バークとヘア
〜ウェストポート連続殺人事件〜

 

 ウェストポート連続殺人事件のウィリアム・バークとウィリアム・ヘア・・・といっても日本人には馴染みがないかもしれないが、イギリスでは童謡として歌われているくらい有名な犯罪者たちである。事件が起きたのは19世紀半ば。バークとヘアの2人は1827年〜28年の約1年間の間に16人もの人々を殺害し、地元エジンバラ医学校のロバート・ノックス博士に売りさばいていたのだ。この事件の背景には当時のイギリス社会が抱える様々な問題があり、中でも医学界に与えた衝撃は大きかった。
 19世紀のイギリスでは医学の発展のため解剖学が推進されたものの、その一方で合法的な死体の供給源は処刑された犯罪者に限られており、解剖実験に必要な死体が圧倒的に不足していた。そこで流行したのが墓場から死体を盗む死体泥棒で、当時の医学校の中には盗まれた死体を裏で買い取って実験に使うところもあった。しかし、埋葬されて時間の経った死体は役に立たないことが多い。死体は新鮮であることが望ましいのである。
 さらに、産業革命当時のイギリスは、近代文明と封建制度の狭間とも言える混乱期でもあった。国民としての人権すら認められず、近代化の道具として使い捨てにされていた労働者階級の人々は凄まじいまでの貧困にさらされ、スラム化した都市部は犯罪や暴力、伝染病などの温床だった。ボロボロの住宅や酒場、売春宿の密集する街中は人で溢れ、人間の命の値段など二束三文だったと言えるだろう。また、医学や科学が日進月歩で発達する傍らでキリスト教の古い概念は依然として存在し、それゆえに犯罪者でもない人間の死体が解剖されるなとどいうことは神への冒涜だと考えられていたのである。
 バークとヘアがエジンバラ医学校のノックス博士に売ったのも、最初は棺桶から盗み出した死体だった。これに味を占めた彼らは、ヘアの経営する安宿の病弱な下宿人を手始めに近隣の人々を次々と殺し、その死体をノックス博士のもとへと持ち込んだのだ。被害者はいずれも社会の底辺で暮らす貧乏人や娼婦ばかり。犯人のバークとヘアにしても生活が苦しいから犯罪に手を染めたわけで、この事件からは貧乏人が金のために貧乏人を殺すという悲惨で醜い構図が浮かび上がる。
 また、彼らから死体を買っていたノックス博士も、2人がどのようにして死体を入手しているのかということを薄々気付いてはいたようだ。しれゆえに、エジンバラ界隈では有名人だった足の不自由な少年ジャミーの死体が運び込まれた時は、慌てて頭と足を切断して隠している。医学の進歩のためには必要な犠牲だと考えたのかもしれない。それとも、貧乏人の命など虫けらも同然だと思っていたのだろうか?恐らく、博士の中には社会的弱者に対する差別意識があったに違いない。
 結局、下宿人に死体を見られてしまったことから犯行がばれてしまい、ウィリアム・バークは絞首刑に。一方のウィリアム・ヘアはバークに不利な証言をする代わりに減刑され、その後行方不明となった。彼らに協力したバークの愛人ヘレンとヘアの妻マーガレットの2人も、民衆からのリンチを恐れて逃亡している。一方のノックス博士は一切の罪に問われなかったものの、この事件によって出世の道が断たれてしまった。
 この事件を引き起こした原因は、近代医学の進歩に遅れをとっていた当時の法律にあったわけだが、同時にイギリスの階級社会における極端な貧富の差にも大きな一因があったはずだ。だからこそ、バークとヘアの2人は姿をくらましても大した問題にならない貧しい人々に手をかけたのであり、ノックス博士も見て見ぬふりを決め込んだのだろう。事件をきっかけに1832年解剖学法が制定されたものの、労働者階級における極端な貧困の解消には20世紀の到来を待たねばならなかった。

 さて、先述したようにイギリスでは子供向けの童謡で歌われるほど有名なウェストポート連続殺人事件だが、これまでに幾度となく映画化もされてきている。一番最初の映画化は1948年に製作されたトッド・スローター主演のイギリス映画“The Greed Of William Hart”。当初は“Burke and Hare”というタイトルで製作されたものの、ウィリアム・ヘアの子孫の訴えで実名を使うことが出来なくなったため、役名とタイトルの変更を余儀なくされた。
 さらに、1960年にはピーター・カッシング主演の『死体解剖記』として再度映画化され、名優ドナルド・プレザンスとジョージ・ローズの2人が、それぞれウィリアム・ヘアとウィリアム・バークを演じている。その翌年にはディアムイド・ケリーとマイケル・リッパーによる”The Anatomist”が、71年にはダーレン・ネスビットとグリン・エドワーズによる“Burke and Hare”が製作された。
 また、85年には撮影監督としても有名なフレディ・フランシスが演出を手がける『贖われた7ポンドの死体』が発表され、ここではジョナサン・プライスとスティーブン・レイの2人が、バークとヘアをモデルにした死体泥棒役を演じている。そして現在、『ブルース・ブラザース』(80)や『狼男アメリカン』(81)で有名なジョン・ランディス監督による最新映画化作品“Burke and Hare”の製作が進行中。まだキャスティングなどは明らかにされていないが、年内の劇場公開を目指しているようだ。
 なお、『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』で有名な作家ロバート・ルイス・スティーブンソンがウェストポート連続殺人を下敷きにした短編小説を発表しており、1945年にハリウッドで『死体を売る男』として映画化されている。
 以下、そのスティーブンソン原作の映画化作品を含む、バーク&ヘア映画の一部を紹介してみたい。

 

死体を売る男
The Body Snatcher (1945)
日本では劇場未公開
VHS・DVD共に日本発売済
※但し、米国盤DVDはリマスター版の別仕様

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(P)2005 Warner Bros. (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ/スタンダード・サイズ/モノラル
/音声:英語/字幕:英語・スペイン語・フランス語/地域コード:1/77分/製作:アメリカ
※『ブードゥリアン』とカップリング

映像特典
オリジナル劇場予告編
ロバート・ワイズ監督による音声解説
監督:ロバート・ワイズ
製作:ヴァル・リュートン
原作:ロバート・ルイス・スティーブンソン
脚本:フィリップ・マクドナルド
    カルロス・キース
撮影:ロバート・デ・グラス
音楽:ロイ・ウェッブ
出演:ボリス・カーロフ
    ベラ・ルゴシ
    ヘンリー・ダニエル
    エディス・アトウォーター
    ラッセル・ウェイド
    リタ・コーデイ
    シャリン・モフェット

