アバ オリジナル・アルバム・レビュー (9)

スーパー・トゥルーパー
SUPER TROUPER (1980)

 

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オリジナル盤ジャケット

CD盤ジャケット

2001年CD盤ジャケット

オリジナルLP盤

CD盤

リマスター盤(1997&2001)

リマスター盤(2005)

side A
1,Super Trouper
2,The Winner Takes It All
3,On And On And On
4,Andante, Andante
5,Me And I
side B
1,Happy New Year
2,Our Last Summer
3,The Piper
4,Lay All Your Love On Me
5,The Way Old Friends Do
1,Super Trouper
2,The Winner Takes It All
3,On And On And On
4,Andante, Andante
5,Me And I
6,Happy New Year
7,Our Last Summer
8,The Piper
9,Lay All Your Love On Me
10,The Way Old Friends Do
1,Super Trouper
2,The Winner Takes It All
3,On And On And On
4,Andante, Andante
5,Me And I
6,Happy New Year
7,Our Last Summer
8,The Piper
9,Lay All Your Love On Me
10,The Way Old Friends Do
bonus tracks
11,Gimme! Gimme! Gimme!
  (A Man After Midnight)
12,Elaine
13,Put On Your White Sombrero
1,Super Trouper
2,The Winner Takes It All
3,On And On And On
4,Andante, Andante
5,Me And I
6,Happy New Year
7,Our Last Summer
8,The Piper
9,Lay All Your Love On Me
10,The Way Old Friends Do
bonus tracks

11,Elaine
12,Andante, Andante (Spanish Version)
13,Felicidad (Spanish Version of Happy New Year)
※もともと#9と#10の間にライブ・オーディエンスの拍手が挿入されていたが、97年と01年のリマスター盤では除去されている。
※2001年盤では#11が未収録

 

 空前のディスコ・ブームと共に終わりを告げた70年代。パンクやスカが新たな音楽ムーブメントとして脚光を浴びるようになり、音楽業界のトレンドは大きく様変わりしつつあった。一方、初の本格的なワールド・ツアーを大成功させたアバだったが、その一方でビヨルンとアグネッタの離婚は世界中のファンに大きなショックを与え、グループの解散危機説すら囁かれるようになった。
 しかし、“2組のカップルによるハッピーなポップ・グループ”というのは、あくまでも当時のメディアが勝手に作りあげたイメージ。本人たちの意図するところでは全くなかった。そればかりか、そうしたイメージを押し付けられること自体に大変な窮屈さを感じていたという。
 彼らは“2組のカップル”ではなく、自分たちの音楽を作り出す上でお互いを必要とする“4人の仲間”であり、“4人の同志”であったと言えよう。ゆえに、“離婚”とは単なる人生の通過点の1つにしか過ぎなかった。“4人で音楽を楽しめるうちは一緒に活動を続けよう”と約束しあっていた彼らにとって、周囲の人間関係にまで悪影響を及ぼすようになっていたビヨルンとアグネッタの不和・軋轢が離婚によって解消され、純粋にミュージシャンと歌手というプロフェッショナルな関係に落ち着いたことは、かえって音楽活動を続ける上でプラスの作用を及ぼすことになったのだ。

 このように、音楽界にとってもアバにとっても大きな節目となる時期に発表されたのが、この『スーパー・トゥルーパー』というアルバムだ。アバはよく“ポップ・ミュージックの完成者”と呼ばれる。その過程において大きなターニング・ポイントとなった作品が『アライバル』だとすれば、さしずめ『スーパー・トゥルーパー』は頂点を極めるに至った作品と言えよう。ポップ・ミュージックの可能性を追求し続けてきた彼らが、ついにたどり着いた究極の到達点。大衆音楽であるポップスを芸術の域にまで高めた傑作。それが『スーパー・トゥルーパー』だった。

