アバ・オリジナル・アルバム・レビュー (7)

ヴーレ・ヴー
VOULEZ-VOUS

 

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オリジナル盤ジャケット

ソビエト盤ジャケット(1988年)

CD初期版ジャケット

CD現行版ジャケット

オリジナルLP盤

CD盤

リマスターCD盤 (1997&2001)

リマスターCD盤 (2005)

Side 1
1,As Good As New
2,Voulez-Vous
3,I Have A Dream
4,Angel Eyes
5,The King Has Lost His Crown
Side 2
1,Does Your Mother Know
2,If It Wasn't For The Nights
3,Chiquitita
4,Lovers (Live A Little Longer)
5,Kisses Of Fire
1,As Good As New
2,Voulez-Vous
3,I Have A Dream
4,Angel Eyes
5,The King Has Lost His Crown
6,Does Your Mother Know
7,If It Wasn't For The Nights
8,Chiquitita
9,Lovers (Live A Little Longer)
10,Kisses Of Fire
1,As Good As New
2,Voulez-Vous
3,I Have A Dream
4,Angel Eyes
5,The King Has Lost His Crown
6,Does Your Mother Know
7,If It Wasn't For The Nights
8,Chiquitita
9,Lovers (Live A Little Longer)
10,Kisses Of Fire
bonus tracks
11,Summer Night City
12,Lovelight
1,As Good As New
2,Voulez-Vous
3,I Have A Dream
4,Angel Eyes
5,The King Has Lost His Crown
6,Does Your Mother Know
7,If It Wasn't For The Nights
8,Chiquitita
9,Lovers (Live A Little Longer)
10,Kisses Of Fire
bonus tracks
11,Summer Night City
12,Lovelight
13,Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)
14,Estoy Sonando (I Have A Dream)
15,Chiquitita (Spanish Version)
16,Dame! Dame! Dame! (Gimme! Gimme! Gimme!)
※スペイン語圏では“Chiquitita”がスペイン語バージョンでの収録 ※2001年盤ボーナス・トラック
13,Gimme Gimme Gimme (A Man After Midnight)

※#12に関しては、1997年盤に収録されているのはリミックス・バージョン、2001年版に収録されているのはオリジナル・バージョン
※#12はオリジナル・バージョンでの収録

 

