ドイツ表現主義にハマろう!

 

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 ドイツ表現主義・・・と言っても、映画や絵画、建築を専門に学んだ人でないとピンと来ないかもしれない。20世紀初頭のドイツで生まれた前衛芸術運動のことで、特に第一次世界大戦の直後に大きな盛り上がりを見せたことで知られている。そのジャンルは絵画から建築デザイン、映画、演劇、文学にまで広がりを見せたのだが、ここでは映画における表現主義の魅力を分りやすく解説してみたいと思う。
 映画界での表現主義運動というのは、1919年から1925年頃までが最盛期と見られており、結果としては一時的な流行に終わってしまった感が強い。とはいえ、その後もドイツ映画界に多大な影響を残し、フリッツ・ラング監督の「ニーベルンゲン」('26)や「メトロポリス」('28)、「M」('31)といった傑作は、表現主義なくしては生まれ得なかったと言っていい。
 それだけではなく、ドイツ表現主義の影響力は海を渡って遠くハリウッドにまでも及び、「オペラの怪人」('25)や「魔人ドラキュラ」('31)、「フランケンシュタイン」('31)といったホラー映画、そして「暗黒街の弾痕」('38)や「マルタの鷹」('41)、「恐怖への旅」('42)などのフィルム・ノワールに多大な影響を及ぼしている。
 その大きな要因として、ナチスの台頭によりドイツから大量の映画人がハリウッドに流れ込んできた事が挙げられる。中でも、フリッツ・ラングやマイケル・カーティス、オットー・プレミンジャーといった映画監督、そしてドイツ表現主義で重要な役割を果たした撮影監督カール・フロイントの活躍は見逃せないだろう。
 現在でも、ティム・バートン監督の作品の多くはドイツ表現主義の影響が顕著であるし、ホラー映画や犯罪映画を語る上では絶対に欠かすことの出来ない要素となっている。

 では、ドイツ表現主義とはどういうものなのだろうか?まずは、19世紀ヨーロッパにおけるモダニズム運動の台頭から語らなくてはいけないだろう。第一次世界大戦という、それまでの歴史上かつてない未曾有の惨劇を経験したヨーロッパでは、伝統的な価値観に対する強い反発や懐疑心が芽生えはじめた。それが芸術や文化と結びついていったのが、モダニズムという現象だったわけだ。フランスのダダイズムやシュルレアリズム、イタリアの未来主義、そしてドイツの表現主義など、既成の芸術を真っ向から否定する前衛芸術運動としてのモダニズムがヨーロッパ全土を席巻するようになる。
 そのドイツにおける表現主義の大きな特徴というのが、反自然主義・反印象主義と呼ばれるもので、分りやすく言えば非現実的な造形の中に社会の不安や人間の心の闇を表現していくというもの。映画における表現主義の特徴を挙げるのであれば、人工的で歪んだ美術セット、象徴的かつ暗喩的なビジュアル・イメージ、そして非現実的でファンタジックなストーリー・テリングといったところだろうか。
 こうした、暗くて怪奇趣味の強い映像の中に、当時の混沌とした社会の空気や人々の抱く不安と恐怖を描き出していったのが、ドイツ表現主義映画だった。それゆえに、題材としては超自然的なホラーやサスペンスフルな心理ドラマが好まれる傾向が強かったと言えるだろう。特に、ドイツでは文学や絵画における神秘主義や浪漫主義の伝統が根強いこともあり、おのずと怪奇幻想的な世界と結びついていったのも無理はないだろう。
 それが「カリガリ博士」('19)であり、「吸血鬼ノスフェラトゥ」('21)であり、「巨人ゴーレム」('20)であった。いずれも、ヨーロッパの恐怖伝説や人間の狂気を強烈なビジュアルで描いていく作品。前衛芸術だ、モダニズムだ、などと言うと、難解で理屈っぽいような映画を想像しがちになるが、ドイツ表現主義映画の意外なところは、その分りやすい面白さにある。

 また、表現主義映画の大きな魅力は、そのファンタジックなビジュアル・イメージにもあるだろう。現実世界を最大限にカリカチュアした美術セットは今見ても斬新で面白いし、照明のライティングや合成技術を駆使した素朴な特殊効果は魔法のように魅惑的だ。複雑な人間の心理や、実体のない不安や恐怖という感情を映像で描き出そうという制作サイドの様々なアイディアが凝らされていて、非常に刺激的な映像世界を楽しむ事が出来る。
 また、誰もが知っているドラキュラ伝説に題材を得た「吸血鬼ノスフェラトゥ」や、ユダヤ教にまつわる巨人伝説を描いた「巨人ゴーレム」、カーニバルと共にやって来た謎の殺人鬼を描く「カリガリ博士」('19)、身分の違う女性と結ばれるために自分の影を悪魔に売ってしまった若者を描く「プラーグの大学生」('26)、愛や欲望に溺れていく人間の弱さを描いた「ファントム」('22)など、その娯楽性の高いストーリーも全く古さを感じさせない。
 もちろん、もう80年以上も前のサイレント映画なので、物理的には古いと言わざるを得ない作品ばかりだし、サイレント映画独特の映像言語に慣れていないと違和感を感じる部分もあるかもしれない。が、その本質的な精神であったりとか、映画としての面白さという点では、全く時代に色褪せていない作品が多いと言って良いだろう。
 特に、ホラー映画やファンタジー映画が好きな人、幻想的な映像世界を好む人には、是非とも楽しんでもらいたいジャンルだと思う。

ということで、ドイツ表現主義作品の中から、個人的に好きなお薦め作品を紹介しておきます。

 

カリガリ博士
Das Cabinet des Dr. Caligari (1919)
オフィシャル版DVDは日本未発売

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(P)2002 Kino International (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★★

DVD仕様(北米盤)
モノクロ(着色カラー)/スタンダード・サイズ/ステレオ/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/75分/製作:ドイツ

映像特典
R・ウィーネ監督の舞台裏映像
映画「ゲニーネ」ダイジェスト版
音楽トラック2種類収録
スチール集
ポスター集
スケッチ集
ドイツ語オリジナル字幕カード

監督:ロベルト・ウィーネ
製作:エリッヒ・ポマー
脚本:カール・マイヤー
    ハンス・ヤノウィッツ
撮影:ウィリー・ハメイスター
美術:ヘルマン・ヴァルム
    ワルター・レイマン
    ワルター・ローリグ
出演:コンラッド・ファイト
    ウェルナー・クラウス
    リル・ダゴファー
    フリードリッヒ・フェーヘル