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舞台は1831年のエジンバラ

辻馬車の御者として生活する男グレイ(B・カーロフ)

人には言えない過去を持つ医師マクファーレン(H・ダニエル)

 ウェストポート連続殺人事件を下敷きにしたロバート・ルイス・スティーブンソンの短編小説を、ハリウッドの製作者ヴァル・リュートンとロバート・ワイズ監督のコンビで映画化した作品。ヴァル・リュートンといえば、当時RKOフィルムで『キャット・ピープル』(42)や『ブードゥリアン(私はゾンビと歩いた)』(43)といった文学性の高い怪奇幻想映画を次々と世に送り出していた名プロデューサー。一方のロバート・ワイズはそんなリュートンのもとで『キャット・ピープルの呪い』(44)という詩情豊かな怪奇ロマンの傑作を監督し、その後『ウェストサイド物語』(61)や『サウンド・オブ・ミュージック』(64)といった大ヒット作を連発するようになる巨匠だ。
 舞台は解剖学法の制定される直前である1831年のエジンバラ。ウェストポート殺人事件から3年後のことである。主人公は優秀で人望の厚い医師マクファーレンと辻馬車の御者グレイ。自らの経営する医学校で解剖学を教えているマクファーレンは、裏で死体泥棒をしているグレイから秘密裏に実験用の死体を購入していた。本作ではその2人の因果応報とも言える物語が、マクファーレンの若い助手フェッツの目を通して語られていく。
 実は、マクファーレンはウェストポート連続殺人事件で教壇を追われたノックス博士の助手だった。そして、グレイはノックス博士のもとに出入りしていた死体泥棒の一人だったのである。忌まわしい事件の関係者という過去を隠し、医学の発展に貢献するという大義名分のため、犯罪行為に見て見ぬ振りをし続けるマクファーレン。そして、過酷な社会を生き抜くため殺人にまで手を染めてしまう狡猾な男グレイ。共に根は決して悪い人間ではないのだが、己の目的のために人間としてのモラルや尊厳を見失ってしまった罪人である。
 本作の素晴らしい点は、このマクファーレンとグレイの人間描写にあると言えるだろう。中でもボリス・カーロフ演じるグレイは、ホラー映画の悪役としては異例とも言えるくらいに複雑で謎めいていて、なおかつ人間臭い魅力的な人物として描かれている。一方、ヘンリー・ダニエル演じるマクファーレンも、医者としての高潔なまでの使命感と人間としての弱さを併せ持った興味深いキャラクターだ。
 事故で下半身不随になった少女の手術に成功したマクファーレンだったが、容態が安定しても少女は一向に立ち上がって歩こうとはしない。そのことで医者としての自信やプライドを傷つけられたマクファーレンに対し、
グレイが“あんたには知識はあっても理解力がない”と冷たく言い放つ場面はとても印象的だ。己の研究と大義名分にばかり心血を注いできたマクファーレンは、人体の構造についての知識は誰よりも持ち合わせているが、その一方で肝心な患者の心というものを全く理解していなかったのである。まさにそれこそが、本作で描かれる陰惨な物語の核心であると言えよう。
 ロバート・ワイズ監督は登場人物の何げない言葉や動作、一見すると粗筋とは関係ないと思われるような細かいディテールまで丁寧に描きこみ、その一つ一つを巧みにつむぎ合わせながら、非常に文学的で奥深いドラマを構成している。幻想的で重厚な格調高い映像や“見せない”ことでサスペンスを盛り上げる恐怖演出の手腕も見事。ホラー映画としても人間ドラマとしても実にクオリティの高い傑作と呼べるだろう。

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貧しい学生フェッツ(R・ウェイド)はマクファーレンの助手に

半身不随の少女ジョージナ(S・モフェット)と母親(R・コーディ)

