告編 スチル・ギャラリー |
監督:ロベルト・マウリ 製作:ディノ・サントアンブロジョ 脚本:ロベルト・マウリ 撮影:ウーゴ・ブルネッリ 音楽:アルド・ピガ 出演:ウォルター・ブランディ グラツィエラ・グラナタ ディーター・エップラー ルイジ・バツェッラ エッダ・フェロナーオ アルフレード・リッツィ |
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一台の馬車が城へと駆け込んでくる |
裕福な夫婦ウォルフガング(W・ブランディ)とルイーズ(G・グラナタ) |
イタリア版クリストファー・リーこと、ウォルター・ブランディ主演によるゴシック・スタイルのバンパイア映画。といっても、今回彼が演じるのはバンパイアに立ち向かうヒーロー役。対するバンパイア役にはドイツの性格俳優ディーター・エップラーが扮している。
舞台は19世紀の中央ヨーロッパ。古城に暮らす裕福な若夫婦が、どこからともなく現れた吸血鬼に狙われるというのが大体の筋書きだ。・・・というか、それだけと言ってしまっても良いかもしれない。シンプルと呼ぶにはあまりにも単純なストーリー。お色気シーンも中途半端だし、血みどろの残酷シーンも皆無。実に味も素っ気もない。イタリアン・ホラー特有の見世物小屋的な胡散臭さに欠けるのは、やはり大きなマイナス点と言えるだろう。
また、相変わらずの大根役者ぶりを遺憾なく発揮してくれるウォルター・ブランディ以下、俳優陣のボンクラくらな演技もなかなか失笑もの。だいたい、肝心のバンパイア役を演じるディーター・エップラーにカリスマ性のかけらもないのは致命的だ。彼自身は決して悪い役者ではないのだが、これは完全にミス・キャスト。黒いマントに身を包んだ顔色の悪いオッサンにしか見えない。
とまあ、いかにも低予算のC級ホラーといった按配なのだが、それを補って余りあるのが壮麗で美しいカメラワーク。これはもう、ほぼ100%ロケーションのおかげだろう。撮影テクニックそのものは決して上手いとは言えないものの、被写体となる中世の古城や庭園などの風景が圧倒的に素晴らしい。
さらに、アルド・ピガによるバロック・スタイルのロマンティックな音楽スコアも絶品。いや、紛れもない傑作と呼んでいいだろう。これまで一度もサントラ盤としてリリースされたことはないようなので、ここは是非ともAVANZさん辺りで音源の発掘・CD化をして欲しいところ。
いずれにせよ、決して褒められた出来の映画ではないものの、ゴシック・ムードたっぷりの映像美と音楽スコアだけでもチェックする価値は十分にあると思う。
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ワイン・セラーの奥を棲家にしたバンパイア(D・エップラー) |
ルイーズは舞踏会に現れたバンパイアに惹かれる |
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夜な夜なルイーズの枕元を訪れるバンパイア |
日増しに衰弱する妻の容態を案ずるウォルフガング |
19世紀の中央ヨーロッパ。手に松明と武器を持って暴徒と化した人々が、一組の男女を追い回している。2人は近隣を恐怖に陥れたバンパイアだった。逃げ遅れた女バンパイアは民衆に取押えられて殺されるが、男のバンパイアは夜の闇に紛れて姿を消す。
一転して真夜中の田舎道を猛スピードで駆ける一台の馬車。中に乗っているのは例のバンパイア(ディーター・エップラー)だ。すでに夜明けが迫っている。馬車はとある古城に到着し、御者とバンパイアはその地下室へと棺桶を運び込んだ。
その古城の主はウォルフガング(ウォルター・ブランディ)とルイーズ(グランツィエラ・グラナタ)の若夫婦。2人はまだ結婚したばかりだが、心優しい家庭教師コリンヌ(エッダ・フェロナーオ)や忠実な庭師(アルフレード・リッツォ)夫婦とその幼い娘らと共に平穏で幸せな毎日を送っている。
