ドリアン・グレイの肖像

 

 アイルランド出身の詩人にして劇作家、小説家でもあるオスカー・ワイルド(1854-1900)にとって、生涯で唯一の長編小説となった「ドリアン・グレイの肖像」(1890年発表)。その耽美的かつ退廃的な内容と機知に富んだ文体によって、英国の文壇にセンセーションを巻き起こした異色のゴシック・ロマン文学だ。その影響を受けた作品は舞台劇からコミックまで多岐に渡り、当然のごとく映画やテレビなどで映像化されたケースも少なくない。恐らく小説そのものを読んだことがなくても、そのタイトルやあら筋くらいは知っているという人も多かろう。
 永遠に若さを失わない背徳的な美青年と、反対にその歳月と罪悪を体現するかのように朽ち果てていく肖像画、というコンセプトは象徴的であり魅惑的。かくいう筆者も、大学時代に翻訳書を夢中になって貪り読んだ記憶がある。ただ、自分は文学の評論家でもなければ研究者でもないため、恐れ多くもここでワイルドの小説そのものについて論評するようなことは極力避けたい。あくまでも、その映画化作品について紹介するにとどめておこうと思う。

 とはいえ、その前に一応は原作のストーリーについて触れておかねばなるまい。享楽主義者で皮肉屋のヘンリー・ウォットン卿は、友人である画家バジルのアトリエでドリアン・グレイという若者に出会う。バジルはドリアンの若さと美貌に心酔しており、ヘンリーもまたその無垢な美しさに興味を惹かれる。しかし、限りある若さへの皮肉めいたヘンリーの言葉に感化されたドリアンは、己の美貌が永遠ではないことに恐れを抱いてしまう。そして、バジルの描いた肖像画が自分の代わりに年老いてくれればと願うのだった。
 ヘンリーによって己の容姿の美しさを自覚し、その自己中心的で背徳的な思想に強い影響を受けていくドリアン。ある日、場末の劇場でシヴィルという女優を見初めた彼は、その才能と美貌に惚れ込んで結婚を申し込む。だが、実生活で恋に落ちることで舞台上の恋を演じることが出来なくなってしまった彼女に失望したドリアンは、あっけなくシヴィルを捨ててしまった。
 絶望したシヴィルは自殺。この時、ドリアンは肖像画の微妙な変化を見逃さなかった。まるで彼の罪悪感を映し出すかのように歪んだ肖像画の表情。しかし、ドリアン自身の顔には苦悩や後悔の痕跡すら見当たらない。それ以降、どれだけの悪行や放蕩三昧の生活を続けても彼の若さと美貌は衰えることを知らず、一方で肖像画は彼の汚れた魂を映し出すかのように醜く変化していった。
<以下ネタバレ注意>
 やがて10数年の歳月がたち、38歳となったドリアン。その自堕落で罪深い生活ぶりを批判するバジルに腹を立てたドリアンは、もはや見る影もないほど醜悪な姿になった肖像画を彼に見せ、そのまま怒りに任せて彼を刺殺してしまう。さらに、復讐心に燃えるシヴィルの弟ジェームズが、ドリアンのせいで狩りの流れ弾に当たって死亡。そのシヴィルと瓜二つの純朴な田舎娘ヘティと出会った彼は、これまで積み重ねてきた罪悪を清算しようと肖像画の胸にナイフを突き刺したところ、そのまま息絶えてしまう。残された彼の遺体は本人と識別できないくらい醜く変わり果て、代わりに肖像画は若き日のドリアンの美貌を取り戻していた。

 とまあ、概ねこんな感じだろうか。自らも享楽主義的な異端児として悪名を馳せた原作者ワイルドは、ヘンリー・ウォットン卿に自らの価値観や主義主張を代弁させつつ、ドリアン・グレイの中に自らの理想とする究極の美と芸術を投影し、画家バジルというキャラクターに己の良心の葛藤を描いたとも考えられる。それがデカダンを肯定するものなのか否定するものなのか、善と悪をどのように達観したものなのかという点については見解の分かれるところだとは思うし、繰り返しになるが筆者は文芸評論家でも文学研究者でもないので、ここではあえて追究しまい。
 いずれにせよ、この作品はサイレント時代から幾度となく映画化されてきた。当ページではその中から、トーキー以降の代表的な映画化作品3本を年代順に紹介していきたいと思う。

 

 

ドリアン・グレイの肖像
The Picture of Dorian Gray (1945)
日本では1949年劇場公開
VHS及びBDは日本未発売・DVDは日本発売済
※日本盤DVDは米ワーナー盤と別仕様(音声解説や特典映像など未収録)なので要注意

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(P)2008 Warner Home Video (USA)
画質★★★★☆ 音声★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ(一部カラー)/スタンダードサイズ/モノラル/音声:英語/字幕:英語・フランス語・スペイン語/地域コード:1/110分/製作:アメリカ

<特典映像>
オリジナル劇場予告篇
A・ランズベリーの音声解説
短編映画「Starway to Light」
短編アニメ「Quiet Please !」
監督:アルバート・リューイン
製作:パンドロ・S・バーマン
原作:オスカー・ワイルド
脚色:アルバート・リューイン
撮影:ハリー・ストラドリング
音楽:ハーバート・ストサート
出演:ジョージ・サンダース
   ハード・ハットフィールド
   ドナ・リード
   アンジェラ・ランズベリー
   ピーター・ローフォード
   ローウェル・ギルモア
   リチャード・フレイザー
   ダグラス・ウォルトン
   セドリック・ハードウィック

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上流階級の悪名高き紳士ヘンリー・ウォットン卿(G・サンダース)

世間知らずの若き美青年ドリアン・グレイ(H・ハットフィールド)

ドリアンは自らの肖像画に忌まわしい願いをかけてしまう

肖像画を描いた画家バジル(L・ギルモア)

<Review>
 欧米ではサイレント時代に好んで映画化された「ドリアン・グレイの肖像」だが、トーキーに入ってからはこの1945年版が初めてとなる。そして、恐らく世界中で最もよく知られた映画化作品だと言ってもよかろう。あら筋は原作にほぼ忠実。ただし、登場人物の設定を一部変えた上にドリアンの人物像にまで改変が加えられており、いかにもアメリカ的なというか、ピューリタン的な道徳ドラマに仕上げてしまった点は賛否両論の分かれるところだろう。
 最も特筆すべき変更点はシヴィルの役柄設定だ。原作では才能豊かなシェークスピア女優であったが、本作におけるシヴィルは場末の酒場の純情可憐な歌姫。しかも、原作では恋に落ちることで女優としての才能を失ってしまったシヴィルにドリアンは幻滅して彼女を捨てるわけだが、この映画化作品ではヘンリーの入れ知恵で仕組まれた罠にまんまとハマったシヴィルが婚前交渉に応じたことからドリアンは興味を失ってしまう。本来ならば、シヴィルはドリアンが理想とする美と芸術の象徴。それが、いざ蓋を開けてみると実に平凡な女だったことから、ドリアンは彼女に強く失望してしまう。それはすなわち芸術至上主義という原作の根幹をなすテーマを最も象徴的に描いたエピソードだったはずなのだが、本作ではそれを陳腐な貞操観念をめぐる駆け引きに貶めてしまった。それゆえに、唯美主義の権化たるべきドリアン・グレイがただの俗物としてしか描かれていない。
 また、原作では小さな役回りだったグラディスという女性を画家バジルの姪という設定に変え、ドリアンの最後の恋人として登場させたのも蛇足だった。最後の恋人はシヴィルに瓜二つのヘティという田舎娘だからこそ、美しき怪物と化したドリアンに良心の迷いを生じさせることができたはず。ただの品行方正なお嬢様グラディスが相手では、破滅的なクライマックスに十分な説得力を持たせることができなかった。
 そもそも、本作で描かれるドリアン・グレイ像は実に心もとない。原作では純朴な若者から冷酷で傲慢なナルシストへと変貌していくわけだが、本作では最初から最後まで魂のない操り人形のまま。さらに、原作の醍醐味であるヘンリーのインモラルで皮肉めいた格言・名言の大半が削られてしまい、それに感化されたドリアンの放蕩三昧までもが端折られてしまったことから、ただのワガママな草食系男子にしか見えないのである。その点は、まだまだヘイズ・オフィスの検閲が厳しかった当時のハリウッドなだけに、お行儀良く換骨奪胎せざるを得ない事情があったのだと言えよう。あくまでも、これはハリウッド版のシュガーコーティングされたドリアン・グレイだと見なすべきかもしれない。
 ただ、ヴィクトリア王朝時代のロンドンを再現したセットや小道具、衣装などはゴージャスで見栄えがいいし、陰影を強調したゴシック・ムード溢れるドイツ表現主義的なカメラワークもスタイリッシュで美しい。ナレーションが多いところは若干気になるものの、当時のハリウッド映画では決して珍しくはない語り口と言えるだろう。それよりも、移動撮影やロングショットを巧みに使ったアルバート・リューイン監督のモダンな演出センスに見るべきものがある。ドリアンの肖像画だけをテクニカラーで撮影したのも効果的。原作の読者やファンには納得致しかねる点も多々あるとは思うが、少なくともビジュアルの完成度はなかなかのもの。クラシカルなゴシック・ホラーの好きな映画マニアは要チェックだ。

