アバ オリジナル・アルバム・レビュー (10)

ザ・ヴィジターズ
THE VISITORS (1981)

 

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オリジナル盤ジャケット

CD盤ジャケット

2001年CD盤ジャケット

オリジナルLP盤

スペイン語圏LP盤

初期CD盤

リマスターCD盤(1997)

side A
1,The Visitors
2,Head Over Heels
3,When All Is Said And Done
4,Soldiers
side B
1,I Let The Music Speak
2,One Of Us
3,Two For The Price Of One
4,Slipping Through My Fingers
5,Like An Angel Passing Through My Room
side A
1,The Visitors
2,Head Over Heels
3,No Hay A Quien Culpar
4,Soldiers
side B
1,I Let The Music Speak
2,One Of Us
3,Two For The Price Of One
4,Se Me Esta Escapando
5,Like An Angel Passing Through My Room
1,The Visitors
2,Head Over Heels
3,When All Is Said And Done
4,Soldiers
5,I Let The Music Speak
6,One Of Us
7,Two For The Price Of One
8,Slipping Through My Fingers
9,Like An Angel Passing Through My Room
1,The Visitors
2,Head Over Heels
3,When All Is Said And Done
4,Soldiers
5,I Let The Music Speak
6,One Of Us
7,Two For The Price Of One
8,Slipping Through My Fingers
9,Like An Angel Passing Through My Room
bonus tracks
10,Should I Laugh Or Cry
11,The Day Before You Came
12,Under Attack
13,You Owe Me One

リマスターCD盤(2001)

リマスターCD盤(2005)

1,The Visitors
2,Head Over Heels
3,When All Is Said And Done
4,Soldiers
5,I Let The Music Speak
6,One Of Us
7,Two For The Price Of One
8,Slipping Through My Fingers
9,Like An Angel Passing Through My Room
bonus tracks
10,Should I Laugh Or Cry
11,The Day Before You Came
12,Cassandra
13,Under Attack
1,The Visitors
2,Head Over Heels
3,When All Is Said And Done
4,Soldiers
5,I Let The Music Speak
6,One Of Us
7,Two For The Price Of One
8,Slipping Through My Fingers
9,Like An Angel Passing Through My Room
bonus tracks
10,Should I Laugh Or Cry
11,No Hay A Quien Culpar
12,Se Me Esta Escapando
13,The Day Before You Came
14,Cassandra
15,Under Attack
16,You Owe Me One

 

 アメリカではロナルド・レーガンが大統領に就任し、フランスではミッテランが大統領に当選、イギリスではチャールズ皇太子とダイアナ妃がセントポール大聖堂で挙式をあげた1981年。世界情勢が大きな変化を遂げつつある中で、アバにも大きな転換期が訪れつつあった。
 この年の1月5日、オレブロ県の小さな村グリシタンでビヨルンと恋人レナは僅かな近親者だけを招いて秘かに挙式を行った。その約1ヵ月後の2月12日、ベニーとフリーダが離婚に向けて協議中であることを発表し、世界中のファンに衝撃を与える。
 ストックホルム市内のナイトクラブで偶然出会ってから12年。仕事でもプライベートでも常に行動を共にし、苦楽を分かち合ってきたベニーとフリーダ。だが、“仕事も一緒、生活も一緒という中で、プライベートの時間が全くなかった。お互いに個人として自分たちの人生について話し合うことが出来なかったのよ”とフリーダは後に語っているが、その近すぎる関係が逆に二人の間に大きな溝を作ってしまったようだ。それでも、二人は結婚カウンセラーのもとへ通うなどして、関係修復のため前向きに努力をしていたという。
 そんな折、以前から夫婦とは親しい間柄だったテレビの女性レポーター、モナ・ノルクリットとベニーが急接近する。モナはアバのジャケット・デザインを手掛けていたデザイナー、ルネ・ソンデルクヴィストの妻リレビルの妹だった。彼女への愛情を深めていったベニーは、長年連れ添ったフリーダとの別れを決意。それを知らされたフリーダは気丈に振舞ったものの、実際に離婚を発表してから一週間近く外へ一歩も出ることができないくらい精神的に参ってしまったという。
 この時期、ルネ・ソンデルクヴィストとリレビルも離婚。既にシングル・マザーとなったアグネッタは、多感な年頃の娘リンダとどう向き合うべきか悩んでいた。他にも、関係者の離別や不和などが相次ぎ、アバを取り巻く環境には陰鬱なムードが漂っていた。そんな時期に発表されたのが、この『ザ・ヴィジターズ』というアルバムだ。

