アバとミュージカル

 

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「マンマ・ミーア」の打ち合わせをするビヨルンとベニー(中央)

 

 アバのヒット曲を散りばめたミュージカル「マンマ・ミーア!」。ロンドンやブロードウェイをはじめ、各国で驚異的な大ヒットを記録しており、世界で最も興行収入を上げているミュージカルとしてギネスブックにも認定された。近年なかなかヒット作の生まれないミュージカル業界に与えた影響は非常に大きく、クィーンやビリー・ジョエル、ピーター・アレン、ボニーMなど、様々なアーティストの楽曲を使用したミュージカルが次々と生まれている。
 アバとミュージカル。一見して結びつかない組み合わせだが、実はビヨルンとベニーのミュージカルへの取り組みには長い歴史があるのだ。

 もともと、ビヨルンとベニーは特にミュージカルに興味があったわけではなかった。ビートルズ世代の彼らにとって、ミュージカルというのは時代遅れのエンターテインメントにしか過ぎなかったという。しかし、その考え方を一変したのが、アンドリュー・ロイド・ウェッバーとティム・ライスの生んだミュージカル「ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター」だった。キリストの生涯を当時のヒッピー文化になぞらえ、ロックやゴスペルを盛り込んだ革新的なミュージカル。その魅力とパワーに圧倒されたビヨルンとベニーは、いつか「ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター」のようなミュージカルを作ってみたい、と思うようになったのだった。
 ちなみに、「ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター」のスウェーデン語版でマグダラのマリア役を演じていたのがアグネッタ。彼女がレコーディングした“I Don't Know How To Love Him”のスウェーデン語バージョンをプロデュースしたのがビヨルンだった。
 さて、そんな彼らのミュージカルへの最初の試みが、アバのアルバム「ジ・アルバム」に収録されたミニ・ミュージカル“黄金の髪の少女”。田舎から出てきてスターを目指す少女の成功と挫折を描く単純なストーリーの作品で、“Thank You For The Music”、“I Wonder (Departure)”、“I'm A Marionette”の3曲で構成されていた。
 その後、1979年頃にバカンス先でモンティ・パイソンのジョン・クリースと知り合ったビヨルンとベニー。モンティ・パイソンの大ファンであった彼らはすぐに意気投合し、一緒にミュージカルを作ろうと相談しあったという。しかし、当時はアバの全盛期で時間を割いている余裕もなく、この話はそのまま流れてしまった。