家政婦カムデン夫人(E・アトウォーター)にも秘密が

 1831年のエジンバラ。若い医学生フェッツ(ラッセル・ウェイド)は実家の家業が傾いてしまったことから学費が払えなくなり、やむなく学校を中退することを決意した。だが、将来有望なフェッツの才能を惜しんだ学長のマクファーランド(ヘンリー・ダニエル)の好意により、彼の助手として働きながら学業を続けることになる。
 マクファーランドは学生の間から“殿下”と呼ばれるほど厳しい教師だったが、その反面非常に寛大で真面目な人物であり、なによりも優秀な外科医として全国に名の知られた人物だった。そんな彼のもとにマーシュ夫人(リタ・コーデイ)という若い母親が、幼い娘ジョージナ(シャリン・モフェット)を連れてやってくる。ジョージナは馬車の事故で負った怪我が原因で下半身不随となってしまっていた。これまで数多くの医者のもとを訪れたがさじを投げられ、最後の頼みの綱としてマクファーランドを頼ってきたのだ。
 しかし、マクファーランドにとって頚骨の手術は未知の分野であり、手術をするためには新鮮な死体を用いた解剖実験が必要不可欠だった。だが、名医としてのプライドに賭けて経験不足とは言い出せないマクファーランドは、忙しいから無理だとの一点張りでマーシュ母子を追い返した。
 一方、幼いジョージナの方でも、理路整然とした医学的説明ばかりに終始するマクファーランドに心を開こうとはしなかった。すっかり内向的になってしまった娘をマーシュ夫人は心配する。そんな母子の姿を見て同情したフェッツは、なんとか手術が出来るように取り計らうことを約束した。そんな心優しいフェッツに接したジョージナも、肉体的な負担と苦痛の伴う手術に前向きな気持ちを示す。
 マクファーランド宅にはグレイ(ボリス・カーロフ)という怪しげな男が出入りしていた。昼間は気さくな辻馬車の御者として親しまれている男だが、夜になると全く別の顔を覗かせる。彼は夜な夜な墓場に忍び込んで死体を盗み、解剖実験用の標本としてマクファーランドに売りさばいていたのだ。最初は強い抵抗感を抱いたフェッツだったが、小市民的なモラルにこだわっていては偉業を成し遂げることなどできないというマクファーレンの言葉に説き伏せられる。悪いのは人間ではなくて法律なのだ。
 ジョージナに手術をするためには新しい死体が必要だと知ったフェッツは、夜中にグレイのもとを訪れて交渉をした。なんとか新しい死体を探し出してきてほしいと。その翌日、約束通りグレイは新鮮な死体を運んできた。だが、その死体の顔を見てフェッツは愕然とする。いつも道端に立って民謡を歌っている物乞いの少女だったのだ。昨晩もフェッツは少女の前を通り、道を聞くために言葉を交わしていた。あんなに元気そうだった少女が、その翌日に死体となって運び込まれるというのは不自然ではないか?彼はグレイに疑いの目を向ける。
 しかし、そんな彼をまたもやマクファーランドが押しとどめた。グレイが少女を殺したという証拠はない。死体の傷を見る限りでは、誤って転倒して頭部を強打したという可能性も捨てきれまい。しかも、もし仮にグレイが殺したのだとすれば、死体を催促したフェッツも立派な共犯者なのである。一人の少女を助けたいと願う気持ちが、別の少女の命を奪ってしまうという皮肉に、フェッツはやりきれない気持ちを隠せなかった。
 そんな2人の会話を盗み聞きしている人物がいた。マクファーランドの下僕ジョセフ(ベラ・ルゴシ)だ。彼は夜中にこっそりグレイのもとを訪れ、殺しをばらされたくなければ金をよこせと強迫する。グレイはあっさりと彼に16ポンドを手渡した。決して多い金額とはいえないが、ポルトガルからの貧しい移民であるジョセフにとっては大金だ。すっかり気をよくしたジョセフは、グレイと酒を飲み交わして世間話に花を咲かせる。グレイの方も上機嫌で話を続けたが、次第にその言葉と眼に狂気が宿り始め、結局はジョセフを絞殺してしまう。
 一方、マクファーランドによるジョージナの手術は成功していたが、彼女は一向に車椅子から立ち上がろうとはしなかった。無理やり立たせようとするマクファーレンだったが、恐怖に怯えるジョージナは泣き叫ぶばかり。さすがの名医もお手上げ状態で、マクファーレンはすっかり医者としての自信とプライドを喪失してしまった。また、執拗につきまとうグレイの存在も悩みの種だった。彼は超えてはいけない一線を越えてしまったグレイと手を切るつもりだったが、そう簡単に金づるを手放すような男ではない。フェッツはグレイに対して強く出ることの出来ないマクファーランドを怪訝に思う。
 マクファーランドから取り引きの終了を宣言されたグレイは、見せしめのためにジョセフの死体を持ち込んだ。さすがに堪忍袋の緒が切れたマクファーランドは、全ての決着をつけるためにグレイのもとへと向う。後を追いかけようとしたフェッツだったが、家政婦カムデン夫人(エディス・アトウォーター)がそれを止める。実は、彼女はマクファーランドの妻だった。しかし、ある忌まわしい過去を隠すため、彼は妻を家政婦と偽っていたのだ。その忌まわしい過去とは、あの有名なウェストポート連続殺人事件のことであった・・・。

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マクファーレン家の下僕ジョセフ(B・ルゴシ)

グレイは死体泥棒という裏の顔を持っていた

グレイの持ち込んだ死体を見たフェッツは驚く

 こうした主軸となるストーリーの傍らで、息子の死体を盗まれた老女の悲しみや貧困にあえぐ庶民の生活模様を随所に織り込み、ドラマに厚みと説得力をもたらしていく演出や脚本が実に見事。ホラー映画ゆえに陰惨な恐怖シーンも用意されているが、それすらも格調高く描かれているのは特筆に価する。
 中でも秀逸だったのは、グレイが物乞いの少女を殺害するシーンだろう。人通りの寂しい真夜中の街を一人で歩く少女。画面奥の暗闇にその姿が消えていくと、その後を追ってグレイの乗った黒馬車も闇に吸い込まれていく。街中にこだまする少女の可憐な歌声。すると突然“グッ”といううめき声と共に、その歌声が途切れてしまう。そして、カメラは静寂に包まれた闇の奥をじっと見つめ続けるのだ。
 監督のロバート・ワイズはこれが劇場用長編映画3作目。撮影当時まだ若干30歳だったわけだが、すでに巨匠の風格すら漂う素晴らしい演出を見せてくれる。その後、西部劇の小品佳作『月下の銃声』(48)やSF映画『地球の制止する日』(51)、社会派サスペンス『重役室』(54)などの名作を手掛け、やがて『トロイのヘレン』(55)や『ウェストサイド物語』、『サウンド・オブ・ミュージック』、『砲艦サンパブロ』(66)などの大作を世に送り出すこととなる。
 脚本を手掛けたのはフィリップ・マクドナルドとヴァル・リュートン。カルロス・キースとはリュートンの変名である。フィリップ・マクドナルドはミステリー作家としても有名な人物だが、映画脚本家としては低予算のB級映画が多かった。その他の作品と比べてみても、本作の脚本の格調高さは大変なインテリ文化人としても有名だったヴァル・リュートンに負うところが大きいと言えるだろう。
 撮影監督のロバート・デ・グラスはRKO専属のカメラマンで、『カッスル夫妻』(39)などアステア&ロジャースによる一連の傑作ミュージカルを数多く手掛けた人物。美術デザインを手掛けたアルバート・S・ダゴスティーノはオーソン・ウェルズの『偉大なるアンバーソン家』(42)などで5度のアカデミー候補にあがっており、その協力者ウォルター・E・ケリーもヴァル・リュートン作品の常連スタッフだった。また、セット・デザインには『市民ケーン』(41)のダレル・シルヴァと『砲艦サンパブロ』のジョン・スターテヴァントが当っている。衣装デザインは『クレオパトラ』(64)でオスカーを受賞したレニー。音楽は『偽装の女』(37)など7度のオスカー候補経験のあるロイ・ウェッブ。スタッフの顔ぶれも実に豪華だ。