とある晩、城で開かれた舞踏会のさなか、どこからともなく現れたバンパイアに妻のルイーズは心を奪われる。バンパイアは城の地下にあるワイン・セラーの奥を棲家にしたのだ。やがて、夜な夜な彼女の寝室を訪れるようになったバンパイア。
日増しに衰えていく妻の容態を心配したウォルフガングは、名医と評判の高いニッチェ博士(ルイジ・バツェッラ)に助けを求めた。しかし、ニッチェ博士が到着した時は既に手遅れで、ルイーズは静かに息を引き取っていた。
ところが、そのルイーズの姿が見えなくなってしまう。ニッチェ博士と2手に分かれて行方を捜すウォルフガングの前に現れたのは、バンパイアと化した妻の姿だった。彼女はウォルフガングの首筋に咬みいて血を吸い、そのまま姿を消してしまった。
ルイーズを殺したのはバンパイアだと確信したニッチェ博士は、容態の悪化したウォルフガングの介護をコリンヌに任せてバンパイア退治に向う。ところが、コリンヌもまたバンパイアと化していた。
ルイーズとコリンヌの退治には成功したニッチェ博士だったが、肝心のバンパイアを見つけ出すことが出来ない。もはやウォルフガングの命も風前の灯だ。庭師の協力で領内をくまなく探すニッチェ博士。その頃、にわかに起き上がったウォルフガングは庭師の娘を連れ、まるで何者かにおびき寄せられるようにして庭園の中へと入っていく。そこに待ち構えるバンパイア。果たして2人の運命やいかに・・・!?
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ウォルフガングは名医と名高いニッチェ博士(L・バツェッラ)を訪れる |
バンパイアと化してしまったルイーズ |
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ニッチェ博士はルイーズを追い詰める |
家庭教師コリンヌ(E・フェロナーオ)もバンパイアに |
監督と脚本を手掛けたロベルト・マウリは、60年代から70年代にかけてロバート・ジョンソンやロバート・モリスの名前で低予算の西部劇やスペクタクル史劇を数多く手掛けた職人監督。その殆んどが日本未公開なのだが、本作を見る限りあまり才能があるようには思えない。
撮影のウーゴ・ブルネッリも、レナート・ポルセッリ監督の“Il
mostro
dell'opera(オペラの怪人)”(64)や『イザベルの呪い』(73)など低予算映画専門のカメラマンで、こちらも決して上手い人ではないだろう。ドラマのアクションに対して、明らかに被写体のポイントがずれているようなシーンも数多く見受けられる。
バンパイア役のディーター・エップラーによると、仕事をオファーされたのは撮影開始の前日だったという。そんなギリギリまで重要なパートのキャスティングが決まっていないというのも、恐いもの知らずというかなんというか。恐らく、ろくな撮影準備もせずに短期間で製作された作品だったのだろう。
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ルイーズはニッチェ博士の手によって退治される |
バンパイアの行方を追うニッチェ博士と庭師(A・リッツィ) |
主人公ウォルフガング役は、ご存知ウィルター・ブランディ。まあ、彼に関してはこれ以上何も言うまい。とにかく、信じられないくらいに下手くそな役者だ。一方、その妻ルイーズ役を演じるグラツィエラ・グラナタも決して演技の上手い女優ではないが、少なくとも美人で華がある分だけ画面には映える。その後も、セルジョ・コルブッチの『太陽の暗殺者』(67)やジョルジョ・ステガーニの『風の無法者』(67)などでヒロイン役を演じ、フェリーニの『サテリコン』(68)でも重要な役を務めていたのだから立派なもの。
一方、2人を助けようとするニッチェ博士役を演じているのは、『デビルズ・ウェディングナイト』(73)や『悪魔の陵辱』(74)、『(秘)ナチス残酷物語/アフリカ拷問収容所』(77)などのエログロ映画で有名な映画監督ルイジ・バツェッラ。もともとは俳優の方が本職だったらしい。また、『グラマーと吸血鬼』にも出ていたアルフレード・リッツィが、頼りがいのある庭師役で顔を出している。