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 『スーパー・トゥルーパー』のレコーディングが始まったのは1980年2月4日のこと。“Andante, Andante”、“Elaine”、“The Piper”など合計で5曲のバック・トラックが製作された。いずれも、ビヨルンとベニーが1月にカリブ海の島国バルバドスで休暇を過ごした際に書き上げた作品だ。
 その後、日本でのライブ・ツアーを控えていたアバは、3月に入ってすぐリハーサルに専念。9日に成田空港へと到着し、東京の武道館を皮切りに郡山、福岡、大阪、名古屋を巡るジャパン・ツアーを行った。日本の観客が大人しすぎることに驚いた彼らだったが、通算11日間に及ぶライブ・ツアーは合計で10万人以上もの観客を動員し、大盛況のうちに幕を閉じた。
 実は、このジャパン・ツアーの後には南米ツアーのオファーもあったらしいのだが、彼らはこれを断っている。前年の北米ツアーで極度のホーム・シックや移動中における乱気流の恐怖を経験していたアグネッタは、スタジオ・レコーディング以外の活動には消極的になっていた。また、もともとライブ・パフォーマンスが性に合わないと感じていたビヨルンも、作曲とレコーディングに専念したいと考えていた。
 そもそも、アバの楽曲はライブ・パフォーマンス向きではないと言えよう。もちろん、それは最初から彼ら自身が意図したものだった。“スタジオでの僕らは即興性を残さないよう心がけていた。(即興というのは)ポップ・ミュージックには向いていないんだよ”とビヨルンが語る一方、ベニーは“スタジオでの仕事は特別さ。(・・・)スタジオでは全てをコントロール出来るし、時間の許す限りいくらでも好きなことが出来る。それが僕にとっては無上の歓びなんだ”という。
 つまり、アバの作品は即興演奏を許さないほど細部まで緻密に計算されて作られているため、ライブ・ステージではスタジオ演奏をなるべく忠実に再現することしか出来ない。しかも、それがまた至難の技なのだ。
 『アメリカン・アイドル』のシーズン8において、セミ・ファイナリストの一人として残った女性アリアンナ・アフサーが“The Winner Takes It All”を歌った際、ボーカルにソウルフルなアドリブを加えたことが原因で落選してしまった。
 審査員の一人であるポーラ・アブダルは“この曲は書かれたメロディの通り忠実に歌わなくてはいけない”と指摘し、同じく審査員のカーラ・ディオガルディは“あなたにはまだ難しすぎる歌を選んでしまった”と述べていたが、いずれもアバ作品の本質を上手く言い当てたコメントだと思う。つまり、演奏する上での制約があまりにも多いのだ。特に個性や感情を表現しなければならない歌い手にとっては、アバの作品ほどハードルの高い楽曲はないのかもしれない。
 いずれにせよ、そうした
理由からアバはライブに対する興味を失ってしまった。要は、毎回スタジオ演奏の再現ばかりを繰り返すことに飽きてしまったのである。常日頃から自分たちの本領はスタジオ・レコーディングにあると語っていた彼らにとって、もはやステージでの生演奏は苦痛以外の何ものでもなくなってしまったのだろう。
 メンバーの中で唯一、ベニーだけは生演奏の即興性を楽しむ余裕があったようだが、それはあくまでもフォーク・ミュージックにおいての話。アバの目指す究極のポップ・ミュージックというのは、レコーディング・スタジオにおいてしか作り出すことが出来ないのである。

 とまあ、話が大きく横道に逸れてしまったが(笑)、この最後のライブ・ツアーを終えて3月末にストックホルムへと戻ったアバは、翌4月9日より『スーパー・トゥルーパー』の制作を再開した。5月の中旬には新たな楽曲を書くためストックホルム沖の島にある別荘へとこもり、この時に名曲“The Winner Takes It All”が誕生。6月2日には再びスタジオ入りし、9月の末頃にはアルバムがほぼ完成していたようだ。
 その間に、ロンドンで行われたピンク・フロイドのコンサート“ザ・ウォール”を訪れたり、先行シングルである“The Winner Takes It All”のプロモ・ビデオを撮影したりと、細々としたスケジュールが入っていたものの、それ以外はほぼ連日ポーラ・スタジオでのレコーディングにかかりっきりだったアバ。それまでのアルバムと比べても、彼らがこれほどレコーディングに膨大な時間を費やしたことはなかったと言っても過言ではあるまい。
 ところが、セレクトされた10曲を並べて聴いたビヨルンとベニーは何かが足りないと感じ、再び新たな楽曲の制作に取りかかる。その結果生まれたのが、タイトル・ソングの“Super Trouper”だった。さらに、各ナンバーにリミックスやオーバーダブが加えられ
、選曲も変更された。最終的にアルバムが完成したのは、10月20日頃のことだったようだ。
 ちなみに、本作のジャケットはもともとロンドンのピカデリー広場の前でサーカス芸人を集めて撮影される予定だったが、当局からの許可が下りなかったため、仕方なくストックホルム市内の撮影スタジオで地元のサーカス団を集めて撮影された。