 そして、ビヨルンとベニーに大きな転機が訪れたのが1982年。アバとしての活動に区切りをつけたビヨルンとベニーは、本格的なミュージカルの制作に取り掛かりたいと考えた。ただ、この分野では彼らは素人も同然。ミュージカルを熟知した協力者が必要だった。そこで彼らは、アバのワールド・ツアーのプロモーターを務めた人物であり、アメリカのショービジネス界に強いコネクションのあるトマス・ヨハンソンに相談を持ちかけたのだった。
 一方、「エビータ」を最後にアンドリュー・ロイド・ウェッバーと離れ、新たにスティーブン・オリバーと組んで作ったミュージカル“Blondel”が不発だったティム・ライスは、新しいパートナーを探していた。当初、バリー・マニロウを推薦されていたティムだったが、あまり魅力的な相手だとは思わなかった。そこで彼は、“アバの二人がミュージカルを作りたがっており、協力者を探しているらしい”という話を聞く。アバの熱烈なファンであり、マネージャーのスティッグ・アンダーソンとも面識のあったティムは早速スティッグに連絡し、ビヨルンとベニーとのミーティングの席を設けてもらったのだった。
 ティムは幾つかの企画を持ってミーティングに臨んだのだったが、その中でビヨルンとベニーの興味を最も引いたのが「チェス」だった。東西の冷戦をテーマにしたこの作品は、ソヴィエトと地理的に近いスウェーデンに暮らす彼らには興味深い題材だったという。また、チェスというビジュアル的には非常に魅力の乏しい題材に取り組むというのは、やり甲斐のある大きなチャレンジでもあった。
 早速、ティムの準備した粗筋をもとに、ビヨルンとベニーは楽曲作りに入った。ストーリーを軸に、メロディを優先させて作業を進めるのだ。デモ・テープには、ビヨルンの作ったデモ用の歌詞が使用された。そして、それを元にティムが最終的な歌詞を書いていったのだ。
 ティムはこう語っている。“ベニーとビヨルン・・・主にベニーだね・・・が、テーマに沿って曲を作っていったんだ。ラブ・ソングであったり、言い争いであったり、群集シーンであったりとね。そこへビヨルンが非常に興味深い仮の歌詞を付けていったんだ。大抵が意味のないものなんだけど、とても素敵なセリフだった。彼が僕とベニーの間を繋ぐ存在だったんだ。”
 アバ・ファンにとって興味深いのは、ベニーがアバ時代に書いたメロディが随所で使われていること。当時はアバ向きではないと判断してお蔵入りにしていたメロディが、ここでは存分に生かされている。
 こうして完成されたミュージカル「チェス」は、「ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター」や「エビータ」と同じように、まずコンセプト・アルバムの制作から進められた。要は、実際に舞台がオープンする前に、楽曲を先にレコーディングして発表するのだ。そのために、イギリスとスウェーデンから最高のメンバーが揃えられた。まず主演のアメリカ人チェス・プレイヤー役にイギリスの映画スターであり、ロック・シンガーでもあるマレー・ヘッド。対するロシア人プレイヤーには60年代から活躍するスウェーデンのトップ・シンガー、トミー・コルベルグ。さらに、彼らと三角関係になるアメリカ人女性フロレンス役には「エビータ」や「キャッツ」の主演で有名な世界的ミュージカル女優エレーヌ・ペイジ。そして、ロシア人プレイヤーの妻スヴェトラーナ役にはイギリスの国民的女性歌手で、ミュージカル「ブラッド・ブラザーズ」の主演でも有名なバーバラ・ディクソン。さらに、ロシア人プレイヤーの助手で、実はKGBのスパイというモロトフ役に有名なシェイクスピア俳優で、「地中海殺人事件」などの映画にも数多く出演している大ベテラン、デニス・クィリー。レコーディングはアバのポーラ・スタジオで行われ、エンジニアもアバのマイケル・B・トレトウが担当。当時はブッキングするのが最も困難と言われていたロンドン・シンフォニー・オーケストラの他、アバのスタジオ・ミュージシャンも総動員された。
