アバ・オリジナル・アルバム・レビュー (2)

恋のウォータールー
Waterloo (1974)

 

 

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オリジナル盤ジャケット

CD盤ジャケット

30周年記念盤CDジャケット

曲目リスト

オリジナル盤

インターナショナル盤

リマスター盤(2001年)

30周年記念盤(2004年)

リマスター盤(2005年)

Side A
1,Waterloo
2,Sitting In The Palmtree
3,King Kong Song
4,Hasta Manana
5,My Mamma Said
6,Dance (While The Music Still Goes On)
Side B
1,Honey, Honey
2,Watch Out
3,What About Livingstone
4,Gonna Sing You My Lovesong
5,Suzy-Hang-Around
6,Waterloo (English Version)
Side A
1,Waterloo
2,Sitting In The Palmtree
3,King Kong Song
4,Hasta Manana
5,My Mamma Said
6,Dance (While The Music Still Goes On)
Side B
1,Honey, Honey
2,Watch Out
3,What About Livingstone
4,Gonna Sing You My Lovesong
5,Suzy-Hang-Around
6,Ring Ring
1,Waterloo
2,Sitting In The Palmtree
3,King Kong Song
4,Hasta Manana
5,My Mama Said
6,Dance (While The Music Still Goes On)
7,Honey, Honey
8,What About Livingstone
9,Watch Out
10,Gonna Sing You My Lovesong
11,Suzy-Hang-Around
12,Ring Ring (US Remix)
13,Waterloo (Swedish Version)
14,Honey,Honey (Swedish Version)
1,Waterloo
2,Sitting In The Palmtree
3,King Kong Song
4,Hasta Manana
5,My Mama Said
6,Dance (While The Music Still Goes On)
7,Honey, Honey
8,What About Livingstone
9,Watch Out
10,Gonna Sing You My Lovesong
11,Suzy-Hang-Around
12,Ring Ring (US Remix)
13,Waterloo (Swedish Version)
14,Honey, Honey (Swedish Version)
15,Waterloo (German Version)
16,Waterloo (French Version)
1,Waterloo
2,Sitting In The Palmtree
3,King Kong Song
4,Hasta Manana
5,My Mama Said
6,Dance (While The Music Still Goes On)
7,Honey, Honey
8,What About Livingstone
9,Watch Out
10,Gonna Sing You My Lovesong
11,Suzy-Hang-Around
12,Ring Ring (US Remix)
13,Waterloo (Swedish Version)
14,Honey Honey (Swedish Version)
15,Waterloo (German Version)
16,Hasta Manana (Spanish Version)
17,Ring Ring (1974 Remix Single Version)
18,Waterloo (French Version)
※Side A #1はスウェーデン語バージョン ※Side B #6はアメリカ盤のみリミックス・バージョンを収録 ※ボーナスDVD付き
1,Waterloo (Eurovision Song Contest)
2,Waterloo (Melodifestivalen)
3,Honey Honey (Star Parade)
4,Hasta Manana (Senoras Senores RTVE)
※2005年発売のボックス・セットに収録

 

 アバにとって最初のターニング・ポイントとなったのが、この「恋のウォータールー」のアルバムとシングルだった。1974年4月6日、イギリスのブライトンで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストで、シングル「恋のウォータールー」がグランプリを受賞。イギリスやドイツ、ベルギー、アイルランド、ノルウェー、スイスなど世界9ヶ国でヒット・チャートの1位を記録する爆発的な大ヒットとなったのだ。
 
特にアバにとって嬉しい驚きだったのは、全米チャートで6位にまで駆け上ったことだ。彼らにとって初の全米発売となったアルバムも好調で、ローリング・ストーン誌をはじめ主だった音楽誌でも高い評価を受けた。ユーロビジョン優勝アーティストがアメリカでも大成功を収めるのは、アバが史上初だったという。