 ドイツ表現主義を世界に知らしめた歴史的傑作であり、サイレン期のドイツ映画を代表する金字塔的作品が、この「カリガリ博士」である。とにかく、その独創的で圧倒的なビジュアル世界は今見ても衝撃的としか言いようがない。人間の複雑な深層心理や誰の心にも潜んでいる妄想と狂気を的確に描き出したストーリーと美術セットの素晴らしさ、カーニバルの見世物小屋を中心に展開する悪魔的なイメージの数々、そして殺人事件に端を発する猟奇サスペンス的な娯楽性など、芸術とエンターテインメントが見事に融合した極上の映像体験を味わえる一本だ。

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カリガリ博士(W・クラウス)とチェザーレ(C・ファイト)
「カリガリ博士」より

友人の死に衝撃を受けるフランシス(F・フェーヘル)
「カリガリ博士」より

奇妙に歪んだ街中のセット
「カリガリ博士」より

 舞台はオランダ国境に近い北ドイツの田舎町。学生フランシス(フリードリッヒ・フェーヘル)は、親友アラン(ハンス・ハインリッヒ・フォン・トワドフスキー)に誘われて旅回りのカーニバルを見学に行った。そこで、2人は見世物小屋に入ってみることにする。見世物小屋の出し物は、カリガリ博士(ウェルナー・クラウス)なる人物が眠り男チェザーレ(コンラッド・ファイト)を使って観客の未来を予言するというもの。面白半分で自分の寿命を尋ねたアランに、チェザーレは“明日の朝までだ!”と不気味に答える。
 そして、翌朝アランが自宅で遺体となって発見される。悲嘆に暮れるアランの婚約者ジェーン(リル・ダゴファー)のためにもと、独自に捜査を始めるフランシス。彼は、カリガリ博士とチェサーレが怪しいと睨む。一方、カリガリ博士はジェーンの美貌に魅了され、チェザーレを使って彼女を誘拐させようとするが失敗。
 いよいよ警察に追い詰められることとなったカリガリ博士は、フランシスの追及を逃れようと精神病院に逃げ込む。博士を追ってきたフランシスが院長に面会を求めると、出てきたのはカリガリ博士本人だった。カリガリは夢遊病者を使って殺人の実験を行っていたのだ。ついに証拠を突きつけられて、自ら拘束具を付けられて監禁されるカリガリ博士だったが・・・。

 実は本当の狂人はフランシスだった・・・という驚愕のクライマックスも含めて、一度見たら二度と忘れることの出来ない強烈な作品。デザイン性の高いスタイリッシュな字幕といい、象徴的でシュールな美術セットといい、最後まで目を釘付けにされる素晴らしい傑作だ。
 その美術デザインを担当したのは、表現主義の画家だったワルター・レイマン、ワルター・ローリグ、そしてヘルマン・ワルムの3人。セットは全て紙で作られ、建物の影なども全てセットに描きこまれている。その非現実的でカリカチュアされたデザインが、狂人の目から見た世界というものを表現しているわけだが、同時に第一次世界大戦後の混沌としたヨーロッパ社会の不安と退廃を映し出す鏡にもなっている。
 物語のベースとなったのは、脚本を書いたハンス・ヤノウィッツが1913年に遭遇した奇妙な出来事だった。チェコ出身の詩人だったヤノウィッツは、ドイツのホルステンワールという町でカーニバルを見学中に、物蔭にうごめく謎の人物を目撃する。その翌日、カーニバルで少女が殺された事を知った彼は、好奇心から少女の葬儀に行ってみたところ、カーニバルで目撃したのと同じ男が周囲をうろついているのを発見したのだという。その男が殺人犯かどうかは結局分らなかったが、この事件はヤノウィッツに強烈な印象を残したのだった。
 その後、第一次大戦直後のベルリンで漫画家カール・メイヤーと知り合ったヤノウィッツは、その話を彼に語って聞かせた。第一次大戦での従軍経験と父親の自殺で精神的に大きなトラウマを抱えていたメイヤーは、ヤノウィッツの話に大変な興味を示したという。
 ベルリンではアパートの一室をシェアしていたヤノウィッツとメイヤーは、休日によく郊外の小さな町へ遊びに出かけていた。ある時、旅回りのカーニバルに出くわした2人は、そこの見世物小屋で催眠状態のまま重い物を持ち上げるという“電気人間”と出会う。これにヒントを得た2人は、ヤノウィッツの経験した事件を基にして、6週間かけて脚本を書き上げたのだった。
 ちなみに、もともと監督にはフリッツ・ラングが予定されていたという。しかし、製作者のエリッヒ・ポマーは当時製作中だった“Die Spinnen”第2部の撮影に取り掛かるようラングに指示し、代わりに選ばれたのがロベルト・ウィーネだった。ただ、もともとカリガリ博士が監禁されて終わるはずだったストーリーに、意表をつくオチを付けるよう助言したのはラングだったとのこと。
 なお、1962年にロバート・ケイ監督、ロバート・ブロック脚本でリメイク版が作られているが、こちらは女性の精神病患者を主人公にした全く趣の違う作品に仕上がっている。こちらはこちらで、結構好きな作品なので、近いうちに別のコラムで紹介してみたいと思う。

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自宅で静かに眠るジェーン(L・ダゴファー)
「カリガリ博士」より