 1984年にリリースされた「チェス」の2枚組コンセプト・アルバムは、ローリング・ストーン誌、タイム誌など世界中の主要メディアで大絶賛され、ミュージカルのレコード(それも2枚組)でありながら全英10位、全米47位という大ヒットを記録。これはティムにとって、アメリカでは惨敗だった「エビータ」の苦い思い出を払拭する大成功だった(「ジーザ・クライスト・ザ・スーパー・スター」は全米1位)。さらに、マレー・ヘッドの歌ったシングル“One Night In Bangkok”が全米3位、エレーヌ・ペイジとバーバラ・ディクソンがデュエットした“I Know Him So Well”が4週に渡って全英1位を記録し、その年の年間チャートでも2位に輝いた。
 これだけの大反響を受け、1986年にロンドンでオープンしたミュージカル「チェス」だったが、ステージそのものは賛否両論だった。実は、当初舞台監督として起用していたマイケル・ベネットがエイズで倒れてしまったのだ。トニー賞を受賞した「コーラス・ライン」や「ドリームガールズ」の舞台監督として名を馳せたベネットは、ステージ全体を64台のテレビ・モニターで囲み、象徴的で近未来的なファンタジーとして構想を練っていた。これが、後任として起用されたトレヴァー・ナンには全く理解できなかったのだ。トレヴァー・ナンと言えば、当時「キャッツ」や「レ・ミゼラブル」の演出で世界中にその名を轟かせていた鬼才。しかし、リアリズム重視の彼にとってマイケル・ベネットの残していったシュールそのもののセットは専門外だった。しかも、通常舞台というのは監督を先に決めて、監督自らが主要スタッフを選んでいくもの。自分のビジョンを再現するために必要な人材を揃えるのだ。しかし、この「チェス」では前任者であるマイケル・ベネットの選んだスタッフを使わねばならなかった。
 “「チェス」のレコードは常に僕のお気に入りだ。でも、舞台版はダメだった”とベニーは語る。“マイケルとは彼が亡くなるまでの1年間程度の付き合いだったが、その間にとても仲良くなった。彼はとても才能があって、優れた直感を持った芸術家肌の人間だった。すぐに分かったよ。”ティム・ライスもこう語っている。“チェスのスコアは素晴らしかった。舞台そのものは賛否両論だった。その理由の8割はマイケル・ベネットが抜けてしまったせいだね。トレヴァー・ナンは頑張ったと思うけど、自分が選んだわけではないスタッフに囲まれて身動きが取れず、セットを前に途方に暮れてしまったんだ。”
 それでも、ロンドンの「チェス」は1989年まで上演されるロングラン・ヒットとなった。しかし、惨敗だったのは1988年に上演されたブロードウェイ版。ロンドン版で思うような仕事の出来なかったトレヴァー・ナンは、自分流のステージを作り上げるために脚本を全く変えてしまった。さらに、アメリカの観客向けに登場人物を若返らせ、音楽も大幅に変更した。特に音楽はクラシカルなスコアを大幅に削除し、ロック・ミュージカル的なアプローチを明確にしたのだった。しかし、これが大きく裏目に出てしまう。コンセプト・アルバムの評価が高かったのは、クラシックやオペレッタ、ロックにヒップ・ホップと、様々な要素を一つに融合させた音楽的な完成度の高さにあったと言えるのだが、このブロードウェイ版はある意味でアメリカナイズされたものだった。その結果、コンセプト・アルバムにあった重厚感や品格が全く失われてしまったのだ。
 1988年4月にブロードウェイでオープンした「チェス」は、たったの2ヶ月で閉幕してしまった。しかし、「チェス」がユニークなのは、“チェス・マニア”とも呼ぶべき熱狂的なファンを生み出したことだろう。1990年にはロンドン版のコンセプトを復活させた舞台が全米ツアーを行い、ロンドンでも上演されてヒットした。さらに同じ年、イリノイ州でも地元の劇団がブロードウェイ版を再現し、オーストラリアのシドニーではティム・ライスが協力した舞台が上演された。95年にはロサンゼルスのハドソン劇場でも上演され、その年のロサンゼルス演劇批評家協会賞などを受賞している。2001年にはロンドン版を下敷きにしたオランダ語バージョンが上演され、2002年にはスウェーデン語バージョンがストックホルムで上演されている。そして、2003年にはブロードウェイで、ロンドン版とブロードウェイ版をミックスしたバージョンがコンサート形式で上演されて話題になった。昨年はイギリスの有名な野外劇場ミナック・シアターでも上演されている。
 こうした根強い「チェス」人気を反映して、リニューアル・バージョンや映画版の製作が幾度となく浮上しているが、残念ながら今のところ実現はしていない。

