アバ オリジナル・アルバム・レビュー (11)

The Singles : The First Ten Years (1982)

 

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オリジナル盤ジャケット

CD盤ジャケット

 

オリジナル2枚組LP盤

スペイン語圏2枚組LP盤

2枚組CD盤

日本カセット版

side A
1,Ring Ring
2,Waterloo
3,So Long
4,I Do, I Do, I Do, I Do, I Do
5,SOS
6,Mamma Mia
7,Fernando
side B
1,Dancing Queen
2,Money, Money, Money
3,Knowing Me, Knowing You
4,The Name Of The Game
5,Take A Chance On Me
6,Summer Night City
side C
1,Chiquitita
2,Does Your Mother Know
3,Voulez-Vous
4,Gimme! Gimme! Gimme!
  (A Man After Midnight)
5,I Have A Dream
side D
1,The Winner Takes It All
2,Super Trouper
3,One Of Us
4,The Day Before You Came
5,Under Attack
side A
1,Ring Ring
2,Waterloo
3,So Long
4,I Do, I Do, I Do, I Do, I Do
5,SOS
6,Mamma Mia (Spanish Version)
7,Fernando (Spanish Version)
side B
1,Reina Danzante
2,Money, Money, Money
3,Conociendome, Conociendome
4,The Name Of The Game
5,Take A Chance On Me
6,Summer Night City
side C
1,Chiquitita (Spanish Version)
2,Does Your Mother Know
3,Voulez-Vous
4,Dame! Dame! Dame!
5,IEstoy Sonando
side D
1,The Winner Takes It All
2,Super Trouper
3,One Of Us
4,The Day Before You Came
5,Under Attack
CD 1
1,Ring Ring
2,Waterloo
3,So Long
4,I Do, I Do, I Do, I Do, I Do
5,SOS
6,Mamma Mia
7,Fernando
8,Dancing Queen
9,Money, Money, Money
10,Knowing Me, Knowing You
11,The Name Of The Game
12,Take A Chance On Me
13,Summer Night City
CD 2
1,Chiquitita
2,Does Your Mother Know
3,Voulez-Vous
4,Gimme! Gimme! Gimme!
  (A Man After Midnight)
5,I Have A Dream
6,The Winner Takes It All
7,Super Trouper
8,One Of Us
9,The Day Before You Came
10,Under Attack
side 1
1,Under Attack
2,When All Is Said And Done
3,Knowing Me, Knowing You
4,Chiquitita
5,Super Trouper
6,S.O.S.
7,Does Your Mother Know
8,On And On And On
9,That's Me
10,Cassandra
11,Voulez-Vous
12,Waterloo
side 2
1,Summer Night City
2,The Name Of The Game
3,The Winner Takes It All
4,One Of Us
5,You Owe Me One
6,Take A Chance On Me
7,Eagle
8,The Day Before You Came
9,Money, Money, Money
10,Gimme! Gimme! Gimme!
  (A Man After Midnight)
11,Dancing Queen
※The Name Of The Gameはアメリカ向けプロモ用エディットを使用。 ※The Name Of The Gameはアメリカ向けプロモ用エディットを使用。 ※The Name Of The Gameはアメリカ向けプロモ用エディットを使用。

 

 ティム・ライスとのコラボレーションで初のミュージカル制作に意欲を燃やすようになったビヨルンとベニー。フィル・コリンズのプロデュースで7年ぶりのソロ・アルバムを発表したフリーダ。そして、女優として映画デビューを飾ったアグネッタ。具体的に解散を意識していたわけではなかったものの、1982年のアバはグループとしての活動に距離を置くようになっていたことは明らかだった。
 それを一番実感していたのは、恐らくビヨルンとベニーの二人だったのかもしれない。4月頃からアバとして新曲の準備を始めた彼らだったが、作曲活動もレコーディング活動も思うように進まなかった。“後になってから気付いたんだけれど、スタジオへ入ることがどんどん辛くなっていったんだ”と後にビヨルンは語っているが、もはや彼らはアバの活動そのものに興味を失っていたのである。
 結局、このままでは年内に予定しているニュー・アルバムの完成に間に合わないと考えた二人は、リリース時期を翌83年に延期することを決定。その代わりとして、グループ結成10周年を記念する新曲入りの2枚組ベスト・アルバムが発売されることとなった。それが、この“he Singles : The First Ten Years”である。

