アーサ・キット Eartha Kitt
〜反骨のブラック・ディーバ〜
人種差別の根強い50年代の保守的なアメリカで、セクシーでゴージャスなヴァンプとして登場した黒人歌手アーサ・キット。その官能的でアグレッシブなパフォーマンス・スタイルは、当時の人々に強い衝撃を与えた。“バッド・アーサ”の異名を取った彼女は、当時まだ黒人女性にとってタブーであったセックス・アピールを全面に押し出した最初のスターだった。肌の色が違うというだけでレストランでは黒人が白人と同じ入り口から入ることを許されず、黒人と白人の乗るバスが区別されていた時代。ハリウッド映画で描かれる黒人女性像は白人に仕えるメイドか百姓女が関の山。音楽の世界でもリナ・ホーンみたいな品行方正で上品な歌手やサラ・ヴォーンのような渋い実力派が主流だった。男を誘惑する危険な存在としてのヴァンプというのは、ある意味で白人女性の特権だったと言えるかもしれない。ゆえに、アーサ・キットの登場というのは、公民権運動の芽生えはじめた50年代という時代を象徴しているとも考えられる。
デビューから今年で57年、未だにバリバリ現役のアーサだが、そのキャリアはまさに闘いの繰り返しだった。黒人である事から当時の社会で不当な差別を受け、さらに白人の血が混じっているということから黒人のコミュニティーからも疎外された。幼い頃から居場所のなかった彼女は、パリのナイトクラブで人気を集めて独自のパフォーマンス・スタイルを確立した。それまで一方的に黒人に押し付けられていたステレオタイプに反発し、自由奔放な新しい黒人女性のイメージを創り上げたアーサ。しかし、リベラルで意思の強い彼女は、ホワイトハウスでベトナム戦争を痛烈に批判してアメリカのショー・ビジネス界を追放されてしまう。ヨーロッパに活路を見出した彼女は、70年代半ばにブロードウェイに復帰。さらに、80年代にはそれまでのジャズ歌手のイメージをかなぐり捨てて、華々しいディスコ・ディーヴァとしてヒット・チャートにも返り咲いた。類稀な反骨精神でキャリアを切り開いてきた人だと言えるだろう。
アメリカでは特にゲイの間で熱烈に愛されているアーサ。彼女自身もゲイに強い共感を抱いているという。“私はゲイの人たちにとても共感するものがある。なぜなら、私たちは拒絶されることの痛みを知っているからよ。”
アーサ・キットは1928年1月28日、サウス・カロライナ州はコロンビアに生まれた。父親は貧しい白人の農民で、母親はチェロキー・インディアンの血を引く黒人農婦だった。両親は結婚しておらず、アーサは母親の私生児として育てられた。しかし、人種差別の激しい南部において、黒人でも白人でもない彼女は双方のコミュニティーから異端視されていたという。そんな彼女の存在を重荷に感じた母親は、8歳だったアーサをニューヨークのハーレムに住む叔母のもとに送った。だが、この叔母も肌の色の薄い彼女を厄介者扱いし、アーサは孤独な少女時代を過ごすことになる。
こうして、ショー・ビジネスのメッカであるニューヨークで暮らすようになったアーサは、音楽やダンスが日常に溶け込んでいるハーレムの生活の中で次第にエンターテイナーへの憧れを強めていく。そして、1945年にキャサリン・ダンハム率いるダンス一座のオーディションに合格した彼女は、ダンサー兼歌手として一座と共に全米やヨーロッパを巡業。1950年に訪れたパリでナイトクラブのオーナーに実力を認められた彼女は、遂にソロ歌手としてデビューを果たした。そのままパリに滞在することになったアーサは、ここでオーソン・ウェルズと知り合う。アーサを“世界で最もエキサイティングな女性”と評したウェルズは、彼女を舞台「ファウスト」でトロイのヘレン役に抜擢。私生活でも急接近した二人は、パリで短い同棲生活も送った。
翌年ニューヨークに戻ったアーサはナイトクラブのステージに立ち、ブロードウェイのプロデューサーの誘いで舞台“New
Faces of
1952”に出演。これが大評判となり、20世紀フォックスの製作した映画版にも出演を果たした。さらにRCAとレコーディング契約を結んだ彼女は、“Santa
Baby”や“Love For Sale”などのヒット曲を次々と放っていく。
歌手アーサ・キットの作り上げたイメージは、男を誘惑して弄びながらも、しかし決して媚びることのない自由奔放な女性像だった。彼女のスタイルを決定付けた“I
Want To Be
Evil”などは、まさに象徴的な作品と言えるだろう。自らの意思で男を手玉に取り、周囲の価値観に左右されないインディペンデントな女。アーサ・キットは人種の垣根を越えた、新しい時代の“強い女”だった。その意志の強さは彼女のパフォーマンスにも色濃く表現されている。女の性を露骨に武器にしながらも、決していやらしさを感じさせないのは、誰にも頼ったりはしないという彼女自身の確固たる信念がそこに存在するからに他ならない。外国語訛りの強い独特のイントネーションや演劇的な要素の濃厚な歌唱法も含めて、アーサ・キットはそれ以前にも以降にも存在しない唯一無二の個性だったと言えるだろう。