暗闇をうごめく眠り男チェザーレ
「カリガリ博士」より

ジェーンを誘拐して街中を逃走するチェザーレ
「カリガリ博士」より

 出演者の中では、やはり眠り男チェザーレを演じるコンラッド・ファイトの怪演が強烈な印象を残す。日本では「カサブランカ」('42)のストラッサー将軍役でお馴染みの名優だが、サイレント期のドイツ映画を語る上では欠かせない大物スターだった。特に、本作の他「裏町の怪老窟」('24)や「プラーグの大学生」('26)など表現主義映画で重要な足跡を残している。
 また、カリガリ博士を演じたウェルナー・クラウスも、パブストの「喜びなき町」('25)やムルナウの「タルテュッフ」('25)などで知られる個性的な名優。ジェーン役のリル・ダゴファーは、フリッツ・ラング監督の「死滅の谷」('21)や「ドクトル・マブゼ」('22)、ムルナウの「ファントム」('22)などに主演し、サイレントからトーキー初期にかけてのドイツ映画を代表するトップ・スターだった。
 また、本作で語るのを忘れてならないのは、プロデューサーであるエリッヒ・ポマーの存在だろう。当時デクラ社の社長だったポマーは、戦前のドイツ映画界において最も重要なプロデューサーだった。「カリガリ博士」、「死滅の谷」、「メトロポリス」、「嘆きの天使」、「會議は踊る」、「リリオム」など、戦前ドイツを代表する名作の殆んどが、彼の手によって世に送り出されている。
 特に彼の功績として見逃せないのは、F・W・ムルナウやフリッツ・ラング、ロベルト・ウィーネといった優れた映画監督を育てた事だろう。彼には人の才能を見抜く目があった。また、監督が自由に創作活動を行えるような環境を整え、現場には一切口出しをしないという懐の大きい人物でもあったという。そうでなければ、表現主義という前衛的な芸術活動にこれだけ大きく貢献することは出来なかっただろう。

 なお、上記のアメリカ盤DVDは本作の決定版とも言うべき1枚。とにかく、画質が素晴らしい。ドイツのフィルム・アーカイブによって、35ミリフィルムからデジタル修復されたマスターを使用しており、公開当時の着色カラーまで丁寧に再現されている。本作はパブリック・ドメインになっているので、日本でもアメリカでも画質の悪い怪しげな廉価版DVDが大量に出回っているが、本作の醍醐味を十分に味わいたいのであれば、このキノ・ビデオ版のDVDを絶対にお薦めする。
 さらに、映像特典で貴重なのは、ロベルト・ウィーネが本作の直後に作った幻のバンパイア映画「ゲニーネ」が収録されていること。残念ながら43分のダイジェスト版なのだが、「カリガリ博士」の世界をさらに奇抜にした斬新な映像は一見の価値あり。バンパイア映画とはいっても、いわゆる吸血鬼映画ではなく、男の精気を奪い取ってしまう現代の悪女として描かれているのが面白い。完全版はドイツのミュンヘンにある映画博物館でしか見る事が出来ない門外不出の作品なのだそうだ。これまた勿体ない。

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女バンパイア、ゲニーネ(フェルン・アンドラ)
「ゲニーネ」より

ゲニーネに誘惑される美青年クルゾン
「ゲニーネ」より

ゲニーネの館
「ゲニーネ」より

ゲニーネの寝室で目を覚ますクルゾン
「ゲニーネ」より

 

吸血鬼ノスフェラトゥ
Nosferatu (1922)
オフィシャル版DVDは日本未発売

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(P)2002 Kino International (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ(着色カラー)/スタンダード・サイズ/ステレオ/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/93分/製作:ドイツ

映像特典
ムルナウ作品抜粋集
フォト・ギャラリー
BGM選択
原作・脚本・映画の比較
監督:F・W・ムルナウ
製作:アルビン・グラウ
脚本:ヘンリク・ガレーン
撮影:フリッツ・アルノ・ヴァグナー
美術:アルビン・グラウ
出演:マックス・シュレック
    グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム
    アレクサンダー・グラナック
    グレタ・シュレーダー

 バンパイア映画の最高傑作は何?と訊かれたら、迷わずこの「吸血鬼ノスフェラトゥ」の名前を挙げるだろう。ベラ・ルゴシの「魔人ドラキュラ」も、クリストファー・リーの「吸血鬼ドラキュラ」も、どちらも大好きな作品には違いないが、この「吸血鬼ノスフェラトゥ」の強烈なインパクトには到底かなわない。とにかく、百聞は一見にしかず。サイレント映画はちょっと・・・なんていう先入観を取っ払って見て欲しい傑作だ。
 もともと、本作はブラム・ストーカーの書いた「吸血鬼ドラキュラ」の映画化として企画された作品だった。しかし、ストーカーの未亡人が映画化を許可しなかったため、そのストーリーの枠組みを残しつつ、登場人物の名前や吸血鬼のキャラクター造形などを変更して製作された。それが逆に、本作に独特のオリジナリティを与えることになったと見てもいいだろう。
 中でも、ストーカーのドラキュラ伯爵とは全くイメージの異なる野獣的で悪魔的な姿をしたオルロック伯爵の造形は、夢に出てきそうなくらいに恐ろしい。演じているのはマックス・シュレック。映画「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」('00)はシュレックが本物のヴァンパイアだったという設定のユニークなホラーだったが、なるほどそう思われても仕方ないくらいに異様な姿をしている。もちろん、シュレック自身はれっきとしたプロの俳優だったわけだが、もともとかなり醜悪な顔つきをした人だったらしい。なので、本作で施されている顔面の特殊メイクは耳と牙だけで、あとは彼自身の素顔をそのまま生かしているのだという。撮影現場で初めて彼と顔を合わせた人は、さぞかしビックリしたことだろう。

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吸血鬼オルロック伯爵(M・シュレック)
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

主人公トマス(G・フォン・ワンゲンハイム)
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

トマスを待ち受けるオルロック伯爵
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

 ドイツの古い町ヴィスブルグに住む不動産屋の青年トマス(グスタフ・フォン・ワンゲンハイム)は、社長クノック(アレクサンダー・グラナック)の指示でカルパチア山脈に住むオルロック伯爵(マックス・シュレック)の城を訪れることになる。言いようのない不安に駆られながらもトマスを見送る婚約者エレン(グレタ・シュレーダー)。
 長いたびを経て城に着いたトマスを出迎えたオルロック伯爵は、見るからに不気味な人物だった。やがて、トマスは伯爵がこの世の者ではない事に気付くが、時すでに遅く伯爵はヴィルスブルグに向けて旅立ってしまった。伯爵に血を吸われて衰弱したトマスだったが、なんとか城を抜け出して故郷を目指す。
 その頃、トマスの帰りを待つエレンは、恐ろしい幻覚や原因不明の夢遊病に悩まされてるようになっていた。一方、オルロック伯爵の入った棺は船に乗せられるが、乗組員が次々と謎の死を遂げていく。最後の一人となった船長が息絶えると、船底からオルロック伯爵が不気味な姿を現す。
 ヴィルスブルグの町は無人船の到着で騒然となった。やがて、船から大量のネズミが町へと流出し、恐ろしい疫病を撒き散らすことになる。次々と無残な死を遂げていく町の住民たち。その頃、生死が分らなくなっていたトマスが無事に町へと戻ってくる。トマスの帰宅で安堵するエレンだったが、そんな彼女の背後にオルロック伯爵の魔手が忍び寄っていた・・・。