 1月から2月にかけて、アメリカとスペインのテレビ番組の取材を受けたアバ。2月半ばからはフリーダのソロ・アルバムのレコーディングがポーラ・スタジオで始まった。実はその直前、ビヨルンとベニーの二人はフリーダにプレゼントするソロ用作品の書き下ろしを試みていたという。
 しかし、いざ書き始めるとなかなか上手くいかなかった。というのも、アルバムのプロデュースはフィル・コリンズが担当し、彼の揃えたミュージシャンが演奏することも決まっている。他人が料理するための素材を提供すること自体が彼らにとっては初めての試みであり、最後までその方向性が掴めなかったというのだ。そのため、幾つかアイディアは浮かんだものの、結局は書き下ろしの企画自体を諦めざるをえなかった。
 フリーダのレコーディングは3月いっぱいで終了。4月に入ると、彼女は南仏のカンヌで休暇を過ごした。それと入れ替わるようにして、ビヨルンとベニーはニュー・アルバムに向けた作曲活動を開始する。
 実はこの新作、当初はスタジオ・レコーディングのフル・アルバムにミニ・ライブ・アルバムを加えた2枚組にする予定だった。しかし、実現するための準備期間が足りないことから、2枚組アルバムの企画自体を断念。さらに、5月から6月にかけて“You Owe Me One”、“I Am The City”、“Just Like That”の3曲をレコーディングするものの、このペースではフル・アルバムの年内制作が間に合わないと考え、発売を1年延期する代わりとして新曲入りの2枚組ベスト・アルバムを発表することとなったのである。
 ところが、この時点でのベスト・アルバムの構成内容自体が、実際に発売されたものとは大きく異なっていた。6月半ばに発表されたポーラ・レコードのプレス・リリースによれば、上記3曲のうち“I Am The City”と“Just Like That”の2曲が新曲として収録される予定だとアナウンスされている。さらに、8月に行われる次のセッションで3〜4曲を追加し、過去にリリースしたシングルA面プラス新曲の合計26曲で内容が構成されるはずだったのだ。
 その後、7月に“Under Attack”と“Cassandra”、“The Day Before You Came”の3曲を書きあげたアバは、8月いっぱいでレコーディングを完成。しかし、ビヨルンとベニーの二人は“Under Attack”と“The Day Before You Came”の2曲しかベスト盤用の新曲としてピック・アップしなかった。
 まず、“I Am The City”と“Just Like That”の2曲についてだが、レコード会社の意図に反してビヨルンとベニーはその仕上がりに満足しておらず、翌年のフル・アルバムへの収録を目指して発表を保留することにしたのだ。恐らく、もう少し時間をかけてアレンジやレコーディングをやり直すつもりだったのだろう。
 一方、“Cassandra”の出来に関してはビヨルンもベニーも満足していたものの、楽曲自体がシングルA面向きではないと判断。そこで、“The Day Before You Came”のB面として使用することにした。
 さらに、“You Owe Me One”は楽曲そのものをお蔵入りにさせるつもりだったが、“Under Attack”のシングル・リリースまでにB面用の作品が用意できなかったことから、仕方なくこれをB面ソングとして使用することにしたのだ。
 そして、この“Cassandra”と“You Owe Me One”のどちらもA面ソングではないことから、当然のごとくベスト盤の選曲からは外された。最終的にベスト盤に収録されたのは、過去のシングルA面21曲に新作2曲を加えた合計23曲だったのである