 今では多くの音楽評論家やファンから“アバの最高傑作”と呼ばれ、その芸術的な完成度の高さを絶賛されている本作。だが、発表された当初は文字通り賛否両論だった。特に古くからの熱心なアバ・ファンの間では、これが本当にアバの作品なのか?という戸惑いの声も少なくなかった。
 当時中学1年生だった筆者も、それまでのアバとは明らかに違う楽曲とサウンドにかなり面食らった記憶がある。なにしろ、とにかく暗いのだ。北欧的なセンチメンタリズムを残しつつ、キャッチーで明るいポップ・ナンバーというのが従来のアバ・サウンドのトレードマーク。前作『スーパー・トゥルーパー』ではメランコリックでアダルトなムードを全面的に押し出したものの、それでもアバらしい煌びやかなポップ・サウンドは健在だった。
 しかし、この『ザ・ヴィジターズ』ではそれすらも影を潜め、ダークでクラシカルでもの哀しいナンバーが大半を占めているのだ。中には、“I Let The Music Speak”や“Like An Angel Passing Through My Room”のように、もはやポップスとすら呼べないような楽曲まで含まれている。もちろん、それは否定的な意味ではない。
 “ある点で、僕たちはビートルズをお手本にしていた。つまり、新しいアルバムをレコーディングするたびに、詩的な面でも音楽的な面でも、次の段階へと進化するように務めていたんだ”とビヨルンは語っている。当時オリジナル・ミュージカルの制作へ意欲を燃やしていたビヨルンとベニーは、既にポップスというジャンルに対する意欲や興味を失いつつあったのだ。
 同時に、アバというプロジェクトに対する彼らの情熱も醒めつつあった。それはアグネッタとフリーダも同様だった。フリーダは後にこう語っている。“『ザ・ヴィジターズ』では、私たちはお互いに疲れきっていた。あまりにも多くのことを共に経験してきたため、そこには喜びすら残されていなかったのよ。レコーディングは日常の出来事になってしまった。私たちはそれぞれ成長し、お互いに別の方角を目指すようになり、レコーディングには必要不可欠だった調和が失われてしまった。分からないけど、恐らくあのアルバムの製作には哀しみや苦々しさが色濃く反映されていたと思うわ”と。
 そう考えると、この『ザ・ヴィジターズ』というアルバムは、アバというグループの名義で作られてはいるものの、実際はビヨルンとベニーにとって将来のミュージカル制作へ向けての足がかりとなる作品、つまり実験的な試みだったのだと言えるのかもしれない。もちろん、彼らを取り巻く様々な状況も大きな影響を及ぼしていたろう。ゆえに、従来のアバ・サウンドとは著しく異なる、独特の芸術的でクラシカルなアルバムが出来上がったのだ。

 