 かくして、1980年11月3日に発表されたアルバム『スーパー・トゥルーパー』。先行シングルとして発売された“The Winner Takes It All”を聴いただけでも、彼らの音楽が著しい変化と成長を遂げたことが十二分に理解できることだろう。この、まるで往年のシャンソンを思わせるような、壮大なまでにドラマチックで限りなく美しくもの哀しいバラードは、もはやアバが単なる若者向けのポップ・グループではなくなったことを強く印象付けた。
 アルバムをトータルで聴いても、それまでの明るくてハッピーなイメージは影を潜め、ダークでメランコリックなトーンが全体を覆い包んでいることがよく分かるだろう。アバらしい煌びやかさやキャッチーなメロディは残しつつも、そのサウンドは厚みを増し、歌詞は深みを増し、その世界観はよりシリアスで重みのあるものとなった。
 “『スーパー・トゥルーパー』は僕が最も気に入っているアルバムだ。もし(アバのアルバムで)ベストを選ぶとするならば、間違いなく『スーパー・トゥルーパー』だろう”とベニー自身も語っているが、本作は彼らにとってキャリアの集大成的な位置づけにある傑作と言えよう。
 シングル“The Winner Takes It All”は世界5カ国でナンバー・ワンをマークし、14カ国でトップ10にランク・インするという大ヒットを記録。その勢いに乗ってアルバムも売れに売れまくった。アメリカでもビルボードのアルバム・チャートで最高17位をマーク。これはアバにとって『ジ・アルバム』に次ぐ最高記録だ。
 さらに、“The Winner〜”が約2年ぶりのナンバー・ワン・ヒットとなったイギリスでは、アルバム発売前の予約だけで100万枚を突破するという当時としては異例の大ヒットに。発売されるやいなや9週に渡ってナンバー・ワンを独占し、年間チャートでも見事に1位を獲得した。ちなみに、2位がポリスの『ゼニヤッタ・モンダッタ』、7位にはマイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』がランキングされている。
 なお、プライベートでクィンシー・ジョーンズと親しかったビヨルンとベニー。当時ランチを一緒にした際、クインシーはマイケルが必ずや80年代を代表するポップ・スターになると熱心に語っていたそうだ。

 