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 さて、フリーダがソロ・アルバムのプロモーション活動を本格化させる一方、グンナー・ヘルストロム監督の映画“Raskenstam”で女優デビューすることが決定していたアグネッタ。トーマス・レディンとのデュエット“Never Again”のレコーディングと、83年に予定されている初の英語ソロ・アルバムの制作発表を終えた後、8月10日から映画の撮影に入った。
 かくして、4人が揃って仕事をする機会がめっきり減ってしまった当時のアバ。同時に、この頃からメンバーとレコード会社社長スティッグ・アンダーソンの不和も表面化していく。アバ・ブームの立役者として彼らを教え導いた偉大なるビジネスマン、スティッグ。しかし、80年代に入ってから徐々に体調を崩し、次第に勝手な行動や不可解な言動でアバのメンバーを戸惑わせるようになる。
 この年の7月にはビヨルンたちの了承もなしに、彼らが参加する大規模なイベントの開催を発表。すぐさまビヨルンがそれを否定する声明を出し、アバとスティッグの間の溝が表面化することとなった。さらに、スティッグが勝手にアバの収益を投資していた企業の株が暴落。メンバーも株主だったことから、多額の損害を被ってしまう。これが引き金となり、フリーダはポーラ・レコードの持ち株を全て売却してロンドンへの移住を決意。後にビヨルン、ベニー、アグネッタの3人がスティッグの背任行為を裁判所に訴えるという事態にまで発展してしまった。
 こうした状況の中で、レコーディングが行われた“The Day Before You Came”。4人はこれを最後にしばらくアバとしての活動を休止することを決めた。そして、9月の後半にプロモ・ビデオの撮影が行われ、10月18日の英国を皮切りに世界各国で“The Day Before You Came”のシングルが発売される。
 重苦しくも幻想的で美しいシンセ・ポップ・バラードに仕上がったこの曲。現在では後期アバの楽曲の中でも最も完成度の高い作品の一つとされているが、当時はこの陰鬱なまでのペシミズムと6分近い演奏時間の長さが仇となり、待望の新曲にもかかわらず期待されたようなセールスを上げることができなかった。また、メンバーによる事前のプロモーション活動が殆んど行われなかったこともマイナス要素の一つだったろう。地元スウェーデンや西ドイツ、ベルギー、オランダなどヨーロッパ各国ではトップ10上位へ食い込む健闘ぶりを見せたが、肝心のイギリスでは最高32位という信じられないような惨敗だった。
 11月に入ってようやくベスト盤“The Singles : The First Ten Years”のプロモーション活動が始まる。11月3日にロンドン入りしたアバは、5日に結成10周年を記念したパーティとベスト盤発売の記者発表を行う。翌6日にはイギリスのテレビ番組に相次いで出演。7日には西ドイツへ飛び、こちらでもテレビの音楽番組に幾つか出演した。
 そして、11月8日に“The Singles : The First Ten Years”が世界各国でほぼ同時に発売される。シングルの不調とは対照的に、こちらのベスト盤は大好評。イギリスのアルバム・チャートで初登場ナンバー・ワンを記録したのを筆頭に、各国で軒並みアルバム・セールスの上位をマークし、アバが依然として根強い人気を保っていることが証明された。アメリカでもローリング・ストーン誌やニューヨーク・タイムズなどがこぞって絶賛し、ビルボードのアルバム・チャートでも62位というまずまずの成績を残している。
 だが、アルバムが売れてシングルが売れないという現象は、改めてアバのファン層が高年齢化していることを如実に語っていた。つまり、若いリスナーにとってアバは過去のアーティストになりつつあったのだ。それは次のシングル“Under Attack”のチャート成績を見ても明らかだった。
 12月3日から翌年の2月にかけて各国で順次シングル発売された“Under Attack”。イギリスでの最高26位をはじめ、殆んどの国でトップ10にすら届かなかった。ベスト盤で既に聞くことが出来るという点を差し引いても、これはかなりの痛手だ。しかも、B面にはアルバム未収録の新曲まで入っているのに。ビヨルンは当時のことをこう振り返っている。“だから僕らはこう考えたのさ。今は(アバ以外の)何か別のことをすべき時なんだって”と。
 ちなみに、ここ日本では前年に独自企画の2枚組ベスト“Very Best Of ABBA”が発売されたばかりだったことから、カセット・テープのみの限定発売になっている。しかも、タイトルは“The First Ten Years”と省略され、選曲もだいぶ違った内容となっていた。

