アバ・オリジナル・アルバム・レビュー (5)

アライバル
ARRIVAL (1976)

 

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オリジナル盤ジャケット

ソビエト盤ジャケット

CD盤ジャケット

デラックス盤ジャケット

曲目リスト

オリジナル盤

リマスターCD盤(1997)

リマスターCD盤(2005)

デラックス盤(2006)

Side 1
1,When I Kissed The Teacher
2,Dancing Queen
3,My Love, My Life
4,Dum Dum Diddle
5,Knowing Me, Knowing You
Side 2
1,Money, Money, Money
2,That's Me
3,Why Did It Have To Be Me
4,Tiger
5,Arrival
1,When I Kissed The Teacher
2,Dancing Queen
3,My Love, My Life
4,Dum Dum Diddle
5,Knowing Me, Knowing You
6,Money, Money, Money
7,That's Me
8,Why Did It Have To Be Me
9,Tiger
10,Arrival
bonus tracks
11,Fernando
1,When I Kissed The Teacher
2,Dancing Queen
3,My Love, My Life
4,Dum Dum Diddle
5,Knowing Me, Knowing You
6,Money, Money, Money
7,That's Me
8,Why Did It Have To Be Me
9,Tiger
10,Arrival
bonus tracks
11,Fernando
12,Happy Hawaii
1,When I Kissed The Teacher
2,Dancing Queen
3,My Love, My Life
4,Dum Dum Diddle
5,Knowing Me, Knowing You
6,Money, Money, Money
7,That's Me
8,Why Did It Have To Be Me
9,Tiger
10,Arrival
bonus tracks
11,Fernando
12,Happy Hawaii
13,Fernando (Spanish Version)
14,La Reine Del Baile (Dancing Queen)
15,Conociendome,Conociendome
    (Knowing Me, Knowing You)
16,Fernando (Frida's Swedish Solo Version)
※オーストラリア盤のみ“Fernando”を収録 ※ボーナスDVD収録
1,Abba-Dabba-Doooo!! (One-Hour TV Special)
2,Dancing Queen (Musikladen)
3,Fernando (Top Of The Pops)
4,Happy Hawaii (Fremantle Media)
5,Dancing Queen Recording Session
6,ABBA in London, November 1976
7,ABBA's 1976 Success-News Report
8,Arrival-Television Commercial 1
9,Arrival-Television Commercial 2
10,International Sleeve Gallery

 

 世界的なアバ・ブームの到来を決定付けたメガ・ヒット・アルバム。イギリスだけでも250万枚以上を売り上げ、全世界的なセールスでは1000万枚を超えたと言われている。これは、今と違ってアルバムが気軽に買えなかった当時としては驚くべき数字だ。しかも、西側諸国のみならずソヴィエト連邦や東欧諸国でも発売されたことは特筆すべきだろう。
 アルバムからは“Dancing Queen”や“Knowing Me, Knowing You”、“Money, Money, Money”の3曲がシングル・カットされ、こちらも世界各国でナンバー・ワンを記録。イギリスでは翌1977年の年間チャートで1位をマークし、それまでアルバム・セールスはイマイチだったアメリカでも最高20位にランクされてゴールド・ディスクに輝いた。
 前作『アバ』で確立されたアバ・サウンドはより大きな進化を遂げ、メロディ・アレンジ・演奏・ミックスのどれを取っても寸分の狂いもない完璧なポップ・アルバムに仕上がっている。エンジニアのマイケル・B・トレトウによれば、このアルバムを聴いた巨匠フィル・スペクターも大絶賛していたという。
 普段はポップ・ミュージックに対して評価の厳しい音楽評論家たちからも概ね好評で、イギリスのレコード・ミラー誌やアメリカのビルボード誌も手放しで大絶賛。当時はポップス系のアーティストがシングル盤でしか評価されなかったことを考えると、これは画期的なことだった。
 もちろん、中にはアバの存在そのものに否定的な評論家も多かったわけだが、最終的に正しい評価を下したのは一般のリスナーだ。シングル曲のみならず、アルバム・タイトルとなった“Arrival”や“That's Me”、“When I Kissed The Teacher”などもラジオ・リクエストで大きな反響を呼び、ファンの間ではスタンダード・ナンバーとなった。