そして、バンパイア役を演じるディーター・エップラー。西ドイツで中堅どころの性格俳優として活躍していた人で、当時はイタリアでも仕事を始めたばかりだった。ただ、本作は高額の出演料を約束されたものの、最終的にはギャラの支払いが滞ったまま制作会社は倒産してしまったという。もちろん彼だけではなく、他のキャストも一様にギャラを受け取ることは出来なかったらしい。それでも、“いいホテルに泊めてもらえて、おいしい食事を与えられて、楽しい経験が出来たんだから、それで良しとしておかなくては”とサラリと言いのけてしまうのだから、何とも人が良いというか寛大というか。いずれにしても、そういう長閑な時代だったのだろう。
女ヴァンパイア カーミラ
La cripta e l'incubo
(1964)
日本では劇場未公開
VHSは日本未発売・DVDは日本発売済
※但し、日本盤DVDはPD素材使用の粗悪版
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(P)2006 Retromedia (USA) |
画質★★★☆☆ 音質★★☆☆☆ |
DVD仕様(北米盤) モノクロ/モノラル/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/84分/製作:イタリア・スペイン 映像特典 なし |
監督:カミロ・マストロチンクエ 製作:ウィリアム・マリガン 原作:シェリダン・レ・ファニュ 脚本:エルネスト・ガスタルディ トニーノ・ヴァレリ ブルーノ・ヴァレリ ホセ・ルイス・モンテール 撮影:フリオ・オルタス ジュゼッペ・アクアーリ 音楽:カルロ・サヴィーナ 出演:クリストファー・リー アドリアーナ・アンベーシ ウルスラ・デイヴィス ホセ・カンポス ヴェラ・ヴァルモン ネラ・コンジュ ジョン・カールセン |
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舞台となるカルシュタイン伯爵家の城 |
何者かによって殺された女性ティルデ |
こちらも映画としては微妙な出来栄えながら、ゴシック・ホラー・ファンなら一度は見ておきたい作品。ストーリーはともかくとして、ロケーションや撮影の美しさはまずまず。ダークで幻想的な雰囲気も悪くない。しかも、ホラー映画の帝王クリストファー・リー出演作ときたら見逃さない手はないだろう。
一応、原作はシェリダン・レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』ということになっているが、正確には設定の一部を拝借しただけのオリジナル作品と言うべきだろう。主人公はカルンシュタイン伯爵家の主ルドウィッヒ。彼は一族に伝わる呪いの謎を解くために歴史学者を雇う。一方、娘のローラは夜な夜な悪夢に苛まれ、自分が呪われたバンパイアではないかと疑う。そこへ、美しい貴族の娘リューバが城に身を寄せることになり、妖しくも恐ろしい物語が展開するというわけだ。
カルンシュタイン伯爵家の名前や、ローラとリューバのレズビアン・チックな関係など、レ・ファニュの原作からおいしいところ取りしたのはいいのだが、この映画の最大の問題はまるで辻褄の合わないストーリー展開だ。しかも、話はしょっちゅう飛ぶし、思わせぶりなだけで意味のないサブ・プロットも目立つ。
劇場公開版が完成するまでに幾度となく編集が繰り返されたらしく、その結果としてあちこちで前後が入れ替わってしまったという説もあるのだが、そればかりが原因とは言えないだろう。思うに、当初から分かりきっている結末から観客の目をそらすため、場当たり的に様々な仕掛けを思いついていった結果なのではないかと思う。なので、一度判明した事実がまるでなかったことかのように意外な新事実が発見され、それに対する説明もいい訳も一切ないままにストーリーが進行する。しかも、仰々しいばかりで全く意味のないセリフときたら!上記のアメリカ盤DVDは英語バージョンなので、もしかしたら吹き替え用のシナリオの出来が悪いだけなのかもしれないが、それにしても文芸調気取りの台詞回しは鼻につく。