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新しい死体を手に入れるためにグレイのした事とは・・・

マクファーレンのモラル概念に疑問を持つフェッツ

マクファーレンはグレイに弱みを握られていた

 そして、本作は役者たちの見事な演技も忘れてはなるまい。中でも、グレイ役のボリス・カーロフは一世一代の名演技と呼んでもおかしくないくらいの素晴らしさ。社会の底辺でずる賢く生きる男の恐さ、面白さ、逞しさ、憎めなさを凄まじい迫力で演じきっている。彼の代表作といえばどうしても『フランケンシュタイン』(31)に落ち着いてしまい、強烈なマスクのモンスター役者というイメージが強いが、本作を見れば彼が紛れもない名優であったことを理解することができるはずだ。
 対するマクファーレン役のヘンリー・ダニエルも素晴らしい。上流階級のスノッブなインテリ医師という冷たい表層の裏に秘められた熱い情熱と高い志、寛大な優しさと弱い脆さなどを表情豊かに演じて実に見事。『椿姫』(37)や『フィラデルフィア物語』(40)など数多くの名作に出演し、主に頑固で冷たい憎まれ役を演じ続けた脇役俳優だったが、本作ではそんなイメージを根底から覆す大熱演を繰り広げてくれる。
 また、マクファーレンの助手である若者フェッツ役のラッセル・ウェイドも爽やかでハンサムな好青年で、純真無垢を象徴する一服の清涼剤的な役割を務めている。本作を見る限り2枚目スターとして十分に魅力のある役者なのだが、戦争映画の無名兵士役ばかりで俳優としては伸びず、この数年後に映画界を引退してしまったという。
 その他、『勇気ある追跡』(69)で鉄火肌な宿屋の女将役を演じていたエディス・アトウォーターが、家政婦として耐え忍ぶマクファーレンの妻役を好演。当時RKOで低予算の犯罪映画などに数多く出演していた女優リタ・コーディも、若くて美しい母親役を演じて爽やかな印象を残す。
 しかし、ホラー映画ファン注目なのは、やはり下僕ジョセフ役のベラ・ルゴシだろう。『魔人ドラキュラ』(31)のドラキュラ伯爵役で一世を風靡し、ボリス・カーロフと共にユニバーサル・ホラーを牽引したトップ・スター。だが、酒癖の悪さや演技力不足が災いして人気を失い、その後も俳優として尊敬され続けたカーロフとは明暗を分けてしまった。本作でもカーロフに次いでキャスト・クレジットは2番目ながら、実際にはあっけなく殺されてしまうというチョイ役。これが彼らにとって最後の共演作となってしまったことも含めて、なんとも哀れを禁じえない役柄だった。

 

死体解剖記
The Flesh and the Fiends (1960)
日本では1963年劇場公開
VHS・DVD共に日本未発売

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(P)2001 Image (USA)
画質★★★☆☆ 音質★★★☆☆
DVD仕様(北米盤)
モノクロ/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)/モノラル/音声:英語/字幕:なし/地域コード:ALL/94分(英国版)95分(コンチネンタル版)/製作:イギリス
※イギリス公開版とヨーロッパ公開版を収録

映像特典
アメリカ公開版劇場用予告編
アメリカ公開版オープニング
フォト&スチル・ギャラリー
監督&キャスト フィルモグラフィー
監督:ジョン・ギリング
製作:ロバート・S・ベイカー
    モンティ・バーマン
脚本:ジョン・ギリング
    レオン・グリフィス
撮影:モンティ・バーマン
音楽:スタンリー・ブラック
出演:ピーター・カッシング
    ドナルド・プレザンス
    ジューン・ラヴェリック
    ダーモット・ウォルシュ
    ルネ・ヒューストン
    ジョージ・ローズ
    ビリー・ホワイトロー
    ジョン・ケアニー
    メルヴィン・ジェイス

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1828年のイギリスでは墓場の死体泥棒が横行していた

エジンバラで医学校を経営するノックス博士(P・カッシング)

 ハマー・プロの世界的な大成功でイギリスの各映画会社がホラー製作に沸き立つ中、当時立ち上げられたばかりの独立プロ、トライアッド・プロダクションがウェストポート連続殺人事件を映画化した作品。後にハマーで『妖女ゴーゴン』(64)や『吸血ゾンビ』(66)などの佳作を生み出すジョン・ギリングが演出を手がけ、ハマー・プロのスターであるピーター・カッシングを主演に迎えた実録映画だ。
 冒頭で“全て実話に基づく”とテロップが流れるものの、これはこの手の映画お得意のはったり。確かに大まかな粗筋は史実に基づいており、ウィリアム・バークやウィリアム・ヘアなどの主要人物は実名で登場するものの、架空の登場人物を加えた上でかなり脚色が施されている。
 本作がユニークなのは、ノックス博士の教え子である若い医学生とスラム街の娼婦の道ならぬ恋を織り交ぜることにより、当時のイギリス社会における歴然とした階級格差の問題を浮き彫りにしている点と言えるだろう。当初は金目当てで学生に近づいた娼婦だが、所詮若者は貧乏学生。それでも娼婦は、いつか自分も上流階級のレディになれるかもしれないという淡い夢と野心を抱く。だが、やがて若者の純粋さにほだされ、本気で彼のことを愛するようになるのだが、安酒とセックスに明け暮れる自堕落なスラム街の生活から抜け出すことはできない。それが彼女の生きる世界だからだ。
 また、犯罪者ウィリアム・バークとウィリアム・ヘアのキャラクター造形も強烈で生々しい。将来に希望を見出せぬスラム街の混沌とした生活に慣れきってしまい、あらゆるモラル概念を失ってしまったケダモノのような連中。一晩の遊ぶ金欲しさだけで、簡単に人を殺してしまう。全てが行き当たりばったりで計画性のない人生。無教養で品性下劣極まりないバークとヘアを演じるジョージ・ローズとドナルド・プレザンスの凄まじい怪演が光る。
 一方、ピーター・カッシング演じるノックス博士は己の信念に忠実で、先見の明のある高潔な人物として描かれる。その強すぎる信念と高い志が、結果としてバークとヘアによる凶悪犯罪を引き起こしてしまったわけだが、そこまで彼を追い込んだのは保守的で無知な医学界のせいである、というのが本作の着眼点だ。彼の同僚たちは死人の体にメスを入れることを“魂の冒涜”だと考え、解剖学に情熱を注ぐノックス博士の研究を“悪魔の所業”として糾弾する。その旧態然とした価値観こそが、この恐るべき事件を生み出したのだというわけだ。
 それゆえに、事件が発覚した後のノックス博士は一時的に世間の非難を浴びるが、やがてその揺るぎない信念が人々の心を動かしていく。このハッピー・エンドについては賛否両論あることだろう。実在するノックス博士の遺族に対する配慮だったとも考えられるが、にわかには納得しがたいというのが正直な感想だ。
 ジョン・ギリングの演出はまさしく正統派ブリティッシュ・ホラーといった印象で、あからさまな残酷シーンや性描写をふんだんに織り交ぜつつ、陰惨でおどろおどろしい怪奇ドラマに仕上げている。スラム街に生きる人々の荒廃した日常を徹底したリアリズムで描いた点も大いに評価できるだろう。確かに終盤のハッピーエンドは違和感が拭えないものの、逆にそれがなければあまりにも救いのない陰鬱な物語になっていたかもしれない。
 なお、本作はイギリス公開版とヨーロッパ公開版の2バージョンが存在する。当時のイギリスでは性描写や残酷描写の規制が厳しかったため、イギリス公開版ではヌード・シーンが別撮りの着衣バージョンに差し替えられ、ヨーロッパ公開版に存在する残酷シーンも一部カットされている。