 ご存知の通り、ある時期から日本ではアバが“ディスコ・グループ”としてカテゴライズされるようになった。しかし、実際にアバの楽曲で“ディスコ”と呼べるものは、実は全体におけるほんの一部にしか過ぎない。ダンス・クラシックの定番とされる“Dancing Queen”にしたって、本来ディスコと呼ぶにはあまりにもテンポの遅い作品と言えるだろう。
 それではなぜ、アバがディスコ・グループと呼ばれるようになったのか?その答えとなるのが、この“Voulez-Vous”というアルバムである。当時は世界中でディスコ・ブームが吹き荒れた時代。その起爆剤となった映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラック盤を聴いて強い感銘を受けたビヨルンとベニーは、78年9月に発売したシングル“Summer Night City”で初めて本格的なディスコにチャレンジする。イギリスで最高5位にランクされたほか、3カ国でナンバー・ワンを記録する大ヒットとなったが、ビヨルンとベニーにとっては必ずしも満足の行く出来栄えではなかった。
 また、当時のビヨルンとベニーはプロモーション・ツアーやテレビ出演などのハード・スケジュールから、音楽的な創作活動に行き詰まりを感じていた。そもそも、アルバムの製作は78年3月から取り掛かっているものの、作曲・レコーディング共になかなか先に進まず、唯一完成できたのが“Summer Night City”だけだった。これとて、ビヨルンとベニーにしてみれば不完全燃焼みたいなものであり、実際にシングル発売後に改めて新たなミックス製作を試みている。
 そこで、彼らは79年の1月末に休暇を利用してバハマへと向う。もちろん、目的は新しい楽曲を書くこと。それまで作曲活動はストックホルム沖の離島に建てた別荘でと決めていた二人だが、環境を変えることで新たなインスピレーションを得ようと考えたのだ。また、当時ビヨルンとアグネッタは離婚を発表したばかりで、マスコミの喧騒から距離を置く必要もあったようだ。
 バハマといえばディスコ・ミュージックのメッカ、マイアミから目と鼻の先の場所。一通り新曲を書きためた彼らはマイアミへと足を伸ばし、アトランティック・レコード関係者の手配で現地のレコーディング・スタジオを借りた。さらに、アレサ・フランクリンやオーティス・レディングなどを手掛けたアメリカの伝説的な音楽プロデューサー、トム・ダウドに助言を請い、それまでのアバに足りなかった“アメリカ的”なリズム感覚を学ぶ。つまり、本格的な黒人音楽のグルーヴ感を習得しようとしたのだ。この時、実際に現地のスタジオ・ミュージシャンを集めて、“Voulez-Vous”と“If It Wasn't For The Nights”のバックトラックもレコーディングしている。
 2月の初旬にストックホルムへ戻ったビヨルンとベニーは、当時完成したばかりのポーラ・スタジオで急ピッチのレコーディング作業に取り掛かる。それまでは主にメトロノーム・スタジオを借りてレコーディングしていた彼らだが、自分たち専用のスタジオを持つことによって、これまでにないスピードでレコーディングを進めることが出来た。実際、アルバム収録曲の大半が、この2月から3月にかけて集中的にレコーディングされている。
 こうした試行錯誤の結果生まれたアルバムが“Voulez-Vous”であり、必然的にその大半がディスコ・ミュージック及びソウル・ミュージックに強い影響を受けた楽曲で構成されることになったのである。1979年4月にリリースされたアルバムはイギリスを筆頭に世界10カ国でナンバー・ワンを獲得する大ヒットとなったわけだが、中でも特に日本では爆発的に売れまくった。オリコンのアルバム・チャートでは最初にして唯一のナンバー・ワンを獲得し、アバにとって日本における最大のヒット・アルバムとなったのである。
 この成功によって、日本ではようやく本格的なアバ・ブームが到来したわけだが、その一方でアバ=ディスコという固定概念を植えつける元凶ともなってしまった。特に、アバのことをよく知りもしないような音楽評論家たちがこぞってアバを“低俗なディスコ・グループ”呼ばわりし始め、それが後々アバの悪しきイメージとして定着してしまうこととなる。

 もちろん、だからといって本作が失敗作だとは間違っても言うつもりはない。それどころか、それまで半ばアメリカ人の専売特許だったディスコ・ミュージックを、ヨーロッパ人のメンタリティとエレガンスによって、アバ独自の芸術的なポップ・ミュージックに昇華させたという意味で画期的な傑作と言えよう。
 ただ、その一方でビヨルンとベニーの2人は、時代の流行に迎合してしまうという点において、それなりに複雑な気持ちもあったようだ。“ディスコはトレンドであり、方式だ”と分析するベニーは、“当時は音楽業界の動向にいちいち振り回されるなんてつまらないことだと考えていた”と語っている。
 しかし同時に、己の殻の中にばかり閉じこもっていては、アーティストとしての成長や進化などあり得ないことも理解していた。“今何が起きているのかということを知るために、他人の楽曲を聴くことは構わない。自作のアレンジの参考にしたり、自分の存在位置を周りと比べて確認するためにも、トレンドを知ることはいいことなんだ”と。前作“The Album”ではアメリカのAORサウンドを自己流に解釈して見せたアバ。本作ではディスコという時代のトレンド・スタイルを参考にしつつも、そこにあるのは紛れもないアバの音楽なのである。
 なお、本作はイギリスとスウェーデン、ノルウェイ、ドイツ、メキシコ、ジンバブエ、スイス、ベルギー、フィンランド、日本でナンバー・ワンを獲得し、オーストリアとニュージーランド、オランダで2位、スペインで3位、カナダで4位、オーストラリアで5位、フランスで6位を記録。アメリカでも最高19位にまでランクされている。
 ただ意外なのは、シングルのチャート・アクションに目を移してみると、バラード曲“Chiquitita”と“I Have A Dream”以外の楽曲は殆んどの国でナンバー・ワンを取り損ねているということ。特に75年の“Mamma Mia”以来ほとんどのシングルがチャート・トップを獲得してきたイギリスで、1曲もナンバー・ワン・ヒットが出なかったというのは象徴的だ。実際のところ、アバがディスコに挑戦するということに対して、ファンの間でも賛否両論があった。当時はまだまだディスコ=流行もの・キワモノという固定概念が根強く、ロックやポップスよりも“下”に位置するジャンルと見られていたのである。