57年には映画「セントルイス・ブルース」でナット・キング・コールの相手役に抜擢された彼女は、さらにセンセーショナルな問題作“Anna
Lucasta”に主演。これは自立心が旺盛なゆえに周囲から理解されず、娼婦に身を落としてしまう黒人女性を描いた作品で、アーサはヒロインのアンナ・ルカスタ役を大熱演。円満に収束してしまうご都合主義的なハッピー・エンドに不満は残るものの、彼女自身の個性を十二分に生かしたヒロイン像はとても印象的だった。
プレスリーがRCAと契約した同じ年の1955年にEMIレコードへ移籍したアーサ。アメリカではジャズがロックン・ロールに取って代わられ、彼女はイギリスやヨーロッパでの活動を積極的に行うようになる。特に、EMIの名物プロデューサーだったノーマン・ニューウェルと組んだアルバム“The
Romantic Eartha”('62)と“Love For
Sale”('65)は、エレガントでモダンなセンスの発揮された名盤として名高い。また、1960年には白人男性のビル・マクドナルドと結婚して一人娘をもうけた(1965年に離婚)。しかし、ヒット・チャートの上でのアーサ・キットは次第に過去の人になりつつあった。
そんな彼女の転機となったのが1967年に出演したテレビ番組「バットマン」。2代目キャットウーマンを演じたアーサは、“グルルルル・・・”と猫のように喉を鳴らす独特の発声法を編み出し、新しいファン層を獲得した。このユニークな発声法は歌手アーサ・キットとしてのパフォーマンスにも生かされるようになり、以降彼女のトレード・マークとなっていく。
こうして再びショー・ビジネス界の第一線に返り咲いたアーサだったが、その直後に重大なスキャンダルを巻き起こすことになる。1968年、ホワイトハウスで行われたジョンソン大統領の昼食会に招かれたアーサは、そこでベトナム戦争を批判するコメントを発表したのだった。“私自身が自分のお腹を痛めて子供を生んだ母親です。そんな子供たちを、あなた方は戦場に送っている。若者たちが反抗してドラッグに走るのも不思議ではないでしょう。”
この発言に大激怒したのがジョンソン大統領夫人で、アーサはホワイトハウスのブラックリストに載せられてしまう。それはすなわち、アメリカの主だった劇場やコンサート・ホールには出演できないということを意味し、EMIレコードとの契約も切られてしまった。また、彼女の発言はアメリカ大衆の間でも賛否両論で、彼女のコンサートを見に来る大人の世代に強い反感を買ってしまったのは痛手だった。こうして、実質的にアメリカのショー・ビジネス界を追放されてしまったアーサは、再びヨーロッパへと活動の拠点を移すのだった。
1975年にパム・グリアー主演のブラクスプロイテーション映画“Friday
Foster”でアメリカに戻ったアーサは、1978年にブロードウェイの黒人ミュージカル“Timbuku”に出演して大絶賛された。さらに、1983年にはシングル“Where
Is My
Man”で本格的に音楽界にもカムバックを果たす。これはヴィレッジ・ピープルやリッチー・ファミリーなど70年代に数多くのディスコ・アーティストを手掛けたヒット・メーカー、ジャック・モラーリがプロデュースを手掛けたダンス・ナンバー。モラーリ自身がゲイであったこともあるが、当時既にゲイ・アイコンとして絶大な支持を得ていたアーサのヴァンプ的イメージを最大限に生かした作品で、世界中のゲイ・ディスコを中心に爆発的な大ヒットを記録。アメリカではビルボードのダンス・チャートで1位を記録した他、イギリスのヒット・チャートでも34位をマーク。アーサにとっては約30年ぶりとなるUKチャート・ヒットであり、初のゴールド・ディスクを獲得する大ヒットとなった。
翌年には“I
Love Men”が再びヒット・チャートを席巻し、アルバム“Where Is My Man”もリリースされた。このアルバムからは他にも“This Is My
Life”や“I Don't Care”、“Arabian
Song”などがシングル・カットされている。中でも、“仕方ないでしょ、これが私の人生だもの”と歌う“This Is My
Life”や“他人が何と言おうとも私は私の道を突き進む”と歌う“I Don't
Care”は、彼女の生き様を歌った作品である同時に社会から差別されるゲイの心情を代弁した作品でもあり、ニューヨークやロンドンのゲイ・コミュニティーから絶大な支持を得た。
こうして新たにゲイ・ディーヴァ及びディスコ・ディーヴァとしての地位を確立したアーサは、1989年にメジャーのアリスタ・レコードと契約。その第一弾シングル“Cha
Cha