 『アライバル』が母国スウェーデンで発売されたのは1976年10月11日のことだが、最初のレコーディング・セッションは75年8月にまで遡る。毎年夏はストックホルム近郊の離島にある別荘で過ごしていたアバの面々は、この年も別荘にこもって作曲活動に専念。ここで3曲の新作を書き上げ、ストックホルム市内のグレンスタジオでデモ・テープのレコーディングを開始した。その3曲というのが“Dancing Queen”と“Fernando”、そして“I Want You”という楽曲だったわけだが、出来栄えの芳しくなかった“I Want You”は未完成のまま終わっている。
 さて、当時のアバはスランプ時期に入っており、最新アルバム『アバ』のセールスもいまひとつだった。ところが、8月に発売された3枚目のシングル“S.O.S.”が思わぬ大ヒットを記録し、これをきっかけにヨーロッパ各国やオーストラリアではアバ・ブームが巻き起こる。彼らの周辺もにわかに忙しくなり、とてもレコーディングに専念できるような状況ではなくなってしまった。
 11月には初のベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』が発売され、2週間に渡る初の全米プロモーション・ツアーも行われた。翌76年の3月にはオーストラリアでもプロモーション活動を行い、現地のアバ・ブームはより一層ヒート・アップする。
 その間に“Fernando”のレコーディングを終えたアバは、同曲をベスト盤の発売に併せた新曲としてリリース。やがて一連のプロモーションも終了し、ストックホルムへ戻った彼らは再び創作活動に専念することとなった。
 レコーディング・セッションが再開されたのは1976年3月23日。その頃、地元のテレビ局でアバの特番企画が持ち上がり、7月には撮影のため一時レコーディングを中断している。さらに、8月初旬から各国で“Dancing Queen”がシングル発売され、またたく間にヒットチャートを駆け上がった。
 その一方、8月20日に再びスタジオ入りした彼らはアルバムの最終仕上げに取りかかり、9月3日に行われた“Why Did It Have To Be Me”のオーバーダブ作業を以って、全てのレコーディングが終了している。

<楽曲解説>

※オリジナル盤収録作品

1,When I Kissed The Teacher ホエン・アイ・キッスト・ザ・ティーチャー ビデオ
 これぞ完全無欠のポップ・ソング!キャッチーなメロディに分厚いコーラス、ワクワクするようなリズムに突き抜けるような爽快サウンド。60年代のアメリカン・ポップスを70年代のヨーロピアン・サウンドで蘇らせたような作品で、アルバムのオープニングを飾るのにはピッタリなナンバーです。ベスト盤『モア・アバ・ゴールド』に収録されていることからも分かるように、シングルとしても十分に通用する作品。実際、当時プロモーション・ビデオまで製作されています。個人的にも、アバの作品の中でも特に好きな楽曲の1つですね。

2,Dancing Queen ダンシング・クィーン ビデオ
 20世紀のポップスを代表する名曲中の名曲。アメリカやイギリスを含む世界13カ国でヒット・チャート1位を記録し、6カ国でトップ10入りを果たしています。ピアノのグリッセンドから始まる強烈なイントロは神業としか思えませんね。しかも、頭から迷うことなくサビへと突入し、アグネッタとフリーダの圧倒的なハイピッチ・ボーカルでガッツリとリスナーの心を掴むという展開も見事。高揚感みなぎる煌びやかなサウンドといい、計算し尽くされた完璧な演奏といい、これぞ究極の職人技と言うべきでしょう。
 上でも触れたように、この曲のレコーディングが始まったのは75年の8月。途中でプロモーション・ツアーなどが入った関係で1ヵ月半ほどの中断時期があったものの、最終的には12月初旬にレコーディングを終えています。実は76年の3月にシングル発売する計画が一度浮上したものの、マネージャーのスティッグ・アンダーソンの判断で先送りに。代わりとしてリリースされたのが“Fernando”だったわけです。
 さて、当初は“Boogaloo”というタイトルでバック・トラックのデモ・テープが制作された“Dancing Queen”ですが、この初回バージョンはビヨルンとベニーの満足出来る仕上がりではありませんでした。2人は当時世界的なブームとなりつつあったディスコ・ミュージックの要素を取り込もうと考えていたものの、どうもリズム感覚が上手く掴めなかったんですね。そこで、彼らはジョージ・マクレーの大ヒット曲“Rock Your Baby”を参考にしてリズムのベースを作り、ドクター・ジョンのアルバム“Gumbo”を参考にして複雑なドラム・パターンを練り上げたわけです。“僕らの国には存在しないリズムだったから苦労したよ”と後にビヨルンが語っていますが、そうしたハンデを全く感じさせない見事な出来栄えだと思います。
 ただ、ビヨルンはこんなことも言っています。“よくダンスフロアが空になったり、パーティが寂しくなってきたときにDancing Queenをかけると一気に盛り上がるという話を耳にするけど、ちょっと不思議な感じがするよね。僕には理解ができない。だって、この曲はディスコ・ナンバーとしてはテンポが遅すぎると思うんだ”って。ん〜、もしかしたらビヨルンはディスコで遊んだことがないのかもしれませんね(笑)
 ちなみに、この曲は92年の『アバ・ゴールド』発売に合わせて再度シングル発売され、全英チャートで16位をマークしています。また、A★ティーンズやキャロル・ダグラス、ココ・リー、ベリンダ・カーライルなどがカバー・バージョンをリリースし、U2やカイリー・ミノーグ、セックス・ピストルズ、ドナ・サマーなどもライブで歌っております。93年にはフリーダ自身がアカペラ・グループ、リアル・グループとのデュエットでカバー・バージョンをリリースし、シルヴィア王妃50歳の誕生日を記念する式典で生歌も披露しました。
 なお、76年7月に行われたスウェーデン国王結婚式のセレモニーで最初に演奏されたことから、よく国王ご成婚を記念して作られた楽曲だと勘違いされますが、これは全くの偶然。王室からの出演依頼を受けた時点で、公に発表できる最新作が“Dancing Queen”しかなかった、というのが実際のところだったそうです。