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<楽曲解説>

1,Super Trouper スーパー・トゥルーパー ビデオ
 “スーパー・トゥルーパー”とはコンサート会場などで使用される巨大なスポットライトのこと。いわゆる業界での呼び名らしいですね。先述したように、本アルバムの中でも一番最後に作られた楽曲だったわけですが、実は“スーパー・トゥルーパー”という名称をアルバム・タイトルとして使用することは当初から決まっていたことなんです。
 ワールド・ツアーを終えたばかりのアバに相応しい名称として選ばれたタイトル“スーパー・トゥルーパー”。当初はあくまでもアルバムの呼称であり、同名の楽曲は存在していなかったんですね。しかし、アルバムの最終チェックを行っていたビヨルンとベニーは、シングルとして相応しい楽曲がもっと必要だと判断。アルバムのジャケット撮影を目前に控えたこの段階で、彼らは丸2日間スタジオにこもって新作を書き上げたとのこと。それが本作だったわけです。
 当初のタイトルは“Blinka lilla stjarna(キラキラ光る小さな星)”というもの。ところが、サビのメロディを繰り返し聴いてたビヨルンとベニーは、アルバム・タイトルの“スーパー・トゥルーパー”というフレーズが偶然にもピッタリとハマることに気付いたんですね。
 しかし、いざビヨルンが作詞に取り掛かろうとしたところ、“巨大なスポットライト”というタイトルに見合うような歌詞というのがなかなか思い浮かばない。考えあぐねた末に突如として湧いたのが、当時出会ったばかりだった現在の妻レナのことだったそうです。ジャパン・ツアーで日本各地を回っている間、離れ離れになったレナのことばかりを考えていたビヨルン。客席の中にレナがいてくれたら何と嬉しいことだろう。そんな記憶が甦ったビヨルンは、その素直な気持ちを歌詞に投影することにしたわけです。
 従来のアバらしいキャッチーなメロディとアップビートなリズム。しかし、そこはかとない哀しさを湛えた独特のセンチメンタリズムが、これまでのアバ作品とは一味も二味も違う余韻を残す作品です。そこへきて、低音で陰りのあるフリーダのリード・ボーカルが、見事なくらいに楽曲とマッチしているんですね〜。まるでコンピューターでプログラミングされたかのような、一糸乱れぬ複雑で分厚いハーモニーも圧巻です。
 アルバムからのセカンド・シングルとしてリリースされた本作は、“The Winner〜”に続いて全英チャート1位を獲得。さらに、ベルギー、ドイツ、オランダ、アイルランドでもナンバー・ワンとなり、ノルウェーで2位、オーストリア、スイス、メキシコで3位、フランスで4位、フィンランドで5位、スペインで8位をマーク。その他、本国スウェーデンで11位、ジンバブエで18位、そしてアメリカでも45位の中ヒットとなりました。

2,The Winner Takes It All ザ・ウィナー ビデオ
 “ザ・ウィナー”なんて簡略化してしまうと、まるで勝者を讃える勇壮な作品を連想してしまいますが、もちろんさにあらず。“勝者は全てを手に入れ、敗者は小さくなって消えていくだけ”という恋愛の悲しい残酷を歌ったラブ・バラードです。一度聴いたら耳から離れないほど美しいメロディ、一人の女性の哀しい愛の物語を描いたドラマチックな歌詞、そしてその物語をまるで映画音楽のように彩っていく繊細なアレンジ。これほどまで非の打ちどころのない作品はありません。
 何よりも凄いのは、この曲がたった二つのメロディ・ラインを全編に渡って繰り返しているだけだということ。そこへ言葉の響きやアレンジのニュアンスによって様々な変化を加え、作品の骨格である“単純な反復”を完全に覆い隠してしまっているわけです。“ポップ・ミュージックはシンプルであればあるほどいい”と語っていたビヨルンとベニーですが、これはその究極の理想形とも言うべき作品なのかもしれません。
 そして、主人公である女性の一人称で語られる物語と、それをドラマチックに演出していくアレンジの妙技の素晴らしさ。失恋に傷ついた女性の“もう何も話すことなどない”という独白から静かに始まるプロローグは、ピアノとギターだけのシンプルな演奏。それが、ファースト・コーラスの終ると同時にフル・バンドによる演奏へと切り替わり、“あなたの腕の中で、ここが私の居場所だと思っていた”という幸せだった頃の思い出が鮮やかに甦っていくわけです。
 ここからは第一節、第二節、第三節、第四節と続き、実はサビのコーラスというものが存在しないんですね。もちろん、二つのメロディを反復しているだけだから当たり前なんですけど、アレンジのテクニックによって第二節と第四節を、さもサビであるかのように聴かせてしまいます。
 そして、第四節が終ると同時に静寂が戻ってエピローグへ。現実に引き戻されたヒロインの独白が語られ、彼女の感情が爆発するフィナーレへと突入。“勝者は全てを手に入れるのよ”という魂の叫びが響き渡り、バック・トラックの演奏もエモーショナルに盛り上がり、やがてフェイド・アウトしていくわけです。
 この、まさにワン・ウーマン・ショー的な楽曲を見事に歌いきったアグネッタ。いや、演じきったと言ってもいいかもしれません。それほどまでに、彼女のボーカルは情熱的で、表現力豊かで、圧倒的。レコーディングが終ったときには、彼女自身のみならず、スタジオに居合わせた誰もが感動の涙を流したそうですが、出来上がった作品を聴けば間違いなく納得できるはずです。
 ただ、そこへ至るまでには様々な試行錯誤を重ねたとのこと。もともと“The Story Of My Life”というタイトルだったこの作品は、最初のレコーディング段階では全く違うアレンジだったようです。しかし、帰宅途中の車の中で繰り返しテープを聴いていたビヨルンとベニーは、何かが大きく間違っていることに気付いて一からやり直すことに。ピアノに向ってメロディを繰り返し奏でていたベニーの頭に突如として湧いたのが、“シャンソン・スタイル”のアレンジだったわけです。
 また、本作の歌詞はビヨルンとアグネッタの離婚について語ったものと言われていますが、作詞を担当したビヨルン自身はこのことを否定しています。酔った勢いで突然ひらめいた歌詞だったらしく、“離婚を経験した人間ならではの要素は含まれているけど、あとは完全なフィクションだよ”とのこと。
 アルバムの先行シングルとしてリリースされた本作は、イギリス、オランダ、ベルギー、アイルランド、南アフリカ、コスタリカの6カ国でナンバー・ワンを記録。中でも、約2年ぶりにイギリスで1位を獲得できたことは、メンバーにとって大きな励みとなったはずです。その他、フィンランドとスウェーデンで2位、オーストリア、ノルウェー、スイスで3位、ドイツとジンバブエで4位、フランスとメキシコで5位、イタリアとオーストラリアで7位、アメリカで8位、カナダとスペインで10位をマーク。アメリカでのトップ10入りは“Take A Chance On Me”以来のことで、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは2週連続1位を獲得しています。
 なお、本作はフランスのシャンソン歌手ミレイユ・マチューが、ビヨルンとベニーのプロデュースによってカバー。フリーダもバック・ボーカルで参加しています。他にも、ビヴァリー・クレイヴンやコアーズ、ローラ・ブラニガン、サマンサ・フォックス、元ノーランズのバーナデット・ノーラン、スウィートボックス、イル・ディーヴォ、日本のGTS、ヘイゼル・ディーン、オペラ歌手のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターなど、数え切れないほどのカバー・バージョンが存在。個人的には、トルコの国民的女性歌手ニルフュルによるカバーと、アメリカのカントリー系シンガー・ソングライター、パメラ・マクニールによるカバーが特に気に入っています。