 ユーロビジョン・ソング・コンテストへの道は、その前年の1973年から始まっていた。シングル「リング・リング」でユーロビジョンへの出場を目指したアバだったが、国内予選の結果は3位と不本意なものだった。だが、「リング・リング」は英語版・スウェーデン語版のシングル、そしてアルバムと全て爆発的なヒットとなり、スウェーデン国外でも一部地域で大きな成功を収めていた。これに自信を付けたビヨルンとベニー、そしてマネージャーのスティッグは、早くも1974年度のユーロビジョンへと照準を合わせていたのだ。
 もともと試験的なプロジェクトとしてスタートしたアバが、本格的なグループとして活動するようになったのは、この頃からだと考えていいだろう。それまでは、フリーダとアグネッタはソロ歌手としての活躍がメインだったし、ベニーとビヨルンはポーラ・レコード所属アーティストの作曲・プロデュース業務に忙しい日々を送っていた。しかし、この「リング・リング」の成功がグループとしての可能性を裏付けることとなり、4人の心に新たな野心が芽生える。目指すはユーロビジョン・ソング・コンテストへの出場。世界進出を目指す彼らにとって、ユーロビジョンは非常に大きな意味を持っていたのである。

 では、なぜユーロビジョンなのか?その疑問に答えるためには、まずユーロビジョン・ソング・コンテストとは何なのかという事から説明せねばなるまい。もともとヨーロッパでは、イタリアで行われるサンレモ音楽祭が大きな音楽イベントとして有名だった。サンレモで優勝した楽曲は、ヨーロッパ各国のアーティストによってそれぞれの国の言葉でカバーされ、イタリア音楽界に多大な経済効果をもたらしていた。また、音楽祭には世界各国の有名歌手もゲストとして招かれ、非常に国際色の豊かな音楽イベントだったと言えるだろう。日本からも伊東ゆかりや岸洋子がゲストとして招待され、サンレモ音楽祭は日本でも注目の的となった。
 一方、1950年に設立された欧州放送連合は、第2次世界大戦後における西側ヨーロッパの連帯意識を高めるために、このサンレモ音楽祭をモデルにした一大音楽イベントを企画していた。それが、ユーロビジョン・ソング・コンテストだったのだ。1956年5月24日に第1回目のコンテストが催され、たちまちヨーロッパで最大の音楽イベントへと成長した。加盟各国から代表アーティストが一組づつ出場し、審査員の投票結果によって順位が決定する。その模様は加盟各国に生中継でテレビ放送され、世界で最も視聴者数の多い番組となったのだ。
 今ではヨーロッパ出身のアーティストが世界的に活躍することも珍しくはないが、アバが活動を始めた当時は状況が全く異なっていた。英語圏以外の国のアーティストが、イギリスやアメリカで成功を収める事は至難の業だったのだ。ましてや、ヨーロッパの辺境に位置するスウェーデン出身なら尚更のこと。事実、スティッグは当初からイギリスやアメリカのレコード会社に積極的なアプローチを試みたが、スウェーデン出身というだけで門前払いを食らっていたという。
 例えば、アメリカのレコード会社を片っ端から当たったスティッグだったが、興味を示したのはプレイボーイ・レコード一社のみ。あのヒュー・ヘフナーが経営するプレイボーイの子会社だ。しかし、この会社は全米でもかなり弱小のインディペンデント・レーベル。アメリカに進出したい一心で契約を結ではみたものの、発売された3枚のシングルは全く陽の目を見る事がなかった。
 ちなみに、当時アメリカで使用されたグループ名はビヨルン&ベニー・ウィズ・スヴェンスカ・フリッカ。スヴェンスカ・フリッカとは、“スウェーデン娘たち”という意味。なんだかスウェーデン・ポルノっぽい響きだが、さすがはプレイボーイ・レコードといったところか(笑)
 いずれにせよ、こうした厳しい状況に置かれた彼らにとって、ユーロビジョン・ソング・コンテストというのは国際舞台へ躍り出るための唯一の足がかりだったのだ。