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スウェーデン語版「チェス」より
主演のヘレン・ショホルム(左)とジョセフィン・ニルソン(右)

 その後、1984年にイギリスに豪邸を購入していたビヨルンは生活の拠点をそちらに移し、ベニーは自らのライフワークであるスウェディッシュ・フォークに専念。それでも、コンスタントにお互いの家を行き来していた。それは1991年のこと、イギリスにあるビヨルンの自宅を訪れていたベニーは、“新しいミュージカルを作ってみないか?”と切り出した。いろいろと興味を引くような題材を探してみたものの、なかなかこれといったものがない。そこでベニーが思いついたのが、子供の頃から大好きだったスウェーデンの国民的作家ウィルヘルム・モベルグの小説だった。これは貧しさからアメリカへ移住し、苦難の道のりを歩んだスウェーデン人移民の姿を描いた4部作の小説で、スウェーデンでは知らない人のない永遠のベスト・セラーだった。
 合計で2000ページにも及ぶ原作を戯曲としてまとめたのがビヨルン。その粗筋に沿ってベニーが作曲し、最終的にビヨルンが歌詞を書いた。出来上がった作品が、“Kristina fran Duvemala(デュヴェマーラから来たクリスティナ)”舞台監督にはラース・ルドルフソンが起用され、セット・デザインは「チェス」で組んだロビン・ワグナーが担当。ヒロインのクリスティナ役にはヘレン・ショホルム、相手役のカール役にはアンダース・エクボルグと当時無名の役者を起用した。
 こうして1995年の10月に幕を開けた“Kristina fran Duvemala”は4年間のロングランを達成するという大ヒットを記録。これはスウェーデンの舞台史上2番目に当たる偉業だった。批評家にも絶賛され、コンセプト・アルバムはスウェーデン・チャートで最高2位を記録。その年のグラミス賞(スウェーデン版グラミー賞)の最優秀アルバム賞を受賞した。主演のヘレン・ショホルムはこれをきっかけにスウェーデンのトップ・ミュージカル・スターとなり、ベニー率いるベニー・アンデション・オーケストラのアルバムにも参加、映画女優としてもデビューを果たした。一方のアンダース・エクボルグも歌手・俳優として知名度を高めている。
 1999年に閉幕した“Kristina fran Duvemala”だが、その後幾度となくコンサート・ツアーが組まれて好評を博しており、現在は2007年秋に予定されているブロードウェイ公演に向けて着々と準備が進められている。英語版の翻訳を担当したのは「レ・ミゼラブル」で知られるハーバート・クレッツマー。今のところ、トニー賞ノミネートの経験のあるブロードウェイ・スター、アリス・リプリーがクリスティナ役を演じるとしか公式には発表されていないが、既にニューヨークでワークショップも行われており、近々具体的な事が分かるようになると思う。