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場末の酒場の純情可憐な歌姫シヴィル(A・ランズベリー)

ドリアンはシヴィルに結婚を申し込む

意地の悪いゲームを仕掛けるヘンリー

肖像画の変化に気付いたドリアンは困惑する

<Story>
 1886年のロンドン。その皮肉めいた逆説的な言動で上流社会の名物的存在だったヘンリー・ウォットン卿(ジョージ・サンダース)は、オックスフォード大学時代からの友人である画家バジル・ホールワード(ローウェル・ギルモア)のアトリエで、ドリアン・グレイ(ハード・ハットフィールド)という裕福な若者と知り合う。バジルの描いたドリアンの肖像画に感嘆するヘンリー。しかし、世間知らずでナイーブなドリアンは己の若さと美貌に無頓着な様子だ。
 そんな彼にヘンリーは忠告する。いずれ若さも美しさも消えてなくなる。まだあるうちに謳歌しておくべきだと。その言葉を真に受けたドリアンは、自分の代わりにこの肖像画が醜く年老いればいいのにと呟く。ドリアンの肖像画にはエジプトの神である猫の彫像が描き込まれていた。もしかしたらその願いは叶うかもしれない、とヘンリーは冗談交じりに笑って見せる。
 まだ若いうちに冒険をしてみようと考えたドリアンは、場末の居酒屋へと足を踏み入れた。そして、彼はそこで見初めた若い歌手シヴィル・ヴェイン(アンジェラ・ランズベリー)に恋をする。純情な夢見る乙女のシヴィルは、名も知らぬ若い紳士ドリアンのことを自分を守ってくれる貴公子“サー・トリスタン”と呼んで崇拝する。2人はすぐに結婚を誓い合う仲になるのだが、シヴィルの弟ジェームズ(リチャード・フレイザー)はドリアンのことを快く思っていなかった。
 さらに、ひねくれ者のヘンリーがドリアンに意地悪な企みを提案する。結婚をする前に彼女を誘惑してみるといい、そうすれば彼女が本当に純情な乙女なのか、それともただの平凡な小娘なのか分かるからと。ドリアンは彼女を自宅へ招き、今夜は泊まって行かないかと囁いてみせる。貞操を試されていると悟ったシヴィルは涙を流しながら去ろうとするものの、意を決してドリアンのもとへ戻ってきた。
 この夜を境にドリアンはシヴィルへの興味を失った。ヘンリーの言う通りだったと。そこで、彼はシヴィルに冷淡な手紙をしたためて一方的に別れを告げ、手切れ金まで払って彼女のプライドをズタズタに引き裂く。だが、ふと見ると肖像画の表情がおかしい。まるでドリアンの罪の意識を映し出すかのように歪んで見える。何度見直しても、肖像画に変化が生まれたことは否めなかった。もしかすると、例の願いが本当に叶ってしまったのかもしれない。
 慌てたドリアンはシヴィルに謝罪の手紙を書き始める。だが、そこへヘンリーが訪れて、シヴィルが自殺してしまったことを告げた。罪悪感でうろたえるドリアン。だが、ヘンリーは平然とした顔で“気にすることなどない”と言い放つ。別に君が悪いわけじゃない、数ある人生経験の一つに過ぎないではないかと。自分のために自殺する女性がいるなんて名誉なことではないか、かえって羨ましいくらいだよ、と。
 その晩、ヘンリーとオペラ鑑賞に行ったドリアンは、帰宅してすぐに肖像画を確かめた。すると、誰の目から見ても明らかなくらいに表情が醜く歪んでいる。彼は肖像画を屋根裏部屋へと隠し、運搬作業を手伝った召使を全員解雇した。これで肖像画の所在を知っているのはドリアン自身だけとなった。
 それから月日が経ち、ドリアンは38歳の誕生日を迎えた。しかし、その若さも美貌も全く衰えることはなく、相変わらず身勝手なプレイボーイとして社交界に名を馳せている。彼のために家庭を滅茶苦茶にされたり、破滅したりした人々も数知れず。それゆえに、彼を崇拝する女性が後を絶たない一方で、その存在に眉をひそめる人々も多い。だが、幼い頃からドリアンになついていたバジルの姪グラディス(ドナ・リード)は、彼のことを理想の男性として崇めていた。また、ドリアンもすっかり大人の女性へと成長したグラディスを異性として意識し始めている。
 そんなある日、ドリアンはバジルと久々に再会。バジルはちょうどパリへ発つところだという。ドリアンは彼を自宅へ招き、お互いの近況を語り合うことにした。友人の悪い噂を心配し、行いを改めるよう忠告するバジル。その言葉に強い怒りを感じたドリアンは、例の肖像画を彼に見せることにする。全ては君の描いた肖像画が原因なのに!と。
 その変わり果てた姿を見て驚愕するバジル。冷静さを取り戻したドリアンは、今度は秘密を知られてしまったことに不安と恐怖を感じ、衝動的にバジルを刺殺してしまった。そして、愛人の一人だった女性の夫で化学者のアレン・キャンベル(ダグラス・ウォルトン)を脅迫し、バジルの遺体を処理させるのだった。
 その後、何事も無かったかのようにグラディスにプロポーズをしたドリアンは、行方不明になった叔父を心配する彼女を連れて警察に搜索を依頼する。そこで、彼はアレン・キャンベルが自殺したことを知らされて少なからず衝撃を受けるのだった。自分に関わった人間はみんな破滅する。気持ちを落ち着けようと場末の酒場を訪れた彼は、そこで偶然にもシヴィルの弟ジェームズと再会してしまう。
 ジェームズは姉を死に追いやったドリアンに復讐すべく、その行方をずっと追っていた。だが、その名前も素性も知らされないうちにシヴィルは自殺していたのだ。酒場の客がドリアンのことを“サー・トリスタン”と呼んでいるのを耳にした彼は、この男こそが姉の敵だと確信。しかし、よく見るとまだうら若い青年だ。ドリアンもまた、シヴィルなんて女性は知らないとうそぶいてみせる。ジェームズは人違いだったのかとうろたえ、そのすきにドリアンは逃げ去った。
 しかし、酒場の客から“あの男はこの18年間まるで容姿が変わっていない”と聞かされたジェームズは、改めてドリアンの行方を追うことにする。だが、友人と狩りに出かけたドリアンを物陰から狙っていたところ、運悪く流れ弾に当たって死亡。その遺体を見たドリアンはさらに己の罪深さを思い知らされ、夜な夜な悪夢に悩まされるようになっていった…。