しかしその一方で、中世の古城や庭園を舞台にしたロケーションの豪華な美しさや、邪教的な美術セットのミステリアスな雰囲気、流麗でスタイリッシュなカメラワークなど、イマジネーション豊かな映像には捨てがたいものがある。ひとまず稚拙なストーリーは置いておいて、ゴシック・ロマン溢れる映像美の世界を存分に堪能したい。
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悪夢に苛まれるローラ(A・アンベーシ)を労る乳母ルウィーナ(N・コンジュ) |
若き歴史学者フリードリヒ(J・カンポ)がロンドンからやって来る |
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娘の精神状態を心配するカルンシュタイン伯爵(C ・リー) |
フリードリヒはカルンシュタイン家にまつわる伝説の真偽を調べる |
カルンシュタイン伯爵家の一人娘ローラ(アンドリアーナ・アンベーシ)は、夜ごと見る悪夢に苛まれていた。今夜も従姉妹ティルデが何者かによって殺されるという夢を見て、恐怖に悲鳴をあげながら目を覚ました。それはまるで本当に目の前で起きたかのようにリアルで、ローラはティルデが本当に殺されたのではないか、自分がその殺人に関与しているのではないかという不安に怯える。
ローラの父ルドウィッヒ・カルンシュタイン伯爵(クリストファー・リー)は、そんな娘の様子を心配していた。実は、カルンシュタイン家には呪われた伝説がある。かつて魔女の嫌疑をかけられて処刑されたカルンシュタイン家の先祖シーラは、100年後に一族の姿を借りて蘇り、自分を貶めた人々の子孫を血祭りに上げると言い残したというのだ。そして、ローラは自分がそのシーラの生まれ変わりではないかと恐れているのだ。
そこで、伯爵はロンドンで知り合った歴史学者フリードリッヒ(ホセ・カンポス)を呼び寄せる。城に残されている膨大な資料を調べ、その伝説の真偽を確かめ、行方の知れないシーラの肖像画を探し出すのだ。もし本当にローラがシーラの生まれ変わりならば、同じような姿をしているに違いない。
一方、ローラの健康状態を案じる乳母ルウィーナ(ネラ・コンジュ)は、彼女がシーラの生まれ変わりではないということを証明するために黒魔術の儀式を行う。だが、その最中にローラはシーラが処刑される様子を目の当たりにし、疑惑は一層のこと深まってしまった。
そんなローラの力になろうと、フリードリッヒは優しい言葉をかける。そこへ、一台の黒馬車が通りがかり、2人の目の前で車輪が外れてしまった。中から気を失った若い娘が運び出される。彼女の名はリューバ(ウルスラ・デイヴィス)。同乗していた母親は急な用事でどうしても旅を続けねばならず、帰るまで娘を預かってくれないかという。その申し出をローラは快く承諾し、修理の終った馬車は勢いよく去っていった。
ローラとリューバの2人は急速に親しくなり、お互いに友情以上のものを感じはじめる。もはや悪夢を見ることもなくなり、安心した伯爵はフリードリッヒに帰ってもらうことも考えた。ところがある晩、ローラは再び悪夢にうなされた。今度は自分がリューバを襲う姿を見たのだ。ショックの余りパニック状態に陥るローラ。驚いた伯爵とフリードリヒは寝室で休んでいるリューバの様子を確かめるが、特に襲われたような形跡はない。だが、2人は彼女の首筋に牙で噛まれたような跡があるのを見逃さなかった。
不安と恐怖で眠れぬ日々を過ごすローラ。彼女は幼い頃から、今は廃墟となったカルンシュタイン村から聞こえてくる鐘の音が恐かったという。その話を聞いたリューバは、それこそが彼女の恐怖の源ではないかと、夜中にローラを誘い出してカルンシュタイン村へと向う。
ところが、そこで2人が見たものは手首を切り落とされた乞食の死体だった。その頃、城では乳母ルウィーナが乞食の手首を使って悪魔を呼び寄せ、犯人の正体を突き止めようとしていた。だが、悪魔が指し示したのは他でもない、ローラその人だったのだ・・・!