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 アルバムの制作が始まったのは81年2月初旬のこと。最初に書きあがった作品は“Slipping Through My Fingers”、“When All Is Said And Done”、そして“Two For The Price Of One”の3曲だった。
 ベニーとフリーダの離婚発表会見を経て、3月に入るとバック・トラックのレコーディングが始まる。ちょうどこの頃、ポーラー・スタジオには当時最新鋭だった32トラックのデジタル・テープ・レコーダーが導入された。アバのエンジニアであるマイケル・B・トレトウは、このデジタル・レコーダーにいろいろと悩まされたという。
 もちろん、最新テクノロジーゆえ技術面で使いこなすのに手間がかかったということもあるが、それ以上にデジタル特有の硬くて冷たいサウンドをいかにしてビヨルン&ベニーの有機的なメロディやアレンジに馴染ませるのかというのが、彼に課せられた大きな課題だった。それゆえか、この3曲のレコーディングとミキシングには丸々1ヶ月近くを費やしている。
 その後、4月の末にはアメリカの人気テレビ司会者ディック・キャベットがアバと対談する特別トーク番組“Dick Cavett Meets ABBA”の収録がストックホルム市内のスタジオで行われ、アバはスタジオ・ライブの撮影もこなした。
 5月18日からは新たなデモ・セッションが開始され、その後1ヶ月近くに渡って“Like An Angel Passing Through My Room”のレコーディングとミキシングが行われた。そして、6月20日のレコーディングを最後に、アバは長期の夏休みに入る。
 8月早々に改めて新曲のソングライトに取り掛かったビヨルンとベニーは、“Head Over Heels”、“I Let The Music Speak”、“Sould I Laugh Or Cry”を完成させ、8月末から9月前半にかけてレコーディングを行った。さらに、9月半ばには新たに“The Visitors”、“Soldiers”、“One Of Us”の3曲を書き上げ、11月半ばまでに全てのレコーディングとミキシングを完了させている。
 なお、この間に“Anthem”及び“I Am The Skeeker”、“Fanfare”というインスト・ナンバーをレコーディングしているが、いずれもアバの作品としては使用されていない。“Fanfare”は同年のアイスホッケー世界大会のオープニングに使われ、“I Am The Seeker”はフランスのミュージカル“Abbacadabra”の挿入歌となり、“Anthem”はミュージカル“チェス”に使用されることとなる。
 また、ビヨルンがリード・ボーカルを取る“Givin' A Little Bit More”という楽曲もレコーディングされたが、こちらは94年の4枚組ボックス・セット“Thank You For The Music”に収録されるまで長いことお蔵入りとなっていた。
 ちなみに、ちょっとしたトリビア・ネタを1つ。この年の9月にオリヴィア・ニュートン=ジョンが、新作『フィジカル』のプロモーションでスウェーデンを訪れた。当時、彼女の作品はポーラ・レコードがスウェーデン国内におけるディストリビュート権を持っていたこともあり、フリーダは社長スティッグと共にイベントへ参加。過去にオリヴィアのテレビ特番で共演するなど交流があったことから、その晩フリーダはストックホルム市内の高級レストランでオリヴィアと一緒にディナーを楽しんだそうだ。