 ドイツ表現主義の映画というのは、基本的にスタジオのセットで撮影されることが多いが、本作では全編に渡ってロケーション撮影が行われている。しかしながら、ロケ地となったカルパチア山脈の廃墟や、ヴィスマル、ルーベックといった古い都市の町並みを効果的に生かした映像は、いわゆる表現主義的な美術セットに勝るとも劣らない悪夢的なイメージを再現することに成功している。
 監督を手掛けたのは、エルンスト・ルビッチ、フリッツ・ラングと並んでサイレント期のドイツ映画を担った巨匠F・W・ムルナウ。特に、照明によって自由自在に動くオルロック伯爵の影を駆使したファンタジックな演出は、幻想的な美しさと不気味さを同時に醸し出していて秀逸。また、アルビン・グラウによるゴシック・テイストを盛り込んだ美術デザインも、他の表現主義映画とは一味違った印象を残す。

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トマスの帰りを待つエレン(G・シュレーダー)
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

狂人と化したクノック(A・グラナック)
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

船でドイツに着いたオルロック伯爵
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

 本作のストーリーの中核を形成しているのは、恐らくオルロック伯爵とエレンの関係だろう。迫り来る死と恐怖を察知してなのか、それともオルロック伯爵からのテレパシーのようなものを受けてなのか、不可解な行動を取るようになるエレン。それまで純真無垢だった処女エレンが、次第にセクシュアルな変貌を遂げていく。一方、静かで平和だった古都ヴィルスブルグに無言の死をもたらすオルロック伯爵。大通りを無数の棺が静かに行進していくシーンは、まるで戦争による大量殺戮を示唆しているかのようだ。そこには、第一次世界大戦によって古き良き時代の素朴な幸せを奪われたヨーロッパの姿を重ね合わせることが出来る。オルロック伯爵によってもたらされた疫病は戦争そのものであり、エレンというのは処女を奪われたヨーロッパそのものの象徴だと言えるだろう。
 なお、ドラキュラの物語では吸血鬼退治のエキスパートであるヴァン・ヘルシング教授の存在が不可欠だが、本作ではそのヴァン・ヘルシングに当たるキャラクターが存在しない。厳密に言うと、疫病の研究をしている博士が登場するのだが、殆んど活躍することなく終わってしまう。また、吸血鬼の僕であるレンフィールドに当たるのが、トマスの雇い主であるクノックという男で、アレクサンダー・グラナックが「魔人ドラキュラ」のドワイト・フライ顔負けの怪演を披露してくれる。
 いずれにせよ、本作が後年の映画界に与えた影響は非常に大きい。特に、ティム・バートン監督の「バットマン・リターンズ」、「スリーピー・ホロー」、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」、「コープス・ブライド」といった作品は、本作からの影響を抜きには語れないだろう。「バットマン・リターンズ」などは、クリストファー・ウォーケン扮する悪役にマックス・シュレックと名づけるくらいの念の入れようだった。また、トビー・フーパーの「死霊伝説」やトム・ホランドの「フライトナイト」、ジョエル・シュマッカーの「ロスト・ボーイ」、テレビ・シリ−ズ「バフィー〜恋する十字架」など、ここ25年くらいのホラー映画等におけるバンパイアの造形というのも、明らかに本作のオルロック伯爵を原型としている場合が多い。
 その他、ウェルナー・ヘルツォーク監督がムルナウにオマージュを捧げたリメイク版「ノスフェラトゥ」や、その非公式な続編(?)に当たる「バンパイア・イン・ベニス」の存在も忘れてはならないだろう。ホラー映画のパロディとも言える80年代のカルト映画「ワックスワーク」の続編「ワックスワーク2」でもオルロック伯爵が登場していたし、「マトリックス・レボリューションズ」でネオが着ているコートはオルロック伯爵にインスパイアされているという。

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疫病による死者を弔う棺の列
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

エレンをつけねらうオルロック伯爵
「吸血鬼ノスフェラトゥ」より

不気味に伸びてゆくオルロック伯爵の影
「吸血鬼ノスフェラトゥ」

 なお、本作には幾つかのバージョンが存在する。それというのも、本作は後にブラム・ストーカーの未亡人によって著作権の侵害で訴えられ、イギリスの裁判所で敗訴してしまったのだ。その結果、あらゆるネガ・フィルムもポジ・フィルムも焼却処分するように裁判所命令が出されてしまった。ただ、幸運にもドイツ国内では法的効力がなかったため、オリジナル・ネガなどは処分を免れたのだが、恐れをなした製作会社は手元にある全てのフィルムを別の配給会社に売却してしまった。で、この配給会社が独自の編集で別バージョンを作ってしまい、さらにそれをぶつ切りにして再度編集し直したものが1929年にアメリカで公開されてしまった。
 なので、現在パブリック・ドメインとしてアメリカや日本の廉価版業者から発売されている格安DVD「吸血鬼ノスフェラトゥ」は、このぶつ切りバージョンを使用しているので注意が必要。オリジナルの完全版はドイツにあるムルナウ財団が所有している。
 上記のキノ・ビデオから発売されているアメリカ盤DVDは、このムルナウ財団が所有しているオリジナル・ネガを元に、ボローニャのシネ・コミューンによって修復されたマスターを使用している。このオリジナル版の上映時間は93分。廉価版DVDも含め、日本で流通している「吸血鬼ノスフェラトゥ」のDVDは短いもので64分、長いものでも79分なので、いずれにせよオリジナル完全版ではない。本来の姿で「吸血鬼ノスフェラトゥ」を見るのであれば、このキノ・ビデオ版のDVDを購入することを強くお薦めしておきたい。

 

ファントム
Phantom (1922)
オフィシャルな日本盤DVDは紀伊国屋書店から発売中

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(P)2006 Flicker Alley (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★★
DVD仕様(北米盤)
モノクロ(着色カラー)/スタンダード・サイズ/ステレオ/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/120分/製作:ドイツ