 さて、ここからいよいよ「マンマ・ミーア」の話題に入るのだが、実はもう一つアバと関わりのあるミュージカルが存在する。それが“Abbacadabra”。アバのヒット曲だけで構成されたミュージカルで、仕掛け人は「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」で有名なフランス人アラン・ブーブリル。これは、子供向けのファンタジックな御伽噺にアバのメロディーを乗せたもので、83年にパリを皮切りにフランス各地で合計33回の公演が行われている。
 ただ、この“Abbacadabra”にはビヨルンとベニーは一切関わっていない。当時、フランスにおけるアバ作品の著作権を管理していたのがブーブリルだった。アバの“I Let The Music Speak”を聴いた彼はアバのメロディでミュージカルを作るというアイディアを思いつき、“1〜2週間程度の公演で済ませるから”ということでビヨルンとベニーの承諾を得た。実際には、1〜2週間では済まなかったのだが・・・。もちろん、舞台に合わせたアルバムも制作され、ダニエル・バラヴォワーヌ、カトリーヌ・フェリーなど有名歌手が参加。アバのフリーダも特別ゲストとしてバラヴォワーヌとデュエットで“Belle(Arrivalのフランス語版)”を歌っている。また、1983年のクリスマスにはロンドンで特別上演が行われ、007シリーズの主題歌で有名な作詞家ドン・ブラックが英語版歌詞を担当、エレーヌ・ペイジが主演を務めた。
 そしてちょうどその頃、同じようにアバの作品を使ってミュージカルを作ろうと考える女性が現れた。その女性の名はジュディ・クレイマー。もともとミュージカル「キャッツ」の舞台マネージャー助手を務めていた人物で、プロデュースの仕事をしたいとエレーヌ・ペイジに相談したところ、ティム・ライスが新しい事務所を開くみたいだから行ってらっしゃいよ、と薦められたのだった。すぐにティム・ライスの助手として雇われたジュディは、ミュージカル「チェス」の仕事に関わるようになる。コンセプト・アルバムのレコーディングに立ち会うためにストックホルムのポーラ・スタジオを訪れた彼女は、そこでアバのベスト盤のテープを貰った。それまでグラム・ロックやパンクに夢中だった彼女は、実はアバの作品をまともに聴いたことがなかったという。ロンドンのオフィスに戻って初めてアバの曲を聴いた彼女は、テープが擦り切れるまで毎日のように聴きまくったという。そしてある事に気付いた。“ビヨルンの書く詩というのは何て情熱的なんだろう・・・!”と。
 数年後、“Abbacadabra”をテレビ映画化しようと考えたジュディだったが、アラン・ブールビルの許可を得ることが出来なかった。そこで彼女はこう考えた。原曲を書いたビヨルンとベニーは知り合いだし、それに自分が好きなのは“Abbacadabra”ではなくてアバの曲じゃないか、と。それだったら、自分で別のミュージカルを作ってしまえばいいのだ。彼女が絶対に譲れない、と考えたのはビヨルンの詩をそのままの形で残すという事。
 ビヨルンの自宅を足繁く訪れたジュディは、自分の構想を事細かに伝えてビヨルンを説得し続けた。そして、ある日彼女はビヨルンにこう言われる。“いい脚本があるのであれば、別に反対するつもりはないよ”と。
 その後、ビヨルンとベニーは“Kristina fran Duvemala”の制作に取り掛かるようになり、ジュディとの話し合いは中断することになる。その間、ジュディは方々に手を尽くして信頼できる脚本家を探していた。そんな時、彼女の手掛けたTV映画の監督に紹介されたのが、当時新進気鋭の女流脚本家として注目を集めていたキャサリン・ジョンソンだった。初めてジュディと会った時のことをキャサリンはこう語っている。“セルフリッジ・ホテルで会ったのだけれど、階段を上がっていくと同世代くらいのブロンドの女性がタバコを吸っているのが目に入ったの。で、こう言うのよ。休暇から帰ったばかりでタバコがずっと吸えなかったのよ、だから20本くらい吸って遅れを取り戻さないと、って。あなたに付いていくわ、って思ったわ。”
 たちまち意気投合した二人は脚本作りに取り掛かる。アバの曲の歌詞だけを広げ、そこから共通のテーマを見つけ出し、ストーリーを考えていった。そして、その過程で相応しい楽曲が選ばれていったのだ。ジュディの注文はただ一つ。ストーリー重視にすること。そのためには、有名曲を選ばなくてもOK。最終的にマイナーな曲ばかりになってしまってもOK、ということだった。しかし、やはりヒット曲にはヒットするなりの理由があった、とジュディもキャサリンも言う。結局、有名曲で選ばれなかったのは「恋のウォータールー」と「フェルナンド」くらいのものだった。ただし、「恋のウォータールー」は実際にはカーテン・コールで使われることになるのだが・・・。
 後はビヨルンとベニーを説得するだけ。特にベニーはアバの曲をミュージカルにするという企画そのものに懐疑的だった。しかも、彼はアバを既に過去の終わったものと考えており、アバに関わるプロジェクトへの参加にも後ろ向きだった。実際、ストックホルムのビヨルンとベニーの事務所を訪れたジュディは、アバに関連するものが事務所内に一つもない事に驚いたという。“彼らは決して後ろを振り返らない人たちなのよ”とジュディは言う。そんな彼女は、倉庫の片隅のダンボールに眠っていたアバのTシャツをおねだり、ちゃっかり貰って大喜びしたという。また、ベニーは乗り気でなかった理由は他にもあった。アバでの仕事に誇りを持っていた彼は、ミュージカルの出来が悪かったりしたらアバのオリジナルまで酷評されかねないし、商業主義的だと思われてしまうことを危惧していた。
 イギリス演劇界の殿堂である国立劇場で芸術性の高い舞台を数多く手掛けて評価を受けていた女性演出家フィリダ・ロイドを監督として確保したジュディは、キャサリンとフィリダの二人を伴ってベニーとビヨルンのもとを訪れた。夢中になってプレゼンをする3人を目の前にしたベニーは、ビヨルンにこう告げたという。“君が気に入ったのであれば、やるべきだろう。協力するよ。”と。
 こうして一人の女性の揺るぎない信念と熱意のもとに、実に10年以上の歳月を経て生まれたミュージカル「マンマ・ミーア!」は1999年4月にオープンするなりソールド・アウト続出の大ヒットとなった。2001年にはブロードウェイに上陸し、翌年には日本でも劇団四季によって上演された。現時点でも、世界中で実に12箇所の公演が行われている。
 ボクも2年前の夏にラス・ベガス版の舞台を見てきたが、アバの歌詞をほぼそのまま使用した絶妙のストーリー・テリング、エーゲ海を舞台にしたシンプルで美しいセット・デザインの素晴らしさ、そして母親と娘、父親と思われる3人の男性の織り成す悲喜こもごもの物語の楽しさを思う存分満喫してきた。何よりも、ステージと客席が一体となってアバのヒット曲をくちずさむという体験は、他の舞台では絶対に味わえないものだろう。しかも、お年寄りから若者、小さな子供まで、あらゆる年代の観客が一緒になってアバを歌うのである!それこそ、感無量の一言!
 そして、現在は来年の夏の公開に向けてハリウッドでの映画化も進行中だ。フィリダ・ロイドが監督を務め、製作にはビヨルンとベニー、ジュディー・クレイマーと共にトム・ハンクスも名を連ねている。しかも、主演は大女優メリル・ストリープ。ブロードウェイの初日に「マンマ・ミーア」を見てからの熱烈なファンで、映画化するのであれば是非出たい、と以前からビヨルンとベニーのもとに打診してきていたという。ちなみに、あのオリビア・ニュートン・ジョンも事あるごとに「マンマ・ミーア!」の映画版に出たいと言っていたのだが・・・。その他、ピアース・ブロスナン、ジュリー・ウォルターズ、コリン・ファース、クリスティーン・バラスキなど豪華なキャスティングも決定しており、既にロンドンでサントラのレコーディングも行われている。いよいよ、アバのヒット曲を巨大スクリーンで、しかも大音響のサラウンドで思う存分に楽しめる日がやって来るのだ〜!