 さて、81年11月30日にリリースされた9枚目のアルバム『ザ・ヴィジターズ』。先述したようにアバ・ファンからは賛否両論だったものの、それまで彼らを過小評価してきたスノッブな音楽評論家からは驚きをもって歓迎された。特に、アメリカやイギリスのコアなロック系音楽誌がこぞって大絶賛しているのは興味深い。
 一方、チャート・アクションの方に目を移してみると、イギリスでのナンバー・ワンを筆頭に、西ドイツやスウェーデン、ノルウェー、スイスなど7カ国以上でアルバム・チャート1位を獲得。ひとまずは成功だったと言えるかもしれない。なお、イギリスでは予約だけで100万枚、さらに西ドイツでは予約60万枚、さらにアメリカでも予約50万枚を突破している。
 しかし、アバにとって重要なマーケットだったオーストラリアではトップ20にすら届かず、ニュージーランドでも19位止まりという寂しい結果に。トータルのセールスでは、やはり前作『スーパー・トゥルーパー』に遠く及ばなかった。
 また、シングルでも第一弾“One Of Us”が西ドイツやオランダで1位を獲得し、イギリスでも3位をマークする大ヒットとなったものの、第二弾の“Head Over Heels”は各国のヒット・チャートでトップ10に届かず。中でも、イギリスでは最高25位までしか上がらず、6年ぶりのトップ20圏外という結果に終った。
 ちなみに、アメリカでは“When All Is Said And Done”がファースト・シングルとして翌82年1月にリリースされ、ビルボードトップ100で最高27位という彼らにとってはまずまずのヒットに。アダルト・コンテンポラリー・チャートでは10位、ダンス・チャートでは8位にランクされ、彼らにとって最後の全米ヒットとなった。
 このように、セールス的には決して満足のいく結果を残せなかった本作。しかし、音楽作品としては紛れもない傑作であり、ビヨルンとベニーがポップスという枠を超えて到達した音楽的な極地点に位置するアルバムと言えよう。
 もはや彼らはただのヒット・メーカーではなく、ロジャーズ&ハマースタインやブレヒト&ワイルにも匹敵するようなマエストロへと成長したのである。ただ、それゆえに時代のトレンドとのズレが生じ始め、その結果として以前のようなチャート・アクションやセールスに恵まれなくなったのだと言えよう。

 ちなみに、本作はジャケット写真のイメージもこれまでとは大きく異なる。過去のジャケットではメンバー4人が必ず寄り添って収まっていたのだが、本作ではそれぞれの立ち位置がバラバラで、しかも誰一人としてお互いに目線を合わせていない。非常に寒々とした雰囲気が漂っているのだ。これを見て、当時アバの活動もこの先長くないと感じたファンも少なくなかったという。
 もちろん、アバ本人たちもデザイナーのルネ・ソンデルクヴィストも、特に“アバの終焉”を意識していたわけではない。“The Visitors”というアルバム・タイトルを聞いたソンデルクヴィストは、“訪問者=天使”というイメージを得たという。さらに、収録曲の中に“Like An Angel Passing Through My Room”というナンバーがあることを知り、天使をモチーフに絵画を描いた画家ジュリウス・クロンベルグをジャケットのモチーフにしようと決めた。そこで、彼は故クロンベルグのアトリエを借り切ってジャケット撮影を敢行。その場の雰囲気から、自然とあのような写真が仕上がった。
 ただ、ソンデルクヴィスト自身も当時を振り返って“あの頃のグループ内の関係は決して暖かいものではなかった”とした上で、“誰もが意識はしていなかったけど、ジャケットを見る限り彼らがそれぞれ全く別の世界で生きているように見える”と述べている。
 いずれにせよ、これがアバにとって最後のオリジナル・アルバムとなったわけだが、それはあくまでも結果としてそうなってしまったというだけのこと。実際、ビヨルンとベニーの二人は82年の年明け早々に次のアルバムの準備に取り掛かっており、新曲も少しづつ書き始めていた。その傍らで、二人は81年の暮れに作詞家ティム・ライスと会合の場を設け、いよいよ念願のミュージカル制作に着手し始める。
 一方、女性向け衣料ブランドの重役ディック・ハカンソンと別れたアグネッタは、自宅をストーキングされた際に相談に乗ってくれた刑事トールビョルン・ブランデルと交際を始めた。また、億万長者の青年実業家ベルティル・ヒエルトと付き合うようになったフリーダは、単独でテレビのバラエティ番組などにも出演するようになり、やがてソロ活動の再開を意識し始める。さらに、81年12月3日には、ベニーがモナと晴れて再婚した。
 かくして、たとえ本人たちが具体的に“解散”を考えていなかったにしても、もはや“終焉の時”が訪れるのは時間の問題だったと言えよう。

 なお、本作は世界で最初にCDとしてプレスされた作品としても知られる。先述したように、本作は当時まだ珍しかったデジタル・レコーディング技術によって制作されたアルバム。そこで、フィリップスはCDという新しいメディアを初めて商品化するに当たって、その第一弾として本作を選んだのだったという。