 その後、12月11日に衛星中継でイギリスのテレビ番組に出演したアバ。スタジオ・ライブで“Under Attack”と“I Have A Dream”を披露したのだが、結果的にこれがアバとしての最後の活動となってしまった。
 先述したように、フリーダはイギリスへと移住。アグネッタはマイク・チャップマンのプロデュースでソロ・アルバムの準備を始め、ビヨルンとベニーはミュージカル『チェス』の制作へ向けて動き出した。83年に発売が予定されていたアルバムは無期延期されることとなり、レコード会社もそれを承諾。誰もがアバには休息が必要だと考えていたのだ。
 その後、84年に一度だけビヨルンとベニー、フリーダの3人がドイツのテレビに揃ってゲスト出演したものの、メンバーはそれぞれに全く別の道を歩むこととなった。そして、ビヨルンとベニーの二人は、86年5月にようやくミュージカル『チェス』のロンドン公演にこぎ着ける。
 実は、当初彼らは『チェス』が完成した暁には、アバとしての活動に戻ろうと決めていたらしい。しかし、まさか4年近くが経ってしまうとは本人たちも考えていなかった。今さらアバの活動を再開することに意味があるのか?
 『チェス』の制作に全エネルギーを注いできたビヨルンとベニーには、もはやそんな意欲は残されていなかった。また、翌年に初のスウェディッシュ・フォーク・アルバムを発表していることからも理解できるように、ベニーは自分の原点であるフォークの世界に関心が移っていたようだ。
 さらに、フリーダとアグネッタの二人も、同様にアバとしての活動を望んでいなかった。85年のインタビューで、アバの活動再開について訊かれたアグネッタはこう答えている。“あり得ないわ。(中略)私にはもうアバへの情熱はないの。私は今のままの私で満足よ”と。
 当時、久々にフリーダ、アグネッタと会ったというビヨルンとベニー。86年1月に彼らはスティッグ・アンダーソンのキャリアを振り返るテレビ特番に揃って出演しているので、恐らくその時のことなのだろう。四人はアバの活動再開について話し合い、結局それを見送ることに決めた。これが、事実上アバが解散した瞬間と言っていいのかもしれない。
 ただ、彼ら自身は決して“解散”という言葉を具体的に口に出したわけではなかったようだ。なので、正確に言うならば、アバは未だに休眠中のグループなのである。果たして、彼らがその眠りから醒める日がやって来るのだろうか?
 これまでに、アバ復活の可能性を再三に渡って否定し続けてきているビヨルンだが、その一方で“誰にも先のことは分からないさ”という意味深な発言も度々している。もちろん、ファンに対するリップ・サービスなのだろうが、その言葉に微かな期待を寄せるファンも少なくないだろう。

 