 アルバムのレコーディングは1973年9月24日から1974年2月20日まで行われている。ユーロビジョンのスウェーデン国内予選は1974年2月9日で、スティッグはアバのユーロビジョン本大会出場が決定するやいなや営業活動に動き始めた。大会の当日までに、「恋のウォータールー」のシングルをヨーロッパ中のレコード店に並べねばならなかったのだ。
 過去のユーロビジョン出場アーティストは本大会の結果次第でレコードを発売するのが普通だったが、スティッグはそれでは遅すぎると考えていた。テレビで生中継を見たヨーロッパ中の人々が、翌日にはシングルを手に入れることが出来るようにする。そうでなくては、みすみすビジネスのチャンスを逃すことになるからだ。
 幸いにも、それまでのスティッグの地道な営業活動が功を奏し、各国のレコード会社はシングル発売とプロモーション・キャンペーンに向けて迅速に動くことが出来た。前年の「リング・リング」のユーロビジョン出場落選は、図らずも「恋のウォータールー」のプロモーション準備に十分な時間的余裕を与えてくれたのだった。

 ちなみに、実は最初から「恋のウォータールー」をユーロビジョン出場曲に決めていたわけではなかった。アグネッタがリード・ボーカルをとるセンチメンタルなバラード「落葉のメロディ」(Hasta Manana)も、有力候補として挙がっていたのだ。
 というのも、それまでの数年間でユーロビジョンに優勝した曲は、女性ボーカリストによる甘いバラードばかり。一方、当時のグラム・ロックを意識した「恋のウォータールー」みたいなアップ・テンポな作品は、ユーロビジョン・ソング・コンテスト出場曲としては前例がなかった。なるべく多くの国の幅広い年齢層に支持されなくてはいけない、というのが優勝の鍵とされてきたために、ユーロビジョンでは毒にも薬にもならない保守的な“歌謡曲”が好まれる傾向が強かったのだ。
 ゆえに、安全パイを選ぶなら絶対に「落葉のメロディ」だった。しかし、当時のヨーロッパでは、ユーロビジョンの優勝を逃した楽曲が各国のヒット・チャート上位に食い込むという現象が起きつつあった。そう、別に優勝しなくても構わない。重要なのは、人々の印象に残る楽曲を演奏することだ。それに、せっかく世界の桧舞台で演奏するのだから、自分たちが誇りに思えるような作品を演奏したい。そう考えたビヨルンとベニー、スティッグの3人は、最終的に「恋のウォータールー」をユーロビジョン出場曲として選んだのだった。

ABBA_1974.JPG

 1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストは、イギリス代表のオリヴィア・ニュートン=ジョンが優勝の最有力候補だった。オリヴィアはオーストラリア出身なのでは !?と首を傾げる人もいるかもしれないが、実は彼女はイギリスの生まれ。それに、出場者が絶対にその国の出身者でなくてはいけないという規定もないので、自国の国内予選に漏れたアーティストが他国から出場するというケースも少なくなかった。
 いずれにせよ、アバの最大のライバルはオリヴィアと、あとは当時ヨーロッパで人気の高かったオランダ出身の男女デュオ、マウス&マクニールだった。しかし、結果はアバの圧勝。あえて優勝を意識しなかったのが吉と出たのだ。
 こうして、一躍国際舞台に踊り出たアバだったが、それは彼らの前に新たな壁が立ちはだかる事も意味していた。何故なら、ユーロビジョン優勝者は一発屋で終わる、というのが当時の通説だったからだ。実際に、過去の殆んどのユーロビジョン優勝者は一発屋に終わっている。ルルやサンディ・ショウのようなイギリス出身のアーティストは例外としても、フランス・ギャルやジリオラ・チンクエッティ、ヴィッキー・レアンドロスなど、それぞれ自国では幾つもヒットを放っているアーティストも、国際舞台でのヒットとなるとユーロビジョン優勝曲だけだった。
 さらに、保守的な性格の強いユーロビジョン・ソング・コンテストは、当時の若いリスナーや音楽評論家には嘲笑の的だった。ゆえに、ユーロビジョンでの優勝が“汚名”になってしまう危険性も高かったと言える。事実、アバはユーロビジョン優勝者という経歴を揶揄されることが少なくなかった。しかし、スウェーデン出身の彼らが国際舞台で成功するためには、これが唯一の登竜門だった。他に選択肢は無かったのである。