ABBA_PHOTO.JPG

 

<楽曲解説>

※オリジナル盤収録作品

1,As Good As New アズ・グッド・アズ・ニュー ビデオ
 アルバムのオープニングを飾るに相応しい、爽やかでファンキーなディスコ・ナンバー。バロック・スタイルのクラシカルなストリングスの音色で始まり、ズトズトズトズト・・・という強烈なベースラインで一気に煌びやかなディスコの世界へと聴き手を誘う。ソウルフルでパンチの効いたアグネッタのボーカルも素晴らしいし、マイナーからメジャーへと一気に転調するサビのコーラスも印象的。実にタイトで無駄のない作品です。
 しかし、残念ながらほとんどの国でシングルのA面としては採用されず、主に“I Have A Dream”のB面として使用されたのみ。これだけキャッチーでヒット・ポテンシャルの高い作品がA面扱いされないとはなんとも勿体ない話ですが、それだけ甲乙の付けがたい楽曲が揃っているという証でもあります。実際、アルバム“Voulez-Vous”に収録されている楽曲は、どれも十分にシングルとして通用する完成度の高さ。“シングル・カット出来ないような楽曲は世に出さない”というアバのポリシーを実感できると思いますね。
 なお、本作はメキシコとアルゼンチンのみでシングル・カットされており、メキシコではアバにとって9曲目のナンバー・ワン・ヒットに。また、マドンナのヒット曲“Papa Don't Preach”のイントロは、本作からインスパイアされたものとも言われています。

2,Voulez-Vous ヴーレ・ヴー ビデオ
 日本で爆発的な大ヒットとなったディスコ・ナンバー。確か、日本語のカバー・シングルも存在したはずです。オリエンタルなギター・リフ、簡潔で覚えやすいタイトル、それ以上に覚えやすいキャッチーなメロディ。ヒットしなくてどうするんですか!?と言わんばかりの強力なナンバーですね。しかも、あの“アハッ!”という合いの手!普通ならばサックスの演奏で処理するべきパートを、コーラスで歌わせてしまうというのがアバ流。“ボーカルも楽器のひとつとして考える”というベニーならではの絶妙なアイディアだと思います。
 
上記でも述べたように、これはビヨルンとベニーがバハマ滞在中に書き上げた作品で、マイアミでバック・トラックのレコーディングが行われています。ところが、それまで気心の知れた長い付き合いのミュージシャンとしか仕事をしてこなかった2人にとって、遠く離れた外国で見ず知らずのミュージシャンたちとレコーディングするというのは相当なプレッシャーだったらしく、実際に彼らとの意思疎通もなかなか上手くいかなかったそうです。なので、結局はストックホルムに戻ってからレコーディングをやり直し、マイアミでレコーディングした音源は一部しか使われていないとのこと。
 さて、アルバムからのサード・シングルとしてリリースされた“Voulez-Vous”ですが、実は当時のアバとしてはかなり低調なセールス結果だったんですね。日本では最高18位という洋楽としてはすこぶる大ヒットを記録したものの、当時ナンバー・ワンは当たり前と思われていたイギリスでは最高3位。また、デビュー当時からアバ人気の高かったドイツでも14位、熱狂的なアバ・ブームの吹き荒れたオーストラリアではなんと79位という低調ぶり。ナンバー・ワンを獲得したのはベルギーのみで、オランダでは4位、フランスとスペイン、スイスでは9位をマークしています。まあ、当るところでは当ったという感じなのでしょうが、当時のアバ人気の凄まじさを考えると、かなりチャート・アクションの鈍い作品だったといわざるを得ませんね。やはり、アバがディスコをやるということに抵抗感を感じるファンも少なくなかったのかもしれません。