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ローラの身を案じて黒魔窟の儀式を行う乳母ルウィーナ |
黒馬車に乗った娘リューバ(U・デイヴィス) |
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ローラとリューバは友達以上の関係になっていく |
伯爵の愛人アネット(V・ヴァルモン)はリューバを快く思わない |
とまあ、整理整頓するとだいたいこんな粗筋なのだが、このあとはどんどんと辻褄の合わない方向へと物語は飛躍していき、あっけないクライマックスを迎えることになる。結局、伝説の呪いと吸血事件はほとんど関係なく、偶然が重なってなんとなく吸血鬼を退治してしまったという感じ。いや、今までの伏線は何だったのよ!と思わず突っ込みを入れたくなること必至だ。
監督のカミロ・マストロチンクエはカトリーヌ・スパーク主演の青春映画『太陽の下の18才』(62)で知られる映画監督で、戦前からコメディやメロドラマ、ラブ・ロマンスなどを数多く手掛けてきた名職人。ホラー映画は本作とバーバラ・スティール主演“Un
Angelo per
Satan(悪魔の天使)”(66)の2本だけだが、少なくともビジュアル面に関してはホラー映画のイロハを理解していたように思う。
脚本はイタリアン・ホラーの大御所エルネスト・ガスタルディとマカロニ・ウェスタンやアクション映画の監督として有名なトニーノ・ヴァレリ、アンソニー・ドーソンの“I
lunghi capelli
dellamorte”(64)にも参加していたブルーノ・ヴァレリ、そしてスペインの映画監督ホセ・ルイス・モンテールの4人。これだけの面子が揃っているにも関わらず、この程度の脚本の出来栄えというのは何たる体たらく。逆に考えると、製作過程で様々な弊害が生じたということは考えられなくもない。
撮影を手掛けたのはスペインのフリオ・オルタスとイタリアのジュゼッペ・アクアーリ。どちらもマカロニ・ウェスタンからスペクタクル史劇、スパイ・アクションからジャッロに至るまで、様々なジャンルで数多くの映画を手掛けたカメラマンだ。また、音楽もマカロニ・ウェスタンで有名な名匠カルロ・サヴィーナが手掛けている。
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再び悪夢を見るようになるローラ |
真夜中に廃墟を訪れたローラとリューバが見たものとは・・・!? |
一応、主演はカルンシュタイン伯爵役のクリストファー・リーだが、後半までは目立って活躍する場面もない。やはり彼の知名度や人気を当てにしてのキャスティングだったのだろう。それでも、やはり彼が出てくるだけでオーセンティックな雰囲気は盛り上がるし、なによりもちゃんと本人が声の吹き替えをしているのが嬉しい。ご存知の通り、80年代までイタリアは吹き替え大国で、しかも必ずしも演じている俳優本人がアフレコをするとは限らなかった。なので、本来の俳優の声とは似ても似つかないような声優が吹き替えをすることもしばしば。無名の俳優ならいざ知らず、クリストファー・リーのような有名人に限っては、やはり本人が声をあててくれないと気になって仕方がない。その点、本作は安心して見てることが出来る。
その娘ローラ役を演じるアドリアーナ・アンベーシは、いかにもスパゲッティたらふく食ってますといった感じの濃厚なグラマー女優。マカロニ・ウェスタンのメキシコ女役でもおなじみだ。当時幾つだったのかは分からないが、クリストファー・リーの娘という設定にしてはかなり老け顔。うら若くか弱いヒロインを演じるには少々オバサン臭い上に、かなり気の強そうな顔をしているので、正直なところミス・キャストという印象は拭えない。
一方、そんな彼女とレズビアンな関係になる娘リューバを演じるウルスラ・デイヴィスは、なかなか清楚で綺麗な女優さんだ。恐らく本名ではないと思うのだが、その詳細は残念ながら不明。出演作もあまり多くないようだ。また、伯爵の愛人アネット役のフランス女優ヴェラ・ヴァルモンも、他では殆んど見たことのない人だが、エルケ・ソマー似のコケティッシュな感じが悪くない。
ストーリー上はヒーロー的な位置づけになる若き歴史学者フリードリッヒ役を演じているホセ・カンポスはスペインの俳優。どこにでもいそうな存在感の薄い俳優で、見終わった後は顔すら思い出せない。他にこれといった代表作もないようなので、本国でも大して活躍しなかったのだろう。
その他、イタリア産娯楽映画ファンにはお馴染みの名脇役ジョン・カールセンが、カルンシュタイン伯爵の兄役としてクライマックスで唐突に出てくる。