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38歳になっても若さと美貌を失わないドリアン

成長したグラディス(D・リード)はドリアンを崇拝している

悪徳にまみれたドリアンの生活ぶりを心配するバジル

ドリアンの内面を映し出すかのように醜く変貌した肖像画

<Information>
  監督兼脚本のアルバート・リューインはもともと映画評論家の出身。1930年代にMGMの制作主任アーヴィング・サルバーグのもとで、「バウンティ号の叛乱」('35)や「大地」('37)といった名作のプロデュースに携わった製作者だった。映画監督としてはこれが2作目。その後の「美貌の友」('47)や「パンドラ」('50)を見ていないので断言は出来ないものの、少なくとも本作を見る限りでは技巧派の映画監督だったのではないかと思う。ただ、興行的なヒット作に恵まれなかったためか、演出を手がけた作品は合計でたったの6本だけだった。
 製作を担当したパンドロ・S・バーマンは、RKOの制作主任としてフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース主演による一連のミュージカル映画をヒットさせた名プロデューサー。MGMに移ってからも「緑園の天使」('45)や「花嫁の父」('50)、「お茶と同情」('56)、「バタフィールド8」(60)などの名作を手がけ、本作を筆頭に「三銃士」('48)や「円卓の騎士」('53)、「カラマゾフの兄弟」('57)といった文芸物にも手腕をふるった。
 そして、本作の流麗かつイマジネイティブなカメラワークでアカデミー賞のモノクロ撮影賞に輝いたのが、ミュージカル映画の撮影監督として名高いハリー・ストラドリング。同じくオスカーを受賞した「マイ・フェア・レディ」('64)をはじめ、エスター・ウィリアムスの「世紀の女王」('44)やアステア&ガーランドの「イースター・パレード」('48)、バーブラ・ストレイサンドの「ファニー・ガール」('68)に「ハロー・ドーリー!」('69)などなど、数多くの名作ミュージカル映画を手がけた人物だ。その一方で、ヒッチコックの「岩窟の野獣」('39)や「断崖」('41)、エリア・カザンの「欲望という名の電車」('51)など、ダークなモノクロ映画でもその才能を遺憾なく発揮していた。もともと、アメリカ人でありながら戦前のヨーロッパ映画界で修行を積んだ人だけに、そのビジュアルセンスにはヨーロッパ的な風格が漂うと言えよう。
 そのほか、「オズの魔法使い」('39)でオスカーを獲得したハーバート・ストサートが甘くロマンティックな音楽スコアを、「影なき狙撃者」('62)や「大脱走」('63)でオスカー候補になったフェリス・ウェブスターが編集を、スター女優御用達の衣装デザイナーとして絶大な人気を誇ったアイリーンが衣装デザインを担当。また、「ガス燈」('44)や「若草物語」('49)などで11回もオスカーを受賞している大御所セドリック・ギボンズ、「ジュリアス・シーザー」('53)と「ベン・ハー」('59)でオスカーを獲得したヒュー・ハントらが美術デザインを手がけている。
 さらに、本作で最も強いインパクトを残すドリアン・グレイの醜悪な肖像画だが、これはアメリカのマジック・リアリズム画家アイヴァン・オールブライトが本作のために描いたもの。現在はシカゴ美術館に展示されている。なお、若く美しいドリアンの肖像画はポルトガルの有名な画家エンリケ・メディーナが手がけた。

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秘密を守るためにバジルを殺めてしまったドリアン

復讐に燃えるシヴィルの弟ジェームズ(R・フレイザー)

ようやくドリアンを見つけたと思ったジェームズだが…

強まる罪の意識で夜な夜な悪夢にうなされるドリアン

 主人公ドリアン・グレイ役を演じているのは、キャサリン・ヘプバーン主演の“Dragon Seed”('44)で映画デビューを果たしたハード・ハットフィールド。これが映画出演2作目だった。しかも“Dragon Seed”では特殊メイクで中国人に扮していたため、観客に素顔を見せるのは本作が初めて。これが彼にとって最大の不幸だった。およそアメリカ人には理解のしがたいデカダンなイメージがついてしまったせいで、主演クラスの仕事はこれっきりに。それでも、浮世離れした雰囲気のクセ者俳優として「エル・シド」('61)や「絞殺魔」('68)、「ロンリー・ハート」('86)など数多くの映画で脇役を努め、50年近くに渡って息の長い活動を続けた。
 一方、ヘンリー・ウォットン卿役でトップ・ビリングされているのは、ヒッチコックの「レベッカ」('40)や「海外特派員」('40)、アカデミー助演男優賞に輝いた「イヴの総て」('50)などでお馴染みの英国人スター、ジョージ・サンダース。インテリ紳士やスノッブな貴族を演じさせたら天下一品の名優だっただけに、自らのインモラルな思想を何一つ実践することなく高みの見物を決め込む無責任な思想家貴族ヘンリー役にはピッタリのキャスティングだ。
 そして、当時ハリウッドの成長株として注目を集めていた2人の若手スター女優が、ドリアンの運命を変える最初と最後の女性として登場する。まず、悲しい末路を遂げる純情可憐な歌姫シヴィル役には、前年のデビュー作「ガス燈」('44)でアカデミー助演女優賞候補になったアンジェラ・ランズベリー。ドラマ「ジェシカおばさんの事件簿」('84〜'96)や「クリスタル殺人事件」('80)のミス・マープル役でもお馴染みのお婆ちゃん女優だが、当時はベビーフェイスも可愛らしい将来有望なスター候補生だった。現在もブロードウェイの舞台女優としてバリバリの現役で、昨年はジム・キャリー主演の「空飛ぶペンギン」('11)で久々に映画出演。こんなに昔から活躍していたのかと思うと、改めて凄い女優だと感心させられる。
 で、悪徳に染まりきったドリアンの良心を目覚めさせる令嬢グラディスに扮しているのが、「素晴らしき哉、人生!」('46)やアカデミー助演女優賞獲得の「地上より永遠に」('53)で知られる名女優ドナ・リード。テレビ「うちのママは世界一」('58〜'66)でもお茶の間の人気を博し、かつてはアメリカを代表する良妻賢母女優とまで言われた人だ。
 そのほか、フランク・シナトラ率いるラット・パックの一員として「オーシャンと十一人の仲間」('60)などで活躍したプレイボーイ俳優ピーター・ローフォードがグラディスの元恋人デヴィッド役、「炎のロシア戦線」('44)でグレゴリー・ペックの親友を演じて映画デビューしたローウェル・ギルモアが画家バジル役、C級ゴリラ映画“White Pongo”('45)に主演した英国人俳優リチャード・フレイザーがシヴィルの弟ジェームズ役を演じている。なお、ナレーターとして原作者オスカー・ワイルドの声を演じているのは、ヒッチコック映画の常連としても知られるシェイクスピア俳優セドリック・ハードウィックだ。

 

 

ドリアン・グレイ/美しき肖像
Il dio chiamato Dorian (1970)
日本では1972年劇場公開
VHS・DVD共に日本発売済

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(P)1970 Raro Video (Italy)
画質★★★★☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(イタリアPAL盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:イタリア語・英語/字幕:イタリア語/地域コード:
ALL/101分/製作:イタリア・西ドイツ

<特典映像>
助監督マウリツィオ・タンファーニのインタビュー
監督:マッシモ・ダラマーノ
製作:ハリー・アラン・タワーズ
原作:オスカー・ワイルド
脚色:マルチェロ・コスチア
   マッシモ・ダラマーノ
   ギュンター・エベルト
撮影:オテロ・スピーラ
音楽:ペッピーノ・デ・ルーカ
   カルロス・ペス
出演:ヘルムート・バーガー
   リチャード・トッド
   ハーバート・ロム
   マリー・リシュダール
   マーガレット・リー
   イザ・ミランダ
   エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ
   マリア・ローム
   ベリル・カニンガム
   レナート・ロマーノ

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屋根裏部屋で口論の末に殺害された男性

焦りのあまり右往左往する青年ドリアン・グレイ(H・バーガー)