3,I Have A Dream アイ・ハヴ・ア・ドリーム ビデオ
 誰もが口ずさめる歌謡曲調のバラードはアバの十八番ですが、その真骨頂とも言えるのがこの作品。ベニーの言うところの“Schlager(ヨーロッパの民族歌謡)の伝統に立ち戻った歌”というのも大いに納得できますね。パーティなどの席上で、みんなが一緒になって歌えるような楽曲というわけです。
 中でも、作品中のハイライトとも言えるのが、後半のサビ部分で登場する子供たちのコーラス。実に微笑ましい展開で、アバらしい暖かさを感じさせてくれる演出です。79年秋からスタートしたワールド・ツアーでも、各地で現地の子供達をステージに招いて歌い、コンサートの最大の見せ場のひとつとなりました。
 ただ、これには当時から賛否両論が多かったのも事実。そもそも、パンク・ロック全盛の時代に子供達を使ったアット・ホームなポップ・ソングという発想そのものが、時代遅れも甚だしかったわけです。ビヨルンも“コーラス隊をもってくること自体が悪趣味になりかねないのだから、子供を使うなんて当然ながら危険なことだよ”としながら、“でもこの場合は上手くいった”と言っています。
 だいたい、それまでにもアバは当時の音楽界ではありえない様な“時代遅れ”の手法を臆面もなく使い、それを見事にオリジナリティとして生かしてきたわけだから、ある意味で確信犯的な部分はあったのでしょう。“ポップ・ミュージックの世界では人と全く違うことをやるべきだ”と語るベニーは、“ぼくは流行に合わせようとすることより、『マネー・マネー・マネー』や『チキチータ』のように風変わりな音楽をやっているほうが性に合うんだ”とも言っています。他人がどう思おうと全く気にしない、という姿勢こそが、アバのアバたる所以なのかもしれません。
 アルバムからの最後のシングルとして発売された“I Have A Dream”は、オーストラリア、ベルギー、オランダ、スイスの4カ国でナンバー・ワンを獲得したほか、イギリスとアイルランドで2位、南アフリカで3位、ドイツとアルゼンチンで4位をマーク。アルバム発売から8ヶ月以上も経っているわけですから、これは文句なしの大ヒットと言えるでしょう。
 また、99年にはイギリスの男性アイドル・グループ、ウェストライフがカバー・バージョンをリリースし、全英ナンバー・ワンに輝いているほか、ギリシャ出身の大物女性歌手ナナ・ムスクーリやアメリカのカントリー歌手クリスティ・レイン、同じくアメリカの大御所歌手アル・マルティーノなど数多くのアーティストがカバーしています。

4,Angeleyes エンジェルアイズ ビデオ
 まさしく“天使の瞳”といったイメージがピッタリの、ドリーミーでスウィートで煌びやかな傑作ポップ・チューン。バロック・スタイルのロマンティックなストリングスに、“アハハン♪”というファンタジックなスキャット、そして突き抜けるように爽やかで美しいハーモニー。完璧すぎるくらいに完璧な作品です。個人的にもアバの楽曲の中ではダントツに大好きな作品で、当HPのタイトルもこの曲から頂いちゃってます(笑)
 ところがところが、ほとんどの国ではシングル“Voulez-Vous”のB面ソング扱いされてしまい、残念ながら当時はあまり陽の目を見ることがなかったんですよね。数少ない例外がイギリスとアメリカ。イギリスではエピック・レコード独自の判断で“Voulez-Vous”との両A面シングルとして発売され、強力にプッシュされました。というのも、“Voulez-Vous”の評判があまりにも良くなかったため。従来のアバ路線を踏襲した“Angeleyes”を抱き合わせて売ろうと考えたわけです。結果的に全英3位にまで上りつめたわけですから、エピック・レコードの判断は間違っていなかったのかもしれません。
 一方のアメリカでも、当初はシングル“Voulez-Vous”のB面扱いでしたが、全米チャート最高80位というあまりにも低い成績だったため、急遽“Angeleyes”をA面に入れ替えて再リリースしました。結果としては68位止まりだったわけですが、状況を考えると十分に健闘したと言えるでしょう。それほどまでに、当時の“Voulez-Vous”の評判は悪かったんですね。

