ポップ・ミュージックの歴史を変えた友情
ビヨルン・ウルバウスとベニー・アンデション
Bjorn Ulvaeus & Benny Andersson

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 アバ・サウンドを生み出した張本人たちである。
 60年代のビートルズがそうであったように、アバは70年代以降の世界の音楽地図を一変させてしまった。スウェーデンというヨーロッパの片隅の小さな国から、
突如国際舞台に躍り出てきた彼らは、たとえアメリカやイギリスといった音楽先進国に生まれるという幸運に恵まれなくても、世界的な成功を収めることが出来るという事を証明した音楽史上最初のアーティストであった。それも、桁違いの大成功を。
 彼らの成功の凄まじさは、そのレコード・CDのセールス記録を見れば一目瞭然である。2004年9月時点での公式売り上げ記録は3億5千万枚。ビートルズ、プレスリーに続く、音楽史上3番目の大記録である。しかも、世界中で一日当たり平均3000枚のアバのCDが現在も売れ続けているという。
 そんなメガトン級のセールス記録を打ち立てているアバの、全ての楽曲の作詞・作曲を手掛けたのが、このビヨルン・ウルバウスとベニー・アンデションの2人なのである。ポップ・ミュージックの長い歴史の中では、数多くの名ソングライター・コンビが生まれている。ジョン・レノン&ポール・マッカトニーを筆頭に、バート・バカラック&ハル・デイヴィッド、エルトン・ジョン&バーニー・タウピン、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンなどなど。
 しかし、そうしたコンビも音楽的な方向性の転換や、友情の亀裂などで終わりを告げる時期が必ずやってくる。だが、このビヨルンとベニーがユニークなのは、1966年に出会って以来現在まで、その音楽的パートナーシップを継続し続けているという点だ。それはまるで終わる事のない永遠の友情である。何がそこまで2人を結び付けているのか。それは当人たちにも分らない不思議な縁なのかもしれない。

 

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フーテナニー・シンガーズ時代のビヨルン

ヘップ・スターズ時代のベニー

 先述したように、ビヨルンとベニーが知り合ったのは1966年の事。当時ビヨルンはフーテナニー・シンガーズというスウェディッシュ・フォーク・バンドのリード・ボーカリストで、ソロでもスウェーデン・チャート1位のヒットを持つ人気スターだった。また、ベニーは“スウェーデンのビートルズ”と呼ばれ、60年代にスウェーデンで一大ブームを巻き起こしたスーパー・グループ、ヘップ・スターズのキーボード奏者兼作曲家としてティーンの人気アイドルだった。
 フーテナニー・シンガーズの一員としてライブ・ツアーで移動中だったビヨルンは、たまたま近くの町でヘップ・スターズがコンサートを行っている事を知る。以前からヘップ・スターズに興味のあったビヨルンは、コンサート終了後に彼らを食事に誘った。1966年6月5日の事である。
 音楽談義に花を咲かせたビヨルンとベニーは、たちまち意気投合をする。まず、2人とも熱烈なビートルズ・ファンであった。その晩は2人でギターをかき鳴らしてビートルズ・ナンバーを歌いまくったという。さらに、2人とも正式な音楽教育を受けておらず、父親や祖父に教わったスウェディッシュ・トラッドを音楽的ルーツとしていた。
 また、どちらかというとファンの年齢層の高いフォーク・ソングを演奏していたビヨルンは、当時ポップ・ミュージックへの転向を望んでいた。その2年後にグループ活動と平行してソロ作品を発表する事になるのだが、その背景にはフーテナニー・シンガーズとしてできないジャンルをソロでやりたいという彼の強い希望があった。そんなビヨルンにとって、スウェーデン音楽界で最初の、そして当時最大のポップ・グループの音楽的中心人物であるベニーは憧れの存在だったのだ。
 また、ベニーも当時グループ内で微妙な立場にあった。地元のインディーズ・バンド仲間だったスヴェン・ヘドルンドの誘いでヘップ・スターズに参加したベニーは、グループでは最年少のメンバーだった。
 たまたま出演したテレビ番組で火がつき、瞬く間に国民的グル−プにのし上がったヘップ・スターズだったが、その実体はインディーズ・バンドと何ら変わらなかったという。もともとスウェーデン音楽界は従来フォーク&トラッドが主流で、いわゆるロックやポップスを演奏するアーティストはあまりいなかった。世界中でビートルズ旋風が吹き荒れる中に登場したヘップ・スターズは、“自分たちの世代のアイドル”の登場を切望していたスウェーデンの若者たちに熱狂的に受け入れられたのだ。
 ただ、その成功はあまりにも大きすぎた。マネージャーすら存在しなかったヘップ・スターズは、常にトラブルを抱えていたという。スーパースターとはいえ、所詮は素人の若者集団。降ってわいた大成功に酔いしいれた彼らは、レコーディング現場でもライブ現場でもお互いのエゴをむき出しにして、メンバー間での争いが絶えなかったらしい。私生活でも放蕩三昧で、仕事の時間を守らない事でも悪名高かった。すっかり勘違いしてしまったのである。
 グループをコントロールする人間がいなかったため、文字通りやりたい放題。ある時は、ビートルズの本場イギリスへ行ってレコーディングをしよう!と思いつきでロンドンへ行ったものの、アポなしでレコーディング・スタジオを訪れて門前払いを食らった。
 さらに、彼らの最大の失敗は映画に手を出した事。ビートルズが映画作ったんだから、俺たちもやらないでどうする!?とばかりに、旅客機をチャーターして前人未到のアフリカ・ロケを敢行。しかし、映画製作のノウハウなど全く知らない彼らは、脚本すらないままに現地へ飛んでしまい、結局フィルムを回すだけ回して帰国。映画はそのままお蔵入りとなってしまった。
 そうした狂気の沙汰とも言える状況の中、最年少だったベニーは一人居場所を失っていた。そんなベニーにとって、大好きな音楽について熱心に語り合える仲間ビヨルンの存在は救いだったのかもしれない。