Heels”はイギリスのシンセ・ポップ・バンド、ブロンスキ・ビートとの共演作だった。ブロンスキ・ビートは労働者階級に生まれたゲイの若者の閉塞感を歌った“Smalltown
Boy”の大ヒットで注目されたグループ。“Cha Cha
Heels”そのものは、夜の街へと繰り出す危険な女アーサ・キットの火遊びを歌ったアグレッシブでクイアーなダンス・ナンバーで、全英32位の中ヒットを記録した。
また、89年の「エリック・ザ・バイキング」辺りから本格的に映画女優としても活動を再開するようになったアーサは、エディ・マーフィ主演の「ブーメラン」('92)や「クレイジー・ナッツ」('98)など数多くの映画に出演。さらに、その独特の声を生かして「ラマになった王様」('00)などのアニメ作品の声優としても活躍。また、ブロードウェイ・ミュージカルにも数多く出演している。
一方で、1994年にはアルバム“Back
In
Business”でジャズ界にも復帰し、現在も全米各地の有名ジャズ・クラブでライブ活動を積極的に行っている。既に80歳を目前に控えたアーサ・キット。2年前のインタビューで引退するつもりはないのかと訊かれた彼女は、その問いにこう答えている。“数字は単に数字でしかないということを皆さんにも理解して欲しいと思うわ。自分の面倒をちゃんと見ることが出来て、正しい食事をして、そして他人に依存するようなことがない限りはね。”と。
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Legendary Eartha Kitt |
The Collection | ||
(P)2001 BMG Entertainment (Australia) | (P)2006 EMI Records (UK) | ||
DISC 1 1,The Memphis Blues 2,I Want To Be Evil ビデオ 3,Monotonous ビデオ 4,Chantez-Les Bas (Sing'Em Low) 5,Beale Street Blues 6,My Heart Belongs to Daddy 7,Mambo De Paree 8,Lilac Wine 9,The Day That The Circus Left Town 10,Lisbon Antigua 11,Do You Remember? 12,Fascinating Man 13,Angelitos Negros 14,Somebody Bad Stole De Wedding Bells 15,Avril Au Portugal 16,Careless Love 17,Jonny, Wenn Du Geburstag Hast |
DISC 2 1,C'est Si Bon ビデオ 2,Lovin' Spree 3,Annie Doesn't Live Here Anymore 4,Uska Dara - A Turkish Tale 5,Let's Do It 6,Under The Bridges Of Paris 7,Santa Baby 8,Mink, Schmink 9,Hey Jacque 10,Je Cherche Un Homme 11,The Heel 12,Smoke Gets In Your Eyes 13,Lullaby Of Birdland 14,Apres Moi 15,Thursday's Child 16,Lazy Afternoon 17,Looking For A Boy |
DISC 3 |
1,I've Got You Under My
Skin 2,(Ah The Apple Tree)When The World Was Young 3,Wonderful Illusion 4,Solitude 5,Easy To Love 6,September Song 7,You'll Never Know 8,Speak Love 9,Happiness Is A Thing Called Joe 10,Mirage 11,Chez Moi 12,In The Still Of The Night 13,Love For Sale 14,Autumn Leaves 15,The Girl From Ipanema 16,Darling, Je Voaus Aime Beaucoup 17,Too Close For Comfort 18,Guess Who I Saw Today? 19,C'est Magnifique 20,I Wish You Love 21,My Man 22,Moon River 23,The Last Time I Saw Paris 24,Love |
