The Call of Cthulu (2005)

 

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(P)2005 HPLHS,Inc. (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダード・サイズ/ステレオ/音声:サイレント/字幕:英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・オランダ語・トルコ語・スウェーデン語・イタリア語・ハンガリー語・アイルランド語他・24ヶ国語/地域コード:ALL/47分/製作:アメリカ

映像特典
予告編
メインキング・ドキュメンタリー
削除シーン集
監督:アンドリュー・レマン
製作:ショーン・ブラネイ
    アンドリュー・レマン
原作:H・P・ラヴクラフト
脚本:ショーン・ブラネイ
撮影:デヴィッド・ロバートソン
音楽:トロイ・スターリング・ニース
    ベン・ホルブロック
    ニコラス・パヴコヴィッチ
    チャド・ファイファー
出演:マット・フォイヤー
    ジョン・ボーレン
    ラルフ・ルーカス
    チャド・ファイファー
    スーザン・ズッカー

 アメリカの怪奇・幻想文学の大家として世界的に名高い作家H・P・ラヴクラフト。エドガー・アラン・ポーと並び称されるほど人気が高く、後世の作家にも多大な影響を与えている人物だ。しかし、ポーの作品がサイレント時代から好んで映像化されて来たのに対し、ラヴクラフトの映画化作品は比較的少なく、なおかつ映像化が非常に難しいと言われてきた。果敢にもラヴクラフト文学の映像化に挑んだ作品はあるものの、その殆どが安手なモンスター映画に仕上がってしまっている。
 ラヴクラフトの世界を十分に理解し、独自のスタンスで映像化に成功した数少ない映画作家がスチュアート・ゴードン監督だろう。中でも「フロム・ビヨンド」('86)と「DAGON」('01)、テレビ用に作られた「魔女の棲む館」('05)は、一味違ったアプローチでラヴクラフトの精神を映像化するのに成功した稀な例だった。ダン・オバノン監督の「ヘルハザード/禁断の黙示録」('91)も良く出来ていたと思う。しかし、それ以外のラヴクラフト映画は残念ながら失敗作ばかり。ラヴクラフトを原作にしていないジョン・カーペンター監督の「マウス・オブ・マッドネス」('94)が、その精神と世界観を真正面から見事に映像化した傑作となったのは大いなる皮肉だった。
 ラヴクラフト作品の映像化に当たって最大の難関と言えるのが、その観念的かつ主観的なビジョンである。殆どの作品が主人公の独白形式で語られていくのだが、そこで描かれる恐怖というのが作者であるラヴクラフト自身のパラノイアに他ならないのだ。少数民族への恐怖、異文化への恐怖、邪教への恐怖、そして海産物への恐怖。こうした、ラヴクラフト自身が常日頃から抱えている異常なまでの強迫観念こそが、彼の作品の土台を形成していた。生まれつき病弱で、極度の神経症に悩まされていた彼は、殆ど隠居老人に近いような生涯を過ごしたという。それゆえに、未知なる外の世界に対する恐怖心は人一倍強く、逆にそれが彼の想像力を掻き立てていったのだろう。この極めて主観的な恐怖を映像で表現するというのが、ラヴクラフト作品の大きな課題となるのだ。
 さらに、彼の作品には太古から地球に生息する“禍々しきもの”と呼ばれる異形のモンスターが登場するのだが、これについてもラヴクラフトは具体的な表現を用いていない。たいていは、“この地上の生物に関して私の知識では理解できない代物”とか、“神を冒涜するに等しい姿”などといった抽象的な言葉で著されている。考えようによってはいくらでも想像の余地が残されているわけだが、実は逆にそれが難題となってしまう。何故ならば、それを目にしただけで人間を発狂させてしまうような怪物を映像で具体的に表現しなくてはならないからだ。そして、大抵の作品がここで失敗する。人知を超えるような怪物などそうそう創り出せるものではない。この部分を誤ると、物語そのものの説得力もリアリズムも完全に破壊されてしまうのだ。