 さて、先述したように「恋のウォータールー」はヨーロッパのみならず全米でも大ヒットを記録した。それまで、ユーロビジョン優勝曲がアメリカでもヒットするというケースは皆無だったため、アバにとってはまさに嬉しい驚きだったと言えるだろう。
 そもそも、アメリカではユーロビジョン・ソング・コンテストの存在そのものが殆んど知られていない。この「恋のウォータールー」の場合は、全英ナンバー・ワンというのが強力な後押しになった可能性が強いが、やはり一番の強みは楽曲そのものの魅力だったと言えるだろう。本当に良い音楽は国境を越える事が出来る、というビヨルンとベニーの信念が証明された結果だ。
 ちなみに、この「恋のウォータールー」以降、全米でのアバのライセンスを獲得したのは、R&Bの老舗としても知られるメジャー・レーベル、アトランティックだった。

 また、当時を振り返って意外に感じるのは、アメリカの批評家が軒並みアルバム「恋のウォータールー」を絶賛しているという事実だろう。例えば、ローリング・ストーン誌の評論家ケン・バーンズはこのように述べている。“アバの登場は最近の音楽界で最も喜ぶべき出来事の一つと言えるだろう。彼らの簡潔でアップビートなポップ作品は、テクニックをひけらかす自己陶酔型のギタリストや、群衆に宇宙力学的啓蒙を与える信仰深い音楽集団のいかなる楽曲よりも、遥かにロックン・ロールの本質的な精神に近いものと言えるだろう。”
 音楽とは本来、“音を楽しむ”もの。それはロックン・ロールも同じで、エルヴィスやある時期までのビートルズも、音を楽しむことの純粋な喜びに満ちていた。それが、60年代後半からのフォークやサイケデリックのムーブメントによって理論が先行するようになってしまい、音楽は頭で考えるものになってしまった。社会的・政治的なメッセージのない音楽は価値がないと言われるようになり、単純明快なポップスが見下されるようになったのだ。そうした難解で退屈な音楽に辟易していた当時のアメリカ人にとって、アバの音楽は新鮮な驚きだったに違いない。

 こうして世界への階段を駆け上がっていったアバ。アルバム「恋のウォータールー」は、そんな当時の彼らの勢いやパワーの詰まった瑞々しい作品に仕上がっている。スペクター・サウンドを再現したノスタルジックなナンバー「皆で踊ろう」、甘酸っぱいポップ・バラード「落葉のメロディ」、キュートで楽しいガールズ・ポップ「ハニー・ハニー」といったアバらしい作品から、素朴でのどかなレゲエ・ナンバー「シュロの木のそばで」や気だるいジャズ・ファンク「ママのことづけ」、ヘヴィーなギターとビヨルンのシャウトが強烈なヘヴィメタル・ナンバー「ウォッチ・アウト」など、驚くほどバラエティ豊かな楽曲が揃っている。とにかく、やってみたい事には片っ端から挑戦してしまおうという、当時の彼らの貪欲さが如実に現れているのだ。
 いわゆる“アバ・サウンド”と呼ばれる完全無欠なポップ・サウンドはまだ完成されていない。しかし、独自のスタイルを模索する荒削りさは非常に新鮮で、なにかこうキラキラとしたピュアな輝きを放っている。自分たちが影響を受けたものに対するオマージュ的な性格の強かった前作「リング・リング」と比べても、より若さと躍動感の漲るアルバムになったと言えるだろう。

 ちなみに、アバがアバを名乗るようになったのは、この「恋のウォータールー」が最初だった。

 