映像特典
UCLA製作のドキュメンタリー
バイオグラフィー集
スチル・資料ギャラリー
監督:F・W・ムルナウ
製作:エリッヒ・ポマー
原作:ゲルハルト・ハウプトマン
脚本:テア・フォン・ハルボウ
    ハンス・ヘンリッヒ・フォン・トワドフスキー
撮影:アレクス・グラートクヤエ
    テオファン・オウチャコフ
美術:ヘルマン・ヴァルム
出演:アルフレード・アベル
    リル・ダゴファー
    リア・デ・プティ
    グレーテ・ベルゲル
    アウド・エゲーデ・ニッセン
    フリーダ・リヒャルト

 ドイツ表現主義というと、どうも怪奇幻想の世界でばかり語られがちになってしまうが、それはあくまでも一つの側面にしか過ぎない。その独特の非現実的で象徴的な表現スタイルを、日常的なドラマの中における人間の心象風景として効果的に使った作品も少なくない。その代表的な作品と言えるのが、F・W・ムルナウ監督の「ファントム」である。
 主人公は市役所に勤める平凡な男ローレンツ(アルフレード・アベル)。彼には年頃の妹メラニー(アウド・エゲーデ・ニッセン)と病弱な弟ヒューゴ(ハンス・ヘンリッヒ・フォン・トワドフスキー)、そして苦労して兄弟を苦労して育ててくれた母親(フリーダ・リヒャルト)という家族がいる。ローレンツが一家の大黒柱なわけだが、公務員である彼の給料は少なく、生活は非常に貧しい。
 読書の虫で夢想癖のあるローレンツの将来の夢は詩人になること。近所にある製本屋の主人シュタルケ氏(カール・エトリンゲル)は彼の才能を高く評価しており、出版社に彼の詩を推薦してくれるという。また、シュタルケ氏の娘マリー(リル・ダゴファー)も彼に心を寄せているが、純朴で鈍感なローレンツは全く気付いていない。
 ある日、考え事をしながら道を歩いていたローレンツは、あやうく馬車にひき殺されそうになる。馬車に乗っていた美しい女性ヴェロニカ(リア・デ・プティ)に心を奪われてしまった彼は、まるで何かに取り憑かれたかのように馬車の後を追った。ヴェロニカは大富豪の娘だった。彼のような貧乏人には、とうてい近づきになれる相手ではない。がっくりと肩を落とすローレンツだったが、ヴェロニカに対する想いはまるで狂気のように彼の精神を蝕んでいき、やがて仕事も手がつかないほどになっていく。
 一方、ローレンツの妹メラニーも問題を抱えていた。華やかなファッション、豪華な宝石、賑やかな社交界に憧れる現代娘メラニーは、貧しい生活に我慢が出来ず、母親の止めるのも聞かずに家を飛び出してしまう。ヤクザ者の男と一緒になった彼女は、退廃した物質主義の世界にどんどんと溺れていってしまうのだった。
 ヴェロニカへの想いが高まるばかりのローレンツは、カフェでヴェロニカに瓜二つの女性メリッタ(リア・デ・プティ)と知り合う。たちまち彼はメリッタに夢中になってしまうが、彼女は母親と組んで男たちから金品を搾取して生活する詐欺師だった。だが、すっかり周りが見えなくなってしまったローレンツは全く気付かない。メリッタの言うなりになって高価なドレスや宝石を買い与えるローレンツ。しかし、彼にそんなお金があるはずがない。
 実は、彼の叔母シュワーベ(グレーテ・ベルゲル)は高利貸しを営んでいた。ローレンツは彼女から借金をしていたのだ。シュタルケ氏は彼の詩を出版社に紹介してくれるという。出版されれば印税が入るはずだ。彼はその印税を当てにして、お金を借りていた。
 止まるところを知らないメリッタの浪費癖。シュワーベ叔母さんから借りたお金も次第に底を尽きていった。しかも、彼の詩集は出版社のお眼鏡に適わず、印税どころか出版すら絶望的となってしまった。無断欠勤で仕事も失い、心配した母親も病で倒れてしまった。それでも、メリッタを失いたくないローレンツは、シュワーベ叔母さんに金を無心しようとするのだが・・・。

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ローレンツ(A・アベル)とその母親(F・リヒャルト)
「ファントム」より

自堕落な生活を送るメラニー(A・エゲーデ・ニッセン)
「ファントム」より

シュタルケ氏(K・エトリンゲル)とマリー(L・ダゴファー)
「ファントム」より

 タイトルの“ファントム(亡霊)”というのは、愛する女性に魂を奪われ抜け殻となってしまったローレンツ、物質主義の虜となって人間性を見失ってしまったメラニーのことであり、同時に彼らが狂ったように追い求めながら手の届くことのない幻想のことでもある。
 このように、本作は現代社会における人間の欲望と狂気をメロドラマ形式で描いていくわけだが、随所に挿入される表現主義的な心象風景が素晴らしい効果をあげている。ヴェロニカの幻影を求めて狂人のように街を彷徨うローレンツ。歪んだ建物が彼の上に覆いかぶさり、並んだ家々の巨大な影が走る彼の後を追う。また、狂乱の渦巻くカフェでメリッタと共にテーブルに座るローレンツ。ハッと気付くと、テーブルごと暗い穴の底へと急速に堕ちて行く。
 美術デザインと特殊効果を担当したのは「カリガリ博士」のヘルマン・ヴァルム。ムルナウとは前作「フォーゲルエート城」('21)でも組んでいる人物だ。ムルナウはヴァルムのアイディアを積極的に取り入れ、大掛かりなセットまで組んで斬新なビジュアル世界を創り出した。その表現主義的スタイルを生かした独創的なアイディアは、登場人物の目から見た心象世界をファンタジックに描くことに成功していると言えるだろう。
 主役のローレンツを演じるのはアルフレード・アベル。フリッツ・ラングの傑作「メトロポリス」('26)で、メトロポリスの冷酷な支配者を演じた名優だ。ここでは、平凡で気弱な小市民ローレンツの愚かなまでの純朴さ、不器用さを巧みに演じており、「メトロポリス」の時とは全く別人のように見える。
 また、その母親を演じるフリーダ・リヒャルトの熱演も印象深い。ルプ・ピック監督の名作「除夜の悲劇」('23)の母親役やレニ・リーフェンシュタール主演の「聖山」('26)の母親役など、戦前から戦後にかけて実に200本以上もの映画に出演した名女優。まるで当時のドキュメンタリー映画から抜け出してきたかのような、貧しくて土臭い労働者階級の母親を実にリアルに演じている。
 その他、ドイツ表現主義には欠かせないリル・ダゴファーやリア・デ・プティ、アウド・エゲーデ・ニッセンといった当時の人気女優の共演も華やかだ。