 その後、フーテナニー・シンガーズのレコーディングにベニーをゲストで招くなど音楽的な交流を深めていった2人は、稼いだお金を湯水の如く使ってしまったヘップ・スターズの事務所が1968年に倒産してしまった事をきっかけとして、本格的に行動を共にするようになる。
 ここで、その後の2人を導いていく事になる人物に触れねばなるまい。後のアバのマネージャーであり、あのクインシー・ジョーンズをして“世界を相手にした最初の音楽出版者”と言わしめたポーラー・ミュージックの社長スティッグ・アンダーソンである。
 彼はビヨルンが学生仲間と結成したフーテナニー・シンガーズをスカウトし、文字通り愛弟子として彼を育ててきた人物だ。ヘップ・スターズの破産で窮地に追い込まれたベニーを連れてきたビヨルンに、スティッグは2人をサポートしていく事を約束する。特に、音楽ビジネスの煩わしさに辟易していたベニーにとって、ビジネス面での舵取りをしてくれるスティッグの存在は心強かったに違いない。
 その後、1969年にヘップ・スターズが実質的に解散し、2人は作曲家コンビとして様々なアーティストに楽曲を提供していくようになる。またこの頃、ベニーがフリーダと、ビヨルンがアグネッタと知り合い、徐々にアバへの道のりを歩んでいくことになる。
 そして、ビヨルンとベニーの最初の成功は、ここ日本で実現した。彼らが1970年にレコーディングした「木枯らしの少女」をパリで耳にした音楽関係者の熱意が実り、72年に日本のCBS・ソニーから発売されたのだ。これが50万枚以上を売り上げる大ヒットを記録。その年の10月にはフリーダとアグネッタ
を伴って、ビヨルンとベニーは来日を果している。
 ちなみに、この年の4月には、ビヨルンとベニーが作曲・プロデュースを手掛けた女性歌手レナ・アンデションが、東京音楽祭に出場するために来日した。
 こうして、ビヨルンとベニーの友情を核として、世紀のスーパー・グループ、アバが生まれていく事になるのだ。