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まるで20年代のRKO映画のようなタイトル・ロール

主人公である“私”を演じるマット・フォイヤー

「カリガリ博士」のようなドイツ表現主義的セット

CG合成で再現された当時の古い町並み

 さてさて、前置きが長くなってしまったが、そのラヴクラフトが1926年に書いた代表作「クトゥルーの呼び声」を映画化したのが本作である。先述したように、ラヴクラフト作品の映像化が比較的少ないということもあって、この「クトゥルーの呼び声」が映画化されるのも実は初めて。彼の作品の中でも特に主観的で抽象的な色合いが強く、長年に渡って映画化は不可能だとされてきた。粗筋をざっくりと紹介しよう。
 私は大叔父であるエインジェル教授の遺品を整理していると、奇怪な姿を描いた粘土のレリーフを発見する。その姿は“触覚のついた果肉状の頭部が、退化した翼を持つグロテスクな鱗に覆われた胴体に乗った怪物”のようだった。教授は古代碑文字の権威で、ニューポート湾で黒人の船乗りに突き当たって死亡したらしい。
 残されたノートを調べた結果、そのレリーフは1925年の春に若い彫刻家が持ち込んだものと分かった。ニューイーングランド地方で地震があった晩、その彫刻家は不思議な夢を見た。巨石と空高くそびえる無数の巨大な柱から成る都市が、緑の分泌物をしたたらせながら言葉にも似た波動を発していたのだ。それは“クトゥルー”とも聞こえた。毎晩見るその夢を元にレリーフを制作した彫刻家だったが、次第に発熱して狂乱状態に陥る。そして、しばらくして熱が冷めると、その後は全く夢を見なくなった。
 叔父には不思議な心当たりがあった。その17年前に、全米考古学会の定例会に持ち込まれたグロテスクな小像が、このレリーフと瓜二つだったのだ。それは、地質学や鉱物学で知られているいかなる石とも違うもので出来ており、解読不能な文字が刻まれていた。
 この小像を持ち込んだのはニューオーリンズから来た警部だった。警部は森の奥深くにある沼地で行われていた邪教団の恐るべきサバトを摘発していた。そこでは人身御供さえ行われていたという。そして、この小像はその際に押収したものだった。
 警察が邪教団のメンバーを取り調べたところ、信者の多くが黒人か混血の船乗りだった。そして、彼らは“偉大なる魔族”と呼ばれる種族を崇拝していた。“偉大なる魔族”とは、人類の遥か以前から存在する種族で、天空から地球に降り立ったという。海底の巨大都市ルルイエで偉大なる祭司クトゥルーが呪文によって眠っているが、星の叫びが聞こえるとき起き上がり、再び地上を支配するようになるというのだ。
 こうした事実を知った私は、大叔父の死とレリーフ、そして邪教団の存在が何かしらリンクしていると考えた。さらに調査を進めると、1925年4月18日発行の新聞記事を偶然発見する。そこには、謎の漂流船が発見されたという事件が記されており、船から見つかったという石像の写真が例のレリーフや小像と瓜二つだった。記事によると、船は太平洋上で黒人の船乗りが乗った異教徒の船に襲われ、小さな島にたどり着いて上陸するが、何らかの理由で乗組員の大半が死亡し、たった一人の乗組員が命からがら逃げ帰ってきたようだった。ニューイングランドの地震と、それに続く彫刻家の悪夢、そしてこの漂流船事件は不気味なくらいに時期が重なっていた。
 その唯一の生存者が故郷のオスロに帰った事を知った私は、一路ノルウェーへと飛ぶ。しかし、その生存者である船乗りは既に死んでおり、残された手記をその妻から受け取った。その手記によると、船は巨大な石柱のそびえ立つ異様な雰囲気の島に上陸した。そして、恐怖に凍りつく船乗りたちの前で巨大な扉が開き、遥か深遠からゼラチン状の緑がかった巨体が立ち上がる。船員たちは次々とショック死するか殺され、2人が辛うじて船に戻ることが出来た。しかし、その怪物は海をかき分けて船に接近。一人の船乗りはその姿を見て発狂死し、残された一人は決死の覚悟で船ごと怪物に突進した。怪物はバラバラになったものの、その破片は見る見るもとの姿に結合していく。しかし、船乗りはそれを振り返ることもなく、猛スピードで島を離れて行ったのだった。
 全てを知った私は、彼が見たものが海底から浮上した都市ルルイエであり、その怪物がクトゥルーに違いないと悟る。そして、いつまた再びこの世にクトゥルーが甦るか知れないと感じるのだった。