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大富豪の娘ヴェロニカ(L・デ・プティ)
「ファントム」より

幻想の世界を駆け抜けるヴェロニカ
「ファントム」より

狂気に蝕まれていくローレンツの精神世界
「ファントム」より

 原作を書いたのはドイツの有名なロマン派作家ゲルハルト・ハウプトマン。実はこの作品、彼の60歳の誕生日の記念式典に合わせて作られたものだった。もともと、式典の主催者側からプロデューサーのエリッヒ・ポマーに対して、まだ出版される前のハウプトマンの最新作を映画化して欲しいとのオファーがあった。ちょうどフリッツ・ラングの「ドクトル・マブゼ」を終えたばかりだったポマーは、同作の脚本を書いた女流脚本家テア・フォン・ハルボウ(後のラング夫人)に脚色を任せた。なお、本編にはクレジットされていないものの、ローレンツの弟ヒューゴを演じたハンス・ヘンリッヒ・フォン・トワドフスキーも、脚本の執筆に関与しているらしい。
 その他のスタッフやキャストの大半も、「ドクトル・マブゼ」に参加したメンバーで構成されている。なので、ムルナウにとっては外から持ち込まれた企画だったわけだが、結果としてはムルナウ以外には描くことの出来ないファンタジックなサイコロジカル・ドラマに仕上がっている。

 なお、上記のアメリカ盤DVDはドイツのムルナウ財団が所有するネガ・フィルムを、映画修復の専門家であるルチアーノ・ベリアトゥア氏が修復したものを使用している。しかも、PALからのテレシネ変換ではなく、アメリカ国内でNTSCによるテレシネを行っている。どうやら、日本盤も同じマスターから作られているらしい。ただ、日本盤は税込みで5000円以上もするのに対し、アメリカ盤は送料込みでも4000円以内で確実に納まる。字幕さえ問題なければ、アメリカ盤の方がお買い得かもしれない。

 

戦く影
Schatten-Eine nachtliche Hallizination (1923)
日本盤DVD・VHS共に未発売

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(P)2006 Kino International (USA)
画質★★★★☆ 音声★★★★☆

DVD仕様(北米盤)
モノクロ(着色カラー)/スタンダード・サイズ/ステレオ/音声:サイレント/字幕:なし/地域コード:ALL/85分/製作:ドイツ

映像特典
なし

監督:アルトュール・ロビソン
脚本:アルトゥール・ロビソン
    ルドルフ・シュネイデル
撮影:フリッツ・アルノ・ヴァグナー
美術:アルビン・グラウ
出演:フリッツ・コルトナー
    ルート・ワイヤー
    グスタフ・フォン・ヴァンゲンヘイム
    アレクサンダー・グラナック
    ルドルフ・クレイン・ロッゲ

 ドイツ表現主義映画を代表する傑作の一つと言われながら、長いこと幻の作品とされてきた「戦く影」。海外でも、使い古された上映用ポジからテレシネされたとおぼしき粗悪なVHSが過去に海賊盤市場で出回っていたが、ようやく昨年アメリカのキノ・ビデオからオフィシャルなレストア版がDVDで発売された。
 監督のアルトゥール・ロビソンはアメリカ人。ドイツに渡って映画監督になったという珍しいキャリアの持ち主で、ジョン・フォード監督の「密告者」のオリジナルである「密告」('29)を手掛けた人物としても知られている。ただ、彼自身は表現主義運動に深く関わっていたわけではなく、いわゆる表現主義的な作品というのはこれ一本だけしか残していない。
 また、作品自体も他の表現主義映画に比べると、際立って特徴的な表現主義映画とは言えないかもしれない。だが、それはあくまでも「カリガリ博士」を表現主義映画の基準として限定すればの話だ。何も、歪んだりカリカチュアされた美術セットだけが表現主義の特徴ではない。非現実的で象徴的な表現方法によって人間の精神世界や社会の空気を描くのが表現主義なのであり、その意味において本作は紛れもない表現主義映画と言えるだろう。

 この「戦く影」の最大の特徴は、サイレント映画に必須の字幕タイトルが一切ないという点だろう。全編を通して、映像だけで物語を表現している。その中で、特に効果的に使われているのが“影”である。動く人間の影や照明によって変化するインテリアの影などを使って、登場人物の心理状態や物語の背景を的確に表現していくのだ。撮影を担当したのはフリッツ・アルノ・ヴァグナー。ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」でオルロック伯爵の影を象徴的に使っていたカメラマンだが、本作でもその豊かなイマジネーションを最大限に発揮し、まるで生き物のような影を自由自在に操っている。しかも、それが全く不自然に感じられないのが凄い。

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嫉妬深い伯爵(F・コルトナー)
「戦く影」より

浮気性の伯爵夫人(R・ワイヤー)
「戦く影」より

夫人を崇拝する若者(G・フォン・ヴァンゲルヘイム)
「戦く影」より

 舞台は19世紀半ば。とある伯爵(フリッツ・コルトナー)の豪邸で晩餐会が開かれる。招待されたのは4人の男性。いずれも妻(ルート・ワイヤー)の崇拝者だ。かつては深く愛し合っていた伯爵と妻だったが、今ではすっかり愛情も冷め切ってしまっている。
 晩餐会が始まり、男性たちを相手に踊り狂う伯爵夫人。その露骨なまでの淫らな姿は、まるで夫への当て付けのようだ。それを見て激しく嫉妬心を燃やす伯爵。一方、男たちの欲望も高まっていき、晩餐会は異様な空気に包まれてくる。その中で、唯一冷静に立ち振る舞っているのが、伯爵夫人に憧れる純粋な若者(グスタフ・フォン・ヴァンゲンヘイム)だ。
 そこへ、影絵師だと名乗る怪しげな男(アレクサンダー・グラナック)が現れる。その見事な影絵術を気に入った伯爵は、余興として出し物を披露させることを許した。やがて、広間のテーブルに並んで座った人々を前に、東洋風の影絵劇が始まった。すると、不思議な事に出席者の影が勝手に動き始め、彼らを呑み込んでテーブルの反対側へと移動してしまう。
 突然テーブルを立つ伯爵夫人。その後を追う若者。2人は寝室で激しく愛を交わす。怒りが頂点に達した伯爵は、召使たちに命じて妻を縄で縛らせる。そして、出席者たちに凄まじい形相で迫った。剣を手に持ち、自分を刺し殺すか、妻を刺し殺すか、どちらかを選べと。
 愛する人を救いたい若者だったが、伯爵の気迫に怖気づく。そして、他の3人も震え上がり、剣を手にして伯爵夫人に近づく。やがて、伯爵夫人のシルエットを貫く3本の剣の影。床に倒れる伯爵夫人。発狂する伯爵。男たちは伯爵ともみ合いになり、彼をベランダから突き落としてしまう。
 すると伯爵の遺体がスーッと消え、テーブルに並んだ男女の影がもとに戻っていく。やがてハッと我に返る人々。果たして全ては一瞬の夢だったのか・・・?

