「バベル」

 

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4月28日より全国東宝洋画系ロードショー

 

 いよいよ目前に迫ったアカデミー賞授賞式。作品賞、監督賞、助演女優賞など6部門にノミネートされ、話題になっているのがこの「バベル」だ。中でも、助演女優賞にノミネートされた菊地凛子の受賞が日本では期待されている。しかし、あえていうならば、この作品は群集劇として評価すべきであり、役者たちの織り成す演技のハーモニーが一つのテーマ、一つのメッセージを紡ぎだしていくところに大きな魅力がある。そして、その一見するとバラバラな人間ドラマのパズルを丁寧に一つの絵にしていくアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の演出力とギジェルモ・アリアガによる脚本の構成力こそが、この映画で最も驚嘆すべきものだと思う。

 映画はモロッコの荒野を舞台に始まる。山間の村で暮らすアフメッドとユセフの兄弟。父のアブドゥラは知人からライフルを購入した。ヤギを飼って生計を立てている一家にとって最大の敵であるジャッカルを撃退するためだ。父親の留守中にヤギの監視を任された兄弟だったが、二人の間にはちょっとした確執があった。一足早く性に目覚めた独立心の強い弟ユセフを理解できない兄アフメッド。しかも、射撃の腕はユセフの方が上手で、アフメッドは苛立ちを隠せないでいる。お互いの競争心から始めたライフルの試し撃ち。なかなか的に当てられない兄に見せ付けるため、ユセフは観光バスを狙って撃つ。緊急停車したバスから聞こえてくる悲鳴。兄弟は血相を変えて逃げ出した。
 モロッコを旅するアメリカ人夫婦リチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)。二人の間には深い溝がある。生まれたばかりの3番目の子供が突然死んでしまい、その哀しみと罪悪感にお互い向き合えないでいた。特に、現実から目を逸らしてばかりの夫リチャードの弱さを、スーザンは許せないでいたのだった。夫婦の絆を取り戻すはずの旅だったが、その関係はぎくしゃくしたまま。複雑な想いを抱えたままバスに揺られるリチャードとスーザン。突然、窓ガラスに亀裂が走り、スーザンが血まみれになって倒れる。銃弾が鎖骨に当たったのだ。パニックに陥る車内。荒野のど真ん中で途方に暮れた一行は、バス・ガイドの暮らす近隣の町へ向かうことになった。
 リチャードとスーザン夫婦に仕えるメキシコ人乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)。子供たちマイクとデビーをわが子のように愛している心優しい中年女性で、モロッコでの事件にも心を痛めている。しかし、今日はメキシコに住む最愛の息子の結婚式。留守中の子守がなかなか見つからないで苛立つアメリアは、仕方なくマイクとデビーを結婚式に連れて行くことにする。メキシコは怖い国だと両親から教えられていた子供たちだが、次第にその賑やかさやユニークな風習に魅了されていく。夜も更け、甥っ子サンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の運転する車でアメリカに戻るアメリアと子供たち。しかし、近道しようといつもと違う道順を選んだ一行は、国境で足止めを食らってしまう。露骨に差別的な態度を取る警官に憤慨したサンチャゴは国境を強行突破し、パトカーに追われる。パニックに陥って泣き叫ぶ子供たち、狼狽するアメリア。しかも、サンチャゴは逃亡するためにアメリアと子供たちを荒野のど真ん中で無理矢理下ろして去っていく。
 東京に住む女の子チエコ(菊地凛子)は、バレーボールに情熱を燃やすごく普通の女子高生。しかし、彼女には大きなハンデがあった。耳の聴こえない聾唖者なのだ。同じ境遇の少女たちと今どきの高校生らしい青春を謳歌しているが、ハンディキャップを理解しない健常者の心無い態度に傷つけられる事も多い。また、愛する母親が自殺をしてしまうという悲劇からも立ち直れずにおり、複雑な怒りと哀しみを心の中に抱えて毎日を過ごしている。そのために、父親ヤスジロウ(役所広司)との仲もギクシャクしている。バレーの試合が終わり、渋谷のカフェで友達と待ち合わせたチエコ。少年グループにナンパされるが、彼女たちが聾唖者であることを知った少年たちは態度を豹変させる。怒りの収まらないチエコはパンティを脱ぎ捨て、カフェのテーブルで下半身を露出して男たちを挑発する。それは彼女にとって社会全体へ対する挑発でもあった。家へ戻ったチエコのもとを訪れる二人の刑事。父親に用があるという。チエコはハンサムな若い刑事(二階堂智)に惹かれる。友達グループと夜遊びへ繰り出したチエコは、友達の連れてきた男の子に恋愛感情を抱くものの、彼と親友がキスしているのを目撃してショックを受ける。放心状態で家に戻ってきたチエコは、父親のことについて話をしたいという口実で昼間の若い刑事を呼びつける。刑事の前に全裸で現れるチエコ。彼女は愛されることに飢えていた。

 この離れた3つの場所で進行する4つの物語が次第に絡み合っていき、現代社会の孤独と不寛容を浮き彫りにしていく。特筆すべきは、そのストーリー・テリングの巧みさだろう。イニャリトゥ監督と脚本のアリアガは、一つのテーマへ行き着くために時間軸を無視し、4つの物語を自由自在につなぎ合わせていく。余計な状況説明も一切ない。時間軸を無視したストーリー展開というのはかつてゴダールなどヨーロッパのアート系作家の専売特許であったが、タランティーノの「レザボア・ドッグス」以降ハリウッドでもたびたび見受けられるようになっている。とはいえ、普段あまり映画を見ていない観客は面食らうことだろう。この映画を難解だ、理解できない、という感想が少なからず見受けられるのは、そのせいだとは思う。また、モロッコの少年ユセフのオナニー・シーンやチエコの下半身露出など、人間の性や欲望にまつわる赤裸々な描写もあって、中には抵抗感を感じる人もいるかもしれない。しかし、理屈や表層ではなく感覚と本能で映画の流れに身を任せていけば、おのずと監督や脚本家の意図が見えてくるだろう。映像そのものが一つの言語であるということを改めて認識させてくれる作品であり、現代の国際社会が抱える問題を個人のレベルまで掘り下げて語りかける雄弁な作品だと思う。
 役者の中では、アメリア役のアドリアナ・バラッサが圧倒的に素晴らしい。菊地凛子の大胆さ、潔さ、そして気迫に満ちた存在感も評価すべきだとは思うが、女優としての器の大きさという点ではバラッサは圧巻である。乳母として、母としての豊かな母性と相対する“女”の部分も併せ持った気丈な女性。そんな彼女が、自らの愚かな判断で幼い子供たちを危険に晒してしまった事への強い後悔、恐怖、そして生きることへの執念。凄い女優だと思う。
 また、日本のエピソードに関して言うならば、イニャリトゥ監督の日本文化、特に現代日本の社会風俗や市民生活に関する深い造詣にも感心する。そこにはエキゾチックで摩訶不思議な国としての日本ではなく、普段我々が目にしている日本の姿が描かれている。ソフィア・コッポラ監督の「ロスト・イン・トランスレーション」は異国人から見た現代日本をリアルに描き出していたが、本作はより等身大の日本が描写されているという点に驚くべきものがある。
 複数の物語が一つのテーマを浮き彫りにしていくという作品として、かつてデヴィッド・ワーク・グリフィス監督の「イントレランス」というサイレント映画があったが、まさしく「バベル」は21世紀の「イントレランス」と呼ぶべき傑作だろう。

 

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