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「マンマ・ミーア!」のセットに立つジュディ・クレイマー

 

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Chess (1984)

16 Favoriter ur Kristina fran Duvemala (1999)

Mamma Mia! Special Edition (2004)

Chess Pa Svenska (2002)

(P)1984 3 Knights/Polydor (EU) (P)1999 Mono Music (Sweden) (P)2006 Little Star/Decca (USA) (P)2002 Mono Music (Sweden)
Disc 1
1,Merano
2,The Russian and Molokov/Where I Want To Be
3,Opening Ceremony ビデオ
4,Quartet
5,The American and Florence/Nobody's Side
6,Chess
7,Mountain Duet
8,Florence Quits
9,Embassy Lament
10,Anthem
Disc 2
11,Nangkok/One Night In Bangkok ビデオ
12,Heaven Help My Heart
13,Argument
14,I Know Him So Well ビデオ
15,The Deal (No Deal)
16,Pity The Child
17,Endgame
18,Epilogue:You And I/The Story Of Chess

produced by Benny Andersson, Tim Rice & Bjorn Ulvaeus
1,Prolog
2,Duvemala Hage ビデオ
3,Ut Mot Ett Hav
4,Lilla Skara
5,Aldrig
6,Vi Oppnar Alla Grindar
7,Stanna
8,Hemma
9,Tank Att Man Som Han Kan Finnas
10,Min Astrakan
11,Vildgras
12,Guldet Blev Till Sand
13,Du Maste Finnas
14,Har Har Du Mej Igen
15,Var Hor Vi Hemma
16,I Gott Bevar