3.On And On And On オン・アンド・オン・アンド・オン ビデオ
 ビヨルンとベニーが熱狂的なビーチ・ボーイズ・ファンであることは有名な話ですが、そのビーチ・ボーイズ・サウンドをアバ流にリコンストラクションしたロックン・ロール・ナンバーがこれ。サビのダイナミックで分厚いコーラス・アレンジメントなんか、まさしくビーチ・ボーイズ!って感じですよね。
 それでいて、どことなくダークな陰りがあるというのは、やはりカリフォルニアと北欧の大きな違いなのでしょうか。ビッチでズリージーなアグネッタとフリーダのボーカルもユニーク。ちょっと皮肉っぽくて洒落の効いた歌詞も秀逸です。
 ただ、本作がシングル・カットされたのは日本を含む一部の地域のみ。オーストラリアでは“The Winner〜”に続くセカンド・シングルとして発売され、最高9位をマークしました。その他、フランスで18位、日本で52位、アメリカで90位という結果になっています。
 ちなみに、ビーチ・ボーイズのリード・ボーカリストだったマイク・ラヴが本作のことをいたく気に入り、81年に発売されたソロ・アルバム“Looking Back With Love”の中でカバーしています。また、フレンチ・ポップの女王シルヴィー・ヴァルタンも、“Ca Va Mal (Oh La La La La!)というタイトルでフランス語カバーを出していました。

4.Andante, Andante アンダンテ・アンダンテ ビデオ
 お互いの体と心に触れ合いながら愛を交わす男女の様子を歌った官能的なラブ・ソング。繊細で詩情豊かな歌詞もさることながら、クラシカルでノスタルジックなメロディとサウンドが、なんとも上品で薫り高いエロティシズムを醸し出しています。フリーダのクールで落ち着いたボーカルもハンサム&ダンディな雰囲気。なによりも、バック・コーラスのリズミカルな副旋律が、メイン・ボーカルのシンプルで穏やかな主旋律に絡み合っていくという、緻密に計算されたサビのボーカル・アレンジが実に見事です。ここまでくると、もはやポップスの枠を完全に超えた芸術作品という感じですよね。