5,The King Has Lost His Crown ザ・キング・ハズ・ロスト・ヒズ・クラウン ビデオ
 アメリカのアダルト・コンテンポラリーの影響を受けているという点では、前作『ジ・アルバム』の延長線上にある作品と言えるかもしれませんが、より幻想的で透明感のあるサウンドが独特の爽やかさをかもし出していますね。ほんのりとメランコリックなメロディとアダルトなフリーダのボーカルがまた秀逸。アバにとっても、隠れた名曲の1つと言って間違いないと思いますね。

6,Does Your Mother Know ダズ・ユア・マザー・ノウ ビデオ
 ミュージカル『マンマ・ミーア』の中でも印象的な使われ方をしているキャッチーでファンキーなロックン・ロール・ナンバー。映画『ジョニー・イングリッシュ』(03)でも、ミスター・ビーンことローワン・アトキンソンが、バスルームでこの曲に合わせて変な踊りをしてみせてましたっけ。ヤマハのアナログ・シンセサイザーを使ったイントロの強烈なベースラインは、アバ・サウンドのトレード・マークの1つとして、あちこちでコピーされていますね。また、ビヨルンがリード・ボーカルを担当しているというのも、当時のアバとしては珍しいことでした。
 もともとのオリジナル・タイトルは“I Can Do It”というもの。バハマ滞在中にメロディを書き上げ、ストックホルムに戻ってからバックトラックを完成させた上で、歌詞とタイトルが書き上げられました。歌詞のヒントとなったのはビヨルンの読んだ新聞記事で、若い女の子に翻弄される中年男の話。当初はアグネッタとフリーダにボーカルを任せようと考えていたビヨルンですが、歌詞の内容が女性には不向きだと判断。75年の“Rock Me”以来久々にリード・ボーカルを取ることになったわけです。
 アルバムからのセカンド・シングルとして79年4月に同時リリースされ、ベルギーでナンワー・バンになったほか、アイルランドで3位、イギリスとオランダで4位、スイスで6位、オーストラリアで7位、カナダで8位、ジンバブエで9位、ドイツで10位をマーク。アメリカでも最高19位にランクされる中ヒットとなりました。
 ちなみに、ビヨルン曰く“今になって考えると、女性陣が歌ったほうがもっとヒットしていたかもしれない”とのこと。

7,If It Wasn't For The Nights イフ・イット・ワズント・フォー・ザ・ナイツ ビデオ
 優雅なディスコ・ビートに都会的で煌びやかなサウンド、そしてスタイリッシュかつキャッチーなメロディ。アバの隠れた傑作と言うべき、素晴らしいアーバン・ディスコ・ナンバーです。全盛期のシャカタクを思わせるような作品だと思いますね。当初はアルバムからのファースト・シングルにも予定されていたそうですが、残念ながらラインナップが揃った時点で白紙撤回されてしまったようです。ファンの間でも非常に人気の高い作品で、最近ではアバのカバー・プロジェクトとして有名なアバカダブラが、カバー・バージョンをシングル発売しています。
 ちなみに、78年11月の来日時に出演したテレビでは『夜を楽しく』という邦題が付けられていますが、その後は一切使用されていません。当時はまだアルバム発売前。10月後半に最初のレコーディングが行われたばかりでした。ファースト・シングルにするつもりだったことから、スニーク・プレビュー的な意味合いで演奏されたのだと思います。
 また、上記でも述べたように、79年1月から2月にかけてのバハマ、マイアミ旅行の際に新たなバックトラックのレコーディングがされているものの、アルバム収録用のファイナル・ミックスで使用されたのはドラム・パートだけだったようです。