3,My Love, My Life マイ・ラヴ、マイ・ライフ ビデオ
 アグネッタのお気に入りナンバーの1つだという美しいバラード。幻想的でドリーミーなバック・コーラスは、当時メンバー全員が大好きだったという10CCの“I'm Not In Love”をヒントにしています。北欧的なメランコリックで叙情感のあるメロディは絶品。アグネッタの繊細でピュアなボーカルと見事にマッチしていますね。ファンの間でも根強い人気を誇るナンバーです。
 ちなみに、この曲はもともと“Monsieur, Monsierur”というタイトルで、パリで過ごした夏休みの思い出を歌ったラブ・ソングでした。最初のデモ・テープではアレンジもポップだったそうです。そう、アバ・ファンならすぐにピンと来るかもしれませんが、アルバム『スーパー・トゥルパー』に収録された名曲“Our Last Summer”の元ネタだったわけですね。

4,Dum Dum Diddle ダム・ダム・ディドル ビデオ(※ビデオはライブ・バージョンです)
 これはビヨルンとベニーの音楽的ルーツである北欧民謡をモチーフにした、軽快でキャッチーな楽しいポップ・ナンバー。ただ、“ダム・ダム・ディドル”というタイトルは語感だけで付けた造語で、歌詞の内容もかなり軽いものであるため、後にビヨルンは失敗作だったと後悔しているようです。フリーダも“バカバカしい曲だった”と一刀両断(笑)でも、この天真爛漫な明るさこそが当時のアバの魅力だったわけだし、イギリスやアメリカのアーティストには決して真似の出来ない、アバならではの個性と言えるでしょう。トラッド音楽とポップスを見事に融合させた名曲だと思います。民族楽器を散りばめた賑やかな演奏も聴き応え十分。

5,Knowing Me, Knowing You ノウィグ・ミー、ノウィング・ユー ビデオ
 ウェスト・コースト・ロックを彷彿とさせる乾いたサウンドと、陰鬱で哀しげなメロディが独特のアダルトな雰囲気を盛り上げる名曲。フリーダのディープで物憂げなボーカルも素晴らしいですね。イギリスや西ドイツなど5カ国でナンバー・ワンをマークし、カナダやオーストリアなど3カ国で2位、オランダとスイスで3位、ノルウェーで6位を記録しています。
 アメリカで最高14位だったのは仕方がないとしても、当時アバ・ブーム真っ只中だったオーストラリアで9位というのはちょっと意外。恐らく、それまでハッピーでキャッチーな楽曲ばかりだったアバが、いきなり大人向けのダークなナンバーを出したことに戸惑ったファンも多かったのかもしれません。
 その一方で、当時の批評家から最も受けが良かったのもこの作品で、ベニー自身も“僕たちのレコーディング作品の中でもベスト5に入る”と自負しています。また、彼らは歌詞で“アハ”というフレーズをよく使いますが、中でも特に有名なのがこの曲ですね。そう、“アハ〜ン”ってやつですよ(笑)
 さらに、歌詞が離婚をテーマにしていることから、この頃からビヨルンとアグネッタの夫婦間に溝が生まれたのでは・・・という憶説も一部にありましたが、もちろんそんなことはありません。あくまでも、ビヨルンがたまたま頭の中に浮かんだイメージを膨らませて書いたものであり、数年後の離婚とは全く関係がないとのこと。ちなみに、もともとのタイトルは“Ring It To Me”というもので、その後“Number One, Number One”へと変更され、最終的にスティッグ・アンダーソンのアイディアで“Knowing Me, Knowing You”に落ち着いたわけです。