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享楽的で騒がしい現代のロンドン

ドリアンは友人バジル(R・トッド)やアランと夜遊びに興じていた

<Review>
 ラウラ・アントネッリ主演の「毛皮のビーナス」('69)やジャッロ映画の名作「ソランジェ 残酷なメルヘン」('72)などで知られるカルト映画監督マッシモ・ダラマーノが、原作の舞台を現代のロンドンに移して映画化した作品。この一歩間違えると安易でチープになりかねない設定変更が、結果的に原作の持つ独特な世界観を明瞭に際立たせることになったと言えよう。
 物語の展開するのは'60年代半ばから'70年代にかけてのロンドン。当時のロンドンといえば、まさに世界的なファッションや音楽といった文化トレンドの発信源であった。さらにフリーセックスやゲイリブなどの開放的で新しい価値観が台頭し、若い世代の享楽的な消費文化と前衛的なポップカルチャーが花開いた時代。いわゆる“スウィンギン・ロンドン”というヤツだ。男も女も若くて美しくてヒップであることが求められ、刹那的で物質主義的なケバケバしさが良しとされるようになり、ドラッグやセックスに溺れるボヘミアンなライフスタイルが流行となった。
 本作はそうしたコンテンポラリーな時代背景を物語へ巧みに織り交ぜ、さらにそれ以前の映画界では不可能だった赤裸々なセックス・シーンをふんだんに盛り込むことで、原作に描かれたデカダンでスキャンダラスな享楽主義的かつ唯美主義的世界を鮮やかに再現している。確かに文芸作品的な風格や品格には乏しいかもしれないが、少なくともオスカー・ワイルド作品の映画化としては間違っていないだろう。
 中でもそれが顕著なのは主人公ドリアン・グレイの人物描写だ。世間知らずのウブな若者だったドリアンは、進歩的な文化人であるヘンリー・ウォットンの影響によって己の優れた容姿を自覚するようになり、若さと美しさばかりを過剰に崇拝する世間の風潮にあっさりと呑み込まれていく。男女を問わず誰もがドリアンの妖艶な美貌に惹きつけられ、彼自身もそれを最大の武器として我が世の春を謳歌する。彼の内面を気にするような人間など誰もいない。最愛の女性シビル以外は。
 もともと彼女はドリアンの外見的な美しさよりも、その純真無垢な内面に惹かれていた。だが、ドリアンはその未熟さと浅はかさゆえに、シビルの一途な愛情をないがしろにしてしまう。そればかりか、今の若さと美貌を失いたくないがあまり、愚かにも悪魔へ魂を売ってしまうというわけだ。
 本作におけるドリアンは、言ってみれば当時の最も俗物的な若者像を体現したキャラクターだと言えるかもしれない。その抜きん出た美貌には中身が伴っておらず、それゆえに冷淡で空虚で愚かなモンスターへと変貌していってしまう。ヴィスコンティ映画のアイコンである退廃的美青年ヘルムート・バーガーを配したキャスティングがまたすこぶる効果的だ。
 だが、その美しき怪物ドリアンを生み出した元凶は、なにも彼自身ばかりにあるわけではない。世間の右も左もわからない若者に大いなる勘違いをさせてしまった周囲の大人たちにもその責任がある。まるで失われゆく己の若さへすがりつくように、美青年ドリアンへと群がる哀れな大人の男女。その象徴たるヘンリー・ウォットンという人物を、知識と教養だけは豊かだが精神的には大人になりきれていない中年のバイセクシャルとして描いている点も本作の白眉と言えるだろう。
 いずれにせよ、必ずしもオスカー・ワイルドの描いた原作を忠実に映像化したわけではないものの、その根底に流れる精神をしっかりと受け継ぎつつ巧みなアップデートを試みた野心的な作品。ただ、当時としてはセンセーショナルでキワモノ的な描写が多く含まれていること、いわゆる文芸作品的な風格が大きく欠落していることもあってか、ともするとB級のエクスプロイテーション映画として片付けられてしまいがちなのは非常に残念だ。

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無名の若手女優シヴィル(M・リシュダール)と愛し合うドリアン

画家バジルは世間知らずで警戒心の薄いドリアンを心配する

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派手好きな美術評論家ヘンリー(H・ロム)と妹グウェンドリン(M・リー)

ドリアンはシヴィルとの恋愛にのめり込んでいく

<Story>
 屋根裏に響き渡る男性同士の争う声。やがてうめき声が漏れ、手を血だらけにした若者が顔面蒼白のまま洗面所へ向かう。屋根裏部屋のテーブルに横たわる男性の遺体。若者は興奮状態でワケがわからなくなっている。階下へ降りた彼は死んだ男の上着を暖炉の火にくべ、なんとか気持ちを落ち着かせようとしていた。
 彼の名はドリアン・グレイ(ヘルムート・バーガー)。それは今から何年も前のこと。まだ世間知らずでウブな若者だった彼は、友人の画家バジル(リチャード・トッド)や化学者アラン(レナート・ロマーノ)らと他愛のない夜遊びに興じていた。とあるオカマ・バーでショータイムを楽しんだ彼は、バジルらと別れて一人で家路につく。すると、場末の小さな劇場に掲げられた「ロミオとジュリエット」のポスターが目に入る。
 なにかに引き込まれるようにして劇場の中へと足を踏み入れたドリアン。彼はそこでリハーサル中の主演女優シヴィル・ヴェイン(マリー・リシュダール)と知り合う。まだまだ駆け出しの無名女優である彼女にとって、小さな劇場とはいえ初めての大役だった。その熱のこもった演技に魅了されたドリアンは、ひと目で彼女に恋してしまった。シヴィルも純粋で汚れを知らない彼に強く惹かれ、たちまち2人は深く愛し合うようになる。
 ドリアンはバジルの描く肖像画のモデルをしていた。シヴィルとの出会いを興奮気味に話すドリアンだったが、バジルはそんな彼に釘を刺す。相手はどこの馬の骨ともしれない無名の女優。金持ちのボンボンであるドリアンに対して下心があるかもしれない。君は他人に対する警戒心がないから気をつけたほうがいいというのだ。
 そこで訪問客があった。バジルのパトロンでもある有名な美術評論家ヘンリー・ウォットン(ハーバート・ロム)とその妹グウェンドリン(マーガレット・リー)である。2人ともその享楽的かつ豪奢な生活ぶりで社交界の名物的な存在だった。バジルの描くドリアンの肖像画に目を奪われた彼らは、絶世の美男子であるドリアン自身にも強い関心を示す。だが、ドリアンはシビルとの恋愛に夢中で、彼らの誘惑など全く眼中になかった。
 それからほどなくして、ドリアンの叔母が主催する老人ホームのチャリティー・イベントにヘンリーが現れる。どうやらドリアンにかなりご執心の様子だ。愛なんて所詮は独占欲の応酬に過ぎないと冷ややかに述べるヘンリー。そんなことよりも、君は今ある若さと美しさを無駄にしてはならない。世界は若者のためにある。そして美しい者にこそ価値がある。だが、時は残酷だ。あっという間に、この老人ホームの居住者のように醜く年老いてしまう。後悔したって遅いのだ。
 そのヘンリーの言葉を間に受けたドリアンは強い不安を感じるようになる。当たり前だと思っていた若さや、いままで気付かなかった自分の美しさにタイムリミットがある。そんなこと今まで考えてもみなかった。人は人を外見で判断するもの。今の世の中で他人の中身を見ようとする人間なんて誰もいない。この若さと美貌を失ったら自分は無価値になってしまう。
 これを境に、ドリアンは自らの外見に固執するようになっていった。それがシビルを当惑させる。彼女はドリアンの汚れを知らない人柄に好意を寄せていた。年齢を重ねて容姿が衰えていくのはお互い様。それよりも、お互いを理解して精神的な繋がりを深めていくことの方が彼女には大切だった。しかし、ドリアンにはそのことが理解できない。2人の溝は徐々に深まっていく。
 やがてバジルの描く肖像画が完成した。それを見て、ドリアンは強い嫉妬と憤りを覚えるのだった。モデルである自分がこれから歳をとって、でも肖像画の中の自分は若く美しいまま。そんな不公平が許されていいのだろうか。自分の代わりに肖像画の方が醜くなればいいのに。いつまでも若く美しいままでいられるのであれば、悪魔にだって魂を売ってやる。バジルはそんなドリアンの考えに嫌悪感を覚え、肖像画を持ち帰らせるのだった。
 ドリアンはシヴィルの舞台の初日をすっぽかし、ヘンリーの主催する社交パーティへ参加する。誰もが彼の美貌に引き寄せられ、その若さと肉体を自分のものにしようと虎視眈々と狙っていた。ヘンリーやグウェンドリンはもちろんのこと、大富豪の人妻エスター(エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ)や老齢になる社交界の女王ラクストン夫人(イザ・ミランダ)などなど。ドリアンは注目を集めることにこの上ない快感を覚え、自らの美貌を武器に大人たちを操っていく術を身につける。
 やがて、ヘンリーの思いつきでシビルの舞台を見にみんなで行くことになった。だが、彼女の演技は散々なものだった。実生活で深い愛を体験してしまった彼女にとって、もはや舞台の上での恋愛など取るに足らないもの。演技に対する情熱をすっかり失ってしまったのだ。だが、新しい友人たちの前で恥をかかされたドリアンは怒りを抑えられない。シビルも上流階級の堕落に汚されてしまったドリアンへの失望を隠せなかった。2人は激しい口論をして別れる。その晩、悲しみに暮れるシビルは走行中の車に身を投げて自らの命を絶ってしまった。
 ヘンリーから悲報を知らされて狼狽するドリアンだったが、そんな彼に対してヘンリーがまたもや持論を展開する。人間は他人の行動にまで責任を持つ必要はない。自分のことさえ考えればそれでいいのだ。この不幸も自らの人生を彩る経験の一つだと思えばいい。それよりも、これで自由になったのだから、羽を伸ばして楽しみなさい。君のように若く美しい人間だけが、この世の価値あるもの全てを手に入れる権利があるのだから、と。
 そして、ドリアンはある重大なことに気付いた。例の肖像画の表情に明らかな変化が見られたのだ。それはまるで彼の罪悪感を象徴するかのごとく歪んでいた。しかし、本人の顔にはなんら変化がない。当初は戸惑いを隠せなかったドリアンだったが、すぐに気持ちが吹っ切れた。自分の願いが叶ったのだ。これで老いや容姿の衰えに不安を感じる必要など無くなった、と。
 この出来事をきっかけにして、ドリアンの自由奔放で自己中心的、退廃的で自堕落なライフスタイルはとどまるところを知らなくなった。相手が男性であろうと女性であろうと構わずセックスを楽しみ、その美貌と肉体を武器にして他人を翻弄し、リッチな年寄りからはセックスを餌にして金品財宝を貢がせる。友人アランの新妻アリス(マリア・ローム)の肉体まで強引に奪ってしまった。彼のせいで財産を失ったり、家庭が崩壊してしまった人々は後を絶たない。その悪名は世間一般にも知られるようになり、ドリアンは流行りのポルノ映画にまで出演するようになる。そんな彼の破廉恥な行状にバジルは人知れず心を痛めていた。
 それから歳月が経ち、ヘンリーやバジルの頭髪には白いものが目立ち始めていたが、ドリアンは依然として若く美しいまま。だが、その態度はかつての純朴な若者とは別人のように冷淡で残酷になっていた。久しぶりにドリアンと再会したバジルは、これまでの罪を悔い改めるよう説得するのだが、それがドリアンの怒りに火をつけてしまった。もはや同一人物とは思えないくらい変わり果てた例の肖像画をバジルに見せるドリアン。君がこんな絵を描いたせいで僕はこうなったんだと。呆然と立ち尽くすバジルにナイフを振り下ろすドリアン。やがて冷静さを取り戻した彼は、旧友アランを脅してバジルの遺体を始末させる。
 何事もなかったかのように、堕落した日常生活に戻るドリアンだったが、何かが彼の中で変わりつつあった。いつまでも衰えない若さと美貌。いまだに誰もが彼の容姿に引き寄せられるのだが、それももはやドリアンにとってはどうでもよくなっていた。いつまでも変わらないということはなんて退屈なんだろう。さらに、シヴィルと瓜二つの人妻グラディス(マリー・リシュダール)の出現や、シヴィルの兄ジェームズとの偶然の再会が、ドリアンの身辺に波紋を投げかけていく…。