<楽曲解説>

※オリジナル盤収録作品

1,Waterloo 恋のウォータールー(スウェーデン語バージョン) ビデオ
 前作「リング・リング」と同じく、スウェーデン盤のオリジナル・アルバムは母国語バージョンで幕を開けます。当時のグラム・ロック・サウンドを意識しつつも、60年代初頭のアメリカン・ポップスにも通じる爽やかな魅力を持った作品ですね。
 タイトルの“ウォータールー”とは、ベルギー中部にある都市ワーテルローのこと。ナポレオンがイギリス軍に大敗した“ワーテルローの戦い”で有名な場所です。初期のアバはビヨルンとベニーがメロディを作り、マネージャーのスティッグが英語の歌詞を付けるというケースが結構ありました。後にビヨルンが歌詞を全面的に担当するようになるのですが、当時はまだ十分な英語力が身についておらず、もともと英語教師から作詞家に転向したスティッグに任されることが多かったんですね。
 で、ビヨルンとベニーの書いたメロディを聴きながら、最初にスティッグが考え付いたタイトルは“Honey-Pie”。国際マーケットでヒットするためには、英語圏以外の人でも一発で覚えられるタイトルにしなくてはいけない、というのがスティッグの考え方だったわけですが、どうもこの“Honey-Pie”という言葉をメロディに乗せてみてもしっくりとこなかった。で、毎日のようにヒントを求めて本をめくっていたところ、目に入ってきたのがウォータールーという文字だったわけです。これだったら誰でも知っている言葉だし、ナポレオンの敗北にひっかけて様々なシチュエーションのドラマも作りやすい。何よりも、言葉の響きがメロディにぴったり合っている。やはり、偶然のひらめきというのも、ポップスには重要な要素なんですね。
 こうして完成した「恋のウォータールー」。このスウェーデン語バージョンは、地元のヒット・チャートで2位を獲得しています。ちなみに、1位は「恋のウォータールー」の英語バージョン、そして3位は「恋のウォータールー」のアルバムと、1位から3位までを「恋のウォータールー」が独占。前作の「リング・リング」と同じような現象が巻き起こったわけです。

2,Sitting In The Palmtree シュロの木のそばで ビデオ
 今やスウェディッシュ・レゲエという言葉まで存在するほど、スウェーデンではレゲエ人気が高いんですよね。エイス・オブ・ベイスなんかはまさにその代表例だと思うのですが、アバも本作と翌年の「トロピカル・ラブランド」でレゲエに挑戦しています。ヨーロッパでレゲエが広く知られるようになったのは70年代半ばだと言われているので、もしかしたらアバこそがスウェディッシュ・レゲエのルーツなのかもしれません。
 本作でリード・ボーカルをとっているのはビヨルン。リズム・ギターの心地良い音色と共に、じつに素朴でのどかなカリビアン・サウンドが展開します。演奏も非常に本格的。ビヨルンとベニーは、レゲエについて相当勉強したのだろうと思います。アルバムの中でも、最も完成度の高い1曲だと言えるでしょう。アバ自身とっても愛着のある作品だったようで、シングル・カットはされなかったにも関わらず、1977年のワールド・ツアーの演奏ラインナップに含まれていました。

3,King Kong Song キング・コングの歌 ビデオ
 これはムチャクチャ楽しい曲です。能天気そのもののサウンドに、全く意味のない歌詞。楽しければいいじゃん!ってノリがもう最高。ここまで吹っ切れてしまっているアバも珍しいかもしれませんね。この弾けたバカさ加減は、まさに完璧なロックン・ロール。アメリカで最も評判の良かったアルバム収録曲がこの「キング・コングの歌」だったと言われていますが、確かにアメリカ人にもバカ受けしそうなパーティー・ナンバーです。シングル・カットはされていませんが、個人的にもかなりお薦めな作品。