 

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<楽曲解説>

1,The Visitors ザ・ヴィジターズ ビデオ ビデオ2(ホット・トラックス・バージョン)
 このアルバムは今までのアバとは全く違う、ということを強く印象付けるオープニング・トラック。イントロは無機質で規則的なシンセサイザーとSFチックな特殊効果音で始まり、陰鬱で暗いフリーダのボーカルがシュールで不気味な世界観を繰り広げていきます。サウンドは明らかに80年代テクノなのですが、メロディはキャッチーとかポップとかいう言葉とは程遠いダークなもの。間奏のシンフォニックなアレンジも含めて、プロコフィエフやシベリウスの書いた交響曲なんかと相通ずるものがあるかもしれません。
 アバはそのキャリアを通じて、自分たちの作品に政治的なメッセージを込めることは殆んどありませんでしたが、これはその数少ない例外。ある日突然、前触れもなくやって来た“訪問者”によって否応なく連れ去られていく・・・というのが歌詞の内容ですが、これは当時のソビエト連邦における秘密警察の恐怖とパラノイアを描いたものです。
 作詞を担当したビヨルンは、自他共に認める生粋の左翼リベラル。ソビエトに近い北欧スウェーデンに生まれ育ったということもあり、共産圏における言論や人権の弾圧には常々危機感を抱いていたそうです。また、彼の親しい友人たちによれば、当時のスウェーデンにおける保守的で形式ばった風潮に対する皮肉も込められているのではないのかとのこと。
 いずれにせよ、歌詞の内容もサウンドも非常に重苦しい雰囲気を持ったナンバー。最初は面食らうかもしれませんが、聴くたびに様々な発見のある奥深い作品でもあります。僕も当時はいまいちピンと来なかった・・・というか、こんなのアバじゃない・・・!なんて思ったりしたもんですが、今ではかなりお気に入りです。
 なお、殆んどの国ではシングル・カットされなかったものの、アメリカでは“When All Is Said And Done”に続くセカンド・シングルとしてリリース。ビルボードのトップ100で68位をマークしています。また、その“When All Is Said And Done”とのダブルA面扱いで12インチ・シングルも発売され、ダンス・チャートで最高8位を記録。さらに、アメリカのリミックス・サービス会社ホット・トラックスが8分以上に及ぶリミックス・バージョンを制作し、当時はゲイ・ディスコを中心にヒットを飛ばしています。
 また、南米の一部の国でもシングル発売され、コスタリカでは1位を記録しています。

2,Head Over Heels ヘッド・オーヴァー・ヒールズ ビデオ
 軽快なタンゴのリズムにポップでキャッチーなメロディ、キュートなアグネッタのボーカルと、従来のアバ的な要素をふんだんに盛り込みながら、なぜかどことなくメランコリックでダウンビートなサウンドに仕上がった作品。個人的にはこの甘酸っぱい切なさが好きなのですが、その一方でシニカルなユーモアを交えた歌詞と比較すると、全体的にかなりアンバランスでちぐはぐな印象を受けるかもしれません。
 実は、デジタル・テープ・レコーダーの導入によって一番悩まされたのが、この作品のアレンジとミックスだったとのこと。本来ならばアコースティックでオーガニックな質感を必要とするナンバーゆえに、どうもデジタルの冷たいサウンドとは相性が悪い。様々な試行錯誤を繰り返した結果がこれだったわけですが、エンジニアのマイケル・B・トレトウにとっては悔いの残る仕上がりだったそうです。
 先述したように、多くの国ではセカンド・シングルとしてリリースされた作品。ベルギーでは2位、オランダでは4位、オーストリアでは8位、フランスでは10位とまずまずのヒットでしたが、それ以外の国では軒並みチャート・アクションは低調。アイルランドで14位、スイスで18位、西ドイツとフィンランドで19位、メキシコで45位という結果に。特にイギリスでの25位というのは大きな痛手でした。そのほか、ニュージーランドやスウェーデン、スペインなどではチャート・インすらしていません。