<楽曲解説>

The Day Before You Came ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム ビデオ
 “The Singles : The First Ten Years”からの最新シングル第一弾としてリリースされたナンバー。ある大人のキャリア女性が、恋人と運命的な出会いをする以前の平凡で退屈な生活をモノローグ形式で回想するという、極めてドラマチックな異色のバラードです。
 そのメランコリックで切ないメロディ、幻想的で奥行きのある暗いサウンドがとても印象的。まるで、ロドリーゴの名曲『アランフエス協奏曲』を彷彿とさせるような作品だと思いますね。
 もともとのオリジナル・タイトルは“Den Lidande Fågeln(傷ついた鳥)”というもの。その後“Wind”へと変更され、最終的に“The Day Before You Came”に落ち着きました。レコーディングが行われたのは8月20日。バックトラックはベニーの演奏するシンセサイザーとドラム・マシンで統一され、そこへスネアドラムとビヨルンのアコギがオーバー・ダブで部分的に被さるという非常にシンプルな構成。そのため、彼らにしては珍しく、セッションは一日で完了したようです。
 リード・ボーカルを担当したのはアグネッタ。楽曲に演劇的な印象を持たせるため、ビヨルンとベニーはあえて“ごく平凡な女性が普通に歌うような”雰囲気で歌うよう彼女に指示したとのこと。
 なので、本作でのアグネッタの歌声はいつもとちょっと違う感じです。何の変化もない毎日を送る女性の疲労感、孤独感を現すように、その声はどこか物憂げな様子。まるで呟くように歌っているのがとても印象的です。ちなみに、インスト部分で聴かれるオペラ風のオブリガートはフリーダが担当。ちょっと聴いただけでは彼女と気付かないような、見事なメゾソプラノを披露しています。
 10月18日に正式リリースとなった本作。この後に“Under Attack”が控えているわけですが、先述したようにアバにとって最後のレコーディング作品となりました。その反響はまさに賛否両論。フィンランドでの最高2位を筆頭に、スウェーデンとベルギー、オランダでは3位、スイスでは4位、西ドイツとノルウェーでは5位といった具合に、好調なチャート・アクションを見せる国がある一方、肝心のイギリスでは最高32位という低調ぶり。そのほか、オーストラリアで48位、フランスで38位、メキシコで19位、ジンバブエで14位という残念な結果に。常にチャート上位に食い込んでいたオーストリアで16位、アイルランドで12位という結果も痛かったと思いますね。ここ日本でも当時は発売そのものが殆んど無視されてしまいましたし、アメリカでもチャート・インすらしませんでした。
 もちろん、チャート・アクションと作品の完成度が比例するものではありません。それどころか、本作は当時なぜ売れなかったのか?と首を傾げたくなってしまうほど、非常にクオリティの高い作品。ただ、デュラン・デュランやカルチャー・クラブが台頭し、キャッチーなシンセポップやニュー・ロマンティック・サウンドがもてはやされた当時の音楽界にあって、サビのコーラスさえ存在しない、演奏時間が6分近くもある演劇的で陰鬱なダウンビート・ナンバーである本作が受け入れられにくかったというのも理解できない話ではありません。つまり、時代のニーズに適っていなかったわけです。
 このことについては、ビヨルンも“僕たち自身がポップ・ミュージックのメイン・ストリームから外れてしまったのだと思う”という風に語っています。また、別のインタビューでは“再び僕たちはよりアダルトな、よりミステリアスで、よりエキサイティングな方向性に挑んだ。でも、この時は聴衆よりも一歩先に行過ぎてしまったんだ”とも述べています。つまり、商業音楽と芸術作品の境界線を越えてしまったのかもしれません。
 一方、ベニーは作品の仕上がりそのものに悔いが残っているらしく、“恐らくアグネッタにもっと歌手らしく歌わせていれば、より良い出来になったのではないかと思う。歌の主人公である女性を演じさせるのではなくてね。また、もっとリアルなアレンジをすべきだったのだろうとも思うよ。誰かがもう一度レコーディングして、最初から最後までやり直して欲しいと願っている。とても気に入っている曲だからね”と後に語っています。
 このように彼ら自身は若干批判的な見方を持っているようですが、その一方で筆者を含めた多くのファンが高く評価している作品であることも事実。これまでに数多くのアーティストがカバー作品をリリースしています。恐らく一番有名なのは、84年にイギリスの男性シンセ・ポップ・デュオ、ブランクマンジュが発表したバージョン。UKチャートで22位までのぼり、アバのオリジナルよりもヒットしました。そのほか、イギリスの有名な女性歌手タニタ・ティカラム、スウェーデンのオペラ歌手アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、イギリスのロック・バンド、ザ・リアル・チューズデイ・ウェルドなどがカバー・バージョンを出しています。
 ちなみに、アバがレコーディングでドラム・マシーンを使用したのはこれ1曲だけ。また、5分46秒という演奏時間も、彼らのシングル曲としては最長記録です。