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ノックス博士の教え子クリス(J・ケアニー)は卒業試験に落ちてしまう

医学校には死体泥棒たちが出入りしていた

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遊ぶ金に困ったバーク(G・ローズ)とヘア(D・プレザンス)

バークは老女アギー(E・キャノン)を殺害する

 1828年のエジンバラ。医療や科学は飛躍的な進歩を遂げつつあったが、その一方で中世からの根強い宗教的偏見が大きな足枷となっていた。中でも解剖学の分野はまだまだ異端視されており、研究に必要な人体標本も決定的に不足している。それが原因で、当時のイギリスでは墓地を荒らす死体泥棒が後を絶たなかった。死体が商売になるのである。
 エジンバラで医学校を経営するロバート・ノックス博士(ピーター・カッシング)も例外ではなく、彼のもとには墓から掘り起こした死体を持ち込む怪しげな連中が出入りしている。しかし、博士はそれを必要悪と考え、あえて死体の出所を問わずに買い取っていた。
 その頃、スラム街で酒と女遊びに明け暮れるアイルランド系移民のウィリアム・バーク(ジョージ・ローズ)とウィリアム・ヘア(ドナルド・プレザンス)の2人は、遊ぶ金の捻出を思案していた。バークは妻ヘレン(ルネ・ヒューストン)と共に安宿を経営しているが、入居者は貧乏人の老人ばかりで家賃も滞納気味。しかも、今日は病気がちだった老人が家賃を滞納したまま死んでしまった。バークのもとで寄生虫のように居候しているヘアは悪知恵の利く男で、その老人の死体を売り払うことを思いつく。
 ノックス博士の教え子である若者クリス(ジョン・ケアニー)は優秀な学生だったが、最終試験に合格できず留年が決定してしまう。博士はクリスの欠点を“感情に流されすぎる”ことだと指摘する。医者に私情は無用、というのが博士の理念だった。だがその一方で、ノックス博士は助手であるミッチェル博士(ダーモット・ウォルシュ)の手伝いをすることを条件に、学費の免除をクリスに申し出た。
 普段は冷徹を装っているノックス博士だが、その素顔は温厚で寛大な人物だった。姪のマーサ(ジューン・ラヴェリック)は、そんな叔父を心の底から敬愛している。しかし、医学界の保守的な医師たちは博士の研究に批判的で、隙を見ては彼を破滅させようと虎視眈々と狙っていた。
 老人の死体をノックス博士に売り払ったバークとヘアの2人は味を占め、もっと死体がないかと欲を出すようになる。深夜まで酒場で飲み明かした彼らは、飲んだくれの老婆アギー(エズマ・キャノン)に目をつけた。宿まで彼女を連れ帰った2人はヘレンに見張り役をさせ、酔いつぶれたアギーを窒息死させる。こうして、彼らは老若男女問わず、身寄りのない貧乏人を次々と手にかけて遊ぶ金を稼ぐようになったのだ。
 だがある日、バークとヘアの持ち込んだ死体に疑わしい点があることをミッチェル博士が気付いた。明らかに死後数時間も経過しておらず、鼻からは生々しい血が滴り落ちている。これまでに持ち込まれた死体の中には、街でよく見かける顔なじみも見受けられた。ミッチェル博士は警察に通報するようノックス博士に進言するが、ノックス博士は断固として拒絶する。そんなことをすれば敵対する医師たちに格好の攻撃材料を与えることになるだろう。引いては、解剖学を全面的に否定されることにも繋がりかねないのだ。
 一方、ミッチェル博士の小間使いをするようになったクリスは、死体泥棒に払う金を届けるために訪れた酒場でメアリー(ビリー・ホワイトロー)という若い娼婦と知り合った。スラム街の安酒場に若い学生が来ることなど滅多にない。最初は金目当てでクリスに近づいたメアリーだったが、やがて彼の真面目な人柄に惹かれていくようになる。熱烈に愛し合うようになった2人。しかし、お互いの生活環境はあまりにも違いすぎていた。
 一度は真っ当に生きることを約束したメアリーだが、明日の見えない暮らしの中で酒とドンちゃん騒ぎはやめられない。酒場で飲んだくれている姿をクリスに咎められたメアリーは、つい彼に対して心にもない悪態をついてしまった。心身ともにボロボロになって酔いつぶれる彼女に声を掛けたのは、ほかでもないバークとヘアの2人だった。
 その翌日、医学校の実験台に運ばれてきた死体を見てクリスは凍りつく。それは変わり果てた姿となったメアリーだった。バークとヘアの仕業と悟ったクリスは復讐を誓うものの、返り討ちにあって殺害されてしまう。警察の死体安置所でクリスの亡骸と対面したノックス博士は、己の信念に強い疑問を抱くようになるのだったが・・・。

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人殺しにのめりこんでいくバークとヘア

ミッチェル博士(D・ウォルシュ)は死体の出所に疑問を抱く

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クリスは貧しい娼婦メアリー(B・ホワイトロー)と恋に落ちる