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唯美主義的なヘンリーの言葉に感化されていくドリアン

バジルの描いた肖像画にドリアンは嫉妬と憤りを覚える

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ドリアンの美貌に魅せられる人妻エスター(E・R・ドラーゴ)たち

社交界の女王ラクストン夫人(I・ミランダ)もドリアンに欲望を抱く

<Information>
 マッシモ・ダラマーノ監督はもともとカメラマンの出身で、巨匠セルジョ・レオーネの傑作マカロニ・ウェスタン「荒野の用心棒」('64)や「夕陽のガンマン」('65)の撮影監督として名を馳せた人物だった。それだけに、映画監督としてもカメラワークやビジュアル・イメージを重視した演出が得意。本作でも緑豊かな森を舞台にしたドリアンとシヴィルの瑞々しいラブ・シーンや、美しき怪物と化したドリアンの淫靡で背徳的なセックス・シーンにスタイリッシュな映像センスを発揮している。加えて、レオーネやダリオ・アルジェントが得意としたクロースアップ・ショットのテクニックを巧みに取り入れることによって、ドラマチックな説得力のある心理描写をものにしている。これは彼の代表作と呼んで間違いないだろう。
 そのダラマーノ監督自身が、マルチェロ・コスチアやギュンター・エベルトと共にオスカー・ワイルドの原作を脚色している。コスチアはマリオ・バーヴァ監督の傑作「血ぬられた墓標」('60)やホルヘ・グラウ監督の「悪魔の墓場」('74)などのホラー映画から西ドイツの児童向けファンタジー映画「モモ」('86)まで幅広いジャンルの作品を手がけた職人肌の脚本家。また、エベルトはステファニア・サンドレッリ主演の「デシデーリア=欲望」('80)やジェス・フランコ監督の「サドマニア」('81)といったエロティック映画の脚本で知られる人物だ。
 製作を手がけたのは、ヨーロッパ産B級映画の名物プロデューサーとして名高い英国人ハリー・アラン・タワーズ。当時はちょうど彼がジェス・フランコ監督とのコンビで数多くの低予算娯楽映画を世に送り出していた時期だったということもあり、本作でもマーガレット・リーやハーバート・ロム、ベリル・カニンガム、そして愛妻マリア・ロームなど、当時のフランコ映画常連組が多数顔を出している。なお、製作総指揮にはAIPの元社長サミュエル・Z・アーコフの名前も。
 撮影監督は大御所ジュゼッペ・ルッツォリーニのカメラ助手としてパゾリーニやポランスキーなどの作品に携わっていたオテロ・スピーラ。撮影監督としての仕事は「ミラノの銀行強盗」('68)や本作を含めてたったの3本だけしかない。しかも、「ミラノの銀行強盗」ではルッツォリーニとのダブル・クレジット。恐らく師匠のサポート的役割だったのだろう。そう考えると、本作も実質的にはダラマーノ監督自身が撮影監督の役割を兼任していたのかもしれない。
 その他、美術監督にはフェリーニの「アマルコルド」('73)などの衣装デザインを手がけたマリオ・アンブロシーノ、編集にはジェス・フランコの「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」('69)やジョン・ハフ監督の「宝島」('71)などのニコラス・ウェントワースが参加。また、時にドリーミーかつロマンティック、と同時にサイケでファンキーでグルーヴィーな音楽スコアを、近年イタリア映画音楽マニアの間で再評価されているペッピーノ・デ・ルーカと、ジャンニ・モランディやセルジョ・ダルマといったカンツォーネ歌手のヒット曲を書いた作曲家カルロス・ペスが担当している。

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俗物的な価値観に染まっていくドリアンに失望を隠せないシヴィル