 アバ時代の活躍については別の機会に詳しく述べるとして、ビヨルンとベニーの2人が音楽界に残した功績を検証してみたい。
 最大の功績は何と言っても、冒頭で述べたように音楽界の世界地図を塗り替えた事だろう。アバの登場以前は、英語圏以外から登場したアーティストが世界的な成功を収める事は稀だった。また、たとえヒットを出したとしても、ほぼ100%一発屋で終わってしまっていた。ビヨルンとベニーの創り出す音楽は、ポップ・ミュージックが世界の共通言語である事を改めて証明したと言えるだろう。
 彼らの音楽は、ヨーロッパ、アメリカ、日本だけではなく、南米からアフリカ、中近東からインド、東南アジアに至るまで、世界のあらゆる文化圏で受け入れられた。それは、彼らの音楽の持つ普遍性を意味している。
 そして、その成功は英語圏以外の国、特にヨーロッパのアーティストにとって大きな手本となった。現在でも、ヨーロッパ出身のアーティストの多くがアバを尊敬する理由はそこにある。
 さらに、80年代以降のミュージック・シーン、特にイギリス・ヨーロッパのミュージック・シーンに及ぼした影響は計り知れない。イレイジャーをはじめとする多くのニューウェーブ系アーティストや、80年代後半にカイリー・ミノーグやリック・アストリーを手掛けたPWLは、アバの影響を公言してはばからない。ビヨルンとベニーの音楽がなければ、80年代以降の音楽シーンは全く違った様相を呈していたに違いない。

 だが、本人たちは当時を振り返っても、どうして自分たちの音楽があれほどまでに受け入れられたのか全く分らないという。かつて、次々とヒット曲を放つことから、商業主義の権化だとして一部のスノッブな音楽ジャーナリズムから揶揄された彼らだったが、その実体は“ただの音楽好きコンビ”だったと言ってもいいだろう。
 華々しいショービジネス界での成功よりも、いい音楽を創り出す事に情熱を注いできた結果が3億5千万枚の売り上げ記録なのだ。実際、彼らは活動の拠点を絶対にスウェーデンから外に移そうとはしなかった。その理由は、プロモーション活動やテレビ出演などの余計な仕事で創作活動を邪魔されたくなかったから。
 2人は、ニュー・アルバムの発売前後のプロモーション・ツアーや、全キャリア中で2度だけしか行わなかったワールド・ツアー以外は、テレビ出演やショー・ビジネス界の付き合いなどを最小限に抑え、ストックホルム近郊の小さな島に立てたコッテージにこもってひたすら作曲に没頭していた。創作活動こそが最優先だったと言えるだろう。
 レッド・ツェッペリンのロバート・プラントによると、ツェッペリンがアバのポーラ・スタジオでレコーディングをしていた際には、ビヨルンとベニー、そしてプラントとジミー・ページの4人でハメを外して遊んだそうだが、まあ、たまにはそういう事もあっただろう。が、概ね彼らの生活は音楽を中心とした質素で地味なものだった。U2のボーノの、“彼らは純粋に音楽が好きなだけなんだ”という言葉が端的にそれを表している。

 アバ解散後は、「ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター」のティム・ライスと組んだミュージカル「チェス」を発表。ロンドンではロングランの大成功を収めるが、脚本に改変を加え、何故か音楽まで削除してしまったブロードウェイ版は大失敗。
 それでも、シングル・カットされた“I Know Him So Well”(エレーン・ペイジとバーバラ・ディクソンのデュエット)は全英1位、年間チャートでも2位を記録する大ヒットとなり、後にホイットニー・ヒューストンと母親シシー・ヒューストンのデュエットでもカバーされている。また、マレー・ヘッドの歌った“One Night In Bangkok”も全米トップ10に入る大ヒットとなった。現在でも「チェス」は名作として評価が高く、世界各地で上演され続けており、ブロードウェイでの再演も検討されているという。
 その後、ビヨルンが再婚してイギリスに移住した事もあり、一時期は疎遠になっていたというが、ビヨルンの帰国で共同活動が再開。オリジナル・ミュージカル第2弾として発表した“Kristina Fran Duvemala”がスウェーデンで大成功を収め、現在はブロードウェイ公演に向けて着々と準備が進められている。
 ミュージカルといえば、1999年にロンドンで幕を開けた「マンマ・ミーア」は、世界で最も多く上演されているミュージカルとしてギネス・ブックにも認められた。特にブロードウェイでの記録的な大成功は、かつて「チェス」で煮え湯を飲まされたビヨルンとベニーにとって感慨深いものがあるだろう。
 そうしたミュージカル創作活動の一方で、ベニーは自らの音楽活動も継続して行っている。ただし、ポップ・ミュージックではなく、スウェディッシュ・トラッド。原点回帰である。失われつつある祖国の伝統を守る事をライフ・ワークに、ベニーは“ベニー・アンデションズ・オーケストラ”としてアルバム・リリースを続けている。最新作の“BAO!”は、スウェーデン・チャートで1位を記録する大ヒットとなった。
 また、ベニーは「ミオとミラミス 勇者の剣」('87)以降、映画音楽の作曲も手掛けている。世界的なCMディレクター、ロイ・アンダーソンが監督した「散歩する惑星」('00)ではシュールでユーモラスなスコアを聴かせてくれた。
 ビヨルンもベニーも、もう既にポップ・ミュージックには興味がないという。この分野では、やりたいことを全てやり尽くしてしまったのだろう。