4,Hasta Manana 落葉のメロディ ビデオ
 初期のアバ作品の中でも、特に日本で人気が高いのがこの曲。日本人好みのセンチメンタルでノスタルジックなポップ・バラードです。アグネッタの切ない歌声が最高ですね。「恋のウォータールー」と同じ時期に書かれた作品ですが、当初は“Who's Gonna Love You?”というタイトルが付けられていました。ただ、「恋のウォータールー」と同じように、スティッグはこのタイトルに納得がいかず、かといってメロディにしっくりとくる適当な言葉も見つからずに悩んでいました。そんな折にカナリア諸島へ行ったスティッグは、町の人々が頻繁に交わしている言葉を耳にします。それが、スペイン語で“また明日”を意味する“Hasta Manana”。これだ!と思ったスティッグは国際電話でスウェーデンのビヨルンとベニーに電話し、延期されていたレコーディングを完成させたとのこと。
 ちなみに、ベスト盤などでも頻繁に取り上げられる名曲ですが、実は日本やオーストラリア、イタリアなど一部の国でしかシングル・カットされていません。ヒット・チャートの上で一番成功したのは、南アフリカの最高2位。あとは、ニュージーランドで9位、オーストラリアで16位を記録しています。
 ただ、その一方でカバー・バージョンは数多くリリースされています。中でも一番有名なのは、デビー・ブーンによる1977年の全米ナンバー・ワン・ヒット「恋するデビー」のB面に収められているバージョン。その他、オーストラリアの女性歌手ジュディ・ストーン、アイルランドのバンド、ザ・サンズ、そしてビヨルンとベニーがプロデュースを手掛けたスウェーデンの人気女性歌手レナ・アンデションなどがカバー・バージョンをヒットさせています。

5,My Mama Said ママのことづけ ビデオ
 アバの作品の中でも、特にファンキーでクールなジャズ・ファンク・ナンバー。日本語のタイトルとは裏腹に、非常に気だるくて頽廃的な雰囲気の作品で、アグネッタとフリーダのボーカルもアンニュイでセクシー。シングル・カットはされていませんが、個人的に大好きな作品です。

6,Dance (While The Music Still Goes On) 皆で踊ろう ビデオ
 ビヨルンとベニーがフィル・スペクターの“ウォール・オブ・サウンド”に多大な影響を受けていることはこれまでにも述べてきましたが、この作品などはまさにフィル・スペクターそのものといった感じの仕上がり。ノスタルジックでロマンティック、とろけるようにスウィートな素晴らしいナンバーです。シングルとしても十分に通用する作品。というか、他のアーティストなら絶対にシングル・カットしていたはず。アルバム収録曲も決して手を抜かない、というビヨルンとベニーのポリシーが強く感じられる1曲だと思います。

7,Honey, Honey ハニー・ハニー ビデオ
 これも、アバ・ファンの間では人気の高い作品。ミュージカル「マンマ・ミーア!」でも効果的に使われていますね
。60年代のガールズ・ポップスにインスパイアされた、キュートでセクシーなメロディが魅力的。ちょっとHなサウンド・エフェクトなど、全体的にとてもお茶目なセンスの光る仕上がりです。「恋のウォータールー」に続くシングルとして発売され、ドイツで2位、オーストリアとスイスで4位、フィンランドで11位、ベルギーで12位、オランダとニュージーランドで16位、アメリカで27位、オーストラリアで30位を記録しています。なお、イギリスでは発売元のエピック・レコードが「リング・リング」のリミックス・バージョンをシングルに選んだためシングル・カットされませんでしたが、代わりに男女デュオのスウィート・ドリームスがカバー・バージョンをリリースし、全英チャートで10位をマークしています。

8,Watch Out ウォッチ・アウト ビデオ
 アバとしては非常に珍しい、かなり本格的なヘヴィ・メタル/ハード・ロック・ナンバーです。とはいえ、どことなく大らかでお茶目なポップ性が見え隠れするのはアバらしいところ。ボーカルはビヨルン。ハードなベース・ギターがとてもカッコいいですね。シングル・カットはされていません。

9,What About Livingstone ホワット・アバウト・リヴィングストーン ビデオ
 アグネッタのキュートなベビー・ボイスが印象的な、60年代風のキャッチーなポップ・ナンバー。後半のたたみかけるようなコーラス・ワークは見事な職人技です。こちらもシングル・カットはされていません。