実験台に運ばれてきた死体がメアリーだと気付いたクリス

 当時としてはきわどいヌード・シーンや残酷描写がかなり含まれているものの、全体的なトーンは非常に真面目でシリアス。人間描写も細部にまで神経が行き渡っている。例えば、被害者の老女アギーや知恵遅れの少年ジェイミーはエジンバラに暮らしている人なら誰でも知っている有名人だが、ノックス博士は彼らの死体を見ても全く気付く様子がない。そればかりか、ミッチェル博士やクリスに指摘されても、殆んど関心を示さないのである。いかに彼が普段から己の世界だけに没頭しており、世間の人々に対して無関心であるかということがよく分かるエピソードだ。また、老女アギーの死体を見た召使の老人が、“これで生きていた頃よりも役に立つだろう”とさりげなく呟くシーンも、当時のスラム街における命の価値というものを雄弁に物語っていて印象的。
 監督のジョン・ギリングと共に脚本を書いたレオン・グリフィスは、ロバート・アルドリッチ監督によるアメリカン・ニューシネマの隠れた名作『傷だらけの挽歌』(71)で知られる脚本家。また、プロデューサーのロバート・S・ベイカーとモンティ・バーマンの2人は60年代に数多くの低予算映画を製作・監督したコンビで、グリフィスは彼らの『海賊島の秘密』(61)も手掛けていた。なお、バーマンは撮影監督も兼任している。
 そして、音楽を担当するのはイージー・リスニングのオーケストラ指揮者としても有名な大御所スタンリー・ブラック。一般的にはライトなポップスで知られる人だが、ここでは重厚で暗いオーケストラ・スコアを披露している。

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クリスの亡骸と対面したノックス博士

当時としてはかなり刺激的だったヌード・シーンも満載

 ロバート・ノックス博士役のピーター・カッシングは、当たり役であるフランケンシュタイン男爵やバン・ヘルシング教授のイメージをそのまま生かしつつ、より柔和で温厚な一面のあるドクターを演じている。まさに、ファンにとってはお馴染みのカッシング節といったところだろうか。
 一方、上でも述べたように、バークとヘアを演じるジョージ・ローズとドナルド・プレザンスの演技は強烈そのもの。人殺しという非日常的な体験の中で興奮がみるみる高まり、トランス状態に陥りながら老女の首を絞めるシーンなど圧巻だ。プレザンスはご存知の通り、『ハロウィン』シリーズのルーミス博士役としても知られるイギリスの名優。その後、『大脱走』(63)でハリウッドへも進出し、一時期は世界で最も多忙な俳優と呼ばれたほど引く手数多の性格俳優だった。バーク役のジョージ・ローズは映画よりも舞台で有名な俳優で、ブロードウェイのミュージカル・スターとしても活躍し、トニー賞の主演男優賞を2度も受賞している。
 また、若い売春婦メアリー役を演じているビリー・ホワイトローにも注目したい。ホワイトローといえば、『オーメン』(76)の家政婦ミセス・ベイロック役で知られ、最近でも『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン』(07)で元気な姿を見せていた性格女優。見るからに恐そうなオバサンというイメージの強い人だが、本作の撮影当時はまだ28歳。ちょっとジュリー・ロンドンを思わせるような美人で、労働者階級の貧しい生活から抜け出そうにも抜け出せない娼婦の哀れを演じて秀逸だった。
 その他、当時売り出し中だったお姫様女優ジューン・ラヴェリックがノックス博士の姪マーサ役、妹ビリーと共に美人姉妹ヒューストン・シスターズとして20年代に活躍したボードビル芸人ルネ・ヒューストンがヘアの妻ヘレン役、40〜50年代にかけて活躍した2枚目俳優ダーモット・ウォルシュがミッチェル博士役で登場。また、『フランケンシュタインの逆襲』(57)で少年時代のフランケンシュタイン男爵を演じていたメルヴィン・ジェイスが、知恵遅れの少年ジェイミー役を演じているのもホラー・ファンには興味深いところだろう。

 

贖われた7ポンドの死体
The Doctor and the Devils (1985)

日本では劇場未公開
VHSは日本発売済・DVDは日本未公開

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(P)2005 20th Century Fox (USA)
画質★★★★☆ 音質★★★★☆
DVD仕様(北米盤)
カラー/ワイドスクリーン(スクィーズ収録)・スタンダードサイズ/サラウンド・モノラル・ステレオ/音声:英語・スペイン語・フランス語/字幕:英語・スペイン語/地域コード:1/92分/製作:イギリス

映像特典
オリジナル劇場予告編
監督:フレディ・フランシス
製作:ジョナサン・サンガー
製作総指揮:メル・ブルックス
原作:ディラン・トーマス
脚本:ロナルド・ハーウッド
撮影:ジェリー・ターピン
    ノーマン・ワーウィック
音楽:ジョン・モリス
出演:ティモシー・ダルトン
    ジョナサン・プライス
    ツィギー
    シアン・フィリップス
    ジュリアン・サンズ
    スティーブン・レイ
    フィリス・ローガン
    ルイス・フィアンダー
    T・P・マッケンナ
    パトリック・スチュワート