 

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CADILLAC.JPG HEPSTARS.JPG LONG_TIME.JPG HEP_BASTA.JPG

We And Our Cadillac (1965)
The Hep Stars

The Hep Stars (1966)
The Hep Stars

It's Been A Long Long Time (1968)
The Hep Stars

Basta
The Hep Stars

(P)1996 EMI Svenska (Sweden) (P)1996 EMI Svenska (Sweden) (P)1996 Keystone Music (Japan) (P)1995 EMI Svenska (Sweden)
1,Cadillac
2,Be My Baby
3,That's When Your Heartaches Begin
4,Send Me Some Lovin'
5,Young And Beautiful
6,Rockin' Love
7,No Response
8,I'll Never Quite Get Over You
9,Sweet Little Sixteen
10,Oh! Carol
11,The She Kissed Me
12,Bald Headed Woman
13,Kana Kapila
14,I Got A Woman
15,A Tribute To Buddy Holly
16,Bir Dog
17,If You Need Me
18,Summetime Blues
19,Farmer John
20,Donna
1,No Time
2,The Birds In The Sky
3,Consolation
4,Easy To Fool
5,Sound Of Eve
6,Isn't It So Easy
7,Lady Lady
8,Last Night I Had The Strangest Dream
9,Morning Comes After Night
10,I've Said It All Before
11,Wedding
12,Sunny Girl
13,Hawaii
14,When My Blue Moon Turns To Gold Again
15,I Natt Jag Dromde
16,Jag Vet
17,Don't
18,Malaika
19,It's Nice To Be Back
1,Enter The Young
2,Hope
3,5 A.M.
4,It's Time For A Change
5,Changing Away From You
6,It's Been A Long Long Time
7,Musty Dusty
8,Spinning, Spinning, Spinning
9,There Is Love
10,Would You Like To Go
11,It's Now Winter's Day
12,Another Time
1,Cadillac
2,Farmer John
3,Bald Headed Woman
4,No Response
5,A Tribute To Buddy Holly
6,So Mystifying
7,Sould I
8,Sunny Girl
9,Wedding
10,Consolation
11,No Time
12,Speedy Gonzales
13,Malaika
14,She Will Love You
15,Let It Be Me
16,Save Your Heart For Me
17,Mot Dkant Land
18,Inatt Jag Dromde
 ベニーの在籍していたグループ、ヘップ・スターズのファースト・アルバムに、1964年のデビュー曲#15等アルバム未収録曲をボーナス・トラックとして収録したコンピレーション。殆どが、ニール・セダカやロネッツ、レイ・チャールズなどのヒット曲のカバーで構成されており、ベニーが作詞・作曲を手掛けた#7が唯一のオリジナル作品。本当、学生のクラブ活動の延長線上といったような感じの仕上がりだが、同世代のポップ・アイコンに飢えていた当時のスウェーデンの若者には熱狂的に受け入れられた。  盟友ビヨルンが作曲した爽やかでメロディアスなソフト・ロック#1で幕を開けるサード・アルバムに、シングル曲をボーナス・トラックとして収録した1枚。大半がオリジナル曲で占められており、ようやく自分たちのオリジナリティを確立したという感じだ。特に#12はスウェーデン・チャートで1位を記録し、作詞・作曲したベニーが一生音楽で食っていく決意をした、転機となった1曲である。#6はビヨルンとベニーの共作。どれもメロディアスでポップなソフト・ロックといった仕上がりで、アバ・サウンドの原点がここにあると言ってもいいだろう。  アソシエイションやサジタリアスといったバンドのプロデュースを手掛けた事で、ソフト・ロック・ファンの間では伝説的な存在のカート・ベッチャーが絡んだ作品として、ヘップ・スターズを知らないマニアの間でも人気の高い1枚。#6以外は殆どがカート・ベッチャー絡みのカバーだ。シンプルなサウンド・プロダクションが多いヘップ・スターズにしては、アレンジ・ミックス共に非常に凝っており、完成度は非常に高い。エンジニアの仕事にちょっかいばかり出す事で散々な評判だったヘップ・スターズも、アメリカ人スタッフの前ではお行儀が良かったのかもしれない(笑)。  1964年から69年までのシングルを集めたベスト盤。こうしてみると、なんともカバー曲の多いこと。特に初期は演奏もかなり荒削りで、学生バンドと殆ど変わらなかったりする。ベニーの手掛けた#8辺りから、何となくバンドとしてのカラーが確立されていくようになるが、やはりグループ内のいざこざを反映してか、全体的には統一感が全くない。当時は“スウェーデンのビートルズ”と呼ばれていたというが、ビートルズというよりはハーマンズ・ハーミッツや初期のマーマレード辺りに近いものがあるかもしれない。