5.Me And I ミー・アンド・アイ ビデオ
 当時のベニーはヤマハのシンセサイザーGX-1に凝りまくっていて、本作でも様々な実験的試みを行っていますが、その集大成とでも言うべき傑作がこれですね。オープニングから壮大なスケールのシンセ・サウンドで幕を開け、随所に立体的でイマジネーション豊かなボーカル・サンプリングが挿入され、テクノロジカルでシンフォニックなポップ・サウンドが展開します。
 また、アーサ・キットのスタイルを意識したフリーダのユーモラスで個性的なボーカルや、人間の持つ多面性をブラック・ユーモアたっぷりに表現した歌詞も印象的。A面の最後を飾るに相応しい傑作です。

6.Happy New Year ハッピー・ニュー・イヤー ビデオ
 特定の宗教や政治を音楽と結び付けたくないというビヨルンの強い意向から、クリスマス・ソングを一切残していないアバ。そんな彼らにとって、これは唯一の“アニバーサリー・ソング”となります。賑やかな宴の終ったパーティ会場で、残された数人の人々が過去の出来事を振り返り、そして未来へと希望を繋ぐ。そんなセンチメンタリズムとオプティミズムが絶妙にブレンドされた、ノスタルジックで切ないバラード。サビの美しいメロディは、あの名曲“Thank You For The Music”と匹敵するくらいに鳥肌ものです。
 この作品が誕生した背景には、ちょっと面白いエピソードがあります。当時本格的なミュージカル劇の製作を考えていたビヨルンとベニーは、“新年”を題材にした作品の構想を練っていました。大まかなプロットも彼らの中では決まっていたそうです。そんな折、バルバドスへと作曲旅行に出かけた二人は、現地でイギリスの喜劇集団モンティ・パイソンのジョン・クリースと知り合い意気投合。
 彼らはクリースとミュージカルのアイディアについて話し合い、彼に脚本を書いてくれないかと持ちかけたそうです。残念ながら断られてしまったものの、そのコンセプトをすっかり気に入ってしまったビヨルンとベニーは、代わりとして“新年”をテーマにした楽曲を書くことにしたわけです。
 ちなみに、当初は“The Winner〜”に続くオフィシャルなセカンド・シングルとしてリリースされるはずでしたが、その直後に“Super Trouper”が完成したため、結局シングル・カットは見送られることに。ただ、日本とブラジルとポルトガルの3カ国でのみ、特別にシングル盤がリリースされています。
 また、南米ではスペイン語バージョンである“Felicidad”がアルバム収録されており、アルゼンチンではシングル・カットされて最高5位をマークするヒットになっています。さらに、ミレニアムを迎える99年暮れにヨーロッパ各国でシングル発売され、オランダで15位、ノルウェーで20位、スウェーデンで27位、ドイツで78位をマーク。08年暮れにも再リリースされ、スウェーデンで4位、ノルウェーで5位という大ヒットを記録しました。
 なお、99年にA★ティーンズのカバー・バージョンがスウェーデンでトップ10ヒットとなったほか、デンマークの女性歌手ミラやデンマークの女性歌手リーゼ・カッブル、チェコの女性歌手ダニエラ・シンコロワなど各国のアーティストがカバーしています。