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産業革命から取り残されたエジンバラのスラム街

トーマス・ロック博士(T・ダルトン)は若さと情熱溢れる名医だった

 アカデミー賞を2度も受賞した大御所撮影監督であり、『フランケンシュタインの怒り』(64)や『テラー博士の恐怖』(64)など、60〜70年代にかけてハマー・プロやアミカス・プロでホラー映画の演出を数多く手掛けたフレディ・フランシスが、ウェストポート連続殺人を映画化した作品。ホラー映画というよりも重厚な歴史ドラマ的要素が強いものの、一方で往年のハマー・ホラーを彷彿とさせるゴシック・ムードを兼ね備えた異色作だ。
 物語の大筋は史実に基づいているものの、基本的に登場人物の名前は全て変えられている。博士の助手と娼婦の道ならぬ恋が描かれていることから『死体解剖記』のリメイクと誤解されることが多いものの、もともとは1950年代半ばに詩人のディラン・トーマスが書いた未発表の脚本をもとにして作られた映画だ。
 本作のユニークな点、すなわちこれまでの映画化作品と決定的に違う点は、ティモシー・ダルトン扮するロック博士のキャラクター描写にあると言えるだろう。若くて優秀な外科医であるロック博士は、貧しい労働者たちに対しても大変に同情的な人格者だ。馬車に轢かれた若者を無償で手術し、退院する時には生活費まで持たせるという気遣いも見せる。彼を突き動かすのは高尚な理念ではなく、一人でも多くの命を救いたいという情熱だ。
 しかし、保守的で権威主義に凝り固まった医学会は彼を危険人物とみなし、非現実的で時代遅れの理論から抜け出せないままでいる。また、地位や名誉ばかり重んじる上流階級の人々は庶民のことなど眼中になく、貧困や疫病など自分たちとは関係のない世界の問題だとたかをくくっている。ロック博士はその全てに激しい怒りを感じているのだ。
 そんな人道主義者の博士でさえ、犯罪に加担せずには己の職務を全う出来ないという不条理こそが本作の核心であり、そこから浮かび上がる階級制度の理不尽というのが本作の重要なテーマだと言えよう。
 フレディ・フランシス監督は19世紀半ばの社会風景を忠実に再現し、掃き溜めのようなスラム街と絢爛豪華な上流社会を交互に対比しながら、封建社会の偽善を鋭く描き出していく。かつてハマーやアミカスで撮ったホラー作品は玉石混淆の感が強かったが、本作における彼の演出は堂々たる巨匠の風格だ。
 だが、その一方で作品の主だった重要なテーマをロック博士の物語に集約してしまったことで、肝心要である連続殺人事件のインパクトが薄らいでしまったことは否めない。あくまでもロック博士が主人公であり、殺人鬼たち(ここではファロンとブルーム)は脇役に過ぎなくなってしまったのである。
 それによって、博士の助手と娼婦の恋物語もあまり意味を成さなくなってしまった。『死体解剖記』では2人の関係が階級社会の根深い問題を象徴していたわけだが、本作ではファロンとブルームの犯罪が露呈するきっかけ作りのサブ・プロットという役割で終ってしまっている。
 こうしたことから、全体的にやや冗長でストーリーに無駄のある作品となってしまったのは残念。しかしながら、映画監督としては決して十分な真価を発揮したとは言いがたいフレディ・フランシスにとって、代表作と呼べる数少ない名作の1つであることは間違いないだろう。

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巷では墓場を荒らす死体泥棒が横行している

しかし、腐敗した死体では研究の役に立たなかった

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ブルーム(S・レイ)とファロン(J・プライス)は死体泥棒に目をつける

2人は病弱だった下宿人を殺して売りさばいた

 1828年のエジンバラ。王立解剖学アカデミーで教鞭を執るトーマス・ロック博士(ティモシー・ダルトン)は、若くて情熱溢れる外科医だった。進歩的な彼の授業は学生たちの間でも非常に人気が高く、100年以上前からの古い解剖学を教えている学会の権威マクリン教授(パトリック・スチュアート)は日頃から苦々しく思っている。
 ロック博士の信心深い姉アナベル(シアン・フィリップス)も弟の研究は“悪魔の仕業”であると考え、決して快くは思っていなかった。それとは対照的に博士の妻エリザベス(フィリス・ローガン)は夫を手伝って人体解剖図を描くなど献身的に尽くしていたが、そんなエリザベスのこともアナベルは忌み嫌っている。あんな汚らわしい画を描くような女は娼婦も同然だと。上流階級の人々の間でもロック博士に対する好奇と非難の目は強く、アナベルはそれが我慢ならなかった。彼女にとって一番重要なのは、由緒正しい一族の名誉と誇りなのである。
 その頃、スラム街では安宿を経営するファロン(ジョナサン・プライス)とブルーム(スティーブン・レイ)の2人が、近頃金回りの良いメリー=リース(フィリップ・ジャクソン)という男の身辺を嗅ぎまわっていた。どうやらメリー=リースとその仲間たちは、墓場から死体を盗んでロック博士という医者に売っているらしい。彼らの後を付け回したファロンとブルームは、隙を見てメリー=リースたちが掘り起こした死体を横取りしてロック博士のもとへ持ち込む。
 死体を売った金で飲み明かしたファロンとブルームだが、一晩ですっかり金を使い果たしてしまった。聞くところによると、死体が新しければ新しいほど高く売れるという。2人は宿に下宿している病人の男に目をつけた。病人ならいつ死んでもおかしくあるまい。男を枕で窒息死させた2人は、その足で再びロック博士のもとを訪れたのだった。
 明け方のスラム街で、足の不自由な知恵遅れの若者ビリー(フィリップ・デイヴィス)が馬車に足を轢かれて骨折してしまった。たまたま医学生たちが現場に居合わせ、ビリーをアカデミーへと運び込んだ。現行の医学では治療困難な手術だったが、ロック博士は見事な腕前でビリーの骨折を直してしまう。
 博士の助手マレー(ジュリアン・サンズ)は見舞いに訪れたビリーの姉アリス(ニコラ・マッコーリフ)に手術の成功を伝える。弟の怪我を心配するアリスの傍らには、親友であるジェニー(ツィギー)が付き添っていた。マレーは一目でジェニーに心惹かれる。
 アリスとジェニーは売春婦だった。しかし、それ以来マレーはジェニーのもとを訪れるようになる。最初は興味半分でからかわれているのだと思ったジェニーも、肉体を求めるどころか手も握らず、ただ酒場で愛を語り合うマレーに惹かれていく。
 一方、ファロンとブルームの2人はすっかり人殺しに味を占め、次々と身寄りのない老人を殺めてはロック博士のもとに持ち込むようになる。彼らの怪しげな行動はスラム街でも目立つようになっていた。ある日、ファロンとブルームが持ち込んだ死体を見たマレーは強い不信感を抱く。ついさっき、彼らが酒場へ連れ込んでいた老人だったのだ。執事の話によれば、2人はこの1ヶ月で1ダースを超える死体を持ち込んでいるという。それも真新しいものばかりを。彼らが殺人を犯していると直感したマレーだったが、ロック博士は見てみぬふりをするよう説き伏せるのだった。
 そんなロック博士も様々な理不尽に強い憤りを感じていた。マクリン博士をはじめとする学会幹部の医師たちは彼の足元を救おうと躍起で、医学者であるはずの会長までもが“体の一部を失った人間は天国へ行けない”という迷信を理由に人体解剖に対して否定的なのだ。彼の味方は親友ソーントン博士(ルイス・フィアンダー)ただ一人。しかし、そんな学会幹部たちも、ロック博士のことを公式に糾弾しようとは決してしない。まず守らねばならないのは学会の名誉だからだ。
 また、博士はスラム街の現状にも強い懸念を抱いていた。貧しさゆえに明日への希望も見出せず、酒や博打、売春に明け暮れる人々。彼らも同じ人間であるはずなのに、友人である上流階級の人々は何の解決策も示さず、机上の博愛主義を語るばかり。
 行方知れずの弟を探してエジンバラにやってきた老女フリン(ベリル・リード)を殺害したファロンとブルームは、その死体を隠して女遊びに出かける。彼らが買ったのはジェニーとアリス。彼女たちを連れて宿に戻った2人だったが、玄関先で警察官が立っているのも見て逃げ出す。というのも、新しい下宿人が彼らの部屋で人体の一部を発見し、警察に通報したのだ。それは指輪を奪うために切り落とした老女フリンの指だった。
 金は欲しいが自宅には戻れない。焦ったファロンはジェニーとアリスを殺すことを考え付く。だが、老人や病人を殺すのとはワケが違う。及び腰になったブルームは協力を断り去ってしまった。仕方がない。ファロンはすっかり酔いつぶれているジェニーとアリスを目の前にして、一人づつ片付けることにした。
 その晩、ファロンが持ち込んだ新しい死体を見たロック博士は凍りつく。それはビリーの姉アリスだった。己もまた罪深い偽善者であることを思い知らされたロック博士はガックリと肩を落とす。しかし、同じくアリスの死体を見た助手マレーの衝撃はより大きかった。執事の話だと、ファロンは今夜中にもう一人分の死体を持ってくるという。ジェニーの身に危険が迫っていることを察知したマレーは、彼女を救うためにスラム街へと向った・・・。