Under Attack アンダー・アタック ビデオ
 アバにとって最後のオフィシャル・シングルとなったのがこの作品。先述したように“The Day Before You Came”よりも先にレコーディングされていたナンバーですが、ビヨルンとベニーの二人はその完成度に少なからず疑問を持っていたようです。“レコーディング自体は素晴らしい出来だったが、楽曲自体があまり良くなかった”とベニーは振り返っています。ただ、これはあくまでもベニーの主観であって、この曲が大好きだというアバ・ファンも少なくありません。
 いずれにせよ確実に言えることは、この作品が“The Day Before You Came”とは違った意味で、当時の音楽界のトレンドとズレてしまっていたということでしょう。まず、楽曲のメロディ・ラインそのものは、まさにアバといった感じのキャッチーな出来栄え。特にサビのメロディの爽快感は実に見事なもので、70年代のアバ全盛期を彷彿とさせるものがあります。
 ただ、それは裏を返せば時代遅れな楽曲であることを意味するものでもあり、ベニーの言うところの“楽曲自体があまり良くない”というコメントにも繋がっていくものかと思われます。
 その一方で、アレンジとサウンドそのものは非常に80年代的でエレクトロニックな出来栄え。当時はまだ珍しかったヴォコーダーなども駆使し、今聴いても十分に斬新で新鮮なエレクトロ・サウンドを堪能することが出来ます。
 ビヨルンは“これが1年前に発売されていたら確実にナンバー・ワンになっていたと思う”と語っていますが、確かにアバというブランド・ネームにまだまだ勢いのあった時期であれば、十分にナンバー・ワン・ヒットを狙えた作品でしょう。不幸なことに、出てくるのが若干遅すぎたんですね。
 本作のレコーディングが始まったのは8月2日。その2日後に完成し、さらに8月26日にミキシングが行われています。その際に2バージョンが制作され、そのうちの一つがボツになりました。また、ベスト盤が発売されてから約1週間後の11月13日にも、サード・ミックスの制作が行われています。シングル発売用のスペシャル・ミックスとなるはずでしたが、結局はこれもボツに。ただし、テレビ・ライブ用のバックトラックとして、このバージョンが何度か使用されたようです。
 12月3日のイギリス発売を皮切りに、ヨーロッパ各国で発売された本作。なぜか北欧では翌83年の2月21日に発売されています。各国でのチャート・アクションは前作“The Day Before You Came”をさらに大きく下回り、トップ10圏内に入ったのはベルギーの3位とオランダの5位だけ。イギリスでは26位と若干順位を上げたものの不発であったことには変わりないし、西ドイツの22位、フィンランドの16位、アイルランドの11位、スイスの15位などなど、アバの強力なサポーターである国々でことごとくトップ10入りを逃したのは残念でした。アメリカではシングル発売すらされませんでしたし。
 その後、ミュージカル『マンマ・ミーア』の第2幕冒頭に使用され、ようやく正当に評価されるようになりましたが、なぜか映画版ではカットされてしまうことに。つくづく不運な作品と言えるかもしれませんね。

<関連作品>

Cassandra カサンドラ ビデオ
 “The Day Before You Came”のB面ソングとして発表された作品。ギリシャ神話に出てくる預言者カサンドラをモチーフにしていますが、楽曲そのものはラテン・フォークにも相通ずる南欧特有の牧歌的なムードが生かされています。どうやら、『スーパー・トゥルーパー』のセッションで当時お蔵入りになったナンバー“Put On Your White Sombrero”の要素を多分に流用して作られた作品のようですね。雰囲気がとても似ています。
 先述したように、ベニーとビヨルンはその出来栄えに大変満足していたものの、シングルのA面向きではないと考えたようです。確かに、過去のアバ作品とあまり変わり映えがしないという印象はありますが、同時にB面ソングとしては勿体ないような作品にも思えますね。
 もともとは“El Paso”といういかにもラテンなタイトルで書かれたこの作品。“Under Attack”とほぼ同時期にレコーディングが行われています。リード・ボーカルはフリーダ。2種類のバージョンが制作されており、2番目のミックスにオーバーダブが施されて完成しています。