6,Money, Money, Money マネー・マネー・マネー ビデオ(※ビデオはTVパフォーマンス)
 これもお馴染みの作品でしょう。今でも、テレビ番組でお金絡みの話題が出てくると、必ずこの曲がBGMで使われますからね。歌詞とメロディが見事に合致して強烈なパワーを生み出す、というのはアバの得意技ですが、これなんか最良のお手本ですね。一度聴いたら最後、頭にこびりついて離れませんもん。
 ビヨルンとベニーが目指したのは、ヨーロッパ的なキャバレー音楽の世界。20年代〜30年代のドイツやフランス辺りのうらびれたキャバレーといったところでしょうか。フリーダのボーカルがディートリッヒを彷彿とさせるのも頷けるところですよね。この退廃的なムードが、刹那的な歌詞の内容と非常に上手くマッチしています。
 ただ、ビヨルン自身は“Money”という言葉を使うことにはためらいがあったそうです。あまりにも多くの歌で使われてきた言葉ですからね。でも、“このいまいましい言葉をメロディに乗せて口ずさむと、素晴らしい響きを放つんだ”ということで、最終的には誘惑に負けてしまったとのこと。“Money, Money, Money”というサビのフレーズを土台にして、全体の歌詞を書き上げたのだそうです。ちなみに、当初のタイトルは“Gypsy Girl”。誘惑に負けてよかったですよね(笑)
 『ダンシング・クィーン』に続くセカンド・シングルとしてリリースされたこの曲は、オーストラリアや西ドイツ、フランスなど世界7カ国でナンバー・ワンを記録。スイスやノルウェーなど3カ国で2位をマークし、オーストリアでは3位、フィンランドでは7位にランクされています。ただし、日本では「ザッツ・ミー」のB面ソング扱いでした。
 ちなみに、この曲のプロモ・ビデオで使用されたアグネッタとフリーダの衣装をパクッたのが、ピンク・レディーの『ウォンテッド』だったわけです。

7,That's Me ザッツ・ミー ビデオ
 アバはそれぞれの国や地域によって独自のシングル曲を発売していましたが、日本のみでシングル・カットされた数少ない作品がこれです。本来は『ダンシング・クィーン』のB面ソングだったのですが、日本の発売元ディスコメイト・レコードの判断で、「マネー・マネー・マネー」に代わるA面ソングとして採用されました。シンセサイザーの流麗で煌びやかなサウンド、哀愁感あふれる美しいメロディ、うっとりするような絶妙のハーモニーなど、まさに日本人好みのキャッチーなポップ・ナンバーです。アグネッタにとっても、一番のお気に入りソングだったとのこと。

8,Why Did It Have To Be Me ホワイ・ディド・イット・ハフ・トゥ・ビー・ミー ビデオ(※ビデオはライブ・バージョン)
 アルバムの中で、唯一ビヨルンがリード・ボーカルを取った作品。ファッツ・ドミノを意識したアメリカ南部スタイルのロックン・ロール・ナンバーです。もともと76年の4月26日に最初のレコーディングが行われたものの、出来上がったデモ・テープを聴いたビヨルンとベニーは違う路線を試してみることに。スティッグ・アンダーソンが“Happy Hawaii”というタイトルで歌詞を仕上げ、アグネッタとフリーダの2人がボーカルを担当し、新たにスティール・ギターと波音のSEが追加されました。
 しかし、このセカンド・バージョンもメンバーの満足する出来ではなく、さらにカントリー風のアレンジに変えて再びレコーディングしたものの、こちらも全員一致で却下。結局、当初のファッツ・ドミノ風路線に立ち戻り、新しい歌詞とビヨルンのボーカルで最終的なレコーディングが行われたわけです。アバがどれだけ時間をかけて、1曲1曲丁寧に作っていったのかということがよく分かる逸話ですよね。“アルバムに収録される作品は、全てがシングル・カットに値するべき”というビヨルンとベニーのポリシーが徹底されていたわけです。

10,Tiger タイガー ビデオ
 アグネッタとフリーダのパワフルでワイルドなボーカルが印象的なロック・ナンバー。しかも、リズムやメロディによって、歌声が全く違う表情を見せるのは凄いですよね。日本では「ダンシング・クィーン」のB面ソングとして使用されています。