アーサのRCA時代の代表作をコンパイルした3枚組CDセットの1枚目。まだまだ技術的には荒削りなものの、腰の据わった歌いっぷりは既に大物の風格を漂わせています。日本ではモンローの歌唱で有名なコール・ポーターの#6の危うげな気だるさは秀逸。また、キッチュでユーモラスなフレンチ風マンボ#7の楽しさも捨てがたいですね。“ウィーッ!”って掛け声がむちゃくちゃキュートです。 | 彼女の代表作の中でも特に有名な作品が詰まった2枚目。世界中で大ヒットを記録した#1はやっぱり最高ですね。このコケティッシュ、このエロティック。絶妙なフランス語の発音も見事。数多くの女性ボーカリストが歌っていますが、アーサのバージョンがダントツにベストです。しかし、これ以外にも#10がフランス語作品だし、#4ではトルコ語を流暢に歌いこなしている彼女、義務教育しか受けていないことを考えると大した語学能力だと思います。 |
こうして初期の彼女の作品をまとめて聴いていると、50年以上前にレコーディングされているにも関わらず、全く古さを感じさせない事にまず驚きます。それもこれも、時代に色褪せないアーサの個性的な歌声の賜物と言えるかもしれません。当時としてはかなりパンクな存在だったんじゃないかと思いますね。また、洒脱なアレンジも大きな魅力。スペイン語でサンバをファンキーに歌いまくる#12なんか、今聴いても十分にカッコいいですもん♪ |
これはアーサ・ファン、ジャズ・ファンのみならず全ての女性ボーカル・ファン必聴の1枚。ロンドンで制作された62年の“The Romantic Eartha”と65年の“Love For Sale”の2枚のアルバムをカップリングしたCDです。モダンでお洒落、そしてグルーヴィーなアレンジ。絶妙なテクニックを駆使して独自のドラマ世界を繰り広げるアーサの圧倒的なボーカル。とにかく素晴らしい傑作です。中でも「イパネマの娘」#15の官能的で気だるいゴージャス感は絶品。 |
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Sentimental Eartha (1970) |
I Love Men (1984) |
Greatest Hits |
Arabian Song (1987) |
(P)1995 See For Miles (UK) | (P)1984 Metronome (Germany) | (P)1988 Unidisc (Canada) | (P)1987 Quazar Records (UK) |
1,It Is Love (Por Amor) 2,Wear Your Love Like Heaven 3,I Remember The Rymes 4,Paint Me Black Angels (Angelitos Negros) 5,Catch The Wind 6,My Sentimental Friend 7,Once We Loved (Se Acabo) 8,The Way You Are (Asi Eres Tu) 9,Genesis 10,Hurdy Gurdy Man produced by Bob Kingston & Denny Diante |
Side 1 I Love Men 7:09 ビデオ Side 2 I Love Men (Dub Mix) 7:22 produced by Jacques Morali |
1,Where Is My Man (Special Megamix)
10:08ビデオ 2,This Is My Life 5:34 ビデオ 3,I Don't Care 6:05 ビデオ 4,I Love Men 7:05 5,Arabian Song 6:33 6,Sugar Daddy 6:33 7,Tonight 4:58 8,La Grand Vie 5:35 produced by Jacques Morali |
Side One 1,Arabian Song (1987 Remix) Side Two 1,Arabian Song (Dub Version/Prelude) 2,Arabian Song (7" Instrumental Mix) produced by Jacques Morali remixed by Gerry Vargas Chico & Rod Gammons |