3,When All Is Said And Done ホエン・オール・イズ・セッド・アンド・ダン ビデオ
 ベニーとフリーダが離婚を発表した直後にレコーディングされた“別離ソング”。しかも、ボーカルを担当しているのはフリーダ。前作『スーパー・トゥルーパー』に収録された名曲“The Winner Takes It All”がビヨルンとアグネッタの離婚直後に書かれていたことを考えると、この2作はアバにとって最もパーソナルな楽曲だったと言えるかも知れません。
 “ The Winner〜”では作品と私生活との直接的な関連性を否定していたビヨルンですが、本作に関してはあまりにも詩の内容と実際の出来事がシンクロしていたために、現場ではフリーダがナーバスにならないよう細心の注意を払ったそうです。でも、逆にフリーダにとっては自分の中に溜め込んでいた様々な感情を吐き出す良い機会だったらしく、レコーディングを振り返って“心が浄化されるような経験”だったと語っています。
 実際、恋に破れた女性の敗北感や哀しみをセンチメンタルに歌った“The Winner〜”に対して、本作は非常に前向きで力強い内容。誰を責めるわけでもなく、別れた相手との想い出に感謝を捧げ、次のステップに向けて歩き出そうとする女性の決意を高らかに謳いあげた作品です。爽快感溢れる美しいメロディ、エネルギッシュで勇壮なリズム。このアルバムの中では最も“アバらしい”作品であり、聞くたびに爽やかな感動をおぼえる名曲だと思いますね。
 ただ、本作がシングルとして発売されたのはアメリカを含む一部の地域だけ。アメリカではビルボード・チャートで最高27位をマークし、アバにとって最後の全米トップ40ヒットとなりました。そのほか、コスタリカで1位、ポーランドで9位、メキシコで29位、オーストラリアで81位という結果になっています。
 なお、ミュージカル『マンマ・ミーア』でも使用されたほか、オペラ歌手のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターやヘイゼル・ディーンがカバー・バージョンを発表。つい先ごろロンドンのハイド・パークで行われたアバのトリビュート・コンサートでは、カイリー・ミノーグが新しいアレンジで素晴らしいカバーを披露しています。個人的には、フィンランドのDJチーム、DJ Ensamble Teamがリリースしたトリビュート・アルバム“Trancing Queen”に収録されたカバー・バージョンもお気に入り。

4,Soldiers ソルジャーズ ビデオ
 “The Visitors”と同じように、冷戦時代の不安と恐怖を歌ったポリティカルなナンバー。“兵隊は兵隊だけが歌う歌を書いて歌う/私たちの歌うことのない歌を”というリリカルで象徴的な歌詞が、軍国主義やファシズムの危険性をかなりストレートに訴えています。また、ワルツを引用した独特のリズムと、マーチング・ドラム風の音色が非常にシュールで陰鬱な世界を表現。このダーク・ファンタジー的な世界観が個人的には大好きです。前作『スーパー・トゥルーパー』に収録されていた“The Piper”の延長線上にある作品と言えるかもしれませんね。
 シングル・カットこそされていませんが、イギリスの大物ミュージカル女優バーバラ・ディクソンが84年にカバー・バージョンを発表し、自身のレパートリーとしてテレビやコンサートなどでたびたび歌っています。

5,I Let The Music Speak アイ・レット・ザ・ミュージック・スピーク ビデオ
 このアルバムの中で最もミュージカル的であり、最も野心的な作品とも言える素晴らしいバラード・ナンバー。文学的な薫り高い歌詞にクラシカルな美しいメロディ、そしてフリーダのゴージャスでエレガントなボーカル。まるでアンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカルから抜け出てきたような作品です。ここまで来ると、もう完全にポップスとは呼べないかもしれません。その辺が、従来はアバ・ファンの間でも賛否両論分かれるところでしたが、個人的にはビヨルンとベニーのコンポーザーとしての実力を十二分に発揮した紛れもない傑作だと思いますね。