8,Chiquitita チキチータ ビデオ
 日本では8年前にドラマの主題歌として使用され、日本におけるアバ・リバイバル・ブームのきっかけを作ったことでも知られる名曲。実に世界18カ国以上でナンバー・ワンを記録し、“Dancing Queen”や“Take A Chance On Me”などと並ぶアバの代表曲として親しまれています。スパニッシュ・ギターを使った牧歌的で哀愁溢れるサウンドとメロディは秀逸。
 しかし、当時の音楽シーンにおいてすら、明らかに時代錯誤と言える民族音楽スタイルのこの作品が、世界各国で大ヒットを飛ばしたという事実は、やはり驚きだと思います。パンクとディスコ全盛の時代に、まるで60年代のミュージカル音楽のような楽曲をぶつけてくるんですから、これはもう大胆不敵としか言いようがないですよね。その点について、ベニーはこんな風に語っています。“確かに『チキチータ』はポップ・グループの歌うような作品ではない。でも、自分が良いと感じる音楽にはこだわるべきだ。自分が良いと思う歌を、それが時代遅れだからという理由で投げ捨ててしまってはいけないんだよ”と。
 ちなみに、本作はユニセフのチャリティー・ソングとしてプレゼントされ、79年1月9日に行われたチャリティー・コンサートで初お披露目されました。当日はロッド・スチュワートやドナ・サマー、ビージーズ、エルトン・ジョンなどが出演し、アバは大陸ヨーロッパから唯一のアーティストとして参加したわけですが、さすがに『チキチータ』を歌うのはちょっと場違いだと感じたそうです。“アメリカ的な音楽とは全く相容れない曲だからね”と語るベニー。ビヨルンも、“とても誇らしく思ったけど、みんなの作品とはあまりにも違いすぎるなとは感じていた”そうです。
 さて、アルバムからのファースト・シングルとして79年1月16日に先行発売された本作。オランダやフィンランド、南アフリカ、スペイン、スイス、ジンバブエ、ニュージーランド、アイルランド、ベルギーのほか、アルゼンチンやチリ、コロンビア、エクアドル、エル・サルヴァドル、メキシコ、パナマ、ペルー、ヴェネズエラと南米各国でヒットチャートの1位を獲得。さらにイギリスとスウェーデンで2位、ドイツで3位、ノルウェーとオーストラリアで4位、オーストリアで6位を記録し、フランスで13位、カナダで17位、日本で19位、アメリカで29位という結果になっています。

9,Lovers (Live A Little Longer) ラヴァーズ ビデオ
 このアルバムの中でも、特にアメリカの黒人音楽からの影響が色濃い作品と言えるでしょう。この腰に直撃するグルーヴ感とファンキーなカット・ギター、そしてビッチなフリーダのボーカル。“セックスこそが長生きの秘訣”という色っぽい歌詞の内容も含めて、過去のアバ作品にはなかった楽曲だと思いますね。コーラス部分で聴かせる、アグネッタのエモーショナルでソウルフルな歌声も素晴らしい。これも、他のアーティストなら迷うことなくシングル・カットしたに違いない名曲です。

10,Kisses Of Fire キッシィズ・オブ・ファイア ビデオ
 これまたアバらしからぬ、アグネッタの官能的で甘いボーカルから静かに始まる楽曲。ところが、サビへ来ていきなりズドン!とポップビートが炸裂し、キャッチーでスケールの大きなコーラス・ワークが繰り広げられるわけです。もう見事としか言いようのない職人技。メロディ、アレンジ共にもの凄く複雑でハイレベルなテクニックの駆使された楽曲です。これが作曲からレコーディング完成までに1ヶ月かかってないというのは驚き。なんてったて、その間にスイスでのプロモーションと特番収録、ドイツでのテレビ出演などをこなしているんですから。