You Owe Me One ユー・オウ・ミー・ワン ビデオ
 先述したように本来はお蔵入りするはずだったものの、最終段階で“Under Attack”のB面ソングとして採用された作品。“(レコーディングが)終った時点で、どうでもいい曲だと思ったことを憶えているよ”とベニーが語っているように、どうやらビヨルンとベニーは本作を完全な失敗作と見なしているようです。
 ただ、ファンにとっては非常に興味深い作品。アバのナンバーであれだけドラムの重量感が強調された作品は他にありませんし、オリエンタルなシンセ・ポップ・サウンドというのもアバにとってはかなり異色。メロディも十分にキャッチーだし、これはこれでとても良く出来たポップ・ナンバーだと思います。

I Am The City アイ・アム・ザ・シティ ビデオ
 83年に発売予定だったアルバム収録用に用意されていたものの、アルバムそのものが無期延期となったためお蔵入りとなってしまったナンバー。93年のベスト盤“More ABBA Gold”で初お披露目されました。未発表曲をリリースすることに対して消極的なビヨルンとベニーですが、本作の場合は事情がちょっと違うこともあってオッケーしたのでしょう。ただ、個人的にはそれほど魅力を感じる作品ではありません。

Just Like That ジャスト・ライク・ザット ビデオ ビデオ ビデオ
 アバに“Lost Treaure(失われた宝)”があるとすれば、それは間違いなくこの作品でしょう。5月から6月にかけて少なくとも3つのバージョンが制作されたものの、いずれもビヨルンとベニーの満足するものではなく、次のアルバムのために使用するつもりで保留された作品。しかし、そのアルバムがキャンセルされてしまったことから、“I Am The City”と同じようにお蔵入りとなってしまいました。
 ところが、その後これらのデモ・バージョンが海賊盤として出回るようになり、またたく間にアバ・ファンの間で幻の名曲として伝説化してしまったわけです。なにしろ、メロディそのものが素晴らしい。確かに、どのアレンジも若干不満が残りますが、通称“ラ・ラ・バージョン(もしくはナ・ナ・ナ・バージョン)”と呼ばれるアグネッタのスキャットをフィーチャーしたミックスは、あの名曲“Angeleyes”にも通じる高揚感を併せ持った至福のナンバーに仕上がっています。また、ほぼ完成版に近いと呼ばれるフル・バージョンでは、数ヵ月後に完成する“Under Attack”のメロディがギターで奏でられています。お蔵入りにした作品でも、気に入ったパートは別の作品で使うという、ビヨルンとベニーならではの法則が垣間見れますね。
 いずれにせよ、これがきちんとしたアレンジを施され、正式にリリースされていたなら、間違いなく“80年代のダインシング・クィーン”とも言うべき大ヒットとなっていたはず。事実、アグネッタ自身も後にこう述べています。“もう長いこと聴いていないけど、今でも素晴らしい楽曲であり、素晴らしいレコーディングだったことを憶えているわ。私の一番のお気に入りの一つだし、いつの日かリリースして欲しいと思うわ”と。
 また、93年に゛More ABBA Gold”が発売される際にも、ポリドール・レコードは゛I Am The City”ではなく、この゛Just Like That”の収録を望んでいたとのこと。ただ、なぜかいまだにこの曲だけは、ビヨルンとベニーがオーケーを出さないんですね。僅かにその一部が、ボックス・セット“Thank You For The Music”の中に収録されただけ。本当に勿体ない話だと思います。
 なお、未発表曲にも関わらずカバー・バージョンが存在する、というのも本作の凄いところ。98年にはドイツのダンス・ポップ・グループ、ジャカランダがカバー・シングルをリリース。アバのトリビュート・バンドとして有名なビヨルン・アゲインもカバーをレコーディングしています。
 また、ビヨルンとベニーがプロデュースを手掛けた兄妹デュオ、ジェミニも同曲をリリース。ただし、これは正確に言うとカバー・バージョンではありません。というのも、サビ以外はメロディもリズムもアレンジも全く異なっており、同じ作品とは決して言えないからです。
 サビ自体もアバのバージョンがメジャー・コードであったのに対し、ジェミニのバージョンはマイナー・コード。個人的にはアバのバージョン、それも“ラ・ラ・バージョンが一番のお気に入り。いつの日か、ビヨルンとベニーの監修のもと正式リリースされたらと願ってやみません。

 

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