6,One Of Us ワン・オブ・アス ビデオ
 エイス・オブ・ベイスやパンドラなど、90年代以降スウェーデン発のポップ・レゲエが世界中で大変な人気を呼びましたが、その原点と呼べるのがこの作品でしょう。イタリア風のノスタルジックなマンドリンの音色とアグネッタの澄んだ歌声で始まる美しいイントロ、そして穏やかなレゲエのリズムに乗せて奏でられるセンチメンタルなメロディ。ベニーによると、イントロ部分は“ポルトガル辺りの女性が井戸へ洗濯に行く姿をイメージした”とのこと。コーラス部分を盛り上げる切ないバック・トラックのメロディがまたたまりません。アルバムの中でも、最もキャッチーなナンバーと言えますね。
 ちなみに、本作はアルバムからのファースト・シングルとなったわけですが、当初ベニーと社長スティッグはその選択に懐疑的だったそうです。恐らく、あまりにも“らしすぎる”と考えたのでしょう。しかし、ビヨルンはあくまでも“One Of Us”をファースト・シングルにするべきだと主張。そこへ、主要各国のレコード会社からサンプル盤を聴いた上でのアンケート結果が寄せられ、最もシングルに適した楽曲として選ばれたのが本作だったわけです。
 ということで、アルバム・リリースから約2週間後にシングル発売された本作。全英チャートで3位をマークしたほか、ベルギーとオランダ、西ドイツ、アイルランド、コスタリカで1位、スウェーデンで2位、オーストリアとスイスで3位、南アフリカで4位、ノルウェーで6位、スペインで7位、フランスで8位という大ヒットを記録。その一方、フィンランドで17位、オーストラリアで48位、ニュージーランドで43位と、かつて絶大な人気を誇ったマーケットで惨敗するという結果に。また、アメリカでは何故かアルバム発売から1年以上も経った83年2月にシングル発売されて107位にランクされています。
 なお、アバ・ファンの間でも根強い人気を誇る本作。ミュージカル『マンマ・ミーア』で使用されたのは勿論のこと、数多くのカバー・バージョンが存在します。中でも一番有名なのは、地元スウェーデン出身のアイドル・グループ、A★ティーンズが99年に発表したカバー。他にも、95年にパンドラがリリースしたバージョンは日本でもヒットしましたし、イギリスのロック・バンド、ゴー・ウェストやフランスのリチャード・クレイダーマン、ドイツの大物女性歌手マリアンヌ・ローゼンベルグなどもカバーを発表しています。

7,Two For The Price Of One トゥー・フォー・ザ・プライス・オブ・ワン ビデオ
 これはかなりユニークな作品ですね。しがない独身の中年男が新聞の出会い募集欄を見て、“一人分のお値段で二人分楽しませますよ”という広告に応募したところ、相手が実の母娘だったというちょっと皮肉の効いたエッチなお話。随所にセリフが挿入されたり、マーチング・バンドの演奏で大団円を迎えるエンディングなど、まるでミュージカル・コメディの一幕を見ているかのような楽曲ですね。アルバム『ヴーレ・ヴー』の“Does Your Mother Know”以来久々にリード・ボーカルを取ったビヨルンですが、後に“女性陣のどちらかが歌ったほうが良かったかもしれない”と語っています。