7.Our Last Summer アワ・ラスト・サマー ビデオ
 ミュージカル“マンマ・ミーア”でも取り上げられていましたが、この作品を本アルバムにおけるベスト・トラックの1つと考える人も少なくないでしょう。パリで過ごしたひと夏の思い出を歌った、ノスタルジックでメランコリックで甘く切ないポップ・バラードの傑作。実際、このアルバムの発売された1980年の夏に家族旅行でパリを訪れたボクにとっては、いろいろな意味で感慨深いものがある作品です。
 実はこの作品、作詞を担当したビヨルンの学生時代の思い出からヒントを得たもの。当時、若いうちから外国を旅して見聞を広めるのは良いことだと考えていたビヨルンの両親は、夏休みごとに旅費を出してヨーロッパ各地へと行かせてくれたそうです。ロンドンで製紙工場を経営する叔父に紹介されたイギリスの製紙会社でアルバイトをしたり、ドイツはフランクフルト近郊のビール工場で働いたり。
 しかし、その年(61年頃)の夏に限っては、当時のガールフレンドを連れてパリ見物へと出かけたわけです。それまでは“友達”止まりだった2人の関係が、恋の都パリのマジックによって一気に恋愛関係へと発展したとのこと。いやー、若いっていいですね〜(笑)
 ちなみに、ファンにとって興味深いのは間奏のインスト部分。ギター・プレイの背後でベニーがさり気なく奏でるピアノのメロディは、後にミュージカル『チェス』の挿入歌“Anthem”の中でも使われているんですね。この“Anthem”という作品は、もともと70年代半ば頃に書かれていたものの、アバの作品としては相応しくないという理由から長いことお蔵入りしていたもの。たとえボツにした楽曲であっても、気に入ったパーツがあれば他の楽曲の中で使う・・・ということはビヨルンとベニーにとって珍しくないこと。恐らく当時の彼らは、後に“Anthem”が陽の目を見ることになるとは考えてもいなかったのでしょうね。

8.The Piper ザ・パイパー ビデオ
 『ハーメルンの笛吹き男』を連想させるミステリアスな歌詞と、中世ヨーロッパのフォルクローレにインスパイアされた牧歌的なメロディとサウンドが強烈な印象を残す、なんともダークで幻想的な作品。そのノスタルジックな美しさと悪夢的な暗さは、まるで子供の頃に読んだ残酷なおとぎ話のよう。個人的には、アバの作品の中でも常にトップ10に入るほどお気に入りの曲です。
 歌詞のヒントになったのは、スティーブン・キングのベストセラー小説『ザ・スタンド』。人々を洗脳してどこかへと連れ去って行く笛吹き男というのは、独裁者アドルフ・ヒットラーをイメージしたそうです。楽曲としては間違いなく傑作ですが、さすがにシングルのA面向きとは言えず。それでも、“Super Trouper”のB面ソングとして使用されています。

9.Lay All Your Love On Me レイ・オール・ユア・ラヴ・オン・ミー ビデオ
 アルバムの中で唯一のダンス・ナンバーですね。とはいっても、“Voulez-Vous”や“Gimme! Gimme! Gimme!”といった過去のディスコ・ソングとは大きく趣きを変え、まるで中世の賛美歌を思わせるような荘厳で重厚なメロディとサウンドが印象的。実際にビヨルンとベニーは、当初から賛美歌をイメージして本作を書いたそうです。また、ビヨルンによれば、歌詞を書く際にはイギリスのプログレ・バンド、スーパートランプの作品をイメージしたとのこと。いずれにせよ、それまでのアバのダンス・ナンバーとはかなりイメージの違う作品と言えるかもしれません。
 さらに、本作は80年代ダンス・シーンを席巻することになるハイエナジー・サウンドの先駆的作品としても、非常に重要な位置を占めています。その後のハイエナジー系アーティストが、こぞってこの曲をカバーしていることからも、そのことがよく分かるかと思いますね。テクノ・ポップ的なサウンド・デザインも大きな特徴ですが、中でもサビへ入る直前のボーカル・サンプリングは余りにも有名。グワーンとうねりまくるヴォコーダーのごとき迫力のサウンドは、当時は相当に斬新かつ新鮮でした。実際に、数多のカバー・バージョンの中でも、このパートを十分に再現できた作品は1つもありません。
 また、シーケンサーを使ったような規則正しくて細かいキーボードやドラムの演奏が印象的ですが、当時はビヨルンもベニーもシーケンサーの使い方がイマイチよく分かっておらず、本作は全て生演奏にてレコーディングされています。
 ちなみに、本作はもともとシングルとしてリリースされる予定はなかったものの、アメリカのリミックス・サービス会社ディスコネットがDJ向けのクラブ・ミックスをリリースするなどクラブ・シーンでの反響が大変大きかったことから、一部の地域のみ12インチ・シングル限定でリリースされています。当時は12インチ・シングルの価格が通常の7インチ・シングルの倍くらいした時代。それでもなお、イギリスで7位、アイルランドで8位、ベルギーで14位、フランスで18位、ドイツで26位という成績を収めているのですから、これは立派なもんです。特にイギリスでは、同国のレコード史上最も数多く売れた12インチ・シングルとなりました。また、アメリカでもビルボードのクラブ・プレイ・チャートで堂々の1位を記録しています。
 なお、アメリカのダンス系バンド、インフォメーション・ソサエティが88年にカバーして全米ヒットさせたほか、ヘビメタ・バンドのハロウィンやクリフ・リチャード、ステップス、A★ティーンズなど、数多くのアーティストがカバー・バージョンを発表しています。