produced by Benny Andersson & Bjorn Ulvaeus
1,Overture/Prologue
2,Honey Honey
3,Money, Money, Money
4,Thank You For The Music
5,Mamma Mia
6,Chiquitita
7,Dancing Queen
8,Lay All Your Love On Me
9,Super Trouper
10,Gimme! Gimme! Gimme!
11,The Name Of The Game
12,Voulez-Vous
13,Entr'ace
14,Under Attack
15,One Of Us
16,S.O.S.
17,Does Your Mother Know
18,Knowing Me, Knowing You
19,Our Last Summer
20,Slipping Through My Fingers
21,The Winner Takes It All
22,Take A Chance On Me
23,I Do, I Do, I Do, I Do, I Do
24,I Have A Dream
bonus tracks
25,Mamma Mia
26,Dancing Queen
27,Waterloo
Disc 1
1,Overtyr
2,Historien om schack
3,Dar jag ville vara
4,Merano
5,Anatolij och Molokov
6,Ungern '56
7,Lamna inga dorrar pa glant
8,Jag vill se schack
9,Chess
10,Kvartett
11,Inte jag
12,Mote pa en bro
13,I mitt hjartas land ビデオ
Disc 2
1,Florence lamnar Freddie
2,Vem ser ett barn
3,Ni domer mig
4,Om han var bar
5,Han ar en man, han ar ett barn
6,Vem kunde ana
7,Drommar av glass
8,Jag vill se schack
9,Jag vet vad han vill
10,Glom mig om du kan
11,Capablanca
12,Drommar av glas/Historien om schack ビデオ
 アバ・ファンも大満足の傑作ミュージカル。イタリアン・オペラを彷彿とさせるスケールの大きな群集コーラス#1から一気に引き込まれます。この迫力、このパワー!ロックからクラシック、ヒップ・ホップ、民族音楽・・・と様々なサウンドをミックスさせながら、エレガントで美しいメロディを全編に散りばめ、非常に風格のある作品に仕上がっています。舞台とは全く関係なく、ポップ・アルバムとして単体でも十分に楽しめます。あとは録音レベルの高いリマスター盤のリリースを願うばかり!  「チェス」とはガラリと趣きを変えた、非常にクラシカルで民族色の強いミュージカル。それは楽曲にも色濃く反映されていて、どれもスウェディッシュ・トラッドをベースにした正統派のミュージカル・ナンバーに仕上がってます。もともと3枚組でリリースされていましたが、その中からファンに人気の高い楽曲のみをピック・アップしたコンピレーション盤がこれ。スウェーデン語なので意味がさっぱり分かりませんが、ビヨルンとベニーの自国文化に対する強い誇りが感じられる作品です。  そして、ご存知のメガ・ヒット・ミュージカル「マンマ・ミーア!」のオリジナル・キャスト盤がこれ。ブロードウェイ公演5周年を記念してリリースされたDVD付きの2枚組です。ただ、アバ・ファンとしては、アバの作品を原曲アレンジのまま他人が歌うというのは違和感があって、どうしてもカラオケに聴こえてしまうんですよね。やっぱり、この作品に関してはステージを生で楽しむのがベスト。家で聴くならアバのCDだな、と改めて思わざるを得ません。アバ・ファンならではの偏見なのかもしれませんが。  2002年に初演された「チェス」のスウェーデン語版。そのオリジナル・キャスト盤がこれです。ロンドン公演バージョンとブロードウェイ公演バージョンを足して、さらに新しい楽曲を付け加えた内容ですが、全体的なイメージとしてはロンドン公演バージョンに限りなく近い仕上がり。オーケストラ指揮もロンドン公演と同じアンダース・エリアスが手掛けており、ファンも大満足の出来映えです。このままの状態で、是非英語版のリメイクも作って頂きたい!

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