アメリカのショー・ビジネス界を追放されたアーサが、インディペンデント系のスパーク・レコードに残したアルバム。ドノヴァンの作品を幾つも取り上げていることからも分かるように、全体的にフォーク・ロック色の強いサイケデリックな作品です。ソフト・ロック・アルバムとしても出色の出来映えで、是非とも再評価して欲しい1枚。中でもファンキーでダンサンブル、キャッチーで浮遊感溢れるジャンプ・ナンバーの傑作#8は最高のカッコ良さ。超オススメです。 | 当時56歳の熟女アーサ・キットが“あたしは男が大好き、だって仕方ないじゃない”とパワフルに歌いまくる80年代ゲイ・ディスコの大傑作ナンバー。キャッチーで優雅なメロディ、スケール感のある壮大なサウンド・プロダクション、そしてグルルル・・・と喉を鳴らせて大熱唱するアーサの豪快なボーカル。単なるディスコ・ヒットとは片付けられない強烈なパワーを持った世紀の怪作です。 | こちらは1984年にリリースされたアルバム“I Love Men”にシングル#2と#3を加えたコンピレーション盤です。カムバック・ヒットとなった#1はアメリカの有名なリミックス・サービスHot Tracksが制作したバージョンを収録。アンダーグラウンドなテイストを前面に押し出した、エロティックでグルーヴィーな80'sディスコに仕上がっています。その他、どれもジャック・モラーリらしいポップ・センスとアバンギャルドな感性が存分に生かされた佳作ばかり。 | アルバム“I Love Men”からの最後のシングル・カット作品で、後にジャッキー・グラハムのプロデュースを手掛けるロッド・ガモンズがリミックスを担当したオリエンタル・ハイエナジー・ディスコ。ボコボコしたヘヴィーなシンセ・サウンドが、アンダーグラウンドで妖しげなゲイ・ディスコの雰囲気を醸し出すユニークな作品です。楽曲としてはいま一つパンチが足りないというか、もっと遊んでも良かったんじゃないかな。コブシ回しまくるアーサのボーカルは強烈。 |
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Cha Cha Heels (1988) |
Cha Cha Heels-Remix (1988) |
I'm Still Here (1989) |
Back In Business (1994) |
(P)1988 BMG Ariola (Germany) | (P)1988 Arista/BMG (Germany) | (P)1989 Arista/BMG (UK) | (P)1994 DRG Records (USA) |
1,Cha Cha Heels 6:40 2,Cha Cha Heels (Radio Mix) 3:50 ビデオ 3,My Discarded Men 3:37 produced by Rod Gammons |
Side A 1,Cha Cha Heels (Remix Version) 7:10 2,Cha Cha Heels (Radio Mix) 3:50 Side B 1,My Discarded Men 3:37 produced by Rod Gammons remixed by Andy Pickles, Ian Morgan |
1,Do Or Die 2,Primitive Man 3,My Discarded Men 4,All By Myself 5,Cha Cha Heels 6,Hit Them Where It Hurts 7,Urban Fantasy 8,I'm Still Here produced by Rod Gammons |
1,Back In Business 2,Let's Misvehave 3,Solitude 4,Why Can't I? 5,Ain't Misbehavin' 6,The Nearess Of You 7,Close Enough For Love 8,Brother, Can You Spare A Dime? 9,Angelitos Negros 10,Moon River 11,Speak Love 12,Here's To Life produced by Hugh Fordin |
バッキンバッキンでイケイケ(死語)の傑作ハイエナジー・ナンバーです。共演はブロンスキ・ビート。アーサは悪ノリってくらいに遊びまくってて、そりゃもう気持ちいいくらいにお下品でビッチな仕上がり。“イケない女王様のお出ましだよ、アタイは遊びたいのさ、思い切り愉しんでアンタを満足させてあげるよ”って60歳のアーサおば様に歌われちゃ、誰も太刀打ちできませんわ(笑) |
こちらはそのリミックス盤12インチ・シングル。オリジナル・バージョンを生かしつつ、ちょっとダブっぽい感じに仕上げたミックスで、いま一つ派手さに欠けるために印象に残りません。リミックスを手掛けたアンディ・ピクルスとイアン・モーガンは当時Jive Bunny And The Mastermixersとして活躍していたイギリスのミキサー・チーム。まあ、彼ららしいお手軽な仕事っぷりです。 | ゲイ・テイスト溢れるダンス・ナンバーをベースにしつつも、より幅広い層をターゲットにしたポップ色の濃厚なアルバム。エリック・カルメンの名曲に自身の半生をダブらせて歌った#4や、ソンドハイムのミュージカル“Follies”の名曲に今の心境を投影した#8のようなバラード曲が秀逸です。ちなみに、#1はもう一人のゲイ・ディスコ・クィーン、グレース・ジョーンズのカバー。 | 前作でも随所にジャズへの意欲を覗かせていたアーサが、本格的にジャズに挑んだ原点回帰的作品。かつての尖がったアクの強さがすっかり取れて、非常にオーソドックスなジャズ・アルバムに仕上がっています。その一方で、トム・ウェイツも歌っていた大恐慌時代の象徴的名曲#8で聴かせるディープで枯れた渋さは大ベテランの貫禄。 |