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伯爵夫人と若者の関係を象徴する幻想シーン
「戦く影」より

屋敷に現れた影絵師
「戦く影」より

鬼と化した伯爵の内面を象徴するシーン
「戦く影」より

 このように、この作品における“影”というのは単なる表現手段としてだけではなく、物語の重要なキー・ワードともなってくる。現実の世界から幻想の世界への橋渡し役でもあるのだ。もちろん、表現手段としても素晴らしい効果を見せている。例えば、窓のカーテンに映し出された伯爵夫人の影を愛撫するかのように重ねられる男たちの影。それだけで、彼らが夫人に対してどのような欲望を抱いているのかがハッキリと分る。また、壁にかけられた鹿の剥製に伯爵の影が重なり、まるで伯爵の頭に鬼のごとく角が生えたようになる。これにより、その後の伯爵の恐るべき凶行が暗示されるのだ。
 基本的なプロットはシンプルな愛憎劇なわけだが、そこに怪しげな影絵師が登場することによって、怪奇幻想的な雰囲気を盛り込んでいる。舞台劇のように登場人物たちを一人づつ紹介していくオープニングも含め、ロビンソン監督の演出は自然主義的なリアリズムを一切排除し、あくまでもサイコロジカルなファンタジー映画を目指していると言えるだろう。多分に実験的な色合いの強い作品だが、その摩訶不思議な映像世界は今見ても非常に斬新で魅力的。明らかに、他では見たことのない映画だと言える。
 伯爵役を演じるのはパヴストの傑作「パンドラの箱」でルイーズ・ブルックスの相手役を演じたフリッツ・コルトナー。伯爵夫人役はポーランド出身の女優ルート・ワイヤー。そして、彼女を愛する若者を演じるのが、「吸血鬼ノスフェラトゥ」でトマス役を演じたグスタフ・フォン・ヴァンゲンヘイム。「吸血鬼ノスフェラトゥ」の頃はちょっとふっくらしていたが、本作では別人のように耽美的で官能的な美青年ぶりを見せてくれる。

 

 

プラーグの大学生
Der Student von Prag (1913)
日本ではDVD未発売

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(P)2004 Alpha Video (USA)
画質★☆☆☆☆ 音質★★★★☆

DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダード・サイズ/ステレオ
/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/41分/製作:ドイツ

映像特典
なし

監督:シュテラン・ライ
原作:ハンス・ハインツ・エーヴェルス
脚本:ハンス・ハインツ・エーヴェルス
撮影:グイド・シーベル
美術:ロベルト・A・ディートリッヒ
    カール・リヒター
出演:パウル・ヴェゲナー
    グレーテ・ベルゲル
    リディア・サルモノワ
    ヨン・ゴトウト
    フリッツ・ヴィーデマン

 戦前のドイツで3度に渡って映画化された「プラーグの大学生」。その最初の映画化に当たるのが本作だ。ファウスト伝説とドッペルゲンガー伝説を足したユニークなストーリーと、中世のプラハを舞台にした幻想的なムードが非常に魅力的。厳密には“ドイツ表現主義”の枠組みに入る作品ではないものの、その怪奇幻想趣味という意味においては、表現主義映画のルーツ的なポジションにある作品と見る事ができるだろう。特に、全体を包み込む陰鬱で暗いムードは、後の「吸血鬼ノスフェラトゥ」や「ゴーレム」、「裏町の怪老窟」といった表現主義映画に通じるものがあると言える。
 舞台は19世紀のプラハ。貧しい学生バルドゥイン(パウル・ヴェゲナー)は、暴走する馬に乗った伯爵令嬢マルギット(グレーテ・ベルゲル)を助ける。一目でマルギットに夢中になったバルドゥインだったが、相手は身分の違う金持ちだ。思い悩む彼に、スカピネッリ(ヨン・ゴトウト)という金貸しが近づく。金を貸す代わりに自分の好きなものを抵当に入れさせろと持ちかけるスカピネッリ。バルドゥインは首をかしげながらも契約書にサインをした。すると、スカピネッリは鏡に映ったバルウインを奪い去ってしまう。
 借りた金でマグリットに交際を申し込み、至福の時を過ごすバルウインだったが、やがて鏡から消えた分身が彼の周囲をうろつくようになる。どこまでも付いて来る自分のドッペルゲンガーに悩まされた彼は、思い余ってもう一人の自分にピストルを向けるのだが・・・。

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バルドウインに言い寄るスカピネッリ
「プラーグの大学生」より