EVERT_TAUBE.JPG HOOTENANNY_BASTA.JPG

Evert Taube (1965)
Hootenanny Singers

Basta
Hootenanny Singers

(P)1991 Polar Music (Sweden) (P)1991 Polar Music (Sweden)
1,Britta (Soldatvisa)
2,Har ar den skona sommar
3,Den gyllene fageln
4,Solola
5,Min alskade hon gick sig i min lustgard
6,Den skona Helen (Flickan i Peru)
7,Anna bella mirafior
8,Telegrafisten anton hanssons vals
9,En hattespeleman
10,Forsta torpet
11,September
12,Tango Rosa
1,Jag vantar vid min mila
2,Gabrielle
3,Den gyllene fregatt
4,I lunden den grona
5,Ave Maria no moro
6,Bjorkens visa
7,En sang en gang for langesen
8,Marianne
9,Blomman
10,Vid en bivag till en byvag bor den blonda Beatrice
11,Baby Those Are The Rules
12,No Time
13,Borjan till slutet
14,Finns det liv sa finns det hopp
15,Fafangans marknad
16,En gang ar ingen gang
17,Saknar du nagot min kara
18,Adjo, Farval
19,Elenore
20,Raring
21,Marten gas
22,Sa lange du alskar ar du ung
23,Froken Fredriksson
24,Mrs, O'Grady
 もう見事にスウェディッシュ・フォークしているフーテナニー・シンガ−ズのサード・アルバム。キングストン・トリオやブラザーズ・フォアに影響を受けて結成されたというように、いわゆるロックン・ロール以前の時代の伝統的なポップ・ミュージックといった感じ。リード・ボーカルのビヨルンを中心として、ハーモニーは非常に美しく、ソフトでロマンチック。とても素朴で、なんだか心癒されるようなノスタルジーに満ちている。これが結構クセになってしまうのだ。  ビヨルンのソロ・デビュー曲#20を含むフーテナニー・シンガーズのベスト盤。スウェディシュ・トラッドや、ディキシーランド・ジャズをベースとしたスキッフル・サウンドを中心に構成されており、ほのぼのとした懐かしいサウンドが楽しめる。同世代の若者に受けたヘップ・スターズに比べて、ファンの年齢層が高かったのもうなづける。