8,Slipping Through My Fingers スリッピング・スルー ビデオ
 ミュージカル『マンマ・ミーア』でも、劇中で最もエモーショナルかつ感動的なシーンで使用されていた名曲中の名曲。いつの間にか大人への階段を上り始めた娘を見守る母親の、ふとした時に感じる寂しさや切なさを叙情的なタッチで歌ったナンバーです。歌詞やメロディの美しさもさることながら、ソフトでフェミニンなアグネッタのボーカルが何といっても最高に素晴らしいですね。
 とりあえず、アグネッタが歌っているということで“母親の歌”と思われがちですが、本当のところは作詞者であるビヨルンの娘リンダに対する気持ちを歌った“父親の歌”。母親として時間の許す限りリンダの傍にいたアグネッタに対して、ビヨルンは作曲活動やレコーディングに没頭する時間が多く、子育ては殆んどアグネッタに任せきりだったそうです。そんなある日、学校へ出かける娘を見送ったビヨルンは、途中でこちらの方を振り返りながら手を振るリンダの姿を見て、言いようのない寂しさを感じたとのこと。いつの間に彼女はこんなに大きくなったのだろうか?これまでに親として見過ごしてしまったことはなかっただろうか?このまま彼女は自分のもとを去ってしまうのではないだろうか?そんな押し寄せる感情を歌にしたのが、この作品だったわけです。
 当時はシングル・カットの対象にはなりませんでしたが、日本ではコカ・コーラのキャンペーン・ソングとして使用され、抽選景品用のピクチャー・ディスクも製作されました。また、アメリカのミュージカル女優ウェンディ・コーツがカバー・バージョンを発表しています。

9,Like An Angel Passing Through My Room ライク・アン・エンジェル〜夢うつろ ビデオ マドンナ・バージョン
 
まさに夢心地といった感じの幻想的でドラマチックで、なおかつどこか不思議な懐かしさを漂わせた楽曲。時を刻む時計の針の音で始まり、バック・トラックはベニーの演奏するシンセサイザーの静かな演奏のみ。暖炉の傍に座って、まるで部屋を通り抜けていく天使のように、暗闇の中に現れては消える様々な想い出と戯れる摩訶不思議なひと時を、フリーダが叙情性豊かに歌います。
 実は、これは本アルバムの中でも完成までに最も多くの時間を費やした作品。最初のレコーディングが行われたのは81年5月26日で、最終的なミキシング作業が行われたのは11月13日でした。その間に、3つの全く異なるバージョンが制作されています。最初に完成したのはフル・バンドの演奏によるポップなアレンジで、この時はアグネッタとフリーダの二人がボーカルを取っています。そして、2つ目は“Lay All Your Love On Me”スタイルのダンス・ナンバーとしてアレンジされたバージョン。ただ、どちらも満足のいく出来栄えではなく、最終的に余分なものを全て取り去り、徹底的にシンプルなアレンジに仕上げたのが、このアルバム収録バージョンだったわけです。
 なお、日本でも一時期人気のあったノルウェーの女性歌手シセルやオペラ歌手アンネ・ゾフィー・フォン・オッターがカバー・バージョンを発表。また、マドンナも99年にカバー・バージョンをレコーディングしていますが、今のところお蔵入りになったままです。

※CD用ボーナス・トラックなど

Should I Laugh Or Cry シュッド・アイ・ラフ・オア・クライ ビデオ
 シングル“One Of Us”のB面ソングとして使用されたナンバー。フリーダがリード・ボーカルを取っているということも含めて、全体的に“Like An Angel Passing Through My Room”をポップにしたような印象のある作品です。ドリーミーで幻想的なサビのコーラスが魅力的。ただ、ベニー自身によると“ヴァースとコーラスがお互いに上手く合っていない”ということで、アルバム収録を見送られてしまいました。

No Hay A Quien Culpar ホエン・オール・イズ・セッド・アンド・ダン(スペイン語バージョン)
Se Me Esta Escapando スリッピング・スルー(スペイン語バージョン)
 どちらもスペイン語圏向けにレコーディングされたスペイン語バージョンです。バック・トラックはオリジナルと同一のものを使用。スペイン及び南米で発売された『ザ・ヴィジターズ』では、こちらのバージョンが収録されています。

 

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