※CD用ボーナス・トラックなど

Summer Night City サマー・ナイト・シティ ビデオ
 上記でも述べたように、アバにとって初めての本格的なディスコ・ナンバーであり、ビヨルンとベニーの2人にとっては苦い思い出のある作品。ビージーズの『サタデー・ナイト・フィーバー』に強い影響を受けて出来た楽曲なわけなんですが、ビヨルンとベニーに言わせるとメロディとリズムのバランスを最後まで上手く取ることができなかったそうです。ミキシングだけで1週間以上を費やしたものの満足する結果が得られず、2人はボツにするつもりでいたとのこと。しかし、なかなか新作がリリースされないことを不満に思う各国のレコード会社から催促され、仕方なく選んだ作品がこれだったわけです。
 結果としてはフィンランドとアイルランド、そしてスウェーデンでナンバー・ワンを記録。しかしイギリスでは5位と、“SOS”以来3年ぶりにトップ3圏内から脱落。それでも世界的なアバ・ブームの真っ只中ということもあり、ベルギーとノルウェーで3位、ジンバブエで4位、オランダとスイスで5位、ドイツで6位、メキシコで10位とそこそこのヒットにはなっています。日本でもオリコンチャート24位にランクされ、“Dancing Queen”以来初のトップ40入りを果たしました。
 その後、アルバム収録を目指して何度もリミックス作業が重ねられ、イントロを付け足したロング・バージョンも作られましたが、いずれもビヨルンとベニーの満足するような出来栄えはなく、最終的にアルバム収録が見送られることになったのでした。
 なお、イギリスのハイエナジー・グループ、アステアや、イスラエルの人気DJオファー・ニッシムなどがカバー・バージョンをリリースしており、アバ本人たちの思いとは裏腹に、世間的にはアバの代表曲の1つとして人気の高い作品です。

Lovelight ラヴライト ビデオ (オリジナル・バージョン)
 アルバム収録用にレコーディングされたものの、最終的には“Chiquitita”のB面ソングとしてのみ使用された作品。いわゆる典型的なアバ・ソングといった感じの、キャッチーでメロディアスなポップ・ナンバーです。ただ、サビの爽快感がパンチ不足に感じられるのも事実で、アルバムのラインナップから外されたのは仕方ないかもしれません。個人的にはとても好きな曲なんですけどね。
 なお、これもビヨルンとベニーがレコーディングの過程で様々なアレンジを模索し、複数のバージョンが存在します。で、実は公に発表されたものでも3種類のバージョンが存在するんですね。まずは、79年当時にB面ソングとしてリリースされたバージョン。これは89年にイギリスで発売されたベスト盤“The Love Songs”で初CD化され、01年発売のリマスター盤CDにもボーナス・トラックとして収録されています。ところが、西ドイツ、オーストリア、スイス、オランダの4カ国で発売されたシングルのみ、なぜか15秒短いエディット・バージョンだったんですね。
 さらに、93年のベスト盤“More ABBA Gold”に収録されたリミックス・バージョンも存在します。当時は何も知らずに購入したため、明らかにミックスが違うのでビックリした記憶があります。97年発売のリマスター盤CDにボーナス・トラック収録されているのも、実はこのリミックス・バージョンなのですが、不親切にも全くその旨の記載がありませんでした。個人的には、79年当時発表されたオリジナル・バージョンの方がオススメです。

Estoy Sonando アイ・ハズ・ア・ドリーム(スペイン語バージョン) ビデオ
 79年のワールド・ツアー直前にレコーディングされたスペイン語バージョン。南米マーケット向けにシングル・リリースされ、後にスペイン語アルバム『グラシス・ポル・ラ・ムシカ』にも収録されています。基本的にオリジナル・バージョンのバックトラックをそのまま使用していますが、後半のコーラスは子供のものではないみたいですね。演奏時間はオリジナルよりも5秒ほど短いのですが、これは単なる編集の問題です。

Chiquitita (Spanish Version) チキチータ(スペイン語バージョン) ビデオ
 こちらはオリジナル盤と同時期に製作されたスペイン語バージョンで、やはり南米マーケット向けにシングル・リリースされました。南米版のアルバムにも、こちらのバージョンが収録されています。同じく、後に『グラシス・ポル・ラ・ムシカ』にも収録されています。

 

〜オマケ〜

Voulez-Vous (Extended Remix)
ビデオ

VOULEZ_VOUS_12INCH.JPG
 こちらは79年当時、アメリカのアトランティック・レコードがDJプロモ用としてリリースしたエクステンデッド・リミックス。つまり、ディスコでプレイするDJにのみ配られた12インチ・シングルです。オリジナルよりも演奏時間が1分以上も長く、さらにドラムとベースラインを強調し、サビの回数を増やし、ブレイク・ビーツも増やしています。なかなかカッコいい仕上がりだと思いますね。アバにとっては唯一の12インチ・バージョン。長いことファン垂涎のお宝としてプレミアが付いていましたが、2001年発売の2枚組ベスト“Definitive Collection”で初めてCD化されています。

 

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