鏡から抜け出してくるバルドゥインの分身
「プラーグの大学生」より

伯爵令嬢マルギットに思いを寄せるバルドゥイン
「プラーグの大学生」より

自分の分身に追われて街を徘徊するバルドゥイン
「プラーグの大学生」より

 本作で脚本も書いている原作者のハンス・ハインツ・エーヴェルスは、E・T・A・ホッフマンの「砂の商人」やエドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルスン」からヒントを得たという。オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思わせる部分もあるが、いずれにせよ浪漫主義文学の影響が濃厚な作品と言えるだろう。
 監督のシュテラン・ライはデンマークの出身で、当時はまだ監督としてデビューしたばかりだった。鏡に映った主人公の姿が勝手に動き出して鏡から抜け出てくるシーンや、主人公がプラハの街中を徘徊する幻想的なシーンなど、なかなかいい画を撮っている。この翌年に第一次世界大戦に出征し、34歳の若さで戦死してしまったのは不幸だった。
 主人公のバルドゥインを演じているのはパウル・ヴェゲナー。表現主義の名作「ゴーレム」('14)と「巨人ゴーレム」('20)で監督を手掛け、ゴーレム役を演じたことで有名な人物だ。当時既に39歳ということで、若い学生を演じるにはちょっと無理があるようにも思えるのだが、あのインパクトの強い顔は怪奇映画の世界には合っているのかもしれない。
 また、令嬢マルギット役を演じるグレーテ・ベルゲルも当時30歳。今でこそ30歳と言ってもまだまだ若いうちに入るが、当時で30歳といえば既に年増の域である。体型も明らかにおばさん。とても見目麗しい伯爵令嬢には見えないのが何とも苦しいところだ。ちなみに彼女、ムルナウの「ファントム」では高利貸しのシュワーベ叔母さんを演じている。
 ちなみに、バルドゥインに思いを寄せる貧しい娘ニドゥーシュカ役としてパウル・ヴェゲナー夫人でもあるチェコ人女優リディア・サルモノワが出演しているが、正直言って彼女の方が遥かに若くて美人。それだけに、主人公のマルギットに寄せる想いというのがイマイチ理解しづらい。単に金持ちが好きなだけなのか・・・(苦笑)?

 なお、本作はオフィシャルな形でのビデオ・ソフト化というものが未だにされていない。日本では過去に上映用ポジを使用したVHSが発売されただけだし、アメリカでも廉価版専門のアルファ・ビデオからDVDが発売されているだけ。このアルファ・ビデオ版は、一応新たに字幕タイトルを付け直して、新しいBGMスコアを付けているというのだが、肝心の映像は古い上映用ポジのまま。近い将来、クライテリオンかキノ・ビデオからレストア版が出るのを期待したい。

 

プラーグの大学生
Der Student von Prag (1926)
日本ではDVD未発売

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(P)2004 Alpha Video (USA)
画質★★☆☆☆ 音質★★★☆☆

DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダード・サイズ/ステレオ
/音声:サイレント/字幕:英語/地域コード:ALL/91分/製作:ドイツ

映像特典
なし

監督:ヘンリク・ガレーン
原作:ハンス・ハインツ・エーヴェルス
脚本:ハンス・ハインツ・エーヴェルス
    ヘンリク・ガリーン
撮影:ギュンター・クランプ
出演:コンラッド・ファイト
    ヴェルナー・クラウス
    フリッツ・アルベルティ
    アニエス・エステルハジー
    フェルディナンド・フォン・アルテン
    エリッザ・ラ・ポルタ

 映画化された「プラーグの大学生」の中で最も評価が高いのが、このヘンリク・ガレーン監督による26年度版。同じハンス・ハインツ・エーヴェルスが脚本に携わっているので、基本的なストーリーは13年度版と全く一緒だが、登場人物にまつわるドラマがより深く描きこまれている。13年度版は上映時間がたったの41分で、ほとんどダイジェスト版と言っていいような内容だったので、それも仕方ないところだろう。
 主人公の貧しい学生バルドゥイン(コンラッド・ファイト)のキャラクターも、陰のある孤独なキャラクターとして描かれており、その深刻な階級コンプレックスが周囲の学生との溝を生み、マルギット(アニエス・エステルハジー)に対する強い執着心となる。また、13年度版ではただの変わり者の爺さんにしか見えなかったスカピネッリ(ヴェルナー・クラウス)も、ここでは悪魔的な怖さを持った人物として描かれており、強烈なくらいのカリスマ性を放っている。
 このバルドゥインとスカピネリを演じるのが、「カリガリ博士」のコンビであるコンラッド・ファイトとヴェルナー・クラウスというのも気が利いている。「カリガリ博士」ではヴェルナー・クラウスがカリガリ博士に扮して、コンラッド・ファイト扮する眠り男チェザーレを操っていたわけだが、本作でもクラウス扮するスカルピネッリはファイト扮するバルドゥインの運命を操るメフィストフェレス的存在だ。そして、どちらも役柄のイメージを非常に上手く再現している。青白く深刻そうな顔立ちをしたコンラッド・ファイトはインテリ学生そのものといった感じだし、野獣的な個性を持ったヴェルナー・クラウスはスカピネッリという人物の超人的な悪魔性を見事に体現している。
 また、マルギット役を演じるアニエス・エステルハジーの上品な美貌も、伯爵令嬢に相応しい雰囲気を持っているし、対する貧しい娘リドゥーシュカを演じるエリッザ・ラ・ポルタの瑞々しい若さも魅力的。13年度版で最大の難点だったミス・キャストを見事に解消している。

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悩める学生バルドゥイン(C・ファイト)
「プラーグの大学生」より

バルドゥインに近づくスカピネッリ(W・クラウス)
「プラーグの大学生」より

令嬢マルギット(A・エステルハジー)と婚約者
「プラーグの大学生」より

素朴な娘リドゥシュカ(E・ラ・ポルタ)
「プラーグの大学生」より

 監督を手掛けたのはチェコ出身のヘンリク・ガレーン。「吸血鬼ノスフェラトゥ」や「巨人ゴーレム」の脚本を手掛けた人物で、幻の名作「妖花アラウネ」('28)の監督としても知られている。当時は既に表現主義運動自体が終焉に向いつつあった時期だが、それでも随所に表現主義的な画作りを垣間見ることが出来る。そのスタイリッシュで幻想的なムードは、13年度版よりも遥かにミステリアスで美しい。美術デザインにヘルマン・ヴァルムが参加しているのも見逃せないところだろう。

 なお、本作も13年度版と同じように、今のところオフィシャルなビデオ・ソフトが発売されていない。DVDで手に入るのはアルファ・ビデオ版のみで、画質的には大いに問題がある。また、日本では過去にビデオ発売すらされていない様子。ドイツ映画やホラー映画の歴史を語る上で欠かせない名作ゆえに、それに相応しい形で鑑賞したいものだと思う。

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悪魔的な力を発揮するスカピネッリ
「プラーグの大学生」より

鏡から抜け出すバルドゥインの分身
「プラーグの大学生」より

表現主義の影響が残る美術セット
「プラーグの大学生」より

バルドゥインの姿だけが鏡に映らない・・・
「プラーグの大学生」より

 

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