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Where Is My Man (1994) |
Where Is My Man '98 (1998) |
Where Is My Man (2000) |
Where Is My Man (2000) |
(P)1994 Mega Records (Denmark) | (P)1998 ZYX Music (Germany) | (P)2000 ZYX Music (Germany) | (P)2000 Groovilicious (USA) |
1,Single Mix 3:53 2,Club Mix (Radio Edit) 3:25 3,Extended Mix 6:50 4,Mega Bass Mix 5:50 remixed by Serge Ramaekers and Dominic Sas |
1,Radiomix '98 3:50 2,Clubmix '98 6:39 3,Full Vocal Extended Mix 6:57 4,Original Single Edit 3:50 5,Full 12" Original Mix 6:24 6,12" Remix 6:07 produced by Jacques Morali & Henry Belolo #1-#3 remixed by FMT Posse |
1,Fancy Radio Mix 3:07 2,Original Special Radio Edit 3:52 3,Joe T. Vannelli Radio Attack 4:14 4,Snapshot Radio Cut 3:38 5,Fancy Club Mix 5:36 6,Joe T. Vanelli Attack Mix 6:26 #1 produced & remixed by Fancy #3 remixed by Joe T. Vannelli |
1,Radio Edit 4:14 2,Joe T. Attack Mix 6:26 3,Escape Remix 7:43 #1 remixed by Joe T. Vannelli #3 remixed by DJ Escape & Joe Carrano |
83年のカムバック・ヒットのリミックス盤。リミックスを担当したセルジュ・ラマエカースはベルギーの出身で、80年代末からラムズ・ホーン・レーベルなどで活躍していた人物。フレディー・マーキュリーやテクノトロニックなんかのリミックスも手掛けてます。一方のドミニク・サスは当時ラマエカースの相棒として幾つもの作品に参加していた人。原曲のイメージを生かしたディープなイタロ・ハウスといった感じで、悪い出来ではないと思います。 | こちらはドイツでリリースされたハウス・ミックス盤。リミックスを手掛けたFMT Posseはマーサ・ウォッシュとル・ポールの“It's Raining Men”を手掛けた人物で、当時ZYXでもポップス・カバー・プロジェクトのクルーレスを手掛けていました。まあ、お手軽な感じのリミックスです。逆に、本作は意外とCD化されていないオリジナルの12インチ・バージョン#5と#6が収録されているという点でポイントが高い1枚。そういった意味で、ファンなら買って損はないハズ。 | またまたドイツでリリースされたリミックス盤。今回の目玉はジャーマン・ディスコの帝王ファンシーがリミックスを手掛けた#1と#5でしょうか。ファンシーがリミックスを手掛けるという事自体が非常に珍しいことではあります。仕上がりとしては意外にもセンスの良いフィルター・ハウス。一方、当時引っ張りだこだったイタリアのガラージ系DJ、ジョー・T・ヴァネリによるリミックス#3と#6はクールでファンキーなディスコ・ハウス。結構カッコいい出来映えです。 | でもって、こっちはそのアメリカ盤です。ジョー・T・ヴァネリのリミックスはドイツ盤と全く同じものを使用。このアメリカ盤で注目したいのは、ジュニア・ヴァスケスの弟子でもあるDJエスケープによるディープでグルーヴィーなハード・ハウス・ミックス#3。この曲の数あるリミックス・バージョンの中でも、恐らくベストの出来映えかもしれません。シンセ・ベースの無駄のないアレンジはなかなか秀逸。 |