10.The Way Old Friends Do ザ・ウェイ・オールド・フレンズ・ドゥ ビデオ
 まるで古き良き時代のミュゼットを思わせるような、ノスタルジックでハートウォーミングなナンバー。ベニーの奏でるアコーディオンをバックに、メンバー4人が揃って長きに渡る友情の歓びを謳いあげます。もともと79年のワールド・ツアー用の新曲として書かれた作品で、アルバムに収録されているのもロンドンのウェンブリー・アリーナで録音されたライブ・バージョン。そのアット・ホームな和やかさも含めて、エンディングを飾るに相応しい作品と言えるでしょう。
 ちなみに、もともとのLPバージョンでは“Lay All Your Love On Me”と“The Way Old Friends Do”は、ライブ録音された観客の拍手で繋がっており、初期のCD盤もその通りに収録されていたのですが、97年と01年に発売されたリマスター盤ではブランクが挿入されてしまいました。ただし、05年発売のボックス・セット“The Complete Studio Recordings”に収録されているリマスター盤では、しっかりと本来の形に戻っています。

※CD用ボーナス・トラックなど

Elaine エレイン ビデオ
 シングル“The Winner Takes It All”のB面ソングとしてのみ発表された作品。キャッチーでダンサンブルなテクノ・ポップ・ナンバーです。当初はアルバムへの収録も予定されていたようですが、直前になってタイトル・トラックの“Super Trouper”が完成したことから、アルバムのラインナップから外されてしまいました。確かにアバらしい爽やかな甘酸っぱさが魅力ではあるものの、いまひとつパンチが足りないという印象は否めませんし、なによりもアルバムの他の楽曲と並べると確実に浮いてしまう作品ですからね。
 なお、最初にCD化されたのは、84年にドイツで発売されたオムニバス盤“From ABBA With Love”にて。その後、94年の4枚組ボックス“Thank You For The Music”、97年と01年のリマスター盤“Super Trouper”、05年のボックス“The Complete Studio Recordings”、08年のボックス“The Albums”などにも収録されています。

Put On Your White Sombrero プット・オン・ユア・ホワイト・ソンブレロ ビデオ
 このアルバム用に当初レコーディングされながらも、長いこと未発表のままだった作品。マリアッチ風のラテン・ムードが印象的ではあるものの、やはりどこか決定打にかけるようなナンバーで、最終的にビヨルンとベニーがお蔵入りにさせてしまったのも理解できるかもしれません。
 94年のボックス・セット“Thank You For The Music”で初お披露目され、97年と01年のリマスター盤“Super Trouper”、05年のボックス“The Complete Studio Recordings”にも収録されました。

Andante, Andante (Spanish Version) アンダンテ・アンダンテ(スペイン語バージョン)
Felicidad (Spanish Version of Happy New Year) ハッピー・ニュー・イヤー(スペイン語バージョン)
 どちらも、このアルバムの南米発売盤へ収録するために製作されたもの。バック・トラックはオリジナルをそのまま使用しています。ただ、『ハッピー・ニュー・イヤー』のスペイン語バージョンは、その言葉の響きのせいもあってか、オリジナルの英語バージョンとは一味違う雰囲気を味わうことが出来ます。こちらは、先述したように南米でシングル・カットされ、アルゼンチンではヒット・チャートの5位をマークしました。

 

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