10,Gonna Sing You My Lovesong 私の愛の歌 ビデオ
 隠れた名曲です。フリーダのクールかつエモーショナルなボーカルと、ドラマチックでスケールの大きな楽曲は相性抜群。ノスタルジックで胸を締め付けられる美しいアレンジも素晴らしいです。シングル・カットはされていません。

11,Suzy-Hang-Around スージー・ハング・アラウンド 
 アバの作品としては唯一、ベニーがリード・ボーカルをとった作品。ベニーは女性のように甘く優しい声で歌っていますが、本人は自分の声があまりお気に召さなかったらしく、以降は自身で歌う事を封印しています。楽曲は爽やかでノスタルジックな小品佳作。個人的にも、とても好きな作品です。シングル・カットはされていません。

12,Waterloo (English Version) 恋のウォータールー ビデオ
 そして、スウェーデン盤の最後を飾るのが、「恋のウォータールー」の英語バージョン。ベルギー、フィンランド、ドイツ、アイルランド、ノルウェー、南アフリカ、スイス、イギリス、スウェーデンでナンバー・ワンを獲得し、オーストリア、オランダ、ジンバブエで2位、フランス、スペイン、ニュージーランドで3位、オーストラリアで4位、アメリカで6位、イタリアで14位を記録しています。

※CD用ボーナス・トラックなど

Ring Ring (US Remix) リング・リング(USリミックス 1974) ビデオ
 ファースト・アルバムがリリースされなかったアメリカとカナダでは、「恋のウォータールー」のスウェーデン語バージョンが外された代わりに「リング・リング」が収録されました。その際に、アメリカン・ポップス的な雰囲気を加味するため、オリジナル・トラックにエレキ・ギターを若干加え、さらにサビの部分にサックスをフューチャーしたリミックス・バージョンを製作。それが、このUSリミックスです。ちなみに、イギリス盤のアルバムでは「リング・リング」のオリジナル・バージョンが収録されていました。

Ring Ring (1974 Remix Single Version) リング・リング(1974リミックス シングル・バージョン)
 上記のUSリミックス制作の際に、同時に作られたのがこのバージョン。「恋のウォータールー」に続くシングルとして、イギリスのみで発売されました。USリミックスとも違うバージョンで、よりシンプルでリズムに比重が置かれた仕上がり。オリジナルと比べてもダンサンブルです。

Honey Honey (Swedish Version) ハニー・ハニー(スウェーデン語バージョン)
 「恋のウォータールー」のスウェーデン語バージョンのシングルにB面ソングとして収録されたのが、この「ハニー・ハニー」のスウェーデン語バージョンです。

Waterloo (German Version) 恋のウォータールー(ドイツ語バージョン) ビデオ
Waterloo (French Version) 恋のウォータールー(フランス語バージョン) ビデオ

 「リング・リング」と同じく「恋のウォータールー」も、英語とスウェーデン語以外の言葉でレコーディングされました。それが、このドイツ語バージョンとフランス語バージョン。それぞれ、母国語のシングルが強いというお国柄ゆえに制作されたわけですが、予想に反して英語バージョンの方がヒットするという結果に終わっています。

Hasta Manana (Spanish Version) 落葉のメロディ(スペイン語バージョン) ビデオ
 これはリリース当時に作られたバージョンではなく、1980年にスペイン語圏向けとして制作された企画アルバム「グラシス・ポル・ラ・ムシカ」に収録されたもの。このアルバムはアグネッタとフリーダの発案で、ちょうどビヨルンとベニーが作曲に専念するためにスタジオを使用してなかったこともあり、エンジニアのマイケル・B・トレトウとアグネッタ、フリーダの3人でレコ
ーディングを行ったのだそうです。バックトラックは基本的にオリジナルを使用していますが、マイケル・B・トレトウが若干のリミックスを施しています。

 

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