11,Arrival アライバル ビデオ
 アルバムの最後を締めくくるのは、壮大で美しいトラッド風のインスト・ナンバー。スウェーデンのダーラナ地方に伝わる民族音楽にインスパイアされた作品です。「ダム・ダム・ディドル」でも民族音楽スタイルにチャレンジしていましたが、こちらはまさに“民族音楽”そのもの。幻想的で透明感のあるメロディが素晴らしく、非常に芸術性の高い出来栄えです。
 インスト・ナンバーゆえにシングル・カットこそされませんでしたが、数多くのアーティストがカバー・バージョンを発表しています。一番有名なのは、アイリッシュ・フォーク・ロックの大御所マイク・オールドフィールドが1980年にリリースしたシングル。さらに、フランスの有名なシャンソン歌手ミシェル・トーが“J'aime”というタイトルで、フランス語の歌詞を付けてカバー。最近では、サラ・ブライトマンが最新アルバム“A Winter Symphony”の中でカバーしています。
 ちなみに、83年にフランスで上演されたミュージカル“Abbacadabra”の中でも、“Belle”というタイトルでフランス語の歌詞を付け、フリーダとダニエル・バラヴォワーヌがデュエット。その後、“Time”というタイトルで英語の歌詞も付けられ、フリーダとB・A・ロバートソンのデュエットでシングル発売されてします。

※CD用ボーナス・トラックなど

Fernando 悲しきフェルナンド ビデオ
 以前にも述べたように、ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』の大ヒットを受けて発売されたシングル。もともとはフリーダのソロ・アルバム用に作られた作品でした。全体を包み込む牧歌的なムードがなんとも心地良く、フリーダの独特のボーカル・スタイルも印象的。
 イギリスや西ドイツ、オーストラリア、メキシコなど世界13カ国でナンバー・ワンに輝き、中でもオーストラリアでは14週にも渡って1位の座をキープし続けました。その他、カナダやジンバブエ、フィンランドなど5カ国で2位、スペインで3位、アバがあまり受け入れられなかったイタリアでも6位をマーク。アメリカでは最高13位だったことから意外に思われるかもしれませんが、実は『ダンシング・クィーン』と並ぶアバ最大のヒット曲だったんですよね。
 ちなみに、1977年のブロンクスを舞台にしたスパイク・リー監督の映画『サマー・オブ・サム』(99年)のBGMでも印象的に使われていることから推測できるように、当時のアメリカでも一般的にはかなり受け入れられた楽曲だったようです。事実、ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位を記録。全米チャートというのはあくまでも売り上げ記録の目安であって、必ずしも実際の人気を反映するものではないということがよく分かると思います。
 もちろん、カバー・バージョンも数多く存在します。メキシコ革命をテーマにした楽曲ということもあって、メキシコの男女デュオ、アンヘラ&コンスエロであったりとか、ブラジルの有名な女性歌手ペルラであったりとか、南米系のアーティストも歌っているのが興味深いところ。また、アバの妹分であるレナ・アンデションも、ビヨルンとベニーのプロデュースでドイツ語バージョンをカバーしています。

Happy Hawaii ハッピー・ハワイ ビデオ
 上でも説明したとおり、これが「ホワイ・ディド・イット・ハフ・トゥ・ビー・ミー」のセカンド・バージョンになります。メロディは確かにそのままですが、全体の雰囲気は全く違った仕上がり。文字通り、陽気でハッピーなハワイアン・ナンバーです。
 本来、アバは一度ボツにした作品はそのまま破棄してしまうものなのですが、この作品に関しては何か引っかかるものを感じたのかもしれません。シングル『ノウィング・ミー、ノウィング・ユー』のB面ソングとして採用され、プロモ用のアニメーションまで制作されています。このアニメはマスターが紛失してしまったために長いこと幻の作品とされていましたが、後に保存状態の悪いプリントが発見されています。

Fernando (Spanish Version) 悲しきフェルナンド(スペイン語バージョン)
La reina del baile (Dancing Queen) ダンシング・クィーン(スペイン語バージョン)
Conciendome, Conciendome (Knowing Me, Knowing You) ノウィング・ミー、ノウィング・ユー(スペイン語バージョン)

 以上は、80年に制作されたスペイン語アルバム『グラシス・ポル・ラ・ムシカ』に収録されたバージョン。オリジナルのバック・トラックをそのまま使用しています。ただし、『ダンシング・クィーン』のみ、オリジナルの英語バージョンよりも若干長いんですけどね。

 

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