肖像画の変化に気付いて愕然とするドリアン

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若さと美貌を武器に自堕落な生活を送るようになるドリアン

ヘンリーをはじめ男性たちもドリアンの肉体に溺れる

 主演は言わずと知れたヴィスコンティ映画の美青年ヘルムート・バーガー。当時のバーガーはまさに才能と美貌の絶頂期にあったわけだが、その彼をドリアン・グレイ役に起用したのは本作の最大の収穫だったと言えるだろう。ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」('69)や「ルードウィヒ/神々の黄昏」('71)で見せた退廃的な美と狂気、デ・シーカの「悲しみの青春」('70)で垣間見せた瑞々しいまでの繊細さ。本作ではその両極端な魅力を主人公ドリアンの個性の中に集約し、世間知らずの純朴な若者が冷酷な美青年へと変貌していく様を見事に演じきっている。その美しい裸体を惜しげもなく披露する大胆さも含め、これ以上のドリアン・グレイは望むべくもないだろう。
 そんなドリアンの良き友人である画家バジルを演じているのは、「命ある限り」('49)でアカデミー主演男優賞にノミネートされた往年のイギリス人美形俳優リチャード・トッド。さらに、自らが老いの不安を感じて若さに執着するあまり、ドリアンに間違った道を指し示してしまう美術評論家ヘンリー・ウォットンを、「戦争と平和」('56)のナポレオン役や「ピンク・パンサー」シリーズのドレフュス役で知られるイギリスの名優ハーバート・ロムが演じている。
 そして、ドリアンを一途に愛する無名女優シヴィルと、彼女に瓜二つの人妻グラディスを演じているのは、スウェーデン産ソフト・ポルノ「早熟」('68)で一世を風靡したセクシー女優マリー・リシュダール。あどけない清純さと自由奔放なエロティシズムを兼ね備えた彼女もまた、ドリアン役のバーガーと並んで抜群のハマり役だったと言えるだろう。
 その他、イタリアのセックス・コメディからスパイ・アクションまで幅広く活躍したイギリス出身の美人女優マーガレット・リー、ヴァレリオ・ズルリーニの傑作「激しい季節」('59)の人妻役で絶賛されたイタリアの名女優エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ、戦前のイタリア映画界を代表するディーヴァの1人として有名な大女優イザ・ミランダ、製作者ハリー・アラン・タワーズの奥方でもあったマリア・ローム、当時のイタリア映画でストリッパー役やモデル役などを数多くこなした黒人女優ベリル・カニンガム、アルジェントの「歓びの毒牙」('69)で主人公の友人役を演じていたレナート・ロマーノなど、古いヨーロッパ映画ファンには嬉しい豪華な顔ぶれが揃っている。

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シヴィルと瓜二つの人妻グラディス(M・リシュダール)

これまでの罪を悔い改めるよう説得するバジル

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ドリアンは自らの変わり果てた肖像画をバジルに見せる

変わらぬ若さと美貌が次第に苦痛となっていくドリアン

 

 

ドリアン・グレイ
Dorian Gray (2009)
日本では劇場未公開
VHS及びBDは日本未発売・DVDは日本発売済

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(P)2010 E1 Entertainment (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★★
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/5.1chサラウンド/音声:英語/字幕:英語/地域コード:ALL/112分/製作:イギリス

<特典映像>
撮影舞台裏映像集
メイキング・ドキュメンタリー
未公開シーン集
NGシーン集
フォト・ギャラリー
監督と脚本家による音声解説
監督:オリヴァー・パーカー
製作:バーナビー・トンプソン
原作:オスカー・ワイルド
脚色:トビー・フィンレイ
撮影:ロジャー・プラット
音楽:チャーリー・モール
出演:ベン・バーンズ
   コリン・ファース
   ベン・チャップリン
   レベッカ・ホール
   ダグラス・ヘンショール
   レイチェル・ハード・ウッド
   フィオナ・ショー
   マリアム・ダボ
   マイケル・カルキン
   キャロライン・グッドオール

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ロンドンにやって来た純朴な若者ドリアン・グレイ(B・バーンズ)

伯母アガサ(F・ショー)から画家バジルを紹介される

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ドリアンを社交パーティに連れ出すバジル(B・チャップリン)

中年の不良貴族ヘンリー(C・ファース)がドリアンに近づく

<Review>
 ローレンス・フィッシュバーン主演のシェイクスピア劇「オセロ」('95)や、19世紀末の社交界を舞台にした風刺的女性ドラマ「理想の結婚」('99)で古典好きなイギリス映画ファンに高く評価され、近ごろでは「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」('11)などのコメディ映画でヒットを飛ばしているオリヴァー・パーカー監督が、「ドリアン・グレイの肖像」の世界を21世紀に甦らせた最新映画化作品である。
 まず、巨大なセットとCGを駆使しながら再現された19世紀末ロンドンの壮大なスケール感や、当時の風俗をリアルに伝える衣装・小道具の数々などがとても見応えある。ほんの1シーンではあるものの、当時のロンドン地下鉄が登場するのも興味深い。また、醜く変化していくドリアンの肖像画をCG処理で生々しく見せていくというのも、これまでの映像化作品にはなかった21世紀版ならではの試みだ。ただ、その見栄の良さに反して脚本の中身には少なからず不満が残る。
 なによりも本作の最大の弱点は主人公ドリアン・グレイのキャラクター造形であろう。田舎から出てきたばかりの純朴なお坊ちゃまから、威風堂々たる美貌の青年紳士へと変貌していく様には確かに目を奪われる。演じるベン・バーンズのどこかあどけなさを残したノーブルな美しさと巧みな演技力が、その著しい変化に十分な説得力を与えていると言えよう。
 ただ、そのドリアンが不良貴族ヘンリー・ウォットン卿に感化され、愛する女性シヴィル・ヴェインをあっさりと捨ててしまい、邪悪で危険で堕落した美しきモンスターとなっていく過程があまりにもアッサリと早急に描かれているため、まるで実体のない空虚な操り人形にしか見えない。それはそれで原作のドリアン像に相通ずるものがあるわけだが、ただ後半になって登場する第2の女性エミリーがドリアンの内に眠る“良心”を呼び覚まし、それが彼の破滅へと繋がっていくというストーリー展開に明らかな違和感が生じてしまう。
 原作のドリアンは最後の最後まで身勝手なナルシストに過ぎなかった。そこに観客が同情・共感できるような人間味を持たせようという意図は十分理解できるのだが、それならば最初の堕落する過程を軽んじるべきではなかったのではないかと思う。彼がシヴィルに愛想をつかせてしまう理由にしても、ヘンリーの入れ知恵で女遊びを覚えちゃったからというのではなんとも頂けない。
 その中途半端なもどかしさは、作品全体を覆うムードや描写にも強く感じられる。破廉恥で罪深い悪行の数々を重ねるドリアンなわけだが、こちらの描写もはっきり言って子供だまし。それとなく淫靡なムードだけは醸し出しているものの、セックスやバイオレンスにまるで思い切りが足りない。惜しげもなく全裸を晒していた'70年版のヘルムート・バーガーに比べて、こちらのベン・バーンズはせいぜい上半身だけというお粗末さ。男女入り乱れての乱交シーンも上っ面ばかりでちっともエロくない。かとおもえば、画家バジルの殺害シーンでは特に必要もないバラバラ死体を見せたりして、いったい何がしたいんだ!?という感じだ。
 そのバジルのドリアンに対する同性愛的感情をハッキリと描いている点はちょっと興味深い。が、これも寸止め状態というか、だからそれで?という煮え切らなさ。あえてそこまで踏み込むのであれば、どうせならドリアンがバジルをこれでもかと陵辱するシーンくらいは入れて欲しかった。とりあえずキスだけ見せてあとはご想像にお任せします、なんて無駄にお上品なことなどせずに。
 その一方で、本作は独自の解釈を加えたヘンリー・ウォットン卿のユニークな人物描写と、オリジナル・キャラとして彼の娘エミリーを登場させるアイディアに特筆すべきものがある。粋で洒脱でデカダンな趣味人だった原作のヘンリーに対し、コリン・ファースの演じるヘンリーは風采の上がらない皮肉屋の不良貴族。表層的で偽善に満ちた上流社会に息苦しさを感じ、貞淑そうに見えて気が強い女房の尻に敷かれっぱなしの彼にとって、不道徳な言動や歪んだ価値観は自らの置かれた状況に対するささやかな反抗にしか過ぎない。そのため、やり過ぎだと釘を刺されるとペコペコと退散してみせたりする。なんとも器の小さな男だ。
 で、そこへ自分の意のままに操れる若くて美しい青年ドリアンが現れたもんだから、これ幸いとばかりに今まで自分がやりたくてもできなかった悪行の数々を実行させていく。つまり、ヘンリーにとってドリアンは自分がそうなりたいと願っていた理想であり、自分をこんな惨めで哀れな男にした上流社会へ個人的な復讐を果たすための道具だったというわけだ。
 ところが、自分の作り出した怪物ドリアンが手の付けられないほどに暴走していくと、創造主たるヘンリーはどうしたらいいものかと途方に暮れてしまう。かといってその暴走に歯止めをかけるでもなく、はたまた軌道修正してあげるわけでもなく、当たらず触らずでなんとなく友達のふりをし続けるわけだ。
 そして、25年後に放浪の旅から戻ったドリアンはヘンリーの娘エミリーといい仲になる。しかし、この場に及んでもヘンリーはドリアンの理解者を装い、娘との関係についても見てみぬふり。だが、内心は心配と苛立ちと不安でいっぱいだ。あんな奴とうちの娘がくっつくなんてけしからんというのが本音。全ての元凶は自分にあるというのにも関わらず。どこまで行っても、上っ面ばかりの無責任な根性なしとして描かれているのだ。
 そもそも原作におけるヘンリーはオスカー・ワイルド自身をモデルにしたキャラクターだと言われている。果たして本作で描かれるヘンリーをワイルドが見たらどう思うか定かではないものの、解釈としては決して間違っていない…というか物語の流れを通して理に適っているのではないかと思う。ただ、ストーリーそのものが軽薄なうえに言葉足らずであるため、このユニークな人物描写が十分に生かしきれていなかったのは残念である。結局、イケメン俳優ベン・バーンズの魅力を堪能するアイドル映画でしかない。