LYCKA.JPG MINA_KLOCKER.JPG NOVEMBER_1989.JPG BAO.JPG

Lycka (1970)
Bjorn Ulvaeus & Benny Andersson

Klinga Mina Klocker (1987)
Benny Andersson

November 1989 (1989)
Benny Andersson

BAO! (2005)
Benny Andersson Orkester

(P)1991 Polar Music (Sweden) (P)1987 Mono Music (Sweden) (P)1989 Mono Music (Sweden) (P)2005 Mono Music
1,Tank om jorden vore ung
2,Lycka
3,Nagonting ar pa vag
4,Kara gamla sol
5,Det dar med karlek
6,Valkommen in i ganget
7,Lilla du, lilla van
8,Hej Gamle Man!
9,Liselott
10,Kalles visa
11,Ge oss en chans
12,Livet gar sin gang
1,Inledningsvisa
2,Lottis Schottis
3,Fodelsedagsvals till mona
4,Om min syster
5,Efter regnet
6,Ludvigs leksakspolka
7,Gladan
8,Langsammazurkan
9,Tittis sang
10,Trolskan
11,Klinga mina klocker
1,Skallgang
2,Machopoloka
3,Vals efber Efraim Andersson
4,Sekelskifbesidyll
5,Dans pa vindbryggan
6,Sljuls
7,Jrosbevisa
8,Malarokolan
9,Novell #1
10,The Donducafor
11,Stockholm by night
1,Glasgow Boogie
2,En dans pa rosor
3,Du ar min man
4,Vitalins vals
5,Pa en solskenspromenad
6,Jehu
7,Midnattsdans
8,Riks 1: an
9,Julvals
10,Skenbart
11,Trettondagspolkan
12,Stora skuggan
13,Saknadens rum
14,Karlekens tid
 これこそアバ・サウンドの原点。ビヨルンとベニーの唯一のデュエット・アルバム。バック・コーラスにはアグネッタとフリーダも参加しており、4人のコーラスで繰り広げられるノスタルジックで美しいバラード#1などは、完全にアバの作品。恐らく、この曲はアバとしてのファースト・アルバム“Ring Ring”に収められた“I Am Just A Girl”の元ネタでしょう。ソックリです。全体的に、非常に物静かで繊細で優しいメロディアスな楽曲が揃っており、非常にクオリティの高いソフト・ロック・アルバムに仕上がっている。  アバ解散後にリリースされたベニー初のソロ・アルバム。作曲にはビヨルンも参加し、#5と#10のコーラスにはフリーダが参加している。その他、アバ結成以前にビヨルンとベニーが作曲・プロデュースを手掛けたレナ・アンデションやアバのバックボーカリストだったカリン・グレンマルク、スウェーデンのトップ・スター、アンネ=リー・リーデやレナ・フィリップソンら豪華な顔ぶれが揃っている。ポルカやワルツといったトラッド・ミュージックを芸術のレベルまで高めた素晴らしい感鮮度のインスト・アルバム。特にアバでレコーディングする予定だった#2の素朴で優しいメロディは感動的。ルーツ・ミュージックのファンにもオススメです。  ミュージカル音楽にも通ずるドラマ性と叙情性を兼ね備えた、壮大で美しいトラッド・アルバムの大傑作。#10の作曲にビヨルンが参加している以外は、全てベニーの手による作品ばかり。アバのアルバム“The Visitors”の世界観が好きな人は絶対にツボにハマる、非常に芸術性の高いベニー・ワールドが展開する。時には牧歌的に、時にはクラシカルに表現される美しいサウンドはため息が出るほど。オーケストラ・アレンジのスケールの大きさも特筆しておきたい。こうして改めてベニーのソロ作品を聴くと、アバの音楽において中心的な役割を担っていたのはベニーだったのではないかと思う。  肩の力を抜いた、牧歌的で愉快なトラッド・ミュージックを思い切り楽しめるベニーの最新作。ちょっと不良なジイ様どもがビールでも軽く引っかけながらワイワイと楽しんで演奏しているような雰囲気で、なんとも微笑ましい。ゲスト・ボーカルには、ここ数年ベニーとたびたびコラボを組んでいるスウェーデンの人気女性シンガー、ヘレン・ショホルムを迎えており、これがまた伸び伸びと楽しげにパワフルな歌声を聴かせてくれるのだ。好々爺となったベニー爺さんが娘みたいなヘレンと一緒になって嬉しそうにアコーディオンを弾いている姿が容易に想像できる。いいっすよねー。ああ、なんだかビールが飲みたくなってきた。

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