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博士の姉アナベル(S・フィリップス)は弟の研究を罪深いものと思っている

学界の権威マクリン教授(P・スチュワート)はロックを敵視する

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ファロンとブルームの素行を怪しむ助手マレー(J・サンズ)

マレーは年増の娼婦ジェニー(ツィギー)に惹かれる

 特殊メイクを駆使した死臭漂うリアルな死体や生々しい傷口などが80年代らしさを感じさせるが、全体的にホラー映画的なトーンはかなり抑え気味。全編を包むゴシック・ムードも幻想的というよりは、リアリズムに根ざしているという印象が強い。その点はホラー映画ファンの間でも賛否両論分かれるところだろうが、まるでデヴィッド・リーンやキャロル・リードを彷彿とさせるような重厚感は見応え十分だ。
 ディラン・トーマスの未発表作品を基に脚本をリライトしたのは、『戦場のピアニスト』(03)でオスカーを受賞したロナルド・ハーウッド。『ドレッサー』(83)や『潜水服は蝶の夢を見る』(07)でもオスカー候補となり、最近ではニコール・キッドマン主演の『オーストラリア』(08)を手掛けている名脚本家だ。上でも述べたように構成上で多少散漫な印象を受けるものの、明確なテーマに裏打ちされたストーリー展開や奥行きのある人間描写、象徴的な場面設定などは見事だと思う。
 撮影を手掛けたのは『素晴らしき戦争』(69)など2度のオスカーに輝く大御所ジェリー・ターピンと、アミカス・プロで『怪人ドクター・ファイブス』(71)や『異界への扉』(73)などの秀作ホラーを手掛けたノーマン・ワーウィックの2人。全く違うジャンルで素晴らしい実績を誇る2人のカメラマンを起用することにより、歴史ドラマの中にオーソドックスな怪奇趣味を盛り込むことを意図したのだろう。全体的なバランスもきちんと保たれており、両者の個性が全く違和感を感じさせないのは立派だ。
 また、製作総指揮を手掛けたのは『ヤング・フランケンシュタイン』(74)や『サイレント・ムービー』(76)などでお馴染みの名喜劇俳優メル・ブルックス。意外な組み合わせのように思われるかもしれないが、彼は部類の怪奇映画ファンとしても有名で、当時『エレファントマン』(80)や『ザ・フライ』(86)など優れたホラー映画の製作総指揮を手掛けていた。そのブルックス作品の音楽で有名なジョン・モリスが、本作でもスコットランド風の美しい音楽スコアを書いている。
 その他のスタッフも一流どころが勢ぞろい。美術デザインを手掛けたのは『眺めのいい部屋』(86)でオスカーを受賞したブライアン・アックランド=スノウと、『カンジー』(82)でオスカーを受賞したロバート・W・レイング。セット装飾を担当したのは『王になろうとした男』(85)などでオスカー候補となったピーター・ジェームス。また、『オリバー!』(68)や『ザ・キープ』(83)のアラン・ブライスが特殊効果を担当している。

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行方不明の弟を探す老女フリン(B・リード)もファロンたちの毒牙に

己の罪深さに改めて気付くロック博士だったが・・・

 まだジェームズ・ボンド役に起用される以前のティモシー・ダルトンがロック博士役を演じているが、威風堂々とした立ち振る舞いはまさに英国紳士の面目躍如たるもの。その英雄的なカリスマ性は、既にジェームズ・ボンドを彷彿とさせる魅力がある。
 ファロンとブルームを演じるジョナサン・プライスとスティーブン・レイというのも、今となっては夢のように豪華な顔合わせだが、スラム街に屯する寄生虫のように下賎な男たちを演じて出色。プライスはこの4年後の『バロン』(89)で、レイは7年後の『クライング・ゲーム』(92)で脚光を浴びることになる。
 『眺めのいい部屋』(86)と『ゴシック』(86)で英国を代表する美形スターの仲間入りを果たしたジュリアン・サンズも、当時はまだデビューしたばかりの新人。最近ではすっかり性格俳優が板についてきたが、この頃は端整な正統派のブロンド美青年だった。
 一方、かつて60年代に世界中で大ブームを巻き起こしたファッション・モデル、ツィギーが年増の売春婦ジェニー役で登場するのも注目。すっかり普通のオバサンになってしまい、演技力の点でも決して上手いとは言えないものの、容色衰えつつある商売女の悲哀を醸し出して説得力はある。
 また、ピーター・オトゥールの奥さんとしても知られる舞台の大女優シアン・フィリップスが、名誉を重んじる保守的な姉アナベル役で登場。出てくるだけで画面が引き締まるような存在感だ。映画ファンには『砂の惑星』(84)の女子修道院長役でも御馴染みだろう。
 その他、『新スタートレック』のピッカード艦長役でお馴染みのパトリック・スチュワートが憎まれ役のマクリン教授、名作『甘い抱擁』(68)でエキセントリックなレズビアンの老女優を演じて絶賛された名女優ベリル・リードが殺される老女フリンを、マイク・リーの『秘密と嘘』(96)などのインディペンデント映画で知られる女優フィリス・ローガンがロック博士の妻エリザベスを演じている。

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