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ウブなドリアンに悪い遊びを教えていくヘンリー

ヘンリーに感化されたドリアンは永遠の若さと美貌を願う

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ホワイトチャペルの小さな劇場に足を踏み入れたドリアン

清純な女優シヴィル(R・ハード・ウッド)と愛し合うようになる

<Story>
 19世紀末のロンドン。一人のうら若き青年が殺人を犯した。青年の名前はドリアン・グレイ(ベン・バーンズ)。慌てるようにして死体を衣装箱に詰めた彼は、辻馬車を呼んで夜の闇をひた走る。そして、人気のない橋のたもとで遺体を海に放り捨てるのだった。果たして、なぜドリアンは凶行に走ったのだろうか。物語は1年前へとさかのぼる。
 祖父ケスロ卿の死によって莫大な遺産と屋敷を相続した20歳のドリアンは、片田舎からロンドンへとやって来た。彼の母親はケスロの反対を押し切って無一文の芸術家と結婚したことから勘当され、幼くして両親を失ったドリアンは祖父から忌まわしい子供だとして疎まれていた。広大な屋敷へと到着したドリアンにとって、そこは少年時代に祖父から受けた理不尽な虐待の記憶が残る場所でもあったのだ。
 唯一の肉親である伯母アガサ(フィオナ・ショー)は善良かつ社交的な女性で、芸術家肌のドリアンにぴったりの友人として新進気鋭の画家バジル・ホールワード(ベン・チャップリン)を紹介する。ドリアンの美貌に魅了されたバジルはその肖像画を描き始め、その合間を縫って社交界の人々にドリアンを紹介するのだった。
 そんな折に知り合ったのが、不道徳な発言でなにかと物議を醸す皮肉屋の中年貴族ヘンリー・ウォットン卿(コリン・ファース)だ。見るからに無邪気で純朴そうな美青年ドリアンに興味を持ったヘンリーは、上流階級の偽善やモラルの矛盾を皮肉り、常識に縛られない生き方を説いてみせる。ほとんどの大人たちは彼の言葉を笑って聞き流すだけだが、若いドリアンは深く感じるものがあるようだ。バジルはヘンリーの言葉を真に受けないようドリアンに忠告する。
 それ以来、ヘンリーはドリアンの師匠的な役割を演じるようになり、貧民街ホワイトチャペルの怪しげな酒場へ連れて行くなどの悪い遊びも教えていく。そして、今ある若さと美貌を粗末にするな、それを武器にすれば何もかもが君の思い通りになるのだと教え諭す。だが、その挑戦的な言動とは裏腹に小心者のヘンリーは、上流階級の窮屈なルールの中で不本意かつ惨めな人生を送ってきた。そんな彼にとって、ドリアンの若さと美しさは羨望の対象でもあったのだ。
 やがてバジルの描いたドリアンの肖像画が完成する。それは誰もがため息を漏らすほどに素晴らしい出来栄えだった。しかし、皮肉屋のヘンリーは冷ややかな顔で言う。肖像画の中のドリアンは永遠に美しいままかもしれないが、現実の本人はあっという間に醜く年老いてしまうと。ようやく自分の優れた容姿に気付き始めたドリアンは、もし自分の若さが永遠に続くのであれば悪魔にでも魂を売ると呟くのだった。
 そんなある晩、ドリアンは一人でホワイトチャペルへと足を向ける。場末の小さな劇場では「ハムレット」を上演していた。ふと気になって劇場へ入った彼は、オフェリアを演じている若い女優シヴィル・ヴェイン(レイチェル・ハード・ウッド)に一目惚れし、やがて親密な仲になるのだった。これまで貧しい女性が金持ちの慰みものにされる姿を見てきたシヴィルだったが、ドリアンの一途な情熱にほだされて、次第に心を開いていくようになる。
 初めての恋に浮き足立つドリアンは、ほどなくして公の場で婚約を発表する。当然のことながら大人たちは眉をひそめるのだったが、世間知らずのドリアンは一向に気に留める様子もない。ヘンリーを信頼していた伯母アガサは、さすがにこれは監督不行届だときつく戒める。困ったヘンリーは一計を案じることにした。
 ドリアンを強引に誘ったヘンリーは、怪しげな売春宿へと彼を連れ込む。そこで阿片と肉欲の快楽を教えようというのだ。これですっかり女の味を覚えてしまったドリアンは、シヴィルとの結婚を思いとどまってしまう。結局は自分も遊ばれただけだったのかと失望するシヴィル。2人の破局を物陰から眺めていたヘンリーは、ホッと胸をなでおろすのだった。
 その翌日、ヘンリーや友人らと遊び呆けたドリアンが自宅へ戻ると、そこにはシヴィルの兄ジェームズ(ジョニー・ハリス)が待っていた。絶望の果てに彼女はテムズ川へ身を投げて果てたのだ。怒りのあまりドリアンに襲いかかるジェームズ。駆けつけた友人らの手によってジェームズは警察に引き渡されたが、シヴィルの自殺を知ったドリアンはショックを隠しきれない。そんな彼にヘンリーが言う。これも良い人生経験だと思って忘れろと。
 だが、ヘンリーの帰ったあと、広間に飾られた肖像画を見上げたドリアンは、その様子が明らかにおかしいことに気付く。彼の苦悩や罪悪感を象徴するかのごとく、その表情には深いシワが刻まれていたのだ。さらに、その数日前に負った手の傷が消え、代わりに肖像画の手から血が流れている。肖像画は劣化するが、自分は美しいまま。永遠に若くいたいという願いが叶えられたのだ。
 その夜を境にして、ドリアンの日常は一変した。ヘンリーにそそのかされるがまま、気取った上流階級の女性たちを次々と慰みものにし、社交界の秩序は根底から覆されていく。彼のせいで崩壊した家庭や破滅した人物は数知れず。それだけでは飽き足らず、ドリアンはあらゆる背徳的な行為に溺れていった。そのたびに、屋根裏部屋に隠した肖像画は醜く変貌していく。もはや別人のようになった彼をバジルは哀れみと嫌悪の眼差しで見つめるのだった。
 やがてバジルはパリで個展を開くこととなり、ドリアンの肖像画を出展しようと考える。彼にとっては渾身の力作だからだ。しかし、ドリアンはあれを見られては困る。以前からバジルが自分に同性愛的な好意を寄せていることに気づいていたドリアンは、己の肉体を使って誘惑することで肖像画を諦めさせようとした。しかし、それでもバジルは肖像画に固執する。それならばとドリアンは妖怪のような姿になった画を見せ、動転するバジルを冷酷にも殺害するのだった。そして、バラバラに切り刻んだ彼の死体を海へと投げ捨て、平然とした顔で日常生活へと戻る。
 それから程なくしてバジルの死体が発見され、警察の捜査が身辺に及ぶことを危惧したドリアンは放浪の旅へ出ることにする。一緒に行かないかと誘われたヘンリーだったが、ちょうど妻ヴィクトリア(エミリア・フォックス)の妊娠が判明したばかりだった。それに、彼はもはや手のつけられないほど怪物化したドリアンの存在に脅威すら覚えており、これ以上関わり合いたくないというのが本音だったのだ。かくして、ドリアンは世界各地を自由気ままに巡る旅へと向かった。
 そして25年の歳月が過ぎ、突然ドリアンがロンドンへと舞い戻ってくる。かつてドリアンの肉体に溺れた貴婦人グラディス(マリアム・ダボ)やラドリー夫人(キャロライン・グッドオール)はすっかり年老いてしまい、ヘンリーも今や隠居老人のような状態。しかし、久しぶりに再会したドリアンは20歳の頃と全く変わっておらず、人々の間には驚きと動揺の声が広がる。
 そんなドリアンに興味を示すのがヘンリーの娘エミリー(レベッカ・ホール)だった。彼の良くない噂はさんざん聞いて育ってきたが、実際に目の前に現れた本人はそんな悪人には見えない。一方、独立心が旺盛で進歩的な考えを持つ聡明なエミリーに、ドリアンも少なからず魅力を感じていた。
 そんな折、25年ぶりにホワイトチャペルへと足を踏み入れたドリアンは、かつて愛した女性シヴィルの面影を垣間見るのだった。彼女の墓を訪れ、これまでの人生を振り返って後悔の念に駆られるドリアン。そんな彼を年老いたジェームズが見つける。ジェームズはあれから精神病院に入れられ、度重なるショック療法で身も心もボロボロになっていた。そして今や、妹と自分を破滅させたドリアンへの復讐だけを心の支えにして生きながらえていたのだ。
 心に重くのしかかっていく罪の意識。迫り来るジェームズの復讐に対する恐怖。精神的に追いつめられたドリアンは、エミリーの中に安らぎと救いを見出す。だが、急接近する2人の関係をヘンリーが黙って見ているはずもなかった…。