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謎の小像について論議を交わす考古学会の面々

沼地で繰り広げられる邪教団のサバト

不気味な顔をした邪教団のメンバー

奇怪な姿をした邪教の石像

 以上が、ラヴクラフトの「クトゥルーの呼び声」の全容である。そして、本作の監督・脚本コンビであるアンドリュー・レマンとショーン・ブライネイの2人は、その原作をほぼ忠実に映像で再現している。そして、一歩間違えると陳腐なモンスター映画になりかねないこの物語の持つ一種異様なリアリズムをスクリーンに再現するため、彼らの選んだ手法はモノクロのサイレント映画だった。舞台設定を原作の書かれた当時に据え置き、1927年頃の映画技術・手法を丹念に再現することにより、この古典的な怪奇・幻想文学の持つ独特の恐怖と風格を映像化する事に成功している。
 中でも、恐怖シーンにドイツ表現主義の手法を取り入れたのは素晴らしく効果的だった。非現実的な歪んだ美術セットを使用する事により、人間の心の奥底にある不安や狂気を描いたドイツ表現主義のテクニックは、現代のいかなる最新技術よりもラブクラフト作品の持つ狂気を再現するのに適していると言えるだろう。さらに、特撮の父ウィリス・オブライエンを彷彿とさせる古典的なストップ・モーション・アニメによって怪物を描き、なおかつ象徴的なライティングとカッティングによってその細部をあえて見せないという手段を用いることにより、よりリアルな恐ろしさを表現することが出来ている。そう、直接的に“見せない”事が逆に効果を生むという古典的な手段が、ここでは見事に功を奏しているのだ。
 その一方で、目立たないところで最新のCG合成技術を使っているのも事実。例えば、1920年代当時の風景を再現したシーンでは、古い屋敷の立ち並ぶ周辺の近代的な建造物を取り払い、黒塗りのクラシック・カーを行き交わせるために、背景をそっくり合成しなくてはならなかった。邪教団のサバトのシーンでも、限られた数のエキストラを大勢に見せるために合成が使用されている。その古典的技術と最新技術の絶妙なブレンドにより、時代を超越した全く新しいタイプのサイレント映画が誕生したと言える。
 ラヴクラフトの原作をほぼ忠実に再現していると述べたが、細部では現代の倫理観のもとに改変が行われている。例えば、原作では邪教団が黒人と混血で形成されていたが、これは今では明らかに人種差別に当たる表現だ。ラヴクラフトの作品には、こうした人種的な偏見がしばしば登場する。というのも、ラヴクラフト自身が黒人やアジア人、ユダヤ人などアングロ・サクソン系以外の人種に対して根拠のない恐怖心を持っていたからだ。恐らく、彼はその恐怖心を人種的偏見だとは自覚していなかったように思われる。それゆえに、ヒトラーの唱える民族主義に対しては嫌悪感を露わにするという不思議な矛盾が生まれたのだろう。
 いずれにせよ、アンドリュー・レマンとショーン・ブライネイのコンビは、映画史において恐らく初めてと言える純然たるラヴクラフト映画の傑作を生み出した。しかも、たったの3万ドルという製作費で。良い映画は金がないと作れないなどと嘯いている人々は、この作品を見て大いに反省・勉強するべきだろう。たとえ金はなくとも、優れた才能と知恵によって傑作を生み出すことは可能なのだ。
 この「クトゥルーの呼び声」は、彼の門下生たちによって展開されたいわゆる“クトゥルー神話”の原点でもある。「狂気の山脈にて」や「ダニッチの怪」、「闇をさまようもの」など、未だ正当に映像化されていないラヴクラフト作品は数多い。さらに、オーガスト・ダーレスやロバート・ブロックら門下生によるクトゥルー神話の傑作も殆ど手付かずのままだ。彼らの生み出した“コズミック・ホラー(宇宙的恐怖)”の世界を映像によって形成していく、というのはホラー映画ファンの長年の願いだと言えるだろう。その実現の可能性とお手本を同時に示してくれたという意味でも、本作の持つ意義はとてつもなく大きいと思う。
 ラヴクラフトを愛する者、そしてホラー映画を愛する者であれば絶対に見逃せない傑作だ。

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太平洋の謎の海域を航海する船

謎の島に上陸した船乗りたち

そびえ立つ太古の禍々しき石像たち

邪悪な怪物の影が船乗りたちに迫る!

 

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