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ドリアンに阿片と肉欲の快楽を覚えさせるヘンリー

ヘンリーはドリアンとシヴィルの破局を仕組んだのだ

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シヴィルの自殺に大きなショックを受けるドリアン

肖像画の微妙な変化に気づく

<Information>
 監督のオリヴァー・パーカーはもともと俳優の出身。「ヘルレイザー」('87)シリーズや「ミディアン」('90)などクライヴ・バーカー関連の映画に脇役で出ていたようだが、さっぱり記憶にない。先述したように「オセロ」で監督デビューを果たし、その後は「理想の結婚」や「アーネスト式プロポーズ」('02)のようなロマンティック・コメディ、「聖トリニアンズ女学院」シリーズや「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」のようなスラップスティック・コメディに手腕を発揮してきた人だ。
 で、脚本を担当したトビー・フィンレイは、これが脚本家としての初仕事という全くの新人。どういう素性の人物なのかは今のところ詳細不明だ。なお、製作のバーナビー・トンプソンは、「理想の結婚」以来パーカー監督とたびたび組んできたイギリスの中堅プロデューサーである。
 そして、撮影監督を手がけたのはテリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」('85)や「12モンキーズ」('95)、ティム・バートン監督の「バットマン」('89)といった個性的な映像作家の大ヒット作を担当し、近年は「ハリー・ポッター」シリーズにも参加している大御所カメラマン、ロジャー・プラット。クラシカルなムードを漂わせる上品な色彩感覚と、立体的で奥行の深い映像は、彼の功績によるところが大きいように感じる。
 そのほか、「ビギナーズ」('85)や「最後の誘惑」('88)のジョン・ベアードが美術デザインを、「アダムス・ファミリー」('92)と「エマ」('96)でオスカー候補になったルース・マイヤーズが衣装デザインを、パーカー監督作品の常連であるガイ・ベンズリーが編集を、同じくパーカー監督作品には欠かせないチャーリー・モールが音楽スコアを、「ハリー・ポッター」シリーズでオスカー候補になったチャーリー・ヘンリーが特殊視覚効果を担当している。

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背徳的で堕落した日々を送るようになるドリアン

もはやヘンリーも手に負えなくなっていた

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ドリアンは変わり果てた肖像画をバジルに見せる

バラバラにしたバジルの死体を海へ投げ捨てる

 主人公ドリアン・グレイを演じたのは、いまひとつパッとしなかったファンタジー映画「ナルニア国物語」シリーズのカスピアン王子役で知られる美形俳優ベン・バーンズ。確かに高貴な雰囲気を漂わせた顔立ちは美しいし、演技の面でもなかなか頑張っているように見受けられるが、なんだか突出したものが感じられない俳優でもある。ちょっと品良くまとまりすぎているというか、ドリアン役に求められる退廃的なカリスマ性のようなものに乏しいのだ。なので、'45年版のハード・ハットフィールドよりはだいぶ説得力があるものの、'70年版ヘルムート・バーガーの狂気を孕んだ危なっかしさにはまるで太刀打ちできていない。
 一方、ヘンリー役のコリン・ファースに関しては賛否両論あることだろう。確かに原作のファンからすればあり得ないヘンリー・ウォットン卿かもしれないが、本作で描かれている彼の人物像に鑑みればピッタリのハマり役。もともと英国貴族的な立ち振る舞いの中に泥臭い人間味を漂わせることのできる人だと思うのだが、ここではその実力が遺憾なく発揮されている。さすがオスカー俳優の貫禄といったところか。
 そして、画家バジル役には「好きと言えなくて」('96)や「シン・レッド・ライン」('98)で注目されたベン・チャップリン。ヘンリーの娘エミリーには「それでも恋するバルセロナ」('08)で評判となったレベッカ・ホール。どちらも独特の存在感や実力に恵まれたいい役者だが、本作では役柄の描かれ方が消化不足気味なこともあってか、いまひとつ魅力を活かしきれていないように思う。
 ただ、シヴィル役を演じているレイチェル・ハード・ウッドはとても良かった。「ピーター・パン」('03)のウェンディ役や「パフューム ある人殺しの物語」('06)のヒロイン役で知られる彼女、とにかく19世紀末の印象派絵画からそのまま抜け出てきたような顔立ちだけでポイントが高い。しかも、決して目立つ美人ではないものの、清らかな清純さと肉感的なエロティシズムを兼ね備えた個性は、掃き溜めに咲いた一輪の花とも言うべきシヴィルそのもの。これは良かった。
 そのほか、「007/リビング・デイライツ」('87)のボンドガールで有名なマリアム・ダボ、「シンドラーのリスト」('93)のシンドラー夫人や「プリティ・プリンセス」('01)シリーズの母親役などでお馴染みの知性派女優キャロライン・グッドオールが、若いドリアンの肉体に群がる欲求不満の貴婦人役として登場。また、「マイ・レフト・フット」('89)や「ハリー・ポッター」シリーズのハリーの伯母役で知られる名女優フィオナ・ショーが、ドリアンのお人好しな伯母役を演じている。
 ちなみに、ドリアンの悪友の一人であるアラン・キャンベル役を、テレビドラマ「プライミーバル」('07〜)の主演で人気を集めている俳優ダグラス・ヘンショールが演じているものの、クレジットの大きい割にはほとんど出番らしき出番がない。

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25年ぶりにロンドンへ戻ったドリアン

全く変わらぬドリアンの若さと美貌にヘンリーたちは愕然とする

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シヴィルの墓を訪れたドリアンは罪悪感に苛まれるように

ヘンリーの娘エミリー(R・ホール)に心惹かれていく

 

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